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[19866] 【ネタ】ダークサイド・クロニクル(リリカルなのは二次 オリ主転生? なのは×スパロボOG)
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/09/11 22:46
三次元宇宙や、それ以外の様々な次元の宇宙を内包した無限の次元世界に神は居ない。



あるのは只管、それこそ無限に繰り返される文明の滅びと再生。もっと言えば世界の滅びと再生の輪廻。
それに例外は無く、アルハザードと呼ばれた超技術を持った文明でさえ謎の滅亡を遂げている。


しかし、文明が滅びようとも人の思念は残る。その属性が善か悪かは関係なくだ。
無限の世界に住まう無限の人――更には人以外の知的生命体の思念。それらは滅びと再生を繰り返す度に次元世界に満ちていった。



満ちに満ちたそれらは無限とも言える力を保持しながらも、その力を満足に振るうことが出来なかった。
何故か? 答えは意思を統括し、力を運用してくれる存在が居ないからだ。ただの思念体である彼らには外部へと上手く力を伝えることが出来ないのだ。


無限とも言える思念体達は求めた。自分達を使ってくれる存在を。自分達の力を引き出し、もっと強大にしてくれる存在を。自分達の主をだ。
彼らが統括者に求めるのは只一つ。決して陽の存在ではない彼らを使ってくれること。使われない力など、存在する意味がないのだ。


そんな彼らの祈りが――否。次元世界に神は居ない。あるのは無限の残留思念だ。


彼らの願いは無数の次元を貫き、境界とも言えない概念さえ超えた何かを破壊し、たった一つの求める魂を自分達の管理者、運用者、支配者、もっと言うなら『器』
にすべく引き寄せた。無論、自分達の運用に支障がないように多少の改造をこの統率者たる魂に加え、その存在そのものを自分達の力に馴染ませるのにかなりの時間が掛かるのだが
数百年程度、彼らにとっては一瞬だ。



無限さえも超えた数を誇り、賢者、愚者、凡者問わずを受け入れ、肥大化を続ける彼らが唯一無二の統率存在を手に入れた記念すべき年号は 


後に管理局と言う、次元世界の氷山の一角どころか砂粒1つにも満たない数の世界を支配する小さな小さな組織によってつけられた年号は――





旧暦462年 



そこは激戦区だった。


無数の世界が存在する淀んだ色の次元空間はそれ以上の色彩を持つミサイル、レーザー、魔法、そればかりか反物質兵器、空間破壊兵器の応酬で染め上げられ
その破壊領域の間を縫うように小さな点――ベルカの騎士と呼ばれる接近戦特化型の魔導師達が飛び交い、敵のミッドチルダ軍の魔道師に接近戦を仕掛けて
それを切り伏せる。



兵器の破砕空間から少し離れた場所には聖王のゆりかごと呼ばれる絢爛な装飾をされた全長数kmの巨大戦艦とそれに付き従うかの様に数百の小型艦が周りを固めており
それの中のレーダーは敵の戦艦群が目視できなくとも、戦場に存在することを乗組員に告げていた。



バリ……バリバリ………。


と、不意に様々な轟音が何十にも響き渡る戦場に、いっそう強く響く音が鳴り響いた。
まるで紙を破ったかのようなそんな音だ。



戦場に居る一部の者が戦いを続けながら、その不快な音の出所を探る。もしかしたら敵の新しい攻撃か? と内心思いながら。


バリバリ……バキボ……キリ…。



音が更に強くなっていく。紙を破る程度の音がガラスを割った時の様な音に進化する。勿論この戦場に簡単に割れるガラスなど一つもない。
全てが魔法や科学でコーティングされた戦場仕様だ。それこそ大火力の砲撃魔法や戦艦の副砲でも直撃しなければ割れない。


この戦場で割れる物は唯一つ――空間だ。空間が音を立てて割れていく。
割れた先にあるのはぞっとする闇。夜の闇よりも尚暗く深い、まるでブラックホールの様な底知れない闇。



「あ……あれは一体……」


最初にそれに気が付いたのは誰だったろうか? いやそんなことはこの際どうでもいい。 
問題はそこから出て来た物体。次元境界面を引き千切るようにして登場した物体だ。



「それ」は球体であった。「それ」は濁りきった銀とも鼠色ともつかない色をしており、絶えず表面で『何か』が蠢いていた。
「それ」は巨大だった。ベルカの聖王の一人、オリヴィエ聖皇女が乗る巨大戦艦ゆりかごと対比しても同じくらいの大きさだ。


そして何よりも「それ」は禍々しかった。
ただその場に存在しているだけで、全てが狂わせられ、歪められ、淀ませられ、汚染させられ、そして飲み込まれる。
そんな威圧感を放っている。


既に戦場の者全ては戦いの手を止めて、「それ」の次の行動を緊張した面持ちで注視していた。
奇しくも禍々しい存在の出現で全ての戦いは止まっていた。  


が、次の瞬間。その沈黙は崩れ去った。


「何なんだよ! お前はぁっ!


「それ」の発する歪みきった威圧感に耐え切れず、ベルカのまだ若い騎士が「それ」に向かい砲撃魔法を叩き込む。
その一撃が切欠になり、ミッドチルダ軍、ベルカ軍、両軍問わずありとあらゆる勢力の攻撃が「それ」に撃ち込まれる。



しかし、その全ては「それ」の前に出現した不可視の壁に阻まれ、届かない。全ての攻撃がその結界に触れると同時にかき消される。



次元空間を埋め尽くし、不気味な卵に撃ち込まれ続ける両軍の魔法及び、科学兵器。
幾つの世界を消し飛ばしても尚余りあるその膨大な火力をまともに受けながら「それ」は不気味な沈黙を続けていた。



――『ヨロイ ノ ドウサ チェック ヲ カイシ シマス』



不意に機械的で高等生物の持つ感情の一切を感じさせない声が不気味に両軍に響き渡る。肉声、スピーカー、念話、意思を伝える媒介全てを通して
戦場の人間、戦闘プログラム、戦闘機械、全てに絶対的な滅亡の到来を告げる。



『キュウミン モード シュウリョウ セントウケイタイ ニ イコウシマス』


次の瞬間、卵に無数の皹と皺が入り割れた。そして中から――













彼は眼が覚めたら戦場のど真ん中にいた。
何を言ってるか判らないだろうが、これしか今の状況を表す言葉がない。

しかも戦場と言っても普通の戦場じゃない。正に宇宙戦争って奴だ。
数え切れない程の幾つもの宇宙戦艦らしき物体が敵側と思われる戦艦に向けて、レーザーやらミサイルやらを撃ちまくってる。
相手に攻撃が当たる度に発生する爆発と轟音がこれが否応なしに現実だと認識させる。



『ガイブノ オンセイ ニンシキ オヨビ エイゾウニンシキ キノウ ハ リョウコウデスカ? オコタエクダサイ』


頭の中に機械音声の様な声が響き、とっさに辺りを見渡す。

「え? え? なに、なに!?」


『オコタエ クダサイ』


心なしかさっきよりも口調がきつくなった気がする。機械音声なのに……。
もう一度周りの宇宙戦争の場面に目をやる。はっきりとリアル過ぎる程に見えている。


「見えてるよ」

ぶっきらぼうにそれだけ答えてやる。色々と聞きたい事があるが、ここで答えとかないと話が進まなそうだ。
横になっていた身体を起こす。足元に透明な床でもあるのかちゃんと立つことが出来た。


『ヨロイ ノ ドウサ チェック ヲ カイシ シマス』


世界が切り替わった。全面を覆っていた宇宙戦争の場面が映画館のスクリーン程度の大きさに変わり、今まで戦争の場面を映していた場所は真っ白になり、そこに
ありとあらゆる色の線で文字らしき物ビッシリと刻まれていく。


『セイシン オヨビ ニクタイ ノ テキオウガ カンリョウスルマデ オネムリクダサイ マスター』


その声を最後に彼の意識は暗い闇の奥底へと落ちていった。そして倒れ伏した彼の身体に群がるように灰色の煙が覆いかぶさっていく。
いや、身体ではないか。既に気がつかないだけで、彼は肉体を失っているのだから。今からもう一度、今度は『器』としての肉体を彼に与えるのだ。
自分達を使役する存在に相応しい、強い肉体を――。









卵の中から現れた「それ」は黒い姿をしていた。
真っ黒の人の姿だ。漆黒色の細い人間の手と足を持っている。


但し首はあるが、その上の頭はない。煙突の様な体躯だ。
代わりと言ってはなんだが、首の上部に眼にも見える白い点が二つあり、その更に上には明確に眼に見える紅い文様がある。
ご丁寧に紅い『眼』の下にはハロウィン南瓜の様なコミカルな笑みを浮かべた小さな口の様な刻みがあった。


そしてその『眼』から左右に枝分かれした様に白い2本の角が生え、その生え際からは龍の髭にも見える触手が二本、何かを掴むように蠢いている。


しかし、何よりも特徴的なのは「それ」の腰から生えた複数の丸くて白い節を持った翼だ。
いや、翼と言うには少し語弊があるだろう。何故ならその翼に近い物から生えているのは蝙蝠などの生き物の持っている翼からは程遠い物だった。


其処から生えて、蠢いているのは輝く灰色の煙のような翼。それが異形の後方に大きく展開され、マントの様な装飾を異形に加えていた。



全体的に無機質でアンバランスな姿のそれはどう見ても神聖さからは程遠い。その姿から連想されるのは邪悪、破壊、終焉、などと言った負の意味を持つ単語だ。
全長1キロさえも超えたその巨体は、さながら次元の虚空にそびえる黒き牙城と言った所か。






――セントウケイタイ イコウ カンリョウ




――ターゲット ニンシキ カズ 420934 ウチ “プログラムセイメイタイ” 20000 セイメイシュ “ニンゲン” 400934



ベルカ、ミッドチルダ、両軍が卵から姿を現した異形に向かいありとあらゆる攻撃を叩きこむが、異形がその華奢ながらもおぞましい手を攻撃の前に晒すと、何もかも全てが
瞬時に静止し、次の瞬間には跡形も無くかき消される。



――ボウギョフィールド オヨビ クウカンソウサ キノウ キノウカクニン――リョウコウ。 モンダイナシ



異形が翳したその手をダランと伸ばし、腰の横に持ってきてフィールドを解除する。今が好機と言わんばかりに両軍が再度あらゆる兵装を叩き込む。
一点の隙間なく叩き込まれる核兵器、空間破壊兵器アルカンシェル、反物質弾、ゆりかごの魔力炉から生成される超魔力から放たれる次元さえ超越する魔力砲の一斉掃射。


それら全てが異形に叩き込まれ、異形の姿を打ち砕く。おぉっ! と、ベルカ、ミッドチルダの兵士達から歓声が上がった。
胸部以外の全てがバラバラに砕けて、破片と灰色の煙を撒き散らしながら崩れ落ちていく異形。


が、次の瞬間その崩壊は止まる。同時に時間が巻き戻っていくかの様にその異形の身体が物凄い速度で再構築されていく。
物の数秒で異形は無傷まで復元していた。


両軍がもう一度一斉攻撃を加えるが、異形が手を翳し、絶対の防御領域を展開させ、全ての攻撃をいとも簡単に無効化する。



――ジコフクゲン キノウカクニン―――リョウコウ。 モンダイナシ



――コウゲキ ニ ウツリマス



異形の頭が「伸びた」
そのまま競り出して行き、前側にズドンと音を立てて倒れる。そして伸びた首の上部が一部を残して、まるで扉を開くように左右に「分かれた」首の穴と思わしき所には砲口がついている。
紅い眼の紋章がその砲口の上に移動する。触手とあわせて、まるで口を開いた龍の顔のようだ。最も、龍は龍でも間違いなく邪龍と呼ばれる類なのは間違いないが。


砲口から禍々しい紅色の力が漏れ出る。何をしようとしてるのかが両軍の者には痛いほどに判った。間違いなくアレは攻撃をしようとしていると。


どちらかの軍の者が異形の砲口に集まっているエネルギーの量を測定して魂が凍るほどに恐怖する。
艦に搭載されている最も優れた測定器を以ってしても測定限界を遥かに振り切っているのだ。もしもアレほどのエネルギーが破壊という方向性を持って一気に解き放たれたら最悪次元断層が起きる。


「最大出力で防御結界展開だっ!! 急げぇっ!!!!」


無駄だと判りつつも両軍の司令官が防御を半ば悲鳴の様な声で指示する。既に攻撃して、相手の攻撃を止めると言った選択肢は彼らの頭にはなかった。
だがその令が発せられる前に既にベルカ、ミッドチルダ問わず、両軍の兵士達は既に全てのエネルギーを防御に回し、文字通り全てを込めた障壁を艦隊を覆うように発生させた。


――モクヒョウ ボウギョフィールド ヲ テンカイ 



――センメツニ シショウナシ コウゲキ ヲ ゾッコウ コウゲキノウリョク ノ テストヲ カイシ




『鎧』の中に渦巻き、今尚際限なく無限大に増幅を続ける意思と力のほんの一部を、この世に力を顕現させるための『器』を通し、純粋な破壊の力に変換し、それを撃ち出す。
それでこの『器』を守るために創られた『鎧』の動作テストは終わりだ。


邪龍の口内に蓄えられたエネルギーの前に、漏れ出たエネルギーが集い、複雑極まりない魔法陣の様な紋章を展開させる。
そして神話の龍が吐息で全てをなぎ払ったのと同じ様に、邪龍が紅くおぞましいエネルギーの濁流を噴火するかのごとく吐き出す。
発射時の衝撃で口の近くの空間が弾けとぶ。



吐き出された純粋な破壊の力は扇状に広がり、両軍をいとも簡単に飲み込み、その存在の全てを残酷に犯しつくし始める。女だろうがまだ年端もいかない子供だろうがそこに例外はない。
両軍の全てを込めた結界はほんの数秒耐えた後、莫大なエネルギーによってズタズタに食い千切られ、その破片も後に容赦なく紙くずの様にバラバラに更に引き裂かれた。


エネルギーの濁流の真っ只中に放り込まれたミッドチルダ及び、ベルカの艦隊群は自分達を守っていた盾を失い原型を保っていたのはほんの数秒だ。
紅い紅い紅い、どこまでもアカイ暴力に飲み込まれ破壊というプロセスさえも飛び越え、一瞬で素粒子単位まで分解され、物質的な意味で完全に消しとんだ。
そして肉体という檻から開放された思念は全てが邪龍に囚われ、知識、技術、能力、記憶、想い、その全てが貪欲な邪龍に喰われる。


しかし邪龍の放ったエネルギーの齎した結果はそれだけに収まらない。無数の艦隊群を消し飛ばして尚あまりあるその破壊の力は今度は時空間そのものに
致命的なダメージを与えたのだ。


時空間の一部が完全に壊れて、それによって極大規模の次元断層が発生し始めた。幾つもの世界がそれによって発生した時空振動によって消し飛ぶ。
しかし、虚数空間に落ちていく世界から出てきた億単位ほどの夥しい数の『何か』は引き寄せられるように邪龍の元に飛んで来て、その煙で構成されたボロ布の様な翼に飲み込まれていく。






――コウゲキノウリョク  キノウリョウコウ。 テスト シュウリョウ。 シネン ヲ カイシュウゴ 『ウツワ』 ノ アンテイシュウリョウマデ キュウミンシマス



貪るように知的生物の思念を吸収した後、邪龍はその首を元の位置に戻し人の姿に戻るとその黒く巨大な身体を母の子宮内の胎児のように折り曲げ、翼を幾重にも畳む。
翼から出ていた灰色の輝く煙が異形の全身を覆って行き、卵のような最初の姿に戻った。



パキ……パキ



最初に割った空間の穴にゆっくりと沈んでいく。次元震の影響で多少穴が狭くなっており、まわりの空間をガリガリと削り壊すが、特に問題は無い。
あえて問題を挙げるなら少しだけ次元振が強くなるだけだ。

何はともあれ、後は『器』の調整が済むまで何処か辺境の世界で休眠していればいいのだ。





旧暦462年 後世には原因不明の次元断層が発生し、ベルカ本土を含む多数の世界が虚数の暗黒に崩落した日として伝えられる。
       それと同時に神の居なかった次元世界に一柱の神が誕生した年でもある。しかし誕生した神は神でも、邪神と呼ばれる類の存在だが。














新暦35年 管理局 第一管理世界 『ミッドチルダ』 同首都 『クラナガン』





「テスタロッサ君。以前のお願いの答えを聞きたいんだけど、いいかな?」


ミッドチルダ首都に存在する管理局地上本部の一室で管理局技術開発部に属する魔導師プレシア・テスタロッサはとある人物と会談をしていた。
夫に不幸な事故で先立たれ、女手一つで夫の忘れ形見とも言えるアリシアを育てることになった彼女に、その人物は一つの仕事を持ちかけて来たのだ。



それはとある世界で発掘されたロスト・ロギアの研究という物であったが、まだ引き受けてはいない彼女には詳しい事は教えられないそうな。
もしも協力するなら情報だけでなく、莫大な金も支払うとその人物は言ってはいるが、どうも怪しいと彼女は直感的に感じ取っていた。
そもそも金の問題なら夫の残してくれた保険金と自分の稼ぎ、そして貯金さえあれば娘の一生は安泰なのだが。


それにしても男の提示した金額は、天才大魔導師プレシア・テスタロッサを雇うにしても多すぎた。○の数が3つほど多い。



今日はその案件に対して、受けるか否かの返答を行う日だ。もちろんプレシアは断るつもりだ。怪しすぎる。


「申し訳ありませんが……私は……」


プレシアが伏せ眼がちに男に拒否の意思を伝える。
男がカップを持ち、中のコーヒーを飲んだ。そして口を開く。



「それは……残念です。しかしその前にコレを見てはもらえませんか?」


男が隣に置いてあった銀色のアタッシュ・ケースに鍵を差し込み、開ける。
そして中から一枚の手持ちディスプレイを取り出した。それをプレシアに差し出す。


「中の情報を見てください。それからでも決めるのは遅くない筈ですよテスタロッサ君」


「……?」


プレシアが黒く艶やかな髪を一回掻き揚げ、ディスプレイを受け取り、情報を呼び出す為の操作する。
中に入ってた情報は恐らく研究中のロスト・ロギアなのだろう。それに視線を送る。


「……これって……」

しばらく眼を通していたプレシアの眼の色が変わり始める。ただの女の眼から大魔導師、ひいては天才技術者の眼へと変わる。


「本当に……でも、有り得ないわこんなの……でも……」


何かを問うようにブツブツと呟き始め、混乱を外に現す。
そして視線を男に移す。男が頷いた。


「そうです。もしかしたらそのロスト・ロギアは永久機関かも知れません」


「有り得ないわ。どんな魔法を使おうと、それこそアルハザードの技術でも不可能だわ!」


男の放った言葉を半ば反射的に否定するプレシア。既に敬語を使うことさえ忘れている。


「しかし、それは其処に実在しました。それの謎さえ解ければ、我らは第一種の永久機関を作ることさえ可能なのかもしれません。貴女もそれに協力して欲しいのです!!」


プレシアの瞳が揺れた。嘘、な訳ないだろう。吐くメリットがない。
永久機関かも知れないロスト・ロギア……調べたい。調べたい。技術者として、探求者としてこれ以上ないほどに魅力的だ。


「テスタロッサ君、貴女が損する事などないのですよ! 大金も貰え、尚且つこれ以上ないほど魅力的なロスト・ロギアの研究も出来る。最高じゃないですか!」


「………………」


興奮気味に言う男にプレシアが俯く。


「本当に……本当にこれは実在するのね……?」


「当然です。何を今更言うのですか」


男が興奮を抑えるためか、コーヒーを飲む。
大きく、大きく深呼吸をしてプレシアは言った。


「わかりましたわ。私も参加します。このヒュードラ計画に」


「ありがとう。テスタロッサ君! 差し当たり、貴女の家はこの“ヒュードラ”が眠っている世界から遠すぎる。引っ越しの資金も私が出すから、この世界に娘さんと一緒に引っ越すといい。
 何、緑豊かで、とても美しい世界だ。娘さんもきっと気に入るはずだよ」



男が立ち上がり、プレシアと硬く握手をする。
プレシアの隣に置かれたロスト・ロギアのデータを記したディスプレイにはネズミ色とも
銀色ともつかないヒュードラと名付けられた全長1キロを越す巨大な卵が映っていた。


その中にあの異形を内包したまま――。



新暦35年に起きた、後にプレシアの運命を大きく捻じ曲げる因果の発端であった。





あとがき

申し訳ございません。更新作業を失敗してしまい、
間違って記事を消してしまいました。故に、再投稿させてもらいます。

前回感想をくれた方々に、深くお詫び申し上げます。




[19866]
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/06/27 02:54
黒を混沌と例えるのを前提に、その空間を表す言葉を挙げるとすれば“無”だ。世界も何もかもが産まれる前の完全な“無”の世界。
何も書かれてないキャンパスの様に何処までも真っ白。地面があるのかさえ不明だ。


いや。正確には白一色ではないか。其処には一つの卵がポツンと置いてあった。置いてあるという事は地面はやっぱりあるのだろう。
黒とも灰色とも銀ともつかない色をした人一人が丸ごと納まってしまいそうな大きさの卵。そして卵は時折ドクンドクンと脈を刻んでいる。
まるで生きてるかの様に、生物の心臓と同じく一定の間隔でそれは鳴り続ける。



―――ゲンザイ ニクタイ ノ コウチクリツ 89%  ゼンカテイ ジュンチョウ。 ナニモ モンダイ ナシ 



人からすれば途方もない時間でも『彼ら』にとってみれば一瞬である。だから彼らは功を急がない。
突貫作業など以ての外だ。『器』の機能に支障を来たしたりなどしたら眼もあてられない。
大事な大事な『器』はゆっくりと育てるのだ。親が子を母の子宮で一年近く育てる様に。ただその時間が人に比べて永いだけだ。
ゆっくり、ゆっくり、数百年と言う時間を掛け、彼らの意思の力に身体と精神を馴染ませていく。


卵は相変わらず鼓動を刻み続ける。時計の針が黙々と時を刻むように。


彼らの『器』が完成する日はそう遠くない。





新暦38年  時空管理局第48無人世界 『アルゴ・レルネー』



『アルゴ・レルネー』は緑が豊かな無人世界だ。無人と言う事は戦争や、人為的な環境変動、過剰なまでの自然破壊、おおよそ人の手で発生する災害などは起きないという事である。
この世界は『鎧』が安全に眠るのにもっぱらおあつらえ向きの世界であるのだ。




そんな自然が美しいこの世界に一箇所だけ不自然に緑が切り取られ、明らかに文明的で巨大な建物が建っていた。
とある民間の大企業が建造したロスト・ロギア『ヒュードラ』の発掘及び、研究所である。



そのドーム状の建物の周りを幾つものヘリが警戒の為に上空を飛びまわり、個人が所有する大型の次元航行船が港に停泊し、その貨物子から食料や日常品、研究機材などを輸送していく。
この建物は研究所であり、全職員が暮らす巨大なマンションなのだ。


そもそも発見されたロスト・ロギアは速やかに時空管理局に渡さなければならないのだが、何故一個人の企業がそれを発掘ならまだしも研究まで行っているのか?
解は簡単だ。その大企業のトップが管理局に対して強い発言権を持っているのだ。理由も簡単。管理局にかなりの額の投資とちょっとした額の「寄付」を行っている故である。


その発言権を使えば『特例』でロスト・ロギアの研究を認めさせるのも容易というわけだ。次元世界もやっぱり金次第という事である。









「わぁ~~、すっごく大きい卵ー!」


今は亡きプレシアの愛しい夫譲りの美しいブロンドの髪をゆらゆらさせながら、アリシア・テスタロッサが眼前のそれに対しての感想を叫んだ。
今まで外に出れず、プレシアに会うこともあまり出来なかったのだが、研究がひと段落ついた事によりようやく施設の中の見学を許されたのだ。
勿論、保護者同伴という条件付だが。そして今彼女の眼の前には全長1キロ以上の大きな卵――『ヒュードラ』が鎮座していた。


「アリシア、あんまり大きな声を出しちゃ駄目でしょ? 周りの方の迷惑になるわ」


しかし周りの職員は迷惑そう所かその光景をを微笑ましい物をみるような暖かい視線で眺める。
彼らにも家族は居るのだ。多分、故郷に残してきた家族を思い出しているのだろう。


「だってお母さんったら、ずっと研究ばっかりなんだもん! その間私はずっと部屋で一人なんだよ……?」


「そ、それはね……」


頬をリスの様に膨らまし、プレシアに抗議する。しかしその眼には心なしか涙が溜まっているように見える。
プレシアがワタワタと焦り、何とか娘に機嫌を直してもらおうとする。今まで言い方は少し悪いがほったらかしにしてたのは事実なのだ。

あぁ……そういえば夫も生前よく「プレシアの何かに夢中になる姿はかわいいな」って言ってくれたっけ等と思い出し、現実逃避を図る大魔導師プレシア。


「だ・か・ら」


アリシアが教師の様に人差し指を立てに振る。


「この研究が終わったら、ずっと一緒に居てね! お母さん」


アリシアがプレシアに抱きつく。そのまま母の匂いをかぐように顔を胸に埋める。


「えぇ……このお仕事が終わったら、一緒に静かに暮らしましょう。アリシア……」


既に老後や教育の事を考えても多すぎるほどの金は溜まった。
それこそ一生遊んで暮らしても使い切れない程の額だ。
だから、この仕事が終わったら娘と何処か平和な世界で暮らすことをプレシアは決めていた。



一方その光景を見て、ホームシックに掛かってしまったプロレスラー見たいな体形の職員が取り出した家族の写真を見て涙ぐんでたり、
口の中に砂砂糖を突っ込まれた気分になった職員がブラック・コーヒーを一気飲みして、思わず噴出したり
独身の女性職員が小声で「結婚しようかなぁ…でも、いい男が……」などと呟いてたりしてたのは気にしなくてもいいのだろう。











新暦39年 第48無人世界 『アルゴ・レルネー』 


「結果から言えば“ヒュードラ”は永久機関に限りなく近い存在という事が判りました」



ヒュードラ研究所の一室。会議室と俗に呼ばれる場所に設置された巨大なモニターの前にプレシアは立っていた。
モニターに表示されるのは“ヒュードラ”について判明した様々な情報だ。


『“近い”と言うと?』


彼女の前に並んだ席に座っているのは魔方陣の上に展開された空間モニターにより映し出された企業の重要な大幹部達。
彼らの本体は別次元に存在する本社に居る。
それの一人である恰幅のいい、しかしがっしりとした体形の男性が空間モニター特有のエコーの掛かった声で彼女の言葉に疑問を投げかけた。


「その事柄についての説明はまず、“ヒュードラ”のエネルギー源について述べる必要があります」


プレシアが手元の端末を操作する。モニターの映像が切り替わった。
そこには卵の内部のエネルギーを表示した図があった。それの横には数値と説明文がある。


空間モニターによって映し出された幹部達のホロが動揺の声を出す。
それもそのはずだ、卵の内部に蓄積されているエネルギーの総量が予想を遥かに上回っていたのだから。
次元断層などというレベルではない。下手をすれば次元世界そのものが吹き飛びかねないほどのエネルギー量だ。
そして画像の横の説明文では尚もエネルギーは凄まじい速度で増幅を続けているらしい。



「そしてこれがあの卵の内部の、予想画像です」


モニターが再度切り替わる。機械処理されて作られた卵の内部の断面図だ。


『なんだ……これは……」


幹部の一人の初老の男が困惑の声を上げた。
無理も無い。そこに映っていたのは手と足を曲げ、幾つもの丸い節がついた奇妙な翼の骨格のような物を持った赤子のような物体だったのだ。
この画像を何も知らない一般人に見せたら10人中9人は子宮の中の赤子と答えるだろう。


「私も最初これを見た時は驚きました。そして、エネルギー源についてなのですが―――正直な所、お手上げです。全く判りません」


『と、言うと?』


幹部の一人、切れ長の冷たい目をした青年が問う。
プレシアはその眼を真正面から睨むように見返した。


「何に属するエネルギーなのか一切判別不明なのです。魔力でも原子力でも電力でもない。何処から供給されてるもかも不明。
 何によって発生している力なのかも不明。そもそも何を目的に造られたのかも不明。永久機関かどうかも不明なため、私はこれを『近い』と表現しました。
 少なくとも今の我らの文明レベルではこれの完全な解析は不可能でしょう。そして便宜上私達はこの力を『無限力』と呼んでいます」



『では、我らの投資は無駄になった。そういう訳か? テスタロッサ君』


幹部達の中でも最も老けた男性がプレシアに問う。
その眼の中にあるのは怒りと失望に近い感情であった。



「いえ。その意見には反対を唱えさせてもらいます。会長」


プレシアが会長と呼んだ老人を見据える。


『ほぅ? 言ってみたまえ』


では失礼と、プレシアが一回咳払いをして述べる。


「卵の原理は全く不明ですが、私達はこの卵からエネルギーを引き出す端末の作成に成功しました」


彼女が端末を再度操作するとモニターの画像がまた切り替わった。
其処に映っていたのは地球で言うところの原子炉を思わせる巨大な物体。


“ヒュードラ”の卵と数え切れない程のケーブルで接続されたそれは不気味な沈黙を守っていた。


「この炉は“ヒュードラ”から組み上げた無限力を魔力に変換する機能を持っています。原理は――」


『原理はよい。どうせ時間が掛かるのだろう? 手短に、結果だけを頼むよ』


幹部の一人、眼鏡を掛けた顔色が悪い男性が彼女の言葉を切る。
だまって聞いてろと言い返しそうになるプレシアだったが相手は自分の雇い主、ぐっと堪える。


「今、この炉は試験運用段階で、ほんの僅かだけですが試験的に稼動しています。それでも今、この施設の消費電力の1割はこの炉から組み上げられた
 エネルギーで賄われています。ゆくゆくは転移ポートの技術を応用して、直接次元世界各所に設置した炉にエネルギーが送られるようになるかと。
 勿論原子力などで発生する放射能問題なども起きませんし、原子力よりも遥かに莫大なエネルギーを安全に提供でき、熱や電力などへの変換も可能です。
 今はこのエネルギーを電池の様に固体化させて、持ち運べないかどうかの研究も行っています。
 そして何より大きいのが――この無限力は虚数空間の影響を受けず、時空振動にも影響を受けず、どんな状況下でも問題なく発揮されます」


プレシアが言葉を紡ぎながら手元の端末を操作し、それぞれの言葉の証拠となるデータを次々とモニターに表示させていく。
魔力への変換効率、各次元世界へのポートを利用したエネルギーのダイレクトな転送、放射線データ、熱や電気への変換効率、エネルギーの固体化データ。
人口擬似虚数空間内での影響データ、人口時空振動内での影響データ。



誰もエネルギーが枯渇する心配は? とは聞かない。さきほど卵の中に存在する
文字通りの無限の力をみたからだ。
もしもこの研究が完成したらとんでもない利益を産むのが彼らには見えていた。


決して枯渇せず、有害でもなく、何処でも問題なく使うことが出来、使い方によれば、世界さえも軽々と破壊する。
もっと技術が進めばその逆もできるのではないか? とさえ思えた。


まるで、まるでそれでは――。


『神の力じゃないか……』


会長とプレシアに呼ばれた老人が眼を子供のようにキラキラと輝かせながら呟く。他の幹部も言葉を失い、それにただただ只管頷く。
同時に少しだけ恐怖した。こんな力をただの人間である自分達が使いこなせるのかどうか、余りにも荷が重過ぎる力ではないのか?


しかしそんな恐怖は肥大化した欲望の前に押しつぶされていく。今、自分達は神の力を手に入れたのだ、何も恐れることはないと。
幹部達の眼にはこの“ヒュードラ”が無限の富と次元世界全てからの揺ぎ無い信頼を与えてくれる金の卵に見えた。

いや、もっといけば管理局に変わって次元世界を――とさえ、考える者が幹部の中にはいた。


『テスタロッサ君。さっきこの炉は試験運用中だと言ったね?』


眼鏡を掛けた顔色の悪い男が問う。
プレシアはその顔色に舌なめずりをするカメレオンを連想してしまい、少しだけ嫌悪感を覚えた。


「はい」


『宜しい。この炉を本格的に稼動させてみたまえ。どれくらいのエネルギーが現段階で一度に取り出せるか、見てみたい』


「は?」

プレシアは思わず間抜けな声をあげていた。いま、この男は何を言ったのだろう?
耳が悪くなければ、本格的に稼動させろ と言ったはずだ。


「あの、……もう一度、お願いします」


『聞こえなかったのかね? あの炉を最大出力で稼動させろと言ったのだよ』


「そ、そんな! まだまだデータが足りなさ過ぎます!! 今、アレを最大出力で動かしたりなどしたら……」


『テスタロッサ君。やるのだよ。きみが。成功すれば君は次元世界に名を残す偉大な魔導師だよ』


老齢の会長が爬虫類を思わせる恐ろしい眼でプレシアを睨みつけて言う。元来の聡明な彼ならこんな事は言わないだろう。
しかし、欲望が、何もかも全てを手に入れられる力に対しての欲望が彼の眼を曇らせる。


――この力を使えば、もしかすれば、死さえも回避出来るかもしれない。


そんな馬鹿げた考えが彼の頭の中に渦巻いていた。彼も、もう年だ。その先に待っているのは絶対の死。
人ならば絶対に避けられないその運命を回避出来る可能性が1%にも満たないといえ、眼の前に転がってきたのだ。
これに縋り付かない手はない。


「しかし……」



『プレシア・テスタロッサ君……やるのだよ。それしか道はない。娘さんはかわいいだろう?』


あえて娘の名前を出す。具体的なことは言わないが、もしもここで断ったりなどしたら、アリシアに何かをするつもりなのがありありと伝わってきた。
彼らほどの大企業なら、社会的にアリシアを殺すことなど簡単だろう。ありもしない噂を流したり、マスコミを利用し人を破滅に追いやることなど彼らにとっては普通の方法なのだ。



「…………………はい」


『素晴らしい! やはり貴女は最高の魔導師だよ。テスタロッサ君。後で今までの全ての研究データを本社に送っておいてくれたまえ。
 じっくりと検討したいのでね』



その言葉を最後に全ての空間モニターが閉じ、部屋が沈黙に包まれる。


「……くそッ!!!!」


プレシアは思わず、壁を皮がズリ向ける程強く、何回も殴っていた。
やっぱりこんな仕事請けるべきではなかったと何度も何度も深く後悔しながら。










新暦39年 第48無人世界 『アルゴ・レルネー』



“ヒュードラ”実験の日がついに訪れた。
プレシアはあれこれ言って何とかこの日を先延ばし、あわよくば中止にしたかったのだがそれも出来なかった。


予定通り拷問的なスケジュールの元、炉の調整と改良を完成させ、炉を本格的に稼動させる事になる。
プレシアはここ1ヶ月まともに寝ていない。恐らく合計睡眠時間は20時間にも満たないだろう。


そのせいで艶やかだった黒い髪はボサボサになり、肌も生気を失っている。
娘のアリシアに泣きながら心配されるほどの変わりようだ。


優秀なプレシアがそれなのだ。彼女の部下のスタッフはもっと酷い。
半数以上があまりのハードスケジュールで倒れ、全てが施設の病院送りだ。


そうして空いた穴を他のスタッフが埋めて、過労で倒れる。そしてまた穴が増える。そんな悪循環だ。
最終的にプレシアはこの炉の整備や調整、改良など、半分近くの仕事を一人で行い、その全てを成し遂げたのだ。
常人ならば既に過労死していてもおかしくない。



全ては愛しいあの人との間の娘、アリシアの為に。彼女の人生があんな薄汚い欲の塊共などに潰されてたまるか。



「炉の稼動を開始します。“ヒュードラ”からのエネルギー組み上げ開始」


数少ない生き残りのスタッフが稼動のスイッチをプレシアに手渡す。
それを受け取ったプレシアがそれを撫でる。


そして瞼を瞑る。彼女の頭はやけにはっきりと動いていた。


……永かったわ。これでようやく拷問のような日々が終わる……。


……この実験が成功したら、こんな計画下りてやる。そして何処か小さな世界でアリシアと二人で暮らそう……。


……今までほったらかしにしていたから、怒っているわね……。


……そう言えば、無理しないで、って私をみて泣いてたわ。本当に優しい子……あの人にそっくり。



一瞬で走馬灯のように頭の中で様々な思考をした後、彼女はそのスイッチを強く押した。



















真っ白な“無”の世界。其処に置いてある卵に一つの変化が訪れていた。
濁った灰色か、蠢く銀色を思わせる卵の表面の色が変質していくのだ。


純粋な真っ黒に。おぞましい黒に。白と対を成す混沌の黒に。
水の中に墨を落としたように黒は灰色と銀を侵食し、あっという間に塗りつぶす。


そして卵はその形を変えていく。球状から徐々にその姿を変異させ、ある知的生命体の姿を模していく。


やがてその変異は完了する。
完成したそれは二本の手足と胴体、頭を持った生命種。人間の姿をしていた。


但しその身体は影法師の様に真っ黒で、絶えず身体の表面に白いノイズが走り、その身体は揺ら揺らとぶれている。
顔も真っ黒。鼻や頬などの凹凸はない。



顔にあるのは三つの地獄の底の炎の様に真っ赤な玉。本来眼がある場所に二つ配置され、残りのもう一つは額にある。
口がある場所には白い切れ込みのような物があり、それは耳元まで裂け、全てを嘲笑うコミカルな笑みを浮かべている様にも見える。

背中からは『鎧』が纏っていたのと同様の灰色の輝く煙が絶えず噴出しており、それが彼の身体に纏わりついて服の役目を果たす。




記念すべき『器』の肉体が完成した瞬間だ。




―――キコエマスカ? マスター

何時ぞやの機械音声が彼に語りかける。
彼は以前と同じくぶっきら棒に返した。しかし声は違う。酷くエコーが掛かった低い男の声だ。


『聞こえてるよ』


―――ナニ ヲ ナサイマスカ?

