公平のために書きますが、
俳優さんは現状に行き詰まりを感じて困っているように見えます。
あなたと付き合って、前に進めるものがあれば、それも良いと思っているのではないでしょうか。
餅は餅屋ではないかという気持ちもあります。
本心を出さずに悪い手本を真似ているのがあまり好きではありませんが、
あなたと良くなっていきたいのかもしれませんので、考えてみてはどうでしょうか。
これは確定。器が小さい奴は嫌われるというのもおそらくこれが原因。
小さなことというのは、たとえば著作権や複製権。
これは俺が作ったものだ、俺の創造物だ、他人が勝手に何かすることは許さない、何かしたら訴えてやるぞ、という感じ。
なぜこういった占有意識が生まれるかというと、才能がない奴はたくさんのものをつくりだせないから。たくさん作れないと一つ一つにやたらとこだわる結果になってしまう。
よく才能のない素材屋がいるけど、彼らはやたらと著作権にこだわる。私のつくった素材をパクったら許さないというわけだ。だが、大体そういうの(主に音楽ね)は才能の欠片もないほど平凡か、かなりのショボさで聴くに堪えないものであることが多く、いろんなところが既存のクリエイターの創造物のパクリだったりする。だけど彼らはそれに気付かない。指摘すると怒りだす。私が大事につくったものを侮辱するなとかなんとか。だから嫌われるんだよね。ウザイだけだから。
一方才能がある奴はそんなことに全くこだわらない。
素材として配布するのも、「ただ作ってるだけじゃつまらないから」という感じ。才能のない奴は「この才能を庶民にも分けてやろう、ありがたく思え」とか思っちゃってることが実に多い。びっくりするほど自尊心が高い。自尊心の高さって才能に反比例するんじゃないかと思えてくる。
で、才能ある奴は基本的にいくらでもつくれるし一つ一つに頓着しないから、パクろうが何しようがどうでもいい、使用報告も面倒だからしないでくださいとか驚くほど自分の創造物に執着がない。その様子はとても爽快で、ねちねちと著作権を主張する才能0の輩とは大違い。
なぜここまで違うのか?
才能がある奴は、才能がない奴と比べてたくさんのものを作れる。しかも時間をかけない。才能がない奴は、粗が多くミスったと一般人が分かるようなところもたくさんあるが、やたらと時間がかかる。もちろんたくさん造ることなど出来るはずがない。
結局この違いなんだと思った。たくさん作るというのを子作りに置き換えてみると、昔は子供がたくさんいたから一人ひとりに執着する親はいなかった。しかし今は子供が少ないため、過保護になっている。
人間はたくさんあるものには関心を払わないが、少ししかないものには執着する。この違いが才能がある奴とない奴の違いにも出ているんだろう。
才能とはたくさんのものを生み出せる能力なんじゃないだろうか。寡作の作家は非常に稀で、ほとんどの才能がある作家は膨大な量の作品をのこしている。才能とはどれだけたくさん生み出せるかということであって、クオリティはたくさん生み出す中での慣れによって上がっていく程度のものなんじゃないか?
とすれば、才能を伸ばす方法とは「常に違う作品をたくさん生み出し続ける」ことなんじゃないだろうか。常に違う作品でなくてはならないのは、同じ作品の場合単なるコピーであって才能は関係ないからだ。同じものを何度もつくるテクニックは機械のほうが上なのでもはや人間に出番はない。しかし創造性はまだ人間のほうがずっと上だ。だから常に違うものをたくさん作れば作るほど才能がある人間だと周囲は感じるようになる。
いつも思うが、才能とはたいしたものではない。
誰にでもあるし、誰でも伸ばせる。諦めれば当然才能がない奴と判断されるだろうし、見た目だけを飾って才能があるかのように見せるような奴も才能がない。才能がないのに素材屋をやっている人間のほとんどはこれ。
変にプロ意識を持つのは才能がないという本質を見られたくないから。プロ意識を持っているかのように見せることなら馬鹿でも出来る。しかし、たくさんのものを生みだし続けるという行為は「才能を伸ばそうとする気持ち」がない限り絶対に出来ない。
10年前20年前、確実に小沢に
「死ね」だの
「ウヨ」だの
「軍国主義」だの
「金権政治」だの
「対米従属」だの
罵詈雑言浴びせて不倶戴天だったはずのリベラルさまな連中が今こぞって
「菅一派も自民党も官僚もマスコミも米兵も、そしてそれを支持したり文句言わない愚民をみんな「きれいに」しましょう(目キラキラ」
って本気で言ってるんだから、ねえ…
ナチなんて「高尚」な例えはしない。
メアキだかメクラだかよくわかんねえヒゲ豚の世迷言を崇めて最後にはポアとかほざいて毒ガスつくってばら撒いた連中にどこか似ている。
そういやあいつらも無駄に米軍や自衛隊や官僚(警察検察)、メディア・一部ジャーナリズムを敵視して、実際に霞が関にばら撒いたんだから。
カーセックス云々なんて思い込みじゃないの?
