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[21624] 時間を売る洋菓子店 『コサージュ』
Name: ゆ~じん◆06e098cf ID:c167db0f
Date: 2010/09/01 12:51




「どうだ、お前やってみるか」

その言葉を受けたのはただ憧れたからじゃなくて、ずっと守っていきたいと思ったから。
ここにしかないものがきっとある、それを信じてこの店を守っていくと決めた。

長閑に、時に騒がしく、それでも変わらない日常を刻んでいく。
洋菓子店『コサージュ』、今日も営業中です。






[21624] 登場人物
Name: ゆ~じん◆06e098cf ID:c167db0f
Date: 2010/09/01 12:52

   登場人物


     柏木 雄二

      本編の主人公。洋菓子店『コサージュ』のマスター。今のところ威厳なし。バドミントン部に所属。腕はなかなかのもの。
      趣味は読書、好きなものは長閑な時間。

     岩崎 茜
 
      『コサージュ』唯一のウエイトレス。店をもっと多くの人に知ってもらいたいと願っている。あっけらかんとした性格をしている。
      趣味は洋菓子店巡り、好きなものは甘味類

     古賀 静音

      『コサージュ』のパティシエ。腕はあるのだが経歴が不明。自分のことをあまり他人に話したがらない。クールな性格。
      趣味はぬいぐるみ集め、好きなものはふわふわなもの

     城山 大寒

      雄二の同期生で同じバドミントン部。雄二には勝てないものの、腕はなかなかのもの。力押しのプレースタイルを貫くことに拘る。
      趣味は昼寝、好きなものは熱血漫画。

     村越 希

      大寒の幼馴染にして同じバドミントン部。かなりの美人でスタイルも良い。女子の部では全国へと駒を進めたこともある。
      趣味は音楽鑑賞、好きなものは映画(特に邦画)

     青木 勝正

      バドミントン部No.1の実力を誇るが、部内ではそれほど注目されていない可哀想な男。クラスでも影が薄く、主張しないと存在を認知されない。
      趣味は釣り、好きなものはスポーツ鑑賞




[21624] -Prologue-
Name: ゆ~じん◆06e098cf ID:c167db0f
Date: 2010/09/01 12:53


「なかなかうまくいかないもんだね」

売り上げが記録されたレシートをぼんやりと眺めながら岩崎が呟く。
小さな声だけに静まり返った店内では耳に届かざるを得なかった。いつものように苦笑を返しながらショーウインドウを丹念に拭く。

「常連もいることだし、売り上げに拘ることもねぇだろ」
「でもやるからにはやっぱり繁盛させたいじゃないっ」
「気持ちは分かるけど、ここはそういう店じゃないだろ?静かな時間の中で食うケーキもきっとうまいもんさ」

岩崎はそれでも納得がいかないというように頬を膨らませていたが、渋々と閉店作業に戻った。
繁華街からは離れた住宅街に紛れた場所に位置する洋菓子店『コサージュ』。それがこの店の名前だ。
高校生ながら店長を勤めるのが俺、柏木雄二。唯一のウエイトレスがブツブツと小言の多い岩崎茜。そしてもう一人が、

「閉店作業終わった?明日のテイクアウトの分手伝って欲しいんだけど」

キッチンから姿を見せた古賀静音。この三人で店を回している。とは言っても言うほど忙しくは無く、十分楽しめてやっていけているのが実情だ。

「あぁ、悪い悪い。すぐ行くよ」
「静ちゃん明日は何出すの?」
「シフォンにしようかと思ってるわ。時間帯からして売れ行きがどうかは見えないけど」

それぞれ高校が違うが、平日にこの店を開ける時間は五時と一定だ。そこから九時までの営業。土曜、日曜、祝日は朝の十時から九時まで開けている。
とは言っても、今のこの店は古賀中心に回っていると言っても過言ではない。
洋菓子店というからには洋菓子を売らなければ売り上げは無い。古賀がいないことにはケーキを作れないのだから当然と言えば当然なのだが。
高校生だけで回すことをモットーにしているのだが、やはりパティシエはそうそう見つからない。古賀だって偶然見つけた職人に過ぎないぐらいなのだ。

