武大偉の吐く息が酒臭い。昼食会で乾杯を繰り返したのだろう。
北京の人民大会堂。北朝鮮の核問題をめぐる6者協議(米国、中国、日本、ロシア、韓国、北朝鮮)議長で中国外務次官の武大偉が、トイレに入るのが見えた。
筆者はあとに続き、無礼をわびつつ「最新の北朝鮮情勢」を尋ねた。06年7月4日の昼下がりのことだ。
答えは日本語で返ってきた。
「私も一生懸命に努力しているんだ。でも、北朝鮮を説得するのは、本当に難しいんだ。わかってくれよ」。そう嘆くと、武は筆者に抱きついてきた。
翌日、北朝鮮は長距離弾道ミサイル・テポドン2を含む7発のミサイルを日本海に向けて発射した。その3カ月後には核実験も強行した。北朝鮮への影響力を期待されて6者協議の議長国をまかされた中国のメンツは、丸つぶれだった。
50年代の朝鮮戦争に中国が義勇兵を派遣して以来、中朝関係は「鮮血で凝り固められた友誼(ゆう・ぎ)」と称されてきた。北朝鮮が他国から攻撃を受けた場合、中国に軍事支援を義務づける中朝友好協力相互援助条約も、今なお存在している。
しかし、02年10月に高濃縮ウラン計画が表面化したことで、北朝鮮の「核」をめぐる危機が高まって以来、中朝関係は悪化の一途をたどった。中国は北朝鮮を制御したくても、できなかった。06年の核実験が亀裂を決定的にした。
かといって突き放せない。北朝鮮の暴走が、中国の恐れる二つの「ドミノ現象」を招きかねない強迫観念にとらわれているからだ。
一つは、北朝鮮の核が韓国や日本、台湾の核武装論を誘発する「核ドミノ」。北東アジアの軍事均衡が崩れ、中台統一も遠のく。
もう一つが「民主化ドミノ」。北朝鮮が崩壊、南北朝鮮を統一した民主国家が誕生することで、国境を接する中国でも民主化要求が高まり、共産党独裁が脅かされるシナリオだ。
初回の核実験後、中国は国連安全保障理事会の対北朝鮮制裁に賛成。いったんは、北朝鮮に厳しい態度で臨むかに見えた。
ところが、大量破壊兵器に関係する資産の凍結や関連物資、贅沢(ぜい・たく)品の輸出を禁じた制裁決議後も、中国の対北朝鮮輸出は伸び続けた。08年の中朝貿易総額は前年比で約4割増を記録している。
一方、米国の北朝鮮政策は、90年代から揺れ続けてきた。
「あの頃、北朝鮮は数年で崩壊すると思っていた。私だけじゃない。(クリントン政権の人間は)みんな、そう信じていたさ」
弁解がましく筆者にこう話したのは、ロバート・ガルーチ。同政権で軍縮担当の国務次官補を務め、93年に核不拡散条約(NPT)脱退を宣言した北朝鮮を94年の米朝枠組み合意に導いた立役者だ。
北朝鮮を建国した金日成(キム・イル・ソン)が94年7月に死亡すると、核開発計画の凍結と引き換えに軽水炉を北朝鮮に提供すると約束した枠組み合意が、同年10月に結ばれた。
「いずれ自分たちのものになると信じていたから、韓国も韓国製の軽水炉にこだわったんだ」
01年1月、ブッシュ政権の対北朝鮮政策はクリントン時代の否定から始まった。北朝鮮の核を「凍結」させただけで、取り上げはしなかった前政権の「弱腰」を批判し、一時は「対話」すら拒絶。核の先制攻撃も辞さないという「威嚇」で北朝鮮をねじ伏せようとした。
国務副長官のリチャード・アーミテージが「アフガニスタンやイラクを見れば、金正日(キム・ジョン・イル)から擦り寄ってくる」と前政権の高官らに言い放ったのは、02年秋のことだ。
だが、この目論見(もく・ろ・み)は外れた。
アフガンでの軍事作戦もイラク戦争も泥沼化。それを見た北朝鮮は核開発を再稼働させ、一歩、また一歩と核保有に向かった。アフガンとイラクに手足を縛られ、「弾薬はあっても兵士がいない」(ホワイトハウス高官)。そんな米軍の「威嚇」など通じるわけがなかった。
ブッシュ政権2期目、北朝鮮政策は急旋回する。大統領補佐官から国務長官に転じたコンドリーザ・ライスが、イラクでの失点を埋め合わせする外交成果を渇望。彼女に見込まれて国務次官補に就いたクリストファー・ヒルが陣頭指揮を執った。
自信家で野心家。95年の旧ユーゴスラビア和平協議で名をあげ、マケドニア大使時代には旧ユーゴ大統領だったミロシェビッチと渡り合った。初めて6者協議に臨んだ05年夏には、記者団に「独裁者の扱い方は知っている」と豪語した。
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