花野問題の本質について、 (その二)          2009年12月24日 20:01:23

『法華仏教研究』における、花野氏の「怨念たらたら」は多くの法華講員から批判の的となっている。今回内地の法華講員から頂いた代表的なメールを一遍紹介したい。

この方は私とほぼ同期の法華講員で、三十年ほど前、第二回「法華講連合会・全国青年部登山会」に於て、同臨していた方で、東北へ御巡行されていた日達上人が突如として帰山され、「法華講青年部の皆さんといっしょに勤行がしたくて戻りました」とお述べになられたとき、私は勘違いして仙台から戻られたと思いこんでいたが、実際は秋田からお戻りになられたことを指摘された方である。


長文の編集後記(にしては長過ぎ?)のアップ、お疲れ様です。 やぁ〜本音爆発ってところですね。

事実の確認は当事者以外にはできませんので置いておくとしても、日顕上人に対する怨嗟、怨念さえ感じてしまいましたよ。よっぽどハラワタ煮えくり返っても、いざ文章にする時はもう少し落ち着くものですよね、普通。

事実関係で確かに言っていることも(それは分かりますよ)って処もあるのに、これじゃ賛同者も出難いでしょう。 まぁ、それにつけても全部がご自身の主義主張ですね、(オレは絶対正しい)って。ここに書くことではないから敢えて触れていないのでしょうが、信徒のことなどもはや眼中に無いって感じです。

日達上人が読まれたら、果たして「充道、よく言った!」ってお褒めになるのでしょうか? 確かに左遷だったのでしょう、でも之ほどあからさまに書かれたら左遷された坊さんを迎え入れ、指導を受け折伏や寺院護持に尽くした要言寺の信者さん達の気持ちはどうなんでしょうね。

数年後、博士号取得の為に辞任して去られた挙句のこの言い分では(俺達の信心より博士号の方が大切だったわけ?)って余りに悲しくないですか。 これからも洗いざらい暴露してやるぞ!って宣言しているみたいで、確か前に送って頂いた件の道心の中で、「引かれ者の小唄はみっともない」って花野師が書いていたように思うけど、なんかご自身の方が引かれ者の小唄ぽっい感じがしてやるせないですよ。

あの学僧花野師はどこ行っちゃったのって気分です。 慧燈の創刊号に日達上人が「慧燈とは智慧の燈火であるが、智慧は末法の我々にとっては以信代慧の信心であり、日蓮大聖人の仏法を正直に信心することこそ大聖人の仏法を末法の万年に燈し続けることが出来るのである。それには一点の謗法の心があってはならない。

我々は最後臨終の時まで慧燈の精神を忘るること勿れ。」って書いて下さったのですが、久しぶりに読んで涙が出てきました。 ではでは、


以上であり、私も同感である。与えて云えば花野氏にも同情すべき余地はある。法華講連合会が全国組織として組成されはじめたころ、「青年部指導教師」として宗務院より派遣された花野氏は、青年部機関誌「慧燈」の主幹となり健筆をふるったが、創賊批判があるということで廃刊の憂き目をみた。

更に近年、出家在家を問わずに誰でも投稿できる同人誌の「道心」が、宗内改革の論文内容に問題があるとして、日顕上人の代に廃刊の憂き目をみた。花野氏は憤懣やるせないものであったのだろう。前掲した『法華仏教研究』の後書きが、学究肌の花野氏には似合わない感情むき出しの、「品位を保った内容」の文章であった。

最高裁の有罪判決を受けてもなお、『慧妙』の刊行は続けられているのに対して、私が携わった『慧燈』は、日達上人が御遷化になった後、「創価学会を批判している」という理由で廃刊になり、さらに私が携わった『道心』は、今度は「日蓮正宗を批判している」という理由で廃刊になった。

購読料や支払いの清算等々、二度にわたる残務処理がどれほど大変だったか、命令を下しただけの日顕上人にはわからないであろう。私の所論が、日顕上人への批判に当たるとして、購読者への全面回収を命じられた『道心』第二十九号などは、まさに前近代的な焚書処分の暴虐を歴史に残す貴重な本となった。

日顕上人による学問・思想弾圧の非道は、永く後世に語り継がれていくであろう。日蓮正宗も創価学会も、眼前の生き仏(最高権力者)が、「是」と言えば称賛され、「否」と言えば排除される。そういう組織であることは明らかである。

以上、花野氏は『法華仏教研究』の後書きに於て、こう「品位を保った内容で」述べられたのである。


今回は、花野氏の云う日蓮正宗による「言論弾圧事件」となった「道心」の当該論文を引用する。参考までにその当該部分を後段に掲げておく。

回収されたはずではなかったのか、と問われたら、ま、いいではないか、(汗)、金を払ったのは私であり、言論と表現の自由は憲法に於て保証されているのである。花野氏はこう云った。

「私は、原理主義者のように、形式(五時八教)も、内実(三大秘法)も、ともに大事であるとは思っていない。あくまで内実のほうが大事である。形式は方法論の一つにすぎない。広宣流布という目的こそが大事であり、理性をもった現代人に布教するために、科学的な学問をすることは必要であると思っている。(道心29号・75頁)」


花野氏は以上のように云われていたのである。形式を問題にせずに三大秘法が大切であると云いながら今般、花野氏は三大秘法よりも学術論文と雑誌の方を優先したのである。これを「自語相違」と云わずして何と云うのであるか。

学術というものは世法の次元であり、なによりも出家には穏忍自重が求められるのではないか、日達上人は学術を優先させて信仰を二義的に扱われる指導をされたであろうか、そのようなことは先ず、あり得ない。

どんな難局も乗り越える智慧が無ければ押しつぶされて乗り越えることは出来ない。「日蓮」と呼び捨てにしてはならないと宗務院から厳命を承けたら「日蓮大聖人」と記して宗務院に原稿を提出し、あとは出版社にまかせれば良いのである。出版社が字句を訂正するぶんには問題は無いはずである。(笑)、


さらに花野氏は今般の『法華仏教研究』で、創賊の走狗である松岡にもラブコールを送っている。猊下に向かって投げた論文に、「衣の代金はおいくらですか(趣意)」なんどの、おおよそ学術論文とはほど遠い痴難を飛ばす痴犬にさえ擦り寄るすがたはブザマを通り越して哀れみさえおぼえるのである。

若かりしころ、我ら法華講青年部の指導教師として颯爽と活躍した花野充道御尊師はどこへ行ったものか。しかもこのような低劣な次元の問題に対して「法難」と位置づけしているが、宗祖の法難に比肩して云っているものか、それとも等身大から発しているのであろうか、どちらにしても夜郎自大な笑い話以外の何物でもない。花野氏に祈ることはただひとつ、はやく正気に戻られんことを。


この花野論文は、道心誌の半分ほどを埋めた大論文である。全部はムリなので後半1/3ほどの分量である。花野氏はこの論考の最後をこう、締めくくっている。

「この拙論にちりばめた私の提言が、はたして妥当であったか否かは、十年後、二十年後の歴史が評価を下すであろう。私は覚悟して、厳正な歴史の裁きを待ちたい。」と、以下。


【資料】(道心・29号/49P〜)

 [人材さえ揃えば何でもできる]

私は、学問の意義について、深い理解を示された日達上人の御構想のもと、大学院にまで進ませて頂いた。日達上人は折にふれて、われわれに次のようなお話をされた。

それは一手口で言えば、宗門が一人立ちして歩くための人材の育成ということである。創価学会にオンブにダツコで、ただ冠婚葬祭だけやっていれば楽であるが、それでは人材は育たず、宗門はダメになる。オンプにダッコになれた宗門は、段々と足腰が弱っていき、学会なしでは一人で歩けなくなる。

学会がサッと身を引いたら、宗門は途端に立ち往生してしまう。それでは困る。自分の足で歩くからこそ、自分の行きたい所へ行ける。オンプにダッコであれば、学会の言うなりになるしかない。宗門の足腰を鍛えることが大事だ。それは人材の育成につきる。人は石垣、人は城である。

人材を育成することによって、真の宗門の興隆がある。建物はお金さえあれば短期間でできるが、人材の育成は精根をかたむけて、しかも長い年月を要する。学会が宗門に協力してくれれば、それはそれでありがたいし、宗門としてはそれを望んでいるけれども、相手の気持ち一つでどうなるかわからないから、学会が協力する、しないにかかわらず、宗門は一人立ちして歩けるように人材の育成に真剣に取り組むことが大事だ。

勉強する気のある者はドンドン勉強しろ。大学院に行きたい者はドンドン行け。法律を学ぶ者、語学を学ぶ者、一般仏教学を学ぶ者、多士済々の人材が輩出してこそ宗門の興隆はある。信徒に御書の翻訳を依頼するにしても、できれば僧侶にも語学に堪能な人材がいた万がよい。弁護士に宗門外護を依頼するにしても、できれば法律に明るい僧侶がいた方がよい。宗門は常に、オンプにダッコの他人まかせではなく、可能な限り、自分の足で歩く努力をすべきである。

大学院へ行って仏教学を学ぶ以上は、他宗の学者にまけないくらいの意気ごみで勉強しろ。宗門の中だけで自己満足していても仕方がない。出版活動においても学会に遅れをとっているが、人材さえ揃えば、宗門で辞典でも、布教書でも、何でも出版できるようになる。

学問をする僧侶は本を書け。話の上手な僧侶は布教をしろ。語学が得意な僧侶は海外の住職になれ。法律のできる僧侶は宗務院に入って御奉公せよ。少数の優秀な僧侶が何でもするのではなく、各人の長所を生かした専門化、分業化が必要だ。まさに人材育成こそ宗門の興隆のカギである。

信徒から信頼される立派な住職となって、地域広布のために真剣に努力する。これが宗門僧侶の基本であるが、さらに人によっては、外国語大学へ入って語学を専門に学ぶもよし。法律を学び、国家試験を受けて弁護士の資格を取るもよし。博士論文を書いて大学で教鞭を執るもよし。とにかくどんな立場においても、真剣に努力することが僧侶として尊いのだ。

このような日達上人のお心のもとに、われわれは大学院へ行かせて頂いた。私が宗教学会や印度学仏教学会で発表したことを御報告すると、心からお喜びになられた。今東光氏の宗門批判に対して、破折を命じられて書いたこともあった(「大日蓮」三六六号)。歎異抄研究会との法論に助っと人として出かけたこともあった。※@

【※@】妙観講と早稲田大学の歎異抄研究会との間で、理境坊で行われた法論。


お金があれば遊ぶ人もでてくるが、今の宗門には遊びたくてもお金がないから、あとは布教するか、勉強するか、何もしないで寝て暮らすか。若い時代に、布教の仕方、勉強の仕方を習得し、布教するクセ、勉強するクセを身につけておけば、将来必ず役に立つ。

何を自分自身の使命として自覚するかが大事である。宗門の大学科を出た後でも向学心さえあれば、日顕上人お願いして、さらに一般の大学にまで通わせて頂ける。長倉信祐師は、一般大学で仏教学を学んでいるが、さらに一般大学で外国語を学ぶ人が出てきてもよいと思う。


 [外部に向かって発表しなさい]

何事につけても、努力することの大切さ、勉強することの大切さをお示しくださった、日達上人のお言葉を次に掲げる。……

「幸いにして、諸君の内では、大学に行っている者、又既に大学を卒業した者もいる。また最近は、大学院に行っている人もたくさんいる。私はこんなにうれしいことはないと思います。大学院に入ったということは、私が登座になって初めてなのである。それ以前にはそういうことはなかったのであります。今みんなが、暑い中にも拘らず、この講習会で勉強していって、大学院に行きそれぞれの専門の分野の学問をすることができることを、誠に私はうれしいと思います」(「大日蓮」昭和五三年七月号)

私は日達上人に各種の学会での発表に加えて、論文も各学術誌に掲載している旨を御報告申し上げた。日達上人は非常にお喜びになられ、「外部に向かってドンドン発表し、論文も書いていきなさい」と仰せ下さった。

特に有難く、今でも思い出されるのは、私が佐藤哲英博士著『叡山浄土教の研究』中の一項目を執筆した時のことである。その旨を御報告申し上げると、早速、山喜房(※A)から取り寄せられ、私が西片にお邪魔した時に、その本が置いてあったことには感動した。