「異論は無いかしら?マスター」
「いつも言ってるだろ?俺に確認をとる必要は無いさ。お前のやりたいようにやればいい」
「でもさ、いい加減静ちゃん頼りっきりってのも抜け出さないとねぇ。静ちゃん、誰か心当たりないの?」
「あっても話すわけないでしょう?ここは私の城なの。貴方達二人以外に入れるつもりはないわ。下手に動き回られても面倒なだけだもの」

これなのである。
古賀は腕は確かなのだがいささか協調性に欠ける。新しい人材を放り込んだところでマイナスになるようでは意味が無い。
新たにパティシエを加えるにはこの二つの関門を潜り抜けないことには不可能なのだ。今のところ古賀が急に来れなくなった、などの話は無いからいいのだが。

「なら雄二、終わったら手を貸して。先に始めてるわ」
「あぁ。分かった。岩崎はもう終わりそうか?」
「うん。後は金庫にしまうだけだから。それとごめんね、今日私先に帰っててもいい?」
「夜道は危ないだろ。送ってくよ。仕込みは帰ってから手伝えばいいし」
「いいよそこまでしてくんなくても。静ちゃん手伝ってあげて」

そう言われては無理強いもできず、気をつけて帰るようにと念押ししてキッチンへと入った。仕込みの量はそれほど多くも無く、二人でこなせば三十分そこそこで終わった。
古賀と連れ立って店を出たのはおおよそ十時過ぎ。大体家に戻るのはこの時間帯になる。

「茜は本当に熱心よね」
「お前も満更でもないんだろ?自分が作ったケーキがあれほど評価されてるんだ。冥利に尽きるってやつだろ」
「そうね。嬉しくないって言ったら嘘になるわね。けど、私は茜にはあまり乗り気じゃないの。あの店を有名にするのはどこか躊躇いがあるのよね」
「簡単にできるもんでもないしなぁ。ウチで出すケーキよりも美味いケーキなんて星の数ほどある」
「そうね、本当にそう。私の腕もたいしたことない。私がやってるのは結局父さんの真似事だから」

古賀の父親は有名なパティシエで度々雑誌なんかに載ったりする。幼い頃からそういう父親の元で育った古賀は飽きるほどにスイーツを口にしてきたらしい。
子供の頃はまだしも、中学生くらいになると体重計と戦う日々だったと言う。今の見事なプロポーションも努力の賜物というわけだ。

「あの店はね、あのままでいいと思うのよ」

過去を思い返すように呟く古賀。
穏やかな時間が流れるあの場所に必要なものは何なのか。かつて客としてあの店に通っていた古賀だからこそ分かるものがあるんだろう。

「今日はここまででいいわ。待ち合わせがあるのよ」
「また男が変わったのか?昨日まで駅だったろう」
「やっぱり近場がいいわね。離れた場所も悪いもんじゃないけど」
「ほんっとにお前は。いつか刺されても知らないからな」
「ご心配無く。別れの手際には定評がありますから。雄二も悪い女には気をつけなさいよ?」

クスッと妖艶な微笑を向ける古賀に通学鞄で攻撃するが難なく交わされてしまう。男の扱いに長けるコイツにはいかなる攻撃も通用しないのだろうか。

「まぁ、何だ。大丈夫だとは思うけど気をつけてな」
「ありがと。じゃね」

古賀を見送って一人駅までの道を歩く。そういえば姉貴からネギを買って来いとのお達しがあったのを思い出し、帰り道のスーパーで買い物を済ませた。










「フッ!」

スパンと小気味いい音を鳴らして打ったスパイクは見事相手の陣地に着弾。
それが決勝点となり、試合は終了。息を吐いて少し前かがみになった後、顔を上げて相手を見やった。

「クソッ、また負けたか」
「修行が足りないな。後三日は鍛えろ」
「何だその半端な日数。しかし悔しいな。何でお前に勝てないんだろ」
「クールさが無いねお前には。いついかなる時も冷静に。熱くなると元来とのズレが生じる。そこが格好の的になる。力で押し込むスタイルは嫌いじゃないけどな」