完成した『器』が今、望むことはたった一つだった。



『外に出たい』



―――タダチニ。


そして『器』の命令を受けた『鎧』は稼動を開始する。全ては統率者の意のままに。
力と知識は使われることに喜びを感じるのだ。








稼動実験は至って順調に進んでいた。危惧していた暴走やエネルギー漏れなどもなく、炉は“ヒュードラ”から力をサルベージし始め
それらを何も問題なく魔力に変換し、それを更に膨大な量の電力へと変えていく。



彼女に落ち度はない。ただあえて言うなら間が悪かったのだろう。たまたま『器』が完成した時、彼女達が外に居た。ただそれだけだ。



――危険 危険 魔力量供給量が限界を超えそうです。直ちに炉を停止させたください。


突如けたたましいアラームと共に警告音声が流れる。
発生した問題はアラームの女性型の機械音声が言ったとおり、過剰なまでの炉への魔力供給。


「っ!」


プレシアが声にならない驚愕の叫びを上げる。調整と改良は完璧だったはず。
天才プレシアが一ヶ月の時を掛けて施した策は完璧だったはず。


いや、本当はプレシアも本当はわかっていた。たった一ヶ月の改良ではこれが当然の結末だと。



「直ぐに炉を緊急停止なさい!! 急いで!!!」


プレシアが部下のスタッフに叫び、命ずる。
スタッフが急いでガラスケースを叩き割り、中にあった赤い緊急停止ボタンを殴るように押した。



――緊急停止します。繰り返します 炉を緊急停止させます。




炉はプログラム通りに全ての機能を緊急停止した。しかし炉から光は消えない。



――危険 危険 魔力供給量が限界を超えそうです



しかし魔力の供給は止まっていない。ロスト・ロギアに変わらずに力を送りこまれ、内圧に耐え切れず、見たこともない毒々しい輝く灰色の煙がもれ出ている。
ゴゴゴゴゴゴと、雷鳴のような轟音が中から響いてくる。聞きたくない類の音、人に死を知らせる音。




「そんなッ!!! 何で止まらないの!!!!」


プレシアが焦りに満ちた声で叫び散らす。もしもアレの中のエネルギーが暴走などしたら――考えたくもない。
しかし、優秀なプレシアの頭脳は冷静に結果を囁く。もしもアレが暴走したら、アリシアは――。



――緊急事態 緊急事態 職員の安全のために緊急遮断領域を展開させます。



非常時の機能が作動し、炉を覆うように最高クラスの隔離障壁が展開される。そして同時にプレシアたちスタッフを守るための障壁も幾重にも展開された。これなら20分は持つ。
その間に退避すればいい。言われるまでもなく空を飛べるスタッフは飛んで、魔法を使えないスタッフは全力疾走で脱出船に向かって退避を始める。
プレシアはアリシアを迎えにいく為に、既に限界近い身体に鞭を打って自分でも信じられない速度で飛ぶ。


炉はそれでいいだろう。が、彼女達は一つ見落としていた。




――“ヒュードラ”の卵に皹が入る。無数の皹が表面を覆っていく。輝く灰色の煙が、その皹から漏れ出し始めたのに気がついた者は誰も居ない。




――キュウミン ジョウタイ ヲ カイジョ シマス



卵の皹がどんどん大きく、どんどん増えていき、中に格納された『鎧』を解き放つべく殻を自壊させていく。
誰も居なくなり、アラーム音ばかりが鳴り響く炉の実験室で、ガラスが割れ、割れた破片を更に念入りに細かく砕いていくような、思わず耳を塞ぎたくなるような凶音が響く。


そして――




『はおおおおおおおおおおおぉぉッッッ!!』


殻を破り、禍々しく輝く灰色の煙のマントを纏った巨大な『鎧』が、不気味な産声と共に、誕生。
誕生の際の衝撃波が建物の一部を粉々に吹き飛ばし、『鎧』の頭部が建造物の屋根を突き破る。


同時に、“ヒュードラ”の傍に配置されていた炉が限界を迎え、爆発、隔離結界は簡単に弾き割れ、建物全てを巻き込む―――アリシアの部屋を巻き込み大爆発を引き起こした。


これは後に『ヒュードラ事件』と呼ばれる事件である。





[19866]
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/06/27 02:55
第48無人世界『アルゴ・レルネー』は今や混乱のどん底に叩き落されていた。
青く澄み切っていた空は灰色の輝く煙に覆われ、濁りきった雲から生物に有害である超高密度の魔力素が降り注ぎ、世界の生物を次々と死滅させていく。


人間が生きるのに必要不可欠な酸素も濃度を高めれば人を呆気なく死に追いやるのと同じように、魔道師が魔法を使う際に必要な魔力素も濃度が極端に高くなれば
人の身体に有害となるのだ。普通はそれほどまでの密度の魔力素は自然には管理局が観測した限りでは中々存在し得ないのだが、この『アルゴ・レルネー』では
それほどまでの魔力素が存在していた。いや、人間が誕生させてしまった。


原因は“ヒュードラ”の卵からエネルギーを引き出した炉が爆発した事により、電力に変換されていなかった超密度に圧縮された魔力が辺りに魔力素として撒き散らされ
重度の汚染を世界に齎しているのだ。そのせいで草花は枯れ、動物は次々と生命活動を停止させていく。人間も例外なく死んでいく。



かつて美しかった『アルゴ・レルネー』は今や瘴気に覆われた死の世界へと変貌していた。



その災禍の中心に「それ」は居た。背から輝く灰色の煙で構築された翼幕を噴出し、全長2キロ近いその巨体を二本の細長く黒い足で支えた異形。
『器』を守るために創りだされた『鎧』であるそれは自らの主の命令を忠実に実行していた。即ち、外に出たいという命令をだ。


腰から伸びる白い複数の節を持った翼から吹き出る、灰色のボロ布を思わせる翼幕に人の思いが飲み込まれていく。
この世界を漂っていた思念、そして炉の爆発で亡くなった者の思念、魔力素汚染で死んだ者の思念が丸ごと喰われていく。
そればかりか次元世界各地から思念が『器』の元に集まり、その力の一部になっていく。



『器』が本格的に目覚めた今の状態の『鎧』の思念吸収能力は以前の稼動テストの際にベルカ、ミッドチルダ軍を喰らった時とは比較にならない
までに高まっていた。いや、これが本来の状態と言うべきか。


このまま更に多くの思念を取り込めば程遠くない内に平行世界や違う時間軸、因果律にも干渉し、創造や破壊だけではなく他にも様々な事ができる様になるだろう。
そしてそれが出来る様になった時――『器』は本当の意味で……。









「はぁ……はぁ……アリシア…!!」


プレシア・テスタロッサは全力で機械で作られた白い廊下をアリシアの部屋を目指して走っていた。アラーム音が鳴り響いてとてもうるさい。時折地震の様に世界が揺れる。
辺りには魔力を使わずとも一目で判るほどの汚染が広がっており、プレシアの体力と気力をガリガリと削っていく。
こんな中で無闇にリンカー・コアを使い、こんな高密度に圧縮された魔力素を取り込んだらどうなるか彼女には痛いほどに判っていた。


最悪、リンカー・コアの汚染は身体にも影響を及ぼし、生命活動に著しい打撃を与えるだろう。リンカー・コアは魔導師が持っている内蔵の様な物なのだから。
それが異変をきたせば他の器官にも影響が行くのは当然だ。


今は自分の中に蓄えた魔力を使い、結界を張って外部の魔力素を完全にシャットアウトし汚染から免れている。
しかしそれだけで精一杯で、とてもじゃないが高度な術である飛行を併用など出来ない。ましてや今の状況では無理と断言できる。


いや正確には平時の彼女なら出来るが、今の彼女は無理だろうと言うべきか。
1ヶ月間まともに休んでない最悪とも言えるコンディションの彼女には不可能だ。魔法二つの同時行使はかなり体に負担が掛かるのだ。


それでも彼女は走る。走る。走る。ただひたすら走る。肺が限界を超えようとも、足が悲鳴を上げようが、少しだけ取り込んでしまった魔力素の影響で
砕けそうになろうとも彼女は走る。アリシアの無事を願い走る。至る所で爆発が起き、火災の煙が上がり、助けを求める声が耳に入ってくるがそれら全ては無視した。


信じてもいなかった聖王教会の聖王に祈りを捧げ、角を曲がり、倒れた研究員を何人か踏んづけて娘の部屋に向かう。
しかし次元世界に神は居ないのだ。聖王なる存在も神聖化こそされど、所詮は肉体改造を施された強化人間。人の願いを叶える力などありはしない。



「あ……」


アリシアの部屋の前まで来たプレシアが生気の無い声を上げた。
アリシアの部屋は完全に汚染された魔力に満たされていたのだ。そればかりか、中は火災が発生しており、有毒の煙が部屋から上がっていた。
燃える。燃える。家族の写真が、アリシアに作ってあげた花輪が、あの人の残した形見が、何よりアリシアが――壊れる。


「あ……ぁああああああ!!!!!」


耳をつんざくプレシアの悲痛な叫びが施設に響いた。













邪魔だった建物の屋根を突き破り、『アルゴ・レルネー』を見渡すように立ち上がった『鎧』に一つの動きが起きていた。
人間で言うところの胸にあたる場所の装甲に縦に切れ目が入ったかと思うと、そこを基点に胸が二つに「開いた」のだ。


そして中から神に供物を捧げる祭壇とも、歌手が歌うステージとも見える純白の巨大な物体が眩いばかりの光とともに現れる。
鎧の上部にある白い二つの点を眼とするならまるで人間が口を開いて、喉の奥から祭壇を吐き出したようにも見えなくもない。



祭壇の表面に白い線が走ると、今度は祭壇が上部に競りあがっていく。1段、2段、3段、4段、5段、6段、計6段。
上に行くたびに幅などが小さくなっていくその様は例えるならまるでウェディング・ケーキだ。
純白のウェディング・ケーキにも十字の切れ目が入り、中の存在を外に出すべく4つに分離する。
4つに分かれた祭壇の中央から先ほどよりも一層眩い光が放射され、暴力的な光は雲で覆われた辺りを強く照らしつくす。


4つに開いた祭壇の中から一つの小さな人間だいの大きさの“影”が浮かび上がってくる。
それの輪郭は揺ら揺らと不定形にぼやけており、人が持っている生気が一切感じられない“影”だ。
全身には壊れたTVが映すようなノイズが絶え間なく走っている。
ただ、顔に在る3つの紅い眼らしきものがギラギラと恐ろしく輝き、不気味な存在感を示していた。


まるで地獄の炉の炎のようなそれらがギョロっと動き、崩壊していく『アルゴ・レルネー』を見下ろす。
そのまま観察するようにじぃっと世界を見下ろして、次いで首を傾げる仕草をする。


――知らないのに、知っている世界だ。


“影”は今不思議な感覚に陥っていた。自分はこんな場所、以前来たことはおろか、見たことも聞いた事もないのに知識として知っている。
そんな何とも言えない感覚。こんな感覚は始めてだ。


この“世界”の名前は『アルゴ・レルネー』“時空管理局”の法では第48無人世界に指定されている世界。
影がまた首を傾げた。「世界」? 国ではなくて? それに管理局……? いや、自分は何故か知っている。




“時空管理局”現在自分の居る世界とその周辺の世界を束ねている組織。主な組織の目的は各管理世界の文化管理、災害救助、古代遺産ロスト・ロギアの回収と保管――。
危険度は現時点で最低。しかし成長の余地は大いにあり。主な主戦力は魔導師と呼ばれる人間兵器。危険度は最低から低。



“影”がその手に見える部位を顎の下に持ってきて、更に考え込む。
PCのように頭の中で検索すれば直ぐに答えが出てくるのが楽しくなってきた。
そのまま吸収した思念が記憶していた記録を貪欲に漁り始める。



“ロスト・ロギア”主に過去に滅んだ進んだ文明から流失した特に発達した技術や魔法の総称。時空管理局が保管、管理をしている。


“影”が、おや? と思う。自分達より遥かに進んだ文明の遺物をどうやって管理するのだろう? と。
下手をすれば取り返しのつかない事になるのではないか? そもそもそれは墓荒らしなんじゃないか?



……。


まぁ、それは今のところ置いておいてだ。


自分の背後で凄まじいまでに存在感を示す『鎧』に音もなく振り返る。そして口を動かしたつもりだった。
実際は口は動かず声だけが出た。それも、深く低い威厳と禍々しさに満ちた男の声で言おうとした事を言う。


『お前は……?』


不思議と恐怖は感じない。それどころか頼もしさを感じる。まるで歴戦の戦士や最強の騎士が忠実な味方になったかのようだ。
それにこうしてみると、中々に愛嬌のある外見をしているじゃないか。


『鎧』は何も言わない。ただ肉声での返事の変わりに『器』に情報を送るだけだ。
それも無駄な情報は送らず、只一言だけ“影”の脳内に機械音声が響いた。



――ゴメイレイ ヲ マスター。


『……』


“影”が肩を竦める動作をした。まるで機械と話している気分だ。いや、事実機械の様なものなのだろう。少なくとも生物ではないのは確かだ。
纏っている灰色の煙がモワァと広がり、辺りに更に高密度の魔力素が撒き散らされ、更に汚染された。


『ところで……』


自分の名前が思い出せない。どんな名前だったろうか?
そもそも自分は男? 女? 特に大きな意味はないが、自分の名前が判らないと言うのは中々に不便だ。主に人間関係などで。
あーでもない、こーでもないと自分の名前を思い出そうと奮闘するが、全くの無駄だった。全然出てこない。






不意に炎に埋め尽くされている地上で紫色の光が爆発した。次いで雷鳴のような轟音が響いてくる。
ビリビリと衝撃波が“影”まで届く。


そして凄まじい速度で小さな何かが自分を目指して突っ込んできてるのが“影”には判った。
アレは――? “影”が3つの燃える眼を凝らしその物体を観察する。


“プレシア・テスタロッサ” 直ぐに飲み込んだ思念から情報が引き出され、詳細なデータが頭の中に流れ込んでくる。
魔導師ランクSS++、二つ名は大魔導師、そして私の優しいお母さん――。


そして更に詳細な、いや、正確には絶対の運命に描かれた“これから”彼女が辿るであろう道までもが鮮明に流れ込んでくる。
プロジェクトF……人工生命体……フェイト……願いを叶える石……アルフ……時の庭園……リニス……アルハザード……アリシア……死者蘇生……過去への回帰。


他にも正直意味が判らない単語が出てくるが、今はそれを全て無視しプレシアに意識をもう一度向ける。直ぐに情報の流れ込みが止まった。
そして“影”の優秀な視力は確かに捉えた。



血の涙を流し、鬼気迫る表情で自分を殺しに来る大魔導師の顔を。
それを直視してしまい、思わず“影”は一瞬身を竦める。
その一瞬の隙に彼女は『器』に肉薄し、『鎧』の攻撃範囲から脱出する。


そう、ここでは近すぎてプレシアを攻撃できないのだ。下手をすれば『器』を巻き込むから。
『器』を格納しなければ攻撃は無理だ。そしてプレシアはそんな時間を与えるつもりは無かった。


「ヒュゥゥゥゥウウドラアアァアアアアアアアァアアア!!!!!!」



血雫の涙を流しながらプレシアが吼える。既にリンカー・コアへの負担など気にも掛けては居ない。
全身からミシミシと嫌な音が響いてくるがそんなの問題ではない。彼女は本当の意味での自分のもう1つの命を失ったのだ。


ただ眼の前のこのロスト・ロギアを破壊できればそれでよかった。アリシアが死んだ。アリシアが死んだ。
私のせいで。私がこのロスト・ロギアへの誘惑に負けて死んだ。私が殺した。あの人の忘れ形見を。


だから、私がこのロスト・ロギアを壊してやる。エネルギーが暴走しようが関係ない。次元断層が起きようが関係ない。
次元世界全てが因果地平の彼方に消し飛ぼうが関係ない。コレは破壊する。私達を破滅に追い込んだコイツは絶対に破壊してやる。


八つ当たりだろうが何だろうが知った事か。



既に狂気の領域に片足を突っ込ませたプレシアがリンカー・コアを限界を超えて活動させ、超高密度の魔力素を貪り、魔力を補充する。
リンカー・コアが耳障りな悲鳴を上げるがそんなもの今の彼女には意味を成さない。ただこのヒュードラを破壊する。それだけを目的に動いているのだから。



許容限界を超え、今にも身体を突き破ってしまいそうな魔力を大魔導師と呼ばれる程の技術で操り、プレシアが術を行使する。


「アルカス・クルタス・エイギアス。煌めきたる天神よ。いま導きのもと降りきたれぇ!
 バルエル・ザルエル・ブラウゼル。撃つは雷、響くは轟雷。アルカス・クルタス・エイギアス!!」


  
【サンダー・フォール】


直径数百メートルに及ぶ極大の魔法陣が幾つも展開され、其処から一つ一つが数十万A、電圧は大よそ数億Vというとてつもない
力が篭もった稲妻が幾筋も放たれる。
本来は集団で魔力を合わせて発動させる大魔法。魔力で天候を操作し、自然現象としての雷を対象に当てる術。
今のプレシアの魔力で放たれたソレは管理局の戦艦さえも落とせるであろう。


紫の狂気が雷鳴を伴って“影”を滅ぼさんと襲い掛かる。
大気中のチリが稲光に触れる度に燃え上がり、火花を上げ、消し飛んでいく。


――ボウギョフィールド ヲ テンカイ シマス。


『鎧』が『器』を守るために防御領域を多重展開し、戦艦さえ落とす力を秘めた稲妻群を難なく空間操作で捻じ曲げ、防ぐ。
プレシアの行動は早かった。稲妻が防がれると見ると、すぐさま新たな魔法を唱え、瞬時に行使する。
それも一つではない。幾つも同時にだ。身体が軋み、喉から血が込みあがってくるが、そんなこと気にも留めずにプレシアは術を行使する。



「アルカス・クルタス・エイギアス。疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ!
 バルエル・ザルエル・ブラウゼル。フォトンランサー・ジェノサイドシフト!!」



彼女の前に1000を超える魔法陣が現れ、それぞれ一つ一つから最高位の魔法が降り注ぐ豪雨のように容赦なく乱射される。


【フォトンランサー・ジェノサイドシフト】



万を超える数の紫の狂気が込められたフォトン・スフィアが出現し、それら全てから毎秒7発という恐ろしい速度でフォトン・ランサーが撃ち出される。
一発一発の威力が限界まで酷使されたリンカー・コアの影響で今やAAランク魔導師の全力の砲撃と大差ない威力のランサー、それが数十万発、全てが“影”に向けて
惜しみなく叩き込まれる。普通の人間相手ならまず間違いなくオーバー・キル確定の技だが、合計百万を超えるフォトン・ランサーの魔嵐を『鎧』の
防御フィールドは耐え切っていた。全ての狂気の光槍を空間ごと捻じ曲げ軌道を逸らし、障壁で弾き飛ばし、無効化していく。



しかし、まだプレシアの攻撃は終わっては居ない。全身からの警告を無視し限界を超え、術を行使する。
正真正銘の全力の攻撃。これが通じなければ後はない。


「アルカス・クルタス・エイギアス! 偉大なる神の武器!! 巨人殺しの槌よ!!
 バルエル・ザルエル・ブラウゼル!!! ミョルニル!!!」


詠唱の終了と同時にプレシアが血を吐いた。しかしそんなもの気にせずに狂気と憎悪に満ち満ちた目で眼前の“影”を睨みつける。
心なしか、相手が怯えているように見えた。関係ない。壊すだけだ。カビの生えた遺物など消し去ってやる。


プレシアの手に限界以上に酷使されたリンカー・コアから生成された魔力が集まっていく。
そればかりか、『アルゴ・レルネー』中のありとあらゆる魔力素がかき集められ、一つの形を成す。

それは槌。巨人を殺したと言われる槌。神を殺そうとする今のプレシアが持つに相応しい武器だ。



【ミョルニル】




禍々しい色を放つ憎悪と狂気が篭もったソレをプレシアが振り上げる。バチリ、バチリ、不気味に、静かに帯電するソレは存在するだけで
小規模の次元震を引き起こしているかの様な錯覚を与えられる。そしてソレを手にするプレシアの目は既に人の眼ではなかった。
子を理不尽に奪われた彼女は既に完全に壊れている。ここに居るのは――魔人。



「壊れろおぉおおおおお!!」


腕の筋肉が引き千切れる音が聞こえたが無視し、思いっきり【ミョルニル】を防御フィールドに叩き込む。
“影”が自分をその紅い眼で見ているのがプレシアには見えた。憎悪が湧いて来る。更に【ミョルニル】の出力があがった。


強大な力のぶつかり合いが次元にも影響を及ぼし、小規模の次元震を引き起こし、『アルゴ・レルネー』全体を揺るがす。
しかし、割れない。硬い。硬い。かつてベルカとミッドチルダ両軍の攻撃をいとも簡単に無効化した防御フィールドは余りにも硬かった。


「何で……割れない、のよぉ……!」


彼女の口から憎悪と屈辱に満ちた声が漏れる。大魔導師と呼ばれた自分が命を削って行っているのに相手のフィールドも破れない。それがあまりにも悔しかった。
屈辱だった。娘の命を奪った間接的な原因に攻撃を当てることはおろか、触れることも出来ないことに。


と。また“影”の紅い眼と眼があった。まるで深遠を覗き込んだ気分になったプレシアの耳は確かに捉えた。
その全てを嘲笑っている白い耳元まで裂けた口から声がしたのを。



『やめてくれ。プレシア』


もう会えない、聞くことも出来ないあの愛しい人の声を確かにプレシアは聞いた。酷くエコーが掛かってはいるが確かにあの人の声。
そもそも夫の声を聞き間違えるはずが無い。


「……え?」


プレシアが思わず一瞬だけ気を抜く。それが致命的だった。次の瞬間彼女の身体は崩壊した。
リンカー・コアが遂に暴走し、魔力が制御できなくなったのだ。身体を突き破るように魔力が至る所から噴出す。



【ミョルニル】が崩れ、爆発する。それに巻き込まれ、プレシアは大きく吹き飛んだ。
咄嗟に何とか結界を張ったが、それを最後にプレシアは気を失った。そしてそのまま『アルゴ・レルネー』に墜落していく。






“影”は安堵していた。ただ自分は外に出たいと願っただけなのに、あんな恐ろしい女に殺しに掛かられ、気が動転しない者は居ないだろう。
内心防御フィールドがいつ割れるか心配で気が気でなかったのだ。


咄嗟の機転で検索で探し出した彼女の親しい人物の声で話しかけ、彼女の注意を逸らした隙に『鎧』の中に逃げようと画策していたのだがその必要も無くなった。
それはそうと、アレは一体誰だったんだろうか。余りにも急いでいたから詳しい情報は取り込んでない。
あの驚きっぷりから察するに家族か何かだろうか?



しかしと、“影”がもう一度『アルゴ・レルネー』を見渡す。其処には地獄が映っていた。炎が地上を焼き尽くし天は灰色の瘴気で覆われ、次々と命が失われていく。
これを地獄といわず何と言う?しかし散った命は全て『鎧』が回収している。



そんな光景を見ているのが嫌で“影”は身を音もなく翻し、祭壇の中に戻っていく。後で全ての話をこの『鎧』に聞こうと心に秘めながら。
4つに判れていた祭壇が“影”を格納し、1つに戻っていく。やがて6段だった祭壇が下がり、一枚の板の様になると、今度は黒い装甲の中に飲み込まれていく。
そして、最後に縦に開いていた装甲を戻すと元通り。これで安心だ。


世界の全てが白に塗りつぶされる前に“影”は小さく呟いた。



『“ヒュードラ”?……これでいいか名前』



“影”……いや、ヒュードラにここの研究者だった者の思念の記録が流れ込んでいく。


“ヒュードラ”第48無人世界『アルゴ・レルネー』で発見されたロスト・ロギア。
無限力と呼ばれる正体不明の力を持つ。内部には――。



いや、と。ヒュードラが思考を打ち切る。どうも余計な情報もついてくるな、と。嫌に思いながら。
頭の中にPCを埋め込めば勉強などが楽になるかと以前どこかで考えた事もあった様な気がするが、これは思っていたよりも碌な事じゃない。


頭の中に情報を流し込まれるのはどうも違和感がある。



――ソノウチ ナレマス


最後にそんな機械音声が聞こえた様な気がした。
慣れたくないと、『器』は思った。







[19866]
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/06/27 02:56
『ヒュードラ事件』 新暦39年に第48無人世界『アルゴ・レルネー』で発生した事故。
この世界にて発見されたロスト・ロギア『ヒュードラ』からエネルギーを引き出す炉の実験中に過剰にエネルギーを取り込んだ炉が暴走、爆発。

その結果アルゴ・レルネーに甚大な汚染を齎した事件だ。
この事故のせいでアルゴ・レルネーの動植物の6割以上は死滅。同世界は完全に死の世界に生まれ変わった。
管理局次元災害対策課による調べでは汚染は最低でも千年は残る見通しだ。これにより、アルゴ・レルネーは完全に封鎖。


中略



この事故の原因は管理局次元災害調査部が調べた結果によると

研究者であるプレシア・テスタロッサが上層部の反対を押し切り
無理やりヒュードラの炉を稼動した結果起きた悲劇だということが彼女を雇っている企業から提供された資料で判明している。


これが企業から提供された音声記録です。

これがヒュードラ事件の真実だ! というテロップと共にいいように編集され、プレシアをまるで研究の悪魔と言わんばかりに編集された
会話記録が流れる。背後のBGMがいやらしい演出を加えている。



――そ、そんな! まだまだデータが足りなさ過ぎる!! 今、アレを最大出力で動かしたりなどしたら……


幹部と思わしき、あの眼鏡を掛けた顔色の悪い男性の焦った声。奇遇な事にこの人物の台詞はあの日、プレシアが述べた反論と一言一句違わない。
しかしそんな事を一般人が知るわけない。故に一般人はこの人物を研究に反対した正義の味方だと認識する。


――テスタロッサ君。正気かね? 君は一体自分が何をしようとしているか判っているのか!


プレシアに会長と呼ばれていた老人の焦った声。
奇遇なことに彼もあの日とは正反対の事を言っているのに音声記録はこう記憶されていた。
だが、一般人は彼をプレシアを必死で止めようとした良識を持った人間と認識する。


そして最後に


――いいえ。会長。私は成功しますわ! そして次元世界に名を残す偉大な大魔導師になるのです!!



狂気を含ませたプレシアの声だ。完全に偽りなく彼女の声だ。だが彼女はこんな事を一度も言ってはいない。
しかし一般人はこれを信じる。彼女は研究の悪魔だという印象を植え付けていく。
声などデバイスや特殊な魔法等を使えばどうにかなるというのに……。




次に彼女と共に働いていた者の証言というテロップが流れ、幾重にもモザイクを掛けられた恐らくは男性が耳に障るエコーの掛かった声でマイクに向かって答える。


――プレシア氏はどういう人物だったのでしょうか?


――あぁ。彼女ね。アレは自分の研究の事しか考えてない女だよ。娘さんとも何度か会ったけど、これっぽっちも娘を愛してるようには見えなかったね。
  むしろ……そう。邪魔者みたいに扱ってたよ。きっと夫が死んだ時も保険金が入ってラッキーぐらいにしか思ってなかったんじゃないのかな? 
  夫もかわいそうに。仲間の間では夫は彼女が殺したんじゃないか? とか言われてたよ。怖いねぇ……。
  今回の事故で娘さんも亡くなって、きっと本人は喜んでるだろうね。「これで邪魔な子供が居なくなった」とか言って影で笑ってたり。ハハハハハハハハ……。



中略




この件について管理局は現在重傷を負って入院中のプレシア・テスタロッサ氏が目覚めてから事情を聞く方針だ。
更に彼女は部下を労働基準法を破るほどに働かせ、病院送りにした罪も問われている。
そして管理局は迅速な対応をしてくれた民間企業に感謝を……。



さて、次のニュースですが――。


新暦39年○○月××日のミッドチルダ首都、クラナガンニュースより抜粋。
尚、このニュースは1日だけでも20回近く放映され、ミッドチルダの人間に念入りに刷り込まれていった。










何処でもない世界。辺りは暗く淀み、歪み、見ていると平衡感覚が狂わされ、右も左も判らなくなる世界。
いや、そもそもここに上下左右などないか。ここでソレを問うなど、宇宙で上と下を定義しようとするのと同じくらい無駄な試みだ。


そんな世界に一つだけ大きな存在感を振りまく巨大な物体があった。

完全な球体をしており、表面は生きているかのように蠢いているソレの名はヒュードラと言った。時空管理局が名づけた名だ。
ヒュードラはアルゴ・レルネーを間接的に滅ぼした後、空間を歪めて虚数空間への道を開いて虚数の海に潜り込んだのである。
ここなら管理局もこれない。ゆったりとマスターと対話するには絶好の場所だから。



真っ白な『鎧』の内部の空間。そこに一つだけ不釣合いな一目で上質な一品だと理解できる黒いソファーが設置されていた。
その上に黒い“影”――ヒュードラが堂々と座っており、その紅い三つの眼を目の前に現れた空間モニターに向けている。


『さて……幾つか、いや、かなり聞きたい事があるのだが』


ヒュードラがその白い裂け目から発声し、自身の『鎧』に問う。
彼の眼の前のモニターに文字列が現れ、『鎧』の意思を示す。こちらの方が話すよりも手っ取り早いと判断したのだろう。
そしてそこに文字が表示される。


――何なりとお聞きください。



ヒュードラが何度かソレを読んで頷く。見たことも聞いたことも無い文字だが、不思議と以前から使っているかの様に読めた。
この調子なら恐らく同じように書くことも可能だろう。


『まず一つ。此処は何処だ?』



紅い線で文字が描かれ、解を示す。



――ここは貴方を守る為だけに創られた『鎧』の中です。


モニターに『鎧』の全面図が表示される。頭の無い漆黒色の細長い体躯に複数の白い節を持った翼、そして其処から噴出されるマントの様な輝く灰色の翼幕。
それの胴体の部分が紅く点滅する。横に文字が表示され、此処に自分は居るのだと教えてくる。


ヒュードラが何度か頷き、次の質問をぶつける。不思議なぐらいに頭は冷静だった。



『鎧とは? どうして……私を守る必要が?』


どの一人称を使うか一瞬迷うが、男でも女でも通用する「私」という一人称を使用することにする。
空間モニターに文字が刻まれ、的確に回答する。



――それは貴方が私達の『器』だからです。貴方なくして我々は力を顕現させれない。貴方の消滅は我らが現世への干渉する力の一切を亡くす
  事を意味する。


ヒュードラが頭を傾げる。言われたことの意味は判るが、また新たな疑問が生じたからだ。


『器? 私が?』


――はい。


また少しヒュードラが考え込むが、とりあえずこれだけは聞いておく。


『お前は私に何かさせたいことがあるのか?』



返答は迅速だった。人間には不可能な速度で文字がモニターに書き込まれていく。


――はい。


『何をさせたい?』


一瞬の間も置かずにモニターに文字が表示される。


――使ってください。


モニターに書き込まれた言葉の意味が深すぎて理解できず、ヒュードラが再度頭を大きく傾げる。
使ってとは……? 何を? どういう風に?


