臨床政治学 永田町のウラを読む=伊藤惇夫
中央公論 9月13日(月)16時28分配信
胡散臭い定数削減論議
流行の定数削減論議。各党とも異様に大胆過ぎて、どうも真剣度が疑わしい。削減数を競う姿は、自分たちがいかに「不要」な存在かをアピールしていることになるのだが……
「ねじれ」下での本格的な臨時国会が近づいてきた。民主党内の「痴話喧嘩」などより、国民にとっては、与野党の政策協議がどこまで進むのか、その結果としてよりよい政策(法案)が実現できるかどうかが大切。つまりパーシャル連合(政策ごとの部分連合)が気になるところ。
さて、各党が先の参院選挙で掲げた公約を“本気”で実現するつもりなら、与野党間ですぐにでもパーシャル連合が実現する格好のテーマがある。国会議員の定数削減がそれだ。参院選挙では民主党をはじめ、自民、みんな、公明など、社民、共産を除く各党が具体的な数字を挙げて削減を約束。菅直人総理も、「年内にも各党協議を」とかなりご執心の様子だ。
だが、この話、どうも「胡散臭さ」が鼻に付く。各党の削減案は民主党が衆議院の比例八〇削減+参院定数の四〇削減で、自民党は六年後に三割削減、みんなの党は衆院三〇〇人、参院一〇〇人へ……、といった具合で削減数の競い合い。まるで、「バナナの叩き売り」状態だ。定数削減は国会議員が自分で自分の首を切るようなもの。これだけ大胆な削減案を出すからには、各党とも相当激しい党内論争があっても当然だが、どの党も、大した議論もなしに、すんなり公約化してしまっている。そのこと自体、各党の“真剣度”に疑問符が付く。要は参院選挙に向け、有権者の「受け」を狙ったパフォーマンスにすぎないと見られても仕方ないだろう。
もっとも、定数削減を掲げれば国民が拍手喝采してくれるだろう、という発想自体が国民をバカにするものともいえる。本気度の低い「受け狙い」であり、なおかつ近い将来、国民に消費税増税を含む負担増を押し付けるために「まず自分たちが血を流す覚悟」をアピールしているにすぎないことぐらい、国民は先刻お見通しだろう。大方の国民は、「どうせ「総論賛成・各論反対」でまとまりっこない」と冷めた目で見ているに違いない。
そもそも、定数削減はそれほど必要なことなのか。日本の国会議員はそれほど多過ぎるのか。先進各国の下院(衆院)の議員一人当たり人口を見ると、図抜けて多い(つまり議員は少ない)のは米国で七二万三〇〇〇人、次が日本で二六万五〇〇〇人。欧州各国を見ると、ドイツ一三万七〇〇〇人、フランス一〇万八〇〇〇人、イギリスに至っては九万五〇〇〇人と、人口比で見ると日本は決して多くないことがわかる。となると国民が不満を抱いている点、問題は「量」ではなく「質」にあるのではないか。削減を叫ぶ前に、まず国会議員の質の向上が必要だということかもしれない。
そもそも、各党が削減数を競う姿は、裏返して言うと、自分たちがいかに「不要」な存在かをアピールしていることになる。国民は有能で勤勉な政治家なら多いに越したことはない、と思っているはずだ。
また、定数削減を言う前に、もっと重要で、もっと早期に手を着けるべき問題がある。それは二院制の在り方を根本から見直すこと。我が国の二院制の最大の問題点は衆参両院の役割分担が極めて不明瞭だという点。つまり両院は同じような権限を持ち、同じような作業を繰り返すという、非効率なシステムになっていることだ。イギリスの貴族院は単なるチェック機関だし、米国の場合、上院は地域(州)代表、下院は全国代表といった具合で、両院の役割分担がハッキリしている。ところが日本は……。
定数削減を言うなら、まず二院制を存続させるべきかどうか、存続させるなら、その役割分担はどうするのか、といった根本問題から議論し、それが結論付けられた段階で、「では、衆参それぞれの選挙制度はどうあるべきで、議員定数は、どの程度必要なのか」といった議論に入っていくのが本来の姿だろう。例えば、日本でも参院を地域代表、衆院を全国代表とすれば、参議院は各都道府県二人ずつで計九四人という数字が浮かんでくるし、参議院を職能代表に特化するなら、すべてを比例で選ぶという制度変更が選択肢として浮上してくる。
ついでに言えば、定数削減などという“大風呂敷”を広げる前に、広がり続ける「一票の格差」の是正など、すぐにでもやるべきこと、できることが他にいくらでもある。
ここまで論じてきて「今さら」かもしれないが、それさえできない国会議員は、やっぱり大半が不要かも。
