麗らかな春の日差しが差し込む公園を、サッカーボールを蹴りながら走る一人の少女。その額には汗が浮かんでいるが、そんなものを感じさせないような動きで、躍動感を前面に押し出し、ドリブルを続けている。
そんな彼女を追いかける少女が一人。ぜえぜえと肩で息をしながら、その背に追いつこうとしているが、距離は縮むどころか離れる一方であった。
やがて、少女は地面にへたり込み、動かなくなる。それに気付いたのだろう彼女が、少女の下へと戻ってきた。
「大丈夫ですか?なのは」
「にゃ、にゃはは……」
「大分体力がつきましたね」
「そ、そうだね。……初めは転んでばかりだったし」
そう呟いてなのはは思い返す。セイバーとこうして運動するようになって、もう一年以上になる。あの頃に比べれば、今の自分はかなり体力がある。運動神経は……良くなってると信じたい、となのはは切に願う。
「さ、ではそろそろ帰りましょう。モモコの朝食が待っています」
「うん。それにお出かけの準備もあるしね」
差し出されたセイバーの手を掴み、なのはは立ち上がる。今日は日曜日。学校は休みで、高町家は全員でお出かけする事になっていた。
本当は、つい先日出来た友人の誘いを受けたかったが、家族全員で行動するのは中々出来ない事もあり、断らざるを得なかったのだ。
(セイバーに教えてもらったもん。言わなきゃ何も伝わらないって)
あの日、士郎が退院した日の夜。セイバーは高町家の全員にそう告げた。子供だからとか大人だからとか関係なく、家族として思っている事を正しく伝えるべきだと。誰もなのはの悩みに気付けなかったのは、そこにあるのだと、セイバーは言い切った。
その言葉に、なのは達は何も言えなかった。セイバーが責めているのではなく、優しさを正しく向けてほしいと純粋に願っている事を誰もが感じ取っていたからだ。セイバーは思う。この家族は優しいから、自分の苦しみを他者に知られまいとして、余計苦しめる結果になってしまったのだと。
それをセイバーはもうさせたくなかった。他者を思いやる事は大事だが、そのために自分を犠牲にする事だけはさせたくない。昔の自分の姿を、幼いなのはに見てしまったから。他者のために、望まれる姿であろうとしていた自分と、同じ境遇にさせないために。
(あれで、みんな変わったよね)
士郎と桃子は以前にも増して休みを大事にするようになった。それは、家族との時間を大切にしたいから。恭也と美由希は鍛錬を厳しくした。それは恭也の期待に、美由希が応えたいと願ったから。なのはは思った事を隠さず伝えるようにした。ただし、セイバー優先で。友達であり、姉であり、他人であるセイバーは、一番客観的に意見を述べてくれるから。
こうして、高町家はより絆を強める事になった。それが、後の悲劇を回避する事になるとは知らずに……。
高町家と騎士王のとある一日
「ただいま~!」
「只今帰りました」
帰路に着いた二人は家に着くと、まず玄関からそう声を掛ける。
「お帰り~!もうご飯だからお父さん達も呼んで来て~!」
すると、桃子の声が返ってくる。これがいつもの日常。
『了解っ!』
どこか凛々しく、だけど可愛く答えるなのはに、真剣そのもののセイバー。そして、二人は庭にある道場へ向かう。そこからは、時折固い物がぶつかり合う音が聞こえてくる。
なるべく静かに戸を開けるなのは。その視線の先では、恭也と美由希が睨み合っている。
その邪魔をしないように、なのはは見守っている士郎へと近付いていく。セイバーもそれについていく形で歩き出す。
「お父さん」
「ん?もうそんな時間か」
なのはが来た事で、全てを察し士郎は呟く。そして、膠着しそうな二人に向かって告げた。
「後三分だ。引き分けなら今日のセイバーの買い食い代は二人持ちだな」
『っ?!』
その声に二人が動いた。一瞬だが、セイバーが目を輝かせたのを見たからだ。沈着冷静な雰囲気を持つセイバーだが、食の事になると別人のようになる。それは高町家全員の認識だ。セイバー泣いても飯やるな。それが高町家の教訓。それが出来なければ、彼女に食事を与えてはならない。同情すれば、必ず自分(の財政)に返ってくるのだ(既に、高町夫妻は経験済み)
