沈滞し自信喪失気味の日本と日本人に、久しぶりの興奮と感動、自信を与えてくれたのは、あの「はやぶさ」の帰還劇だろう。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)と日本電気(NEC)などが、打ち上げた小惑星探査人工衛星は、地球から約3億キロも離れた小惑星イトカワに到着し、その惑星の地表にある物体(試料)を採取して帰還したのである。
イトカワの大きさは直径540メートル、高さ200メートル弱程度のジャガイモ状のような本当に小さな惑星で、火星の軌道をまわっているという。そのイトカワにはやぶさが到着するのは、「いってみれば日本からワールドカップを行っていた南アフリカの地上にある一つのコインに着陸するようなもの」(遠藤信博NEC社長)というから、まるで奇跡のような出来事と技術といえる。しかも今回の「はやぶさ」の使命は、ただイトカワに到達するだけでなく帰還することも目的としていた。小惑星は太陽系誕生のころの状況をそのまま維持していると考えられたから太陽系に属するイトカワの物質を採取すれば、太陽系の誕生したころの状態やその後の進化の様子がわかるのではないかと期待されていたためで、これまでのように衛星に行きっ放しではなく、帰還して試料を持ち帰ることが重要な使命だったのである。
イトカワまでの距離は3億キロだが「はやぶさ」には60億キロも航行できるエンジンを搭載した。往復でも6億キロ航行できれば、と思うが、万が一のトラブルに備えてその10倍の60億キロ航行可能なエンジンを積んだのだ。そしてそのエンジンがあったからこそ、絶体絶命の危機を何度も乗り越え、予定より3年も遅れて帰還、まさにその直後にエンジンの寿命が切れるというタイミングだった。
「はやぶさ」が地球を飛び立ったのは、2003年5月。イトカワは当初想定していた位置より地球からより遠い位置へ軌道を変えていたため、「はやぶさ」が小惑星イトカワに到着したのは約2年半後の2005年9月。まさに南アフリカの大地の上にある小さなコインをみつけて到着したのである。そして11月20日に1回目のタッチダウン、26日に2回目のタッチダウンを行った。採取を完ぺきに行うには、惑星に着地して十分な準備を行ったうえで採取する方が確実なのだが、惑星の状態などからタッチダウン方式を採用、その瞬間芸のような地表接触の時に試料を採取する方法をとったのだという。
最初のピンチは2回目のタッチダウン後にやってきた。採取した試料のカプセルを積んで離陸した途端、化学エンジン(ロケットエンジン)の燃料もれが発生し、もれた燃料がガス化して噴出、その結果「はやぶさ」の姿勢が崩れ、その後7週間も行方不明になったのである。地球から電波を送って「はやぶさ」に届くまでは約10分、それに反応して戻ってくるまでにまた約10分だから、「はやぶさ」との交信には1回で最低でも20分かかる。7週間にわたり交代で寝ずに電波を送り続けても反応がないので、研究員たちは何度も「もうダメか。宇宙のかなたへ放浪してしまったか」と思ったという。それが、7週間後にかすかな微弱電波をとらえ、再び交信可能となり、研究室は感動でわきかえった。
しかし通信が回復してもまだピンチが残っていた。姿勢制御に用いる化学エンジンが使用できないので、機体推進用に新開発した「イオンエンジン」の目的外の使い方を工夫して姿勢制御を回復させた。3億キロも離れた場所にいる人工衛星の姿勢を立て直すのにどんな技術、作業を要するのか素人の私には想像を絶するが、NECとJAXAの研究員は2006年3月までに奇跡的に復旧させたのだ。さらに復旧させたものの、運転再開のための救出も必要で、管制室の運用チームが今度は1年がかりで慎重な作業と準備を行い、ついに2007年4月にようやく地球帰還への運転が再開されることになったという。すでに打ち上げから4年の歳月が流れていた。
地球帰還が間近に迫った2009年11月。またもや大ピンチが訪れる。あまりの長旅で衛星を動かし推進するイオンエンジンの寿命が尽き停止してしまったのだ。しかし運用チームはあきらめず、とんでもないことを思いつく。四つあったエンジンの中で、こわれていないエンジン機能部品を一つづつ取り出し、それを組み合わせて1台のエンジンとして動かす“クロス運転”を実現させたのである。まさに満身創痍(そうい)の状況の中で「はやぶさ」はゆっくりと飛び続け地球をめざした。「はやぶさ」は一つの機械にすぎないが、大宇宙の中で管制塔の声と指示を聞きながら、自分一人でエンジンを直し、制御機能を元に戻すなど孤独な作業を続けて帰ってきた模様と姿をみた時は、まるで一人の人間、生き物が苦闘して帰還したようで、多くの日本人は「はやぶさ」に人間のような感情を抱いたのではなかろうか。そこに弱気になっていた日本と日本人に「やればできる」という感動やあきらめない勇気の素晴らしさ、日本人の誇りを思いおこさせてくれたといえる。