(了)
流行の定数削減論議。各党とも異様に大胆過ぎて、どうも真剣度が疑わしい。削減数を競う姿は、自分たちがいかに「不要」な存在かをアピールしていることになるのだが……
「ねじれ」下での本格的な臨時国会が近づいてきた。民主党内の「痴話喧嘩」などより、国民にとっては、与野党の政策協議がどこまで進むのか、その結果としてよりよい政策(法案)が実現できるかどうかが大切。つまりパーシャル連合(政策ごとの部分連合)が気になるところ。
さて、各党が先の参院選挙で掲げた公約を“本気”で実現するつもりなら、与野党間ですぐにでもパーシャル連合が実現する格好のテーマがある。国会議員の定数削減がそれだ。参院選挙では民主党をはじめ、自民、みんな、公明など、社民、共産を除く各党が具体的な数字を挙げて削減を約束。菅直人総理も、「年内にも各党協議を」とかなりご執心の様子だ。
だが、この話、どうも「胡散臭さ」が鼻に付く。各党の削減案は民主党が衆議院の比例八〇削減+参院定数の四〇削減で、自民党は六年後に三割削減、みんなの党は衆院三〇〇人、参院一〇〇人へ……、といった具合で削減数の競い合い。まるで、「バナナの叩き売り」状態だ。定数削減は国会議員が自分で自分の首を切るようなもの。これだけ大胆な削減案を出すからには、各党とも相当激しい党内論争があっても当然だが、どの党も、大した議論もなしに、すんなり公約化してしまっている。そのこと自体、各党の“真剣度”に疑問符が付く。要は参院選挙に向け、有権者の「受け」を狙ったパフォーマンスにすぎないと見られても仕方ないだろう。
もっとも、定数削減を掲げれば国民が拍手喝采してくれるだろう、という発想自体が国民をバカにするものともいえる。本気度の低い「受け狙い」であり、なおかつ近い将来、国民に消費税増税を含む負担増を押し付けるために「まず自分たちが血を流す覚悟」をアピールしているにすぎないことぐらい、国民は先刻お見通しだろう。大方の国民は、「どうせ「総論賛成・各論反対」でまとまりっこない」と冷めた目で見ているに違いない。
そもそも、定数削減はそれほど必要なことなのか。日本の国会議員はそれほど多過ぎるのか。先進各国の下院(衆院)の議員一人当たり人口を見ると、図抜けて多い(つまり議員は少ない)のは米国で七二万三〇〇〇人、次が日本で二六万五〇〇〇人。欧州各国を見ると、ドイツ一三万七〇〇〇人、フランス一〇万八〇〇〇人、イギリスに至っては九万五〇〇〇人と、人口比で見ると日本は決して多くないことがわかる。となると国民が不満を抱いている点、問題は「量」ではなく「質」にあるのではないか。削減を叫ぶ前に、まず国会議員の質の向上が必要だということかもしれない。
そもそも、各党が削減数を競う姿は、裏返して言うと、自分たちがいかに「不要」な存在かをアピールしていることになる。国民は有能で勤勉な政治家なら多いに越したことはない、と思っているはずだ。
また、定数削減を言う前に、もっと重要で、もっと早期に手を着けるべき問題がある。それは二院制の在り方を根本から見直すこと。我が国の二院制の最大の問題点は衆参両院の役割分担が極めて不明瞭だという点。つまり両院は同じような権限を持ち、同じような作業を繰り返すという、非効率なシステムになっていることだ。イギリスの貴族院は単なるチェック機関だし、米国の場合、上院は地域(州)代表、下院は全国代表といった具合で、両院の役割分担がハッキリしている。ところが日本は……。
定数削減を言うなら、まず二院制を存続させるべきかどうか、存続させるなら、その役割分担はどうするのか、といった根本問題から議論し、それが結論付けられた段階で、「では、衆参それぞれの選挙制度はどうあるべきで、議員定数は、どの程度必要なのか」といった議論に入っていくのが本来の姿だろう。例えば、日本でも参院を地域代表、衆院を全国代表とすれば、参議院は各都道府県二人ずつで計九四人という数字が浮かんでくるし、参議院を職能代表に特化するなら、すべてを比例で選ぶという制度変更が選択肢として浮上してくる。
ついでに言えば、定数削減などという“大風呂敷”を広げる前に、広がり続ける「一票の格差」の是正など、すぐにでもやるべきこと、できることが他にいくらでもある。
ここまで論じてきて「今さら」かもしれないが、それさえできない国会議員は、やっぱり大半が不要かも。
(了)
最終更新:9月13日(月)16時28分