そして、優しい眼差しで「読んだよ」と仰せになった。私はそのお言葉を聞いて感激のあまり目頭が熱くなった。今でもその時の日達上人の慈愛に満ちた御尊顔と、透き通った声の響きを鮮明に覚えている。(「道心」八号一七〇頁)

【※A】東大の赤門前にある仏教書専門店。


 [世界広布の視野に立って]

実は私も、宗務院海外部の許可を得て、「パリ天台学国際会議」に出席させて頂いた一人である。日本をはじめ、アメリカ、ヨーロッパ、韓国、台湾などから三十名ほどの学者が集まり、一つの部屋で、議長による基調報告のあと、お互いにディスカッションをして、問題を討論したのであった。……

このように海外の学者の知己を得て、実り多きパリでの国際会議であったが、それにつけても思い知らされたのは、自身の非力と世界の学者の求道心の旺盛さであった。世界は広い。上には上がいる。狭い視野の中で自己満足していてはいけない。このたびの渡仏で、世界広布という視点に自身の学問の目が広がったことは、大きな収穫であった。

海外に出てみて、語学習得の必要性を実感した。大聖人の「一天四海皆帰妙法」の御遺命を、真剣に実現しようと思ったら、どんなことがあっても、まずその国の語学を習得しなければならない。これがなされなければ、単なる法衣を着けた人形、儀式執行における神秘的な異形者でしかない。

語学を習得するためには、日々コツコツと努力することが要請されるが、ともすれば自身の弱い心に放けて長続きしない。自身の怠惰心に打ち勝って、語学を習得する原動力は、世界広布実現という宗教的な使命感にあると思う。

海外に出て布教をしようと思ったら、語学に加えて、キリスト教からカント、ヘーゲル、ニーチェ、さらにはホーキングの宇宙論から、脳死、中絶等の生命倫理に至るまで、あらゆる知識を身につけておく必要がある。単に自身の教団の宗学さえ知っていれば、世界広布ができると思っていたのでは大間違いである。

世界広布の人材を育成するためにも、若き竜象に海外留学の機会を与えて頂きたいと思う。世界に存在する色々な宗教を見てくれば、狭い独善の殻は自ずから破られていくはずである。『摩河止観』が多くの言語に翻訳されて読まれていくように、大聖人の御青もまた全世界の言語に翻訳されて、世界の人々を救っていかなければならない。それは誰がするのでもない。これからの宗門の若き竜象がしなければならないのである。


 [受験勉強は自分との戦い]

法自ら弘まらず。人、法を弘む。故に人の育成こそ急務である。仏教を学ぶ人、哲学を学ぶ人、語学を学ぶ人等々、多くの人材が育成されてこそ広布の進展はある。二兎を追って、二兎とも得れる天才はいざ知らず、とにかく一つのものを徹底して修得させる分業化が必要なのではあるまいか。

海外広布に専念する人、布教講演に専念する人、学問研究に専念する人、出版業務に専念する人、宗務行政に専念する人、といった具合にである。宗門の実力に応じた広布の進展しかありえないことを自覚すべきであろう。

創価学会と僧俗和合していた時には、布教は学会、儀式は僧侶という役割分担があった。その時には、僧侶は宗門大学で宗学だけ学んでいればよかったが、今や状況は変化し、僧侶が世間に出て、世間の人々に布教し、世界に広布を推進していく時代になった。語学を徹底的に勉強するためには」むしろ外国語大学に入学して、そのあとで宗門大学に学んだ方が効率が良いと思う。

その逆では、受験勉強が困難となるからである。受験勉強は自分との戦いである。困難に立ち向かっていくという精神力が鍛えられる。目標を立てて努力することの意義を身をもって体験できる。世間の人でさえ、受験勉強で苦労しているのである。若い時から困難を避け、楽な生き方を覚えてしまったら、一生その繰り返しで終わってしまう。

……(私は)東大とか、東洋とか、日大とか、早稲田とか、宗派色の無い大学で学ばせればよいと思う。大学院へ行きたい人は行かせて、とにかく竜象のやる気を尊重し、最後に宗学の総仕上げとして、宗門大学で学ばせたらどうであろうか。(「道心」九号一九九頁)


 [世間の学者の懐疑に耐えうる学問]

私は日達上人に、一生懸命に勉強して博士号を取ることをお誓い申し上げたが、その結果、信の宗教と疑の学問のはざまに立って苦しむことになった。信の宗教と信の学問ならば、何も苦しむことはない。同信の僧俗の前で論文を発表し、同信の僧俗の前で法を説くだけでよい。同信の者が納得してくれるだけの学問をすればよいのである。

しかし、博士号を取ろうと思えば、宗門人としての信の学問に加えて、さらに一般の人を納得させるだけの疑の学問も修めなければならない。博士号の評価を下すのは同信の僧俗ではなくて、世間の学者だからである。世間の学者の疑に耐えうる学問は、宗派を超えて普遍的な説得力をもつ。疑に耐えられないような学問は、博士号の対象とはならない。

今は、国際化の時代であるから、英語の論文も読まなければならないし、外国で発表することも必要である。私は、学際的な実績を積むために、プリンストン大学のストーン教授の著書について『書評』(「道心」二十五号所収)を書いたが、このたび東京大学の末木教授の依頼を受けて、東方学会で刊行している『ACTA ASIATICA』という英文学術誌に、「本覚思想をめぐって」という題で論文を執
筆することになった。

末木教授からのEメールには、「貴説を海外に発信するチャンスと存じます」と記されてあった。さらに末木教授の推薦により、今年の秋には中国人民大学から招晴を受けて、北京で発表することになった。「本覚思想」を日中両国共通のテーマとして、日本側から五人の学者、中国側から五人の学者がそれぞれ発表し、そのあとディスカッションとなる。日本側から出席する学者と、発表する題名はすでに決まっており、次の通りである。

一、末木文美士 「本覚思想に関する日中比較」
二、菅野 博史 「大乗止観法門における本覚」
三、伊藤 隆寿 「道・理の哲学と本覚思想」
四、花野 充道 「仏教思想の本覚的展開」

折角、中国人民大学のほうから私ほ招聘して下さったのだから、海外部の許可を受けて、是非とも参加したいと思っている。末木教授とは大学院時代からの友人で、彼の著書『日蓮入門』(「ちくま新書」255)には、御書の真偽論について、私の見解が紹介されている。

このこと一つ取って見ても、日達上人が「日蓮正宗の僧侶が大学院で勉強すれば、間接的にせよ、布教にプラスになる」と仰せられたことが領けると思う。私は大学院で学ばせて頂いたおかげで大海を知り、そこで多くの知己を得た。日達上人への御報恩のためにも、そして何よりも御本尊様への御報恩のためにも、この命がつきるまでに必ず博士号を取ろうと決意している。


 [客観的な学問の世界で論争する意義]

信の学問と疑の学問について、読者諸師にも考えて頂くために、本誌に掲載された拙稿を再掲しておく。

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信の学問は丸暗記の学問で、自分の頭で考えるという訓練がなされない。こういう教育を受けて育つと、指示がなければ何もできない人間になる。自分で工夫して、事態を打開していくという生き方ができない。指導者の手足となって動くロボットにすぎなくなる。北朝鮮の民衆がそうである。偉大な将軍様の指導に盲従するだけで、自ら工夫して努力するということをしないから、いつまでたっても国が豊かにならない。

創価学会の会員もそうである。偉大なセンセーの指導に盲従して、自分の頑で考えて選挙に臨むということがない。宗門はそのような愚民政策をとってはいけないと思う。信の学問を強要すると、人の論文を丸写しにして何ら恥じない人間ができる。自分の頑で考える訓練がなされていないから、丸暗記や丸写ししかできないのである。自分の頭で考えるとは、疑うということである。

書かれてあること、教えられたことを鵜呑みにしない。必ず自分の頭で考えて確かめる。自分の頭の中で納得できるまで疑う。疑って、信ずるに足るものを信じていく。そういう学問態度である。疑うことを許さなければ、北朝鮮や創価学会と同じになる。真実であるという確信があれば、疑いは恐るるに足りない。

真実は方法論的懐疑を通じて確認されるものであるから、真実はどんな懐疑にも打ち勝つことができる。懐疑に敗けるような真実はニセモノである。宗門の信仰は真実に立脚していると確信しているから、私は近代的な方法論的懐疑をふまえて、外部の人を納得させるような学問に微力ながら取り組んでいる。宗門内部(信徒)の育成は信の学問でよいが、宗門外部(非信徒)への折伏は疑の学問をふまえたものでなければ、疑い深い現代人を納得させることはできない。これが私の学問的信念である。(「道心」二十七号一八五頁)
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私は、信の宗教と疑の学問の両立を目指して、今日まで僧道を生きてきた。信の世界だけで生きていけたら、あれこれと悩むこともなかったのに、と思ったこともあった。信の学問はよいが、疑の学問をする者は、信仰が不純になる、と陰口を言われたこともあった。そう言われるのは、全くわが身の不徳のいたすところであるが、私は確信のある信仰をしたいから、疑に耐えうる学問をしてきたのであって、盲信盲従は私の性分にあっていないのである。

「宗門の中だけで生きていけたら」「信の世界だけで生きていけたら」といくら思っても、今、私は現実に、外部の学者の前で自説を主張し、客観的な学問の世界で論争をしている。ありがたいことに、宗門の中にも、信仰と学問の二足のわらじをはいた私の立場を理解してくださる方も多い。


 [「日蓮とその門流」執筆の意義]

そういう私に、一昨年の秋、執筆の依傾があった。「日蓮とその門流」という題で執筆してほしいという依頼である。私は少々ためらった。自分の信仰している大聖人のことを客観的・学問的に書くことは難しい。今まで私が宗門の機関誌に書いたような論文をそのまま載せるわけにはいかない。

編集者は、私に客観的・学問的な「日蓮とその門流」の原稿を求めているのであって、主観的・信仰的な論文ならば、あなたの宗派の機関誌に載せて下さい、と言われるのがおちである。一般書店に並ぶ、一般読者を対象にした仏教書を出版したいので、色のついた「日蓮とその門流」では困る。不偏不党・無色透明の内容にしてほしい、と言うのは当然の要求である。

各宗派のPR本を出版するわけではないから、まさか日蓮正宗のPRを書くことはあるまい、と私を信用して原稿依頼をしてきたことは言うまでもない。日蓮正宗僧侶という肩書きの花野充道にではなく、早稲田大学感性文化研究所客員研究員の肩書きを持つ花野充道に原稿依頼をしてきたのである。

私は一瞬ためらったが、折角の御好意をありがたくお受けすることにした。私がことわれば、編集部は日蓮宗の学者に原稿依頼をするであろう。編集部は、一般読者を対象にした仏教書を出版するに当り、私を学問的良心をもった学者と認めて、原稿依頼をして下さったのだから、その要請に従って原稿を執筆した。それが昨年五月に春秋社から出版された『日本仏教34の鍵』中の「日蓮とその門流」である。

私は、一般読者から一宗一派に偏しているという苦情がこないように、客観的な事実だけを論述するようにつとめた。読んでいただければわかると思うが、それでも日蓮宗の学者とは一味違ったものが書けたと自負している。実は私は、平成十一年の暮れにも、某出版社から『日蓮入門』というタイトルで、B6版二百三十頁ぐらいの本を執筆してくれないか、という依頼をうけたことがある。

私はしばらく考えて、翌年早々、ある僧侶に相談した。するとその方は、数日後に電話にて、色々とアドバイスをして下さった。その結果、最終的に私のはうから、その出版社に正式におことわりの返事をしたことがある。その時のことが思い出されて、このたびの出版は感慨無量であった。

勿論、私個人の著作ではなく、文章量も少ないものであったにせよ、ともかく日蓮正宗の僧籍をもった者が、はじめて信徒以外の一般読者に対して、「日蓮とその門流」を執筆したわけである。


 [『日蓮正宗史』出版の意義]

私は、宗門はこれから、信徒向けの出版物だけでなく、外部向けの出版物も出していくべきであると考える。外部の人に読んでもらうことを意識して、最近、出版された本に高橋粛道師の『日蓮正宗史の研究』がある。私は高橋師から求められて、次のような「序」を書いた。