こうして「はやぶさ」は2010年6月13日、地球に帰還してカプセルの回収に成功した。カプセルの中身はまだ分析中だが、太陽系誕生やその後の進化の様子がわかる試料が含まれていて世界を驚かすことを祈るばかりだ。「はやぶさ」が航行した距離は何と60億キロ、当初の予想より3年遅れの帰還だった。
この「はやぶさ」は、ただ感動を与えただけではなかった。世界初ともいうべき数多くのプロジェクトを実現し、日本の宇宙開発技術のすごさを世界に知らしめ、日本の宇宙ビジネスにも大きな展望を開いたのだ。「はやぶさ」には少なくとも五つのミッションがあった。第一はイオンエンジンの実用性と有効性、第二は地球スイングバイといわれる天体の引力(今回は地球の引力)を用いて探査機の速度、軌道を変え加速する新手法、第三は「はやぶさ」自身が一人で自分がどこにいるかを知って自ら目標に近づいたり姿勢を変えたりする自律誘導航法、第四はイトカワのサンプル採取、そして第五は初めて人工衛星が行きっ放しでなく、帰還をはたすことだった。
とくに成功の立役者となったのはイオンエンジンの独自開発だった。イオンエンジンは未来のエンジンとされていたが従来にもあったロケット(化学)エンジンに比べ推進力が10分の1から1000分の1と弱く、低燃費(約10倍)だが信頼性が低かった。開発を担当した堀内康男氏は「4万時間の稼働を証明するには同じ時間の実験をしなければならず結局開発に6年かかった。しかし今回の成功でイオンエンジンの信頼性、実用性、とくに惑星間飛行のような寿命の長い長距離飛行の有用性が証明できて感無量」という。また開発の荻野慎二プロジェクトマネージャーや制御担当の白川健一氏らは「この話が来た時は、まるでSFのように思え本当にできるかなと心配した。しかし終わった今は、すごいことをやらせてもらったし、はやぶさをほめてあげたい」とうれしさを隠し切れない面持ちだった。
日本の宇宙開発の歴史は案外長い。初めて人工衛星の打ち上げに成功したのは4度の失敗の後、1970年に「おおすみ」を打ち上げ旧ソ連、米国、フランスに次ぐ4番目の人工衛星保有国となっている。その後気象衛星「ひまわり」や地球観測衛星「もも1号」、「だいち」、月周回衛星「かぐや」、超高速インターネット衛星「きずな」「きぼう」のロボットアームなどの宇宙事業を築いておりJAXAのほかNECと三菱電機が衛星メーカーとして有名だ。一時は中国、カナダ、インドに抜かれ7位に落ちた時もあったが、現在の宇宙国際競争力の国別指数ではアメリカ、欧州(EU)、ロシアに次いで4位。ただ産業基盤や人的資源はまだ弱く、今回の成功でまた盛り返すことが期待されている。宇宙ビジネス規模は日本が2260億円(07年)で米国は17倍の3兆8000億円、EUは4倍の8700億円。衛星打ち上げ数は1999年から2008年までに128機、2018年までに260機を予定している。
宇宙事業は“挑戦”にはじまり、“開発”と進んでいまや“利用”の時代に入り、日本では官民一体で10年間に倍増をもくろんでいる。とくに納期短縮、低価格、高信頼性が今後は重要で、衛星そのものやシステム、部品などの輸出形態が考えられるが、今はなるべく部品などがグローバルスタンダードとなるよう共通化(バス)することも試みているという。
宇宙事業は今後、途上国や新興国が大市場になるという。気象、環境探査、資源探査、位置確認などの利用が進んでいるからだ。さまざまな事業を空から探知、観察することで産業発展、環境保護などをはかろうというわけだ。まさに大市場の可能性が出てきているのである。
しかし今回の「はやぶさ」帰還ドラマをみていると、つくづく“人間の力”がいかに大きいかを感じさせる。そして日本人のもつ底力やチームワークのよさ、夢を追う情熱の熱さなどに驚かされる。基本はやはり人間力でありチーム力、構想力、要素技術力などなのだ。日本は自信喪失などせず「はやぶさ」の偉業からもっと自信とエネルギーをもらう方向に変わっていくべきだし、政治家たちは円高、株安を憂えるより「はやぶさ」の偉業を広く知らしめて日本人に自信をもたせるようにすべきだろう。[TSR情報8月19日号(同日発刊)]
2010年8月31日
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