今のミニバンが売れてる理由なんて室内が広い車がこれしかないってこともあるだろうし。
実際自分もワゴンが欲しかったけどロクなのがなかったからミニバンに乗ってるし。
暴行で怪我させたら腕力の強弱や性別に関係なく犯罪だし、法的な善悪ではなくあくまで倫理の問題と言うことかい。
腕力で劣っていても包丁1本あれば不意打ちで格闘技経験者を殺せるけど、この場合格闘技経験者が殴って身を守るのはいけないの?
正当防衛じゃねえの。つうか腕力の強弱だけで人と人との力関係が決定するわけではないだろう。
子供が大人を殴るのは、大人のダメージは少なく、大きな反撃が予想される。
大人が子供を殴るのは、子供のダメージは大きく、小さな反撃しかないと予想される。
やっぱ非難される要素は同様じゃない。
話聞いてくれる友達いないのでここに書きます。
舞台って会場借りるのとかセットとか作るのとか初期投資にお金がかかって、それを回収するには公演日数をある程度かけて、観客呼ばなきゃいけないけど、最近のプチ演劇ブームで人は分散して集まりづらい。
だからニコ動で有料中継すれば、遠方の人でもみれるし、ニコ動の名前とテニミュの創設者が関わってるといえば、みんな財布の紐が緩くなるだろう、そんなコンセプトの舞台です
この舞台については色々とお話したいことがあって、例えばファーストフードショップかどこかで繰り広げられた「あの子ニコミュの声かけられてるらしいよ。」「マジで、じゃあ当分連絡するのはやめようぜ」という会話から妄想できる、どこにでもある嫉妬と足のひっぱりあいの話や、ニコニコの歌い手を応援してる人達って、応援している人がプロになったらきっとあなた達のこと忘れてあなた達の財布のことしか思い出せなくなるのにどうして応援できるんだろう、という話や、オーディションって最初は清廉潔白だけど、5年もすると人間は理想忘れて、枕やコネが出るよねっていう話とかもしたいんだけど、それはまた別の機会で、今日はプロデューサーの話をしたいです。
このニコミュのプロデューサーが自分のブログで色んな舞台のことをdisってます。
別にそれは良いんだ。わたしも大人だ。大人になっても他人を貶めたて自分を飾り立てたい人間の気持ち、わからないでもないです。
でも、数ヵ月後ニコミュが成功して、ほらっ、他のやつは無能で、俺は有能っていう気持ちをいう光景を勝手に妄想したら、なんか駄目だと思っちゃいました。
プロデューサーの仕事はいくつもあるけど、大事な仕事のひとつは金を稼ぐことで。
最終的に赤字しか出せないやつは、どんなに面白いものを作っても評価されるべきではないし、アマチュア学生劇団の制作でもやってろ、とか思ってしまいます。
ニコミュについて、色んな情報を総合すると、この赤字の分岐点が他の舞台と違いかなり甘い気がするんです。私は単なるスーパーのレジ打ちなので、詳しい数字なんてわからないんだけど、どう考えても、本来他の舞台では負担している本社固定費用が費用計上されないで計画されているような気がするんです。
これはIT企業によくある初期投資は手厚くするとか色んな特殊要因が絡んでいるのもわかってますし。そういう環境を作るのも大人のいう実力なんでしょうし。
でも、もし、他の人とそもそものスタートラインが違う、勝利条件が緩いってことにはかわりがないっていうのなら、そういうのを誰も知らないことをいいことに口を噤んで、俺は成功した他の奴等は無能っていうのはちょっと違う気がするんです。
だって、そもそも成功条件が他より簡単なら成功して当然でしょ。
どうせなら、金をもってるバックをつけられない奴が悪い、無能と言って欲しい。要領がいいことも実力のうちって言って欲しい。色んな人間騙せるのも実力って言って欲しいです。
もうひとつ納得がいかなくて、ずるいと思ってしまうことをひとつ。
ニコミュで現在発表されている3つの舞台のうち、2つはこのプロデューサーが元役員をやっていた会社で作られてものをもとに作られてます。