熱気のこもった体育館の中でのバトミントン。
全ての授業は三時に終わり、そこからは部活動の時間。
進学に重点を置いている我が学園はクラブ活動は二時間キッカリと決まっている。五時にはいかなる理由があろうと強制的に下校させられてしまう恐ろしい校風がある。
しかしその少ない時間を有効に活用し、全国大会へと駒を進めるクラブも中には存在する。
俺が所属しているバドミントン部は四時半には片づけを含めて終了する。そこから店に向かうのが俺の日課だ。
部員は総じて二十名ほど。春は全国まで後一歩というところで負けてしまった為、今はリベンジに燃えている。

「あ~あ、もっと部活やってたいよなぁ」
「そこに突っ込んでも仕方ないだろ。分かった上で入学したんだから」
「そうだけどよぉ、俺はどっちかって~と頭使うよりも体使う方が好きなんだよ」
「まぁそうだろうな」

とは言ってもこいつは授業中に眠ることもないし、文武両道に重きを置いている。ただ勉に偏りすぎな校風に不満を持っているのも確かだ。

「お前はこの後もバイトだろ?一体いつ勉強してんだよ」
「効率よくやれば問題ない。それよりホラ、時間がもったいないだろ。もう1セット」
「ちょっとは休ませろっ」

グッタリと床に寝そべる城山はもう今日はダメだな。時間は四時を過ぎている。今から始めないことには終わらないのだが動かないともなると試合ができない。
諦めて時間を潰すか他に相手を探すかだが、

「柏木、相手探してるの?」

顔を向けると背中の真ん中辺りまで伸びた髪が特徴的な村越がラケットを持って立っていた。
バドミントン部は男女混合の部活で女子がいるのは当然なのだが、健全な男子にとって肌の露出が多い体操着にはやはり見る場所に困る。
仕方なく顔を見るしかないのだが村越は有名な美人であるからしてロクに顔をまともに見れない。

「あ、いや、今日はこれで」
「相手してもらえよ雄二。村越相手ならお前も楽しめるだろ」
「別にお前で満足していないことはないぞ」
「……お前、何か、その台詞を男に言われると泣きたくなるんだけど」
「くたばれっ」

城山にシャトルを打ち出すと見事に顔面にHIT。相当痛かったようでゴロゴロと床を転がりまわった。

「あっはは。容赦ないね、柏木は」
「これが普通なんだよ。俺とコイツじゃね」
「それよりさ、どう?1セットやってみない?前から一度やってみたかったんだ、柏木とは。全国の力を肌で体感したかったんだよね」
「出てないからね、全国。……っと、正真正銘全国に駒を進めた男がこっちを気にしてるみたい」

丁度いい具合に青木がこっちに向かってきた。多少強引なところがあるものの腕は間違いなくこのバドミントン部No.1。村越もいい経験になるだろう。

「何だ村越、強い奴とやりたいのか?まぁ女子部門ではお前も全国区だからなぁ。相手がいないことには腕を磨けないってわけだ。仕方ない、ここは俺が一肌脱いで」
「頼んでないってば青木。私は柏木に言ったの。アンタなんて呼んでないよ。ホラ、早く戻ったら?」

おぉっ、辛辣。

「……おぉい雄二、何か扱いに差を感じるんだが」
「いやまぁ、俺に振られたって困るっつ~か」
「私さ、城山とスタイル同じなんだよね。熱くなるって言うか何て言うか。その城山が柏木には一度も勝ててないでしょ?だからどうしても知りたいのよ」

その目はどこまでも真剣で、半端な覚悟で試合を申し込みに来たわけではないようだ。

「前からずっと言ってたんだよソイツ。柏木と試合できるように便宜図ってくれないかって」
「アンタは何もしてくれなかったけどね」
「メンドクセーことはしない主義なんだよ。でもほら、そういう第一歩が大切だってことをお前に分かって欲しかったんだよ」
「アンタに教わることなんて何も無いわよ。男のクセにスタミナが保たないなんて恥の極みね。そのままヘバって終わるまで時間潰してなさいよ」
「……んだとコラ」

