[おーい!先生](5)地元出産つないだ救世主
JR尾道駅の北19キロ。農村地帯にある病院は旧
そこに和歌山県・新宮市立医療センターから高山保守さん(65)が着任し、「5か月ぶりに分娩が再開された」と聞いたからだ。県外からの“助っ人医師”は、林さんに次いで2番目になる。
みつぎ病院は県南東部の50~60キロ圏内のお産を一手に担ってきた。お産ができないと、若い世帯が離れ、里帰り出産もなくなる。地域の過疎化と活気の喪失に直結する。
住民の戸惑いが広がる中、高山さんは、文字通りの救世主として迎えられた。
高山さんは大阪で25年間、産院を開業、1万人もの新生児を取り上げた。分娩が月60~70人になることもあり、手いっぱいだったが、分担する産科医や助産師が見つからない。仕方なく事故が起きる前に勤務医に転身したのだ。
出産に立ち会う喜びはひとしおだ。しかし、新天地はお産が少なく、物足りない。そんな時、全国から医師を募る「ふるさとドクターネット広島」がきっかけになり、出身地である広島県の地域医療の惨状を知る。「故郷で産科医を全うしたい」と電光石火の帰郷となった。
現在、年間120件の分娩をする。余力はあるが、休日や夜間の出産を避けるための計画分娩はやらず、できるだけ自然なお産を心がける。
「助産師外来」を充実させ、普段は女性助産師の柔らかみのある手にゆだねている。
だが、生死を分ける事態も起こる。「難産をうまく誘導して無事、生まれた瞬間は何事にも代えがたい充実感」と高山さん。感激のあまり涙が出ることもあるそうだ。
隣市の府中市に住む藺ム田(いむた)晴子さん(33)は7月9日、長女唯ちゃんを出産した。陣痛が停止する難産で、31時間後、やむなく帝王切開をした。(「藺ム田」さんのムは、「ム」の下に「午」)
「地元でお産できないので、高山先生が来られてよかった。母子共々、命の恩人」と感謝する。
「他科で味わえない産科医の喜びを次世代に引き継ぐのが私の最後の役割です」
この日未明まで分娩にあたった高山さんだが、寝不足を見せない笑顔に満ちていた。
退院時の病室を訪れた記者も、健やかに眠る唯ちゃんに幸せのおすそ分けをいただいた。(編集委員 前野一雄)
(2010年9月8日 読売新聞)
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