日本国憲法の簡単なノート

はじめに

             明治22(1889)年2月11日、大日本帝国憲法は発布され、まがりなりにも国家統治の基本原則をもち、それにしたがって運営されてきた。しかし、その実態はふつう外見的立憲主義と説明されるように、天皇主権の下、国家の各統治機構が、「輔弼」、「協賛」または「天皇ノ名デ」行なうという骨抜きの形をとっていたのである。こうした大日本帝国憲法体制は、軍国多事の歴史を背景に揺るぎのないものになったが、この「不磨ノ大典」は翼賛体制を強力に遂行する聖典にまで高まった。大日本帝国憲法体制は、超国家主義的政策を天皇主権の名の下に合理化し、軍部の暴走を招き、満州事変以来、侵略戦争への道をまっしぐらにすすんでいったのである。

 昭和20(1945)年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾して、敗戦を迎えた。大日本帝国憲法体制はポツダム宣言の精神に沿い完全に解体され、新日本建設が政治的にも経済的にも、そして教育的にも出発する。それは GHQの主導ですすめられたのであるが、日本の民主化政策を予告したポツダム宣言の精神とはどのようなものか。「米英中宣言」として発表されたポツダム宣言は、「無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至る迄は、平和、安全及び正義の秩序が生じ得ざることを主張する」という立場から、世界征服の挙にでた日本軍国主義の除去と軍の解体を明示した。ついで、戦争犯罪人に対する厳重な処罰を要求するが、とりわけ「日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去」するというところに、ポツダム精神の根本的主張が認められよう。

 この民主化の一環として、国体護持を墨守する松本烝治案=「憲法改正要綱」の失敗、戦前以来の政府支配層の思惑を打ち砕くマッカーサー・ノートの提示=「総司令部案」を経て、国民主権と基本的人権の尊重と平和主義を柱とする日本国憲法が、昭和21(1946)年11月3日公布され、翌年5月3日施行されたのであった。新しい憲法は、憲法制定権力にかかわる議論はあるものの、大日本帝国憲法の改正として成立し、すでに55年、われわれの生活の中にしっかりと根をおろしているといえよう。

国民主権と基本的人権

          日本国憲法が採用している国民主権の原理は、人類が多大の犠牲を払って獲得してきたという長い歴史を背負っている。国民主権というときの「主権」という語は、16、17世紀のヨーロッパの絶対主義国家形成期において、権力の正統性を確保する思想(王権神授説)を通して形成されてきた。これは、封建貴族に対抗しかつ宗教権力と対等に自己を権威付けするためにひねり出された理論であった。国王は独立した政治権力者であることを、自己を脅かす対抗勢力に信任させるため、「主権」という語が活用されたのである。

 新興商人層の支持を受け出発した絶対主義政治体制は、商人層が君主に保護されて経済的果実を獲得した段階において、見返りに多額の税金を要求され、かえって商人層に君主はわずらわしく映った。それゆえ多額の税金を搾取する君主から「主権」を奪回し、みずからが「主権」者の立場にたつべく立ち上がり、君主を転覆するに至ったのである。その遺産のひとつである『フランス人権宣言』は、人間の譲渡不可能な自然権を端的にしめしつつ、「あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する」と第3条にうたったのであった。この「国民」が、具体的個人を想定しているところに、『フランス人権宣言』の重大な意義があるのであって、この具体性が形骸化し、主権の所有者がはっきりせず、堕してしまうところに、政治腐敗や政治不信の温床が作り上げられる。

 いうまでもなく日本国憲法は、前文において国民主権を保障する政治的あり方を、こうした歴史を踏まえ、「人類普遍の原理」であると捉えている。前文によれば、正当に選挙された国会における代表者を通じて国政を運営しなければならず、そこには国民の厳粛な信託が存する。したがって、理論的にいって、信託を裏切る代表者には退場を宣告することができよう。ロックの抵抗権の精神が脈付いているといっていい。正当な選挙は多数による意思決定の手段であり、責任政治の目的は、平等権、自由権、社会権、参政権など基本的人権の擁護にある。

 ところで主権がどこに存するのかということは、国家の形態つまり「国体」にかかわることであり、戦前の日本においては、大日本帝国憲法がその第4条で、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ之ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と君主主権の原理をしめしていた。こうした規定に対し、実質的権力を何も付与していない日本国憲法の天皇条項の設定、つまり天皇制の象徴的存続は、GHQに屈した形で、国体護持に固執する政府権力中枢部の、国民主権と戦争放棄の受け入れとバーターで可能になったのであるが、日本国憲法の第1条では、「天皇は、日本国の象徴であり国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と天皇の地位を再確認して、その象徴性を強調する。この条規によって、国民に主権のあることを逆に際立たせているのである。

