臓器移植シンポジウム(2)「子どもに希望持ってもらいたい」 向井亜紀さん
妊娠と同時に子宮頸がん
膳場 では引き続き、向井さんにもお話を伺いたいと思います。
向井 私が子宮頸がんの手術をしてから、そろそろ10年がたとうとしています。35歳の終わりに妊娠と同時に子宮頸(しきゅうけい)がんがある、ということがわかりまして、どうにかして赤ちゃんを産んでから子宮を取る、という処置に進みたいと思いました。
しかし、どうしてもそれがかなわずに、おなかの中に赤ちゃんがいるのに子宮をくりぬく、というような手術を選択せざるを得なかったのです。35歳でせっかく妊娠できたのに赤ちゃんを失ってしまった、子宮頸がんになってしまった、といってたくさん泣きました。
私のおなかの中の病巣を確認した担当の先生が、「亜紀さん。亜紀さんの子宮頸がん、もう10年前から始まっていたと思います。でもそれに10年間、気がついてなかったんですよ。妊娠と同時にそれがわかって、本当に危ないところで命拾いをしました。それを前向きにとらえてくださいね」と私のことを励まそうと思って一生懸命おっしゃって下さいました。
しかし、「取り返しのつかないことをした、私が死ねばよかった、10年間自分の体の中の変化に気が付いてこなかった、能天気に生きてきた、私が死んで、赤ちゃんが生きるべきだった」、そういうとらえ方しかできない自分だったんですね。
赤ちゃん失った喪失感で鬱に
先ほど音無さんもおっしゃっていたと思うんですけれども、その喪失感の中で鬱が始まってしまっていて、自分は一刻も早く死んであの世に行って子どもに謝るんだ、そうじゃなかったらつじつまが合わない、それを毎日考えて、泣き暮らしていたら、やはり鬱病が始まってしまいました。
死にたいと思うと、食べ物が食べ物に見えない、そういう状況になりました。朝昼晩、病院食が運ばれてきますが、それがどうしても口に入れるものに見えなくなってくる。おみそ汁を見ても、「何でこんな泥水みたいな汚いものを、今まで私は口の中に入れていたんだろう」。母が一生懸命、私の口の中にバナナを押し込もうとするんですけれども、その粘々した感じが、もう口の中に入れたくない、汚いものっていうふうにしか思えなくて吐きました。人に当たり散らして、毎日泣いて、という状態が続いてしまいました。
私の場合は、おなかの中の赤ちゃんをどうにか産みたいという希望が最後までありましたので、少しずつ削ってレーザーを使ってメスを使って、段階的にがんと向き合うような手術を3回に分けてやったんですけれども、結局どうしても間に合わなくて、3回目の手術で広汎子宮全摘、リンパ節切除という手術になりました。
「“生存者罪悪感”と言うんですよ」って心療内科の先生に言われたんですけれども、「私が生きていることは絶対に間違いだ」というような気持ちから始まった鬱のせいで、おなかの中に感染が起こってしまって、それがどんどん性質の悪いものになってしまいました。自分が死にたいと思っていると、体はどんどんその方向に向かってまっしぐらに突き進む、という時間を過ごしてしまいました。そこで起きた予後の悪さ、感染症を抑えるために、その後14回手術を受けました。
結局、腎臓を摘出したり、ずっと留置していたカテーテルが、どうしてもおなかの中の癒着性質が悪くなってしまったので動脈を破ってしまって人工血管を入れたり、いろんな手術をその後受けてきました。何回も入院してきましたけれども、その時にやっぱり自分に目標があったかそうでなかったか、という自分の気持ちの持ち様が、全く違う結果を体にもたらしたな、ということが振り返ってみるとよくわかります。
私が好きな癌研の先生に以前、「がんを克服するための大切なポイントは、早期発見と患者の気の持ち様です」と言われたんですね。私の場合は、「本当になんてことをしてしまったんだ」、そうやって後悔したがんの手術の後に、賛否両論ありますが、どうにか、代理出産か養子をもらうという方法で、自分で子育てをしてみたい、と目標を据えることにしたんですね。その目標を心に持てたことで、その後の闘いというのが全く違うものになりました。
今日は臓器提供意思表示カードと同じ色の洋服を着て来てみたんです(笑)。「あ、このカットソーがあるじゃないか!」「あ、同じ色だ!」って思って今日は着て来たんです。
このことを考える時も、「今、移植さえ受けられれば、私は自分の希望を自分のものとして、もっと心の一番中心のところに持って頑張ることができるんだ」、そういう状況で病気と闘っている人たちが、提供を受けられるかもしれない、道が開けるかもしれない、海外に行かなくてもいいかもしれない。小さな子どもさんでも「僕、おっきくなれるの?」「サッカー選手になれるの?」「お医者さんになれるの?」、そういう気持ちを持ちながら病気と向き合うことができるかどうか。
それが本当に人間の潜在能力というものを引き出すきっかけになるなっていうのは、自分でも、主人と二人でよく小児病棟にも遊びに行ってるんですけども、そういった、闘っている皆さんを見ても、心の中心に何があるかで全く違う結果が待っているな、としみじみと感じています。子どもさんに希望を持ってもらいたい。
どんどん弱っていく、どんどん動けなくなっていく我が子を見ながらもう、陰で泣いているお父さん、お母さんが、希望を持って、その子に「いい? あなたはね、大きくなったらね、どんな人になりたいの? どんな職業に就きたいの? どんなふうになりたいの? どんなお洋服着ておしゃれしたい?」、子どもに語りかけてあげられるかどうかで本当に違う未来が広がるな、というのをいつも思っています。
20代で意思表示カード持つ
私も臓器、いくらでも提供したいということで、もう22~23歳の時から臓器提供意思表示カードを持っていました。夫と結婚した時に「これ、家族欄のところに、今までは両親の名前を書いてもらっていたけれども、あなたの名前を書いてね」といって、夫が震える手で「高田延彦」って書いたのを今もよく覚えています。
いつも人と命がけで闘ってきてるのに、これを書くのにこんなに震えるの?って言いましたけれど、いつも、人間は生きている限り、いつも死と隣り合わせなので、私が死んだ時に、私の気持ちっていうのをここに込めておくので、「提供したい」っていう気持ちでも「提供したくない」っていう気持ちでも「ここまでは提供します」っていう気持ちでも何でもいいから、その気持ちが私からの伝言だと思って、ここにサインをしたことを一緒に必ず思い出してね。どんなに悲しくても、私の場合は、私の脳みそが止まった時に「向井亜紀」の人生はそこで終わるから。それから先はあなたに託したから。まだちょっと温かいかもしれないけど、あなたに託すので、このカードと私の今の気持ち、話した瞬間のこと、忘れないでね、と言ってあります。
またこの色のカードに替えて、また震える手で高田がサインするのかもしれません。今回は高田も一緒にカードを書こうと言っています。だいぶ、震えない字で書けると思いますが、そういった話し合いが、時間をかけてできてきたことっていうのを本当に大切にしていきたいな、と思います。こんなプレゼンテーションですが、このような「命が大切だ」っていうのもあるな、っていうことで、ご報告したいと思います。
膳場 ありがとうございました。命というのは希望を持つことで生きていくその力を得られる、という向井さんのお話でした。移植医療はそのものが善意で成り立っている医療なんじゃないかな、と思います。善意であったり、希望であったり。向井さんのお話は、移植とは直接関係ありませんが、移植を考える上ですごく示唆に富んだ、参考になるお話だったのではないかと思います。
(2010年8月31日 読売新聞)
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