このたび畏友・高橋粛道師が長年の研究成果を一冊の本にまとめられ、「日蓮正宗史の研究」と題して、広く学界の識者に問われた。今までも日蓮正宗史に関する論文は決して少なくなかったが、その大半は読者を教団内部に想定したものであり、教団外部の研究者に向けて自説を提示した学術育は本書がはじめてではなかろうか。

かつての仏教研究は、いわゆる「宗学」「宗史」と称される方法論によってなされてきた。それは客観的実証的であるよりも、主観的信仰的な学問であった。その目的は教団の信仰を深めることにあったから、学問的な批判に耐えられるかどうかは眼中になく、もっぱら自身の信仰告白を論文にすればこと足りた。

その代表的なものは、某教頭の「大白蓮華」に掲載されている諸論文であり、日蓮正宗においてもそのような論文は数多く発表されている。それらの論文は信仰的には価値のあるものであるから、教団内部の読者からは高い評価を受けているが、教団外部の研究者がそれを学問として評価しているかどうかは別問題である。

われわれが自らの心の思いを言葉にする場合、独り言は別として、必ず誰かに向かって言葉を発している。同じように論文を書く場合も、必ず読者を想定して論文を書くことになる。信仰を同じくする教団内部の読者に向かって、教民の信仰を深めることを目的に論文を書く場合は、教団内部の機関誌に発表すればよい。

その場合、教団外部の研究者の目にははとんど触れないだろう。たまたま目に触れたとしても、学問的にはあまり価値のない信仰の論文として無視されるのが通常である。実証的な学問の論文として、教団外部の研究者に読んでもらおうと思えば、教団外部の学術誌に発表すべきである。

実は私は、そのように高橋師を説得して日本印度学仏教学会等での発表を勧めたのであるが、「針金宗門」を自称して、長い間、孤高を保ってきた教団に属する僧侶として、なかなか自説を世間に解放して識者に問おうとはされなかった。ところがこのたび、「自序」のなかに記されているように、身延等の他教団の先生方にも読んで批判をいただきたいとして、公刊にふみきられたことは、まさに画期的なことであって、心からお祝い申し上げる次第である。

本来、信仰とは主観的なものであるから、誰が何と言おうと自分はこう信ずる、と言ってしまえば、それ以上議論は進展しない。お互いが信仰を異にする別の土俵に立って、独善的にただ相手を批判しあっているだけなら、学問の進歩は望めない。客観性という同じ土俵に立って、研究者がそれぞれの主体的な仮説をぶつけあっていく中で、はじめて学問は進展し、真実に近づいていくの一である。

そして、このような学問的態度こそが、日蓮聖人の公場対決の精神を現代に蘇らすものであると私は思っている。すなわち自身の属する教団の中で、同信の者に向かって自説を誇るだけではなく、開放された公場において、堂々と自説を主張する実力と勇気こそ求められているのである。

たとえて言えば、共産党員が自分達の機関誌「赤旗」に自説を発表することはまだ容易である。しかし「朝日新聞」等の一般紙に自説を発表しようと思えば、客観性という読者の要求に応えられるだけの実力を身につけなければならない。日蓮正宗史の研究について言えば、実力とは文献考証力であり、文献読解力であり、自説構築力であり、何よりも説得力である。

このたび高橋師が公刊された著書が、どれほどの説得力をもっているかは、日蓮教団史を研究する識者の評価をまつしかないが、今後、日蓮正宗史に関する論文を書く場合、本書は研究者が必ず読まねばならない書であることだけは確かである。

高橋師は自身の学問的良心に従って、一石を井の中にではなく、大海に向かって投ぜられたのであるから、教団の内外を問わず、日蓮研究を志す多くの人々によって本書が精読され、初期日蓮教団史に関する論争が活性化することによって、真実がより明らかになっていくことを心より期待するものである。


 [学問によって宗門を守る]

高橋粛道師からは「学術大会に参加して」と題して、次のような身にあまる感想を頂戴した。

花野充道師の発表が行われる、九月五日の天理大学での宗教学会、九月六日の仏教大学での印度学仏教学会へ、学術的な刺激を求めて聴講に行った。両学会での花野師の発表は盛況で、殊に多くの人が集きまった印仏学会での発表は教室に人が入りきれず、急遽三人がけとなり、七十部用意していたというレジュメも足りず、私もとなりの人と一緒に見なければならないというほどであった。

花野師の中古天台、本覚思想の研究は、大聖人の仏法の思想背景を解明することにあり、浅井要麟氏や執行海秀氏ら立正大学の学者が、中古天台と日蓮教学を切り離そうとして、大聖人を原始天台の復古主義者とし、それによって本覚思想の色彩の濃い御書を偽書としていることについて、その見解が正しいかどうかを研究するという、大変大きな課題への取り組みである。

仏教学者の中には本覚思想を研究する人、或は興味を持っている人も多く、斯界の第一人者として、切り口鋭く、本覚思想の解明をされる花野師に、昼食時や発表終了後などに、「○○大学の○○です。先生の論文を読ませていただいています」と言って、名刺交換を求めてくる研究者を多く見かけた。

この五・六日の両学会に本宗の僧侶の姿も多くみられたので、そのうちの何人かに感想を聞いてみた。「今まで、両学会の会員でもないものは聞きに来ることが出来ないと思っていました」「今まで、両学会の名前は知っていましたが、いつ、どこで行われるのか知らなかったので、このたび初めて参加しました。

今回来てみて、大変勉強になったので、次回も是非来たいと思います」「さまざまな発表を聞き、大いに刺激を受けました。勉強しなければならないことを痛切に感じました」「一人で本を読んでいただけではわからないことが、よく理解できるようになりました。積極的にこういう場に足を運んだほうがよいと思いました」「どういう人が書いたのかと思って研究書を読んでいましたが、今回、学会に出席して、その著書の顔がわかっただけでも良かったと思います」さらには「多くの学者の発表を聞きました。

若い研究者の中には、内容もさることながら、レジユメもしっかりしたものが出来ていないばかりか、発表の仕方、態度もどうかと思うものもありました。上手な人だけでなく、下手な人の発表を聞くことも、自分の法話を省みる機会となって、よかったと思いました」という人もいた。

学生時代、私も中古天台を学んだので「花野師の発表を聞いて理解できたはうだと思うが、難解な天台法門をわかりやすい表現で、しかも原稿なしで堂々と発表されており、「本当に理解していなければ、自分の言葉でやさしく表現できない」と言われる如く、師の造詣の探さには恐れ入った。

そういえば八品派の研究者が、「今の日蓮正宗はこわい」と私に言ったが、同じ八品派の田村芳朗氏の説が学問的に否定されることをこう表現したのであろう。花野師が天台本覚思想研究の第一人者と言われる所以である。

このことは、仏教学会においても、宗内においても、異を唱える人は皆無であろうが、師のなされていることは、身延の学者が主張する大聖人の偽書説を否定して、真書に位置づけようとする研究である。そのことを立証せんとして、多数の論文を発表されているが、そのような研究は、他門からすれば、学問的に「日蓮正宗はこわい」ということになろう。

私は望みたい。師につづく研究者が四人五人と現れることを。それがさらに証明の重みを増すのであり、結局は日蓮正宗の為になるのである。花野師は教えを乞う人に出し惜しみをしない。熱くその人の為に語り、時間を惜しまない。結局、学問は宗門を守ることになると、私は信じている。他門から学問的に本宗の教義をくずされては、宗門は守れないからである。(「道心」二十七号二〇三頁)


 [信徒依存体質からの脱皮を]

宗門の執行部は、われわれに対して、いままでの創価学会をあてにした依存体質を改めて、僧侶主導の広宣流布の自覚をもて、と言われるけれども、抜本的な発想の転換はまだできていないのではないか。僧侶が自ら社会(大海)と接点をもつことなく、教団(井戸)の中にとじこもり、教団の中にいる信徒を指導育成して、その信徒に外部の折伏をしてもらおうと思っているからである。

これでは、かつて御講にきた学会員を指導育成し、その学会員に外部の折伏をしてもらっていた時代と本質的な速いはない。創価学会がなかった時代は、宗門はまがりなりにも、僧侶が自ら社会と接点をもって布教していたと思う。街頭布教をしたり、公会堂に大衆を集めて布教講演をしたこともあったと聞いている。

教団の栄枯盛衰をかけて、あらゆる方法を用いて僧侶自らが布教するしかなかった。創価学会がなかったら、宗門は僧侶の人材育成に力を入れて、自ら社会と接点をもつ形で、出版事業もしていたと思う。今ごろは、一般書店に宗門僧侶の書いた本が並んでいたに違いない。

私が小僧のころには、まだ宗門の僧侶で中学校の先生をしておられる方もいた。僧侶が教団の中にとじこもらないで、社会の中で生きていたのである。それが創価学会の出現により、僧侶は冠婚葬祭係にまつりあげられ、自ら教団の中にとじこもるようになった。

苦しくても、歯をくいしばって、社会(大海)の中で僧侶が布教をせざるをえなかった宗門自立(僧侶主導)の時代は終焉を告げた。そして、学会員を大切にし、学会員に折伏してもらい、僧侶は教団(井戸)の中に閉じこもるという信徒依存(在家主導)の時代に入ったのである。

そのような宗門の歴史を考える時、、今はまことに中途半端な時代であると言わざるをえない。ロでは僧侶主導といいながら、本質的には今までの学会依存が、法華講依存、宗務院依存に代わっただけではないのか。僧侶主導の広宣流布と言う以上、信者を立派に指導育成して、信者に折伏をしてもらう住職や、信者のために本を執筆する宗務院の僧侶のほかに、外部に向かって法を説く布教師や、外部に向かって本を執筆する僧侶の育成も急務であると思う。


 [医者や弁護士を選ぶ基準]

信仰の世界に肩書きなどいらない、という人もいるかも知れない。しかし、住職という肩書きがあるから、信徒はついてきてくれるのである。現実に、住職という肩書きと、在勤者という肩書きとでは大違いである。住職をやめて肩書きがなくなれば、いくら同じ日蓮正宗の僧侶だと叫んでもも、信徒は新住職の肩書きの僧侶についていくであろう。

宗務院の方々も、その時々の肩書きにおいて指導されているのであり、信徒も当然、僧侶を肩書きで区別しながら指導を聞いている。宗務院の僧侶の指導、所属寺院の住職の指導、他寺院の住職の指導、それを聞く信徒に心構えの違いがあることは言うまでもない。信仰の世界ですらこうである。

まして世俗の世界は肩書きでその人物が判断される。いくら日蓮正宗の僧侶であると誇っても、その肩書きが通用するのは宗門僧俗の中だけである。むしろ一般の人は、特定の宗派の色のついた僧侶より、大学教授の肩書きを持った人のはうを信用する。

○○寺住職という肩書きより、○○大学教授という肩書きのはうが、より客観的な視座に立って正確な内容のものを書いていると思うのが人情である。それが現実である。それがいいとか、悪いとか言ってもはじまらない。そういう現実を直視して、布教をしていかなければならないのではないか。僧侶に学歴はいらない、といっても、現実には大学科を卒業すれば講師検定試験が免除される。

宗門でも学歴が全くいらないというわけではないのである。まして世間においては、いかなる分野であれ、指導的立場に立つ人には高学歴が求められている。自衛隊でも警察官でも、公務員でも民間企業でも、高学歴の人が低学歴の人を指導するほうが自然であり、その逆はよはどの人(たとえば田中角栄氏のような人)でなければ難しい。

世間の人は学歴を得るためにどれはど苦労しているか。学歴詐称事件までおこるのは、現代が学歴社会だからである。世間の人は、高学歴であればあるはど、それだけ長く勉強したことを評価している。われわれだって、医者や弁護士を選ぶ場合、どれだけ勉強しているかを評価の基準にするであろう。

常に勉強している医者は、最新の医療成果をとりいれて、難病をも治すが、なまけ者の医者は、凡病でさえも治すことができない。常に勉強している弁護士に依頼すれば、負ける訴訟も勝つことができるが、なまけ者の弁護士に依頼すれば、勝つ訴訟も負けてしまう。それが現実である。


 [僧侶としての器量を磨く]

