シンプル

1−2 上の空

土曜日の朝…。
昨日の夜はほとんど眠れなかった。
夢に榎さんが出てきて、相当あたふたしている夢まで見た気がする。
軽く頭痛のする状態で時計を見ると、約束の時間1時間前だった。
「やばい!」
移動時間を考えても1時間だと遅刻ギリギリだ。
お洒落とかしたかったのに、ほとんど何も出来ない。
寝坊で遅刻なんて、最初から印象が悪過ぎる。
慌てて着替えを済ませ、お化粧も猛スピード。ほとんど何も考えずにアパートを飛び出した。
カバンの色と洋服が合ってないとか、サンダルにしようと思ってたのが仕事のクセでパンプスになっていた…というのに気が付いたのは電車に乗ってからだった。
まあ別に普通の人って感じだけど、決して『お洒落で素敵な人』ではないのは確かだ。

とりあえず時間厳守の方を再優先にした私は、待ち合わせ時間の11時ギリギリに到着した。
「こ…こんにちは」
息が苦しくてうまく言葉が出ない。
明らかに余裕のない人間だと思われただろう。
「美羽、こんなギリギリなのってめずらしいね」
友人の佐々木理恵がそう言って笑っている。
「ちょっと準備とか、手間取っちゃって」
「そうなんだ。あ、坂本くん、こちらが私の短大時代の友人中田美羽です」
坂本くんと呼ばれた男性は、メガネをかけてシンプルな普段着を着た優しそうな人だった。
同い年だと聞いていたけど、もう少し若い感じがする。
「はじめまして。佐々木さんと同僚の坂本一平です」
笑顔が非常にマイルドな好青年だ。
手を差し出しているから、私もそれに応えて「はじめまして」と小さく言った。

最初から二人きりはつらいだろうからって事で、理恵が間に入って私と坂くんの会話をとりもってくれた。
「坂くん、今日は無口だね。普段はもっとギャグとか連発するじゃない」
理恵がそう言って水族館のチケットを買っている彼の肩をパシッと叩いた。
「俺だって緊張する事あるんだって。叩くなよ」
「美羽にいい所見せようとして緊張してんの?最初からありのままを見せた方がいいよー」
「別に普通だよ。そんな事言ったら、普段の俺が相当おちゃらけてるみたいに聞こえるだろ?」

二人のやりとりを見ていて、私はププッと笑ってしまった。
私と付き合うより理恵と付き合った方が、坂くんには似合ってるんじゃないか…とか思った。
呼吸が合っている。
でも、理恵は超イケメンの彼氏がいるから、坂くんは好みじゃないのかもしれないな。


薄暗い水族館の中を私達はフラフラと見て歩いた。
くんは物知りで、魚の種類とかどういう水温の場所に住んでるのかとか…やけに詳しかった。
「魚好きなんですか?」
私が何となくそう言うと、彼はちょっと首をひねった。
「いや、好きってほどでもないかな。食べるのは大好きだけどね」
「私も食べるのは好き!特にさっき泳いでいたサンマとか…思わず塩焼きにしてしまいそうでした」
「俺も思った」
そこまで言って、私達は顔を見合わせて笑った。

いい感じだ。
この人は一緒にいるのが楽な感じがする。
理恵とのやりとりを見ていても、人を選ばずにナチュラルに愛想がいい。
社会人としての経験もある程度積んでるから、面白い人だけど妙に浮いてるところも無いし。

でも。
この「でも」のせいで、心の中が変な事になっている。
昨日私に見せた榎さんの微笑が頭に焼き付いて離れない。
“笑顔が素敵ですね”と言った声が耳に残っていて、何度も空耳のように聞こえてくる。

あまり告白とかされた事が無いから、自意識過剰になってるのかな。
あの超真面目人間榎さんに何故私が告白されたのか信じられなくて、実は冗談だったんじゃないかと、まだ半分疑っている。
気に入られたポイントは本当に「笑顔」だけなのかどうかも分からない。

「美羽!どうしたのよ、ボーっとして」

私達は足を少し休める為に、フードショップで座っていた。
理恵と坂本くんが会話している最中、私は榎さんの事を妄想していた…。
「何でもないよ。ごめん」
「ちょっとさあ、今日の美羽おかしいよ。上の空っていうか」
ちょうど坂本くんがトイレに立った隙を狙って、理恵は私にそう突っ込んできた。
「ごめんね。別に何もないけど…坂本くん気分悪くしてないかな」
明らかに自分は今日上の空な部分があるのを自覚していたから、私は素直に謝った。
「あの人は天然だから。物事を悪い方には考えないんだ。そこがいい所なんだけど、時々“いい奴”で終わっちゃうんだよなーって嘆いてるよ」
「そうなんだ」
言われて見て、たしかに坂本くんてそういう感じだなと思った。
すごく裏表の無いいい人なんだけど、そこから先の奥深さは期待してはいけないっていうか。
他人の事をどうこう言えた立場じゃないから、そんな事口が裂けても言わないけど。

「どうする?私はこのまま帰っても大丈夫かな」
まだ2時なのに、理恵は帰ると言い出した。
榎さんと二人きりになるよりは数倍マシだけど、坂本くんともどうやって間を持たせたらいいのか分からない。
「大丈夫、彼は結構遊ぶ場所知ってるし。それなりに楽しませてくれるって」
そう言って、トイレから戻った坂本くんに「私はお邪魔なので帰ります!」と言い残し、去ってしまった。