そんな彼の思考を読み取ったかのようにモニターに文字が追加されていく。



――力も知識も技術も使われなくては意味が無い。使われない力などただの飾り。誰にも使われない力など存在する価値がない。
  だから使ってください。


それを読み、ヒュードラがまた考え込む。力、知識、技術。これらの単語の意味は判る。判るが……それら全てを持っていると言わんばかりに
自分と語っている存在が何なのか気になった。故にそれを問う。


『……お前は何だ?』


問い掛けに対しての答えがモニターに表示される。


――我々は“まつろわぬ者”と呼ばれる残留思念です。


『まつろわぬ者……?』


モニターの文字が一度消え、再度モニターを文字が埋め尽くしていく。


――知的生命体の多くは身体が生命機能を停止しても、その思念というのは残り、思念には寿命などは存在しません。不滅なのです。
  ある世界ではその思念を再び肉体に記憶などを消去して入れる行為を転生などと呼ぶそうですが、この多次元世界では
  ほとんど行われていません。その結果、何千億も過去から繰り返された数え切れないほどの世界の滅亡と再生の無限輪廻によりこの多次元世界には無限さえも
  超えた数の我々まつろわぬ者が満ちる結果となりました。



ここでモニターが文字で埋め尽くされたので全ての文字が上に移動し、そうして出来たスペースに文字が再び刻まれていく。


――思念は生前の全てを記録しています。力も技術も知識も何もかも。しかし思念単体では基本的に出来ることなど何一つありません。
  精々、小さな物を動かしたりして、人を驚かす程度です。しかしこれは単体の場合の話。
  幾多の意思が同じ方向を向き、力を発現させれば、必然的に引き起こされる事象は巨大になっていきます。
  そしてその無数の意思を吸収統括し、向くべき方向を定めるのが貴方です。



文字が再び上に行き、スペースを空ける。そして文字が再度刻まれていく。


――もう一度言います。我々の目的は使われることです。その属性は関係ありません。善でも悪でも我らにとっては些細な問題。  
  我々の最終的な目的は、貴方を全能の存在にすることだ。そして、全ての時間軸、世界に存在する我々の同類を貴方の元に集めることです。 
  そして我々の手で貴方を本当の神に新生させること。それが我らの最終的な目的。



ヒュードラがその影法師の手を顎の下に持ってきて考え込む。正直、全く実感が湧かなかった。神とか全能の存在を作るとか言われても余りに規模が
大きすぎて全く判らない。というか、途中からモニターの文字の口調が変わっているような気がする。



『“神”……ねぇ。じゃ、私は神になった後、何をすればいい?』


返答は単純だった。モニターの文字が全て消え、簡潔に一言だけ表示される。



――ご自由に。誰も貴方は止められないでしょうから。



思わずヒュードラが噴出す。まさか自由にと言われるは思わなかった。もっと何か大きな事を要求されると思っていた。
耳元まで裂けた白い口の様な模様から聞いた者の魂にヒビが入るようなおぞましい濁った笑い声を吐き出し、身体を大きく逸らして辺りに身に纏っている輝く灰色の煙を撒き散らす。
一しきり笑い終わった後に、燃え上がるような3つの目をモニターに向け、再び自分の力と対談を再開させる。



『最後に一つ。私は誰だ?』



本来ならこの質問を一番先にすべきだろう。しかし既にヒュードラにとってこんな事どうでも良くなっていた。
自分が誰であろうと此処にいるそれでいい。だからこの質問に答えなど期待してはいない。精々解が貰えたらラッキー程度な重要さだ。
『彼ら』の精神的適応は完全に効力を発揮していた。もう彼は前の自分になど興味はない。



だからこんな答えも予想済みだった。


――我らのマスターです。


『そうかい』


たった一言だけ返し、そして話題を変える。
その程度の価値しかないから。既に思考が人間のソレから逸脱を始めている事に彼は気がつかない。


『じゃ、話は変わるけど今は何をするべきだと思う? どう行動するべきかな?』


最終的な目的やら使われることやらは置いといて、現実問題。
今は何をすべきか意見を貰いたくて問いかける。何せ自分はこの次元世界とやらの事をまったく知らないのだ。
知っているのさきほど情報で得られた管理局とロスト・ロギアなどについてだけだ。まずは意見を聞いてそれから動くのは当然のことだろう。



――先ずは貴方を守るために『手足』を増やしたいと思います。


『手足?』


ヒュードラが何を手足に例えているかが判らず言う。
が、直ぐに回答がモニターに表示され、ヒュードラを満足させた。



――文字通りの意味です。貴方を守る軍隊に、貴方のために動く人形、それら全てを手足と表現しました。



『軍隊? 人形? この『鎧』だけで十分じゃないのか?』


主の尤もな質問に彼らの力たる意思は自らのプランを答える。



――確かに直接戦闘に関してはこの『鎧』の力は無敵です。
  しかし、まだ因果律や時空間を限定的にしか操れない状態のマスターでは万が一という事もあります。
  油断と慢心は滅びへの道。かつて我々が観測した中でも最も進んでいた文明の一つであるアルハザードと呼ばれる超文明も
  それが原因で滅び、我らの一部となったのだ。その文明が残した防衛システムを我らの手で再現し、使ってやろう。



また途中から口調が変わってるような気もしたが、それはこの際無視する。
というよりもただ自分達の力を振るいたくてしょうがない様にも見えるが、それも無視。
モニターの文字が消え、その防衛システムとやらの詳細な企画書と設計図の様なものが表示される。


『これは……』


守られる対象であるヒュードラがそのデータに目を通し、思わずその内容に声を出す。
ナイトメア・クリスタルと呼ばれる特殊なレアメタルを加工し
自己再生、自己増殖、自己進化、自己複製、自己記憶の五大要素を兼ね備えた金属細胞を作り出し、それで兵器を作るそうだ。
そして対象の情報収集にはガジェットや傀儡兵と呼ばれる特殊な偵察端末を使用する。


情報を与えてやれば時間こそ多少掛かるが、対象を殲滅するのに特化した形態をとる軍団を作り、それら全てを一つの『鎧』とは別の強力な力を持った機体で統制するという
システムを作りたいとそこには表示されていた。その統率する機体の名はゲペルという。


そして文の最後には許可を求めるイエスかノーかの選択肢があった。イエスを選択すれば今すぐにこのシステムの構築を開始するのだろう。


『イエスと……』


ヒュードラは迷うことなくイエスを選択した。何も自分にデメリットなどないし、むしろ自分を守る為ならまぁ、いいだろう程度にしか思ってはいない。
実際ノーを選択したら後々、この思念たちはうるさそうだとも思っていた。


イエスを指でクリックするように押すと、画面が切り替わり大きく「承知しました」と出て、それも直ぐに消え、モニターは何も映さなくなった。


『それにしても、こんなクリスタル実在するのか……』


イエスを選択したヒュードラが呆れ気味に呟く。そんなご都合主義の塊みたいなクリスタル、確かナイトメア・クリスタルだっけか?
そんなものが本当に実在するのか彼は正直な話疑っていた。

というか、この状況自体が夢みたいなのだが。しかし音が映像が、感覚が全てがコレは現実に自分の身に起きている事だと憎憎しいまでに教えてくれている。
そしてソレを不思議なまでに受け入れている自分が一番怖い。人間は物事に慣れるというが、コレは幾らなんでも有り得ないだろう。


……自分は人間だったのか? ソレさえも判らないがこれも正直どうでもいい。今生きている。それでいい。


今の彼の興味はどこからあんな非常識極まりない性質のクリスタルをどうやって持ってくるかにあった。
軍を作るというからには1トンや2トン何て量では全然足りないだろう。どうやって調達するのだろうか。


と。不意に真っ白だった世界に色が着色される。いや、正確には外の映像を映してるのだ。
虚数空間の歪んだ空間が全面に映し出される。


其処に先ほど聞いた機械音声が流れ、これから引き起こす事象を説明する。


――コレヨリ ゲート ヲ ヒラキマス タイショウザヒョウ………。


何十、何百の数字を機械的に淡々と読み上げていく。天文学的な数の数字だなとヒュードラは思った。というより、何処と繋げるつもりなのだろうか?
ゲートと言う事は当然、扉か何かの類なのだろうし。


輝く灰色の煙が『鎧』の卵から洪水のように溢れ出し、一点に集まり、やがてドーナッツを彷彿とさせる円形の姿を取る。


そして徐々に円の大きさは広がっていき、やがて視界には納まりきれないほど巨大な円にまでとなった。
大きな大きな輪。


――ゲート ヲ ヒラキマス


機械音声が再び流れ、実行の意を表す。
視界に納まれないほど巨大な『輪』の外周に『無限力』とプレシアら研究者に名づけられた力が集まり、円の内部の空間を歪めていく。

そして。


――ゲート テンカイ カンリョウ タイショウ ヲ コチラ ニ テンイサセマス


機械音声が作業の第一段階終了を告げる。ヒュードラが繋げられたゲートとやらに眼を向けた。
紅い三つの眼が捉えたゲートの向こう側に映る色は黒に所々に宝石のような輝きがある。まるで夜空のような色だ。
何となく何処にゲートをつなげたのか予想がついた。


地面が無いはずの虚数空間が揺れる。いや、揺れているのは空間だ。次元震が起きている。
その「対象物」を転位させている影響で次元震が発生しているのだ。


そしてゲートから「対象物」が現れた。


それは一言で表すならば「星」だった。全長1キロを優に超す大きさを誇るヒュードラの卵が砂粒以下の大きさに見えるほど巨大な「星」であった。
地球などと同じく、地面は岩石や様々な鉱物や砂で構成され、自分からは輝かない「星」だ。外部の音声はカットされているのか、何も聞こえない。
その「星」が無理やり転位させられ、ゲートからその一部をこちら側に露出させている。
恒星に比べれば遥かに小さいとは言え、全長はいったい何千キロあるのかヒュードラには皆目見当もつかなかった。


――ゼンチョウ ハ ヤク 3761.7キロメートル デス コノホシ ニハ タリョウ ノ ナイトメア・クリスタル ナド ガ フクマレテイマス。ソレヲ シヨウシマス


『………………』


心を読んだかの様に正確な全長を告げてくる『鎧』に返す言葉もなく、彼らの主たる『器』であるヒュードラは呆然とゲートから現れた星を眺めていた。
星が動かされた光景を見て、まさしく絶句しているのだ。


――コレヨリ “ガンエデンシステム”ノ コウチク ヲ カイシシマス。


『もう……どうにでもなれ……』


何処かやけくそ気味にヒュードラは呟いた声は虚しく反芻した後、消えた。












時空管理局 “本局” 新暦39年 “ヒュードラ事件より、3日後”


時空管理局の本局は次元の狭間に存在する。6方向に種のような形状の支部を伸ばしたそれの全長は大よそではるが30キロ近い大きさを誇る巨大さだ。
この中には一つの大都市が内包されており、常時20万を超える管理局員達が常に駐在している。いや、住んでいるというべきか。


その本局中央部に位置する、管理局員の中でも身分の高い者等が駐在している中央センターの一室に二人の人影があった。
二人ともその特徴的な制服から管理局の中でもエリートコースと呼ばれる執務官という役職に付いている人物だというのが判る。


「悪かったな、グレアム。時間取らせて」


一人の緑髪の男が入れたての熱いコーヒーをグレアムと呼んだ髪をオールバックで纏めた青年の前におく。
どうやらグレアムの故郷の国ではほとんどの人物がコーヒーを水の様に飲むらしい。
事実彼はグレアムがコーヒー以外の飲料物を飲んだ所を見たことが無い。


「一週間の連休から帰ってきたと思ったらいきなり呼び出しか? もう少しリンディ嬢の傍に居てやったらどうだ? コーディ」


グレアムがコーヒーのカップに手を伸ばし、上品な動作で飲む。
そしてその整った顔をしかめる。


「……全く。君は相変わらずコーヒーの入れ方が下手だな」


しかし飲む手は止めない。味わうように、じっくりと飲む。まずいから捨てるという発想は彼にはないのだ。
それは偉大なるコーヒーへの侮辱となるから。


そうして、最後の一滴まで飲みつくす。その間コーディはじぃっと待つ。
コーヒーを味わっている間の友人は梃子でも動かないし、話を聞かないと知っているからだ。


「で、一体何のようかな? もしも娘の自慢なら私は帰るぞ。さすがに聞き飽きた」


「いや、今回はちょっと違う。今回お前を呼んだ理由は他でもない【仕事】の誘いさ」


仕事と聞いてグレアムの眼が細まり、鋭い光を放つ。
それを見たコーディが満足げに笑い、懐に手を入れてファイルブックを取り出し、数枚の写真と資料を取り出す。


そしてソレらをグレアムに差し出す。


「“海”の上層部から進められた仕事なんだが、お前の意見を聞きたくてね。出来れば同行してくれると尚ありがたい」


「……これはロスト・ロギアの探索任務か? 回収優先ではないのか……」


グレアムがペラペラと手渡された資料を捲る。
卵の様な形状をしたロスト・ロギアが映った写真。そしてソレが事故を起こしたから探索して、戻って来いという任務。


そして任務の概要が書かれた資料には回収は出来ればとだけ書いてあった。基本は情報集優先だそうだ。
ロスト・ロギアの名称は「ヒュードラ」どの様な力を秘めているかは一切不明。それ故に多くの執務官は怖くて任務の依頼を引き受けたくないらしい。

そのせいで指揮官が居ない捜査官達は動けたくても動けない状況にあるので、やってほしいと上層部から直々に優秀な執務官であると同時に、高ランク魔導師の
コーディに依頼がきた訳だ。


「ヒュードラといえば、ヒュードラ事件の?」


「そうだな。テスタロッサの馬鹿が欲に眼を駆られて炉を暴走させちまった、あのヒュードラさ」


グレアムが少しだけ考える。引き受けたら恐らくは彼の補佐官の役割を自分がやるのだろう。まぁ、それはいいだろう。
しかし、どうしても一つだけ府に落ちない事が彼にはあった。


「しかしまた、どうして今回に限って私の協力を要求するのかね? 任務の概要を見る限りだと特に困難には見えないが?」


コーディの返事は早かった。ニカっと健康的に笑い、彼は答えた。


「なぁーに。直感って奴さ! 写真を見た瞬間ビビッて来たんだよ、このヒュードラって奴はやばいってね。そんな任務に連休明けで身体がなまっちまった状態で
 行くんだ、少しでも危険性を減らすためにお前に声を掛けたのよ! お前はコーヒー狂だが腕は確かだからな」


グレアムが呆れたとばかりに深く溜め息を吐く。全く、こいつはいつもこうだと言わんばかりに。そして立ち上がる。


「いいだろう。君だけでは確かに不安だ。下手をすれば次元災害を発生させかねないからね君は。私が補佐としてついていってやろうではないか。
 ありがたく思うといい、それで報酬はもちろん――」


「あんたの世界の最高級コーヒー豆を買えってんだろ?」


「判っているではないか」


グレアムがニヤリと笑った。先ほどまでの紳士然とした表情とは違い、野生的な笑みだった。コーディに手を伸ばす。
コーディがその手をがっしりと握った。





[19866]
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/06/27 02:56
そこは奇妙な部屋だった。
いや、部屋とも言えないだろう。


真っ白な世界。何処まで続いているのか誰にも分からない世界。
どんな次元のどんな時間、空間からも切り離され、ここだけ独立した時間が進む世界。

完全に隔離され、何者の干渉を許さない神の居城。たった一つの『器』を守るために作り出され、『器』に全てが支配された空間だ。


そんな何もない世界に一体の人の姿をした“影”が居た。輝く灰色の煙を衣服の様に纏っている“影”だ。
“影”の輪郭は揺ら揺らと不定形にぶれており、身体の表面には白いノイズが絶えず走っている。


“影”の名は『ヒュードラ』と言った。
飲み込んだ思念から自分が纏っている鎧に管理局がつけた名前を読み取り、ソレを直接自身の名にしたのだ。



ヒュードラが紅い溶鉱炉の業火を内包したような3つの眼を自らの握り締めた手に向ける。
手を開くとそこには幾つかのサイコロが掌の中を転がっていた。たった今、ヒュードラによって創りだされたのだ。



不意にソレらを床と思われるところに投げる。白い地面の様な空間をサイコロ達がコロコロと軽快な音を立てて転がる。




――4 3 4 6 1 1 2 5 5 6 


未だサイコロ達は床の上を踊っているというのに、ヒュードラの頭には既に明確な結果が流れ込んでいた。
ご丁寧に何回回転して、どのような配置で停止するという情報まで付属されてだ。



そしてサイコロ達の回転が停止する。



――4 3 4 6 1 1 2 5 5 6



頂点に持ってこられた数字は先ほどヒュードラが「見た」通りの数字。
サイコロの配置も全く同じだ。



サイコロを回収して再び床の上に投げる。



――3 1 2 4 5 3 1 5 2 1



再びヒュードラに流れ込む確定された未来の情報。配置、数字、回転数、回転の向き、その他、その全てが流れ込む。
このまま放っておけば、またこの通りになるのであろう。


しかし今回は違う。これだけで終わらない。



――1 1 1 1 1 1 1 1 1 1



プログラムを書き換えるように、本の内容を修正するように、プロットを作り直すようにその確定された未来を選択し変更する。
配置は縦一列に数字の“1”と。そして回転数、回転の向き、その他全てを詳細に設定。



軽快な音を立てて踊っていたサイコロ達はそのまま自然な動きで設定された通りに動き
決められた通りに回転を行い、書き換えられた通りに全てのダイスが1の面を頂点にし、一列に綺麗に並ぶ。
文字通りの“神の見えざる手”によって未来を決定された結果だ。


『神はサイコロをふらない……か。たしかにつまらないな』


自分が決定したとおりに動いたサイコロを見つめながらそうヒュードラがぼやく。
因果律を限定的とはいえ、操ることが出来る彼にとってこの程度は身体を動かす事と同じぐらいに簡単な事なのだ。
いや、もしかしたら能力ではなく生態なのかも知れない。



もしもここから更に進化して、完全に全ての因果を操れるようになったら、何も未知というものが無くなるのではないか?
ほんの少しだけ恐怖を抱くが、それを遥かに上回るどす黒い期待にそんな感情は押しつぶされていく。


ヒュードラが少しだけ指を動かすと床に落ちていたサイコロが消え、ヒュードラの眼の前に複数の空間モニターが展開される。
空間モニターには何も表示されてはいない。


『解析は終わったか?』


モニターに向けて低いエコーの掛かった声で語りかける。そして一瞬の間をおいてモニターに文字が表示された。



――はい。


満足気にヒュードラが頷くと、それに呼応する様にモニターの画面が切り替わる。
モニターには人の拳程度の大きさのサファイアを思わせる鮮やかな宝石が映っていた。


――通称『ジュエル・シード ナンバー:ⅩⅩⅠ』 鉱石名 次元空間干渉型超高密度エネルギー結晶体 通称『トロニウム』



通称と正式な名称を表示した後、その美しい宝石の内部に存在するエネルギー総量を映し出す。
エネルギーの総量は膨大。正しくその一言に尽きる。


計算の上では内部のエネルギーの数万分の1を引き出すだけで、中規模の次元震が発生し
砂粒一つ程度の大きさでも内部のエネルギーが暴走などしたら最低でも半径百数十キロは空間ごと抉られて消滅するほどだ。
複数集めて完全に稼動させると、人工的に次元を歪める特異点を作り出せるほどのエネルギー量。



半永久機関を造ることも理論の上では可能なこの結晶は正に賢者の石といえる。
それほどまでのエネルギーがこの『ジュエル・シード』の内部には存在していた。


『……ふふ』


報告された結果に目を通してヒュードラが満足げに笑う。本人が気がついているかどうかは不明だが、その笑い声は全てを皮肉ってる様な声であった。
そして思う。いい拾い物をしたものだと。


この『ジュエル・シード』を彼が手に入れたのは必然ともいえるし、偶然ともいえる。
暇を持て余していた彼がとある世界から高エネルギー反応を感知して、21個あったソレの内一つを選択して取り寄せたのだ。


残りの20個はそのまま放置してある。少しだけ因果を見た結果、アレらは後々いずこかの発掘一族に掘り出されるそうなので
手は出さない。その者達の頑張りを無駄にする気は今のところヒュードラには無かった。


……色々と難しいことを言ってはいるが、要はただの気まぐれである。


それに一つあれば解析して、幾らでも複製を作り出せるのでそんなに幾つもいらないのだ。


モニターの前の空間が開いて規格外に巨大なサファイア――ジュエルシードナンバー:ⅩⅩⅠがヒュードラの元に差し出される。
差し出されたソレを関節の無い何処までも伸びる腕を伸ばして受け取る。


そしてソレを両手で覆うように握り締めると拳の内側に力を収束し始める。
掌の内部の時間を無限力で切り取り、そしてソレを複写、コピー、完全な模写。


そして切り取られた空間をもう一度貼りなおす。
コロンと、握り締めた手の内部に「2つ」の感触を感じる。


ヒュードラの紅い三眼が煮えたぎるようにおぞましく輝き、彼の歓喜を表す。



結んでいた手を開くと、そこには予想通り2つのジュエル・シード。共に刻印されたナンバーはⅩⅩⅠ。
完全にコピー成功だ。


2つの結晶を浮かばせ、じっくりと観察する様に凝視する。
そして二つの結晶をもう一度握り締め、コピー。


4つに増えたジュエル・シードナンバー:ⅩⅩⅠを見て満足げに手を叩く。


そして今度は3つのジュエル・シードをコピー。計7つにまで増やす。
一つだけを手に取ると残りのジュエル・シードを見つめて言う。

良い事が思い浮かんだのだ。とても面白い暇つぶしの方法が。
管理局とやらがどの様な反応をとってくれるかがとても楽しみな事だ。


神はいつでも気まぐれで、理不尽なのだ。人間に都合のいい神など人が作りだした偶像の存在ぐらいだ。
本当の神はいつだって自己中心で、理不尽で、気まぐれである。


『この6つのジュエル・シード……“プレゼント”するとしよう』


返答は直ぐにモニターにて返された。


――了解。



何処に? とは聞かない。ある程度は『器』の考えている事は判るからだ。
いま現在『器』が考えている事は彼らにとっても都合がいいことである。
蓄えられた力と知識と技術を使うことが出来、もしかすればソレを次元世界に流出させる事になるかも知れない。


文明が発展すれば、それだけ戦争の規模も大きくなり肉体から開放される思念も多くなる。
技術の発展を助長こそすれ、妨害は『器』が望まない限りは好まない。


なに、都合が悪くなれば全てを消し去る為の手段も内包した実に効率的なシステムだ。
それに軍を作るための資源であるナイトメア・クリスタルも増やせるという、正に一石二鳥といえる。



白い部屋が変異した。純白だった壁も床も天も全てから白が剥がれ落ち、その向こうの空間を見せる。
白に変わって世界を埋めた色は黒。純粋な黒。黒を基調とした世界に『何か』が無数に蠢いている世界。



そしてヒュードラの遥か下には以前引き寄せた星があった。自分からは輝かない直径約3761・7キロという大きさを持つ星だ。
あの星は今、持ち運びするため『鎧』の内部に存在する空間に丸ごと飲み込まれていたのだ。
まさかあのまま虚数空間に放置しておくわけにもいかない。そんな星がヒュードラの眼下で何かに照らされ、輝いている。



そう。この『鎧』そのものが『器』を守る鎧であり、同時に『器』の手足となる軍を生産し続ける動く工場なのである。



しかし球体に近かった星は今、その姿を以前とは大幅に変えていた。ヒュードラの居る場所からでも判るほど
大地は抉られ、クレーターと穴が星の表面を埋め尽くしている。
今も無限力にガリガリと削られつづけ、資源だけを奪われ続ける哀れな星。


そして星の周りにはカブトムシを思わせる人間よりも少し大きい機械の蟲が数え切れない程の数で群れを成している。
この一ヶ月で作り出された情報収集、偵察及び制圧用の無人戦闘機械だ。
水中、空中、陸、宇宙、虚数空間、ありとあらゆる場所で活動可能な非常に高い運用性を誇っている。



この機械の蟲達には一体一体に加工された小さな自立金属細胞ナイトメア・クリスタルが埋め込まれ、
得た情報などを共有し、転位させ、解析する能力が備わっている。


生理的な嫌悪さえ抱かせる外見をした蟲の機械が何万体も星の周りを音も無く飛び回っている光景はいっそ壮大ささえも感じられた。




そしてその蟲達の奥には複数の加工されたクリスタルの塊が情報を与えられるのを待ちわびているかの様に重々しく鎮座している。
主力兵器となる予定の自己進化兵器の待機形態だ。



更にその奥には――。



自身の手足と評された兵器達をぼぉーっと眺めながらヒュードラは何気なく思う。


――戦う所が見てみたいと。


兵器とは抑止などの役目も大きいが、やはり最大の役割は相手を打ち滅ぼす為にある。
平和を守るやら秩序の維持やら幾ら崇高に見える理由を入れても所詮兵器は兵器。
対象を破壊して殺すために存在するのが兵器の、武器の本質なのだ。


少なくともヒュードラはこの兵器群を持ち腐れにするつもりはなかった。
いつかどこかで使ってみようと思っている。


どうせ争いで生命が失われても自分の一部に加わるのだから罪悪感などわくはずもない。
完全に価値観が人のソレとは違うのだ。いや、人も似たようなものか。


戦争のお陰で潤い、喜ぶ者達もいるのだから。
金は命よりも重いとはよく言ったものだ。


『では“プレゼント”を造るとしよう』


勿論ジュエルシードだけではなく、他の技術などもたっぷりと送ってあげる。
さしづめヒュードラからの逆誕生日プレゼントと言った所か。
もう誕生から一月ほどたっているが気にしない。


少々プレゼントを包み込む箱が物騒な気もするが、何、問題ない。
自分が気まぐれを起こさない限りはだが。



だが見返りは大きい。もしもこの“プレゼント”を自分の物に出来たら技術レベルが大きく上がる程に。
出来ればの話であるが。まぁ、管理局にもそれなりの研究者は居るだろう。名も顔も知らないその優秀な研究者に期待しておく。


最も、魔法技術とやらを推奨する管理局がこのプレゼントを受け取ってくれなかった場合もあるが
果たして未知の超技術という誘惑に何処まで耐えられるか見ものである。
解析された技術が何処かの世界に流れて、管理局と他の世界のパワーバランスが変わるのも面白い。


しかしヒュードラには確信があった。絶対に次元世界、いや管理局はこの技術に食いついてくると。
そも質量兵器根絶を謳いながら、自らはそれに近い技術と兵器を持っている組織である。
適当な大儀でも作り上げて、技術を吸収するであろう。


――あえて因果の糸を見てみようとは思わない。知ってしまったらつまらない。



モニターに文字が浮かび上がり、これからガンエデンシステムに次いで作り出されるシステムの名称と
ソレを造ってもいいかを問う旨の文字が表示される。


6つのジュエル・シードによって成り立つ半永久機関を動力源にし、次元転移技術、重力制御技術を始めとした超高度な技術の数々を盛り込み
莫大な量のナイトメア・クリスタルで武装した巨大兵器の創造の許可を求める文だ。








―――文明消去システム『審判者セプタギン』を造りますか?





                                    YES NO



ヒュードラは迷わずYESを選択した。
無限力が新しい力を発揮できる事に狂喜するように不気味な輝きを放った。



















時空管理局 “本局”第9番ドック。 ヒュードラ事件より 約1月後




無数の次元航行船が停留している管理局の港とも言える場所をコーディ・ハラオウンとギル・グレアムの二人は
目的の船に向かって歩いていた。



本来ならもっと早く出発となったはずなのだが、色々と面倒事が起きて思ったよりも出発が遅れてしまったのだ。
その他にも重要参考人であるプレシア・テスタロッサの目覚めと回復を待っていたというのもある。


「しかしどう思うよグレアム?」


不意に若草を思わせる緑色をした髪の男、コーディ執務官が隣を歩いているギル・グレアム執務官に声を掛ける。
それに返事するグレアムの声は何処か不機嫌そうに。


「何についてだ? 主語を入れてくれなければ判らんよ」


「プレシア・テスタロッサの事だよ お前はどう感じた?」


プレシアの名前を聞いてグレアムが顔をしかめる。
二人はヒュードラ事件の調査を担当する者として重要参考人であるプレシアの入院する病院を訪れて
彼女と面会をしたのだがそこに居たのは死人であった。ただ心臓が動いて、脳波が出ているだけの死人。



車椅子に腰掛けた彼女は何を言っても答えず、目は虚ろ。
髪はボサボサで頬はこけて、ガリガリに痩せた身体は骨の輪郭までくっきりと映すほどだ。
医者の話では何度も自殺を試みており、今は半ば隔離状態だそうだ。


それにリンカー・コアもほとんど壊れており、魔法を使用などすれば命の危険さえもあると彼女を担当した医師は言った。


詳しい話を聞くに、彼女は娘であるアリシア・テスタロッサの死を聞くと狂ったように何度も「ごめんなさい」と叫び
近くの窓から身を翻そうとしたらしい。


その後も何度も手首や舌を噛み千切ったり、ありとあらゆる方法で自殺を試みていると医師は疲れた表情で言っていたのをグレアムは思い出した。


今では監視サーチャーを使って24時間体制で監視されている。
妙な仕草をすれば直ぐに取り押さえるためだ。


彼女にはいずれ時空管理局の名の元に『公平』な裁判を受けてもらわなければならない。
彼女に死は許されてはいないのだ。たとえ娘を失って自暴自棄になったとしても、
あの事故で家族を失った遺族のために生贄になってもらわなければいけない。



「少なくとも責任逃れのための演技ではないな。アレを演技で出来るとしたら、アカデミー賞ものだ」


「あか……?」


「気にすることは無い。私の居た世界での賞だ」


「おい」


少し怒ったようなコーディの声にグレアムが首を力なく左右に振る。
そして歩きながら続ける。


「少なくとも、しつこい程にニュースで流れている血も涙も無い女というのは嘘だろうな。全ての責任が彼女にあるというのも怪しいものだ」


「だとすると……」


それ以上を言おうとするコーディにグレアムが手を彼の前に出して待ったを掛けた。
そして彼の前に行き、正面から話す。



「今はプレシアの事は二の次だ。この旅が安全に終わることを祈り、そして職務を果たすことを考えろ。今の私達の目的はロスト・ロギアヒュードラの探索
 事件の真相を調べるのは本局に許可をとったその後だ」


最初は渋るような表情を浮かべていたコーディだったが何度か深呼吸を繰り返すと、深く頷いた。
そして同時に絶対にこの事件の真相を暴いて見せると深く心に誓った。



2人はそのまま目的の次元航行船まで歩いていく。




接触の時は近い。






[19866]
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/06/27 02:58
『ヒュードラ』の鎧、その内部の世界。歪み、よどみ、全ての次元がごちゃまぜになった混沌空間。
その中に囚われた星が削られ、犯され、崩され、資源を奪われる。



取り出された大量のナイトメア・クリスタルの原石が無限力によって情報そのものを直接書き換えられ、
兵器のパーツとして利用できるように形状と能力が加工され、次々と他のパーツに組み込まれていく。


他のパーツも全て存在の情報を書き換えられ、生み出されたものだ。



それは重力を操り、防御領域を展開させる装置であったり、エネルギーを刃に変える剣であったり
純粋な破壊のための砲台など等、全てが武器の類だ、



後は増殖能力を抑えるためのリミッターをクリスタルにつけるのを忘れない。
これを忘れるとナイトメア・クリスタルは際限なくエネルギーを食いつぶしながら肥大を続けるからだ。


次々にパーツをパズルのごとく繋ぎ合わせ、目的の形状、性能を持った機体を作り出す。
人の手で造るよりも何十倍も何百倍も早く作り出されていく。


やがて設計図通りにプラモデルを作る様に手早く一つの機体が完成する。



それは青い塗装を施された巨大な騎士の傀儡であった。



地球という世界の中世の騎士が着込んだ重鎧を再現した様な装甲、
人間で言う所の頭部も細い兜に覆われ、兜にはY字形を太くした切れ込みが入っていた。
当然のことだが、中に人間などは入っておらず、切れ込みのある場所もモニターになっている。


全身の装甲にも何かの回路の様な切れ込みが入っており、まるで騎士が己の存在を主張しているかのようだ。



――『エゼキエル』 ヨテイドオリ カンセイ



機械的な声が淡々と完成を告げる。


ラテン語で『神が強くする』という意味を持つこの機体の大きさは大体5m前後である。
動力原に無限力を使用し、パイロットの代わりにまつろわぬ者の意思を込めた機体だ。


内部には情報収集のためにナイトメア・クリスタルの一部も入っており手に入れた情報を共有する機能もある。
更にこの機体の一番の利点は姿を完全に消し去り、レーダーなどの機器にも囚われないステルス性能であろう。


勿論、隠れずに装備された武装で敵を殲滅してもいい。それだけの性能がこれにはある。
この『エゼキエル』は情報収集から直接戦闘まで完璧にこなせる優秀な機体なのだ。





パチパチ……。



無機質な手を叩き合わせる音が、淀んだ世界に響く。


完成した機械仕掛けの巨大な騎士の前に立った身に輝く灰色の衣を纏う全てのまつろわぬ者を従える主
神の雛とも言うべき存在がその黒く、ぶれた手で完成した騎士を祝うかのごとく拍手をしていた。



足場など何一つないこの世界で、ヒュードラは確かに何もない所に『立っていた』



『誕生、おめでとう』


三つの見るものに邪悪な意思を感じさせる紅い眼を輝かせながら、
ヒュードラが新たに完成した自らの手足の一つに拍手を送る。


騎士や強い存在にあこがれる子供の様に完成したエゼキエルを熱く凝視する。


本来は、これの後継機として性能は幾らか落ちるのだが量産性に優れた機体もあったのだが、
ヒュードラはそれをつくろうとは思わなかった。


コストや資源の問題など自分には無いからだ。
それなのにわざわざ性能の落ちる機体を作る必要もあるまい。


それに何より、ヒュードラがこの機体のデザインなどを気に入ったというのもある。
あの『蟲』や主力兵器に併せて、これも量産する予定だ。



今の所はコレの団を指揮するための『蛇』も作るかどうか悩んでいるところである。




『“セプタギン”に機体の情報は送ったか?』



低く、遠く、身体の芯まで響く声で自らの力に問う。
よほどこの騎士型の傀儡兵を気に入ったのだろう。


―― スデニ



一言、簡潔な答えがヒュードラの脳裏に響く。相変わらずの機械音声だ。
この頭に直接情報や声を送られるのを当初ヒュードラは嫌に思っていたが
今となっては慣れてしまい特に気にはしていなくなっている。



ヒュードラの眼前に空間モニターが現れ、一つの岩の塊を映し出す。
所々にオレンジ色の亀裂が入り、不気味にソレが発光している薄い緑色の岩だ。



この画面に映し出されているだけでは分かりづらいが、この岩の大きさは1キロ近い。



『もう、ほとんど完成したようだな』



―― カドウ テストヲ ナンドカ クリカエシ カンセイデス


この“セプタギン”を動かすのはたった6個の拳程度の大きさしかない小さなジュエル・シード。正式な名前はトロニウム。
それらの持つ超エネルギーで人工的な特異点を生み出し、そこから半永久的に絶大なエネルギーを得てこの機体は動き出し、想像を絶する火力を吐き出す事になる。



俗に“ブラックホールエンジン”と呼ばれる物だ。



これもヒュードラの贈り物の一つなのだが
正直な話、彼はこの技術を時空管理局に解析できるとは思ってはいない。
まぁ、どこぞの誰かが解析してくれるのを期待していよう、程度に思っているだけだ。



そしてこの“セプタギン”を制御するのは、まつろわぬ者の意思ではなく、超高性能のAI――人口知能。
ただヒュードラの意に従う事のみをプログラムされたAIである。



そして彼にとって都合の悪い存在、その全てを消す事も“セプタギン”の使命。


『……』


ヒュードラがモニターを消し、ぐるりと首を360度回して混沌とした辺りを見渡す。
数え切れない蟲の機械達に、既に量産体勢に入ったのか『エゼキエル』が騎士団を作るのかごとく大量に生み出されていく。


それらを見て、ヒュードラは焼き尽くすような歓喜を覚える。
早く、この『力』をどこかで使ってみたいと激しく感じた。



――と。



『うん?』



ヒュードラが不意に明後日の方向を見て、首を傾げる。
3つの紅い眼を細め、人間で言う何かを考える表情に近い貌をする。


彼の因果支配能力及び空間支配能力が、未だ未完成とは言え、正真正銘神の領域であるその力が彼に告げる。
自らに迫ってくる者の存在を。客の存在を。自分に近づく因子の存在。