最近の日本人は、ラーメンを食べるにも、どうせ食べるならおいしいほうがいいと言って、少し遠くてもわざわざ出かけていく。おいしいラーメン屋の前には列ができるが、まずいラーメン屋はつぶれていく。ラーメン屋を開けば、どの店でも採算がとれるというような時代は終ったのである。

私は、やがて僧侶も信徒から選ばれる時代がくると思う。かつての在家主導の時代は、僧侶は冠婚葬祭さえしていればよかった。信徒も葬儀さえしてくれれば、僧侶としての器量があろうがなかろうが、住職だろうが在勤者だろうが、誰でもよかった。しかし僧侶主導の時代になると、僧侶には冠婚葬祭の導師としての役目だけでなく、広宣流布のリーダー(師匠の義)としての力量が求められる。

日蓮正宗には、血脈付法の御法主を根本として、いわゆる僧俗師弟義があるからである。医者であれば誰でもよい。弁護士であれば誰でもよい。僧侶であれば誰でもよい。そういう時代は終ったのである。人々が賢明になって、医者を選び、弁護士を選び、僧侶を選ぶ時代に入ったと言える。

僧侶としての器量を磨かなければ、やがてやる気のある信徒から見放され、墓檀家的な信徒しか残らなくなるであろう。僧侶の器量について、かつて私が記した拙文を再掲しておきたい。


(僧侶としての)力とは、やさしさであり、おもいやりであり、包容力であり、教学力であり、指導力であり、公平さであり、御本尊への祈りであり、以信代慧の智恵であり、将としての勇気であり、人格の高潔さであり、その他もろもろの僧侶としての徳分である。これらのうち、一つでも、二つでも身につけようと真剣に我が身を磨くべきである。

僧侶が法華講育成のための真剣な努力もしないで、傲慢な態度で信徒に接すれば、必ず信徒から見捨てられるであろう。法華講は僧侶の心の鏡である。僧侶が努力した分だけ法華講の畑に秋の実りがなる。僧侶が何もしなかったならば、必ず法華講の畑は荒涼する。法華講中に混乱が生ずることは、住職に何らかの能力が不足しているからである。

住職の能力とは、先はど列挙した僧侶としてのもろもろの徳分であり、一言で言えば器量である。その住職の器に入る分だけ法華講は入る。住職の器が小さくて入りきれない人々は、他のお寺に移るか、退転するしかない。己れの器を謙虚に反省して、退転させるよりは、他のお寺に移籍させてあげて、信心が全うできるように考えてあげてほしい。

しかし、それができるかできないかということは、これまたその住職の器量の問題である。器量のない住職はど、自分の信徒という占有意識が強くて困るのである。「信は公物」という日有上人の文があるように、信心を私物化してはいけない。自分の信徒ではなくて、大聖人の信徒である。

大聖人の信徒をお預りしているのであるから、その信徒の信心が深まるように、退転しないように、心から信徒を大切にして、誠実な教導を心がけていくべきである。

学会員は、創価学会が全く独自に折伏して育成した信徒であって、僧侶が折伏したわけではないから、その信心指導は許されず、専らその冠婚葬祭だけを仰せつかってやってきた。しかし法華講は、当然その信心指導を僧侶がすることを許されている。否むしろ、宗門の伝統的な僧俗師弟義に立脚して、法華講こそは住職が責任をもって指導育成しなければならない。法華講が大になるのも住職の努力、小になるのも住職の責任である。(「道心」創刊号一五二頁)


 [信心さえあればよいという甘え]

大聖人の御慈悲に浴して生活している僧侶は、世間の人に比べて甘いと思う。大聖人の往時に思いをはせる時、当時の僧侶は世間をリードする知識人であった。世間の人より、よはど勉強して、人々を教導していたから、尊敬されたのである。

「信心さえあればよい」という甘えは、なまけ者を正当化する恐れがある。大聖人の仏法をもって、世間をリードしようと思えば、世間の人以上に勉強しなければならない。仏教をもって、現代文明の苦悩を救おうと思えば、最新の知識を世界中から学ばなければならない。

国によっては、日本の文部科学省が認定する正規の大学を卒業しなければ、レプロンとして認めない囲もある。真に広宣流布を考えるならば、そのような現実をふまえて布教をしなければならないのであって、理想を言っているだけでは現実の布教は進まない。

創価学会は、各国の現実を直視しながら、変幻自在に布教をしている。原理主義者は、ややもすれば鎌倉時代の服(御書)にあわせて人間を切ろうとするが、人間にあわせて服を調整する柔軟性をもたなければ、海外布教はできないと思う。

現に台湾では、法華講が社会奉仕活動をしている。しかし、原理主義者、信仰至上主義からすれば、世間への迎合にはかならず、信仰の本筋とは全く関係ない、と批判されるであろう。そんなことは、極楽寺の良観が道をつくり、橋をかけ、病院を建てて、難民救済の社会事業をしたことと変わりがなく、大聖人が御書で厳しく批判されていることである、と批判するであろう。


 [引かれ者の小唄をうたう原理主義者]

いくら宗門で立派な本を出版しても、信者しか読まないとなれば、学会は恐るるに足らずとタカをくくっている。しかし外部に通用する布教師が宗門に出て、一般書店に並ぶ本を書くようになれば、学会も安閑としてはおられなくなるであろう。

私は、世間に通用する人材を育成することが、世間への迎合だとは思っていない。世間から孤立することが、大聖人の御書に忠実な布教であるとも思っていない。北朝鮮のように、世界の国々から嫌われ、孤立しながらも、ただ自国だけが正しいと言い張る独善性は、原理主義の顕正会に共通するものである。

「引かれ者の小唄」という言葉がある。負けおしみで強がりを言っている人のことである。原理主義者の顕正会会長は、まさにそれであると思う。彼は、自分だけが大聖人の御書を忠実に実践していると自負して、次のように学者をけなしている。

数ケ月前でしたか……。NHKの教育番組で、「日蓮上人について」というような番組があった。立正大学名誉教授で何とかいう身延の妨主(渡辺宝陽氏)が解説していた。汚らわしいが、どんなことをいうのかと思って少し耳にした。聞き手は年配のなかなかしっかりしているアナウンサーだった。

いろいろ相手にしゃべらせたのち、こう質問した。「日蓮上人という方は、何のために、あれはど命をかけてまでの強い行動を起こされたのでしょうか」と。そうしたら、その妨主は「内面的にみればですね……」とかなんとか、コチョコチョいうだけで(笑)、まったくの方向違いのことを言っている(笑)。聞いていることに答えないものだから、そのアナウンサーは「でも、なぜ命を懸けてまで」と同じ質問を三回くり返した(大笑)。

そのたぴに妨主はまたコチョコチョとわけのわからないことを言う(大笑)。私はその席に出て行きたくなった(大爆笑)、テレビのガラスを割って(大爆笑)日本の広宣流布の前夜に、正系門家において御遺命が破壊されんとすれば、大聖人様は顕正会をして立たしめ、戦わしめ、御遺命を守らしめ給うた。そしていま日本がいよいよ亡びんとすれば、再び顕正会を立たしめ、一国を諫暁せしめ給うのであります。(「顕正新聞」平成十六年五月十五日)


 [独善と慢心の落とし穴]

顕正会の内部では、この会長センセーの品性のないスピーチに異を唱える者はいない。法の正邪を言うことはよいとしても、「汚らわしい」などと人間を差別するような発言は、御自身がどんなに偉いか知らないが、私の好まざるところである。しかし、信者は皆な感心して聞いている。

信者を納得させることは簡単であるが、問題は外部の人が納得するかどうかである。これは宗門の場合も同じである。外部の人を納得させていかなければ、広宣流布は進まない。信者に向かって、自分のすごさを自慢しても、世間の人から見れば、まさに「引かれ者の小唄」である。世間の人は言うであろう。

「いかに顕正会の中で浅井氏が偉かろうが、世間的に見れば、日本にあまたある弱小教団の一介の教祖にすぎない。一方、渡辺宝陽氏は、立正大学の学長をつとめた人で、世間町な信用が全く違う。犬の遠吠えをしていないで、くやしければ、NHKからお呼びがかかるまでになってみよ」と。

すると、浅井氏は必ず反論するであろう。「大聖人の仏教の何たるかを知らない世間の無智の者どもが何を言うか。かの妨主は不相伝の身延の学者である。身延の学者のように、世間に迎合して、世間の愚者からほめられようとは思わない。大聖人の仰せのままに実践して、大聖人からおほめ頂ければそれで充分である」と。

これを評して、世間の人は「独善」「慢心」と言う。あたかも売れない陶芸家が、人間国宝の陶芸家をけなして、「俺のはうが実力が上なのに、世間のボンクラどもは全く見る目がない」と、支持者に向かって一席ぶっているようなものである。あるいは北朝鮮の将軍様がアメリカの大統領をけなして、共産主義国家がいかに偉大であるか、国民に向かって演説しているようなものである。

顕正会を挙げるまでもなく、自分の信仰を唯一絶対と信ずる宗教は「独善」「慢心」の落とし穴に陥りやすい。私は、顕正会のように「引かれ者の小唄」をうたうより、世間の人を納得させることができないのは、自身の非力の放であると反省し、世間の人々のレベルにあわせて法を説いていくべきであると思う。

広宣流布という目的さえしっかりと自覚されていれば、それは、決して世間への迎合とは言えないのではないか。信徒に向かって法を説くことは容易である。信徒は僧侶が何を言っても信じて聞いて下さるからありがたい。しかし信徒でない人に向かって法を説くのは大変である。

そこでは身内なるが故の甘えは許されない。常に真剣勝負である。聴衆はスキあらば、切りつけようという態度で聞いている。少しでも不正確なことを言えば、直ちに厳しい質問がとんでくる。私は仏教学会等で外部に向かって、自分の学説を発表しているから、そのことを身をもって体験している。


 [仏教用語を使わずに法を説く]

かつて私は外部に向かって、日蓮正宗の教義を説いたことがある。その時、「もっとわかりやすく話してくれ」「仏教用語を使わないで話してくれ」と注文を受けたことがある。それはあたりまえのことで、なかにはこういう質問もあった。

「看板にニチレンマサムネと書いてあるけれど、その洒はどこのメーカーか」 これであきれてはいけない。世間の人はそのレベルなのである。そのレベルの人であっても、理解できるように法を説かなければならない。世間には日蓮正宗と日蓮宗の違いを知らない人が多くいる。

世間の人より仏教を勉強している法華講の人でも、東本願寺と西本願寺の違いを知っている人が、はたしてどれだけいるであろうか。そのように考えれば、世間の人に向かって法を説くことの難しさがわかる。たとえば、こんな質問もある。

「あのよう、今、お前さんはニチレンさんのことを言ったけれども、ニチレンさんは軍国主義じゃないのか」こういう言葉使いを聞いて、どなってはいけない。「大聖人様を呼び捨てにするとは何事か。仏教に無知なのもほどがある。大聖人様と言え」。外部の人に向って話をしていることを考えなければならない。

信徒に向かって話をしているのとは違うのである。どなってしまえば、それだけで布教師は失格である。ヤジがとびかう中で、話をしなければならないこともある。聴衆がおとなしく聞いてくれると思ったら大間違いである。井の中で育った蛙は、大海で泳ぐ訓練が全くできていない。

世間に向かって法を説くことは、大海の荒波の中に泳ぎ出すようなものである。それを「世間への迎合」というのであれば、原理主義の旗を守って世間から孤立していくしかないのである。私は、外部の人に向かって論文を書く時には、あえて外部の人を納得させるために、自分の主観的な信仰を面に出さずに、より客観的な論述の仕方を心がけている。


 [有能な人材をいかに確保するか]

いかなる組織であっても、栄枯盛衰はまぬがれない。組織の発展を望むならば、人材の育成が不可欠である。組織の発展は、人材の確保いかんにかかっているといっても過言ではない。有能な人材を多く確保した企業が、経済戦争の勝利者となる。団の発展もまた、いかに多くの人材を輩出するかにかかっている。

平成十六年一月二十日の「神戸新聞」に、次のような記事が掲載された。

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「中国管理科学研究院科学研究所はこのはど、国内大学ランキングを発表した。中国紙・二十一世紀経済報道が伝えたもので、総合で一位は清華大学、二位は北京大学となった。中国でも日本と同様に学歴社会が進んでおり、名門大学であっても外部評価が重視される時代に突入したと言えよう。

