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- » 2010 . 10
Category : ミリタリー
『仮想敵国ソ連』来栖弘臣(講談社 1980年)は、対ソ戦を意識した上で、主として陸上自衛隊の問題点を提起した本である。出版の背後には80年代危機説があるためか、具体的にソ連の対日戦アプローチを5個提示し、それぞれに付随する形で防衛力整備の問題点を論じている。
しかし、今から見返すと、当時の見積であってもソ連の脅威を過大視した内容となっている。そもそも当時のソ連は、極東部では中国との対立、米国との直接対決の可能性、ソ連SSBNの聖地(当時)オホーツク海の防衛を抱えており、限定された極東向け輸送力(日本との貿易で凌いでいる状態であった)もあり、攻勢にでる余裕はなかった。対日戦の余裕はなかったのである。
それを無視して5つのアプローチを見ても、そのうち4つはまったくもって実現不可能、唯一可能性の残された道北アプローチにしても、上陸の成功も確実なものではなく、その後の維持については絶望的である。樺太までの輸送力の限界、樺太からの海上補給力の限界で補給は早晩行き詰まるためだ。
『仮想敵国ソ連』での、対日戦アプローチは次のとおりである。それぞれが実現不能、あるいは難しいだろうと判断する主な点を添えて挙げよう。
(1) 道東アプローチ × (北方4島は根拠地となりえない)
(2) 道北アプローチ △ (樺太への輸送力の限界)
(3) 津軽・宗谷海峡占領 × (ソ連作戦機の航続距離不足)
(4) 津軽海峡・八戸占領 × (ソ連作戦機の航続距離不足)
(5) 日本海沿岸侵攻 × (ソ連作戦機の航続距離不足)
来栖弘臣氏も、いずれの点についても実現性は低いと考えていたフシもある。例えば日米安保の存在についてネグっている。また、わずかであるがソ連の海上輸送力が少ない点、航空機の航続距離が短い点も示している。
日米安保の存在をネグっている点については、日本における80年代危機説の文脈では「日米経済摩擦の中、日米安保が発動されない可能性」についても論議されていた。このため日本独力での対ソ戦にも、当時それなりの説得力はあったかもしれない。
ただ、ソ連の海上輸送力の不足(渡洋補給の限界)。加えてソ連作戦機の航続距離の問題(逆に言えば、近距離から発進し、BADGE(当時)やSAM等の支援を受ける日本側が航空優勢を取りやすいということ)について言及していることからすれば、実際にはソ連軍が日本に上陸する可能性について、それほど高く見積もってはいなかっただろう。
5つのアプローチについて(1)、(2)が不可能である/難しいとする判断については、以前コミケで出した本※の要点だけを示す形で一つづつ説明したい。また(3)(4)(5)の問題については、まとめて一つにして説明するつもりである。
時期的には、来週あたりに(1)、再来週に(2)、それ以降に(3)(4)(5)を示したい。(あとは、『Soviet Military Power 1984』※※の『7ヶ師団海上輸送』のいかがわしさもかな)
※ 『対日戦不能 ソ連極東部の限界』・『南クリルの全滅予定部隊 -ソ連極東部の限界-』
※※ 1981、1983、1984については、プロパガンダ的な内容(当時はレーガン政権)が多い。
しかし、今から見返すと、当時の見積であってもソ連の脅威を過大視した内容となっている。そもそも当時のソ連は、極東部では中国との対立、米国との直接対決の可能性、ソ連SSBNの聖地(当時)オホーツク海の防衛を抱えており、限定された極東向け輸送力(日本との貿易で凌いでいる状態であった)もあり、攻勢にでる余裕はなかった。対日戦の余裕はなかったのである。
それを無視して5つのアプローチを見ても、そのうち4つはまったくもって実現不可能、唯一可能性の残された道北アプローチにしても、上陸の成功も確実なものではなく、その後の維持については絶望的である。樺太までの輸送力の限界、樺太からの海上補給力の限界で補給は早晩行き詰まるためだ。
『仮想敵国ソ連』での、対日戦アプローチは次のとおりである。それぞれが実現不能、あるいは難しいだろうと判断する主な点を添えて挙げよう。
(1) 道東アプローチ × (北方4島は根拠地となりえない)
(2) 道北アプローチ △ (樺太への輸送力の限界)
(3) 津軽・宗谷海峡占領 × (ソ連作戦機の航続距離不足)
(4) 津軽海峡・八戸占領 × (ソ連作戦機の航続距離不足)
(5) 日本海沿岸侵攻 × (ソ連作戦機の航続距離不足)
来栖弘臣氏も、いずれの点についても実現性は低いと考えていたフシもある。例えば日米安保の存在についてネグっている。また、わずかであるがソ連の海上輸送力が少ない点、航空機の航続距離が短い点も示している。
日米安保の存在をネグっている点については、日本における80年代危機説の文脈では「日米経済摩擦の中、日米安保が発動されない可能性」についても論議されていた。このため日本独力での対ソ戦にも、当時それなりの説得力はあったかもしれない。
ただ、ソ連の海上輸送力の不足(渡洋補給の限界)。加えてソ連作戦機の航続距離の問題(逆に言えば、近距離から発進し、BADGE(当時)やSAM等の支援を受ける日本側が航空優勢を取りやすいということ)について言及していることからすれば、実際にはソ連軍が日本に上陸する可能性について、それほど高く見積もってはいなかっただろう。
5つのアプローチについて(1)、(2)が不可能である/難しいとする判断については、以前コミケで出した本※の要点だけを示す形で一つづつ説明したい。また(3)(4)(5)の問題については、まとめて一つにして説明するつもりである。
時期的には、来週あたりに(1)、再来週に(2)、それ以降に(3)(4)(5)を示したい。(あとは、『Soviet Military Power 1984』※※の『7ヶ師団海上輸送』のいかがわしさもかな)
※ 『対日戦不能 ソ連極東部の限界』・『南クリルの全滅予定部隊 -ソ連極東部の限界-』
※※ 1981、1983、1984については、プロパガンダ的な内容(当時はレーガン政権)が多い。
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