坂本くんはそれで慌てるような様子も無くて「なんかせわしない人ですよね、佐々木さんて」なんてボソッと言った。

                           *

結局、坂本くんと二人の時間は夜の7時まで続いた。
理恵が言った通り、彼は美味しいデザートのお店とかゲームセンターとか色々退屈しないで過ごせる場所を紹介してくれた。
確かに楽しかったし、嫌な思いは全然してないんだけど…どうにも“友達といる”という感覚から抜け出せなかった。
まだ会った初日だし、恋愛はいきなり燃え上がるばっかりじゃないものね。
私はちょっと色々贅沢に注文付けすぎなのかも。
一緒にいて楽で…気取らなくていいんだから、坂本くんは私の必要条件を満たしている。

「今日はありがとう。すごく楽しかった」
駅の改札に到着し、お互い別々の電車に乗るからそこでさようならという事になった。
「こちらこそ。中田さんて結構可愛いから俺なんかでいいのかなあって不安だよ」
「いえいえ。そんな大したものではないですよ」
若者らしくない謙遜の仕方をしてしまった。
私は褒められるとテンパってしまうという情け無い性質があるのだ。
「これから、少しずつ付き合ってもらえるかな」
今まで笑顔だった坂本くんが、ちょっと緊張した顔でそう言った。
2日連続で告白された私。
本来なら、坂本くんの申し出に何も迷わないで「YES」って言えてたはずなのに。
なのに、私は答えるまで少し時間がかかってしまった。

「中田さん?」
「あ、うん。そうだね。たまに会ってご飯とか食べたり…少しずつね」
私は「付き合う」っていうものの意味を、まだ「友人レベル」に留めておきたかった。
そういうニュアンスが坂本くんにも伝わったようで。
「急がないから。暇があったら遊んでやる…ぐらいの気持ちでいいよ」
「ありがとう」

坂本くんと別れ、帰りの電車に乗る。

いい人だった。
榎さんのせいにするのは申し訳無いけど、あの人の昨日の言動さえなければ私は坂本くんにもっと興味を持っていたかもしれない。
なのに、頭の半分を何故かあの人が占めている。

おかしい。
どうも告白されたという事実が、私を妙に浮つかせている。
多分榎さんと一緒にいたって会話なんか一つもなくて、居心地悪くて…気まずいに決まってる。
そう思うのに…月曜の出勤の事を考えると、胸がドキドキしてしまう。
どういう顔をすればいいのかな。
普通に挨拶できるかな。

こんな事考えて。
自意識過剰もいい加減にしなさいよ。
自分で自分に突っ込みを入れてしまう。

座る場所があったのに、私は何だかじっとしてられなくて立ちっぱなしだった。
数駅が過ぎて、電車は会社の最寄駅に止まった。
何気なく乗り込んで来る人を見ていたら、スーツ姿の榎さんが目に入った。

え、何で今日スーツなの?
彼ってもしかして…休日もこうやって出勤してるのかな。
上司のスケジュールが全く分からない私。
それぐらい私は彼の勤務状態にも疎かったという事でもある。

ああっ…!昨日の今日だから顔を合わせられない。

そう思って、私は気付かないふりで窓の外を見ていた。
比較的混んでいたし、私が乗ってるのなんて気付かないだろう。

過ぎていく夜の街明かりをじーっと見ていると、真後ろに誰かが立ったのが分かった。
(痴漢!?)
とっさにそんな事を思って、思いっきり睨んで後ろを振り返った。
するとそこにいたのは、私の怖い顔を見てちょっと驚いた顔をした榎さんだった。
「え…榎さん!」
私は声が上ずってしまうほど驚いた。
まさか、彼の方からこっちに近付いてくるなんて想定外だ。
「こんばんは、偶然ですね」
昨日の事なんかまるで無かったかのような自然な挨拶。
「こ、こんばんは。…今日土曜日ですけど、出勤されたんですか?」
「ええ、ちょっと残務がありまして。来週の月曜から出張ですし…いろいろ」
多くは語らず、彼はそう言ったきり私とは反対側の窓辺に立ち、外の景色を見ている。
私がどこへ行ったのかとか、何をしたのか…というプライベートには全く立ち入らない。
本当にただ挨拶をする為だけに寄って来たようだ。

“残務”って、もしかしたら昨日早く帰ってしまったせいではないかしら。
私はそんな気がして、少し申し訳無い気分になった。
しかも月曜から出張というのも、私はチェックしてなかった。
自分の上司のスケジュールぐらい頭に入れておきなさいよって思うんだけど、彼は常に出かける前日とか当日に詳細な仕事内容を紙に書いて渡してくれるから、ついそれに甘えている。


10分後、自分の乗り継ぎする駅に着いた。
何も会話らしい事ができないまま「では、失礼します」と言って、ホームに降りる。
「さようなら。暗いので気をつけて」
発車ベルが鳴る中、課長はそう言ってまたあの微笑を見せた。
「あ、あの…榎さん!」
ドアが閉まってから、私は何故か彼を呼び止めようとしていた。
お夕食一緒にどうですか…とか言いそうだった。
でも、電車はそのまま無情にも榎さんを運んでホームを去ってしまった。

階段をのろのろ歩きながら、混乱した頭を軽く叩く。
坂本くんとお別れしたばかりだというのに、すでに私の頭の中は榎さんの事でいっぱいになっていた。

“暗いので気をつけて”

また彼の声がリフレインする。
やだやだ!私、どうかしちゃったんだろうか。
しかも、月曜日から出張だと聞いて、ガッカリしている自分にも気付いてしまっている。

私が付き合うのは坂本くんのような楽な人なんだってば。
榎さんは年が離れ過ぎてるし、無口だし、面白くないし、正体不明だし…。
私の好きな人ランキングにはかすりもしない人だったはずでしょ?

なのに、何なの……このドキドキは。
これでは、まるで恋をしているみたいじゃないの!!


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