日蓮正宗・冨士門流(富士門流)と仏教及び総称日蓮宗の研究
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ガン克服 御祈念に感謝(大白法第766号)

ガン克服 御祈念に感謝

H寺支部
I.N.
(大阪地方部総会より)
平成二十一年四月二十六日

 昨年、「躍進の年」も終盤を迎え平成二十一年「正義顯揚の年」を数日後に迎えようとする師走のある日、御住職・T.R.御尊師より、講頭、副講頭に対して、「来年は魔が徹底して襲ってくるから、七月二十六日までに百万遍ないし百五十万遍の唱題を実践して、油断のないよう記念事業の完遂、さらには誓願目標の達成めざしてしっかり取り組んでいくように」と『立正安国論』正義顯揚七百五十年の大佳節を迎えるに当たってのご指導をいただきました。

 もとより私自身も、本年の意義をしっかりと自覚して、御住職のもと師弟相対、異体同心の信心で御隠尊日顯上人猊下の御命題を何としても達成するべく、御指南に副い奉っていかなければならないことと、我が支部におきまして最も大切な、三年連続の折伏誓願目標達成を強く決意いたしておりました。

 そのためには、まずは講頭である自分が生まれ変わって先頭に立ち、「毎日三時間の唱題を実践して、命がけで達成してまいります」との決意を、年頭の挨拶にて申し上げました。

 私は本年、七月二十六日の大結集前日に還暦を迎えることになっております。したがいまして本年は、身辺の点検、整備に注意を怠ることなく、特に健康管理には十分留意して活動に邁進していかなければならないと考えておりました。そのような中、一つ気がかりなことがありました。

■前進を始めた矢先のガン宣告

 かれこれ二年になりますが、虫歯の治療で奥歯を抜いたところが、しばらくして残った歯に舌が当たるようになり口内炎が出来ました。それが治りそうになったり、また出来たりを繰り返して、昨年暮れに少し膨れたようになり、少しずつ大きくなってきたように感じておりました。正月早々、大したことはないだろうと軽い気持ちで、講中の人に紹介された耳鼻咽喉科に行きました。

 医師には「検査をしないと詳しいことは判らない」と言われ、一部を切り取って検査に出しました。明くる日の夜、検査結果が出たので明朝病院に来るようにと連絡がありましたので、行きますと、検査結果は舌ガン(扁平上皮ガン)でした。

 耳を疑いました。まさか自分がガンになるなんて。頭の中が真っ白になりました。入院して手術して舌を切るのかな、治る見込みは、入院期間は、仕事はどうなるのだろうか。さらに年頭に講中の皆さんとの約束したこと−意義あるこの年に、講中一丸となって前進を始めた矢先の一番大切なときに講頭がいないで、誓願はどうなるのだろうと、様々なことが頭の中をぐるぐる回り、不安で一杯になりました。

 何とか気を取り直し、大阪市内の病院を紹介していただき、早々に診察を受けました。まずはMRI・ペットCTなどで体の隅々まで、ガンが転移していないかと、手術に必要なあらゆる検査をいたしました。内視鏡の検査では胃と食道に六ヵ所怪しいところがあるということで細胞を採取して検査に出しました。転移があるのかと心配になり、このことだけでも一週間で体重が四キロも減りました。幸いにも良性で転移はなく、一安心いたしました。

 手術の説明では、舌の手術は大量出血の恐れがあるので、喉を切開してパイプを挿入し、気道の確保をしてから舌の半分、もしくはそれ以上を切除する。その後、手首の皮膚を血管ごと切り取って移植をして形を整える。また左側の顎の舌を切開して、リンパに転移があればリンパも切除する、状況によっては右側も切開。舌の奥のほうまで切ることになった場合は、食べ物や水分が飲み込めなくなることがある。その場合、お腹に穴を開けて胃に直接チューブを繋ぎ、一生流動食になる可能性もある、と言われました。

 手術の説明書には、可能性としては食物を噛み、喉に送り込む働きをする舌を切除する舌を切除し再建するので、その機能が低下する。さらに嚥下障害、咀嚼不能、神経を何本か切ることによる顔のゆがみや顔面麻痺。また感染症にかかれば再手術等と、五十項目以上の合併症、後遺症の症状が書かれており、それに目をやるだけでも恐怖感で一杯になりました。