『………』



ヒュードラが低く、重く、嗤う。
丁度笑い終わった瞬間を見計らったのか、彼の前にモニターが展開され、独特な形の次元航行船が映し出される。




そしてその下に小さく文字が書かれていた。
飲み込んだ天文学的な数のまつろわぬ者達の思念から蒐集された記憶が記録となったものだ。




―― 時空管理局 L級艦船第一番艦 名称 『オリヴァー』



そして更に下に文字が追加される



―― 『ガンエデンシステム』 カナフ ケレン ザナヴ 完成。ご命令を。


















時空管理局の最新鋭の船、L級次元空間航行艦船『オリヴァー』は現時点の時空管理局の技術の粋を集めた船だ。

形状としては二本の剣を平行にドームに取り付け、空を飛ばせているといった所である。



全長170mという巨体には最新鋭の超大型の魔道炉心、そして予備の二基の大型魔力炉が搭載されており従来の艦船よりも大幅な出力の上昇を期待されている。
船の至る所にAAAランク魔道師の砲撃に匹敵する魔力のレーザー砲塔が配置され、死角らしい死角はない。



(あえて死角をあげるとすれば、二本の『剣』の間である)



防御装置にも魔力を利用した大型の結界発生装置が幾つか搭載されており、並大抵の攻撃では艦に傷一つ入れることさえ出来ない。

当然だ。幾ら高ランク魔道師といえど、生身の人間に船を沈められなどしたら、管理局の面目も一緒に沈んでしまう。



このL級次元空間航行艦船にはオペレーターや通信士、整備士などは勿論、医療班や捜査スタッフ、武装局員も40名近く乗せることが出来、
尚且つ、それだけの人数の腹を1ヶ月近く満たすことが出来る食料なども搭載することが出来る。


搭載された次元転移装置は、40名の武装局員を速やかに転移、回収可能だ。


艦載機運用も可能で、ヘリなども搭載可能。



尚、次元航行艦と言われてはいるが、スペック上では、大気空間や宇宙空間でも問題なく航行可能である。


そして何よりもこの船の特徴は大戦時代の遺物であり、現時点で管理局最強の火力を持つ魔道砲「アルカンシェル」を
装備することが出来る点であろう。


この船の登場前までは特殊な専用の船と、それをサポートする数隻の艦を用いて長い時間を掛けなければ撃つことが出来なかった
アルカンシェルを、たった1つの艦が撃つことが出来るというのは革命に近い。



放たれれば、発動点を中心に半径百数十キロに空間歪曲を発生させ、対象を物質的に消滅させるアルカンシェルは文句なしで最強の武装である。
これにより管理局は更なる迅速性と破壊力を持ったことになる。


時空管理局の次期主力艦と期待されているこの船は当初世論に「質量兵器と変わらないのでは?」と言われ、製造が中止になりかけた
事もあるが時空管理局、本局の頂点であり、管理局の産みの親とも言える次元世界平定の英雄『最高評議会』の三人の一人が


「力とは使う者によってその顔を変える。悪が使えば災いを振りまき、善が使えば平和と秩序を齎す。
 我々管理局は貴方達を全ての災厄から守るために力を欲するのです。そのためにどうかご理解をいただきたい。
 この次元世界にはかの『闇の書』を始めとした未だ見ぬ脅威が潜んでいるかもしれないのです。我々はそれに負けることなど許されない」



という言葉から始まる1時間にも及ぶ大演説を既に100を超える年齢のその身に鞭をうって全管理世界に同時放送をし、理解を求めたことにより
一応は反感の感情も表面的には収まりを得た。


全身に延命の器具を埋め込み、半ば機械人間になってまで次元世界を守護しようとするその姿に心を揺さぶられた者も少なくは無い。



それにより、この『オリヴァー』を筆頭に第一生産として二十隻のL級艦船が製造、運営されている。
第二生産として現在、新しく五十隻が製造中だ。



幸いな事に前回の『闇の書事件』から十数年、今の所大きな事件は無く、アルカンシェルが使われたことは無い。






そんな管理局の技術の結晶とも言える白いL級次元空間航行艦船が静かに、淀んだ次元の海を航海していた。
既存の高速艦よりも素早く、次元の海を征くその姿は管理局の最新鋭の船の能力の高さを示している。











「この船の性能は認めるが、この色は何とかならないものか?」



「いきなりどうしたよ? グレアム」


『オリヴァー』の艦内通路、ブリッジに繋がる廊下を歩きながらグレアムが不満を漏らす。
いきなりのその発言にグレアムの隣を並んで歩いているコーディが言う。


彼らが歩いている廊下の色は白。何処まで行っても白。ほんの少しだけの暗がりを残した完全な白。

……L級航行船の内部は食堂などを除き、全て真っ白だ。




「まるで精神患者の隔離病棟に居る気分だ。寝るときもアイマスクが手放せんよ」



両肩に使い魔の小さな子猫2匹を乗せたグレアムが白く発光している通路の壁を睨みつけながら言った。
その眼の下には黒い隈が出来ており、彼がよく寝つけてないことを意味している。



「まぁ……たしかにこの病的な白さは精神に悪いかもな。今度にでも“海”の意見箱に入れておくとするか」



ヒュードラ事件のあった第48無人世界『アルゴ・レルネー』は本局、及びミッドチルダからかなり離れているため、必然的に航行距離も長くなり
艦内で暮らす時間も長くなる。その状況でこの艦内の色はかなり辛いだろう。


それでもプレシアを雇っていた企業の最新の高速艦でも7日以上は掛かる距離を、この『オリヴァー』は4日たらずで到着することが出来る。
異常な速度だ。管理局の次期主力艦というのも頷ける。



ハァと憂鬱気な溜め息を一回漏らした友人であり、今回の相棒であるグレアムの顔が直ぐに『執務官補佐』の顔に変わるのを見て、
コーディも直ぐに思考を変更する。



「グレアム補佐官、もう一度今回の任務の概要を確認する」



歩きながら隣のグレアムにコーディが問う。グレアムがすらすらと答えた。


「第48無人世界アルゴ・レルネーの周囲の次元の汚染などを調査し、ロスト・ロギア『ヒュードラ』を探索。発見した場合は刺激を加えずデータを採集後本局に帰還。
 発見できなかった場合はアルゴ・レルネーにサーチャーを派遣し汚染の具合を調べた後、ヒュードラの研究所を探索、データを採集……これでよろしいですか?」



「よろしい。それと、ヒュードラを発見した場合も第48無人世界の研究所は探索する。いいな? 上層部はヒュードラの詳細を望んでいる」



「はい」


グレアムが頷き敬語で答える。仕事中はこういう関係だ。
そして二人はブリッジの扉を開けた。自動扉が軽い機械音と共に左右に開く。







L級次元空間航行艦船のブリッジはそれなりに広い。ブリッジの中でテニスぐらいなら出来るぐらいだ。
このブリッジは先ほどまでの白に加え、壁や床にメタリックな塗装が施され、最新鋭の機材などが設置されている。


様々なスタッフが所定の位置に就き、自らの役割を最大限に果たしている。
このL級艦船を動かすのに必要なスタッフ達だ。




ブリッジの前面は巨大なモニターが設置されており、様々なデータがそこに映し出されている。

画面に表示された『オリヴァー』の現在地点は第48無人世界まで後数分という所まで来ていた。



「お疲れ様です。カロッサ提督」



コーディがブリッジの上部に存在する艦長の席に腰掛け、巨大なモニターに次々と表示されているデータを無言で
見ている初老の男に敬礼をし、挨拶をする。グレアムもコーディの後ろで敬礼した。


挨拶をされた初老の男――この船の艦長であり、今回の航海の責任者であるカロッサ提督がその鋭い眼で二人を見やる。
そして重々しい声で。



「執務官殿、後3分でアルゴ・レルネーの次元領域に到着する。準備はよろしいかな?」



「はい、分かっております提督。サーチャーを始めとした調査隊の準備も済みました」



「よろしい」



それだけを言うとカロッサは手元にある端末に眼を落とし、そこに流れ込む情報を再び見始めた。膨大な量の情報を速やかかつ的確に把握していく。
執務官とその補佐である二人も他のスタッフに迷惑を掛けないよう、用意された専用の席に腰掛けてじっとアルゴ・レルネーに到着するのを待つ。



ブリッジが沈黙に包まれ、コンソールを操作するカタカタという無機質な音がやけに響く。




「艦長。よろしいですか?」



「何だ?」



突如、スタッフの一人が声を上げ、沈黙を破る。
カロッサがそれに答えると声をあげた彼が端末を弄り、彼に情報を送信する。



「……ほぅ」


カロッサが彼には珍しく、送られてきた情報に対して反応を示す。
そんな彼に情報を送ったスタッフが続けた。



「次元のデブリかと思いましましたが、熱量を持ち、何より動いているのです」



「……質量兵器か? ・・・・・・・このデータを解析してくれ、形状から何か分かるかもしれん」


「分かりました」




「提督? どうなされたのですか?」


勝手に二人で話を始めた提督にコーディが聞いた。
こちらにデータは転送されていない以上、何を話しているかが判らないのだ。



「これをどう思われる? 執務官殿」



カロッサが情報を二人の居る場所に設置された端末に送る。
手元の端末を操作し、送られてきた情報を見たグレアムが一言。



「蟲だな まるで」


「そうだな」



送られてきたデータ、艦のレーダーが捉えたアルゴ・レルネー付近の次元領域に夥しいほど存在する熱量を持った
何かの影の形状を見て二人は思わずそう言ってしまった。



鮮明な写真などではないため、判りづらいが、シルエットだけといえる画像でも、この影の形は甲虫に近い姿をしており、
二人がこう言うのも意味はない。97管理外世界出身で、甲虫を知るものが居れば「カブトムシだ!」と言ったかもしれない。



ちなみにグレアムの出身は97管理外世界『地球』ではあるが彼はカブトムシに馴染みの深い『日本』ではなく
『イギリス』という国家出身のため、カブトムシの存在を知らない。



しかし、レーダーに捉えられたこの『カブトムシ』その大きさが異常である。
データが正しければ大の大人よりも大きい。しかもソレが次元空間を飛び回り、熱量を持っている。


コレをデブリなどと楽観視する気分にはなれなかった。



……召喚魔法などで呼び出された召喚獣の可能性もあるが、データの上では魔力は感じられないとのことだ。




「これは……」


ディスプレイに眼を落としていたコーディが言葉を続けようとした瞬間




―― 危険 危険 高エネルギー接近  高エネルギー接近 自動防御システムを稼動させます ――




警告音が鳴り渡り、オリヴァーに搭載されたインテリジェントデバイスの技術を応用して造られた人工知能が
艦に迫る危機を誰よりも早く察知し、艦に備えられた大型の結界発生装置に大型魔力炉から大量の魔力を供給。


艦内に設置された複数の結界発生装置が羽虫の羽ばたきのような、不気味な音を立てて起動し、役目を果たす。



最初は一枚、次に送れて二枚、三枚、最終的には七層の高密度魔力障壁をオリヴァーを覆うように発生させ、魔力的、物理的破壊から
船体を守護し、ありとあらゆる破壊を拒絶。




直後、オリヴァーの船体に激震が走った。



ブリッジのモニターが真っ白に閃光に塗りつぶされ、あたかも局地的な大地震が発生したかのごとく船内は振動し、
乗組員は手近な物に捕まったり、結界魔法を発動させたりし、難を逃れようとする。



バリバリというガラスに皹が入っていく不気味な音と共に艦は揺さぶられ、やがて、その振動も収まる。



「な、何だ! 今の振動は!!」


「攻撃を受けたのか! どこからだ!!!」




「直ぐに被害を調べろ! 艦内のクルーにも連絡を取るんだ!!」



「艦の自動防御システムが作動したみたいだ! 結界は何枚か壊れたが、艦自体に損傷なし!!」



「攻撃は11時の方向から……」



ブリッジのスタッフ達が慌しく振動の原因と艦の損傷を調べていく。
パニックに陥ったりせずに、迅速に行動するのはさすがと言えよう。
しかし、それでも少しだけ動きが荒いのは仕方ないだろう。





「被害を報告しろ」



あの振動の中で顔色一つ変えず艦長の椅子に座り、全く動揺せずにいたカロッサが部下達に冷静に指示を出す。
指揮官のその冷静さに我に返ったのか、ブリッジのクルー達も大分落ち着いた様子で返答する。



「……結界は七層の内、四層までが破壊され、同様に結界発生装置も半数がオーバー・ヒートを起こしており、現在は整備班が向かっています。
 艦内の被害は特になし。食堂、資材倉庫、医療室、機関部、そして探査班の待機所、これらの場所でもけが人などの被害はないとの事です」



「よろしい。攻撃を加えた存在を見つけたか?」



「いえ、何処を探しても攻撃を加えた存在は見つかりません。ただ……
 何処からあの閃光が飛んできたかはオリヴァーのAIが記録していたようです」



「そうか、ならばその地点に射撃を加えよ。これは正当防衛だ。諸君らが気に負うことは無い、上層部には私から言っておこう」



「了解」



命令を受けた火気の管理を請け負うクルーが手元の端末を操作、魔力炉から幾つかへの砲塔へ回路を開き魔力を充填。
記録していた箇所に向け、魔力による砲撃を行う。



オリヴァーの各所に配置された複数の砲台の内、数門の砲塔が動き、砲口に魔力を収束し純粋な破壊力に変えたソレを一気に解き放つ。
真っ白な魔力色のそれは狙い通りに予定地点に到着し――。



「!」


突如紫色の力場が発生、白い破壊の光が押しとどめられる。まるで何かを守っているようだ。
管理局の者は知る由もないが、この力場を発生させている装置の名前は『G・ウォール』という名称で、重力操作を防御に転用した技術である。




カロッサの判断は早かった
攻撃力が足りないならば補えばいい。
経験に任せて彼は指示を出す。



「第二射撃て。あの地点だ。外すなよ」


「は!」



直ぐに他の砲塔が動き、続けて魔力砲を発射。
紫色の壁は耐え切れなくなったのか、白い砲撃に引き千切られる様に壊され、強大な破壊の力を秘めた魔力砲はその先にある『標的』に命中。



次の瞬間、爆発。衝撃が次元空間を揺るがせた。
爆風が飛び散り、魔力砲の威力を物語る。



さきほどの閃光に匹敵する白光がモニターを埋め尽くす。



――オォオオオオオオオオオオオオオ……。



瞬間、艦にいる全てのクルーがその『声』を聞いた。
聞いてしまった。



底知れない。
暗く、深い、闇の深遠から吹き付けてくるおぞましい声を。



唸り声にも聞こえるし、怨嗟の声にも聞こえるソレは聞いてしまった生ける者全ての気力を削る。
生物の根源的な恐怖を煽り、増幅させる力がある声だ。


生物である限り、恐怖に抗うのは難しいのだ。




「悪い予感はしてたんだがな……」



コーディがモニターを凝視しながら誰にも聞こえない様に呟く。
こんな事なら遺書でも書いておけばよかったと思いながら。



画面を占領していた煙が消え去り魔力砲の暴虐に晒された『標的』の姿が顕になる。




身体の半分を抉られ身体の至る所からスパークを吐き出しながらも、
どこか生き物染みた存在感を持つ機械仕掛けの青騎士がモニター越しに
オリヴァーのスタッフを確かに『見ていた』



―― 警告 警告 警告 艦付近に転移反応あり 数 98 ――



オリヴァーの人口知能が間近に転移してくる存在を感知し、うるさく警告音を鳴らす。



艦を取り囲むように多数の管理世界では誰も見たことが無い魔法陣が展開され、そこから複数の機械の『蟲』が現れる。
溢れる敵意を隠そうともせずにだ。蟲の羽の付け根辺りに埋め込まれた宝石が光を放ち、艦を揺るがした。




人として当然の確かな恐怖を覚えながらも、それを胸中で踏み潰し、カロッサが指令を飛ばす。





「残った結界発生装置を全て作動! 及び全砲塔を稼動させろ! 結界装置の修復も忘れるな!!」




恐怖に屈せずに激を飛ばすその姿にブリッジのクルー達に生気が戻り始める。

そして直ぐに自らの仕事に取り掛かり始めた。


「了解」



「ただちに!」



慌しく指揮の飛び交うブリッジの喧騒をよそにグレアムが手元のコンソールを弄くり、武装局員と調査隊を呼び出し指示を出す。
ここで自分が出来ることは何もないと思ったのだろう。故に自分に出来ることをやる。



『はい。こちら武装局員待機所。執務官殿、ご指示を!』



「戦闘員はいつでも戦えるように用意。治療魔法が使える者はいつでも負傷者が治せるようにしておけ。
 追って詳しく指示を出す。それと念話の回線は常に開いておけ、いいな? 次の指示は念話で伝える」



それだけを言うと通信を切り、コーディに向き直る。
そして頷きあう。



「提督、艦の外部での戦闘の許可を」



「許可する。詳しい指示は念話で伝えよう」



コーディの申請に即刻許可を出し、カロッサが直ぐに指揮に戻る。
態度でさっさと行って来いと言っていた。



「これは厄介な仕事になりそうだな………」


うんざりする白い廊下を肩に子猫を乗せて走りながら、思わずグレアムはそう零していた。








[19866] 6・5
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/06/27 02:59
真っ白な原初の世界。その世界に置かれた場違いにも思える上質な黒いソファー。
真っ黒な皮製のそれは新品の様に黒々と光沢を放っている。見るからに座り心地がよさそうだ。


そんな贅沢な品の上に堂々と座り、眼前に展開された空間モニターをまるで見世物でも見るかの様に観覧する者が居た。
その者が纏う衣は輝く灰色の煙で構築されており、その者の撒き散らす気配は濁りきった混沌を思わせ、人には形容しがたいものである。


ソファーに腰掛けた者――ヒュードラは空間モニターが映し出す全く違う場所で現実に起きている光景を貴族が歌劇を鑑賞するごとき余裕を持って見ていた。
ソファーの隣にはいつの間にやら小さなテーブルが置かれ、その上には菓子の類が大量に置かれている。


ソレらを時たま手を伸ばして掴み、口と思える白い裂け目の中に放り込む。
口内? に広がる甘みや辛味を味わいながら、モニターを見続ける。意外な事にヒュードラにも味覚はあるらしい。 



モニターがまたピカッと強い閃光を放つ。生身の人間の眼には悪い光だ。



モニターに映し出されている光景は歌劇というよりも映画のごとき状況になっている。
それもどこぞの世界の人間が好みそうなB級展開の映画だ。



この『映画』の内容を言おう。素晴らしく単純で面白い物語だ。




内容はこんな物である



――とある事件を探査に向かう時空管理局の艦船が突如、正体不明の機械達に襲われる。それを力を合わせて必死に迎撃する乗組員達。
  果たして彼らは無事に帰還できるのか? 




大分省略してはいるが、大筋はこんな感じだ。


そしてこの『映画』を気まぐれでプロデュースした存在ことヒュードラは現在は観客の立場に廻っていた。
自身は最も安全な鎧の内部で必死に命を賭けて戦う者達の活躍を嘲笑いを顔に貼り付けて鑑賞する。



『おお……』


子供が未知の物に触れて感激を受けた時に出す声を上げてヒュードラが驚く。
一機だけ送り込み、先手必勝と言わんばかりに『オルガ・キャノン』をオリヴァーに叩き込んだあのエゼキエルが叩き落されたのだ。
何度も爆発とスパーク放出を繰り返し、悲痛な叫び声をあげている。


しかもソレを落としたのは艦の砲撃ではなく、ただの二人の人間。緑色の髪をした男と、灰色の髪を後ろで纏めた男。
ぱっと見でもこの二人の男の戦闘能力は他の者に比べて桁違いだった。


エゼキエルを破壊した後も、流れるような動きで次々と機械の蟲を破壊して、次元世界のデブリに変えていく。


それに影響されたのか、他の局員の動きもどんどん良くなっていく。士気があがっているのだ。


オリヴァーに無数の機械の蟲が集り、船を落とそうとしているのを何人もの簡易バリアジャケットというものを着込んだ
管理局とやらの局員が応戦し、蟲をその身の丈ほどある量産型のストレージ・デバイスから発せられるレーザーで叩き落している。


時には連携し、時には誘い込み、時には追い詰め、時には『バインド』を数人掛りで発動させ、蟲達を文字通り虫けらの様に蹴散らしていく。
時折、攻撃で負傷した者も出るがそういう者はすぐさま光に包まれて消える。恐らくは転移させられているのだろう。


そして艦の砲台が火を吹き、射程上の蟲を消し飛ばす。



ものの30分程度で100機近く飛び回っていたヒュードラの手足は壊滅させられていた。


パチパチとヒュードラが激しく手を叩き合わせ、いつもの深い男の声ではなく、妖艶な女の様な声を吐き出し狂ったように捲くし立てる。
輝く灰色の衣が燃え上がる様に広がり、周囲の空間を汚染し、常人では発狂するレベルの瘴気を撒き散らす。



『はははははははははは! 驚いたよ!! 本当に凄いな!!! 伊達に次元世界の一角を管理している訳じゃないか!!!! 私の見立てが甘かった!!!!』



快楽さえ滲ませて、ヒュードラが叫ぶ、まるで気が触れてしまったかのごとく叫び続ける。

しばらくの間、絶頂に近い感覚を味わい、背を仰け反らせていたヒュードラが力を抜いてソファーにもたれ掛かる。


そして何処かぐったりとした様子で。


『これは……“プレゼント”に、念の為、安全装置を組み込んでおいた方がいいかも知れないな……』


そう口にし、自分で言った事に同意する様にうんうんと頷く。
そして少々、管理局とやらを甘く見ない方がいいかと認識を変更する。


伊達に付近の次元世界の暗黒時代とも言える動乱の時代を乗り越え、その後今日に至るまで次元世界を支配しているだけの事はある。



『鎧』を使って押しつぶすのは簡単だが、それではつまらない。


因果を操って自壊させるのもいい。だが、それは最後の手段だ。
だってそんな簡単に壊してしまったら、つまらないではないか。


ヒュードラの精神は既に、人とはいえない境地にまで達していた。
目覚めた初日に、プレシアに殺されかけた時に出した『怯え』が彼にとって最後の人間性だったのだろう。



ヒュードラがモニターに眼を戻す。

所々から煙をあげたオリヴァーが反転しようとしていた。何をしようとしているは良く判った。

帰ろうとしているのだ。本局とやらに。


『……ペットの相手をしてもらいたかったのだが……まぁ、次の機会に期待するとしよう』


ヒュードラの座する空間の奥深くで3つの獣の唸り声が響いてくる。まるで自分達の出番を取られた事を咎める様に。
それを心地よさそうに聴きながらヒュードラが指示を出す。


『付近の世界に身を隠したいのだが、何かいい所はあるか?』



複数の空間モニターが展開され、候補を挙げていく。
ヒュードラの趣味思考に併せて彼にとって最適と思われる場所を検索し、表示。




―― 管理局名称 第97管理外世界 現地名称『地球』



―― 管理局名称 第66管理外世界 現地名称『オルセア』


―― 管理局名称……。


他にも次々と身を潜めるに最適な世界を映し出していく。
それらの世界全てに共通しているのは、どの世界も管理局の支配の外であり、混沌とした世界であるという事だ。


戦争が起こっていたり、技術改革が起きていたり、経済危機に陥っていたり、色々だ。



『戦争が起きている世界はないか? 出来れば世界規模のが好ましい』


ヒュードラが検索の条件を更に絞る。現時点で大規模な戦争が起こっている世界……。


検索 検索 検索。 発見。 表示…。
ここから最も近い世界を表示する。



――管理局名称 第66管理外世界 現地名称『オルセア』



オルセアについての詳しい情報が次々と羅列されていく。



―― オルセア。管理局の存在を知りつつも、管理局の介入を拒否している稀有な世界。
   通称『次元世界の火薬庫』 南部諸国の宗教的な対立から始まった戦乱は未だに終結してはいない。
   次元航行技術は限定的にだが、会得。しかし一部の階級がその技術を独占しているため、民間人はオルセアからの脱出は不可能。
   人口は約13億8800万人。種族は生命種『人間』が大多数。




『これは……』



クスクスとヒュードラが今度は幼い少女の声で笑う。まるで新しい玩具を買ってもらった子供の様に。
アリシア・テスタロッサの声で笑う。取り込んだ思念の声で嘲笑う。


オルセア……戦乱の絶えない世界。しかもその原因は宗教――神だという。
少々、遊び甲斐がありそうな世界を見つける事が出来てヒュードラが上機嫌に鼻歌交じりに謳う。

そしてヒュードラが少女――アリシアの声で続ける。


『丁度、ガンエデンを使って遊びたいと思っていたの……適応者は居るかな?』


何やら仕草や口調まで少女を思わせる物になっているが、気にしてはいけない。


因果の糸を自分の元に引き寄せ、お望みの相手を探す。
居なければ少しでも素質のある者を作り直せばいいのだが。


そんな彼にまつろわぬ者達が一つの報告をする。



―― “審判者セプタギン” ゼンシステム チェックカンリョウ カンセイ デス



ヒュードラがその報告を聞いて、顔面の白い裂け目からおぞましい笑い声を吐き出した。
また“いいこと”を思いついたのだろう。最も、次元世界からしてみれば、迷惑極まりないことだが。



無限力のまつろわぬ者達がヒュードラの現在考えている事を読み取り、身の毛もよだつ声をあげる。


仲間が増える事に対する喜びの声であり、戦乱が起きることに対する嘆きの声であり
そして自身らの『器』が本格的に動きだすことに対しての畏敬の声である。



『これはぁ、楽しくなりそうだぁあ……!!』


ヒュードラが楽しそうに、威厳のある大男のような野太い声で高く笑う。



目的――かつてベルカとミッドチルダの間で引き起こされた様な大規模な戦争を再び発生させるため、ヒュードラは動き出すことになる。
次元世界の淀みの中に浮かぶ表面がおぞましく蠢き続ける卵、そこから一つの巨大な石が放逐された。




――次元世界に混沌を望む巨大な意思が動き出した瞬間である。








[19866]
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/06/27 02:59
注意 少々グロ描写があります。 アリシアファンの皆様、ごめんなさい。





宇宙空間は死の空間である。


人や大半の炭素生命体が生存するのに必要不可欠な酸素は殆ど存在せず
代わりに空間を満たすのは星間ガスや星間物質だ。


しかし無限の広がりを見せる並行宇宙の数ある一つの中には“エーテル”なる物質に満たされた宇宙というのもあるそうだが
この宇宙には残念な事にソレは存在してはいない。



恒星から発せられる光は近場の星を灼熱の地獄に変貌させ、恒星の光の恩恵を受けられない遠い星は極寒の地獄と化す。
宇宙空間を放射線や宇宙塵などが飛び回り、運の無かった星を砕いたりする。



もちろん。そんな環境で生きられる生命などほぼ存在はしない。
それほどまでに過酷な環境が宇宙空間だ。


これらの事を考えるにオルセアという銀河系の中心部に位置する天体は非常に恵まれた環境であると言える。
恒星から近すぎず、且つ遠すぎない位置と星を覆う大気は恒星の光を温和し生命体に丁度よい温度に星を調整。
海が誕生し、気の遠くなるような年月と共に原初の単細胞生物が産まれ、そして進化を繰り返し、やがては知性を得た生き物が降臨する。






こんな恵まれた環境が自然に発生する時点で奇跡などという言葉を超えているといえよう。
いや、むしろお膳立てが過ぎて何か大きな存在の思惑を感じるほどだ。






そんな暗黒の世界。完全な静寂に包まれた宇宙空間に一つの異変が起きる。



空間がまるで重力レンズの様に歪み、向こう側に映る光景が滅茶苦茶に屈折を始める。
そして、何も無い暗黒の宙に皹が入った。まるでガラスを鈍器か何かで強く叩いたような皹だ。



皹は大きく侵食するか如く広がっていき、やがてはその大きさをキロ単位にまで拡大。
空間そのものが不気味にたわわに歪んだ光景は今にも割れそうな鏡を連想させた。




が、直ぐに限界が訪れる。



最初は一枚。焼け爛れた皮がズリ向けて落ちるように、魚などの鱗が落ちるように、暗黒を映した宙の一枚がポロリと『剥がれた』
次に二枚、三枚、堰を切った濁流の様に何百、何千枚もの空間が微塵に砕かれてボロボロと剥がれていく。



そうして開いた『穴』から不気味な煙の様なものが轟々と噴出し、『穴』を穿り更に拡大させていく。
まるで傷口をナイフか何かで抉るように力技で空間を砕いていく。次元境界面が引き千切られ、世界が声無き悲鳴を上げた。





そして宇宙が揺れた。
比喩ではなく、空間が、次元が、時間が、上位次元から下位次元までが振動を引き起こした。


最初は小さく。しかし徐々に大きく、確実にその震度を強大にしていく。



時空管理局で言う所の次元震である。


何故次元震が引き起こされているのか? その答えはいたって簡単である。



言ってしまえば容量オーバー。
限りなく∞に近いありとあらゆる次元階層の生命の膨大な思念の塊など、一つの世界が受け入れるには存在が大きすぎる。
世界の土台ともいえる部分が支えきれないのだろう。ここは無数の次元宇宙が入り混じった次元世界とは少々違うのだ。



『器』が完全に目覚めて、思念吸収能力が劇的に進化した結果でもある。



余談ではあるが、限りない宇宙の何処かには6兆の6乗という数の思念を宿した知的生命体がおり
その内包した思念が一斉に活動を開始すると次元が崩壊するというはた迷惑な存在も居るらしい。




どの道、このままではあまり芳しくない結果になるという事だけは確かだ。
それ故に今からこの世界に侵入しようとしている存在は対策を施した。





―― ナイホウ シネン ノ 9ワリ ヲ キュウミン サセマス ドウジニ シネン カイシュウ ハ ゾッコウ 




内包する思念の大多数を休眠状態に変更。その存在を極限まで圧縮して保存。
これで当面はこの世界が崩壊するという事もないだろう。かつてアルゴ・レルネーにて取っていた方法と同じだ。


それにいざとなれば、こんな世界の事など考えずに遠慮なく力を解放してしまえばいいのだ。
事実、彼らの主たる存在は迷わずやってしまうだろう。



次元震動が収まっていく。対策が効果を示したのだ。



輝く灰色の煙を噴出しながら虚空にこじ開けられた『穴』から表面が蠢く不気味な卵が降臨。
ゆっくりとした速度でソレは『オルセア』に向かい進んでいく。
















――綺麗な星だ。まるで宇宙に浮かぶ宝石とでも言ったところか?