清華大学は胡錦涛国家主席や朱錆基前首相らが卒業した理系の名門で、工学分野で強みを発揮。北京大学は文学、歴史学、法学の文系分野でトップとなった。総合三位以下は浙江大、復旦大(上海)、華中科技大(湖北省)、南京大(江蘇省)。

評価基準は「人材育成」と「科学研究」から構成され、人材育成では大学院生と大学生に対する教育状況をチェックし、自然科学と社会科学に分かれる科学研究では米国や中国国内の論文数や特許発明、科学賞取得などを参考にした。しかし、中国の大学も国際的評価はまだまだ低い。

英科学誌ネイチャーと米科学誌サイエンスで二〇〇〇〜〇二年に発表された大学別論文数を見ると、米ハーバード大(四百三十一本)、英ケンブリッジ大(百七十九本)、東京大(百三十二本)に比べ、北京大が九本、清華大は六本にとどまっている」
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これが世界の現実である。栄枯盛衰をかけて、世界は高学歴を競い合っている。より高度な教育を受けた、世界をリードする有能な人材をいかに確保するかに、その企業や国家の命運はかかっている。かつての高校卒は今の大学卒であり、かつての大学卒は今の大学院卒である。

私は将来、日蓮正宗の僧侶にして、NHKの宗教の時間で話をするような人材が輩出すれば、どれだけ布教にプラスになるだろうか、と思っている。また信徒もそのような時のくることを望んでいると思う。僧侶主導の広宣流布をおし進めるためには、世間に認められるような人材の育成に取り組んでいく必要があるのではないか。


 [宗門は水であり、信徒は魚である]

僧侶は仏飯をはんでいるのだから、自らが率先して布教にとりくむべきである。僧侶主導の広宣流布ということは、そういうことであると、私は理解している。しかし、そのような布教方法は、実は既成仏教教団のすべてが行っていることである。既成仏教教団は僧侶主導でやらざるをえないのである。

ほとんどの信者はお経を読むことができない。まして信者が布教をすることなど全く期待できない。信者は、お経をあげたり、布教をするのは、宗教上のプロである僧侶の役目であって、自分達は関係ない、と思っている。世間から、葬式仏教とさげずまれ、世襲制と檀家制度の上にあぐらをかいている既成仏教教拭の姿がそこにある。

宗門も、自らを厳しく律していかなければ、ついつい楽な方向に流されて、他の既成仏教教団と同じようになってしまうであろう。かつての宗門は、まさに僧侶主導であった。しかし、勤行もしない、折伏もしない、ただ僧侶にオンプにダッコの多くの法華講を見て、これでは広宣流布はできない、と立ち上がったのが創価学会であった。

僧侶にまかせておいても、広宣流布はできないと言って、在家主導に切り換え、信者自らが勤行をし、折伏をするように指導育成したのである。すると今度は、僧侶が学会にオンプにダッコとなって、布教をしなくなった。このたびの第二次学会問題がおこって、もとの僧侶主導に戻らざるを得なくなったわけであるが、このまますすめば、また勤行もしない、折伏もしない墓檀家のような信者が増えていくことを私は恐れる。

現実に、浄福寺の法華講をささえているのは、創価学会で薫陶を受けた地区部長クラスの方々である。その方々の高齢化にともない、講頭になり手がないほどの深刻な人材不足に悩んでいる講中も少なくない。このまま僧侶主導で進めば、信者は常に受身の信心になって、いつしか他の既成仏教教団と同じようになってしまうのではないか。

僧侶にしても、信者にしても、受身の信心、指示待ち信心で飼い馴らされると、率先垂範の活力がなくなってしまうと思う。教団を統率していくには、ただ黙ってついてくる僧俗ばかりのほうが楽であるが、教団の未来を考える時、はたしてそれでよいのだろうか。自分の頭で考え、自分の意見を言う人が多い教団はど、布教についての真剣な討議もなされ、教団が活性化すると思う。

宗門と信徒との関係について、次のようなたとえを聞いたことがある。「宗門は水である。信徒は魚である。魚がイキイキと泳げるようにしなければならない。子供が立派に成長することを親が喜ぶように、魚がイキイキと泳ぐことを喜ぶ宗門でなければならない」と。

僧侶主導がいきすぎて、受身の信徒ばかりになると、いきつくところは墓檀家のような講中と、寺院の世襲制である。私は、意気込みとしては僧侶主導でよいけれども、信仰はどこまでも僧俗平等であってこそ広宣流布は進展すると思う。


 [主導がすぎると活力がなくなる]

御書を原理主義的に解釈すれば、そもそも現在、僧侶が妻帯していること自体が御書に反している。原理主義に立って時代相応の布教を批判しながら、自分自身は妻帯しているのは、いかにも御都合主義ではないか。

原理主義に立脚した僧侶主導は、僧侶が妻帯していなかった時代、在家の大半が読み書きできず、僧侶しかお経を読めなかった時代、僧侶が先頭に立って布教し、在家がただ僧侶に帰依していた時代のものであって、現在では僧俗ともにお経を読み、僧俗和合して布教に励んでいるのであるから、僧侶が師の義たりえるのは法衣を著した時に限り、それ以外は精進していくべきであると思う。


宗門は水、信徒は魚、魚がイキイキと泳ぎ回ってこそ広宣流布は進展するのであって、僧侶主導の名のもとに信徒を萎縮させることがあってはならないと思う。上意下達の「主導」がすぎると、自発能動の活力がなくなり、下からのもりあがりがなくなってしまう。第一次学会問題の時は、学会を糾す運動が下からもりあがったから、学会は謝まったが、第二次学会問題の時は、上意下達で進展したから、学会はついに謝まらなかった。

宗務院主導がすぎると、僧侶が萎縮して、言われたこと以外は何もしなくなる。言われたことを言われた通りにやる僧侶だけが残っていく。宗門を統率する上で、そういう僧侶のほうが扱いやすいからである。しかし、若い時に生意気だった僧侶のはうが、色々と工夫して布教で大きな成果をあげることもある。

今の若い僧侶は、私の若いころの僧侶と比べて、良く言えば従順、悪く言えば覇気がないように見える。ただ従え従順なだけの指示待ち僧侶が、布教で大きな成果をあげることは期待できない。自分の頭で考え、自分の意見をもった生意気な僧侶まで包容するような宗門であってはしい、と願うのは私一人ではあるまい。


 [形式より内実を見てほしい]

私は、安直な原理主義に反対である。時代相応、隨方毘尼ということを考えなければならない。すでに僧侶が妻帯して、御書に反しているのだから、原理主義を徹底することは無理である。私は、御書の表面(形式)より、その内実(精神)を重視すべきだと思っている。

形式に固執して、精神を見失なってはいけないと思う。大聖人の御精神は、公場対決であり、広宣流布である。形式を言えば、私が対外的な学術論文で「日蓮」と敬称をつけないことが批判の対象となっている。しかし、形式ではなく、その内実(内容)を見てほしい。私は、私なりに広宣流布を願って、学問をしているのである。

同信の僧俗に向けた内部の論文と、世間に向かって発する外部の論文とは違うのである。このことは、公場対決の精神をもって、自ら外部に向かって自説を主張してみればわかることである。原理主義に立って形式を批判しているだけの者には、外部に向かって自説を主張する者の苦労はわからないと思う。

それとも、宗門はこのままカラの中に閉じこもって、仏教学会等の公場で論争することの意義を全く認めないのであろうか。宗門の布教師も、外部に向かって法を説けば、その苦労がわかるはずである。

「道元」「親鸞」と尊称をつけずに話しながら、「大聖人」と尊称をつけることは、同信の僧俗の前ならいぎしらず、世間の人からすればアンフェアに聞こえる。私は世間の人に向かって、フェアに話そうとしているだけであって、これは方法論の問題であり、形式にすぎない。目的はあくまで広宣流布である。

広宣流布を考えるならば、宗門はカラの中に閉じこもって、同信の僧俗に法を説いているだけでよいのだろうか。形式だけで批判するのではなく、その内実や精神を見てはしい。原理主義者からは批判されるかも知れないが、私は大聖人の教えを世間に向かって説くために、時代相応の学問をしているのである。私は、仏教学会等の公場等で論争することが、謗法であるとは思っていない。


 [迷信は現代の知識人には通じない]

鎌倉時代は、今のようなクスリもなければ、ダムもない時代である。病気になれば快復を神仏に祈るしかなく、日照りが続けば雨を神仏に祈るしかない。いわば宗教の時代である。しかし現代は、月に向かってロケットが飛び、家には電化製品が満ちあふれている。いわば科学の時代である。

かつては、村の大木に神が宿っているとして、村人が総出で豊作を祈ったこともあったが、今は科学的に考えておかしいと思うことは、迷信とかたづけられて誰もしなくなった。信の時代は終焉を告げ、疑(理性)の時代でわれわれは生きているのである。

宗教至上主義のヘブライズムから、人間の理性を専垂するルネッサンスを経て、今や理性に基づいた科学の時代である。中学校でも、高校でも、大学でも、科学的な方法論によって学問がなされている。かつての各宗派の檀林教育とは逢うのである。

信で考えれば、釈尊の説法次第は五時八教であるが、疑(理性)で考えれば、法華経は後世の成立となる。かつての檀林教育は、信の学問であったから、五時八教を歴史的な事実として教えた。しかしそれは、科学的な教育(疑の学問)を受けた現代人には通用しない。疑に耐えられないような説は真実と認められない。

信の時代は、あやしげな宗教家がクスリと称してメリケン粉を信者に飲ませることがあったが、疑の時代は、科学的思考(疑)に反するような行為は、薬事法違反として処罰される。われわれはそういう時代に生きているのである。

科学的思考をもった人を相手に布教していかなければならないことを考えるべきである。「五時八教を歴史的事実と信ずる者だけでやっていけばよい。世間に迎合して五時八教を否定してはいけない」という考えは、まさに原理主義ではないか。これではたして世界広布ができるだろうか。このような原理主義では、現代の知識人が納得して入信することはまずないであろう。

現代教育を受け、少しでも仏教をかじった知識人なら、五時八教が歴史的事実であるとは誰も思っていない。原理主義にこり固まった顕正会に、弁護士や医者、ジャーナリストや大学教授のような知識人がはとんどいないのはそのためである。顕正会には偉大な会長先生に随従する信者しかいない。宗門はそうであってはならないと思う。

墓檀家的な人だけが信ずる宗教で札なく、科学的に仏教を勉強した人、科学的な思考能力をもった人、すなわち現代の知識人までが入信する宗教でなければならない。大聖人の仏法は、いかなる時代であれ、いかなる国であれ、広まっていく仏法であると信じている。理性(疑)をもった知識人には通じないような迷信の類いの宗教ではないと確信している。

私は、原理主義者のように、形式(五時八教)も、内実(三大秘法)も、ともに大事であるとは思っていない。あくまで内実のほうが大事である。形式は方法論の一つにすぎない。広宣流布という目的こそが大事であり、理性をもった現代人に布教するために、科学的な学問をすることは必要であると思っている。


 [仏教を科学的に研究する意義]

檀林教育は信の学問であった。信の学問とは五時八教を歴史的事実であると信じ、大聖人を絶対視して学ぶ学問である。宗門内部の学問はそれでよいと思う。いわゆる「宗学」である。宗学は宗学として学び、宗内の教学試験や講習会はそれでよいと思う。

しかし問題は外部に向かっての学問である。理性をもった知識人を含めて、どのように布教していくかを考えなければならない。「知識人は疑い深いから柏手にしないで、素直に五時八教を歴史的事実と信じてくれる信徒だけでやっていく」というのでは、あまりにもおそまつである。

理性をもった現代人に布教していくためには、信の学問(宗学)とは別に、疑の学問(仏教学)も勉強していかなければならない。私は両方の学問が必要だと思っている。疑の学問とは、科学的な方法論を用いて、仏教思想を歴史的に学ぶ学問であり、大聖人を相対視して学ぶ学問である。

すなわち、釈尊が華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の順に法を説いたと見るのではなく、またはじめから大聖人を末法の御本仏と見るのでもない。人間釈尊がいかにして悟りを開き、仏教思想がいかに展開していったか。また人間日蓮がいかにして悟りを開き、日蓮教学がいかに展開していったか。

