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日本最大のタブー“天皇制”に挑む、不敬本の文学的・思想的変遷

サイゾー 9月7日(火)14時11分配信

──作者が意図するかしないかは別として、天皇や皇族の尊厳を害した「不敬本」は規制された時期がある。だが、表現の自由が保障されている。現在では、法律とは関係なく不敬とされる行為は問題視され、自主規制の対象となる。その歴史的変遷をひも解いてみたい──。

 1880年、当時の刑法において「不敬罪」が明文化され、天皇や皇族、神宮や陵墓の尊厳を害する不敬行為が禁じられた(罰則は2カ月以上5年以下の懲役)。“不敬”が刑法によって禁じられたことにより、「小説というジャンルは大きな影響を受けることになった」と、『不敬文学論序説』(ちくま学芸文庫)の著者・渡部直己氏は語る。また、同氏は最初に不敬とされた作品は、1906年に出版された『良人の自白』だという。

「同書の冒頭では、帝国大学(現・東京大学)の卒業式に背を向ける主人公の姿が描かれています。そこに明治天皇が来臨するシーンがあり、木下は意図的に天皇を描写している。天皇自体を作品に登場させるという行為は、当時として本質的に『不敬』であり、後の1910年に発禁処分を受けることになりました」(同)

 明治期の大規模な社会主義運動に影響を受けて出版された同作だが、天皇の直接描写は当時の文学界において革新的であったに違いない。しかし、同書発禁年には、天皇暗殺を計画したとして、幸徳秋水ら20名以上が逮捕、検挙された大逆事件が発生。多くの社会主義者が処刑され、「社会主義冬の時代」が訪れた。

 そんな中、23年に出版された大本教の教祖・出口王仁三郎の『霊界物語』は、宗教関係における不敬事件としては最大の「大本事件」の引き金となり、教団の神殿は警察によって破壊され、35年の「第2次大本事件」では、共産主義の取り締まりを目的とした治安維持法が初めて宗教団体に適応された。この作品が不敬とされた原因について、アジアの近代思想史に詳しい北海道大学公共政策大学院准教授の中島岳志氏は、次のように語る。

「『霊界物語』の内容は、出口の口述を記した大本教の創世神話のようなもの。それは、天地開闢や降臨伝説など、『古事記』や『日本書紀』の記紀神話をベースにした歴史や体系からずれていて、神道と神話によって保証された天皇の正当性を否定することになった。またその中には“三千世界の立て替え、立て直し”、つまり、天皇をベースとした現在の世の中を変革するという革命思想的な内容もあり、これらが弾圧の対象となりました」

 明治時代にはすでに信仰の自由が認められていたが、それと日本の神道という概念がぶつかることで、さまざまな問題が生じていたことも事実なのだ。「近代の神道と他宗教の関係を考えるとき、キーとなるのは1891年に起こった内村鑑三の不敬事件」だと中島氏は続ける。キリスト教思想家である内村が第一高等中学校の教職にあったとき、教育勅語への最敬礼を拒んだことで強制辞職の処分を受け、内村鑑三不敬事件として社会問題にまで発展した。

「内村は『キリスト教徒が、神以外のものに最敬礼をすることは、神の複数性を認めること』という宗教観を持っていました。これは、信仰なのか、敬意なのかという問題で、『自分は日本人で天皇に敬意を持っているから、尊敬という意味で最敬礼するのはやぶさかではない』という立場を示しています。ですが、この事件の問題点は“(天皇に帰依する)神道が宗教であるか否か”ということでしょう。戦前の日本では、大日本帝国憲法で信仰の自由は保障しながら、“神道は西洋的な宗教ではなく日本人全員が信仰として持っている文化の土台である”としている。内村はそこが納得できなかったわけですが、内村個人の信仰と神道とのズレは、この後にさまざまな不敬事件を生み出します」(中島氏)