 主権者国民の手で選出した代表者が国政をとる形態を基礎条件とするものの、間接的に国民意思を政治に反映させるだけでなく、国民にとって重大な件案である場合には、例外的に直接国民にその意思を問うことが許されている。これも国民主権の制度的保障である。もちろん、憲法改正における国民投票がその代表的なケースであり、憲法96条がこれを規定する。そのほか、最高裁判所裁判官の任命にかかわって国民審査が執り行われるし(憲法79条)、憲法95条に「一の地方公共団体にのみ適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することはできない」と規定して、特別法適用の住民投票を認めている。このことに関連し、国民には、国政や地方自治に請願できる権利をもち、かつ請願行為が差別的待遇を招かないように、憲法第16条でその規定を言明している。

 一方、地方自治においては、リコール制度が保障されている。直接請求制度は、間接民主制の欠を埋める役割を果たし、きわめて身近な住民の生活要求を実現するというテーマをもつ。直接請求は国民の政治的自覚から遂行されると同時に、個々人の政治的自覚そのものを促進する。住民の3分の1以上の署名を獲得し、住民投票の結果、過半数の同意が得られれば、都道府県議会は解散するし(地方自治法76条)、所属選挙区の有権者の3分の1以上の署名を獲得し、住民投票の結果、過半数の同意が得られれば、議員は失職する(地方自治法80条)。首長の解職請求も、有権者の3分の1以上の署名を集めたうえで、住民投票の結果、過半数の同意が得られれば、職を解かれるのである。このように、憲法には幾重にも国民主権を保障する制度的基礎が組み込まれているといえよう。

平和主義

              ポツダム精神の帰結として、軍解体と平和主義が徹底する。それは、憲法前文と、憲法9条が表現している。戦後60年余、軍国主義復活をもくろむあらゆる勢力の存在にもかかわらず、ワタクシたちはこの崇高な規定を不十分ながら守り通してきたし、今後もこの精神を将来に伝達しなければならない。平和主義の精神と原理は、日本一国にとどまらず、世界的に、また、いつの時代にあっても、人類と戦争、人類と平和を考える契機となるものである。20世紀に日本が選択したこの精神を、日本の新しい文化的伝統と捉え、すすんで世界に発信しつづける義務がわれわれにはある。

 前文における平和主義の原理は、日本国民が「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意」し、武力によるのではなく「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」、安全と生存を保持するよう決意している。しかも、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を」占めなければならない。ここに記された「名誉ある地位」は、戦争を放棄する国家的立場にたつという狭い意味で捉えるだけでなく、戦争という手段にかわり、世界各国に先導して粘り強い対話など国際社会において問題解決の平和的手段を練り上げることによってのみ達成できる地位であるといえよう。

 憲法第2章9条は、こうした平和主義を具体的にあきらかにしている条文である。そこでは、前文を受け、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」すると宣言し、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と断言し、宣戦を布告し国際法上の戦争行為に及ぶことや、物理的強制力を背景に自己の要求を突きつけることを完全に放棄したのである。しかし、この「放棄」の意味は、国際紛争を解決する限りでの限定的な戦争放棄であるとの判例が積み重ねられ、自衛のための戦争は放棄していないという「通説」がまかり通っている。だが9条2項が、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定する限り、戦争行為に及ぶことは、どんな場合であれ認められていない。国家と国家とが交戦する戦力の不保持を言明しているのであるから、事実上自衛のための戦力保持は強引な条文解釈だといわざるを得ない。自衛隊の存在は、曖昧模糊な存在というほかない。

 しかし、国際政治の流動化と自衛隊そのものの歴史から、いわば「暴力装置としての自衛隊」の枠組を超え、新しい意味合いをもつ存在へとこの曖昧模糊な存在を捉えなおすべきではなかろうか。戦後の国民意識の変質によって、自衛隊の存在を一定程度容認していると理解するならば、確実なシビリアンコントロールと法的決定にしたがって、その合理的な活用の道を模索するべきであろう。この際、われわれがシビリアンコントロールの経験の未熟さを克服しつつ、たとえば、民生の安定に貢献せんがため、災害時における緊急出動の荏苒たるさまを国民意識に沿うようにしっかりと規定するほか、平和維持活動にかかわる法制度整備を推進しなければならないのではないか。たしかに、「平和的生存権」を擁護するにおいて多様な議論は避けて通れないし、慎重でなければならない。だが、国民的合意の下、古いいわば「自衛隊思想」から脱皮し、集団的安全保障の問題とも絡めて(これはきわめて難問、憲法改正でないと不可能)、21世紀に通用する平和的活用に転換して捉える議論の枠組みの提示も、憲法そのものを考える上で、有効だと思われるのである。

(Jan.17,2007 加筆)

トップページへ   このページのトップへ

浩の教室・トップページへ