大聖人を相対視して拝するとは、御書の系年について古来の伝承を疑って新たな私見を提示したり、御書の真偽について学術的な考察を加えたり、御本尊の相貌について科学的に研究したりすることである。松本佐一郎著F富士門徒の沿革と教義』の「あとがき」には、次のように記されている。

「法道院の早瀬御尊師様からのお使いで、お所化様が御本尊写真を沢山ウンウン云って背負って来て下さった。然しこの御本尊写真は、法道院様のものだから痛めては相済まぬと云うので、複写機を求めてそれからコピー作りに着手、学校から帰るともう夜中の十二時、すぐ勤行をすませて御飯を頂いてから複写に取り掛っても、毎朝、雀の声がきかれる時間になる。それを毎日繰り返してようやく仕上り、拝借の御本尊写真は御返し申し上げて、いよいよ研究にかかる段取りとなった。

ところが著者のいうのには、「真偽の鑑定を、今迄の方法ではただ自分の感とか研究とか経験などに頼って居たが、今はこうして科学が進んでいるのだから科学的に研究するのだ」ということで、早速、警視庁の鑑識課へ四、五回程通った。鑑識課でも珍らしい仕事なので、非常にご親切に面倒を見て下すった。その扱い方は数字で出すことで、その見方は本文の中に書いてある。……

因に三、四年前から、教学部長阿部信雄御尊師様(京都平安寺御住職)も、この御本尊研究を遊ばして居られるよし承って、誠に結構なすばらしい心強い事と、心から法の為、世の為、大慶の至りと存じ上げ、御成功を祈って止まない」(若い時から続けてこられた、卸本尊の相貌に対する研究成果は、第六十七世御法主として登座されからの教師講習会等で御講義賜っている。筆者注)


御本尊を信の対象ではなく、学の対象として研究する。これが疑(理性)の学問である。疑の学問をする人がいなければ、大聖人の御真筆と伝えられる御本尊が発見された時に、日蓮正宗にはその真偽を鑑定できる人が一人もいなくなってしまう。科学の時代に生きるわれわれは、このような科学的な疑の学問をしないと、理性をもった知識人への布教はできないと思う。

理性的な学問を認めずに、ただ随従を強要する、顕正会のような原理主義では、知識人が全く相手にしないのは当然である。善男善女が盲信盲従しているだけで、知識人の日には狂信とうつるような宗教を、世間の人は「カルト宗教」と言うのである。


 [信心の根本は本門戒壇の大御本尊]

私は、信の学問も疑の学問も学んで、信徒に向けては信の学問をもって法を説き、外部に向けては疑の学問をもって仏教学会等で発表している。ところが宗門の一部に、信の学問だけで充分であって、疑の学問をする者は信心がない」と批判する向きがある。しかし、信心とは一体なんであろうか。

私は、平成十一年七月三十日に、当時、日正寺の御住職であった河辺慈篤師に会って、色々と御指導を受けたことがある。その時、師は、日蓮正宗の信心の根本は本本門戒壇の大御本尊であり、御法主をはじめとしてすべての僧俗が、この人法一箇、御本仏の御当体たる大御本尊に随従していくことが信心の根幹である、と明確に御指導下さった。

私も全く同感であり、かつて私が本誌に掲載した拙文を次に再掲しておきたい。

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「唯授一人の血脈相承は本門戒壇の大御本尊と付嘱という「法体相承」にこそ、その本義があめのであって、そのゆえに法主のみが、そのその血脈相承に基づいて御本尊を書写されるのである。……正信会の一部の僧侶は、本門戒壇の大御本尊について、それは真偽を超えたものであると言っているが、これはとんでもない間違いである。

真の故に信ずるのである。大聖人の出世の本懐として顕わされた御本尊であるから信ずるのである。大聖人の御当体として、御白から御建立遊ばれた御本尊であるから信ずるのである。偽物であっても信ずるというものではない。真偽を超えたものとは、一体どういう意味であるのか。本門戒壇の大御本尊が偽物であるはずがない。」(「道心」三号一〇二頁)


「唯授一人の血脈相承は、本門戒壇の大御本尊の付嘱という「法体相承」にこそ、その本義があるのであって、そのゆえに法主のみが、その血脈相承に基づいて御本尊を書写されるのである。正信会の一部の僧侶は、本門戒壇の大御本尊について、御法主を中心に、すべての僧侶が、三大秘法の仏法を護り、広めていくことが日蓮正宗の使命である。広宣流布の戦いを進めていく上に、信徒の大将は住職であり、住職の総大将は御法主であるが、信徒も住職も御法主も根本尊敬すべきは三大秘法の仏法である。

すなわち御本仏の御当体たる本門戒壇の大御本尊が根本として尊敬されるべき本尊である。これを信ずるところから日蓮正宗の信心ははじまる。戒壇の大御本尊を信ぜずして何を信ずるのか。われわれは、まず第一に、戒壇の大御本尊を大聖人の御当体と信じ、次に、戒壇の御本尊を根本とする三大秘法の仏法が、日興上人によって伝持されたことを信じ、さらに、この下種の三宝に直接お仕えされた日目上人が、広宣流布の暁に御法主として出現遊ばされることを信じ、その信心の上に立って、御歴代の御法主上人のもと一致団結して、この下種三宝を広宣流布すべく精進すべきである。(「道心」→九号 二〇三頁)
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私は、本門戒壇の大御本尊を信心の根本と仰ぎ奉り、御法主や宗務院の指導に従って、勤行も、折伏も、法華講の育成も、すべて人並みにやってきた。勤行もしない、折伏もしない、法華講の育成もしないで、ただ疑の学問をやっているだけなら、批判されても仕方がないが、住職としての務めをはたした上で、学問を続けてきたのである。

対外的な論文の中で「日蓮」と書くことについても、日達上人が「対外的な学問をする以上は、学術的な表現を用うることはやむをえない」と認めて下さったから、日達上人の御在世から続けてきたことなのである。


 [世間の法より外に仏法を行はず]

住職になったら、世間的なことは何もしてはいけない、ということではないと思う。住職の務めをはたしながら、さらに社会と接点をもって活躍されている人はほかにもいる。細川明仁師の「あすなろ雑記(十四)」(本誌二十五号所収)を読んで頂きたい。丸岡雄道師などは、住職としての務めをはたした上で、さらに銀座三越のギャラリー等において、日本画の個展を開かれている。

丸岡師と話をしたところ、僧侶が社会の人と接点をもって、社会の中で活躍することは、必ず宗門の布教にプラスになる、ということであった。故松藤欣道師にしても、彼のハンセン氏病への取り組みが、どれほど布教のプラスになったか。原理主義の人々から言わせれば、これらの活動もすべて「世間への迎合」ということになるのであろうか。ちなみに『減劫御書』の一節を次に挙げげておきたい。

「法華経に云はく、皆な実相と相ひ違背せず等云云。天台これを承けて云はく、一切世間の治生産業は皆な実相と相ひ違背せず等云云。智者とは世間の法より外に仏法を行はず。治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」

この御書は、当初、「智者とは世間の法より外に仏法を行ず」と読まれていた。そのように読めば、世間から遊離して仏法を行ずることが正しいように思えるが、御真筆が大石寺に現存しており、それを精査したところ、「智者とは世間の法より外に仏法を行はず」ということがわかった。

そのはうが文脈としても自然であり、大聖人はこの御書にはっきりと、「法華経の行者は、世間から遊離した教団のカラの中に閉じこもっていないで、世間の中に入って仏法を行じなさい。すなわち世間に布教をしていきなさい」と仰せになっているのである。


 [人脈を築くことの大切さ]

私自身も世間に通用する学問をしてきたおかげで、大学の教授を法華講に入講させることができた。私が浄福寺に赴任してまもないころ、私の論文を「宗教研究」や「印度学仏教学研究」等の学術誌で読んだとして、当時、創価学会で兵庫県の学術部長をしておられた綿貫伸一郎先生が尋ねてこられた。

その時以来の御縁で、このたびの第二次創価学会問題がおこるや、意を決して浄福寺の法華講に入講して下さったのである。綿貫先生は京都大学の大学院を出て、現在、大阪市立大学で教授として教鞭を執られている。

知識人を折伏するのは、やはりわれわれ僧侶のつとめであると思う。綿貫先生に聞いても、また私の知っている弁護士に聞いても、宗門僧侶はもっと世間に出て、法を説いて頂きたい、と言われる。そして、そのためには大学院にまで行って、われわれ信徒以上に勉強して頂きたい、と口をそろえて言われる。

広宣流布を推進していくためには、弁護士や政治家やジャーナリストなど、知識人との人脈を築くことも必要であると思う。東京大学を卒業された関快道師の人脈が、このたびのいろいろな局面で役に立った、ということを聞いたことがある。私自身も、第二次学会問題がおきて、早稲田大学の人脈を大切にするようになった。

それまでは、学会が浄福寺を護って下さったから、私は教団のカラの中に閉じこもっていればよかった。しかし、学会のすさまじい破壊活動にあって、浄福寺を護るためにいろいろと手立てを講じなければならなくなった。講中に社会的な立場のある人がいれば、その人に相談できるが、いなければ自分で人脈を築いていくしかない。

そう考えて、それまで出たことがなかった、兵庫県の稲門会(早稲田大学卒業生の組織)に顔を出すようにした。私自身が社会と接点をもつことによって、早稲田大学を卒業した政治家や弁護士やジャーナリストと親しくなることができ、ある時には、早稲田大学卒の国会議員を囲んで、私を含めて八人はどで夕食をともにしたことがあった。

その時、当然、創価学会のことも話題になり、私が日蓮正宗の僧侶として、このたびの第二次学会問題を説明したことは言うまでもない。私の話を聞いた知識人は、少なくとも宗門の立場に理解を示して下さったと確信する。

このような努力は、世間の知識人と接点をもっておられる宗門の渉外部の方々はなされているが、できればすべての僧侶が心がけていくべきであると思う。地域の人々や、世間の知識人と親しくなることは、必ず布教のプラスになる。その人達が直ちに入信しないまでも、少なくとも日蓮正宗を理解して下さり、何かの時には味方になって下さると確信する。

創価学会は、そのような努力をして、地域に根ざして布教をしているのである。学会員が今、積極的にPTA活動や自治会活動、さらに
は老人介護やボランティアに取り組んでいるのは、それが必ず布教に役立つと信じているからである。

宗門においても、ある島の住職は積極的に世間の人々とつきあい、友好の輪を広げることによって、日蓮正宗の理解者を増やし、それが布教のプラスになっていると聞いたことがある。そのような努力をすることが、はたして「世間への迎合」となるのであろうか。


 [人材の育成こそ急務である]

大聖人の仏法の目的はあくまで広宣流布である。原理主義者のように、相手の宗教を徹底的に破折すること自体が目的なのではない。顕正会を挙げるまでもなく、原理主義者は「我れのみ尊し」という独善が根底にあるから、世間の人々から嫌われ、世間の人々から遊離してしまうのである。

教団の中に閉じこもって、実際に折伏をしたことのない人は、破邪顕正の実践さえすれば折伏が成就すると考えているが、現実はそんなに甘いものではない。世間の人々と友好の輪を広げつつ、良好な人間関係を築いていくことが、必ず布教のプラスになると信じて努力している僧侶を、原理主義者は、「世間の人々と仲良くする僧侶は、破邪顕正の折伏を実践していない」「それは摂受のやり方だ」「世間への迎合だ」と言って批判するが、それは極論すれば、「折伏をすれば世間の人々から嫌われるのは当然だ。だから同信の僧俗だけで仲良くしていこう」ということにはかならない。

そのような今までの布教方法は、ある意味で限界がきているのではないか。「エホバの証人」の信者は、日蓮正宗のお寺にも平気でチャイムを押して布教に回ってくるが、その意気ごみは評価するとしても、それで布教の実があがるとは思えない。日蓮正宗でも同じような布教をすれば、世間の大半の人々は「ヘンな宗教」と蔑視して、かえって法を下げることになるのではないか。

