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【芸能・社会】MDMA田中さんが持ってきた 押尾被告あらためて無罪主張2010年9月14日 紙面から 「絶対に見殺しにはしていません」。合成麻薬MDMAを一緒に飲んで死亡した飲食店従業員田中香織さん=当時(30)=を救命できなかったとして保護責任者遺棄致死などの罪に問われた元俳優押尾学被告(32)の裁判員裁判の第6回公判が13日、東京地裁(山口裕之裁判長)であり、被告人質問で押尾被告はこれまでの検察側証人の証言をことごとく否定。田中さんが亡くなった当時の状況を身ぶり手ぶりで再現した。また、弁護側証人として出廷した医師C氏は、「血中濃度が致死量を超えており、助かる可能性は30%」との見解を述べた。14日に結審する。 ◆08年秋に初対面 5回セックス クスリは『ノリ』山口裁判長に促されて証言台に座った押尾被告。弁護人からの質問に答えた押尾被告によると、田中さんとは2008年秋ごろ、銀座のクラブで知人を交えて初対面。昨年2月ごろ、都内の焼き肉店で初めて2人きりになった。田中さんについて「とても明るくさばさばした方」との印象を抱いたという。 2人で違法な薬物について話したことについて、「10代のころからあらゆるクスリをやっていて、とくに覚せい剤をやめるのが大変だった、と。コカインやMDMAで、いろいろな(入手)ルートがあると言っていたが、具体的なことは聞いていない」と答えた。 田中さんとは「5回ぐらい」セックスしたという。薬物を使用した経験については、「はい。1回目のセックスの後に、どっかの飲み屋で田中さんから『今度クスリ使おうよ』と言われたので、『ああ、いいよ』と軽いノリで(使った)」と答えた。 弁護人は、押尾被告にMDMAを譲渡し、麻薬取締法違反罪で懲役1年の実刑判決を受けたI受刑者から事件の3日前に受け取ったのは粉末状のMDMAで、固形状のMDMAを田中さんにのませ、死に至らしめたとする検察側の主張に反論。I受刑者は、MDMAを押尾被告がスニーカーの中に隠したと証言している。 押尾被告は「(粉末を)キッチンの棚に置きました。ビニール袋に入った状態です」と答えた。事件のあった09年8月2日午前、六本木のドラッグストアでクスリを入れるカプセル一箱をI受刑者に買ってこさせた押尾被告は、ドラッグストアのビニール袋ごとリビングルームに置いたという。袋を持ち上げるしぐさをしてみせた。 同日午後2時14分、田中さんに送った「来たらすぐいる?」とのメールの意味について、押尾被告は「来たらすぐおれのこと欲しいか?って意味です。言葉の遊びというか…。お互いにクスリを持っていることが前提なのでクスリのことは確認しない」と説明。 「英語で何て言うの」と聞かれ、「Do You want me right away? すぐいるか、すぐほしいか、おれのことをという意味です」。 弁護人 「来たらすぐいる?ってのは」 押尾被告 「Do you want a drug when you arrive?もしくはDo you want a drug right awayです」 4歳から13歳まで米国で暮らした押尾被告は流ちょうな英語で、英語で物事を考えることが多く、字義通りの日本語の意味で、自分の言葉を受け取ってほしくないと主張した。 同日午後2時半すぎ、押尾被告の携帯電話に田中さんから着信があり「マー君、新作の上物あるから。今日は私の使おうね」と言われたという押尾被告は「新しい質の良いMDMAだと思った」と振り返った。六本木のマンション23階の部屋に着いた田中さんは、押尾被告に会うなり「あら、マー君、久しぶり」と抱きついてきたという。押尾被告は「すでに良い感じで、クスリが効いているんだな、ご機嫌なんだな、と」。 押尾被告 「今回使ったのは田中さんが上物と言って持ってきたもの。I受刑者から受け取ったのは効果が分かっていたので、じゃあ違う物を、と」 弁護人 「田中さんが持ってきたのは」 押尾被告 「錠剤。50ミリ〜1センチが20錠くらい。表面にXマークがついていました。田中さんはそれをジップロックにむき出しの状態で入れていた」 ◆「MDMAを5錠飲んだ。田中さんは3錠以上」薬物を服用した状況について押尾被告は、「私は(MDMAを)5錠飲みました。田中さんは正確に見ていませんが、3錠以上飲んでいると思います」と答えた。 押尾被告によると、田中さんが部屋に到着した午後2時40分ごろから10分ほどの間に、田中さんが1錠、自分は田中さんから「私のペースに追いついてと言われた」ので2錠飲んだという。4時ごろに2人は1錠ずつ飲み、さらに5時すぎに田中さんが1錠、自身は2錠飲んだという。 田中さんに異変が生じた5時50分ごろ以降の様子について、押尾被告は手ぶりを交えて説明した。 