 一方、元号が昭和に変わる1926年、大逆事件により下火になっていた社会主義運動はプロレタリア文学を「武器としての文学」とする形で隆盛を迎えた。その中で、近年再評価された小林多喜二の『蟹工船』も不敬罪の適用を受けた一冊であり、著者自身も治安維持法により逮捕されている。

「同作には、天皇を直接描写する個所はありませんが、蟹工たちが自分の置かれている現状の不当さに気づき、最終的には資本家の頂点にいる天皇が悪いんだという結論に至る。天皇に献上する蟹を見た蟹工たちが、『石ころでも入れておけ』と発言した個所が不敬罪に当たるとされました。ほかにもプロレタリア作家としては、中野重治が『雨の降る品川駅』という詩で、“髭 眼鏡 猫背の彼”という昭和天皇の身体を描写。“彼の胸元に刃物を突き刺し”など天皇暗殺を示唆するような表現は、改訂版で伏せ字処理を余儀なくされます」(渡部氏)

 また、この時期には、右翼の作品に対しても不敬への弾圧が行われている。代表的な例が、革新右翼の大物・大川周明が日本の歴史的理念を説いた『日本二千六百年史』。作中の「日本はおそらく、アイヌ民族の国土であった」や、「朝廷は、ただ最高族長たる天皇を議長とする族長相談所たりしにすぎぬ」という記述が問題視され、狂信的な右翼思想家の蓑田胸喜や三井甲之らが率いる「原理日本」という団体に攻撃された。

「この作品で大川は、歴史学の成果を踏まえながら、日本史や天皇について論理的に解釈を加えています。だからこそ、天皇が一国の議長にすぎないとか、アイヌの国土うんぬんという話も書いてしまう。それを原理日本は気に入らない。彼らの思想土台は、“自力の思想を否定して、阿弥陀の絶対他力にすがる”という親鸞の自然法爾で、天皇の世を変革しようとする自力はすべて悪である、という考えです。そのため、変革者である大川の存在は、原理日本にとって許されないものでした」(中島氏)

 同じく、津田左右吉の『神代史の研究』も、記紀神話から外れる歴史の提唱によって、蓑田や三井から批判を受けた。

「同書は、日本の歴史を一つひとつ実証しながら、腑分けしていこうとします。作中では、記紀の皇統譜を調査して、それを創作であるとし、日本神話『天孫降臨』などの史実性を真っ向から否定。“記紀神話なんかに頼らなくても、日本はすばらしい国だ”と明言する実証主義的なナショナリストでしたが、やはり天皇の絶対性を否定する津田は、原理日本にとっては絶対に受け入れられない存在だったのです」(同)

 これらの批判により、大川の『日本二千六百年史』は改訂、津田の『神代史の研究』は発禁という処分を受ける。ナショナリストによる作品であっても、歴史認識の違いで、「不敬本」となったのだ。


■戦後右翼の圧力による自主規制というタブー


 さて、大戦後の47年には憲法改正により不敬罪は削除されたが、依然として「不敬」というタブーは、文学の中に存在し続けた。

「(現在では)評論の世界で、いわゆる天皇制を否定している人たちはゴロゴロいるのに、それが弾圧を受けることはほとんどない。それは、『不敬』が刑法的なものとしては崩壊し、言論の自由が守られていることに起因しています。しかし、文学においては不敬表現が問題視される傾向にあります」(中島氏)

 前出の渡部氏は、戦後に登場した(いわゆる)不敬本を、3つのパターンに分類している。まず、天皇や皇族に対する批判を描いたオーソドックスな小説。2つ目は、天皇や皇族への愛が強すぎて、結果的に不敬となっている恋闕小説。そして、天皇や皇族を記号としてとらえてユーモア化するキッチュ小説である。その中でも特徴的なのは、天皇を細密に描写するという、戦前であれば確実に不敬罪の対象となった表現を用いている恋闕小説だ。

「天皇をあこがれの中心として敬愛することが、日本人の道徳的教養でなければならないと語っている長田幹彦によって49年に出版された『小説天皇』では、大正天皇の薄弱な性格や、山県有朋の威におびえて失禁するさまが綿々と描かれています。また、小山いと子の『皇后さま』は、天皇の家庭を描き、初夜のシーンまであります」(渡部氏)

