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日本勢の金メダル通算100個目は松本!

<世界柔道3日目 女子57キロ級>決勝戦 松本はモンテイロを下し優勝を決めガッツポーズ
<世界柔道3日目 女子57キロ級>決勝戦 松本はモンテイロを下し優勝を決めガッツポーズ
Photo By スポニチ

 柔道世界選手権第3日は11日、東京・国立代々木競技場で行われ、女子57キロ級決勝で、この日が24歳の誕生日だった松本薫(フォーリーフジャパン)が延長の末、テルマ・モンテイロ(24=ポルトガル)に一本勝ちし、初優勝した。五輪、世界選手権を通じて日本勢が唯一優勝していなかった同階級の金メダルで、1952年に第1回大会が行われた柔道世界選手権の日本勢の金メダルは通算100個となった。日本勢同士の対決となった同63キロ級は上野順恵(27=三井住友海上)が連覇を達成。男子73キロ級は秋本啓之(24=了徳寺学園職)が優勝し、この日の3階級すべて日本勢が制した。

 相手を追いつめて追い込んだ、野獣のような松本の目が輝いた。決勝、延長2分39秒。息が上がったモンテイロを、小外刈りで畳に沈めた。「判定なら五分五分だと思っていた。最後は無意識でした」。初めて立つ世界舞台の表彰台のど真ん中。「最高の誕生日です。今はアイスが食べたい」と話すときには、24歳になったばかりの女性の表情に戻っていた。

 師の帝京大・稲田明監督が「山で拾ってきた」と冗談を飛ばす野生児ぶりは異色だ。練習の合間の昼寝の時間も、1人でスケボーやサッカーで体を動かしていたという大学時代。小学校5年時にレスリングでも全国3位になった抜群の運動能力と体力は、高い評価を受ける。その一方で「勝ちたい思いで冷静さを欠いて、練習で使ったことがない技を試合でいきなり使った」こともあるもろさもあった。

 転機となったのは、昨年の世界選手権だった。4回戦で右手の甲を骨折。それでも「勝てるつもりだった」と真っ向勝負で挑んだ準決勝、3位決定戦は連続で一本負けした。園田隆二監督に「ケガしたらケガしたなりの戦い方がある」と言われ、シャワーを浴びながら涙を流した。前夜「シャワーを浴びながら“去年は泣いたな”と思い出した」と笑った松本の黒帯は、昨年の世界選手権で使用したものだった。

 生活から見直した1年。料理人だった父・賢二さんに電話でレシピを聞き、自炊するようになった。園田監督も「本人なりに考えるようになった」と評価。この日は「攻められても慌てず、まず組み手から」と自分に言い聞かせた。指揮官は「今までにない集中力だったし、精神的に安定してきた」と成長を認めた。

 誕生日、初の57キロ級女王、そして日本100個目の金。新たなスター誕生の予感も漂う。それでも「目標がロンドン五輪で金メダルを獲ること。まだ追われるような強さはないし、もっと強くなりたい」と満足感はない。ただし、自分を見つめる冷静さを併せ持った野獣の目を、世界中の柔道家が恐れる日は、そう遠くない。

 ◆松本 薫(まつもと・かおり)1987年(昭62)9月11日、石川県金沢市出身の23歳。6歳で柔道を始め、藤村女子2年時に高校総体優勝。その後、金沢学院東に転校し、帝京大を経て現在はフォーリーフジャパン所属。昨年のロッテルダム世界選手権5位。今年はワールドマスターズ・スウォンなど国際大会4勝。組み手は右、得意技は大外刈り、寝技。1メートル63。

 ≪園田監督 注文も忘れず≫好成績にも手放しでは喜べない。女子日本代表の園田監督は、57キロ級を制した松本について成長を認める一方で、「これでロンドンで金メダル確実かと言われれば、そうじゃない。まだまだやるべきことはある」と注文を忘れなかった。63キロ級の上野にも「苦しい中で勝ったのは評価できるけど、決勝みたいなしょぼい試合をしていたらダメ。もっと余裕を持ってやればいいのに」と手厳しかった。

Yahoo!ブックマークに登録 [ 2010年09月12日 ]

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