その会社では、ちょっと前まで自社のコンテンツの派生商品で儲けると株主総会で言ってたにも関わらず、いつのまにかニコミュという他の会社で儲けられているということになっていて。
なんか、変。でも、大人の世界ってそんなものかもしれないと思ってました。
でも、元の会社を辞めたにも関わらず、いまだに元の会社の人気舞台のプロデューサーの役職にはついていて、その人気舞台で生まれている目にはみえない色んな財産や特権をニコミュに活かしているのは、なんかずるすぎます。
元の会社からみれば、財産の流出であり、会社法でいえば利益相反行為にあたるおそれがあります。元会社は株主総会の質疑応答で弾劾されてもおかしくないですし、そのあたりは日の光のもとで問題ないか議論されるべきです。
でも、誰もそんなことしませんし。調べないとわかんないし、そんなことをしてもお金にならないし、みんな余裕ないですしね。
きっと法律違反の恐れがあることをやるのも、大人の実力なんでしょう。だったら、きちんと言えばいいのに。客は面白いものさえ作れば、法律違反とか気にしない豚だ。グレーゾーンが一番儲かる。それがわからない他のプロデューサは馬鹿だ、くらいに自信満々に開き直ればいいのに。
まあ、きっと株主総会で問題になっても株主全員の同意がある自信があるんでしょう、それだったら問題ないみたいですし。
わたしは何を書いているんだろう。
わたしは何を言いたいんだろう。
きっと今の世の中のキラキラしているもの全てが嫌で
友達です、僕らは仲間です的なCMを流して財布から金を掠め取ってく企業が嫌で
きっとこの文章を書いても、どこにも届かずロゴの底に沈んでいくのがわかっていて
それでも書いた自分が嫌なんだと思います
読んでくださってありがとうございました
テンションが異常に高いのが偽者。
テンションが普通、もしくは鬱状態かというくらい低いのが本物。
テンション高い奴はリアルガキ&キモオタであることがほとんど。
男の娘とかにハマっていて、元は現実逃避しすぎて頭がおかしくなった疑似ロリコン。ショタコンはいわば「変人アイコン」の一つで、ショタコンですと言うだけでオタクの間では「一目置かれる」と勝手に思い込んでるアイタタタな人達。
テンションの高さの原因は仲間がいっぱいいるという妄想と、現実を拒絶する独特の台詞が先人たちに整備されたことによる「自信の高さ」の二つが考えられる。つまり、現実から逃避した世界があんまり居心地がいいからもはや発信先が現実だろうが非現実だろうが構わずゲロを吐いてる状態。
こういう人達は、二次元(理想郷)を犯されるような事態には断固とした対応をし、キモオタであるにも関わらず署名活動とか抗議デモとかかなりアクティブ。もちろんその自信は、自らが属する非現実世界の規模やリアリティにのみこまれていることからきている。
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一方本物のショタコンは、基本的に秘密主義でテンションは一般人と同じように見せかけているか、もしくは極度に低い鬱状態。
鬱状態の原因は、ショタコン(ていうか少年愛)が「世間からは決して理解されない」から「現実では一般人として生きていかなければならない」というプレッシャーと未来への絶望などによる。
偽者のように本物のガキであることは少なく、むしろ「年齢は高いが心は少年のまま」というアンバランスな状態が多い。なので当然精神に変調をきたしやすく、精神科に通っている人も少なくない。
ロリコン(本物)のように世間一般に「キモイ」と完全に認識されある意味地に足がついているような状態とは違い、ショタコンはほとんど異次元、存在すらするのかしないのかというレベルの認識が一般人にあるため、ショタコン達は彼らとコミュニケーションをとるために並々ならぬ努力をしている。その無理がたたって鬱になることが多い。