 しかし、私には御本尊様があります。「いかなる状態になろうとも御本尊様の御加護を戴いて、何が何でも帰ってまいります。そして御住職のもと皆さんともう一度、御題目を唱え切って御命題の完遂、折伏誓願目標の達成に向かって先頭に立って共に闘い、命がけで必ずやりきります」と心中固く誓ったのであります。ガンを宣告されてからは、唱題をしながら心から反省懺悔の毎日です。もう少し早く病院に行っていればと、病気を侮っていた自分を悔やんでも悔やみきれません。

 そんなとき御住職から「講頭、魔の仕業だよ。とことん脅されるよ。でも滅多なことにはならないから大丈夫だ。魔と見破れば退散するのだよ」と激励をいただき、どれほど心強かったか知れません。御住職と共に元気に御題目を唱えられる、これがどれほど有り難いことかを身をもって感じる毎日でありました。御本尊様を戴いて大聖人様の信仰をさせていただいていることに、心の底から感謝できる毎日になりました。

 しかし最悪、舌の半分以上も失ったら、今までのように言葉を発することが叶わないかもしれません。しゃべることができなくなるかもしれないと自覚をしてから非常に落ち込みましたが、「そうや折伏や、折伏せなあかん、しゃべれなくなったら折伏でけへん」と、長年気がかりだったあの人だけは学会の間違いを言っておかなければならないと思い、二十六、七年ぶりに友人に連絡を取りました。

 幸い連絡がついて状況を話したところ、早速明くる日に、神戸から大阪まで出てきてくれることになり、梅田で会いました。

 「もしかしたらしゃべれなくなるかもしれないので、これだけは聞いてほしい」と三時間余り、学会の過ちを話し折伏いたしました。彼は「五十年近くもやってきた信仰だから、今、君に言われて簡単に『はい、そうするわ』とは言えない。しかし今日のことは決して忘れない、大事にする。その時が来たら自分のほうから頼みに来る」と言いました。私もその日が来るのを待っているからと、退院後の再会を誓い合って、握手をして別れました。このような状況にも関わらず折伏を行じることができ、充実した一日を送らせていただいたことを、御本尊様に厚く感謝申し上げました。

■手術に合わせ講中挙げて唱題

 いよいよ二月十二日に入院し、十六日に手術を受けることになりました。

 御住職からは「御講の日に、状況を原稿にまとめて皆さんに話しなさい」というこで、それまでの経過と心境を話させていただきました。特に私の今回のことで誓願が達成できないようなことがあれば、死んでも死に切れないと、何としても達成するよう訴えました。多くの方が涙ながらに私の話にうなずいてくれました。御題目を唱え、何としても御本尊様にお守り戴いて帰ってまいりますと、決意を申し上げました。

 また、私は三十年ほど前にサキソフォンという楽器をやっておりましたが、長い間手にすることもなくしまいこんでありました。たまたま何かのきっかけで、講中のKさんというご婦人にピアノ伴奏をしていただけることになり、若い頃のようにはいきませんが、三十年ぶりに講中の座談会等で演奏をして、皆さんに聞いていただいておりました。手術をして舌を失うことになると恐らく楽器も吹けないだろうと、御住職から講中の皆さんに聞いていただきなさいとお心遣いをいただいて、これが生涯で最後との思いで演奏させていただき、いい思い出にさせていただきました。

 私が入院してからというもの、お寺では連日、御住職の御導師のもと、たくさんの講中の皆さんに、長時間にわたって私の当病平癒のため御題目を唱えてくださったそうであります。

 私は病室で、いつも窓のほうを向いて勤行・唱題をしていたのですが、看護師さんはそんな私の後ろ姿を見て、いつ見ても窓の外を見て落ち込んでいると勘違いしたのか、手術の前日、「先生に言って外出許可をもらってあげるから、美味しいものでも食べて気晴らしでもしてきたら」と言ってくれました。家内は登山に行っておりましたので急いで娘に迎えを頼み、お寺に駆けつけ、副講頭と講中の皆さんと共に十時間の唱題ができました。さらに手術の当日には、手術の予定時間と同じ十二時間に及ぶ唱題を、御住職のもと、多くの講員の皆さんに唱えていただきました。加えて申し上げれば、御住職のご配慮で、私の知らないところで数多くの御尊師方の、必死の心の篭もった御祈念をいただいたということであります。お陰様で手術台に向かうときにも、何ら動揺することもなく、穏やかな心境で安心して手術に臨めました。