真っ白な世界の中で、空間モニターに映し出された『第66管理外世界オルセア』を眺めながらヒュードラはそう思った。
惑星を覆う白い薄っすらとした大気、惑星の7割近くを占める輝かしい蒼い部分は海、
そして残りの3割の大陸も緑や茶色など等バリエーションに富んだ色彩で彩られているソレは正に暗闇に浮かぶ小さな宝石といえた。



途中“ささやかなハプニング”のせいでちょっとこの世界がいきなり崩壊し掛けたが、その問題も無事に解決し、ヒュードラの機嫌は上々である。
事実彼の3つの紅い眼は爛々と焼け爛れたように輝き、モニターに映し出されたオルセアを子供が買ったばかりの玩具を見るような視線で見ている。




と。ここで気が付いた。ヒュードラが自身の手や足をその3眼で見つめる。
揺ら揺らと不定形にぶれ、壊れたテレビの様なノイズが忙しなく走っている己の身をじぃっと凝視する。




『……さすがにこの姿は問題があるか?』


誰にともなく呟く。関節も何もない手が音もさせず果てなく伸びて、モニターの中の『オルセア』を掴む動作をした。
同時に幾つか新しく空間モニターが開き、対策プランをヒュードラに提示。




『これは中々………』



ソレに眼を通したヒュードラが面白気な声を上げた。
善は急げである。即時に実行を決意し、鎧の進路を指示する。




再び宙の一部が砕け、虚数への道を展開。その中へゆるりと卵は沈んでいった。



















オルセアという世界は戦乱の絶えない世界である。
南北に分かれて、二つの大国が存在しており、その二つの国はそれぞれ違う神を信仰している。



南の国に住まう人間の肌の色は黒く、北に住まう人間の肌の色は白というのが特徴だ。




どちらも一神教を信じており、これまた厄介な事にその信じている神は違う神である。


(厳密には両者が両者の信仰している神を否定しているだけで、神の本質などは同じだったりする。 本人達は絶対に認めないだろうが)



そうなると必然的に相手を屈服させ、自らの教えが正しいという事を考える者が両国の上層部には産まれて来るものだ。俗に言う狂信者。
厳密には利益や領地やらの思惑もあるのだが、勿論そんな事は表には絶対に出さない。国民に流されるのはいつも都合がいい情報だけだ。



最初は小さな衝突だった。南部でたまたま軍人が相手国の子供を『間違って』何人か射殺してしまった程度。
だが、それだけで十分だった。火種としては十分すぎる程の内容。



射殺された国家は報復を大儀に。射殺した国は異教徒の粛清を大儀に。戦争が始まった。



それが1年前。未だ戦乱は終結してはいない。それどころか、激化の一歩を辿っていた。


男は兵士として駆り出され、技術者や医者も全てが戦争に参加させられる。そのせいで町の治安は悪化。
病院の機能はおろか、基礎的なインフラさえも乱れ始めている。整備できる人間が少ないのだから。



この状況を嘆いた管理局が限定的ではあるが、次元航行技術を会得していた両国に接触し、支援物資の提供を約束。
しかし両国はその申し入れを突っぱねた。



曰く。



『これは神に勝利を誓った聖なる戦い。野蛮で邪悪な異教徒を皆殺しにするのに、外部の手助けは借りない』だそうだ。



これによって管理局はオルセアを管理外世界に認定、及び内戦地帯認定を下し、以後は静観の姿勢をとっている。



そんな狂った世界がオルセアだ。











第66管理外世界 オルセア 『アルセンブルク』



アルセンブルクはこのお世辞にも治安がいいとは言えないオルセアの中でも最も治安が悪いとされる小さな都市のひとつである。
地理的には北部と南部の丁度真ん中辺りに位置し、それ故に両国からの民が次々と流れ込んでくる。


真ん中と言っても戦略的にはあまり価値が無いない、端の方に位置するため戦火の火からは現時点では辛うじて逃れている。
流れてくる者は脱走兵だったり、行き場を失った難民であったり、奴隷商人であったり、挙げればキリがない。




そんな都市の町外れに一つの異変が起きていた。



ポツリと唐突に黒い泡が整備も何もされていない荒れた大地から小さく湧き上がった。



その泡は少しづつ膨れ上がり、液体の様に地面を侵食していく。
やがて小さな小さな、黒い液体で満たされた水溜りの様なものが誕生。




そしてその水溜りの表面。純黒なその水面から気泡が膨れ上がった。
始めは小さく、ゆっくり、長い時間を掛けて。しかし着実に気泡は大きく育っていく。



と。一定の大きさにまで成長した泡が突如爆発的に進化を始めた。



泡。泡。泡。泡。泡。泡泡泡泡泡泡。 黒。




表面にノイズが走り、劇的な進化を続ける泡。
やがてその増殖を一定の方向へ形状の固定に掛かる。




手。腕。頭。胴。足。
ソレは二本の脚で地を踏みしめ、歩行する生物。猿から進化を遂げたといわれる知的生命体。



オルセアに漂っていた無数のまつろわぬ者達が歓喜の声を上げ、その泡の中に飛び込んでいく。
ソレを糧とし、泡は更に進化を繰り返す。気泡が破裂と発生を繰り返し、増大を続ける。



蟷螂に似た姿。植物に似た姿。次いで鳥に酷似した姿になり、一度不定形のアメーバ状になって、ようやくお望みの姿に変化。



望み通りの姿が完成し、黒一色だった表面に絵の具の様な着色が施されていく。
サラサラの金色の髪。まだあどけない顔。小さな白い手足に着込んだ服は紅いワンピース。



最初は紙にでも書いたような色が徐々に立体感を持ち、質感を手に入れ、3次元に馴染んでいく。
黒から生まれでた少女が閉じていた眼をゆっくりと開けた。真っ赤な、見ているだけで寒気がするほど真っ赤な瞳であった。


手を何度か動かし、混沌で形作られた少女――アリシア・テスタロッサの姿をした何かは唇を動かし、舌を操り、声帯を震わせた。



「完成だね。 出来も中々かな?」



しかし声が違う。かつてプレシア・テスタロッサが聞いて癒された小鳥の鳴き声のような声ではない。
深い。底知れない闇の底から響いてくるような錯覚を抱かせる『男の声』だ。


それに気が付いたアリシアの姿をした者が喉に手を当て、何度か「あー」と無声音を出して音声を調整する。
直ぐにかつてのアリシアの声に戻った。少女の声に。







「さて、早速会いに行くとしますか」



かわいらしい仕草で手を顔の前で握り締め、ガッツポーズ。可憐な笑顔を浮かべる。
アリシアの小さな口の端が耳元まで裂けて広がった。まるでヒュードラの顔の様に。
事実、今の彼女はヒュードラの意思とアリシアの思考回路と記憶を持った存在である。


もっと言うなれば、アリシアの姿と性格を元にしたヒュードラの端末だ。




が、それも一瞬。すぐに元の端正な顔に戻る。
ステップを踏みながら、アリシアの姿をした何かはアルセンブルクの表路地に向かい歩いていく。全ては新しい玩具に出会うために。






























「あれ? 迷ったかな……?」



顔を傾げ、指を顎に当ててアリシアが困った顔をする。
もしもここにプレシアが居たら何が何でも助けるために奔走する程にかわいらしい顔だ。



その紅い眼が恐ろしいまでに残酷に輝いている事を除けば、だが。



うーん、と、唸りつつも周りを見渡す。その顔に笑みを貼り付けながら。
気が付いたらいつの間にか裏路地に入ってしまったらしく、まだ昼の時間帯だというのに辺りは建物の影によって薄暗い。



まぁ、最終的には絶対に『出会う』と既に因果に先手を打っているので、そこまで慌てるような事態ではないのだが。
要は会うまでの過程が多少違うだけで、今はその過程を楽しんでいるのだ。



遠くからひっきりなしに銃声やら人の叫び声や怒声などが聞こえてくる。いつも通りのいたって普通のオルセアの光景だ。
別に何も珍しくなどない。そこらへんにゴミの様に無造作に転がっている腐りかけの人の死体も、鼻を突き刺すような腐敗臭も何も珍しくなどないのだ。



アリシアがぐっと背伸びをし、深呼吸をする。大きく息を吸い、死体や血のに酷く穢れた匂いを吸い込む。
彼女の顔が酷く歪に歪む。その匂いの中に満たされた無念や憎悪、悲しみなどの感情を味わっているのだ。



何気ない動作でアリシアが近くに転がっている死体に眼を向ける。同時にこの死体について検索。
直ぐにまつろわぬ者から返答が帰ってきた。




「へぇ~、銃で撃たれた挙句捨てられたんだぁー、災難だったね♪」



ウフフと、とても幼い少女の物とは思えない程に艶やかな声と仕草で笑う。



次の瞬間。バンという酷く乾いた音が裏路地に響いた。
それに一瞬だけ遅れ、アリシアの頭部が熟れたトマトの様に容易く破裂した。



彼女の背後から秒速数百メートルで飛来した鉛玉が頭を粉砕したのだ。
粘性な赤と硬質な骨の白、そしてゼリー状の物体をぶち撒けながらアリシアの身体が沈んでいく。


べちゃっと自身の血液の海に倒れ伏した彼女にボロボロの衣服と、もう何ヶ月も風呂に入ってないのか、酷い体臭を漂わせる数人の男が近づいていく。
その手には銃口から火薬の匂いがする煙を上げた、黒い鉄の塊――管理局が質量兵器と忌み嫌う『銃』が握られていた。




数人の男が紅いワンピースを着た頭部が粉砕された少女の死体に群がり、その身体に手を伸ばす。
ごそごそと身体をまさぐり、何か金目の物がないか探す。男達は強盗の類であった。正確にはそこに強○魔やら連続殺人者やらも加わる。




「くそっ! 何も持ってねえじゃねえか! これなら生かしといて、売っぱらうべきだった!!」



男の一人が悪態を吐き、アリシアの腹部を思いっきり蹴っ飛ばす。
ゴロゴロとボールの様に転がり、壁に激しい音を立ててぶつかる。衝撃で更に頭が崩れた。




「ちっ、いい服着てるからそれなりに金目の物を持ってると思ったのによぉ……」


「こんな事なら楽しんどきゃよかったな!」


「お前、あんなガキに入れるつもりか?」


「痛みで泣き叫ぶガキってのがそそるんだよ」






品性の欠片もない下劣な笑い声を上げ、男達が立ち去ろうとする。

























「お兄ちゃん達、酷いなぁ……」






「!?」





















背後から投げかけられた野太い『男の』声がその足取りを停止させた。
咄嗟に後ろを振り返る。馬鹿な。確かに死んでいたはずだ。心臓は鼓動を停止させていた。



何より頭が崩れた状態で生きている生物など存在しないはずだ。




が、男達は目にした。




頭部にぽっかりと銃弾の威力で抉れた『穴』を晒したアリシア・テスタロッサが二本の脚で立ち、
血の滴る隻眼で自分達を見つめながら野太い男の声を吐き出しているのを。



咄嗟に銃を持った男が照準を合わせ引き金を躊躇いなく引く。





発砲。銃声。





秒速数百メートルの速度で鉛玉が少女の姿をした怪物に撃ち込まれ、その華奢な身体を崩壊させる。
人間なら致命傷になるであろう傷。




だが。







「全く、銃で撃たれた人を馬鹿にしたら、直ぐにこれだもんねー」





全く堪えた様子も無く話しを続ける。その小さな身体に鉛で更に穴を開けられても痛みさえ感じてないのか、淡々と。


更に数回発砲。響く銃声。




「でもまぁー。この姿なら保護欲求とかが働いて、襲われないって思ってたんだけどなー。ちょっと間違えたかな?」




ここでふと、自分の身体を見て初めて己の状況に気が付いた様な顔をする。




「あらら。身体が崩れちゃってるよ。 酷いことするな~」




ボロ雑巾のような手足や腹部に開いた穴から覗く血や臓物を何処か他人事の様に見つめ、深い男の声で外見相応の少女らしい口調で喋る。
一声一声あげるたびに、腹から血が吹き出て、地面を不浄に赤く犯す。



異様な光景だった。恐ろしい光景であった。身体の部位を幾つも無くした人間が平然と喋っている様は。




カチンカチンという渇ききった音がやけにはっきりと鳴る。弾丸を撃ちつくした証の音。





カチンカチンカチン。




だが男は何度も何度も震える手で無駄だと知りつつも何度も激鉄を起こし、引き金を壊れた機械のように引き続ける。





「ば、化け物め……!」




それが誰の言葉かは判らない。恐らくは男の仲間の中の一人がそう呟き、それに込められた恐怖があっという間にこの場に居る少女以外の全員に広まった。
人は恐怖には抗えないのだ。



パン、と、アリシアが手を叩くとまるで冗談の様に一瞬で、1コマの内にアリシアの姿が元の綺麗な姿に復元――否。これは既にそんなレベルではない。
そう。言うならば、巻き戻し。時間の巻き戻しだ。周りに散乱していた血も肉も骨も臓物も綺麗さっぱりなくなっていた。匂いもだ。





「ねーねー。猫と鳥と魚、どれが一番好きー?」



今度こそ少女の声で問う。


カツカツと足音を立てながらアリシアが男達に何気ない動作で近づいていく。その顔にはかわいらしい笑みが浮かんでいる。
何も知らないものが見たら思わず微笑んでしまうだろう程に華麗で、輝かしい笑顔であった。かつてアリシアが浮かべていたものと同じ笑み。





が。男達にしてみれば、死神の笑みである。
だが逃げられない。身体が動かない。あまりの恐怖によって動けない。






「……ね、猫」




「猫? 確かに猫はかわいいよねぇ……私も飼ってるんだ!」




震えながらも親切に答えてくれた男にアリシアがうんうんと頷き、優しく微笑みかける。





彼女の影が、伸び、まるで沸騰した湯のように気泡を発生させた。




影が大きく広がる。地面だけではなく、宙に浮かび上がり、アリシアの影が二次元的な平面から、三次元の立体感を会得していく。





「ザナヴって名前なの」




やがて影が着色され、1つの巨大な獣の姿を完成させる。
二本の前足と二本の後ろ足を持った、猫科に属する生き物に見られがちな走ることに特化したスマートな体躯。




色は夜の色を写し取ったような黒で、節々には上質な金で形作られた装飾の様な鎧が装着されており、
何よりも頭部には巨大なルビーを王冠のように頂いていた。
尻尾は10近くも生えており、その全てが金で作られている。




大きさは大体10メートル程。余りにも巨大な獣だ。
そんな化け物がその紅い瞳で男達をにらみつける。



半分機械で半分生身のその巨躯が獲物に飛び掛る捕食者の様に、前かがみの体形を取る。





「た、助け……!」




これから何をされるのか本能レベルで理解した男が命乞いの言葉を吐き出す。
だが、返された言葉は余りにも残酷であった。





「たっぷり、遊んであげてね♪」




天使の様な笑顔で、アリシアの姿をしたヒュードラの端末はそう死刑宣告を告げた。


その言葉を合図に、ザナヴが音速にも迫る勢いで獲物に飛び掛った。






















カツカツと靴の音が響く。紅いワンピースがその度に揺れる。




「~♪ ~~♪」




陽気な鼻歌を鳴らしながら、金色の髪の少女が何かに導かれる様にアルセンブルクの裏路地をスキップを踏みながら歩いていく。
時々意味もなくクルクルと回転し、『ラララララ』と口ずさみ、因果が導くままに、運命の成すがままに。
今度はしっかりと因果の糸を握りながら歩いているため、先ほどのように襲われる事もない。



最初からこうすればさっきの男達も猫と『遊ぶ』事もなかったのだろうが、既に無限力に彼らも参加してしまっている今となっては遅い。


歩く。歩く。踊りながら、舞いながら、飛び跳ねながら、軽々と整理されてない砂利道を子供の脚で行く。





「みぃ~つけたぁ~!」



立ち止まり、くるりと軽く一回転。
一指し指で道端に申し訳程度に備え付けられたゴミ箱をビシッとさす。



もちろん金属製の人が丸ごと入りそうな程に巨大なゴミ箱は言葉など喋れるわけがなく、何も答えない。



「~~ララララララ~~ラララ~♪」



即興の歌を口ずさみ、ゴミ箱の蓋をその小さな手で開ける。
白く綺麗な手が濁った液体などで酷く汚れてしまったが、気にしない。



ギィッと重厚な音を立てて金属の蓋が持ち上がる。途端に咽かえる様な悪臭が撒き散らされた。
肉の腐った匂い、ハエが飛び交う匂い、死の匂い、死臭。



「ちょっと遅かったかな?」



中に入っていたのは死体だ。ソレも死後しばらく経ち、腐敗が進んだ。
蛆が沸き、ハエが飛び交い、骨になりかけている死体だ。


その不浄の極みとも言える亡骸にアリシアが手を伸ばす。
そっと頭を掴み、持ち上げる。ボロボロと金色の、かつて髪であったものの残骸が崩れ落ちる。



じぃっとその紅い眼で腐臭漂うソレを観察。因果を辿り、存在を読み取る。
時間にして1分ほど経った後、感心したかの様に呟いた。



「……こんな状態になってまで肉体に定着し続けてるなんて、凄い執念だねルアフ君」



愛しい者を愛撫するかの如くその爛れた頬を撫でてやる。





ルアフ



享年14歳 



産まれた時より常人には持ち得ない魔力とは違う力、言うなれば超能力を所持。
不気味がられた両親に虐待を受け、殺害される。その死体はこのゴミ箱に突っ込まれ、現在に至る。
そしてその思念はまつろわぬ者として漂わず、朽ち果てた自らの肉体に抱きついている。




それらを読み取ったアリシアがうんうんと頷く。そして口を開いた。





『決めたよ。私の構想する歌劇の主演の一人は君だ 君を私の代理の神様にしてあげよう』




野太い男の声、腹の奥底まで届く大男の声、深遠から響いてくる冷たい声、妖艶な女性の声、そしてアリシア・テスタロッサの可憐な声。
その全てがごちゃ混ぜになった混沌とした音声を吐き散らしながら、ヒュードラは死体に一つ、口付けを落とした。




確か自分は500年程度掛かって誕生したのだっけ? 


ならばガンエデンとの適応にはどれぐらい掛かるか……。
それらを恐ろしい速度で計算しながらアリシアが力を行使する。




黒泡が無数に発生し、辺り一体を空間ごと包み込み、転移。その後は何も残ってなど居ない。死体もアリシアも。






――おっと。忘れてたよ。 念の為、ここらへんは消しておかないとね。 誰かが見ていたら厄介だし。





最後に置き土産を置いていくのももちろん忘れない。何、お世話になったお礼だとでも思ってくれ。
虚数空間。全方位が虹色に輝く狂った空間の中で、輝く灰色の煙を纏った漆黒の『鎧』が、その細く華奢な黒い手を軽く握り締めた。











無限力が行使され、周囲一体の空間が極限まで圧縮。原始単位にまで縮小された。












【ジーベン・ゲバウト】




















この日、アルセンブルクはオルセアから消滅した。後に残ったのは巨大なクレーターだけ。





そしてこの出来事より数日後、各地にて所属不明の兵器が多数現れ始め両軍に攻撃を開始。
しかし反撃を受けると直ぐに撤退してしまうその機械の『蟲』に両国は長い間悩まされるのであった。



そしてもう一つ。オルセアに新しい宗教が生まれた。
シンボルマークは完全な輪に、その中に内包された『∞』という記号。


教祖の男は不気味な仮面とマントを羽織った長身の男。名を『ヒドラ』と言った。
教え自体は子供でも考えていそうなほど陳腐な内容ではあったが、何故か信者が爆発的な勢いで増加させている。






新しい宗教の名は『バラル教』
バラルとは混沌を意味する単語である――。






[19866]
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/06/27 03:00
ミッドチルダは管理世界の中心的な世界である。この世界の人口は大よそ30億少々。



当然管理世界の中心たるこの世界に住まう者は人間だけではなく、猫や犬などの身体的特徴を人の身体に持った獣人や、
グロテスクな外見とは裏腹に確かな知性を持った昆虫人種なども数多く暮らしている。



そして長きに渡り続いた戦乱が終結し、再び次元世界が再起の道を歩み出した際に中心となった世界でもある。


戦争が終わってまだ1世紀も経ってはいないが、それでも今の所次元世界は平和と言える秩序が保たれていた。
約10数年周期で発生と暴走を繰り返す闇の書などの危険なロスト・ロギアを除けばの話ではあるが。



管理局の治世は概ね優れているといえよう。少なくともほぼ全ての民衆に衣食住と確かな秩序と安全、そして福利厚生を提供しているのだから。
オルセアなどの管理外世界を除けば、管理世界などでは特に目立った騒乱や混乱などは起きてはおらず管理世界の住人にとっては戦争も無縁。
管理局は全ての“管理世界”の知的生命体には絶対の安心と秩序を約束しているのだ。




そして管理局の最も大きな特徴と言えば徹底した質量兵器の管理だ。



銃や戦車などに代表される“質量兵器”などは管理局が厳重に管理を行い、これらの使用には管理局の許可が必要だ。
何故ならこう言った質量兵器は使い方を少しでも誤れば、子供だろうが容易に人を殺傷することが可能になってしまうから。




“ボタン一つで町が消し飛ぶ”とは良く言ったものだ。



もちろんこれは過剰な表現であり、誰も子供にそんな危険極まりないスイッチを持たせる馬鹿が現実に居るとは思ってなどはいない。
様はただのプロパガンダなのだ。かなり脚色が混じってこそいるが。




もちろん。魔導師への枷も忘れない。ある意味質量兵器よりも危険といえる力だからだ。



(ちなみに、ミッドチルダの教科書では魔法技術は質量兵器に比べて“多少は安全”と述べている物が多い)




リンカー・コアと呼ばれる先天的な器官を持った生命体は空間に存在する魔力素と呼ばれる物質を体内に取り入れ
そこから取り出したエネルギー、俗に魔力と呼ばれる物を行使し、様々な超常現象を引き起こすことが出来る。


空を飛ぶことや、手を触れずに物を動かすなどが代表的であり、更に高出力のリンカー・コアの持ち主はやり様によっては
一人で町を壊滅させる事さえも可能と言われている。


故にリンカー・コアを持った人間――魔導師に対する制限は多い。そして罰則も厳しい物となるのは当然といえよう。



管理局曰く「力には常に責任が伴う」だそうだ。











そんな管理局であったが、新暦39年に大きな転機を迎える事になる。
アルゴ・レルネーを破滅させたヒュードラ事件などが大きく放送された年であるが、この年に起きた最も大きな出来事は他にある。



第1管理世界 ミッドチルダに住まう全ての生命を震撼させた出来事だ。
下手をすればミットチルダの住人が全滅していたかもしれないから。



その出来事の名前は『メテオ3落着』という。












第1管理世界ミッドチルダ 南部 新暦39年 新暦40年まで後、1週間




夜も開け切らない明け方。日はまだ地平線の彼方から僅かにその光を漏れさせるだけで、未だ天を支配しているのはミッドの2つの月と煌く星々達。
寒々とした冷気があたりに満ちている。




そんな夜空を何十ものヘリが酷く耳障りな音を立ててメインローターを激しく回転させる。
バババババと規則正しささえも感じさせる音が地面をビリビリと揺らし、騒音を撒き散らす。



飛んでいるのは時空管理局地上本部が所有する輸送ヘリだ。
更にそのヘリの遥か上空を数隻のL級次元航行艦船が大気圏内を月の光を浴びながら悠々と進んでいる。
その眼下にあるのは幾つかの小さな島が並んだ諸島。豊かな自然の緑と華麗な海の蒼で装飾された美麗な島々の数々。



しかし、幾つか並んだ島の1つ、最も諸島の中で巨大な島はその形を歪に変形させていた。



穴だ。どこまでも空虚な穴だ。




直径30キロにも及ぶ島の半分以上――大よそ7割にも及ぶ巨大な穴が空いていた。
もっと言うなれば巨大な物体が加速をもってぶつかった際に生成される円形のクレーターが島には出来ていた。


クレーターの周りは全てが弾き飛び、白い砂を晒している。そしてそこに建設された小規模の施設。
時空管理局の施設だ。そこに向かいヘリの数々は高度を徐々に降下させていく。




























施設に降り立ったヘリから二人の人物が降りてくる。二人とも時空管理局の制服を着ている。
一人は細身の男。その制服の肩には上級将校が付けている様な煌びやかな勲章が輝いていた。


もう一人はその細身の男に付き従うように半歩後方を歩いている筋骨隆々の大男。
茶色い制服の上からでも判るほどの筋肉質な身体をしている。こちらは特に勲章などはつけてはいない。




二人は重苦しい雰囲気を纏いながら無言で施設の入り口に向かい、歩を進める。



施設の扉が音を立てて開き、白衣を着込んだ数人の男がヘリから降りた二人を迎える様に大仰な動作で二人に歩みよる。




「これはこれはデリアン中将殿とレジアス補佐官殿! こんな夜更けによく来てくださいました!!」



「当然の行動ですよ」



「……」




デリアンと呼ばれた男が白衣の集団の恐らくはリーダーと思われる男と満面の笑みを浮かべて握手をし
彼の後方に立っていたレジアスは愛想笑いをその強面に貼り付けて小さく会釈をした。



「さて、早速ですが……」




「はい」




声音を変えた白衣の男にデリアンが頷く。今日ここにやってきたのは観光目的などではないのだ。
そう仕事で此処に来たのである。彼の仕事はミッドチルダを守ることだ。




























「送ったデータは見てくれましたか?」



「当然です。随分と興味深い内容でした……何でも人工物の可能性があるとか」



急遽造られたため、未だ鉄骨などがむき出しになった野生的な金属の通路を早歩きで往く最中
白衣の男が発した言葉にデリアンはそう答えた。そんな彼の返答に頷きを以って男は返し、そして口を開いた。



「いえ。大気圏突入時に減速していた事といい、あれは完全に人工の物です。それも恐ろしく高度な技術で造られた」



「……ロスト・ロギアの可能性があると?」



「はい。そしてこれは私の予想ですが、恐らくは進んだ文明の情報保存及び自分たちの技術を他者に伝えるための装置であると推察しております。
 事実内部には様々なデータが収納されていました」



「と、言うと?」



「それは……」



丁度喋ろうとした瞬間に廊下の突き当たりに到達し、そこに設置された機械仕掛けの扉の隣にある端末を男が手早く操作する。
キィンと甲高い音と共にパスワードを入力された扉が軽快に開く。急ごしらえとは言え、中々の装置を持った施設だ。



扉の向こう側にある、会議室らしき部屋の中にあるのは空間モニターの投影装置と、幾つかの床に固定された椅子と机。



「どうぞ。詳しい話は中でしましょう」


















「では、詳しい報告を行いたいと思います」


椅子に腰掛けた二人の前で男がそう口火を切り、空間モニターを操作。魔力を施設から流し込む。ブゥゥンと特徴的な起動音がなった。
円を基としたミッドチルダ式の魔法陣が展開され、虚空にパソコンの画面を思わせるディスプレイが投影される。


それも1つや2つなどではない。10近くもだ。それら1つ1つが全く違う情報である。
しかし一番奥に展開された最も大きなディスプレイに映る、巨大なオレンジ色の皹が入った岩が不気味なまでに存在感を誇示しているのが酷く印象的であった。



「まず、“メテオ3”がどこから来たか、ですが……」



メテオ3……管理局が落下してきた隕石につけたコード・ネームだ。
これの由来は今までにミッドチルダに衝突した特に巨大な隕石は2つあり、ソレの3つ目という意味だ。



ちなみに何十億年も過去に起きた“メテオ1”の衝突でミッドチルダの双子月が形成され、
数千万年前に起きた2つ目の“メテオ2”の衝突によってかつて繁栄を謳歌していた魔導巨大昆虫生命体は絶滅の危機に陥ったというのがミッドでの考えだ。



ちなみに巨大昆虫生命体は現在でもその生き残りは普通に見ることが出来る。主に召喚士の手によって呼び出されるからだ。
後はミッドで普通に生活してたりもする。草やら生肉などが主な食料である。もちろん人間などは食べない様にちゃんと勉強しているので近寄っても安心だ。
しかし、繁殖期になると途端に凶暴になるので注意が必要である。後、発声器官そのものが人間とは構造が違うので人の言語を喋ることは出来ない。



話を戻そう。




数多く展開されていたモニターの内の1つが拡大。椅子に座った二人の前まで移動する。
そこに記されているのはつい数日前のこの惑星付近の宇宙空間のデータ。
その情報によると“メテオ3”はこのミッドチルダのある宇宙から飛来したのではなく
何処とも知れない次元の海を渡り、次元の門を開いた上でこのミッドチルダに来たそうだ。



「どこで製造されたかは不明ですが、少なくとも未だ我々が観測したことのない世界であるのは確かでしょう」



再び手元の機械端末を操作。ピッと、タッチ式で操作する機械音の独特な耳に残る音が鳴る。
空間の重力図などのデータを映したモニターが遠ざかる。



次に二人に近づいてきたモニターに映っているのは機械加工された“メテオ3”の内部のデータと図。
中央付近に異常なエネルギー反応があるのだろう。データの中の“メテオ3”の中央部分は赤を越えて真っ白になっている。


ソレを見てデリアンとレジアスが思わず息を呑んだ。下手をすれば次元断層を起こしかねない程のエネルギーだったのだ。



「恐ろしいまでのエネルギーです。しかし、これでも大気圏突入時に比べればかわいいものなんですよ」



再び端末をカタカタとピアノを演奏するか如く操作。数瞬遅れてピピと入力を確認した音が発生する。



「そして、これが……大気圏突入時に衛星が観測した“メテオ3”のデータです」



そして新しく1つのモニターを二人の前に展開。記されているのは“メテオ3”の大気圏突入を撮った人工衛星のデータである。
そこには一つの鮮明な写真が映っていた。解像度もかなりよく、素晴らしい画質だ。




「な……」



普段は冷静沈着を地で行くデリアン中将が身を乗り出し、食い入るようにモニターを見てしまった。
目がチカチカするのも厭わず、何度も何度もその情報を見る。そんな彼の隣でレジアスは呆然としていた。現実に脳みそが付いていってない。
いかに何年もの年月を管理局員として過ごし、様々な世界の法則や種族を見ていても、正真正銘の“未知”の前に人は簡単にも思考を停止させてしまうのだ。




巨大な隕石が青白く発光していた。大気圏との摩擦熱で発生する光ではなく、岩自体が薄く発光していたのだ。
それに何よりも、目を惹いたのは岩を包み込む紫色のオーラ。
オーロラを薄めたような色彩のソレがすっぽりと“メテオ3”をプレゼント包む包装紙の様に包み込んでいる。


データの上ではそのオーロラは魔力光などではなく、言うなれば重力。そう、擬似的な重力空間だ。
ソレをもって星の重力を中和し、尚且つ斥力などを操作して“メテオ3”は落下速度と落下地点を意思でも持っているかの様に調整していたのだ。
明らかに自然の物体ではありえないことだ。即ち、この隕石が人工物だという証拠である。




そもそもの話、落下速度をこうやって減速させなければ、1キロの隕石が直撃したミッドチルダは気候そのものが激変してしまっていただろう。





「これで驚いで貰っては困りますよ」



ハハハと白衣の男が朗らかに笑う。まるで悪戯が成功した子供のような顔で。
そんな男にどこか馬鹿にされたと思ったレジアスが口を尖らせて刺々しい声音で皮肉るように。



「ほぅ? これ以上まだ何かあると?」




その言葉を待ってましたと言わんばかりに白衣の男が満面の笑みを浮かべると、通信で部下を呼び出し、頑強な造りの白銀に輝くスーツケースを持ってこさせる。


デリアンとレジアスにはそのケースに見覚えがあった。確か、非常に危険な物や希少品を輸送する際によく使われる軍事用のケースだったはず。
強化合金で作られたソレは衝撃や熱や冷気、圧力にも強い強度を誇りSランク魔導師の砲撃にも耐えられるという素晴らしい一品だ。




「これはまだ管理局の“海”にも報告していないのですよ……何せ、あいつらはロスト・ロギアと聞くといつも自分達だけで解析してしまいますからね
 私達末端の科学者には触れさせてももらえない」



ぶつぶつと愚痴を言いながら男が懐から取り出した鍵をケースの鍵穴に差込み、次いで現れた暗証番号入力画面で手早く10桁のパスを入力していく。
やがてピッと電子音がなると、プシュっと空気の抜ける間の抜けた音と共にケースが滑らかに開かれ、その中身を晒す。


中に入っていたのは、管理局でも最大の超容量を誇る半透明なメモリーカードと、強化ガラスのシリンダーに納められた拳程度の大きさのサファイア。
サファイアには表面に浮かぶ小さなクリアな文字でⅩⅩⅠと刻印されており、何より石自体がチェレンコフ光のごとく発光していた。



「この話はここだけにしてくれるとありがたいのですが……あぁ、この部屋の監視装置は切っておいたので安心してください」



言外に外に漏らすなと男が二人に告げる。
その顔はほんの少し赤く染まっていて、男が興奮している事を二人にありありと告げていた。




「……判りました。誓いの証拠にサインでもしますか?」



「いえ、結構です。恐らく私の話を聞けばミッドの守護者である貴方は何が何でも時が来るまでは“コレ”の存在を本局には隠したくなるでしょうからね!」



男が確信さえも篭もった声でそう宣言する。
事実男の言うとおり、管理局の“地上(ミッド)”と“海(本局)”は仲がお世辞にもいいとは言えず、海は何かと付けて地上をけん制してくるのだ。



本局のお偉いさん曰く『次元世界全土を守るためには、進んだ文明人のミッドチルダ人はその高貴なる精神を以って多少の我慢はするべきだ』
こんな事を言って地上の予算を何かにつけてカットしたり、優秀な高ランク魔導師を次々と高給で引き抜いたり。
新しい技術導入を遅らせたり(その癖自分達は悠々と技術を“テスト”の名目で使っている)しているのだ。





更に最近の話になると、新造されたL級次元航行船の地上への配属そのものを渋り、既存の艦船の廃棄などを推奨し、危うくデリアンが根回しなどをしていなければ
たった百近くの拠点と数十万人程度の平均Bランク程度の魔導師とソレに見合う戦力と物資『だけ』で
ミッドチルダという惑星全土とそこに住まう数十億の民を守護しなければならない事態になっていただろう。




まぁ、ミッドは人口が密集している幾つかの超巨大都市などが生活の主流であり、
田舎などにはあまり人が住んでないというのも管理できている理由の一つにあげられるだろう。
もしも管理外世界の中にある“国”という単位で人々がバラバラな地区に住んでなど居たら管理など出来なかっただろう。





ちなみにミッドチルダの首都、クラナガンを守るのは機動1課から5課までの平均Aランク魔導師の部隊であり、中には特例で質量兵器を使用している者も居る。
この首都防衛にあたるAランク魔導師さえも本局は引き抜こうとするのだから困る。





更に言うと数ヶ月に一度行われる公開意見陳述会……。
まぁ、選挙演説の様なものだ、これにも本局は色々と手を回してくるのだから本当にやめて欲しい。



もしも誰かが『ミッドの地上部隊は動きが遅すぎる』などと現状を知った上で、
尚且つ海に属しているものがそんな事を言ったら迷わずレジアスとデリアンはその者を殴り飛ばすことであろう。



大分デリアンやレジアスの個人的な意見が混ざってこそ居るが、大よそこれが現在のミッド地上本部の現状である。



しかし忘れてはならないのが、時空管理局本局はしっかりと次元世界の安定と平和を守り、管理世界の人間達を犯罪や災害の危機から守っているということ。
決して無能ではないのだ本局は、むしろありとあらゆる世界から集められた人材は超を頭につけてもいいぐらいの有能ぞろいである。
まぁ、その有能な人材の7割近くが高出力のリンカー・コアから齎される強大な魔力持ちだというのが少々複雑ではあるのだが。




……だから頼むからその力の5分の1でもいいからミッドチルダに注いでくれというのがデリアンとレジアスの願いであった。




そんな現状を男は恐らくは知った上で、暗にケースの中身であるメモリーカードと鮮やかな石ころを切り札になるといっているのだ。



「詳しいお話をよろしいですかね?」



デリアンの目が研ぎ澄まされ、声は一種の怒気さえも含まれたものになる。



「その為に来てもらったのですから……決して後悔はさせませんよ中将殿」



一泊。しかし、二人にはこの間が酷く永く思えた。


そして簡潔に男が述べる。



「このカードの中身は“メテオ3”から引き出した異文明の技術の理論などが収納されています。
 しかもご丁寧に今のミッドの文明レベルに合わせ、近未来にでも実現できそうな物の数々を、です」



故に先ほど私はこの“メテオ3”を情報保存と技術拡散のための装置だと言いました、と、続ける。
デリアンとレジアスは無表情だ。正確には既に驚きというレベルを超えて悟りの境地に精神が到達したのだろう。


やけに冷静な冷め切った頭脳で話を聞いている。次に男が円筒形のシリンダーを掴み、その中に納められた蒼く輝く石を二人の前に提示した。

 


「そしてこの石ですが……この石の名前はどうやら“ジュエル・シードというらしく、想像を絶する量のエネルギーを秘めているようです」



「具体的にはどれほどの量なのかね?」



冷え切った声でレジアスが言う。それに続きデリアンが無言で答えを求めた。
男の言葉は単純で、故に想像を絶するものであった。




「これ1つで、ミッドの全都市の電力及び魔力を、大体1000年は補えますね。残念な事に制御する技術はありませんが」



白衣の男が手の中のシリンダーを弄くりながら大したことでもないかの様に言う。
例えるなら、今晩のおかずは? と、聞かれ、答える親の様な淡々とした声である。


その返答に今度こそ頭の回路がパンクした二人は降参だと言わんばかりに肩を竦め、溜め息を吐いた。





























オルセアの中でも比較的に治安が良い中規模の都市に建てられた、贅沢極まりない石造りの中世風の巨大建造物。
とある金持ちの道楽の1つとして建造されたその建物は永い間その金持ちの所有物であったのだが、今は違う。
その金持ちは何を思ったのか、最近出来たばっかりの怪しげな教団にソレを譲り渡したのだ。



昔は確かに蒼かった筈の目を何時の間にか真っ赤に変えてソレキラキラと輝かせ、その至福と歓喜が入り混じった笑みとも絶頂の余韻を味わっているともいえる
表情を浮かべたその金持ちはつい先日、たった1人の家族であった娘が不治の病で亡くなり全てに絶望していたとは思えない。


彼を知っている人は皆がそう言う。ついでに彼の部屋から彼と死んだ筈の娘の会話が聞こえるやら娘が廊下を歩いていたのを見たなどなど
彼に仕える従者の間ではそう言ったホラーな噂話も絶えない。



金持ちが変わった瞬間は? と、聞かれれば使用人達は皆が皆、口を揃えてこう言う。





『ヒドラとか言う得体の知れない男が屋敷に出入りするようになってからだ』と。







床には真っ赤なカーペットが敷かれ、窓には金で縁取りや装飾をふんだんに施された無駄に長いカーテンが設置された部屋。



かつてベルカの王や貴族が住んでいたといわれる部屋に匹敵するほど豪奢な部屋の中央に設置された
これまた金で所々に装飾が施された王座にその者は堂々と座っていた。



そしてその椅子に腰掛ける人物には顔がなかった。いや、正確には顔を晒していないというべきか。
その真の顔を知るものはこのオルセアには居るわけがない。



その人物は頭部に顔全体をスッポリと覆う金属のマスクを装着していた。


金で3つの眼の装飾を施されたソレは見るもの全てに無機質なイメージと生理的な嫌悪感を抱かせ
彼が纏う真紅のマントと随分サイズに余裕があるローブは都市を焼き尽くす戦火の火や傷口から噴出す血を連想させるであろう。



彼こそが新しくオルセアに出来た新興宗教『バラル教』の教祖であり、真の神の神子が降臨するまでの間の代弁者と名乗っているヒドラである。




そんな彼の後ろに2体、真紅のローブと漆黒のローブを纏った身の丈2メートルを優に超えるであろう巨人が身じろぎ一つせず直立不動で立っていた。
垂れたローブの隙間から見える2つの眼はギラギラと真っ赤に煌々と光っており、時折獣のような呻き声を小さく発している。  
そして何より、裾からほんの僅か出ている手は人間の手ではなかった。三本の寒気を覚えるほど鋭い鍵爪の様なものが覗いているといえばお分かりであろう。