神速でぶつかり合う二人。それをキョロキョロと視線で追うなのはと、静かに見つめる士郎とセイバー。無論、なのはには見えていないが、それでも必死に追いかけようとする所が可愛いものだ。そんななのはと違い、セイバーはそれを一つも見逃さぬようにしている。
御神の剣士は、彼女にとってこの上ない相手なのだ。以前戦った小次郎の剣。アレと似たものを感じていた事と、魔力も使わずこれ程の動きをしてくるのだ。その事が持つ意味は大きい。
既に、セイバー自身恭也や士郎と戦っている。未だに魔力を使わない状態では、セイバーも容易に勝ち越す事が出来ない。
「む…」
「決まりましたね」
恭也の大振りを好機と取った美由希だったが、それが恭也の誘いだった。だが、美由希もそれは覚悟の上であり、迫り来る小太刀を敢えて流さず受ける事で勢いを殺し、己の小太刀を叩き込んだ。
しかし、それすら読んでいた恭也は打ち込まれた一撃を耐え切り、再度残りの小太刀で斬りつけた。
肩で息をする恭也と美由希。それを見てどこか残念そうなセイバー。なのはは隣の士郎から、一連の流れを教えてもらっていた。
「っ――お前――はぁ――持ちだ――っからな」
「わかっ――はぁ――はぁ――てるよ」
どこか嬉しさを滲ませる恭也と、悔しさと寂寥感が漂う美由希。
(これで、今月のお小遣いパー……トホホ)
そんな事を思いつつ、美由希は道場の後片付けを始める。見ればなのはとセイバーが道場から出て行く所だった。去り行くセイバーの背中を眺めて美由希は願う。どうか、今日は僅かでも控えてくれますように、と。
高町家の食事は、ある意味スゴイ。料理や素材ではなく、量がスゴイ。ご飯の量もさる事ながら、オカズの量も多いのだ。
原因は、育ち盛りの子供達ではない。一年以上前からいる家族同然の少女であった。
「モモコ、御代わりを」
「は~い」
もう誰も何も思わない。まだ食事が始まって五分と経過してないとしても。それが当然なのだ。これが十分なら話は別だ。
大丈夫か、具合でも悪いのか、病気かもしれないと心配されるだろう。そういうものなのだ、セイバーという少女は。
「なのは、今日は何を買うんだ」
「えっとね……」
「あ、父さん醤油取って」
「ああ、ほら」
「シロウ殿、私にはソースを。目玉焼きにはかかせない」
「セイバー。はい、御代わり」
賑やかな食卓。ちなみに、セイバーは全員から呼び捨てを望んだ。それに応えてセイバーと皆は呼んでいる。セイバーも同じく呼び捨てなのだが、士郎だけは殿付きとなっている。
セイバー曰く「家長だから」との事だが、深い理由があるのだろうと桃子と士郎は考えている。
常人が見たら驚くような量の食事も、セイバーの前では普通の食事。二つあった御釜のご飯も、綺麗になくなり、テーブルの上のオカズも残っているものは何もない。食後のお茶を啜り、セイバーは静かに告げた。
「ごちそうさまです」
「お粗末様」
既に食べ終わっているなのは達も、それを聞いて片付けに動き出す。
それぞれが各々の食器を持って行き、それを桃子が洗う。洗われた食器を美由希が拭いて元の場所へ。恭也はテーブルを拭き、なのははその手伝い。士郎はセイバーとサッカー評論。
いつもは仕事や学校などで慌しい朝だが、たまの休日はこんな風にゆったりと時間を過ごす。出掛けるのはお店が開き出す十時からなので、それまでは自由時間。
「ここでラインを上げれば……」
「いや、でもここからクロスに振る方がいいんじゃないか?」
サッカーチームの監督をしている士郎が、セイバーとサッカー談議をするようになったのは半年前。欠員が出た際、セイバーに代理を頼んだ事がキッカケだった。見事な運動能力を如何なく発揮したセイバーは、永久出場停止という名誉の処罰を受けた。でも、そのプレーには多くの人間が賛辞を贈ったが。
テーブルに目をやれば、恭也となのはが掃除を終えて、雑談していた。
「学校は楽しいか」
「うん。友達も出来たし、お勉強も楽しいよ」
満面の笑みで答えるなのはを見つめ、頭を撫でながら恭也は思い出す。あの頃、どこか自分の意見を述べる事に臆病だったなのはに、恭也は気付いてやれなかった。それを悔いる自分を、なのははこう言って許してくれた。