 午前九時から始まった手術は午後九時に予定通り終了し、無事成功いたしました。

 家内は、当初舌の半分ぐらいを切り取る予定と聞いていたのが実際には三分の二を切り取ったことと、さらにリンパ節からも怪しげな部分を切り取ったということを聞いて、驚きと同時に一瞬不安になったそうであります。しかし手術を終えた医師は、誇らしげに笑顔で「成功しました。完璧です」と言ってくれたそうであります。

 御住職は唱題を始めるに当たって、「どんな名医であってもうまくいかず失敗することがある。反対に、例え名医でなくても、諸天善神が今日手術する執刀医の身に入って成功する。そうなるよう御題目を唱えなさい」と御指導されたそうでありますが、その通りになりました。

 そして当初は「術後はミリ単位で血管の縫合をするため四十八時間は絶対安静で身体を動かすことができないので、二、三日は集中治療室にいて麻酔で眠っているほうが楽でしょう」と言われておりました。しかし翌朝の十時には、なぜだか知りませんが病棟に帰っておりました。麻酔から覚め、徐々に状況が把握できてきました。

 看護師さんの話に答えようと声を出そうとするのですが、喉に穴が開いているため声は出ません。体中点滴などの管だらけです。看護師さんが「どれぐらい痛いか指差してください」と、泣き顔から笑顔まで五つの表情のある絵を見せて聞くのですが、痛くありません。改めて体中痛いところはないか確認するのですが、どこも痛みがないのです。仕方なく一番笑っている絵を指差すと、「え、痛くないの。もし痛くなったらすぐに言ってください」と言いました。痛くない人などいないらしく、不思議がっていたそうであります。ひどい人は顔が腫れて満月のように真ん丸くなったり、舌が腫れて、口の中に収まらないではみ出た状態の人もあると聞き、私は本当に軽く済ませていただいたようです。

 十二時間かかった手術も、麻酔が効いて意識がなくなり、明くる朝九時に起こされるまでが一瞬の出来事のように感じられ、夢を見ることもなく、瞬きをしたら終わっていたというような感じでありました。

■御題目が唱えられた

 今回一番心配だったのが、舌の半分以上も切除して果たして勤行・唱題ができるだろうかということでありました。手首の皮膚の移植は成功でしたが、あくまでも形を整えるだけでしたので、一体どのような状態になるのか想像もできず、不安が増すばかりでありました。手首の血管を舌の血管に繋いだのですが、何十パーセントかの割り合いで詰まる恐れがあるそうで、看護師さんがマイクの付いた特殊な聴診器で二時間置きに血流の確認に来ます。もし詰まれば四十八時間で腐ってしまうそうで、そうなればすぐに再手術を行うとのことであります。このことも結構不安で、心の中で御題目を唱えておりました。

 さらに水は飲めるのか、食べ物は飲み込めるのか、味覚はあるのかと、次々と不安に襲われます。しかし御住職の「大丈夫、滅多なことにはならいから」との励ましの通り、四日目で歩くことができました。私が歩いているのを見た医師が、「三十代はまあ歩く人はいるけど、あなたの年で、あれだけの手術をして四日目に歩いた人は初めて見ました」と感心しておられました。そして五日目には、手で喉の器具の穴の部分を押さえなければ声が出る器具に変えていただきました。病室に戻って、試しに穴を押さえて声を出してみると何とか声が出ます。

 早速数珠と経本を手に取り、恐る恐る御題目を唱えてみました。「南無、妙、法、蓮、華、經」、言えた。御題目を唱えることができた。さらに経本を開いて、「妙法蓮華經。方便品。第二。爾時世尊。從三昧」、言える。大きな飴玉を頬張ったような発音ですが、何とか唱えることができるではありませんか。涙があふれて経本の御文字が見えなくなりました。

 たとえ病気は快復しても、講頭という立場にありながら御題目が唱えられない、勤行もできない姿になったとしたら、講中の人たちは一体どのように思われるのだろうか、さぞがっかりすることだろうと思っておりました。中でも一番恐れていたのが、そんな私の姿を見て御本尊様の功徳を疑う人が出てこないだろうか、ということでありました。しかし御本尊様は私を助けてくださいました。御題目が唱えられる、勤行ができる。嬉しさで感謝の涙があふれて止まりませんでした。

