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【格闘技】

菊地奈々子 王座返り咲き失敗

2010年9月14日 紙面から

1回、激しく打ち合うオルティス(左)と菊地=後楽園ホールで

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◇WBC女子ミニフライ級

 WBC女子世界ミニフライ級タイトルマッチが13日、東京・後楽園ホールであり、元同級王者で挑戦者の菊地奈々子(35)=白井・具志堅=が、王者アナベル・オルティス(24)=メキシコ=に0−3の判定負け。王座返り咲きはならなかった。JBC公認前の05年11月、バンコクの監獄で日本人初のWBC王座を獲得するなど女子ボクシング界をけん引してきた。進退について問われると、涙を流し「今はまだちょっと分からない」と明言を避けた。

 完敗だった。判定を聞く前から勝敗は分かっていた。「完敗だなって。それだけです」。菊地はメキシコの美女王者の懐に飛び込むたび、左フックを被弾。ただ、技術で負けてもハートだけは負けなかった。闘争心をむき出しに「死ぬ気」で突進した。

 その気持ちに偽りはない。デビュー以来続けていることがある。試合当日、必ず遺書を書いている。「ボクシングは危険だから覚悟を持ってやんないと。これまでの感謝の気持ちをつづってます」。負けたら引退−。もしかしたら最後の遺書になるかもしれない。そんな思いが頭をよぎった。

 異色の経歴だ。大学卒業後、格闘技を中心としたフリーカメラマンとして、女子ボクシングを撮る側だった。それが漫画「あしたのジョー」の再放送を見て一変。リングに上がる決意をした。

 普段は東京都内のハンバーガー店でアルバイト。週3回、時給1000円。オーダーをとり、レジを打つ接客業だ。両立は決して楽じゃない。すべては世界王者に返り咲くためだった。

 「2回も世界戦をミスっているので、また次とはなかなか難しい。ただ、やってきたことに後悔はありません」

 試合後、大粒の涙を流した。日本女子初のWBC王者。タイ・バンコクの監獄で2度の激闘…。たとえグローブを置いたとしても、記録も記憶も色あせはしない。 (森合正範)

 ▼菊地奈々子(きくち・ななこ) 1975(昭和50)年3月25日、神奈川県相模原市生まれの35歳。東京工芸大短期大学部写真技術科卒。26歳から本格的にボクシングを始める。03年9月プロデビュー。05年11月WBC女子世界ミニフライ級王座獲得。07年5月王座陥落。08年12月同ライトフライ級暫定王者富樫直美に10回KO負け。09年6月OPBF女子同級王者になり、2度防衛。戦績はJBC公認後5勝(4KO)2敗。154センチ。右ボクサーファイター。

 

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