城山がムクリと起き上がって村越を睨み付ける。その視線を真っ向から受け止める村越。視線を外すことなもなく、威嚇に引くこともなくただ純粋にその目は。

「何よ、やるって言うの?」
「やってやるよ。ブチ殺すっ!」

ブンブンとラケットを振り回す城山に続いて村越もコートに入っていく。

「何か、俺たち置いてけぼり?ってか話途中でネジ曲がってない?」
「いや、曲がってなんかねぇよ。村越、最初っから城山とやりたかったんじゃねぇのかな。あの二人はあれでなかなか似合いの二人なのかもしれないな」

首をひねる青木をよそに、今日は二人の試合を見て時間を潰そう。青木と一戦やるのもおもしろいと思ったけど、それよりも二人の試合の方が俺の興味を引いた。
力を軸に据えた二人の試合は圧巻だろう。確かに城山は全国まで駒を進めたことはないものの、資質は十分に備えている。多分、村越は城山を引き上げたいのだ。
ダシに使われたとしても悪い気分じゃない。
ハネが舞う。
二人の激動が幕を開けた。










「シフォンの売れ行きどうだ?」
「思ってたよりも出てるわね。まだ追加分は用意できるけど、どうする?」
「う~ん……、まだ七時か。八時でこれなら焼かないんだけどなぁ」
「悩みどころね。客足も悪いことはないし、期待してみたいのが私の意見ね」
「少し待ってくれ。岩崎にも少し話を聞いてみるよ」
「なるべく早くしてね。遅くなればそれだけ売り上げに響くことになるし、無駄にするのも勿体無いしね」

キッチンから出て岩崎のところへ。
テーブルは二つ埋まっている。一つはサラリーマン風の男が一人のところと、もう一つは女子高生の二人組み。最近よく見かける二人だ。気に入ってくれたのだろうか。

「岩崎、今大丈夫か?」
「ん、どしたの?」
「シフォンを今から追加しようかどうか迷ってるんだけど、客足はどうかなって」
「そうだね、いつもより少し多いって感じかな。まだ七時だし、作ってみればいいんじゃない?それにシフォンなら日にち持つでしょ」

確かにそうなのだがやはり出来立てのものを味わってもらいたいのが本音でもある。ショーウインドウに並べても問題はないのだが、古賀にもその辺りプライドがあるしなぁ。
もちろん捨てるわけにもいかない。その辺はやはり材料費云々があるため、作った分は元をとって欲しい。しばらく葛藤を続けたが、結局追加する方針で決まった。
ホールからキッチンにいる古賀にジェスチャーでGOサイン。古賀は一度頷くとテキパキと作業に入った。

「……何かね、時々矛盾したこと考えるんだよね」
「矛盾?」
「私ね、やっぱりこの店を多くの人に知ってもらいたいっていうのがあるの。でもね、今のこういう雰囲気も大好きなの」

岩崎はぼんやりとお客さんを見やる。

「確かにお客さん少ないけど、何だか安心しきってる顔するよね。この店に入った途端に肩の荷が下りるって言うか。あのサラリーマンみたいな人もそうだったの」
「肩の荷を下ろしてた?」
「うん。そんでね、コーヒーを飲んだ後にホッと息をつくのね。そうすると、あぁ、あの人にとってはここは楽にいられる場所なんだなって、そんなことさっき考えてたの」
「それはとても嬉しいことだな」
「うん。ホントにそう思うよ」

岩崎は尚も店内をぼんやりと見回していた。
元来ならマスターの俺が小言の一つでも入れなきゃいけないところなんだろうけど、どうしてかそういう気分にはなれなかった。
洋菓子店『コサージュ』。
今日も、まったりとした空気の中で営業が続いていく。







[21624] Manual 01 -慌てること莫れ-
Name: ゆ~じん◆06e098cf ID:c167db0f
Date: 2010/09/02 14:44