自分が淋しいと言わなかったからだと。悪いのは恭也ではなく、本音を言い出せなかった自分だから。そう告げたなのはに、恭也は思った。
強くなったと。幼いながらも、セイバーという友を得て、妹は成長したのだな。そう感じた事を。
そして、キッチンからセイバー達の様子を美由希と桃子が見ていた。
「しっかしさ」
「んっ?」
「セイバーもすっかり『高町』だよね」
「そうね。まさに、高町セイバーね」
食器をしまいながら笑う美由希と桃子。実際、セイバーを養子にしたいと桃子は提案した事があったのだが、セイバーはそれをやんわりと断った。その時、セイバーに言われた一言が、今も桃子の心に残っている。
セイバーはこう言った。桃子の気持ちは嬉しいが、自分にも親はいた。だから、貴方を親と呼ぶ事が出来ない。でも、許されるならもう一人の母と思って桃子に接してもいいだろうかと。
その申し出に桃子は喜んでと応じ、それまではなのはの母という立場で応対していたセイバーが、急にどこか甘えるようになってくれたと、桃子ははしゃいだものだ。
もっとも、その違いは桃子にしか感じられないものであるが。
概ね、高町家は平和。この日もそうだった。郊外に出来た大型ショッピングセンターに行ったまでは……。
「じゃあ、お昼にここで合流って事で」
桃子の提案に頷く一同。まずは女性と男性に別れて散策し、お昼を食べてからそれぞれに別れて行動。最後に食料品を買って帰宅。そういう手筈になっていた。ちなみに集合場所は、二階にあるフードコート。先程から、セイバーの視線がせわしなく動いている。
解散、の一声で動き出す高町家。セイバーはフードコートに未練がましい視線を送りながら、美由希に引きずられている。
「後でまた来るから」
「それはそうですが……」
桃子の言葉にセイバーは言葉を濁す。そんなセイバーになのはが告げる。
「あんまり駄々こねると、おやつ抜きなの」
それを告げられたセイバーの顔は、驚愕の一言に尽きた。それだけではない。掴んでいた美由希の手を振りほどき、心からの許しを得るかのように桃子に縋り付いた。その光景に、否応なく周囲の視線が集まる。
「ちょ、ちょっとセイバー……」
「ごめんなさいごめんなさい。もう言いませんので許してください」
周りの視線などお構いなしに懇願するセイバーを眺め、美由希はなのはへ呆れた視線を向ける。
「どうすんの、なのは……これ」
「にゃ、にゃはは……どうしよう……」
そんな二人の目の前で、セイバーの懇願は続くのだった……。
一方、男性陣はというと……。
「これなんかどうだ?」
「いや、これは少し派手じゃないか?」
なのはのための小物を見ていた。初めはファンシーな雰囲気にたじろいた二人だったが、なのはの入学祝いと友人が出来た事を兼ねて、プレゼントするものを選ぶために突撃したのだ。
……まあ、選び出したらそんな事を忘れてしまった二人ではあるが。
「髪飾り……?」
「お、それはいいな」
恭也が目をつけたのは、リボン等の髪飾りだった。様々な色や形の物を見ながら、二人は悩む。ちなみに、成人男性がファンシーショップで真剣に物を見定めるのは、かなりシュールである。周囲の女性が先程からじっと二人を見つめているし。
結局、二人は淡いピンクのリボンを買った。これをなのはは大変気に入り、常に身に着けるようになるのだが、ある時から身に着ける事がなくなる。その理由は、また別の話。
お昼の集合までに、女性陣が見ていたのは衣服や小物類。男性陣はスポーツ用品や日用品。それらの話をしつつ、フードコートを歩く高町家。中でもセイバーは、目にする物全てに反応を示し、そのたびになのはが説明していた。
それを見ながら、美由希は気が気でなかった。セイバーが食べる物は、全部自分の払いになるのだから。
「それで、どうする?」
「せっかくだ。皆好き勝手に店を選ぼうじゃないか」
士郎の言葉に異議はなく、それぞれが思い思いの物を頼みに行く。ただし、セイバーだけは美由希の後をついていったが。
テーブルに並ぶ料理の数々。士郎は海鮮丼、桃子はドーナツが三つ(チョコ・カスタード・プレーン)にパイ(アップル・アーモンド)が二つ、それにジャワティ、恭也は盛りそば(天麩羅付)、美由希はカルボナーラ、なのははオムハヤシ、そして……。
「す、すごいねセイバー」