ヒドラの護衛である。本来はそんなもの必要はないのだが、彼の趣味で作られた護衛である。
いや、もっと言ってしまえばヒドラを演じること自体がヒュードラにとってはゲーム、もしくは趣味の延長線上に過ぎないのだが。
アリシアの姿を模すのを止めたのは単に飽きたのと、宗教の教祖となるからにはもっとミステリアスな姿の方がいいだろうと判断したためである。





と、不意にヒドラが明後日の方角を見た。カチャリと金属の擦れる音がした。
そのまま何も無い虚空を何か書物を読んでいるように見つめ、内容を理解したと言わんばかりにそっと首を小さく縦に振る。




そして。



『セプタギンは予定通りミッドチルダに到着し私の“プレゼント”を配布、と……でも、地上だけで技術を独占しようとするのは困るね』



男の様であり、女の様でもあり、また幼い子供を思わせ、死期を間近に控えた老人を連想させる不思議な声でヒドラがそう呟く。
込められた感情は多すぎてどれか特定の1つを読み取るのは不可能である。



『分裂による弱体化なんてつまらないからね。ここは評議会とやらに頑張ってもらうとしよう』




ほんの少しだけ因果に介入。都合のいい様に弄繰り回す。
子供が玩具で遊ぶかのように運命で遊ぶ。


最終的な結果だけを決めて、後の過程は流れのままに。




それらが完了して、カタカタと仮面をゆらし笑う。



唐突に立ち上がり、窓際まで床を滑るように歩いていく。
何故か普通に2本の脚でしっかりと歩いているのに、這いずっていると錯覚を起こしてしまいそうな歩き方と雰囲気であった。



窓から覗くは幾多ものビルが雄雄しく立ち並ぶ景観
だがそこに行き交う人々の顔には覇気や生気など微塵もなく、ほぼ全員の顔は疲れで満たされていた。



しかも歩いているのは子供や老人、女と言った戦う力の持たない者ばかりだ。
男はほとんどが戦争に駆り出されたのだ。



『それにしても……娘ね』



ヒドラがガラスに映った自らの不気味な仮面を見つめながら呟く。



彼が思い出すは、教団をやりくりするための資金が欲しくて最初に接触した時は自分の事を気にも掛けなかった男。
が、亡くなった娘と再開させてやろうと誘惑した瞬間に顔色を変えて懇願して来たこの建物の元々の持ち主。



まつろわぬ者となった娘を吐き出して、ちょっと合わせてやっただけで自分に全てを捧げた男を思い出す。
そして『娘』という単語と同時に何かを思い出した様に手をポンと叩き合わせる。




『プレシア・テスタロッサ……私の寝起きに素晴らしいサプライズを提供してくれた彼女に対するお礼がまだだったかな?』



まぁ、それは後回しでいいかと一人ごちる。どんな内容がいいかはそれまでに考えておこう。
とりあえず今はルアフが『完成』するまでどれぐらいの信者を集めることが出来るかというゲームを楽しもうという事だ。



気分は人生ゲームをプレイしているみたいなものである。
ヒュードラにとって世界とは歌劇の舞台であり、チェスの盤と同じなのだ。
そして自分は脚本家でありプレイヤーであり黒子であり、監督であるという位置づけ。





窓から差し込む日光に照らされ、伸びたヒドラの“影”に真っ赤な3つの眼が浮かび上がっていた。




[19866] 番外
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/06/27 03:03
黒とも白とも認識できない、ありとあらゆる色が蠢き、それらが幾重にも折り重なって最終的には黒に“近い”色を持つに至った混沌と化した世界。
上も下も右も左もない空間だ。それどころか距離や時間という概念さえも有るかどうか疑わしい。



ただ絶えず判別不能の何かが沸きかえり、蠢き、増幅し続けるだけの混沌。




結果から言ってしまうと、ここは全ての源である原初の混沌の海を人工的に再現した空間であり、次元であり、場である。
ヒュードラという存在が支配する擬似的な始まりの海。



正確な大きさなど誰にも分からない巨大な泡の様なモノ――母宇宙から分離した子宇宙とも見える無数のドス黒い丸い泡が絶えず発生と崩壊を繰り返し、
着実にその数を増やし、そしてその分だけ減らしている。
その泡の数だけ試験的に世界の元が作られ、崩されていっているのだ。



言わば居るかどうかも判らない神様の真似事だ。いや、居なければ真似になどならないから、正真正銘の神の御業というべきか。
そもそも神の存在を証明など永遠に水掛け論やら悪魔の証明などの繰り返しになってしまうのだが……。



ここは永遠に進化と増幅、そして沸騰を繰り返す大きくて小さな矛盾したヒュードラの箱庭。
あまねく次元と世界、概念の境界線が犯され、崩落した世界の縮図。


その正体は無限大に近い数のまつろわぬ者が創り出した『鎧』の内部に存在する神の雛が座す狂った世界だ。
未だ未完成ではあるが、現在の時点で大よそ人の理解と想像を超えた場所となっているのは説明などしなくても判るだろう。




そしてこの世界の主たるヒュードラと言えば――。

















全天が真っ白なありとあらゆる時空間から完全に隔絶された世界。




ここだけが完全に独立した時間と空間を有する次元。どんな世界のどんな法則にも縛られない場所。
混沌の海に浮かぶ小さくて巨大な世界。ヒュードラが存在する世界である。
そこに無造作に配置された黒いソファー、そしてその前に設置された金で複雑な装飾を施された王侯貴族が所有していそうな豪奢なテーブル。



このテーブルを一つ売るだけで、並みの人間なら一生遊んで暮らせるだけの金が手に入るだろう。
それほどまでに価値を知るものが見れば値打ちある一品だ。



そしてそんな贅沢極まりないテーブルの上には物が置かれていた。
ジュウゥウと音を立て、香ばしい匂いを漂わせる鉄の板が。
熱せられた鉄板の上に乗っているのは肉である。それもかなり高価な牛肉。




オルセアの中でもかなり身分の高い者しか食す事は出来ないだろう限定品。




カチャリと金属が擦れあう音がする。
銀製のナイフとフォークが擦れあったために発生した甲高い音。人を不快にさせる音の類。



金やら様々な宝石を植え込まれ、装飾過多とも言える食器を握る指は人のソレではなかった。
否。そもそもの話、その存在は人の肌自体持っては居なかった。


全身の輪郭は揺ら揺らと不定形に幾重にもぶれており、その身には白いノイズの様な砂嵐が絶え間なく走っている。



衣服代わりに纏うのは輝く灰色という世にも奇妙な色彩の煙。
顔には鼻や頬を始めとした凹凸は無い。その代わりにあるのは耳元まで届く嘲笑いを浮かべた白い裂け目と紅い3つの眼らしき物。




そんな異形――ヒュードラはソファーに腰掛け、無駄に装飾されたナイフとフォークを掴んで食事を行っていた。
特に意味などない行為。言ってしまえばヒュードラの娯楽であった。




フォークで未だにジュウゥウと香ばしい音を立て続けるステーキの一部を刺し、ソレによって固定した部分から外側の方をナイフを用いて手早く切り取ろうとする。
やはりさすがは高級食品というべきであろうか、肉は何の抵抗もなくナイフによる蹂躙を受け入れ、あっという間に切り取られる。
切り口からはまるで血の様に肉汁が溢れ出し、それが熱せられた鉄板に触れて気化。塩辛い煙を上げた。



切り取った肉の欠片をフォークで刺し、ソレを小さな容器に満たされた特別なソースの中にひたす。
ジュッと小さな音が一瞬だけし、気化した微量のソースの芳醇な匂いが塩辛さに混ざる。



十分にひたしたのを確認したヒュードラが肉をソースの海から引き上げ、口元に持ってくる。
鼻など存在しない彼であるが、匂いは嗅げるのだろう。



堪能するかの如く肉汁とソースを垂らす肉片を眺め、それから迸る濃厚な肉と血の香りを味わう。
そして時間にして数秒後、彼はソレを口(?)の中に放り込んだ。




途端に口の中で肉が『溶けた』
この表現は間違ってなど居ない。事実、肉は彼の口の中で『溶けた』のだ。



途端口内に塩辛さ、肉の柔らかいながらも確かに存在する素晴らしい歯ごたえ、そしてソースの甘さ
それら全てが同時に彼の味覚を刺激する。



2、3度咀嚼するような動作をした後、ヒュードラがポツリと呟いた。
最も咀嚼と言っても彼の口らしき白い裂け目は全く動いてなどいないのだが。





『……味覚があって良かった』




心の底から、たっぷりと感情を込め、溜め息を吐き出す。
3つの紅い眼が満足げに細められ、今の彼の心境をこれ以上ないほどに現している。




と、ここで彼の眼の前に空間モニターが展開され、そこに文字がびっしりと書き込まれていく。
燃え滾る眼でソレを視界に入れる。






――記憶の読み取りが終了。映像編集も終了。何人かの記憶と因果の糸をつなぎ合わせて作りました。
 “上映”はいつでも出来ます。しかし正直な話、貴方の好むようなエンターテイメント性は皆無です。
  どちらかと言えばこれはハートフル系でしょう。





『構わないよ。食事しながら見るとするさ』




肉を更に切り分け、1口サイズになったソレをソースにひたして口に運ぶ。
そして上機嫌だと直ぐに判るほどの軽い声音でヒュードラが答えた。パクりと肉をもう1口食す。





モニターが瞬時に切り替わり、大きくテロップが流れる。
無駄に高尚なBGMが流れ、さながら映画のOPの様な演出だ。





――ルアフ・ブルーネル 管理局基準で 新暦25年誕生 1人息子。



モニターに映し出されるは小さなクシャクシャの赤ん坊。
産まれて間もない産子である。



そんな赤子を愛しい気に見やるのは金色の髪の女性と黒髪の青年。
恐らくはルアフの両親であろう。優しげな風貌をしている。





そこからは延々と成長過程が放映され続けた。
首が据わっただとか、おしめが取れただとか、離乳食を採り始めただとか。



この子の親戚ならば楽しい映像作品なんだろうが、ヒュードラにとっては退屈極まりない映像。
何が悲しくて子供の成長記録を見なければならないのだか。




『至って普通の家族、と言うべきかね』




2枚目のステーキを食し終え
上物の紅いワインが入ったグラスを片手にヒュードラがつまらなさそうに感想を述べる。
グラスを傾け、紅い液体を裂け目の中に流し込む。あぁ、旨い。





―――生後5年 



基点となる場面。大きな分岐点となった場面だ。
何故ルアフがあのような場所に捨てられていたかの原因。



既に両足で立ち、おぼろげながらも自我を持ち始めた頃のお話だ。
幼稚園に通い始め、基礎的な教育と倫理を教え込まれる時期である。



まだまだ子供の彼は知らなかったのだろう。ソレがやってはいけないということを。
子供が虫の手足を千切って遊ぶのと同じ感覚だったのだろうか?






―――かしてよ! 僕にも!!




切欠は小さな事であったようだ。
遊びたい玩具を同級生が独り占めしていて、貸してくれなかっただけ。


今までの映像からして、その相手はこれまでも何度もルアフに対して意地悪を働いていたらしい。



まぁ、珍しくなんかないだろう。思い通りにならなければ暴力を振るう幼子などごまんと居る。
子供同士の喧嘩なんて大したことはない。非力な腕でポカポカ殴っても相手を殺傷するには到底至らない。




普通ならば。





だがルアフの場合はちょっと違った。




―――え?





それが相手の子供の生涯で最後の声。自分に何が起こったか判ってない故の言葉。
眼、鼻、口、そして全身のありとあらゆる血管から血を噴水の様に噴出して、力なく倒れこむ。


幼稚園の子供のクレヨンで書かれた絵が飾ってある壁が、デフォルメされた動物の模様が編みこまれた床のカーペットが、
そして何より幼いルアフが、真っ赤に染め上げられる。充満する鉄の香り、血の悪臭。




誰が見ても即死であった。僅か5年という短い人生で相手は命を閉ざした。
刹那の沈黙を破り、響き渡る子供たちの悲鳴、教職員の怒号。




そんな混沌とした場面を見て、ヒュードラが一言。



『一種の衝撃波。念動力で対象の内部を粉砕したみたいだな』





しかしまさかこんなタイミングで能力に目覚めるとは、と続ける。
そして一口、今度は皿に盛られたデザートの固形チョコレートを口の中に放り込む。


甘い。正しくこれこそがデザートだと言わんばかりの味わい。



モニターが切り替わる。そして新たな場面を見せる。





そこから先はブルーネル一家にとっての地獄であった。



―――この人殺し! 悪魔め! 地獄に落ちろ!!!




原因不明とは言え、子供を一人殺した(と思われる)ルアフに対する風当たりが強くなるのも必然といえよう。
影口に始まり、陰湿ないじめ。物が隠されたり壊されたり、石を投げつけられたり、はたまた玩具の銃で全身を撃たれたり。



そして父と母に対する仕打ちはもっと酷かった。
相手の遺族が復讐に走ったのである。



夫は仕事中に何度も襲われ、妻は家に押し入ってきた男に犯され、家には放火され、散々な目にあったそうな。



そして最後は―――。




――――君達が『悪魔の子』を産んだ一家か?



オルセアは神に対する信仰心が深い世界である。いい意味でも悪い意味でも、戦争をしてしまうほどに深いのだ。
故、特異な能力を持ち、人を殺した子を産んだブルーネル一家が目をつけられるのも無理はない。





何日も続けられる尋問という名の拷問。しかし決して死なせない様に注意されたソレ。
まだまだ幼い少年であったルアフには行わなかったのはせめてもの慈悲であったのだろうか。



―――本当に悪魔と契約などしていないといえるのかね?




何度違うと言っても繰り返される質問。
決して寝かせず、決して休ませない。1月以上も。


時には水に漬けられ、時には爪を剥がされ、時には舌に切れ込みを入れられた。



そんな日常が毎日。





毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日






繰り返される尋問という名の拷問。決して死なせなどしない。決して逃しなどしない。許しなど与えられず。
ただ神の名の元に繰り返される名ばかりの『尋問』



そんな目に遭えば、そもそもの原因である血を分けた我が子が恨めしく思えてしまっても仕方が無いだろう。
決して彼女、アネット・ブルーネルは聖女などではないのだ。



結果、3ヶ月ほど経ってから釈放された彼女の精神は半ば崩壊していた。
そして彼女の夫である、トリス・ブルーネルは既に身を晦ませて、行方など誰も知らない。
結果、彼女は女手一つでルアフを育てなければならない事になったのだ。




最初の慈愛に満ちた表情は消え去り、憎悪と狂気に満ちた顔でルアフを嫌々ながらも育てたのはせめてもの良心なのだろうか?



『物凄い変貌だな』




鬼気迫る表情のアネットを見て、ヒュードラが感想を一言。そして、おやつであるポテ○・チップを一口。
パリパリと香ばしい音を立てて、味わう。



何度も何度も虐待を繰り返しつつも、最低限の食事(三日に一回)を与えつつ育てたその気概は評価に値するとヒュードラは思った。
同時にさっさと足手まといの子供など捨てて、新しい男を誘惑すればいいのにとも思う。




もう一度画面が切り替わる。





そして14歳の誕生日。






―――私は最初から貴方の事が大嫌いだったのよ!!!




血走った狂気に満ちた目、荒い吐息、何年も溜まりに溜まった醗酵しきった黒い感情。
それら全てが乱雑に入り混じった、筆舌に尽くしがたい表情で彼女はルアフを刃物で滅多刺しにし、死体をあのゴミ箱に捨てる。



一度も彼が念力で抵抗していないのは母に対する愛ゆえか。子が親を簡単に殺せるわけない。




ここでモニターが暗転し、画面に大きく『THE END』と表示された。上映が終わったのだろう。
かなり省略してこそいたが、大まかな内容は判る程度に編集されていたムービーであった。



やはり自分にはハートフルは合わない、そう思いながらヒュードラは言葉を紡ぐ。



『思ったよりも退屈な内容だった……そうは思わないか? ルアフ君?』




ヒュードラがモニターに向けて語りかける。終幕を映していた画面が再び光を取り戻し、1つの場面を見せる。
映し出されたのは大人の人間が丸ごと入ってしまえそうな程に巨大な卵。表面は輝く灰色で覆われ、不気味に蠢く卵だ。
それに語りかける様にヒュードラが続ける。まるで胎内に居る赤子に親が話しかける如く。




『君に力と知識と権威、そしてオルセアをあげよう。好きなように暴れてもらって構わない。第二の生を謳歌してくれ』




ドクンと、心臓の鼓動を連想させる音を鳴らし、卵がヒュードラの言葉に答えるように脈動を刻んだ。
と、ここでヒュードラが気が付いたように一言。純粋な疑問を口に出す。




『………もしも、神が居るとしたら私の様に誰かに力を与えて転生させたりしているのかね?』



が、ヒュードラがその事柄に深く思考を走らせる事は出来なかった。
何故ならば1つの報告が彼の思考を遮ったからだ。


そしてその内容は彼の気を惹くに値するものである。



―――マスター アナタノ タンマツ『ヒドラ』ノ シュウヘン カンキョウ ニ タショウ ノ モンダイ ガ ハッセイシマシタ。




『判った』



簡潔に答え、無限力を行使。
糸を伸ばすのに近い感覚で自分の意思の一部と力を端末に伸ばして接続。



最後に小さくヒュードラが零れる様に呟いた。






『……下準備というのも、意外と大変だ』





これは小さな幕間の話。






あとがき


やってしまいました。操作を誤り、うっかり以前の記事を全削除……。
コメントをしてくださった皆様、本当に申し訳ありません。
深くお詫びしましす。以後、このような事がないように気をつけます。


そして今回も繋ぎ、というよりもルアフの身の上話だけで終了なので
番外という訳でお願いします。

では、次回をまったりとお待ちください。


ごめいわくをおかけして、本当にごめんなさい。



[19866]
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/06/28 23:47
オルセアのとある都市に存在する富豪の城。
既に夜の頂点をまわった時間。巨大な月が雲の隙間より顔を出し、オルセアを見下している。



王の座する間であると言われても違和感のない豪奢な部屋の中央に4つの人影があった。
2つは平均男性ほどの身長、残りの2つは人間とは思えないほどに長身だ。



『何があった?』



数え切れない程に反騰、反響を繰り返し、もはや人の声と認識することさえ困難な音声。
良く聴けば幼子にも女性にも男性にも老人にも聞こえる、声らしきものだ。



耳を直接細長い金属質の棒か何かで掻き毟られる錯覚さえ抱かせられる音を
悪趣味な3眼の仮面の内から発音し、バラル教の教祖ヒドラがやる気なさげに直ぐ近くに居る信者に問う。



それに答える中年の男の風貌は至って普通。
黒いボサボサの髪に、シャツと皮のズボンを履いたどこにでも居そうな中年男性。
ただし、眼が普通ではない。これだけは違う。断じて普通などではない。



真っ赤だ。恐ろしいまでに真っ赤だ。アルビノという病にかかったマウスなどは眼が赤いと言われるが、これはそれに近い。
美しさなど欠片もない紅、純粋な血の色の絵の具を眼に多分に塗りたくればこの様な色になるであろう色。
バラル教の『洗礼』を受けた証である。




「はい……何人か侵入者がこの屋敷に潜入したものかと。それと、入り口の者と連絡が付きません」




『……………らしいな……数は、20……と、言ったところか』




一瞬だけ信者の声に反応し、まるで眼の前にある台本を確認のために読み上げるかの様にヒドラが呟く。
そしてもう入り口の警護に当てていた者は生きては居ないだろうなと、予想をつける。


だが、肉体的な意味での『死』は神との同化であると教えてあるので、死ぬことに恐怖は感じなかったであろう。
嘘など付いてはいない。事実『死』は無限力に加わるということであり、それは神になる存在である自分との同化といえるのだから。



「どうされますか、ヒドラ様?」



『さて、どうするか……』




信者の言葉に適当に答え、白い布の手袋に包まれた指を仮面の顎の部分に当てて、考え込む。
今の気分はさながら将棋やチェスのプレイヤーである。




さて、誰に迎撃させるか……。



『蟲』――却下。現在『蟲』はオルセアの各軍の情報収集のために攻撃などをさせている。
     今ここでバラル教との繋がりを露呈させるのはマズイ。



エゼキエル――却下。同上の理由。及び、5m級の機械人形を室内で動かせ……空間拡張すればいけるか?




ペット―――保留。




『さて、どうするか……』




もう一度、さっきと同じ言葉を仮面越しに紡ぐ。顎に当てていた指を動かし、金属質の仮面を撫でやる。
冷やりとした感触が布越しに伝わってくる。
今ここで信者の数を戦闘で減らすのも得策とはいえないし……。




まだ、あまり大きな争いなどは事は避けたい。だって、そんなことしたらルアフの出番がなくなってしまう。



自分が行くという選択肢は無い。だって、そんなことをすればあっさり終わってしまうじゃないか。
今はこの予想外のイベントをじっくりと楽しみたい気分なのだ。




ふと、ここで気が付いた。自身の後ろに直立不動で立っている1対の巨人の存在に。
目元まで深く紅と漆黒のローブを纏った護衛達を見やる。




『………』



仮面を纏った顔を傾げ、1対の護衛を観察し、彼我との戦力差を計算。
相手は恐らく銃を持っているだろう、そもそも武器を持ってなければこんな所に来ないだろう。



訓練された兵士の可能性もある。いや、ただのごろつきの可能性のが少ないか?






では、この護衛の能力は?
戯れで造った彼らのスペックを脳内に呼び出し、改めて吟味。







――名称『処刑人』――



成人男性の身体に魔導巨大昆虫種の遺伝子を組み合わせ、強靭な肉体を構築。
空っぽになった自我はまつろわぬ者によって満たすことにより稼動。


なお、空は飛べない。変わりに地上――特に閉鎖空間での戦闘に特化している。







閉鎖空間、閉鎖空間、閉鎖空間……。


この間、約5秒。


しっかりと思考を巡らせて、ヒドラが何かに思い至った様に相槌を打つ。




そうしてから彼はその不気味極まりない声で背後の紅と黒の怪物に命令を下す。


いや、この場合は命令ではなく、死刑執行の書類にサインをしたとも言える。
何故なら彼が派遣するのは戦士でも傭兵でも、獣でも機械兵でもない。純粋な処刑人なのだから。





『行け 全て殺せ』




命令を受けた2人(?)がゆったりとした足取りで大股に部屋から出て行く。
これから虐殺をしにいくとは思えない程にのんびりとした足取りだった。



最後に扉が閉まるのを確認して、ヒドラが椅子に優雅な動作で腰掛ける。
そしてまだ立っている信者を丁寧に椅子に座らせて、一言。



『何か食べるかい? 美味しいワインもあるぞ?』




その言葉と同時に屋敷の全ての明かりが消えた。




























屋敷の明かりが落ち、薄暗い廊下を照らすのは朧気な月の光だけ。
昼間は人が多く、活気に満ちた屋敷の内部は夜になれば一気に閑散な物と化す。




紅い上物の絨毯が敷かれ、脇には甲冑が整然と並んだ整理が行き届いた屋敷の廊下を複数の影が音もなく走りまわる。
皆、顔を黒いマスクで隠し、眼には暗視ゴーグル。頭部には対銃弾用のヘルメットを被っているのが特徴的だ。


胴には分厚い防弾チョッキ。
そして腰には幾つかの閃光球や手榴弾、予備の拳銃。そして手に持つは散弾銃、アサルトライフル、サブマシンガンなどなど、全て銃器の類ばかりだ。
どう見てもただの一般人や強盗には見えない彼らはありたいに言ってしまえば暗殺者達である。


ある国が最近急速に勢力を拡大しているバラル教の教祖を抹殺しに送り込んだものだ。
なお、この居場所を摘発したのは元はこの屋敷の持ち主であった男の部下なのだが、そんな事は今は関係ないことである。



予定では明日の朝にはこの城は『謎の』火災で燃え落ちる手はずになっている。




曲がり角に差し掛かる度に鏡で向こう側を確認するほどに用心しつつ進んでいく。
幾人かで小体を組み、罠などに気をつけて進む。



「いけ」


小さくリーダーらしき男が指示し、それに従い部下と思わしき兵士達が迅速に動いていく。






















処刑者は見ていた。
昆虫の遺伝子を植え込まれ、改造強化された肉体の視力は恐ろしいまでに正確無比なのだ。


昆虫の複眼――大よそ2万前後のビッシリと隙間なく並んだ個眼によって得られる視力と視界は人間の比ではない。



そして蚊などに見られる体温や二酸化炭素などの排出によって対象が何処にいるかを理解できる能力を持った
処刑人にとってこの程度の暗がりはハンデ所か、逆に有利になる条件である。
異常な視界能力と気配探知能力を駆使、そしてまつろわぬ者達からの報告によって主から排除しろと命ぜられた存在が何処にいるかを瞬時に理解。


今はその動きを観察中である。




――階段に5 廊下に7 廊下の後続組みが少々遅れている。その数は大よそ8



相手がこちらを認識できていない以上、それはメリットだ。
まずはこちらを認識されないように数の少ない所から狙うのは当然の戦法。



処刑者が動いた。壁を蹴り、天井を這いずり廻り、3次元的な動きをし、人には到底出せない速度で移動。
そしてそれだけの速度で動いていながらも、物音は一つも立てない。

















兵士達が階段を昇っていく。数は約4。
先ほど5名ほど昇っていった部隊の後続部隊である。





1人、2人、3人と駆け足で、尚且つ足音を立てず、細心の注意を払いながら駆け上がる。
そして4人は上る事は出来なかった。何故ならば天井から無音で繰り出された『槍』によってその胸部を貫かれたからだ。



「かっ……」



せめて最後に声を上げ、部隊に危機を知らせようと涙ぐましい努力をする隊員を嘲笑うかの様に、『槍』が撓りつつ振り上げられる。
当然突き刺さっていた隊員の身体は真っ二つ。発声器官どころか頭部も真っ二つになってしまえば、声など出せない。



べチャッっと小さく音を立てて、肩から上が開きにされた死体が倒れこむ。一泊遅れて血が辺りを染めていく。


『槍』――処刑者の腰辺りから生える、サソリの尾にも似た頑強な甲殻に包み込まれた尻尾がスルスルと軽やかに天井の闇の中に格納されていく光景は怖気を覚えるものだ。

















「おい、ケビンはどうした?」



「さぁ」



先ほど階段を4人で昇って、現在は3人になった部隊員が会話をし、一瞬だけ意識を逸らす。
それが命取りであった。処刑者は無慈悲だ。



「ぐがっ……」



会話を行った2人から数歩ほど先行していた隊員の頭から上が『刈り取られた』
文字通りの意味で、上半身だけを天井から下ろして来た処刑者の3本の爪牙で雑草を刈るがごとくに。
脊髄も血管も、筋肉も、神経も、その全てが綺麗に両断され、血圧によって血が噴水の様に吹き出る。





噴出す血。一瞬だけ現実が理解できないと言わんばかりに硬直する隊員。



が、彼らは兵士だ。瞬時に身体が動いた。



「なんだこいつは!」



「まさか悪魔!?」



ライフルのトリガーに手を掛け、撃とうとするが……出来なかった。
ソレよりも早く振るわれた爪によって一人の首が宙を簡単に舞い、もう一人は背後から『槍』によって心臓を串刺しにされたからだ。


人の死と言うのは案外呆気ない。





「なっ……?」


理解が出来ないと言わんばかりに首を動かし背後を見る隊員。
口からは血が吹き出て、命が急速に失われていくことを教えている。





―――― チッチッチッチッ





そんな人間の視界に最後に映ったのは
3本の指の内、真ん中の1本をピンと立てて、ソレをリズム良く左右に振っている煌々と眼を輝かせたもう1体の化け物であった。





























最初に先行していた5名の兵士は正に立ち往生の状態であった。
何故ならば直ぐ後ろを固めてくれるはずの後続部隊との連絡が途絶え、今、新しい部隊がその穴を埋めるべく動いているからだ。


しかし、悲しい話ではあるが屋敷の主は彼らを生かして返す気はない。



「! 誰か居るのか?」



ここで隊員の一人が気が付いた。廊下の向こうから誰かがやってくるのを。しかし、足音がおかしい。



――ギギギギギギギギ



まるで永い間油を差すのを忘れた金属が擦れあう不協和音。
間違ってもこんな音を立てて歩く人間など居はしない。そう、普通ならば。



「何だ…あれは……」



暗視ゴーグルに映った音の正体に思わず隊員が呆然とした声を呟く。



ソレは鎧であった。フルプレートで造られた中世辺りの騎士が着込んだとされる鎧。
今は金持ちの屋敷などに見世物として飾られている一品。



そんな鎧が、歩いていた。しかも1つや2つではない。何十も。下手をすれば100を超えてるかもしれない。
今まで通ってきた廊下に均等な間隔で配置されていた鎧、その全てが動いているのだ。



おまけに各々がその手に持つは銀の斧や剣、槍などなど。
月の光を薄く反射するソレらは十二分に殺傷能力があるのだと遠目にでも判った。



気が付けば前も後ろも完全に包囲されていた。
長槍を持った騎士甲冑が前面に出て、ファランクスを形成し一気に間合いをつめてくる。
隊員に向けられる無数の矛先。




―――楽しんでくれ、私が主催する人形ショーだ。死ぬほどに夢中になれると思うよ。




深い男の声で、脳内にそんな言葉が響いた様な気がした。人の存在の奥底まで響いてくる恐ろしく遠く深い声。
そんな声を打ち払うようにリーダーと思わしき男は必死に叫んだ。



「撃て! あんなのはただの骨董品だぁ!!」



しばらくの間、銃声が響いたが、直ぐにその音も聞こえなくなった。
後に聞こえるは金属の擦れる音だけ。

























「隊長、他の隊との連絡が次々に途絶えていきます!」




「そんな事は知っている!」




部下からの切羽詰る報告に思わず隊長と思わしき男は怒鳴り返していた。
今回の話は簡単な任務のはずだった。何も武装など以っていない新興宗教の教祖を暗殺する。



国家は現在戦争中で大々的に異教徒の掃討を行うだけの力はなく、故に少数で隠れ家を奇襲し、教祖を抹殺。
それだけの話だった。そも、信者が幾ら武装していたとしても、所詮は素人だ、何とかなると考えていた。
教祖も怪しげな仮面と風貌の男らしいが、銃で撃てば死ぬ。そんな風に男は考えていた。
いや、事実相手が人間としての範疇に収まる存在ならばその考えは正しい。




「チッ!  ここは退くぞ。ここまで部隊がやられちまったら、もう失敗だ」




「………」



一瞬だけ利益と命を天秤に掛け、直ぐに命を選択した男が部下に指令を飛ばす。
しかし、いつもならば瞬時に答えてくれるはずの部下の返事が無い。



不思議に思い、部下を見やる。




残念だが、そこに立っていたのは見慣れた武装した部下ではなかった。



身の丈2mはあるだろう巨人。全身を昆虫の甲殻の様な物に包まれ、1対の眼は爛々と爛れた光を放っている。
そして巨人がその手に無造作に持つのは血塗れの男の部下。もう、息はないのが見て取れた。



「!!」




咄嗟に後ろに跳ねて距離を取る、そして重いライフルを捨て、腰から抜き取った拳銃を1発撃ち込む。
火薬が炸裂する爆発音。






「おいおい……嘘だろ?」




男は思わずそう零していた。今、起きたことに頭がついていけない故に零れた言葉。
かわされた。超至近距離で放たれた弾丸を、処刑人は上半身を逸らすだけで回避したのだ。




――― クイックイッ



処刑人が3本の指の1本を使い、『かかってこい』と言わんばかりに指を振って『おいでおいで』をする。




「冗談じゃ……ね……」


男は勿論そんな挑発には乗らず、踵を返し逃走を図ろうとするが、直ぐにそんな考えも消し飛んだ。
もう1体。全く同じ姿形をした『処刑人』がゆったりと、大股に歩いてきたのだ。



そして、もう1体の『処刑人』の両手には、部隊の仲間の首が幾つも握られていた。10近い数だ。
男は前も後ろも『処刑人』に塞がれた形になる。逃げ場は、ない。





「くそ!!」



破れかぶれに拳銃を乱射。
今度は処刑人は避けなかったが、着弾しても弾丸はその堅牢な外皮に弾かれる。ボシュボシュっと乾いた虚しい音しかならない。




撃ち終え、やがて弾が切れて、カチャカチャという悲しい音しかならなくなる。絶望を抱かせる音だ。
10発以上も鉛弾を撃ち込まれた処刑人が両手を大きく広げ、肩を竦め、首をかしげた。
まるでそんなもの利いてなどいないとアピールするように。




「あぁ……くそ」



男が観念したかの様に乾いた笑みを浮かべ、腰に固定させていたダガーナイフと手榴弾を引き抜き、構える。




2体の『処刑人』が飛び掛った。




























『これは……新しい家を探す必要があるな』


血塗れになった廊下、それの後始末をする信者達の様子を見ながらヒドラが独り言を呟く。
死体と血と、様々な鎧や装備品の残骸で満たされた廊下は正に死屍累々と言った言葉を完璧に体言していた。
数刻前までの壮言さは消え失せ、今じゃまるで陥落した城の内部みたいだ。



何よりこの自分の位置を知られてしまった以上、次から次へとこの兵士達の様な者が押し寄せてきても可笑しくはない。
ハァ、とヒドラが大仰に肩を竦め、顔を小さく振って溜め息を吐く。どこか芝居がかった動きだ。



『お前達……もう少し周りの被害に気を配れ』



自分のやった『人形ショー』が一番城に対する被害が大きかったのだが、それを棚に上げて注意。
よっぽど自分の城を壊されたのが嫌だったのだろうか?




ヒドラの背後に控える1対のローブを纏った巨人はその言葉を理解できたのか
または出来ていないのかは判らないが直立不動のまま、何も言葉を発さない。



否、発せない。人とは発声器官の構造が違うから。




『…………いくぞ』



小さく、それだけを告げ、後の始末は信者に任せると伝えたヒドラが踵を返し、自室に歩を進める。
そんな彼の数歩後ろを『2体』の処刑者はゆったりと大股で付いていった。




バラル教の運営は中々に大変だ。そう、思った。








あとがき




全削除のお詫びに高速更新。
それと、ちょっとだけタイトル表記を変更しました。

というのは建前で実は感想が欲しいだけのマスクです。

はい。切実に感想が、欲しいですw


今回は処刑人無双のお話でした。


では、次回の更新をゆったりとお待ちをば。
予定では、後1話か2話を更新したら、とある竜の方を再開したいかなーとか思ってます。

次回の更新にてお会いしましょう。




[19866] 10
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/07/14 00:51
――お母さん! 熱いよ!! 助けて!!!