「ゆ、ゆ~じゆ~じゆ~じぃっ!!」
「人の名前を連呼するな」

キッチンで静音と一緒に明日のテイクアウト分を考えていたところにホールから岩崎が弾丸のように飛んできた。

「た、たたた大変っ!」
「何だ、どうしたんだ」
「と、とにかくちょっと来てってばっ!」

わけがわからないままに岩崎に腕を引っ張られてホールに連行される。
そこで目にしたのは優雅な雰囲気を持った……、いや、困った顔でおろおろと辺りを見渡すだけのフランス人形のような少女だった。





 Manual 01 慌てること莫れ





小柄な体を更に縮こませて捨てられた子犬のようにこちらを見つめる青い瞳。
柔らかそうなフワフワのウェーブがかかったブロンドヘアーはどこぞの貴族の娘ではないかと疑うほど。
服装はここいらではよく見かける高校の制服。改めて見れば岩崎の高校のものだ。だが袖を通しているのがここいらでは見ない人間だという話。

「えっ……と?」
「ダメ!私英語ダメなのよっ!こう見えても私英語だけは嫌いなのっ!時代はインターナショナルだって言っても使う機会なんて数えるほどしかないじゃないっ!」
「その誤魔化しで通してきたが、今正にこの瞬間、その数えるほどしかない機会にブチ当たったわけだ」
「分かったっ!分かったってば!帰ったら明日の英語の予習やるから今は助けてっ!」

危機を乗り越えても絶対にそれだけはやらないことは分かってはいたが、さりとてこのまま放っておくわけにはいかない。お客さんがあまりにも不憫だ。
折角この店に入ってきたのだからゆっくりとした時間を味わってもらいたいのだ。幸運なことに他にお客さんはいない。
俺は席まで近づき、知っている英語の知識を総動員させてとりあえずオーダーを聞くことにした。

「あ~……May I help you? (いらっしゃいませ)」
「Year, thank you. (どうもありがとう)」

こ、これはっ……!
通じたっ。

「え~……っと、 This shop has mainly drinks and cakes. (当店では飲み物とケーキを中心に販売を行っております)」
「I did. I want to eat delicious cake. Ah~, What you recommend? (知っているわ。私、ケーキが食べたいのよ。何かお勧めはあるのかしら?)」

早い。向こうは普通に喋っているつもりなのだろうがこちらとしてはもはや英語の領域を超えている。適当に単語を繋げるだけではやはり無理があるのか。
いや待て、まずは何が分からないのかを理解しろ。今彼女は何と言ったのか。……、リコメンド、確か最後にそう言った気がする。
リコメンドの意味は、勧める、だったな。ワッチューリコメンド。貴方は何を勧めるのですか、つまりお勧めを聞いているのではあるまいか。

「あ~……っと、What jenres of recommend do you want? (何のお勧めでしょう)」
「Cakes naturally. (当然ケーキのことよ)」

ケイク、今ケイクと言ったか。つまりケーキのお勧めを知りたいということだろう。構えからして紅茶にも精通していそうなもんだからそっちを気にしているのかとも思ったが、
どうやら取り越し苦労のようだ。考えてみれば女の子なのだ。やはり目当ては甘いスイーツに決まっている。
自分の無力さに苦笑しながら岩崎に手で合図してメニューを持ってこさせる。
じっとこちらの様子を見ていた岩崎は弾かれたように動き出し、メニューを俺に渡すとまた疾風のように定位置に戻っていった。話しかけられては困る、そういうことらしい。

「あぁ~……っと、 This is the menue we have. Today's recommendation is chiffon cakes included a bit soar.(本日は少し酸味のきいたシフォンケーキがお勧めです)」
「Oh……、That is nice. OK, I will take it and have coffee? (まぁそうなの?それならそれを頂くわ。それとコーヒーはあるのかしら)」

コッフィー。コーヒーのことだろう。

「っと、Of course.(もちろんご用意できますよ)」
「Good, one shiffon cake and coffee please, OK? (あぁ良かった。シフォンケーキとコーヒーを一つずつ頂くわ。いいかしら?)」
「Yes, thanks a lot. (かしこまりました)」