「ええ、色々あって迷いましたが、これだけにしました」
セイバーの前にあるのは、ナポリタンに石焼ビビンバ、それに石狩汁という体育会系もびっくりのメニューだった。ちなみに回った店で軽く五分はメニューを凝視している。
「……大丈夫か?」
「うん。……意外と少なくすんだ」
バランスを考えましたと語るセイバーの横で、美由希はがっくりと項垂れていた。それに心で手を合わせる恭也。
そんな様子を眺め、なのはは呟いた。
「まだおやつを買ってないから、問題はこれからなの」
その呟きに、美由希が顔を勢い良く上げ、セイバーを見る。その視線に気付き、セイバーが美由希を見返した。
美由希の視線に含まれたものに、セイバーは首を傾げた。
「どうしました?」
「ねぇセイバー……これで満足だよね?」
お願いだからそう言って。そんな想いを込めた問いかけに、セイバーは笑みを浮かべて答える。
「何を言っているのですミユキ。後は甘味を買わねばなりません。一階にたい焼きが売っていたので、それを買わねば」
嬉しそうにそう返し、スパゲッティを頬張るセイバー。その言葉に完全に打ちのめされる美由希。そして、それを同情の眼差しで見つめるなのは達。こうして、お昼は過ぎていった……。
お昼を食べ、自由行動になったのだが、なぜか二人組になってしまうのが高町家。士郎と桃子、恭也と美由希、なのはとセイバー。話し合ったわけでもないのに、そうなってしまうのは仲が良いからなのか。ともあれ、三組はそれぞれに歩き出す。
「ね、セイバーはどこに行きたいの?」
「特にありませんよ」
「え~っ、つまんないの」
「では、なのはの行きたい所に」
そう笑みと共に言われては、なのはも黙らざるをえない。結局、三階にあるアミューズメントコーナーへ向かった。
様々な機械が並び、雑多な音を響かせるそこは、セイバーにとっては初体験の連続だった。
UFOキャッチャーで苦戦し、クイズゲームに唸り、レースゲームに興奮し、メダルゲームで大勝した。
そんなセイバーとなのはも一緒になって楽しんでいた。一番二人が気に入ったのは景品のウサギとライオンのヌイグルミ。
セイバーはライオンが欲しかったのだが、中々取れず、なのはが何とか取ったのだ。その際、手前のウサギも一緒に落ちたのだが……。
「これはなのはに」
「ほえ?」
「お礼です。私には、これで十分ですから」
今日の思い出に、とセイバーがなのはに手渡した。しばらくそのウサギを眺めていたなのはだったが、言われた事を理解したのだろう。
満面の笑みでそれを抱きしめ、感謝の気持ちをなのはも告げた。
「私こそありがとう!セイバー!」
その後、再び合流した高町家は、食料品の買出しを終えて(勿論、セイバーは帰り際にたい焼きとみたらし団子をGET)帰路に着いた。
家に着いた時には、既に日が暮れていて、すぐに夕食の支度となったのだが、珍しく桃子の手伝いをセイバーが買って出た。
それは、セイバーなりの感謝の気持ち。何も話さぬ自分を受け入れ、家族同然に良くしてもらい、今日もまた思い出をくれた事に対する精一杯の恩返し。
「さ、まずは何をすればいいですかモモコ」
「そうね……じゃあまず」
―――手を洗って来て。
その言葉にセイバー以外の笑いが起こり、セイバーは恥ずかしそうに手を洗いに行く。その途中でふと思う。
(ああ、これが家庭なのですね。シロウ達とはまたどこか違う暖かさを感じます)
でも、とセイバーは呟く。まだ私は、あの温もりが恋しいのです。そう呟きながら、セイバーは誓う。いつか全てを話して、キチンと現在と向き合おうと。この暖かさを愛しいと思っているから。だから、必ず機会が来れば明かす。その想いを、強く心に誓って……。
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準備編三本目です。
どこが?と聞かれると言いにくいのですが、リボンがそれです。
そのためだけに書いたわけではないですが、肝心なのはそこだったりします。
すずか、アリサ、なのはと今回は同じ時間軸での話でしたが、どうだったでしょうか?
今後も同じような展開をする時は、こういう表記(番号)にしますのでよろしくです。
……今回長かったかな?