田中さんは2度目の性行為の後はベッドの上であお向けの状態だったが、数分後にムクッと起き上がり、あぐらを組んで、「だから」「うーん」「しっかりしてよ」などと独り言を言い出し、さらに怒ったかと思えば笑ったりしたという。 押尾被告は田中さんに異変が生じた後は肩を揺すったりほっぺを軽くたたいたりした。その際、田中さんは「マー君ごめん。私どっかに行ったでしょ」と笑っていたという。 この時点で救急車を呼ばなかった理由について、押尾被告は「時間がたてば落ち着くと思ったから」と説明。過去に違法薬物を服用した際にこのような症状はなく、生命が危険だとは思わなかったと話した。 その後、田中さんの症状が悪化。つばをプップッと吐いてバタンとあお向けに倒れた。この時の様子を、押尾被告は「エスカレートして」と右手を高く上げて表現。さらに田中さんが倒れる前に歯をくいしばるような表情を見せた時の様子も、自身の左手の拳を固く握りしめ上下に震わせて再現した。 田中さんが倒れた後、押尾被告は「半目のような、白目のような」田中さんの様子にびっくりして、顔を近づけたが反応がなく、「これはまずい」と思って人工呼吸をしたという。 人工呼吸を2回、心臓マッサージを8回し、これを1セットとすると、10セット、10分ぐらいの救命措置をしたと明言。これらの措置については米国で暮らしていた際、小学6年の時に講習を受けるなど経験があると明かした。 救命措置の後、田中さんは身動きせず、頭が真っ白になり、そばでぼうぜんとたたずんだ。その後、6時35分、友人と携帯電話で「何をしても生き返らない」と話したといい、死亡していたと主張。その後、知人の元国会議員に「やばいです。これでオレの一生は駄目になる」と電話をすると、「ばかやろう。あきらめずに蘇生(そせい)しろ」と言われ、人工呼吸と心臓マッサージを2セットしたが、田中さんの唇の色が変わっており、体は硬くなっていたという。 ◆「悔やんでいる」一連の状況を説明した後、押尾被告は「そばにいて助けられず、悔やんでいます。毎日毎日冥福を祈っています」と現在の心境を話した。弁護人から「失ったものは」と問われ、「家族、仕事、社会の信用、田中さん、すべてといっていいほど失いました」。そして、2度と違法薬物に手を出さないと誓った。救急車を呼ばなかったことについては「薬を抜く時間がほしかったので(現場に駆けつけた)マネジャーに第一発見者になるようお願いした。身代わりを頼んではいない。最初から潔く110番して、その場にいて(違法薬物の使用を)認めればよかったと思います」と後悔した。 また、「私はキリスト教徒でマリア様に、犯した自分の過ちや今までやってきたバカなことのお許しを求めています」と明かした後、人工呼吸や心臓マッサージなど救命に手を尽くしたと主張し、「見殺しにはしていません」と語気を強めた。 弁護人から遺族への気持ちを質問されると「もし立場が逆だったら(自分の)両親も同じ(心境)だと思う」。ただ、「見殺しには絶対していません。私はそういう人ではないです」と付け加えた。 ◆「アッコによろしく」あり得ない押尾被告は、刑事や検事の取り調べの問題点を指摘。前回までの検察側証人の証言に反論した。 検察側が午後6時47〜53分と主張する田中さんの死亡時刻について事件後の取り調べで刑事に言われたため調書にサインしたという。別の刑事の取り調べの際に「お前に黙秘権がない」と言われ、死亡時刻があいまいで答えられないでいると、「時刻がないと供述書が書けない。何時から何時までと段階が必要」と言われたと語気を強めた。 検事の取り調べでは、田中さんの状態の変化について、時間、順序が違うと主張したが、「大丈夫だからサインしろ」と言われたと主張。また、押尾被告が田中さんの状態を「呪怨(じゅおん)」「エクソシスト」など映画の場面にたとえたのは、検事から何回も執拗(しつよう)に例えろと催促されたから、と答えた。 さらに、第2回公判で証言した女性を含め田中さん以外の女性と過去に薬物を使った性行為がなかったと主張。また、第3回公判でI受刑者が押尾被告の出頭前に「アッコ(元妻の女優矢田亜希子)によろしく」と頼まれたと証言したことに対して、I受刑者と矢田はほとんど面識がなく頼むことはあり得ないとした。 ◆当日夜に仕事予定検察側の被告人質問では、押尾被告に事件当日の翌々日にレコーディングの予定があったと指摘し、時計がなく事件当日の時間があいまいだったと主張する押尾被告に「頭に入れながら行動していたのでは」と追及。押尾被告は当日の夜に曲のアレンジをする予定があったことは認めたが、時間を気にして行動していなかったと主張した。
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