 そして60年、戦後最大の不敬事件である“嶋中事件”を引き起こすことになる深沢七郎の『風流夢譚』が、雑誌「中央公論」で発表される。同作では、民衆が皇太子妃を殺害したり、皇居を襲撃するシーンが描かれ、これが右翼団体の抗議へと発展。そして61年、大日本愛国党の党員だった17歳の少年が、中央公論社の嶋中鵬二社長宅を襲撃し、夫人や家政婦を死傷させる事件が起こった。

 少年といえば同時期、社会党委員長の浅沼稲次郎を刺殺した右翼少年・山口二矢をモチーフにした『セヴンティーン』を大江健三郎が上梓。同作では、自慰行為や失禁シーンという過激な表現で主人公の少年像が描かれ、これがモデルとなった少年を冒涜しているとして、右翼団体から猛抗議を受けた。

「同作発表の同月に起こった嶋中事件に対して、すぐに謝罪文を掲載した出版社の弱腰の姿勢もあり、それに勢いづいた右翼団体の不敬に対する攻勢は、これ以後どんどんと強くなっていきます。ほかにも、戸田光典の小説『御璽』が攻撃され、『思想の科学』天皇制特集号の廃棄事件へとつながっていく。そして、『セヴンティーン』の後編である『政治少年死す』は、いまだに単行本化されていません」(渡部氏)

 右翼による不敬表現への攻勢が激化する中、70年には沼正三の『家畜人ヤプー』が出版。未来SFである同作では、天皇族の末裔である「チクヒト」が矮小化した人体となり、女王専用の便器として描かれている。渡部氏も「これは、ある意味において(前述した中野重治による『五勺の酒』の身体描写や、『風流夢譚』で描かれた天皇殺害よりも不敬な表現」と指摘。周知の通り、右翼団体からの猛抗議を受け、マスコミにも大きく取り上げられた。

 その後、80年には雑誌『噂の真相』(噂の真相社/休刊)が皇室ポルノ図版を掲載して右翼団体の攻撃を受け、93年にはマンガ家・小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」において皇太子妃が爆弾テロを起こすマンガを発表するなど、不敬表現とも見られる作品が見られた。そんな中、文学にも皇室にも変化の兆しが見えているという。

「ここにきて、かつての中野重治や大江健三郎らの天皇に対する姿勢を変奏・修正した作家が現れつつあります。それが、雅子妃にあたる女性との許されざる恋を主題として描き、天皇制と交差させた『無限カノン三部作』(00〜03年/新潮社)の島田雅彦や、未来の日本で「若オカミ(天皇)」が不在になったという舞台設定の『ロンリー・ハーツ・キラー』(中央公論新社)を書いた星野智幸。これらは、近年、皇室が開かれてきたことも関係しています。メディア(作家側)と皇室側の接近によって、意識的、無意識的にかかわらず、『天皇』を遮断してきた日本の小説が変わりつつあるのかもしれません」(渡部氏)

 これから、皇室がさらに開かれた場合、ダイアナ妃を中心としたイギリス王室ゴシップ同様、いわゆる「不敬本」は、大衆の娯楽として広く出版されるのかもしれない。
(取材・文/丸山大次郎)

渡部直己(わたなべ・なおみ)
1952年東京生まれ。文芸評論家、早稲田大学文学学術院教授。主な著書に『谷崎潤一郎 擬態の誘惑』(新潮社)、『〈電通〉文学にまみれて』(太田出版)、『不敬文学論序説』(ちくま学芸文庫)など。

中島岳志(なかじま・たけし)
1975年大阪生まれ。北海道大学公共政策大学院准教授。主な著書に『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(2005年大佛次郎論壇賞受賞)、『パール判事――東京裁判批判と絶対平和主義』(いずれも白水社)など。

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最終更新:9月7日(火)14時11分

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