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偽者のショタコンが増えるにつれ、彼らのおかげでショタコンが認知されるからいいじゃないかという声が上がりだした。しかしそれは大きな間違い。
そもそも偽者達はショタコンではなく、ショタコンや男の娘というアイコンをありがたがっているだけ。ショタコンに対する理解なんてものはさらさらない。
だから、強く言いだせない本物達からは自然と避けられているし、偽者のほうも本物のコミュニティに入るようなことは絶対にしない。
ニコニコ動画などには本物のショタコンが投稿した動画がごくまれに混ざっていて、それをうっかり視聴してしまった偽者達の反応をみたことがあるが実に興味深い。
「やべぇよお前ら・・」「犯罪者・・」というように、いわゆる「洒落にならない空気」を感じている。彼らのような(一般人)からすれば、宇宙人と遭遇したような感覚なのだろう。
結局偽者達のレベルとはこの程度なのである。だから本物のショタコンからは嫌われる。勝手なイメージを世間に広めゴキブリのような生命力を持った気色悪いだけの存在。それが偽者のショタコンなのだから。
ネット企業だしPCのバナー広告の効果がいまいちなのを知っているってのもありそうだな。
で実際にやってみていまいちだったのでもうだしていないと。
TV、携帯ともにあれだけ広告だしていてPCの広告使ってないって・・・本当に効果なかったんだろうな。
TVCMも一時期さんざん叩かれていたが・・・
だったら狙った客層にお得意のターゲティング広告使えばいいだけでしょ。
多くのユーザ集めたいなら特にターゲティングせず広告出せばいいだけだし。
仮にそれを踏まえて効果がなかっただとPCのバナー広告厳しいな。
repで働いいているのでそのへん痛いほどわかりますけどね・・・(汗
世の中の景気ってのもあるのだろうけど・・・
SNSはPC市場に限界が見えたから携帯にターゲットを変えてて、携帯ユーザーとTVの親和性が高い、とかそんなところでしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20100911173707
tatooとは違う。
更に言っちゃうと
結婚は良いかもしれないけど
子は親の背中を見て育つ。
刺青いれるのって
一言じゃ言えない理由とか決心(常人には理解不能ね)、いきっちゃって彫るわけで
今後の人生どう影響するか考えて彫ってる人はほんの一握り
刑法に関係ない所で見かけるから。
女殴った男の体験談で、女を殴るのはダメだろうって人への反論とか。
っつか法律に書いてないと、この程度の事も解らない人ってどうかと思う。
なんで刑法をシカトしてるのかよくわかんない。
格闘技をしてムキムキの小学生や女が、自分より数段弱いひょろ男を殴るのも非難されるべき事だけど、本当に珍しいだろうそれは。
男女で語っても解りにくいだろうから、大人と子供で言うけど、
子供が大人を殴るのは、大人のダメージは少なく、大きな反撃が予想される。
大人が子供を殴るのは、子供のダメージは大きく、小さな反撃しかないと予想される。
君も両方特別な訓練をしてないと仮定して、女に全力で殴られるのと、男に全力で殴られるのとでは、男の方が嫌だろう?
やっぱ非難される要素は同様じゃない。
前方が視認できない状態で運転を続けるとか、お前最低だな!
本来は心安らぐ場所であるはずの家の中で
身内が悪意を持っているととても殺伐とした気持ちになり落ち着かない。
恐怖とともに家族と過ごしたくないので、殴ってくるのは良くないと思う。
何ら訓練を受けていない貧弱な男性が、格闘技や肉体労働をやってる女性を殴るときは、
「弱い者いじめはいけない」というのはわかるけど、いかなる時でも女性が弱者とは限らない。
あと、弱者の暴力だからといって、批判されないのはおかしいと思う。
強者にとって大したダメージではないかもしれないけど、だからってそれを甘受しなきゃいけないことはない。