 さらに十日目には不愉快だった鼻から胃まで挿入されていた流動食のチューブも抜かれ、水を飲むことができました。これがまたたいそう美味しくて、水がこんなに美味しいものだと初めて感じました。さらに十一日目からは食事も摂れるようになりました。医師や看護師の皆さんも驚くほどの快復であります。

 会話も今お聞きのようで、腫れが引くのに二ヵ月ほどかかるそうですが、日を追う毎にはっきりと話せるようになってまいりました。医師は、「よくしゃべれますね、もう少し奥を深く、幅も広く切っていればそうはいかないですよ」と言っておられました。諸天のお計らいでガンを完全に取り除きつつ、会話や食事にも困らない程度に、絶妙のところを切除していただけたようであります。

 退院の前々日、外泊許可をいただき、入院のときの目標でありました三月度の支部総登山に参加させていただくことが叶いました。体調が少し悪く不安でしたが、有り難いことに副講頭が車を出してくれ、自宅から総本山までの往復を、一人で運転してくれました。お陰で何とか参加できました。

 朝の勤行のとき、導師を務めるのが少し不安でありましたが、意を決してマイクを握り、やってみると何とかできました。講中の皆さんにも、元気に大きな声で勤行ができる私の姿を見て心から喜んでいただきました。そして家内と共に涙ながらに、大御本尊様に御報告と御礼を申し上げることができました。

 その夜八時に病院に戻り、明くる日の三月十六日、入院以来一ヵ月で無事、退院できました。

 本当に御題目の功徳は絶大であります。退院の日に担当の看護師さんから注意事項を書いたメモをいただきました。その最後に、「退院おめでとうございます。何度も言いますが、三ヵ月程度の入院を考えていたので一ヵ月で退院できるのが本当に驚いたと同時に嬉しかったです。ご家族の方たちの支えがあってこそだと思いますが、何よりもI.N.さんご自身のがんばろうという前向きな姿勢が快復に繋がっているのだと思います。今後は注意しなければいけないことが多くてたいへんかと思いますが、無理をし過ぎないよう、体第一でお願いします。一ヶ月間お疲れ様でした。本当におめでとうございます。担当看護師」と、記されておりました。文面からもお判りのように、当初三ヵ月の入院を予定するぐらいの症状でありました。

■大確信得て復帰

 二月の御講の日に、御住職のご配慮により、私の病気のことをお知りになったS寺御住職のM.S.御尊師より激励のお手紙をいただきました。そこには「何もご心配はいりません。二月十二日より一ヶ月間、今まで以上に思う存分、昼夜を問わず御題目をお唱えください。そして見事に格別な功徳を享受して元気で帰ってきてください。ただただそのことのみをS寺の御本尊様にお祈りさせていただきます」との御指導でありましたが、まさにその通りに一ヵ月で退院することができたのであります。

 心配しておりました仕事も、係の人が調べると、この十年間ほとんど休んでいないということで入院中の欠勤は有給休暇を当てることにより、給料もいつもと変わらずにいただけました。体調がよければ続けて勤務してくださいとのことで、三月の二十三日から仕事に復帰できました。治療費も何とか支払うことができ、すべてが順調に解決でき、気がつけば入院前と何一つ変わらない状況で、御本尊様のお計らい以外に考えられません。

 いろいろと悩ましいことばかりで挫けそうにもなりました。しかし御住職の御指導、御住職有縁の多くの御尊師方の御祈念のお陰で乗り切ることができました。さらに講中の皆様はじめ、他支部の法華講の皆様方にも、多くの激励をいただき、御題目を唱えていただき、感謝をしてもし切れません。まことにありがとうございました。家内は「お父さんは世界一の幸せ者ですね」と涙流しておりました。

 そして今回の病で何よりも御本尊様の功徳のすごさ、御題目の力の偉大さ等、何物に代え難い体験をさせていただきました。今まで、口では確信のあるようなことを言ってはきましたが、実のところは心もとない確信であったように思います。しかし今回、身をもって甚大な功徳を体験させていただくことができ、大きな確信を得ることができました。この御恩に報いるためにも、「正義顯揚の年」の大佳節に、私共に与えられた御命題を何としても完遂してまいります。

 今後は、H寺に真の師弟相対の信心を確立させていくことをお誓い申し上げ、私の発表とさせていただきます。



【日蓮正宗法華講連合会機関紙「大白法」平成二十一年六月一日号(第七百六十六号)から転載しました。】
  1. 2009/06/06(土) 06:54:18|
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