しかし原理主義者は、かたくなにそれが破邪顕正の折伏だと思っているのだから、始末が悪い。前掲した白井運道師の書簡にも示されていたが、宗門の僧侶は、今までの布教方法だけで、はたして本気で、十年後、二十年後の宗門がいよいよ発展興隆していると思っているのだろうか。

よほどの発想の転換をしない限り、講中の高齢化が一段と進み、墓檀家的な受け身の信徒が増えるとともに、若い人の人材育成がなかなかできないまま推移するのではないか。「法自ら弘まらず、人、法を弘む」である。人が大事である。人材の育成が大事である。

人間関係を大切にして、いろいろな人脈を築くことは、将来、必ず布教のプラスになる。そうであるならば、宗門の将来を見すえて、意欲のある学衆は、宗門大学を卒業した後、御法主上人にお願いして、さらに大学院にまで進んで頂きたいと思う。


 [正義顕揚の一つの姿]

平成十四年の秋に、私が駒沢大学の中央講堂で公開講演をしたことに対して、細川明仁師が身にあまる感想を述べて下さったので、次にその文を掲げたい。

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当日は聴講者で大学の中央講堂が、はぼ一杯になったそうです。講演を聞いた法華講員のある教職者は、「正宗教義を客観的な論議に耐えられるレベルにまで普遍化し、広く世間の思想界へ解放していく、という信念のもとに研究なさっている花野御尊師の御姿勢に心から共鳴し感動しております。

これからの日蓮正宗教学には、このような努力が必要なことがわかります」と感想を述べていました。またある若い宗門の僧侶は、「高度な学術的な場での講演に、カルチャーショックを受けました。正宗教学の基礎的なところが、学術的にも論証されることに深い感慨を覚えました」と感想を述べていました。仏教学の研究者からも、絶賛する声が多数あったと聞きました。

花野師は講演で、堂々と論陣をはって、自らの研究方法と持論を述べられています。仏教学を真筆に志す真面目な研究者への親愛の憎からか、かえって遠慮せずに、持論を率直に述べられる、この無類のすがすがしさが、師の身上と思います。

仏教思想の究極と言われる本覚思想というテーマに関して、多くの資料を読み込み、研究論文として構成する師の力には定評があります。ともすれば諸学者が持論を紛々として主張し、基本線が曖昧になりがちなところに、師がはっきりとした輪郭を与え、問題の全体像を見せてくれたのは痛快でした。

こういった学術上の成果は、かつて師僧の日達上人より、「一般の仏教学会でも通用するように頑張りなさい」との御指南に基づいて、師が研究をつみ重ねてきた賜です。これも正義顕揚の一つの大きな姿と思います。(「道心」二十五号一七六頁)
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私は、私なりに信心をもって、宗門の広宣流布を真剣に考えている。広宣流布を真剣に考えているからこそ、このような拙文も書いているのであり、住職の法務をはたした上で疑の学問もしているのである。信心がなければ、法務をさぼり、遊んで暮らしているのであって、ただ「疑の学問をしているから」「論文に日蓮と書いているから」という理由で、「信心がない」と批判されるのは不本意である。

私なりに広宣流布を真剣に考えて、このような拙論を書くことが、どうしていけないのか。未熟な論考であり、考え違いをしているところも多いであろうから、是非とも御指導を賜りたい。未熟な論考であっても、私が宗門を愛し、宗門の広宣流布を真剣に考えていることだけはわかって頂きたいのである。


 [「道心」発行の原点を確認する]

最後に、本誌を発行した原点を確認するために、本誌に掲載した拙文の二、三を再掲して、拙論を終わりたい。

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ほとんどの僧侶は、「宗門改革」の必要性を痛感していても、どのようにすればよいのかわからないであろう。ここは真剣に討議しあうしかない。心ある僧侶同志で、正直に意見を交換していくしかない。自分達の宗門である。

その宗門を良くするも、悪くするも、自分達である。このような決意に立って、堂々と名前を名乗りあって、責任ある論議を積み重ねていくしかない。卑劣な怪文書が横行するのは、宗門にそのような討議の場がないからである。宗門主体の広宣流布のために、正直に、本音で論じあえる同人誌を発行したい。このような思いが私の心の奥からこみあげてきた。

そしてその時に、昨年の三月十八日に、総本山で行われた法華講教師指導会での日顕上人のお言葉が思い出された。日顕上人は、私の質問に対して、次のように御指南された。

「今の『大日蓮』は猊下のことばかり書いて面白くない。お言葉、お言葉なんて載せすぎだね。猊下のお言葉なんて、もっと別のものに載せればいい。そういうことは、私に大いに言ってもらいたい。皆な、私に遠慮して言いたいことを言わなくて困る。『大日蓮』は「大日蓮』で主要な私の説法を載せるにしても、それ以外のものをもう少し、皆なの学術論文のようなものを、むしろまともな正規のものを載せて、『大日蓮』は教学的な宗門機関誌として内容を充実させていく。

そしてもう一つ、それとは別に、日達上人がお作りになった『蓮華」のような、何でも言える本を作ると面白いと思う。たとえばどんな事でもいい。少しおかしい事があれば、書いてくれて結構です。私もそれを読んで、本当に真心から書いてくれるものなら、きっちりと直していきます。言いたいことが言える、自由な面白い本を作ってもよいと思う。平成三年、開創七百一年は、道理の年でありたいと思っていた。道理というのは、理をつくすこと、道を通すこと。

したがって、思っている事が言えないような宗門は、これは間違っていると思う。間違っていることが、間違っていると言えないような宗門は、道理が通った宗門ではない。道理のある宗門を形作りたいということは、私のこの一年の理想であった。私の気持ちはそこにあるから、『大日蓮』の新年の言葉は、そのようなことを言ったつもりです。要は、本当に正しく、そうしておおらかで、目的を絶対に忘れずに精進しつつあると同時に、正しく、清らかで、しかも楽しい宗門を創っていきたいと思う」(要旨)
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私は、日顕上人のこの広いお心に甘えて、正直に、本音で、何でも言いたいことが言いあえる同人誌を創って、「宗門改革」「宗門主体の広宣流布」「宗門の未来の展望」を論議していきたいと決意し、……三人が責任をもってこの同人誌を編集発行していくことになったのである。……

この同人誌には賛否両論が起こることは、当然予想されるが、われわれとしては賛同して下さる方だけで、自分達の同人誌を続けていきたいと思っている。自分の意見を正直に述べて、相手の反論に謙虚に反省するとともに、相手の意見を真剣に聞いて、自身の僧侶としての器量を磨いていきたいと思っている。……私としては、この『道心』に実りのある論議を期待しているのである」
(「道心」創刊号一六四ナ貝)


 [宗門のビジョンを示して頂きたい]

平成三年十一月二十八日付をもって、日蓮正宗より創価学会に対して、「破門通告書」が送付された。翌二十九日、大石寺において、報道関係者に対する記者会見が行われ、さらに翌三十日には、総本山に全国の教師僧侶が緊急招集を受けて集合した。大書院において開催された教師指導会の席上、私は宗務当局に次のような質問、要望を申し上げた。

「このたぴ創価学会が破門になり、これから宗門主体の広宣流布を進めていくということであるが、今後、宗門が進むべき展望、ビジョンを示して頂きたい。明確なビジョンを示して頂かない限り、私は「前の見えない電車」に乗っている感じがしてならない。自分がお預かりしている寺院については、法華講を育成することによって、住職が責任をもって維持運営していくことは当然であるが、宗門全体の発展興隆、大聖人の御達命たる広宣流布をどのように進めていくのか。

今までは、学会を信頼し、学会と僧俗和合することによって、広宣流布をしていくというのが、宗門の基本路線であった。宗門は儀式、学会は折伏という役割分担を尊重しながら、ある意味で学会にオンプにダッコで、宗門は広宣流布を進めてきた。けれどもこれからは、そういった今までのあり方を根本的に変えていかなければならない。

今後、学会なしで、宗門はどのように広宣流布を進めていくのか。われわれ僧侶は、どのようなビジョンのもとに御奉公していくべきか。このことを宗門僧侶の衆智を結集して、早急に具体化していかなければならないと思う。それは、いままでの宗門の広宣流布への取り組み方を変えるという意味で「宗門改革」であり、学会との協調路線による広宣流布から、学会なしの宗門主体の広宣流布への転換を具体化していくという作業である。

いままでとは違った宗門の新しいあり方を模索していく場合、当然のことながら、建設的な意見は、いままでの宗務院のあり方を変えるという意味で、現状批判的な言辞になる。しかし私は、宗門を愛するが故の現状否定こそ、広宣流布の理想に向かって着実に前進する道であると信ずる。そしてそのためには、われわれ宗門人が心から納得して御奉公に励むことができるよう、僧侶のコンセンサス作りが必要であると思う。

すなわち僧俗の関係、法華講連合会のあり方、法華講と住職という寺檀関係だけで、はたして広宣流布ができるのか。法華講の良い所もあれば、創価学会のあり方によって広宣流布が進んだという事実もある。両者の組織上の長所短所を具体的に総括する必要がある。

次に、宗門僧侶が主体になっての布教。一般書店に宗門僧侶が書いた本が並ぶということも、これからは必要であろうと思われるし、機関紙についても、信徒が心から楽しみにして、読みたいと思うようなものにしていく必要がある。あるいは日蓮正宗の正義を、マスコミも含めて、一般世間の人々に堂々と主張していくことも大事である。

さらに布教に加えて興学。はたして宗門において、研究の自由、言論の自由がどれだけ保障されているのか。教義の研鑽にともなって、仏滅年代や経典成立史から、大聖人の御書の真偽論や戒壇論に至るまで、宗門僧侶はどれだけのことを研究していくべきか。

あるいは宗門大学の問題、徒弟制度の問題、海外布教の問題、新寺院建立の問題、無任所教師の問題、都会のお寺と田舎のお寺の格差の問題、専門的な布教師の育成、学僧の育成、いわゆる専門分化の問題、弁護士、文筆家等を含めて在家の人を活用していく問題。こういった諸問題について、われわれ僧侶は創価学会を善導しきれなかった反省をふまえて、学会からの批判についても反省すべきは反省し、建設的な討議を重ねていくべきではないか。

皆んなの宗門である。宗門を良くするも、悪くするも自分達である。宗門僧侶一人ひとりが、その責任を自覚すべきではないか。そのためにも、是非とも討論の場を設けて頂きたい。宗務院に話し合いの窓口を作って頂きたい。あるいは宗務役員の方々に、各布教区をまわって頂いて、若い僧侶の不安や要望を聞いて頂きたい。何卒宜しくお願い申し上げる次第である。

このような私の発言に対して、ありがたくも藤本総監は、懇切丁寧に次のように答えて下さった。

「ただ今の花野師のお話しは、今後の宗門の進むべく方向に関する、さまざまな面からの尊い貴重な御意見、御要望というふうに受け承りました。これらのことは、今後、是非とも取り組んでいかなければならない課題でございます。今後とも、皆様方の負い御意見をうかがいながら、宗門としても充分に検討し、実施していくべきであると考えます。ただ今は花野師から色々とうかがいましたが、是非とも書面に書いて、宗務院の方へ要望書として提出して頂きたいと思います。充分それを検討して、これからの資料にしてまいりたいと考える次第でございます。」

このような誠意に満ちたコメントを頂き、それだけで充分に満足して下山した。……十二月九日、東京の常在寺をお借りして、僧侶有志の会合が開かれた。志を同じくする僧侶有志で、何か要望書をまとめて、宗務院へ提出しようという趣旨であった。……

その時、私が用意したレジュメが手許にあるので、それを一部加筆して、次に掲げてみよう。

@宗門には広宣流布のビジョンがないという批判。
意識の高い僧俗は、宗門に明確なビジョンの提示を期待している。「地涌正統からの通信」にも、われわれが参考にすべき指摘がある。

A宗門僧侶の意識、発想の転換。
いままでの宗門は、学会にオンブにダッコできたから、その意識、発想の転換が求められている。一人立ちして、自力で広宣流布していく組織の構築が急務である。

B宗門におけるプレーン集団の必要性。
自坊の維持運営だけでなく、宗門全体の発展興隆、世界の広宣流布を考える頭脳集団が必要である。現実に適切に対処しながら、理想を忘れず、理想を追い求めながら、現実を忘れない。微視的見地と巨視的見地を兼ね備え、大胆にして細心、理論的にして実践的、そういう人材を育成することが大切である。僧侶から見ても、信徒から見ても、魅力のある宗門を構築するために、論議の場、討論の場を設ける必要性がある。