頭を下げてホールからキッチンに戻る。古賀にオーダーを伝えると何故かドッと疲れが来た。しばらく休んでいると、古賀が俺をニヤニヤしながら見つめているのに気が付いた。

「何だよ」
「別に?ただ必死に片言の英語を話してる雄二があまりにも可愛いもんだから」
「よく言う。お前、喋れるクセにわざと出てこなかったろ」
「慣れよ慣れ。私だって最初から話せたわけじゃないもの。期間は別にしても、確かにさっきの雄二のような時期は私にもあったわ」

期間は別にしても。
その辺りに嫌味を含んでいるのだろうが、滅多と見ない古賀の嬉しそうな表情を見ていると水を差すのも無粋かと黙っていた。
普段あまり笑ったりしないやつだけに、その時間を目にするとどうしても邪魔したくなくなってしまう。増えることはないけれど、無理に切ることもない。

「オーダー挙がったわ。どうする?持っていく?」
「散々陰で笑ってたんだ。お手本を見せてくださいよセンセイ」
「あら残念。もう一笑いしたかったんだけどマスターの命令じゃ従わないわけにはいかないわね。それじゃ私の英語でも聞いて勉強しておきなさいな」

悠々とホールに出てオーダーを持っていく古賀。ケーキをテーブルに置く時に何事か喋っているようだった。スラスラと流れるように出る英語は流石にここからじゃ聞き取れない。
でもあのお客さんは古賀と話していると笑顔が綻んでいた。何か、悔しい気持ちが沸き起こるのは気のせいだろうか。
万能にこなす古賀に嫉妬しているんだろうか。確実なのは俺じゃあのお客さんを喜ばせることができなかったということ。

「岩崎に言えた義理じゃないか、俺も」

一つため息をついた後、沈んだ気持ちを振り払って業務に戻った。










「あの子ね、留学生なんだって」
「いや、そりゃそうだろ」
「何よそりゃそうだろうって!」
「あの年頃で高校の制服着てれば普通そうだと思うんじゃないのか?」

仮に日本に長いこと住んでいたとするなら日本語はペラペラのはずだし。
俺の反応がおもしろくなかったのか頬を膨らませて抗議してくる。右手に持っているのは岩崎曰く秘密ノート。ポケットサイズのノートながら、記載されている情報は濃いらしい。

「あらそう、雄二はあの子のこと聞きたくないんだ」
「それって俺に了承とるの間違ってないか?あの子が承認しなきゃいけない問題だろ」
「ハンッ、そんなこと言ってるからコールドケースが山積みになってくのよ。ある程度の覚悟を持って法廷に出なきゃ何も変わんないのよっ」
「いや、法廷とは無縁だし」

話したくて仕方が無いらしい。しかし個人情報を重んじる今の世の中ではそう簡単に聞いていいものでもないような気がする。岩崎にかかれば法の網目をくぐっているらしいのだが。
見方を変えれば完全にアウトだ。岩崎は勝手に網目を変えてしまうから自分が網にかかっているとは思っていないだけである。捻じ曲げれば網も何も関係ないのである。
その片棒を担いでしまえばいつか白黒の車に乗らなければならない日が来てしまうに違いない。そうなっては姉貴にも母親にも死んだ親父にも顔向けできないではないか。

「……客の実態を知ることを放棄するわけですか、マスター」
「っ」

手痛いところをついてくる。
岩崎にかかればもう俺の情報など無いに等しいのだろう。的確に急所をついてくる物言いには俺は反抗する術を失ってしまう。

「たおやかな、まったりした時間をお客様に提供するが我らの役目なれば、お客様を知ることこそ、達成する為の最もの近道。それを雄二は見過ごすと言うのか」
「お前、その性格止めた方がいいぞ」

とは言うものの、ここは聞くしかないだろう。何より俺が聞かないことには岩崎は業務に戻ってくれないだろう。オーダーをとらないウエイトエスなど立たせていても無駄なだけ。
加えて岩崎の言うことにも確かに一理ある。客を知ることこそ時間を提供するこちらとしては最も知っておきたいことに偽りは無い。触りだけでも聞いておくべきか。