視界を覆い尽くすのは圧倒的な紅蓮、そして輝く灰色という世にも奇妙で、尚且つ根源的な恐怖を抱かせる煙らしきもの。
その濁流に飲み込まれ、悲痛な叫びで母に助けを求めるのはアリシア。
しかし、その声はどんどん枯れていき、最後は煙に呑まれ消滅。



倒れ伏した彼女の身体に炎が群がり、その身体を容赦なく焼き尽くす。
焼け焦げ灰となる、あの人譲りの金髪。
健康的な肌は最初は赤く、そこから徐々に時間を置いて真っ黒になっていく。



ご丁寧に炎の渦は火葬までも行ってくれているのだ。
強火で焼かれていくアリシアの遺体。


肉が削げ落ち、油と水分が沸騰し溢れ、骨がむき出しにされる。
炭と化したかつてアリシアの肌だったものが、灰となり、崩れ散る。
やがては骨さえも業火の渦の威力によって砕かれ、砂になり、霧散。




そんな光景を彼女の母親であるプレシア・テスタロッサは無感情な貌で見つめていた。
もう何度目になるだろうか。この光景をみるのは。数えるのも馬鹿らしくなるほど――否、数えたくなどない。


少なくとも100を超える回数は見ているだろう。アリシア・テスタロッサが死んだ光景をみるのは。
プレシアはアリシアが死んだ光景を直接見たわけではない。彼女がアリシアの元にたどり着けたのは全てが終わった後だった。



故にプレシアの様々な知識が詰まった頭脳は
アリシアが死んだ光景を望んでもいないのにその知識と知恵を元に『夢』という場を借りて映像として再生してくるのだ。
煙に巻かれ、炎で焼かれ、爆発に巻き込まれ、倒れてくる食器棚に押しつぶされて……あげればキリがない。


プレシアはこの光景が夢だと知っていた。
アリシアは確かにあの日、『アルゴ・レルネー』の研究施設で死亡し、その遺体は未だに回収できてはいない。
今頃はこの光景と同じようにあの施設で火葬され、もう灰も残っては居ないだろう。


だが、死ぬ寸前の苦しみ抜いている姿とは言え、もうこの世には居ないアリシアに出会える唯一の場所なのだ。
最初の内は何とか助けようともがいていたのだが、それも諦め、今は光の抜けた瞳でアリシアを観察しているだけだ。
まるでカメラのレンズを思わせる無機質な瞳。



暗転。夢独特の飛行魔法とは種類が違う浮遊感がプレシアを襲い、彼女を別の場面に飛ばす。


















次いで映されたのは金色の髪と紅い眼が特徴の優男。プレシアに向け、柔らかく微笑んでいる。
少しだけ、プレシアの色のない瞳が揺れた。夫が夢に出てきたのは始めてだったのだ。


場所は花々が咲き乱れる緑が豊かなどこかの公園のような場所。
管理局の自然保護部隊が保護していてもおかしくない光景だ。
アルゴ・レルネーが崩壊する前に見せていた美しい自然に満たされた世界にも似ている。





「大丈夫? 顔色が悪いよ、プレシア」




優しい声音。
暖かい光を湛えた瞳が彼女を心配そうに覗き込み、その男性ながらのゴツゴツとした手で髪を撫でてくる。
彼女の眼に光が少しだけ、ほんの少しだけ戻り、愛しい人の手をしっかりと握る。


「わ、わ、私は……私はっ……!!」


ボロボロと涙を零し、しゃっくりあげながら唇をわななかせ何とか言葉を紡ごうとする。
数秒の時間を有し、何とか貴方の残してくれた宝を守れなかったと彼に告げる。



彼はプレシアが大好きであった優しい笑顔を浮かべ、そして――。






『まぁ、奪ったのは私なのだがね あの鬼気迫る顔は中々に見物だったぞ』




喜色の混ざった、深く、冷たく、凍りついた声でそう言った。



彼の全身の皮がパズルの様に脆く崩れ落ち、ボロボロと崩落していく。彼の皮の中より所々にノイズの走った見るもおぞましい“闇”があふれ出すのを彼女は見た。
闇の背から噴出される、輝く灰色の瘴気が花々を腐らせ、木々を枯れ落ちさせ、世界を犯しはじめる。
煙はまるで独自の意思を持っているかのように人の姿を取った“影”に衣服の如く纏わりつき、やがてはローブのような形状に固定された。




“影”の持つ3つの紅い爛れた眼がプレシアを嘲笑う。皹割れ、濁った嗤い声が夢の世界に強く木霊し、彼女の世界を粉々に砕いた。









反転。



















「……っ!!」




絶叫に近い声、あまりにも音が高くなり過ぎてしまい、逆に無声と化した悲鳴を上げてプレシアは夢の世界から帰還を果たした。
胸は激しく上下し、全身にはびっしょりと汗をかいている。服が水分を吸ってしまい、重くてうざったい。



「……夢」



病室特有の消毒薬や、薬物の入り混じった清潔なイメージを抱く匂いが彼女の鼻腔を刺激する。
彼女の寝ているベッドの直ぐ隣においてある機械類が、暗闇の中で不気味に発光していた。
ここはミッドチルダ首都、クラナガンに有る病院。今彼女が居るのはその病室の1つだ。



壁に掛けられた電子時計が薄く発光し、新暦40年の何月何日、何時何分何秒までも正確に告知している。 




アルゴ・レルネーを壊滅させたヒュードラ事件の主犯としてプレシアは管理局に一時的に拘束されたのだが
あの魔導炉の爆発によって発生した超高密度の魔力素が満たされた空間の中で魔法を使ってしまったため
彼女は魔力素という毒によって、全身とリンカー・コアはボロボロになってしまっているのだ。それ故の入院である。




ちなみに管理局の情報によると魔力素は通常濃度の±15%が適正値であり、それ以上でも、それ以下でも色々と問題が発生するらしい。
少ないと魔法が発動させずらかったり、多いとリンカー・コアが痛み、更に過剰に多くすると、生物は死んでしまう。


アルゴ・レルネーを満たした魔力濃度は+150%を軽くオーバーしていたらしい。
そのため、飽和した魔力素は大気中に輝く灰色の粉末のような形状で飛び交い、今もかの世界を犯しているのだろう。


他には最愛の娘であるアリシア・テスタロッサを失ったショックにより精神的な病にも掛かり
一時期は何度も自殺を試みるほどに彼女が追い詰められていたのも入院した要因の一つである。



今はヒュードラ事件担当の執務官であるコーディ・ハラオウンと、病院のカウンセラー達の深い努力のお陰で
当初のような発狂振りはなりを潜め、安定した精神状態に戻ることが出来ていた。
食事なども取るようになり、ガリガリに痩せていたその身体はかつてのふくよかさと美しさを取り戻しつつある。



人間が持っている適応機構の1つである、アリシアが居ないという現実に対しての“慣れ”が働いているのも一因ではあるだろう。



特にコーディ執務官は毎日毎日毎日、まるで彼女の親族のように頻繁に面会に来ては色々と話をしている。
彼の立場上事件の事なども当然聞かれるが、他にも様々な雑談なども行っているのだ。
休みの日さえも頻繁に訪問し、親族が既に居ないプレシアに対して色々な話題を提供してくれる。



気が付けばプレシアは彼に対して色々と話していた。夫の事、アリシアの事、そしてヒュードラ炉の事。
その全てを彼は余さずメモを取り、記録していた。
その態度は徹頭徹尾理系であるプレシアにはそれなりに好ましいものである。



特にヒュードラ関連に関して彼は深く聞いてくるが、まぁ、職業上仕方ないだろう。




「………」



ベッドから立ち上がり、手探りでスイッチを押して、病室のランプを灯ける。淡い光が病室を照らし出す。
汗で粘ついた服を脱ぎ捨てる。下着も全て脱いで全裸になった。


この部屋は個室であるし、精神の回復を認められたためサーチャーによる監視もなくなった今、誰も見ている者はいない。
黒い艶やかな髪がふわっと広がり、汗と色気を撒き散らす。



洗濯物を入れておく籠に脱いだ衣服を突っ込み、クローゼットから服と下着を取り出してそれを素早く着る。
ベッドのシーツも籠に突っ込み、クローゼットに入っていたシーツを浮遊魔法で浮かばせて取り出そうとする。



「っ!」



その瞬間、プレシアは胸部に針が刺されたような鋭い痛みを感じ、慌てて魔法を取り消す。
ぜーぜーと荒い息を吐き、小さく溜め息。まだリンカー・コアは治っていない。


ミッドの最先端の医療技術で何とか魔法を発動させる時点までは再生させることが出来たが、まだまだ身体に対しての負担がかなり大きい。
文字通り、命を削らなければ魔法は発動させられない。


この先、どんなに彼女のリンカー・コアが回復しても、全盛期のように思うがままにリスクなしで発動はもう不可能だろう。
+100%を超える濃度の中で純粋な毒素とも言える高濃度の魔力素を大量に取り込んで命があるのが奇跡といえる。




「不便ね。魔法というのは」




呟く。かつて大魔導と呼ばれた彼女が魔法を罵倒する。




「死者蘇生も出来ないのに、“魔法”なんて……笑える名前だわ」




憎憎しげにそう繰り返す。彼女の眼に涙が浮かんだ。それをゴシゴシと乱暴に拭う。
そして手でシーツを引っ張り出しそれを手早く且つ、正確に敷いて行く。















「……何時の間にか、覚えちゃってたのよね、シーツの敷き方」



昔を懐かしむ様に、か細い声で一言。


プレシアは実は彼と結婚するまで家事は全くと言っていいほど出来なかったのだ。
勉学と魔法だけを重点的に勉強していた彼女に、家庭での知識や知恵などあるわけもない。


彼と一緒に暮らすという事で慌てて勉強したのだ。
当然の如く、そんなものは付け焼刃だったし、その点で彼に迷惑を掛けてしまったこともある。
彼は男性ではあったが、恐ろしいほどに家事などに長けていたため、それに嫉妬したというのも家事の練習を始めた理由の一つだ。

が、やがては仕事が忙しくなってしまい、その努力さえも放棄せざるを得なくなった。



結果的には彼にまかせっきりになってしまい、家の家事はおろか、アリシアの世話までも投げ出しかけていたのは事実。
忙しかったと幾ら言い訳を繋げても、アリシアとあの人を放置していたのも事実。



彼はそんなプレシアのために今までの仕事を辞めてまで、家事に専念してくれた。
その上で、全てを受け入れ、プレシアの背を押してくれたのだ。


家とアリシアは任せてくれ、と。
そんな夫の優しさに甘え、彼女は猛烈な勢いで成果を上げ続け、何時の間にか大魔道師と呼ばれるようになっていた。



幾つも取得した特許と出世した彼女の給与。
それによって金銭面も豊かになり、これからはゆったりと過ごそうと思った矢先に彼は唐突にいなくなってしまった。



事故だ。交通事故。何も珍しくなどない。ミッドでも1年間にかなりの数が発生する事件。
彼は呆気なく逝ってしまった。アリシアと自分だけを残して。



それからだ。プレシアが本格的に家事の特訓を始めたのは。
泣いてばかりはいられない。私がアリシアを育てるのだと。



まだまだ1歳程度のアリシア。それを育てるために、彼女はありとあらゆる手を尽くした。
雇った者から話を聞き、教えを乞い、本を読み漁り、そして実際に試す。
そんなことを永く繰り返す内に、いつの間に一通りの家事は覚えていたのだ。


主にシーツの敷き方を実践したのは、アリシアの寝相などでシーツがクシャクシャになった時などが主だ。



「………」



綺麗に、皺一つない程に敷かれたシーツを黙って見つめる。
いつもはこの後にアリシアが笑顔でダイブしていた。そしてソレをやんわりと叱る自分。
そんな微笑ましい光景。あの人が居なくなった悲しみを存在してくれるだけで癒してくれたアリシア。



だが、もう居ない。アリシアも、あの人も、この無限の次元世界のどこを探しても存在していない。
そんな事実がゆっくりとプレシアの頭脳に、心に、しみこんでいく。


彼女の眼が潤み、涙が止め処もなく溢れる。
自分がこの世界に1人だけになったという事を改めて認識してしまった。



「アリ、しぁ……か、あさんを……1人にしないで……」



ベッドに突っ伏して声を殺して泣く。


いっそ狂えればよかった。
しかし、周りの者の頑張りと彼女自身の強さで理性と己を取り戻したプレシアはもう、狂えない。



アリシアを失った時並みのショックを受ければ、もう一度壊れる事も出来るのだろうが、そんな事が起こるわけなどない。


頑強なまでの理性と強靭な心は容易く壊れない。たとえ本人が壊れたいと願ってもだ。
人間と言うのは、本人が思ってるよりもかなり“強い”生き物である。それが幸か不幸かはともかく。



























純白の空間。真っ白な何も描かれていないキャンパスの様な色。
そんな世界にポツンと置かれた黒いソファー。



ソファーの上に腰掛けた黒い人型の影――ヒュードラの眼の前に1つの空間モニターが展開されていた。
モニターに映し出されているのは大きな灰色の卵。表面がざわざわと蠢き、不気味に発光している卵だ。




『どうしたものか……』



卵に話しかけるようにヒュードラが言葉を投げかける。
うーんとその真っ黒な首を傾げ、3つの紅い眼を細める。指を顎に当てて何かを深く考え込む。



無理難問にぶち当たった人間の様に深く、唸る。
全能存在たる神の雛形とも言える程の力を持つ彼であったが、今の彼は悩み多き若者の如く悩む。



『新しい名前は何がいい?』



モニター、正確にはそこに映っている卵に向けて問いかける。当然だが答えは返ってこない。
無言でヒュードラが数回頷いた。いいさ、自分で考える。



…・・・・そう、今の彼の悩みはルアフの新しい名前についてである。
せっかく新生するのに、同じルアフ・ブルーネルという名を名乗らせるのもどうかとヒュードラが思ったのが事の発端だ。



こればっかりは芸術性の問題である。能力とかは余り関係ない。


ヒュードラが宙で指を横に走らせ、もう1つ空間モニターを開き、そこに候補を羅列させる。















1 ルアフ・ガンエデン




最もポピュラーな名前だ。ガンエデンと同化したから、ファミリーネームだけを『ガンエデン』と変更する。
ただそれだけ。捻りもなにもない。だが、響きが中々によいとヒュードラは思っていた。




2 ミトス・ユグドラシル


何となく語呂が良いので考えた。以上。




3 ラモン・サラザール



同上。 




4 フォンカーベルニコフ=アニシナ



同上。




5 エンヴィー



どこぞの世界の言語で『嫉妬』を意味する単語だ。
何故これが候補になったのか、ヒュードラ自身も正直な話よく判らない。











以上が候補の一覧である。最初は100近くあったのだが、何とかここまで候補を削った。
削られた候補の中に“バーロー”やら“ハオ”などのどこかふざけた名前もあったのだが、全て削除された。
オルセアの統治者となる者の名はもっと偉大で、神々しいモノでなくてはならないという考えがあるからだ。




『ふむ……』



唸る。男と女の声が混ざった不気味な凶音を口に見える裂け目から吐き出しながら。



『……1でいいか』



2つのモニターを3つの眼で見つめ、吐き捨てるように言う。ここはシンプルに行くべきだと考えたのだろう。
候補が映ったモニターを閉じ、残った卵の映ったモニターにヒュードラが話しかける。



『君の名前は“ルアフ・ガンエデン”だ。古いブルーネルの名は捨てるがいい』



ゆったりと、優しく、聴いた者の背筋に怖気と寒気が走るほどに冷たく深い声で言葉を飛ばす。
当然だが、卵からの返答はやはりない。胎教としては最悪の声だ。



クックックとありもしない喉を鳴らし、ヒュードラが嗤う。本当に楽しそうに。
そして今度は少年の口調と声で。



『早く生まれないものか……正直な話、下準備もそろそろ飽きてきたのだが』




情報はそれなりに集まった。ナイトメア・クリスタルの兵器はまもなく進化を完了させる。
信者の数もそこそこ。とりあえずは目標数は既に集まった。



思っていたよりも信者を集めるというのは簡単なことだった。
治らない病気を治してあげたり、失った身体の一部を再構築してあげたり、盲目の者の眼を見えるようにしてやったり
俗にいう“金では買えない”物をプレゼントするだけで信者はあっという間に増えていくのだから。




人はいつだって何か頼れる強大な存在が欲しいのだろう。絶対的な力を持った肯定者に飢えているのだろうか?
少なくともヒュードラはヒドラを通してオルセアの人々を見て、そういう感想を抱いた。




『本当に楽しみだ』




万感の感情を込めて、ヒュードラが一言。
クスクスと堪えきれずに嗤う。男の声で、女の声で、少年の、少女の、老人の声で哂う。




もうまもなく、オルセアは一度終わり、彼の玩具として作り変えられるだろう。
それが終わった後は、とある人物への“お礼”も考えなければならない。




まだまだ楽しみはいっぱいある。
それを再確認したヒュードラの嗤みが更に深くなった。













あとがき



プレシアさん久々に登場の巻。



次からはとある竜のお話を更新して、その合間にマイペースに更新していきたいと思います。
では、次回の更新にてお会いしましょう。




[19866] 11
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/08/22 06:24

機械的な音を立てて、部屋の扉が開かれる。
同時にこの部屋の管理を任された、そこそこに優秀なAIに電流が流されシステムを立ち上げに掛かり、AIは機械特有の正確無比さをここでも発揮させた。
部屋の至るとこに順序良く、且つ凄まじい速さで光が灯され、次に据え置き型の機械モニターがスリープ・モードから目覚め、羽虫の羽ばたきの様な音を立てて画面を起動させる。



薄型の、最新鋭のモニター機器だ。管理局が使う空間モニター装置よりも数段画質が綺麗で、より多くの情報を受信できる優れもの。
これ一つ買うだけで、一般人の年収は程度なら軽々と吹っ飛んでしまうだろうに。そんなものが幾つも、まるで旧式のテレビの様に大量に部屋には設置されていた。




ゴボゴボト音を立てて、巨大な試験管フラスコの様な物に満たされた緑色の液体があわ立ち始める。
そして、暗黒に包まれていた部屋の全容が明らかになる。



無機質な部屋だった。何もかもが装飾の欠片もない銀色だ。
床も天井も壁も、何もかも全てが装甲パネルの様な堅牢さを持つ材質で作られている。
それらがモニターや電灯の明かりを反射し、銀色に輝いているのだ。




まるで何処かの研究室の様な部屋だ。いや、事実ここでは研究に“近い”ことは行われている。
あくまでも近いだけ。実際はそんな高尚なことは行われてはいない。



この部屋は『玩具箱』だ。随分と大掛かりではあるが。



とある強大な存在がその欲を満たすために造った遊び場とも言えよう。
この部屋を作るのに掛かった金の合計は下手をすると、高級住宅を数個まとめて買えるほどであったが、所詮はその程度だ。


カツカツとシェルターの外壁並みの硬度を持つ材質で作られた床を上質な革靴が規則正しくノックしていく。
最高級の金で縁取られた紅いローブとマントが歩くたびに小さな布擦れの音を発し、部屋の主が入ってきたということ機械達に知らせる。




部屋の主の名前は、この趣味だけで作られた機械仕掛けの悪夢を作った存在の名前は『ヒドラ』という。
そして、そのヒドラは今はこの部屋で保管されているとある新しい“玩具”を見に来たのだ。




──ようこそヒドラ様。本日は何の御用でしょうか?




恐らくは録音されたであろう、美しい女性の声で部屋のAIがヒドラに用件を尋ねる。
そんな声に彼は機械よりも、人間味のない声で仮面をカタカタと揺らしながら答えた。
仮面に刻まれた3つの眼が近場のモニターに向けられる。




『アレを見に来た。機能不全は治ったかな?』


アレという代名詞が何を指しているのかを読み取るだけの能力があるAIの答えは早かった。
美しい、旋律の様な女性の声で主の質問に回答する。



──はい。『核』を生成する機能、そして、生成した兵士を操る機能。その全ての解析及び修復を終了いたしました。
  



『よろしい。実に素晴らしい』



パチパチとヒドラが手を叩き合わせ、賞賛の声をあげる。
だが、直ぐにAIが釘を刺す。



──ですが、現代の戦いに利用するにはやはり応用力や思考能力に問題があるかと思われます。
  データでは昆虫並みの思考能力しかないと出ています。もう少しの改良が必要かと。



『それはもっと素晴らしい事だ。改良する楽しみがあるとはね。兵士を作る材料もその内に大量に手に入るから、ソレは特に問題にはならない』



クスクスと仮面の内側から幼い子供の笑い声、それも複数人のを響かせながらヒドラが言う。
その様子では心底楽しんでいるという事が判る。
彼の心をもしも正確に読める者が居たら、その考えている事のおぞましさと残忍さに、吐き出して仕舞いかねないだろうが。



彼が足音を響かせて部屋の中を移動する。
金属と皮がぶつかる歯切れの良い音が部屋に響く、その音はそのままヒドラの心境を表していた。



そして1つの巨大なフラスコの前で停止する。ソレは巨大な生命維持装置であった。
中に満たされた水は傷の回復作用などがある、特別な薬品である。


そしてそんなフラスコの中に1つの物体が浮かんでいた。ソレは四肢と胴と頭を持っていた。
そう、ソレは人間の姿をしていた。まだ幼い少女の姿をしているのだ。



一糸纏わない少女はその真っ白な全身に機械を埋め込まれている。背中や腹部には太いパイプらしきものを体内まで何本も埋め込まれ
頭には脳波を計測するためのバイザーとヘルメットを被せられ、細い四肢の先端は全てが巨大な機械に根元まで埋められ、がっちりと拘束されていた。
口にも酸素マスクらしきものを埋め込まれ、そこからは息をするたびにゴボゴボと泡が出ている。生命維持装置がしっかりと働いていることがありありと判る。




ヘルメットから零れたオレンジ色の髪が揺ら揺らとフラスコを満たす液体の中を漂っている。




ヒドラ以外の人物がこの少女の状況を見たら、今すぐにこんな拘束は解除し、開放してやろうと思うだろう。
だがヒドラはそんなことは思わない。全く、これっぽっちも。


この娘は言ってしまえば、ヒドラの“物”だ。彼が所有し、彼が作り変え、彼が遊ぶための玩具だ。



事の発端はヒドラことヒュードラがとある問題に直面した時から始まる。
そこそこに厄介な問題。つまり『戦争するための兵士は何処から調達するか?』である。



何もかも全てをまつろわぬ者に動かさせて戦うというのも面白みがない。機械兵や蟲だけでは面白味がなさすぎる。
やっぱり人の姿をしていて、ある程度の自我がなければ……彼の拘りである。


そんな事柄に頭を悩ませていたヒュードラであったが、直ぐにその問題は解決された。
居たのだ。ご都合主義と言っても過言ではない程にヒュードラの趣味とよく合う能力を持った存在を。彼の悩みを解決させる存在。




冥王イクスヴェリア──それがこの少女の名前だ。
今は王というよりは、試験管の中で飼いならされている微生物のようだが。


そして彼女が持つ能力は『屍に特殊な核を植え込むことで、マリアージュと呼ばれる兵士を作り出し、操る能力』
正に死者を操る冥王の名に相応しい能力だ。




ヒドラは知っていた。この少女の実像は冥王などと呼ばれる存在などではないことを。
イクスヴェリアという名前は、この少女を“製造”したベルカのとある王の名前であることを。
永い年月の内に、その王の名前がこの少女のモノと混同されるようになったのだ。


そのイクスヴェリアという王様は、この少女の能力を使ってベルカの世界全てを支配しようと目論んだが、結果は失敗。
最後は自暴自棄になって国民も、家臣も、家族も、そして自分さえもこの少女の能力によって“兵士”になり、戦い、散った。





そんな物語をヒュードラは取り込んだまつろわぬ者から読み取っていた。
中々に刺激的な話であったからよく覚えている。特にラストの敗北が確定した王が狂気に塗れて自分の娘を●したとこなど最高に愉快だった。




『再び余が使ってやろう。感謝しろよ?』



先ほどまでの不定形な声から一転し、野心と尊大さに満ち溢れた声でヒドラがイクスに話しかける。
まるでかつて使って捨てた道具をまた拾って使う……一度使ったことがあるような口調であった。



いや、事実、“再び”である。何故ならヒュードラの中で渦を巻く魂達の中にはその王様の姿もあるのだから。
ゴボッとその声に反応したのか、イクスが大きく気泡を撒き散らす。


ソレを見てヒドラが肩を揺らし、愉快そうに嗤う。今度は深く重い声で。





『今日は素晴らしい日、記念すべき日だ。 さて、アレらの接続はどうなっている?』




ヒドラが今度は虚空に向かい声を上げる。何かを確かめるように。
まるで楽しみにしていたプレゼントの箱を開ける時の期待感がその声には込められていた。
いや、実際ヒドラ……ヒュードラは期待していた。自分がまた一歩神に近づくための道を進めることを。


答えたのは部屋のAIではなかった。もっと機械的で、無機質な声だ。
彼の脳内に機械音声が響き渡る。そして、彼に歓喜を与える報告を行った。
同時に恐ろしい内容の報告でもある。




──『次元連結システム 及び ディプラー・シリンダー・システム もう、まもなく完成です』




この言葉の表す意味を理解しているヒドラが狂い嗤った。
背を限界まで逸らし、仮面の内で音を幾重にも反響させながら、老若男女全ての声が入り混じった恐ろしい嗤い声で。



『ははははははははは!! 素晴らしい!!!本当に今日は素晴らしい日だ!!! 何もかもこの私の意のままに動いている!!!!』




一しきり嗤い終わったヒドラがまだ小さく肩を揺らしながら呟く。
興奮の後に来るものは冷淡な感情であった。氷の様に冷たい思考が彼を満たしていく。




『あぁ……忘れてはいけない用事が今日はあったんだった。オルセアの方も……ルアフは予定通りに目覚めそうか?』



──はい。問題ありません。既に精神的適応もほぼ完了し、貴方の意のままに。



『よろしい。ならば私もやることをやるとしよう……そして御機嫌ようイクスヴェリア。次に会うときは君の能力を思う存分使わせてもらうぞ』



ヒドラが最後にフラスコの中の少女に軽く一礼し、ヒドラが足早にこの“玩具箱”から立ち去る。
重厚な部屋の扉が重々しく閉じ。最後に部屋のAIが全ての機器の電源をスリープ・モードに変更し、部屋は暗黒に堕ちていった。




























オルセアにはチェスターというそこそこに大きな街が存在する。
人口はだいたい13万人程度の街だ。本当にそこそこの大きさしかない。



何か目立つ特産物もないし、軍事的な生産場もない。何度も言うが何もない街だ。
元々活気もあまりなかった街だったのだが、戦争によって大多数の男が連れて行かれると、それはより悪化した。
道を歩くのは子供や女、老人ばかりで、その顔に浮かべるのは不安や後悔、苦しみや絶望など、負の感情ばかりであった。






2ヶ月ほど前のことである。この街に新興宗教『バラル教』の本部が入ってきたのは。
最初は懐疑心を持って迎え入れた街の者であったが、その態度はほんの僅かな間に恐ろしい速度で変化していくことになる。



まるで人の心の隙間を埋めてくれるような教え。教祖であるヒドラが仮面の奥から吐き出す言葉は滴る蜜のように甘く、人々の心を強く掴んでいった。
そして何より、バラル教は眼に見える形で『奇跡』を起こしてくれるのだ。


失った肉体の一部、既存の技術ではどうしようもない身体の欠損を治してくれたり、末期まで進んでしまった病気をあっという間に全快させたり。
ヒドラの起こした奇跡はあげればキリがない。しかもこの奇跡で助かった者の数は100や200では足りない。当然それらの奇跡は無償で行使される。
バラル教に入ってないものであっても、誰であろうが分け隔てなくヒドラの奇跡は行使された。




そして、バラル教の『洗礼』を受けた者は身体能力が劇的に増強される事も彼らにとっては魅力的である。
ジャンプで軽々と5m近くを飛び跳ね、その腕力は薄い鉄の板ぐらいなら素手で千切ることができるほどに強化される。


正に夢の超人と言う奴だ。まぁ、銃弾を頭部に喰らったりなどしたら、さすがに死ぬが。



街そのものが完全にバラル教の支配化の置かれるのに、そう時間は掛からなかった。
支配と言っても力による恐怖の圧制ではなく、住人一人一人が心からの忠誠と信仰心を持ってバラルに従っているのだ。
その団結力は恐ろしいものがある。



宗教というのは人を支配する最も効率的な道具とはよく言ったものだ。
もしも第三者がヒドラと信者の関係を見たら、アリや蜂などに代表される真社会生物の女王と兵隊の関係に見えるという感想を抱いただろうが。









そしてチェスターに存在する数少ない巨大な建造物。国が面倒臭がりならがも、一応は建設したものだ。
1200人は収容できるホールで、彼らの教祖たるヒドラがそこで今日大事な発表を行うというのだ。


もちろんホールに入れなかった者のために『親切』で放送局がラジオ及びTVでの生放送も行ってくれる。
全国放送である。ありとあらゆる周波で発信される電波はオルセア全てに送信されることであろう。




今日を持ってオルセアは変わる。劇的に、破滅的に。
未だにそのことに気が付いている者はヒドラを除いて誰も居なかった。





















『放送の準備は整ったかな?』



「はい。全ての計画が順調に進んでいます。決して貴方の期待を裏切るようなことにはならないでしょう」



『それは楽しみだ』






待合室……と、言っても質素な楽屋などとは違い、そこは一流大企業の社長などが居てもおかしくなどない上品な部屋だ。
壁には一流の画家が書いたと判る独創的な絵が掛けられ、部屋には最新鋭のPCや高級なソファーなどが置かれている。


上品で落ち着いた印象を抱かせる部屋だ。



そして部屋の支配者が座るであろう最高級の黒い河で作られた肘掛椅子に腰掛けたヒドラが眼の前のスーツを着込んだ初老の男と話ていた。
あの機械仕掛けの部屋を作る予算を出してくれたヒドラの同士である。真っ赤な眼をした。



ヒドラの後ろには紅と黒のローブを纏った『処刑人』がその三本の爪牙を腹の辺りで組んで身じろぎもせずに立っている。



『そうか……では、私も会場に向かうとしよう』



時計の針を見たヒドラが椅子から立ち上がる。そろそろ日にちが入れ替わる時間帯だ。
窓からは巨大な月が見えた。雲一つない素晴らしい空。



ヒドラが部屋から出て行く。
それに付き従い1対の処刑人もゆったりとした動作で部屋から退室する。





















千人を超える人間の雷鳴のような拍手の嵐に迎えられて、ヒドラは演壇に立った。
何十ものカメラが彼を様々な角度から撮影し、それらの映像を電波に変換し、オルセアという星全体にその情報をばら撒いていく。
ステージの背後には巨大なバラル教の紋章が刻まれた旗が設置され、今この場を支配しているのは何者なのかをアピールしていた。



無数の高性能のマイクに向かい、ヒドラが仮面の内から声を発する。
マイクがその音声を広いあげ、増幅し、千人規模のホールをヒドラの声が満たす。





『私の名前はヒドラ。バラル教の教祖であり、偉大なる神がこの地に降臨するまでの代行者です』




観衆は黙った彼の声を聞く。二千を超える真っ赤な瞳がヒドラに注がれる。
その眼に込められた感情は愛情。陶酔。期待。渇望。忠誠。などなどである。



『さて、本日はこのような素晴らしい舞台を整えてもらった理由は他でもありません。皆様、更にいうにはオルセアという世界に対して宣言すべき事があるからです』



ヒドラがその手を顔の前に持って行き、何かを掴む動作をした。まるでそこに巨万の財宝を齎す魔法の杖があるかのように。
観衆がざわめいた。千を超える人間がそれぞれの抱いた感情のままに小さく言葉を紡ぎ、やがては騒音となる。



だが、その騒音はヒドラの次の言葉でかき消された。




『オルセアの外には次元世界という世界が存在します。そこには無限さえも超えた数の世界が存在し
 ありとあらゆる次元宇宙がごちゃ混ぜになった世界です。そう、次元世界には無限の可能性があると言っても過言ではないのです』



おおおおと観衆が湧き上がった。次元世界。無数の世界、無限の可能性。
言葉にしてしまえば、子供の絵空事のようではあるが、それを言っているのはヒドラだ。
奇跡を起こし、数え切れない程の人間を救った救世主がソレを言っているのだ。信じないはずがない。
いや、正確には信じないという選択肢は根本的に存在しない。



……彼らが気が付けないだけで、思考に誘導と、無意識に植えつけられたヒドラへの絶対的な忠誠心が作用しているのだが、そんなことは些細な問題である。



『約束しましょう。 私は貴方達をそこに連れて行くことを! そして、その次元世界の覇者とすることを!!
 我らの神が降臨し、その偉大なる道程の一歩を踏み出す日は他でもない、今日だ!!!!』



大仰に両腕を天に伸ばし、ヒドラが力強く叫ぶ。観衆が歓喜した。




『オルセアは進化しなければならない!! 次元世界に進出し、そこに存在する世界規模の巨大国家と渡り合うためには、こんな小さな世界で争っていてはならない!!
 一つにならなければならない!!! よって私は──ここにオルセア帝国の建国を宣言する!!!!!』




そして矢継ぎ早に彼は言葉を紡ぐ。



『私達は常に一つの声、一つの硬い意思でもって動かなくてはならないのだ!! 私達が常に共に在ることを証明するために!!
 真なる神の代行者によって支配された帝国を創らなければならない!! この場の皆様と、この放送を聴いている我が同士達よ、私達は偉大なる帝国の建国者だ!!!』
 


観衆が熱気を帯びた顔と声と共に立ち上がり、大声で唱和を始める。ドームで、オルセアの各地で、声が上がる。オルセア帝国を称える声が。
チェスターの街が大声で歌い始めた。オルセア帝国の建国を祝う声で。



そして最後にヒドラは大きく宣言した。決定的なことを、オルセアの全ての者に宣言した。
今この瞬間、この時、この日を持って全てが変わることを宣言した。



『私達と教えを異にするもの達よ! 私は貴方達全てに宣戦を布告する!!! 我らオルセア帝国の礎となれ!!!』
 



そして、戦争が、始まる。







あとがき



色々とやっちまった今回の話です。
リリカル成分皆無じゃね? と、我ながら書いていて思いましたw



イクスヴェリアは一応は原作キャラなのですが、知ってる方はいるかな?
それとなのはやフェイトは好きなキャラなので、早く登場させたいです。


しかしまぁ、ヒュードラを書いていると、何だかすっきりするから困りますww



では、次回の更新にてお会いしましょう。



[19866] 12
Name: マスク◆e89a293b ID:6de79945
Date: 2010/08/28 20:18
真っ暗な闇の世界。月の明かりだけが照らす深く、美しい世界だ。
オルセアにも一応は月はあるのだ。どうやって出来たのかなど、誰も知らない。
否。一応は知っていると言った方がいいだろう。真実とは違うかもしれないが。



『常識』が『真実』と常に同じなどとは限らないのだ。
事実オルセアでは数百年ほど前まで、世界は平らだと信じられていたし、雷は天の神の怒りだと思われていた。
実際は星であるオルセアは球状だし、雷は天の雲の内部、または上空と地面の間で電位差が生じて発生する自然現象に過ぎないのに。


もしもオルセアの一般的道徳観と常識を持った一般人に「月はどうやって出来ましたか?」と聞いてみれば、こう返ってくるだろう。
オルセアの常識にあわせた素晴らしい答え「神が創った」と。





話を戻そう。





夜の闇。静寂に満たされているはずのそこに一つの物体があった。
雲よりも高い場所を、“なるべく”押さえられた音で飛んでいる。
“なるべく”と言っても、ソレは爆音と言っても過言ではないものだが。


間違ってこの音を眠っている人間の目覚まし代わりに使ったら、ショックで今度は永遠の眠りに旅立ってしまうか、
耳の音を伝える器官の一つである鼓膜が破れてしまうだろう。



ソレは鳥ではない。肉ではなく鉄で身体を構築され、血と栄養ではなく燃料で空を飛ぶ科学技術で作られた人工物だ。
しかもソレは1つではなく、複数飛んでいた。まるで動物の鳥が築く群れの様に。




音速で空を飛ぶソレの正体は爆撃機だ。
ステルス性と低空侵攻能力が求められるソレは本来ならばもっと低い場所を飛ぶのだが、高度を飛んでいた。



低空を飛ばない理由は簡単である。



『敵が居ないからだ』


そう、今この爆撃機が向かっているのは敵の領土にある重要拠点などではない。
自国の領土を飛んでいるのだ。都市一つ程度ならば、その機能を奪えるほどの爆薬を搭載して。



この爆撃機らに与えられた命令は一つ。
最近急速に勢力を拡大し、強い影響力を持ってきた宗教――もっとも命令を与えた者にとっては『邪教』であるのだが。



『バラル教』の教祖と呼ばれる人物である『ヒドラ』を暗殺せよだ。


今まで何度も刺客を送り込んでも、その尽くが返り討ちに合い、失敗。
更にはその行方までもが判らずじまいという散々な結果だったのだが、そんな所に一つの情報が入った。



近々ヒドラが大規模な集会をとある街で開くということだ。
しかも、その街は既に異教徒の手に落ちており、悪魔崇拝者で埋め尽くされているという。



国家の判断は本当に早かった。直ぐに予定の日時を調べ上げ
その日時と同時にヒドラが居るというホールに数十発の爆弾を叩き込み、ヒドラを永遠に葬る、それが今回の作戦のメインだ。




編隊は行く。彼らの任務を果たしに。




―――ギィイイイイイイイイイイイイイイ!!!





