作家の中上健次(1946~92)が生前に設立した文化組織「熊野大学」の夏期特別セミナーが、今年も和歌山県新宮市で行われた。テーマは「映画」。8月6日から8日までの間、全国から集まった若者を中心とした約50人の聴講生が、中上と作品の魅力について語り合った。【棚部秀行】
熊野大学は1990年、教育者の西村伊作の記念館(新宮市)で開講式を行った。彼の叔父は「大逆事件」で処刑された大石誠之助。今年は大学開講から20年、大逆事件から100年という節目の年にあたる。
1日目は、作家の瀬戸内寂聴さんが市民会館大ホールで「強烈な存在感~中上健次の思い出」と題した特別講演を行った。瀬戸内さんはユーモラスな語り口で、地元の住民も加えた1000人を超す聴衆の大きな笑いを誘った。
編集者と共に訪ねてきた中上の第一印象は「すごく体が大きくて堂々として、小説家よりもレスラーになればいいと思った。目つきがとても優しかった」。瀬戸内さんが約30年前、新宮市内で開かれた「部落青年文化会」にゲストとして出席したとき、中上は「この町の人たちに、一流の講義とはどういうものかを味わってほしい」と話したという。
瀬戸内さんは大逆事件を扱った小説『遠い声』『余白の春』を書いており、熊野との縁や取材時のエピソードも披露。そして「中上さんのような情熱的な人が生まれ、力強い文学を残していったのは、この土地の誇りだと思う」と語った。
2日目は、中上の短編小説をもとにした映画「赫い髪の女」(79年)や、中上が脚本を書いた映画「火まつり」(85年)などを上映。映画監督で小説家の青山真治さんが選択した作品だ。その後、青山さん、批評家の上野昂志さん、脚本家の荒井晴彦さん、映画監督・脚本家の井土紀州さんの4人によるシンポジウム「熊野、中上健次、そして映画」があった。
中上の小説は「十九歳の地図」をはじめ、映画化されたものが多い。自身も消えゆく「路地」の風景をフィルムに収めるなど、映像表現にも大きな関心を向けていた。日活ロマンポルノの傑作といわれる「赫い髪の女」の脚本を担当した荒井さんは、東京・新宿のゴールデン街で中上に「よく勉強しているな」と言われたという。
「火まつり」(柳町光男監督、出演は北大路欣也、太地喜和子ら)は、三重県熊野市で実際にあった一家7人殺しを下敷きにしている。毎日映画コンクール日本映画優秀賞などを受賞したが、中上の脚本については批判的な意見が目立った。
荒井さんは「(小説と違って)シナリオは気持ちや心理を書いてはいけない」としたうえで、「『火まつり』の脚本は形式的にはシナリオだが、シナリオではない。あったことがラストに向けて、パズルのようにうまく組み合わさっていない」と指摘した。井土さんは「映画の題材にするには難しい事件。観念が糊塗(こと)され、主人公の感情が伝わってこない」などと述べた。
青山さんは、中上の撮影フィルムをもとにした映画「路地へ」(00年)の監督を務めた。「路地の映像には『時間』が発生していた。ここまで(映画を)分かっているなら、映画を撮るべきだったかもしれないと思っている」と話した。青山さんや上野さんによると、中上は自身の小説『枯木灘』について「おれが撮る」といい、「おれは前々から映画の作り方を学んで小説を書いている」と語っていたという。
3日目は、新宮市内の文学ゆかりの地を訪ねた。今年のセミナーは、文学から少し離れた領域をメーンにして中上をとらえ直し、その多様性を改めて明らかにしたといえるだろう。
毎日新聞 2010年9月7日 東京夕刊