――この空が消えてなくなる、その日まで
「……うーん、やめてくれー、曜子ちゃん。そこはっ、そこだけはっ! そこだけは勘弁――っは!?」
ムクリ、とその少年は目を覚ました。
人目を惹く外見である。
女性的な相貌、猫の様に真っ赤な瞳。
そして何よりも老人の様な真っ白な白髪。
「ひ、酷い夢だった……まさか曜子ちゃんがアッチ方面でも超人的だったなんて……」
夢の話である。
少年――黒須太一はあくびをしながら体を起こした。
そして周囲を見渡す。
「……なぬ?」
夜である。
しかし彼の特異な瞳はそれを問題としなかった。
意識することで宵闇の中でも視界はクリアだ。
見知らぬ場所であった。
地面である。
そしてその地面には白線は引いてある。
いわゆるグラウンドであった。
そして見える大きな校舎。
それだけなら別におかしな話ではないと言える。
彼が寝床にしていた祠まで大分距離はあるが、まあ寝ている間にゴロゴロと学校まで転がってきた、その可能性はある。
が、しかし。
「群青……じゃない」
グルリと周囲を見渡す限り、彼が飽きるほど見てきた学園と全くの別物だった。
彼が長い時間をおいた学園の特徴が無い。
檻の様な巨大な門もない。
「どこだ、ここ? うーむ、寝ている間に隣町の学校まで転がったのか?」
ウンウンと唸る。
そしてザワリ、と何かの存在を感じた。
生き物の気配。
「……え?」
ありえない、と思いつつも感覚を鋭敏にする。
感覚を広げる。
気配を感じる。
――いるはずが無い。
しかし彼の卓越した感覚は確かに人の気配を捉えた。
「まさか……いや、そうなのか? 戻ってきた……いや、でも……」
何かおかしい。
長く人と接していない彼だが、人間が待つ気配というものは決して忘れていない。
彼が今感じている気配は、人間とは少し違うのもだった。
近い、だが違和感がある。
この感覚に覚えがあった。
「うむむ」
腕を組み唸る。
分からないことだらけだ。
と、その彼に背後から近寄る人影。
二つにくくった金色の髪は夜の中でも鈍く輝く。
足を忍ばせている。
それなりに訓練された動きだ。
体重移動、音を立てない足行き、可能な限り薄くした気配。
ジワジワと太一の背後に迫る。
そしてそのまま胡坐を組む太一に接近し――
「そこだッ!」
唐突に背中から地面に対して倒れこんだ太一に「ひっ」と小さな悲鳴をあげて驚いた。
彼女にとっては意味不明の行動である。
しかし太一にとっては意味がある行動だった。
近づいてきた少女、スカートは短い。
故に倒れこんだ太一からはその扇情的な布布したものが目に入ったのだ!
「やった! ピンクだ!」
子供の様に目を輝かせて、喜ぶ太一onグラウンド。
対して、シークレット布を見られた少女は、混乱していた。
冷静に思考する。
目の前の少年――彼女は最初その白髪から老人だと思ったが……その少年を。
自体を把握していないのか。
現状に混乱して、この様な意味不明な行動へと至ったのか――そう判断した。
「あの……よろしいですか?」
「わー、いいなー、やっぱり履いてるのじゃないと駄目だよな、うん。一回先輩の家にお邪魔して舐める様に眺めたことあるけど、やっぱり履いているのとはまた別格だなー」
「……」
聞いていない。
ただ、頭上の秘密の布を眺めることだけに従事している。
少女は少し頬を染めつつ、その無表情な顔を僅かに歪め、後退した。
パンツを見られない位置まで。
「に、逃がさんっ!」
しかし少年は寝そべったまま、進行方向へと移動した。
ホバー移動の様な動きだった。
何が彼をそこまでさせるのか。
「……っ!」
再びパンツを見ることが出来る位置まで移動した太一。
少女は得体の知れない恐怖に襲われ、背後へと疾走した。
そして再びズリズリと後を追う太一。
想像してみるといい。
ひっくり返ったゴキブリが自分の後を追う光景を。
今、少女はその様な恐怖を味わっていた。
「……っ! ……っ!」
「はぁ……はぁ……!」
おおよそ人間の動きではないその動きは、大量の体力を消耗するのか、太一の口からは疲労が呼吸となって漏れ出ていた。
でも、追いかけることやめない。
それが彼である。
そしてその追いかけっこは半刻ほど続いた。
グラウンドへと降りるための階段に少女が昇ったため、太一が頭を段差へとぶつけたためだ。
そして頭を抑え転がる太一と、それを冷ややかな目で見下ろす少女、という図式が出来上がった。