チェスターの街まで後数分というところで、奇妙な鳴き声らしきものが空間を雷鳴の如く震わせ、赤紫色の閃光が先頭を飛んでいた機体を粉々に打ち砕いた。
機体はまるで紙きれで出来ているかのように激しく燃え上がり、その身をバラバラに引き裂かれながら星の重力に囚われ落ちていく。


この小さな光が、オルセア崩壊への第一歩だということを撃ち落された機体に乗っている者は知る由もない。
ヒドラが本格的に動き出して、記念すべき初めての犠牲である。


続いて2、3、4、と閃光が瞬き、その度に暗闇を彩る“花火”が増える。命と鉄が爆発して生まれる花火。
彼らは知る由もないが、この攻撃の名は【テヒラー・レイ】と呼ばれるものだ。



やがて撃ち落された数が全体の3割を超えたあたりで攻撃は停止する。
あたりに戻るのは何も無い暗闇。しばらく立ってもなにもない。



爆撃機の編隊は一度基地に戻るかどうか悩んだが、直ぐに上からの指示が下され、それに従った。
即ち、任務続行。ヒドラを抹殺せよだ。というのも、こういった攻撃は少し前から続いており、ある意味慣れてしまったというのもある。
地べたを這いずり回る蟲みたいな外見の、デザインをした者の趣味と感性を疑いたくなる機械の兵器に何度も奇襲されれば慣れるのも仕方が無い。



それに今回攻撃するのは何も武装などしていない相手だ。問題は無い。
普通ならば一時撤退しそうなものだが、“何故か”問題なしとなっていた。




全てはヒュードラの意のままに進んでいた。正確には彼が設定した因果のままに。
























チェスターにある大ホールは建造されて始めてであろう嵐のような人々の声の渦に満たされていた。



一つ一つは意味のある言語なのだが、1200人の口から同時に音が吐き出され、それらが重なりあえば
一つ一つの言葉をはっきり聞き取るのは極端に難しくなる。


いや、不可能と言ってもいいだろう。
だが、言っている言葉そのものが判らなくても、それに込められているであろう意味は人々の顔と仕草を見ればだいたいは判る。



歓喜 期待 希望 野望 そして 忠誠 


このホールに集まり、声を高らかに何かを叫び続ける人々の顔を見たら、そんな感情を読み取れるだろう。
そして、それら全てを一身に受け止める壇上の人物であるヒドラが手を一回振りかざし、小さく動かすとホールは恐ろしいまでの速さで静寂に包まれた。
まるで指揮者が一流の楽器演奏者達を指揮した時みたいな速度だ。



立ち上がっていた者も椅子に座りなおし、服を調え、ヒドラの次の言葉を待つ。
ヒドラは全ての者が座り、衣服を整えるのを待った。


そして。



『もうまもなくこのホールに攻撃が加えられる事でしょう。しかし皆様は何も心配する必要などありません。これから起こる全ての奇跡の目撃者と貴方達はなるでしょう』



彼は続ける。先ほどまでの興奮が完全に消えた声で。真理を淡々と読み上げるように話を続ける。
観客は不気味なまでに沈黙を保ちながら話に耳を傾けていた。



『チェスターの街にお住まいの皆様。窓の外をごらんになってください、奇跡がおこっているはずです』




言葉と同時にホールの明かりが徐々に落ちていき、ヒドラの背後に巨大な空間モニターが開かれる。
チェスターの街に起きた『奇跡』を生放送するためのものだ。















そして言葉に盲目的に従い、チェスターに住まう13万人のバラル教徒が窓の留め金を操作し、窓を開いた。
窓から入り込む夜の冷気を浴びつつも視線を走らせた彼等は見た。





『奇跡』を。



神の降臨を。




月を背景にソレは浮かび、蒼く光り輝いていた。
ソレは天使であった。いや、正に神と呼ばれるに相応しい姿をしていた。



花弁のように大きく広がった4対8枚の巨大な翼。
その翼の中心にあるのは鎧兜を纏った男性の姿をした石造の様なもの。


ただし、普通の石像とは違いソレは確かに生きていると思える程の生命力と神々しさを内包していた。




【ゲベル・ガンエデン】




ソレはそういう名前であった。元は惑星絶対防衛兵器の中枢、そして文明育成システムでもある。
しかし今はヒュードラの玩具として存在している。人工の神が、真の神の雛に使われている。
ガンエデンの落とす影が、チェスターの街を覆いつくしていた。



ゲベルとは『賢者』もしくは『男性』という意味だ。
この名は全てのバラル教徒を導き、支配する者の名前に相応しい。





『アレこそ我等の神! オルセア帝国を次元の覇者とすべく降臨した唯一絶対の神のお姿!! 同士達よ、何も案ずることは無い。勝利するのは我らだ!!!』




ヒドラが力強く叫ぶと同時に
ガンエデンの前に紅い12角形の魔方陣らしきものが空を埋め尽くすほどに幾つも展開され、そこから膨大な質量を持った物体が空間を越えて転送されてくる。



蒼い騎士――エゼキエルが何千も現れ、騎士団を形成。
エゼキエルらはその手に高出力のエネルギーで形作られたレーザー・ブレードを構え、戦闘に備えるかの如く全身の切れ込みが青紫色に残忍に輝き、その戦意を表す。



『蟲』が大量に繁殖したイナゴの如く湧き出て、空におぞましいカーテンを掛けた。『蟲』らに植え込まれた宝石が不気味に光り、
まるで蛍の様に夜の闇の中でその存在をアピールしている。その数は軽く万を超えているだろう。




軍団全てを吐き出し終えた魔方陣らしき文様の大群は血の様な紅い輝きを残し、空に溶けるように消えていった。
そして、再度12角形の魔法陣が3つほど展開された。今度は先ほどのに比べて結構大きな魔方陣だ。




そして、そこから転送された物の姿を見て、この放送を通して見ていたバラル教以外のオルセアの民は絶望を抱いた。
逆にソレを見たバラル教徒は希望を抱いた。勝利の確信と共に。



現れたのは『悪魔』としか言えない姿形と雰囲気を纏う物であった。




ナイトメア・クリスタルで構築された身体は人に近い形を取っていた。15m程の大きさを持った人間に近い形を。
だが、その姿は悪魔としか言いようがなかった。


全身から紫色の鋭利なクリスタルが隙間無く生えており、逆に水晶で覆われていない所を探す方が難しい。
その背には蝙蝠の翼の骨格だけをクリスタルで再現した様な赤黒い翼が4枚ほど生えていた。
オルセアの神話で描かれる悪魔の姿を模した形状に進化した結果だ。ただし、ヒュードラに少々進化にリミッターを掛けられてしまったが。
ヒュードラが掛けたリミッターは即ち『星を破壊するほどの攻撃力を持たないこと』だ。やりすぎてしまったら、玩具が壊れてしまうから。




頭部にある緑色の眼が煌々と輝きを放ち、やっと自分の出番が来たことを狂喜しているかの様にその光を強めていった。
これこそ正に敵にとっての『悪夢』と呼ばれるに相応しい兵器。逃れることの出来ないナイトメア、その化身だ。


悪魔の原動力である量子波動エンジンが慣らし運転をするかの様に稼働率を徐々に上げ、そこから発生される膨大なエネルギーを悪魔に与えていく。
魔方陣から続いて同じ形状、同じ大きさの悪魔が更に2体現れ、合計3体の悪魔がガンエデンを三角形に囲む。まるで主を守るかのように。


ガンエデンの丁度真正面に陣取っていた悪魔がその巨大な両手を胸の前で握り合わせた。まるで神に祈りを捧げる仕草にそっくりであった。




【アルド・レーザー】




握り合わせた手から恐ろしいまでの量の濁った光の津波が発生し、ソレは数十キロ先を飛んでいた爆撃機の編隊を精確に飲み込み、容易くその全てを蒸発させた。
地平線の彼方に無数の花火が咲き乱れ、オルセアの最期の始まりを演出する。その光景はありとあらゆる媒体を通してオルセア中に放送される。











オルセアに存在する全てのバラルの教徒は喜びのあまり叫んだ。自分達は間違ってなど居なかったと。
勝つのは自分達。負けるのは、腐り切り、幾度も戦争を起こし、自分達の子供を、夫を、親を戦争で奪った古く間違った国家だと確信し、叫んだ。





『愚かな国家の暗殺者達は何度も私を付け狙った! 私を傷付け、亡き者にしようと幾度も幾度も野蛮な方法で私を殺そうとした!
 しかし、私の心を、そして強い決意と信念を損なうことは出来なかったのだ!!』



暗闇の中、複数のスポット・ライト浴びたヒドラが大声で演説を再開させる。その声をBGMにガンエデンが率いる悪魔と蟲と騎士の軍団が行進を始める。
オルセアを作り変えるために。オルセア帝国を更に巨大なものとするために。虚空に開かれた超巨大な転移用の魔方陣(ゲート)の中に次々と侵入していく。




『私は反撃しよう! 私達を認めず、滅ぼそうとした愚か者達に! 私達を滅ぼそうとするもの達を滅ぼすのだ!! 
 オルセア帝国の敵には、神の名による正義の裁きを下し、どんな隠れ家も根こそぎ破壊され、死という絶対の運命を享受させるしかない!!!!』




ヒドラの背後の空間モニターの画像が切り替わった。悪魔の軍団が常識では考えられない速さと寒気を覚える程の火力を持って、次々と国の主要都市を灰にしていく場面が映っていた。
ガンエデンが謳う度に放たれる煌く細い光の線は既存の兵器では想像も付かないほどの威力を持って一撃で都市を蒸発させ
悪魔から放たれる禍々しい光の氾濫と、暴力そのものを具現化したような猛烈な攻撃の前に、国家の兵器は全てが百単位で基地ごと弾け飛んでいく。





生身の兵士など、10秒も原型を保っていられればいい方だ。よしんば奇跡的な確立で生き残っても、蟲と騎士が無差別に攻撃を繰り返し、決して生かしてはおかない。


画面が光る度に溢れるまつろわぬ者、その全てがヒュードラに喰われていった。今までの経験も技術も想いも、理想も何もかもが。



正に終末に相応しい光景であった。世界が一度終わる光景。何もかも全てが火の海に飲み込まれ、消えていく。
これは戦争ではなかった。一方的な虐殺だ。そんな残忍な光景をバラル教の信者はニヤニヤと笑いながら見ていた。頬を吊り上げ、全てを見下し、嘲笑う。
まるでヒュードラが常に浮かべている笑みと同じ笑みであった。













その数時間後、国家からの停戦の呼びかけが行われたが、ヒドラはこれを拒否。
国家の完全解体と消滅を確認するまで戦闘を継続すると発表。



その発表の50分後、オルセアに存在する全ての国家の機能の消滅と解体という任務ををオルセア帝国軍は完遂させた。
翌日、オルセア史上初の世界統一国家『オルセア帝国』は完成した。




僅か一日たらずで、オルセアはその人口の半分以上を失った。そして、その全てが喰われたのだ。











あとがき


ちょっと……やりすぎたかな?
このままだと中々話が進まないので、強引に進めました。
主人公がヒュードラだからこそ出来る手法ですね。




ルアフは……次のお話ぐらいに出したいです。



それはそうと、友人にこのSSを見せたら「ヒロインは誰だい?」って聞かれました。



……ヒュードラに、ヒロイン?


では、次回の更新の際にお会いしましょう。ごゆるりと更新をお待ちください。



[19866] 13
Name: マスク◆e89a293b ID:4d041d49
Date: 2010/09/11 22:46

オルセアは変わった。
オルセアという星が誕生し、人間と言う生き物が産まれて以来延々と続けられていた醜い内戦は全てが消えてなくなったのだ。


2つの国家に別れ、違う神を信仰し、相手を認めずに繰り返された差別も根こそぎ消え失せた。永遠に。
もうこの世界の住人は少なくとも国単位で内戦などしないし、違う神を信仰しているからといって差別することもない。


その理由はいたって簡単。そんな選択肢を選ぶことなど出来ないからだ。何故ならば彼らの全てはバラル教に捧げられているから。
家族も友人も財産も能力も権力も、そして命さえもバラルという鎖に繋がれ、閉じ込められ、永劫に抜け出すことなど出来ない。



しかし、彼等はその状況を後悔などしていない。自分達がバラルという檻に囚われていることを知っている。
だが、その檻から抜け出そうとは思う者などいない。檻というのは囚われると同時に、身の安全を保護してくれるものでもあるから。
何より、バラルに全てを捧げたのは彼らの意思だから。自分の意思で、誰に強要されたわけでもなく、自分の考えで檻に入ったからだ。



そして、偉大なる教祖、神の代行者ヒドラは彼らとの約束を完全に守った。完璧にだ。
傷を治して欲しいといえば治し、病気を何とかしてほしいといわれれば全快させ
失った肉体の一部が欲しいと乞われれば復元させ、その奇跡の力は彼の説くバラル教の教えの説得力を増幅させていた。


そして彼はもう1つの約束も果たした。全てのバラルの民との大きな約束。
戦争を終わらせるという約束を。オルセアで続き、これからも世紀単位で続いていたかも知れない不毛な戦争を彼は終結させたのだ。



全て壊すという方法で。ヒドラはたった1晩でオルセアの人口を半分程度まで減らしたのだ。
もっと言うなら、推定5億人は殺し、何十もの大都市を完全に消滅させた。
そこから発生した難民やら、治安の悪化やらを含めると、犠牲者は更に増えるだろう。



だが、もう二度と無意味な内戦でバラル教の信者達が大切な者を失うことはないだろう。
奪われた彼等は今度は奪う側に立つのだから。そしてそれが当然の権利だと彼等は考えていた。






















廃墟やクレーターが無数に存在する荒れ果てた大地の上を機械仕掛けの色とりどりの『蟲』達は飛んでいた。それも百単位という夥しい数で。
陽の光を遮るほどの数の『蟲』が飛んでいる光景というのは、見る者に生理的な嫌悪感と恐怖を与えるだろう。
よーく注視すれば、微妙に『蟲』達のデザインと植え込まれた宝石の数や色が一体一体違うことに気がつけるだろうが、生憎ここには誰も観測者は居ない。



あの一方的過ぎる殺戮の夜から一晩経ち、完全な静寂を取り戻した世界に残っているのは蹂躙され尽くされたかつて街だった物の残骸と、
未だ消えない戦火、そして死体の山だ。まるでゴミの様にそこら中に散乱した死体を見ていると、人間の命の価値など、大したモノではないと思えてくる。



『蟲』達が降下を始めた。
彼らに与えられた任務を果たすのに必要な目的の物を見つけたからだ。無数のイナゴの群れを思わせる、一種の統制を感じる動きで『蟲』が破壊されつくされた都市の残骸に降下していく。


滑らかな飛行で建物の間を縫い、放置されている無数の死体の前に着陸する。
6本の機械の足でひび割れたアスファルトの地を踏みしめ、内臓されたセンサーやカメラで死体を観察。





──コアの埋め込みに支障はなし。これより実験に入ります。




死体の外的特徴などをデータとして記録した後、ソレらをガンエデンに、ひいてはヒュードラに転送。
そして、作業に入る。さっさと終わらせてしまおう。


『蟲』の腹部の一部が小さく開き、そこから光り輝く玉が排出された。魔導師などが体内に持っているリンカー・コアに少し似ている物体だ。
黒く輝く光の玉を『蟲』が器用に前足2本を使って掴み、死体に向けて放る。



出来損ないの蛍の如く純黒な光を放ちながら、それはフワフワと死体に向けて夢遊病の患者の様に右へ左へと行きながらも飛ぶ。
そうして光が死体に接触すると『変化』が起きた。



光が死体に吸収されたのだ。いや、正確に言うならば光が死体にもぐりこんだというべきか。
植物が大地に根を張るように光の玉──『コア』も死体に根を張ったといえば、判るだろうか?


と、突如死体の胸の辺り、丁度『コア』が潜り込んだ箇所から黒い泡が吹き出す。
ゴボゴボと墨の混ざった水を沸騰させた様な泡はやがてその大きさを増していき、最期には死体を完全に黒く染め上げた。


真っ黒な影法師のように染め上げられた死体の全身の筋肉がビクンビクンと痙攣を起こしたかのように跳ねる。
骨が砕かれるような不気味な音と共に死体の骨格が作り変えられる。手、足、胴体、頭、そして内部。その全てが戦闘用の武器に作り変えられる。


もしもこの肉体の元の持ち主がこの光景を見ていたらどう思うだろうか? 
自分の亡骸が埋葬もされず、死しても戦争の武器に使われる光景を見て何というだろうか。



時間にしてほんの数分。
『蟲』にとって名前も知らない人間の亡骸は兵器へと作り変えられていた。

コレは長身の女性の姿をした武器だ。両腕をあらゆる武器に変換させて戦うことの出来る兵器。
人間の姿をしているのに、人間の心はもたない存在。コレに比べればまだ哺乳類のほかの動物の方が人間味があるとさえ言える。



『あ……ぁ……イク…ス?』



ざざざと兵器の思考に激しいノイズが走る。輝く灰色の煙らしきものが兵器の視界を埋め尽くした。
兵器には知る由もないがソレは主の書き換えを強制的に行われているから発生するちょっとしたバグだ。忠誠の対象を変えている。
兵器の激しい灰銀色の中に一瞬だけ、燃える三つの眼が映った。
ニタァとその眼の持ち主である得たいの知れない『ナニカ』が酷く歪に、冒涜的に嗤った様な、気がした。



そして書き換えは終了する。兵器の思考回路全てが汚染され尽くされ、より歪に、より邪悪に、より破壊的に思考を犯され尽くされた兵器。



『………オ前の主は誰だ?』


唐突に今まで全てを観測していた『蟲』から声が上がる。幾重にも合成された機械音声で完成したと思われる兵器に話しかける。
最期のテストだ。これに合格すれば、オルセア帝国はより強大な力を持つことになる。


兵器が答えた。『蟲』に負けず劣らずの感情の篭もらない声で淡々と。
人間が喋っているというよりは肉食の昆虫が喋っているかのような冷たい声だ。



『オルセア帝国 ルアフ・ガンエデン様とヒュードラ様が我らの絶対の主です』



『素晴ラシイ。完全な正解ダ』



『蟲』が心底感激の混じった声で喋る。機械なのに何処か人間味がある声だ。少なくともこの兵器に比べれば、の話だが。



兵器と会話している『蟲』とは違う『蟲』が数匹上空から巨大なコンテナを牽引しつつ降りてくる。
どぉんと大きな音を響かせ、8メートル四方はあるコンテナが着地。ガガガと音を響かせながらドアを開いていく。



『乗レ、マリアージュ。最初の命令ダ』



『仰せの通りに』



冷淡な声で『蟲』の声に答え、マリアージュがコンテナに乗り、その身を小さく屈める。まるで荷物のような扱いだが、マリアージュは一言も文句など言わない。
いや、文句を言う心などない、というのが正解か。




『蟲』がソレを見送った後に飛び立った。もっと違う死体を捜しに。もっと大量のマリアージュを製造するために。
第一生産は最低でも20万は創る気だ。この数字はあくまでも最低数であり、実際はもっと途方もない数のマリアージュを製造する気なのだが。





天空には何千と言うコンテナを運ぶ『蟲』と、何十万という数のマリアージュを製造するための『蟲』がおぞましい川を作っていた。
機械仕掛けの『蟲』が悪夢を作りに行くのだ。














新暦40年 オルセア帝国 第一の都市チェスター改め『バラルの園』




チェスターの街はあの凄惨な殲滅戦の中でも被害を全く被っていない貴重な都市のひとつだ。
理由はもう言わなくても判ると思うが、この街は既に完全にバラル教の支配下にあるから。


ライフラインなども完全に独立しているため、この街は余りあの戦いの後でも影響は受けていない。
まぁ、さすがに輸入などに頼っていた食料品などは色々と問題があるが、ソレもヒドラが何とかすると言っていたから何も心配など必要ないと、住民は思っていた。





チェスター……いや、今は改名されてバラルの園と呼ばれるこの街で、今日は新しい帝国の誕生を祝う式典が行われていた。
そして自分達の新しい支配者をその魂に焼き付ける儀式を。













蒼い空には何千という数のエゼキエルが規則正しく小隊を組んで不気味な音と共に飛んでいる。
その光景はまるで中世時代の騎士達が勝利の凱歌を謳いながら行進しているようだ。エゼキエルが飛ぶとたびに衝撃で地上のガラスなどがビリビリと震える。
中には機体に血や肉がこびり付いているエゼキエルも居たが、そんなことは些細な問題だ。



街の住民達はその真っ赤な目を狂喜で恐ろしく輝かせつつも、口々にオルセア帝国を誇り、祝う言葉を言いつつ街の中心に向かう。
その顔にはかつての沈んだ様子は欠片も見られない。男も女も若者も老人も子供も、全ての者がどこか外れた笑みを浮かべている。







彼らの目的地であるバラルの園の中心部にソレは鎮座していた。
4対8枚の巨大な天使の翼を持ち、その攻撃1つで軽々と星の地形を大規模に変えてしまうほどの力を持った存在が。
本来の力を発揮すれば、どれほどの破壊が可能か想像も付かない存在だ、



バラル教の信仰対象であり、絶対の神である『ガンエデン』
男性の姿をモチーフにしたソレから感じるのは雄雄しさや神々しさ、そして畏怖という感情だ。



どうあっても絶対に勝てない存在に人間が感じるのはそんなモノだろう。


ガンエデンを守るかのように、黒金色の体色をした機械仕掛けの『猫』『魚』『鳥』がモダンの彫像の様なガンエデンの肩に乗っかり、バラルの園を見渡す。
真っ赤な眼をした人間が何万と群れをなしてガンエデンに寄ってくるのを黙って見つめる。


ナイトメア・クリスタルで身体を構築された『悪魔』がガンエデンの周りを飛び回り、主に指定された見栄えのよい場所に向かう。
『蟲』達は仕事中のため、今はこの場にはいない。



そして、各々が自らの位置に付き、バラルの園の中央部に13万人の信者が集まり、全ての準備が整った。










カツカツと背後に2体の処刑人を従え、ヒドラが紅を基色に金で装飾された上質なマントを翻し、10万を超える信者の眼の前を堂々と歩いて征く。
急ごしらえで作られた舞台の上に立ち、無数のマイクの前に顔を持っていく。そして3つの眼を装飾された仮面の内からいつもの男か女か、若者か老人かさえも判らない声を出す。



『皆様。私は貴方達との約束を果たせましたか?』



大仰に手を振りかざし、もう答えなど判っていることを聞く。
観衆の熱狂的な肯定の言葉が彼にこたえた。手を振り、全身を使い、ヒドラに対し畏敬の言葉を飛ばす。


戦争が終わった。ようやく不毛な戦争が終わった。しかも今まで戦争を起こした者には死と言う報いを与えることも出来た。
今まで鬱屈していた感情全てを吐き出す勢いで、彼等は救世主たるヒドラに答える。貴方を信じた我々は間違っていなかったと。


ヒドラが白い手袋に包まれた手を一回振る。それだけで民衆は一気に静かになる。



『それは何よりです。私も貴方達のその言葉を聴けただけで嬉しい。これで二度とオルセアで大規模な内戦が起こることはない。
 そして、全ての帝国の民はバラルの教えの元、愛しい者たちと共に安寧な日々を享受することが出来るでしょう。
 更に、我らのオルセア帝国は狭いこの世界を抜け出し、無限の可能性を持った次元世界に進出することさえも可能となる』



一泊。



『今日ここに集まった皆様は本当に運がいい。皆様はまた1つ、偉大なる瞬間に立ち会うことになる。
 そう、このオルセア帝国を統べる絶対の支配者である霊帝陛下の降臨の瞬間にです!』




おおおおお、と、観衆が酷くざわめき立った。前々からヒドラは自身が主の代理人であると公言していたのだが、遂にその主──『神の化身』がこの場に降臨するというのだ。
オルセア帝国を統べる支配者。あのヒドラの主。神そのものと言っても過言ではない存在が降臨するというのだ。興奮しないはずがない。



ヒドラがガンエデンに向き直り、膝を折り、頭を下げる。彼の背後で立っていた処刑人も同様の行動を取り
それに続くかのようにエゼキエル達がエネルギーで形成された剣を抜き、それを顔の前で構え、騎士の礼を取る。







それに答えるかのようにガンエデンが眩く輝いた。そして──
























『ご気分はどうですか? ルアフ陛下』



「…………」



バラルの園で最も巨大な建造物である豪華ホテルの廊下をヒドラとルアフは歩いていた。この廊下には彼ら以外誰も居ない。
式典によって降臨したルアフは熱狂的な支持の元オルセア帝国の支配者として認められ、今や霊帝としての地位を確固たるモノにしている。

まぁ、支持以外の感情をヒドラが全てそぎ落としているので、当然の結果なのだが。
今の信者とヒドラ、ルアフの関係は真社会性生物の女王と兵隊に近い。
即ち、絶対の支配者と絶対の奴隷である。



「君は“何”だ? 一体僕に何をした?」



ギロリと、ルアフがヒドラを睨みつける。式典の時は大勢の人の前ということもあり、流れに身を任せていた彼であったが、今この場に居るのは自分とヒドラと彼の護衛だけ。
ならば、今までの成り行き全てを話して聞かせてもらおうと思っていた。最悪、この薄気味悪い男を脅すことさえも考えて。
母親に虐待され、殺されたと思ったら、次の瞬間は大きな町で神として崇められていたのだ。訳がわからないにも程がある。



いや、ちょっと違うか。真っ暗な夢の中で絶えず自分の中に話しかけてきた声をルアフは覚えている。
あの不気味で、薄暗く、人の心の奥底まで響いてくる声らしきものをだ。だが、酷くあの声は聞いていて心地よかったのを覚えている。
とても、とても彼の心を癒してくれる言葉。彼を認め、褒め、そして愛してくれる言葉。




ルアフの敵意が不可視の衝撃波となり、ヒドラを襲う。ルアフの意識とは関係なく。ルアフがしまったと思った瞬間は既に遅かった。
幾重にも折り重なった重厚な空間の層がヒドラに敵意と共に叩きつけられた。まともに浴びれば重戦車でも粉々にされかねない威力の衝撃波。


並みの魔導師ではバリア・ジャケットの上からでも四肢をバラバラどころか、粉々にされかねないほどの強大な暴力。
ルアフの一生分前から持っていた力『念動力』極めればこの世の全てを握ることさえも不可能ではない力。




が。ソレはヒドラに決して届くことはなかった。



幾重にも編みこまれた空間の壁はその全ての力をヒドラに届く前に、彼の展開した支配空間にかき消され、四方に弾き飛ばされたから。
余波で廊下の飾りが消し飛ばされ、全ての窓ガラスが粉々に砕け散る。そしてヒドラの後ろに立っていた処刑人がバラバラになった。
四肢が千切れ、頭部はグシャグシャに粉砕され、ローブはズタズタに。



銃弾さえも軽々と弾く処刑人の体がバラバラになったのだ。いとも容易く。
辺りに飛び散る昆虫の体液。しかしその体液は一滴もヒドラとルアフを汚すことはなかった。
ルアフは無意識に力を使って体の周りに防御フィールドを展開しているから。そしてヒドラも自分の周りに支配した空間を鎧の様に纏っているから。
ソレに触れた液体は瞬時に消滅してしまう。蒸発ではなく、消滅だ。



バラバラになってしまった護衛を見てヒドラがやれやれと肩を竦める。まるで子供が悪戯して、疲れてしまった大人の様に。
まぁ、処刑人はそこそこのお気に入りだったし、護衛はまた作り直せばいいか。




『私は私ですよルアフ陛下。そして何をした? という質問ですが、私は貴方の元々あった力を目覚めさせたに過ぎません』



「僕の、力……? 何を言っている? お前は何だ!?」



『もう知っているでしょう? 眠っていた貴方に絶えず話かけていた言葉。そして今の念動力による衝撃波。お陰で私のお気に入りが粉々だ』



「ひ……っ!」



言葉の途中からヒドラの声がガラリと変わった。男か女かえも区別が付かなかった声は深く、低い男の声に。深遠から呼びかけてくる声。
そして今までは何処か媚るような口調だったが、一気に尊大で、傲慢的で威圧的な物へ。



ルアフは直感的に理解した。いや、本能と言ってもいい。彼の持つ念動力が教えてくれた。



コレは化け物だ、と。


関わってはいけない。眼を付けられてはいけない。
が、残念ながら自分は関わってしまい、そして眼を付けられてしまった。



もう遅いのだ。全て。一生分遅い。
ルアフにはこのヒドラという存在が、この世全てを嘲笑う邪神に見えて仕方がなかった。



『おっと済まない、脅すつもりはなかったのだよ。ただ少し力の使い方を覚えた方がいいな……まぁ、時間が経てば自然に覚えられるだろうが』



「僕に……何をやらせるつもりだ?」



決死の覚悟で震える身体を何とか押さえつけて、ルアフがヒドラに問う。
そんな彼にヒドラが笑って答えた。まるで子供に言い聞かせるような調子で言う。


『私は強制するつもりはないよ。ただ“おねがい”するだけだ。
 最終的に決めるのは君なのだよ。ルアフ・ブルーネル、いや、ルアフ・ガンエデン。だから私は“おねがい”するだけだ。
 オルセア帝国の支配者、霊帝になってくれと。そうすればこのオルセアと次元世界全ては君のものになる。
 君は誰にも想像できないほどの超大な力を持って次元世界全てを統治する存在となるのだよ』




「霊帝……? ガンエデン? 僕が、支配者? 次元世界の?」



ルアフの言葉にニッコリとヒドラが仮面の内で笑ったような気がした。肯定の意を表すため。
少年の胸の中に冷たい穴が空いた。支配者。支配者。統治、全てが自分のもの。肥大化した少年の支配欲にヒドラが更に火を注ぐ。


ヒドラの声が優しくルアフを包み込む。酷く甘くて、蕩けるような言葉を彼はルアフの胸の内に流し込む。
仮面の男が影からそっと、ルアフに囁いた。



『そうだ。全て君の所有物となる。欲しい物を何でも思うがいい。コレは子供の夢物語などではない。現実に望んだ瞬間から全て君の物となる。
 コップ一杯のよく冷えた水? 巨大な袋いっぱいの最高級の宝石? 君のものだ。この窓から映る光景を見るがいい。このバラルの園、そしてオルセア帝国の
 全ては君のものだ。命も財産も権利も法も、概念も何もかも全てがだ。君が霊帝になると私と約束したら、ソレら全てが手に入る』


「………僕は、どうすれば……」



尚も一生分前の価値観や論理に縛られる少年にヒドラが囁く。酷く甘い言葉を。



『君の夢は全てが完璧に叶えられる。不老不死の肉体に人間はおろか、真竜さえも超越したガンエデンの力。
 もっと判りやすく言ってしまえば、永遠の命と神の力を手に入れることが出来る。ガンエデンの力の凄まじさは知っているだろう? あの殲滅戦を特等席で見ていたのだから』



「…………」



ルアフが言葉を失う。夢だと思っていたあの戦争の光景を思い出す。
そう、彼は見ていたのだ。ガンエデンの内部と言う特等席で都市がガンエデンから放たれた煌びやかな光線の一撃で蒸発していくのを。
どんな戦略兵器の攻撃もかすり傷一つ与えることが出来なかったガンエデンの力を。



ソレを見てルアフが感じたのは嫌悪や罪悪感ではなく、圧倒的な勝利と力に対する高揚感だった。
今まで自分を差別し、母親に虐待される原因を作った奴が虫けらの様に死んでいく光景は正に彼が望んでいたものとさえいえた。


そんな力をヒドラは自分にくれるといったのだ。ほとんど代価など要求せずに。ついさっき自分はこの存在を邪神と称したが、撤回するべきだ。
ヒドラは正真正銘の神だ。ルアフという存在を救いあげてくれる神としかいえなかった。



『この手を取ってくれルアフ。私と共に進もう、私の友人になってくれ。私の同士になってほしい』



ヒドラが手袋に包まれた白い手を少年に差し出す。“おねがい”と共に。

この手を取ってしまえば後戻りは出来ない。それがルアフには判った。だが、何を迷う必要がある?
この存在は自分に全てをくれると言った。そして事実その約束を守るだけの力を持っている。


ルアフは己の中を渦巻く様々な感情を観察し、バラバラに処理した。
頭の中の一部で騒ぎ立てる耳障りな「やめろ」という声の出所を探し出し、ソレを握り潰した。同時に声が消えてなくなる。
眼を一回瞑り、もう一度あけてヒドラの無機質な3つの眼が刻まれた金属のフルフェイス・マスクを見る。



中々に変わったデザイン。だが、同時に面白いし、印象に残るデザイン。
ルアフが頭を動かし、開いた掌を見つめる。そこには一生分前の彼の価値観が乗っていた。とてもちっぽけな価値観が。

そして彼はこの邪魔な価値観と、これを捨てた場合に手に入る物の大きさと偉大さを比べた。



……比べ物にならなかった。




逡巡した後、ルアフは手を伸ばした。誓いの言葉と共に。
その全身に燃え滾るような喜悦を感じながら。



「判りました。貴方の申し入れを受け入れます」



『素晴らしい! では、なってくれるのかな?』



ヒドラの沸騰するかの様な歓喜と確認の声にルアフははっきりと答えた。
彼の眼の中には真っ黒な野心の炎が燃えていた。



「はい。僕は霊帝になります。貴方と共に進む道を選ぶ」




本当の意味でオルセア帝国が誕生した瞬間である。




あとがき



ルアフの性格が掴みづらいですね……。
原作の傲慢さは長年神として在ったから培われたものでしょうし、まだまだ人間の頃の面影がある彼はこんな感じかな? って思って書きました。


今だから言えますがこの作品、初期の案では主人公がルシエ一族に転生して、真・龍機王などと契約し、大暴れする予定だったんですw
応龍王も出す予定だったんですよw 話が進まないので没になりましたが。



では、次回の更新にてお会いしましょう。




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