しかし、違法取引の疑惑があった北朝鮮資金の凍結解除に象徴される譲歩を繰り返す一方で、北朝鮮の核計画の解体作業は頓挫。ヒルは退任前、「私の在任中に北朝鮮は1グラムのプルトニウムも抽出していない」と自己弁護に追われた。
今年1月に発足したオバマ政権は、国務次官補に就いたカート・キャンベルが7月にソウルで「北朝鮮が魅力を感じられる包括的な提案ができる」と語ったが、まださしたる動きを見せていない。
就任前、「独裁者」との対話にも意欲的だったオバマは3月、ペルシャ語の字幕つきのビデオ演説でイランに関係改善を呼びかけた。同じ核問題を抱えるイランへの宥和(ゆう・わ)政策が金正日にも響くのではないか。政権内に漂っていた淡い期待は5月25日、2度目の核実験に吹き飛ばされた。
民主党上院議員のジョン・ケリーが中国国家副主席の習近平(シー・チン・ピン)と北京で会談したのは、その翌日だ。
ケリーは04年の大統領選でブッシュに敗れたものの、上院外交委員会のトップとして外交政策に影響力を持つ。習は、共産党の序列6位。2012年の党大会で、胡錦濤(フー・チン・タオ)の後を継いで党総書記になることが有力視されている。
米国側の同席者は、習の醸し出す雰囲気に「違和感」を感じたと振り返る。中国の制止を振り切って核実験を繰り返した北朝鮮への「怒り」も「いらだち」も伝わってこなかったからだ。「困惑したそぶりぐらい見せてもいいはずなのに」
ケリ-訪中団が北京をたった後、金正日の後継者と目される三男の正雲が訪中した、と報じられた。さらに数日後、この「同席者」は独自の中国人脈を通じ、習が正雲と会っていたとの感触を得た。
そして、納得したという。
「核実験前に両国間で、正雲の訪中が検討されていたのだろう。中国は金正日を手なずけることはあきらめ、次の指導者との関係改善に舵(かじ)を切ったに違いない」
米中央情報局(CIA)などで30余年にわたり北朝鮮の分析にあたった元米政府当局者は「北朝鮮は変わった」という。「米国を相手にしようという気配があまりみえない。死期を悟った金正日が、権力の委譲を急いでいると見るのが妥当だ。
ルーマニアのチャウシェスクの二の舞いになる、という彼の悪夢が、世襲で解消されると信じているのだろう」
権力継承がうまくいかず、金正日の死が北朝鮮の崩壊につながるとの観測もあるが、米国平和研究所で上席研究員を務める韓国系カナダ人ジョン・パークは否定的だ。
投資銀行に勤務するなど、政治と経済にも通じたパークは今春、北朝鮮を脱出した軍、党、政府の元高官への徹底した取材に基づいた報告書「北朝鮮株式会社」をまとめた。証言を精査し、体制ぐるみの経済活動、資金の流れなどに基づく権力構造を解明した。
暴君だった2代目から未熟な3代目に代替わりしても、「カネ」で結びついた利権構造が簡単には揺らぎそうにない体制を、パークの報告書は浮き彫りにしている。
オバマ政権の担当者らが思い描いている朝鮮半島の非核化に向けたプロセスのひとつに「結婚式」と呼ばれるものがある。米朝協議を追求したいが、6者協議を否定もできない。そこで、米朝両国を「新郎新婦」、残る4カ国は「証人」を兼ねた「招待客」と位置づける。北朝鮮が核の放棄、米国が体制の保障を互いに約束し、それを見届けた出席者は祝いの品々を贈る。
一度は手にした核を北朝鮮に放棄させる交渉は、難航が必至だ。ただ、米国には時間の猶予がある。北朝鮮の長距離弾道ミサイルが米国本土を射程におさめるのは、まだ先の話だ――。
「でも、このシナリオには欠陥がある」と米国務省当局者。「いま北朝鮮の核の脅威に直面している日本のことまで、考えていない」
同じ民族が暮らす韓国や後見役の中国を北朝鮮が核の標的とする可能性は低い。金正日体制の暴走が核兵器の使用という結末を迎えるとすれば、その矛先が向けられるのは中距離ミサイル・ノドンの射程内にある日本と考えるのが自然だ。
北朝鮮の権力承継の動きと、それをにらんだ中国の変化、オバマ政権の米国――。新たな現実に、日本はどう向き合うのか。その戦略は、まだ見えてこない。
(文中敬称略)