少女は僅かに口を吊り上げ、「勝った」と思った。
そして自分がここに何をしに来たかを思い出し、ブンブンと頭を振った。
自分を戒めるつもりで咳を一つ。
目の前の少年を警戒しつつ、
「落ち着きましたか?」
「……ああ、落ち着いた。非礼を侘びよう、先ほどまでの行為、紳士として到底許されざる行為だった」
のそりと体を起こし、パンパンと体から土を叩き落す。
紳士っぽく頭を下げ、丁寧な口調で侘びる太一。
少女はまたしても混乱した。
先ほどまで自分の下着をホラー映画のように追いかけてきた人間とは思えない。
(……頭を打ったせいで)
そう納得することにした。
「私の名前は遊佐といいます。あなたは?」
「愛奴隷……」
「あい、なんですか?」
眉尻を下げ、聞き返す。
「あ、いや、うん。今の無し。今の俺は紳士を極めたジェントリ伯爵――黒須太一」
「黒須太一さんですね」
「出来れば『たいちん』といやらしく呼んでほしい」
「嫌です」
にべも無く断った。
「ここがどこか分かりますか?」
「それなー。うん、もしかして……天国とか?」
「……え」
「……え?」
太一は冗談で言ったつもりだった。
その後「君の様な天使カワイイ女の子がいたからネ!」何てお洒落に続けるつもりだった。
そして相手がツンデレなら「バ、バカ!」と平手打ち、相手が照れ屋なら「……え、そ、そんな……///」となって太一万歳、そういうオチをつけるつもりだった。
しかし目の前の遊佐の反応はそのどれとも違う反応だった。
「どうしそれを?」の様に驚いた反応だった。
「なに、え……そうなの?」
「ええ、はい。死後の世界、という意味でなら」
ポカンと大口を開ける太一。
え、何?俺死んだの?マジで?
そう言いたげな顔である。
そしてそんな馬鹿な、と笑った。
「う、嘘ダー! 冗談キツキツだよ、それ。俺が今履いてる貞操体よりキツイよー、ハハッ」
何故履いているのか。
またしても家を燃やしてしまったからです。
自分専用の下着が無くなったため、仕方なく曜子ちゃんが残した貞操体を履いていたのだ。
「……」
対する遊佐は無言。
慣れているのだろう。
死を突きつけられた人間の反応に。
「そ、そういえば、目の前のガールも七香と同じ気配……」
ふと思い至る。
そして自分の気配も同じ気配を纏っていることに。
「……そんな……嘘だろ……」
ガクリと体の力が抜け、地面に突っ伏す太一。
その姿を見て、何ともいえない哀れな感情を抱いた遊佐は、太一に近づき、地面に肩膝を立て、太一の肩に手を置いた。
「大丈夫です。あなた一人ではありません、ここにはたくさんの仲間達がいます」
「……」
「そして戦っているんです。理不尽な人生を私達へと強いた神と。……太一さん、あなたの力を貸して下さい」
遊佐は目の前の少年に心から同情していた。
目を惹く白髪。
恐らくは生前、その様な髪の色になってしまうほど辛い目にあったのだろう、と。
先ほどまれの奇行は、その時のことが原因で人との接触を絶ったためだろう、と。
そう推測した。
そう考えた。
自分の幸せで無かった人生と共感した。
もう一方の手で、太一の白髪に手を通す。
「もうあなたは一人じゃありません。私が、私達が傍にいます」
遊佐の顔は変わらず無表情だったが、その胸中には確かに慈愛の心があった。
目の前の少年。
目に見えて不幸な人生を送っていただろう少年に対しての慈愛。
「……うぅ」
対する太一。
泣いていた。
ポロポロと涙を。
伏せた顔から落ちた涙は、グラウンドに小さな小さな池を作っていた。
「太一さん……」
それがまた遊佐の心を刺激した。
「こんな、こんな……」
太一の慟哭にも似た声が口から漏れる。
怨嗟の声か。
人生の理不尽さを嘆く声か。
いや、違う。
「こ、こんなっ、こんなっ……ふふ」
笑っていた。
我慢できない笑みで顔が綻んでいた。
伏せたと思われていた、その視線が向かっているのは遊佐。
正確に言えば、ほぼ密着している為、遊佐の顔は見えない。
だが、彼女は今、肩膝を立てている。
つまりはどうだ。
「こ、こんな至近距離で……ピ、ピンクの……バンザーイ! バンザーイ!」
そういうわけだった。
喝采していた。
小さな声で。
知らぬは彼女ばかり。
太一が自分の下着を凝視しているとは露知らず、ただ目の前の少年に感情を注いでいた。
こうして、太一の二度目の人生はスタートしたのである。