C宗務院主導の宗門改革。
宗門が、学会なしの広宣流布新路線を歩むに当たって、それに相応した宗門改革が求められている。それはあくまで宗務院主導の宗門改革でなければならない。そのためには宗務院に話し合いの窓口を作ること。民意を尊重した、宗門人の納得のいく宗務行政への期待。宗門人は単に宗務院まかせではなく、各人が使命と責任を自覚する。無気力、無関心、無責任であってはならない。面従腹背の人が増えないように、宗門組織の風通しを良くして、論議を早すようにする。

D宗務院組織の充実強化。
各部に副部長を登用する。法華講担当の副教学部長、機関誌担当の副教学部長等々。出版局、広報局、儀典局等の新設と担当局長(あるいは部長)の任命。在家の人材を登用して、僧俗和合体制を確立する。創価学会、その他の教団の組織形態を参考にして、その長所短所についても研究しておくこと。

E閉鎖から開放へという広宣流布の方向牲。
ソ連、中国、北朝鮮における言論統制と強権政治。日蓮正宗の正法正義を世界に広宣流布していくためには、宗門の言論を世間に開放し、僧侶が説得力を身につけて、世界の人々を納得せしめていくことが必要である。

F布教活動、出版活動と機関誌。
いままで学会が行なってきたことを、これからは宗門で行なっていかなければならない。それには学会の出版活動を参考にすること。
(一)学会の「大白蓮華」「聖教新聞」等、信徒育成の機関誌。宗門においては「大白法」「大日蓮」等を充実発展させること。

(二)「御書講義」「御書辞典」「青年と信仰シリーズ」等の信徒向け単行本の出版。

(三)かつての宗門の「蓮華」のような論議、討議の場。それによって僧侶に自主能動の精神がつちかわれ、宗門が活性化する。かつての「和党」のような自由研究発表の場。それによって僧侶の勉強意欲が増し、文章力が磨かれる。

(四)学会の「潮」「第三文明」等、一般書店に並んでいる月刊誌。一般人に少しでも理解者を作ろうとして出版されている。霊友会には「インナートリップ」がある。自前の月刊誌の出版が無理であれば、「大法輪」等に投稿することも一つの方法である。一般人にも正宗の正義を知ってもらうために、日顕上人が「文芸春秋」に玉稿を寄せられたことは、意義あることであったと拝する。

(五)「講座日蓮」「日蓮の行動と思想」等の一般人向け単行本の出版。

(六)立正大学の「大崎学報」「日蓮教学研究所紀要」等、学術研究誌。宗門においては「富士学報」を充実発展させること。

G言論の自由。研究の自由。
依法不依人。真理の追求、教義の研鑽。学問と信仰、理性と信仰、懐疑と信仰の問題。戒埋論、真偽論等々。

H日蓮正宗教義の現代的展開。
大乗非仏説、仏滅年代、大乗教典成立史、五時八教、己心論争。理性的な現代人への説得力。独善的閉鎖的、訓詁注釈、象牙の塔という批判。現代文明の苦悩を救い、時代をリードしていく生きた宗教、生きた教義、脳死問題、ガン告知問題、安楽死やホスピス等の現代人の生老病死に関する諸問題。

I宗門大学の充実発展。

J徒弟制度と僧侶育成。
末寺住職の弟子制度。本山の弟子と末寺の弟子の長所短所の総括。マンツーマンの徒弟教育。単なる労働力。在勤寺院の住職の考え方の違い。僧侶の目的、目標。努力の意義。夢、ビジョン。現代における期待される僧侶像。布教と興学の情熱。個性重視と画一化。無任所教師の問題、宗務院、内事部の組織械構の充実と人材登用。副住職制。布教所並びに新寺院建立。都会と田舎の寺院格差。世襲制。稚家制度。実力主義と人脈。能力重視と僧階重視。寺院等級と住職僧階。離脱僧の批判。宗務行政の公平性。

K海外布教の現実的諸問題。
翻訳作業、出版事業。外国における新寺院建立。外国人僧侶。妻帯問題。

L宗会のあり方、その他。
昔の宗会と今の宗会。総監と重役の選出方法と任命。信仰の絶対牲と行政の相対性。上意下達と下意上達。民意の反映。宗会議員選挙。監正会員選挙。三権分立。参議会。寺族同心会のあり方。学衆課。図書館。歴代室。研究所等々。

M役職の集中化と分散化。
オールマイティの人材。布教師、宗会議員、支院長、学林教授等の兼任。全員が人材。個性、長所の尊重。専門家の育成。権限の分散化。人材の育成、発掘、登用。僧簿をもった仏師、弁護士、学校の先生等々。住職になって末寺で御奉公する人と、住職にならずに宗務行政にたずさわる人。

L法華講と連合会。
法華講と学会の組織上の長所短所を総括。連合体か統合体か。連合会の活動と支部の活動のバランス、連合会の立場と指導教師の立場。住職の個人差、考え、性格、力量の違い。連合会と支部の組織論並びに指導方法、移籍の問題。住居移転、引っ越しの問題。大小支部の格差の問題。住職交替にともなう諸問題。新寺院建立にともなう諸問題。青年部育成と法燈組織。人間関係のトラブル。宗務院内法華講よろず相談室。信徒の投書、住職の言い分、大岡裁き。

Q自己批判、現状否定、反省こそ広布前進の条件。
宗門を愛するが故の建設的な意見と、宗門の寛容牲。帝王学。住職たるもの、組織のリーダーとして、常に自らの器量を磨くべし。
(「道心」三号一八一貫)


 [賢人は妾きに居て危きを歎く]

駿馬は鞭の影を見ただけで走るが、駑馬は鞭で叩かれなければ走らない。自分が火宅の家に住んでいることを知り、危機意識をもって対応するのは賢人であり、自分の服に火がつかない限り、何もしないのは佞人である。「夫れ賢人は安きに居て危きを欺き、佞人は危きに居て安きを欺く」(『富木殿御書』)

この御文を拝する時、いつでも思い出されるのが日達上人のお言葉である。

「四、五年前、吾人在京中、在京学生会を開いて、青年の意気と力とを以て月刊雑誌と伝導講演会とを開始せんとせしが、当時の宗門要職者の忌む所となり、解散の非運を経験し、怨恨幾年、所謂兼好法師の「腹ふくるる」思いを圧えて今日に至り、ここに我等の言論発表すべき機会に接す。言論発表は人類本能の然らしむる所なれば、何を以て言論を抑圧し得べきや。むしろ無理解なる圧迫者に対する報酬は永遠の筆弑なるべし」(「妙の光」第二号 昭和四年三月)

「私は日淳上人の言葉として、「寝るならば、墓所へいってから永久に寝ろ、生きている間は勉強しなければならん」という言葉と、「繰返し繰返し本を読んではじめてその意に達した」という言葉を、心に留めている次第であります。また日淳上人も若い自分はなかなか活気があり、からだは弱かったが、意気においてはじつに衝天の意気をもって論破をよくしたものでございます。学生の時代には、よく東京でいろんな学生会を作って青年が寄り合った。そしてその当時の宗内のくさった考え方を打破する。いまの重役だとか寂日妨さんだとかいう人たちは、みんなちょうどそういう年輩の同輩の方たちで、その人たちがみんなそういうふうな青年の意気をもって、いままでの、その当時の老僧がたがどうもまずいという意見をいい合って、この宗門の新しいいき方を作っていってくださったのです」(「日淳上人追憶談」昭和三十四年十二月)


若き日の目顕上人また、「鶏鳴」の「発刊の辞」において、次のように述べられている。

吾等青年僧の直面する責任たる実に、重且大、然れども青年の熱と意気と努力こそ、之を掩ふて余りあるのであろう。吾等は真筆なる求道精神の下に、この青年僧の集ひを龍頭蛇尾に流れしめざる様、真理に対する徹底的な推究論覈を続行すべきである」

今日の宗門の危機的状況を、なおも他人事と思い、何とかなるだろう、誰かが何とかしてくれるだろうとのんびりしている人は、あたかも「駑馬」の如くであり、「佞人」の如くである。駿馬は、鞭の未だあたらざる前から、状況を察知して真剣に走り、賢人は自らが安定した境涯にあっても、現下の危機的状況を察知して、真剣に憂いて行動する。

広宣流布に対する宗門僧侶の意識が低いと言われるのは、一体何を物語っているだろうか。各人が危機意識を充分に主体化していないからではないか。あるいは、はじめから力及ばずといって、あきらめているからではないか。

「賢人は安きに居て危きを欺く」とは、賢人は常に現状に満足しないということである。賢人は安きに居て安きを喜ぶのではない。今のままの自分良いと思ったら人間としての成長はない。今のままの宗門でよいと思ったら、教団としての前進はない。常に自らを反省し、努力して、向上していくことを考えるべきである。常に宗門の現状を点検し、努力して、矛盾を改めていくことを考えるべきである。

「流るる水は腐らず」。「日々に新たにして、又日に新たなり」。賢人は「安居無きに非ざるなり。我に安心無きなり」である。われわれは常に、「智は猶お水のごとし。流されざるときは則ち腐る」ということを自覚しなければならない。若き日の日達上人や日顕上人がそうであったように、宗門の未来を担う若き竜象諸兄もまた、意気と情熱とをもって、よりよき宗門を建設し、広宣流布の沃野を開拓していって頂きたいを願う。それには己れの信念に生きること。広宣流布も一生成仏も、臆病にては叶うべからずである。
(「道心」四号一八二亡貝)


 [暗証の禅師と文字の法師]

「いくら勉強しても、信心がなければダメだ」「世間に通用する学者であっても、謗法の学者だからダメだ」ということは宗門でよく聞かれるが、「いくら信心があっても、勉強しなければダメだ」「正法を信ずる者の中から、世間に通用する学者が出なければダメだ」ということは、あまり聞かれない。

閉鎖的な仲間うちの信仰の世界で、自己満足しているかのように感じられる。日蓮正宗が「信」の宗教であることはわかるが、それは知識や智恵がいらないということではない。学会のように、「ただ「組織』を信じてついていけ」「どんなことがあっても、『師』に信順していけ」と言って、権威権力への単なるイエスマン、自立できない愚か者、自分の頭で考えないロボットを増やしていくことが、大聖人の仏法なのではない。

人々が勉強して智慧がついてくると困るというのは、イワシの頭への盲信を勧める宗教である。何も考えないで、ただ信じてついていけばよい、という宗教ではなく、勉強すればするはど確信が深まっていくという宗教こそ、正しい宗教であると思う。天台大師が言われるように、智慧の目と、修行の足とがあいまって、はじめて清涼池に到る(成仏できる) のである。

大聖人云く。「非学匠は理につまらずと云って、他人の道理をも自身の道理をも聞き知らざる問、暗証の者とは云うなり」(諸宗問答抄』)。学問のない者は、「道理に詰まってはいない」と言って、他人の道理も聞かず、自身の道理も知らないでいる。こういう者を、暗証の者というのである、と。

暗証の者は、行はあっても学がない。智目がないから、いくら行足があっても、清涼池にたどりつけないのである。清涼池とは反対の方向に一生懸命歩いている。学だけあって、行のない「文学の法師」もまた、智目だけで行足がないから、清涼池にたどりつけない。われわれは信を根本に、行(行足)と学(智目)に励むべきである。(「道心」五号一九六頁)


 [私達を歴史はいかに裁くか]

中国の思想家、顧炎武は言う。「天下の興亡は匹夫も責めあり」と。私は、これからもお預かりしたお寺の興隆と地域広布のために全力を尽くす覚悟である。しかし、宗門全体の十年後、二十年後の興亡を考えた時、やむにやまれぬ憂宗護法の道念から、勇気をふるいおこしてこのような拙論をしたためた。

この拙論にちりばめた私の提言が、はたして妥当であったか否かは、十年後、二十年後の歴史が評価を下すであろう。私は覚悟して、厳正な歴史の裁きを待ちたい。



更に云えば、出家する際に日達上人から云われたはずである。「僧道をまっとうせよ」と。