「あの子ね、クラスじゃ浮いてるみたいなのよ」
「そうか?あの容姿なら逆に惹きつけるもんだとばかり思ってたが」
「日本語もほとんど分からないらしくて、逆に容姿が足を引っ張ってるみたい。残念なことにフォローしてくれる子もいなくて困ってるらしいのよね。だから肩肘張ってたんじゃないかな」

言葉が通じないということだけでかなりの負担がかかっているんだろう。増して状況を理解してくれる人が傍にいないとなると余計だろう。

「お前学校一緒なんだろう?助けてやればいいじゃないか」
「そりゃ私だって英語話せればそうしてるわよ。でもね、私は母国を愛する穢れない女子高生だから多分あの子のことは分かってあげられないのよ。心が痛むのだけれど」
「誰が母国を愛してるって?堅苦しい日本の文化は開放的なアメリカンの空気をもっと取り入れるべきだとか散々主張してたクセに」
「時代は変わる。もちろん人も変わるのよ。私だっていつまでも逃げているわけにはいかない。欧米に飲み込まれる日本をそのままにしておける年頃はもう過ぎたの」

うまいこと言葉を?いではどうにか英語を学ぶことから離れる。この言い回しこそ岩崎の特技の一つと言えるかもしれない。

「昨日話したけど、言葉が通じてえらく喜んでたわ。雄二のこと、とても良く思ってた」
「そっか。何とか努力してよかった」

いつの間にかキッチンから出てきていた静音を交えて三人で話す。今はお客さんがいないから別段構わないだろう。俺がマスターということもあり規則は結構緩いのである。
とは言っても最低限のことは守ってもらっているのでガミガミ言うこともない、というのが一番の本音ではあるのだが。

「いや、もちろんそれもあるんだけどね」
「……?」
「まぁそれはいいとして。茜、雄二の言うとおりアンタちょっとはフォローしてあげなさい。同じ学校にいるんだから見過ごしてるだけじゃアンタの心が痛むでしょうよ」
「何、静ちゃんもインターナショナルなの」
「あのねぇ」

岩崎のガードは頑なだ。岩崎にとって勉強ほど嫌いなものは無いのである。

「……茜、英語話せるとモテるのよ?」

その瞬間、岩崎の中で何かが変わった。










「何て浅ましいヤツだ」
「やる気になってくれて何よりじゃない。学んでマイナスになることは無いんだしいいんじゃない?」
「お前も適当に言いつくろいやがって。これで彼氏の一人もできなかったらどうするんだよ」
「努力が足りなかったって言えばいいのよ。それに、知的な女性には男性は憧れるものよ。雄二はそうじゃないの?」
「いや、俺は別に」

古賀の言葉を真に受けた岩崎は翌日から人が変わったかのように英語漬けになった。それはもう言葉のとおりに英語漬け。インテリ眼鏡が似合わないったらない。
言葉と人の壁に苦しんでいたあの子もそれから毎日のように顔を出していた。というより岩崎が無理やり引きずり込んでいるようだ。
まぁあの子も嫌がってはいないようだからいいんだけれども、来る度に業務放り出して英語を教わる姿勢はどうかと思う。お客さんが一気に来たりしたらどうなるんだ。
岩崎が留学生に英語を請う姿は今となってはこの店の風物詩にすらなった。
常連さんが多いために必然とその現場を目撃される機会が多い。暖かい目線を送るお客さんもいれば、同じ女子高生からは苦笑を送られていた。
残念ながらその視線の中には同じ年頃のハンサムイケメンボーイのものは含まれてはいない点が何よりも哀れではあった。

「Do you love me!? But I saw that you had gone to the hotel cat she stayed!! (私を愛してるですって!?でも貴方あの泥棒猫がいるホテルに行ったじゃない!!) 」
「Cat she? What's that? (猫女?それって何なの?)」

隣の席に座っていたカップルから笑いがこぼれる。

「何を教わってるんだ何を」
「いいんじゃない?興味がわくところから学べばいいのよ。それに文法は合ってるじゃない不思議と。……泥棒猫はともかく」
「あぁ、キャットシーってそういうことか。お前よく分かったな」
「茜の頭の中のことならいくらでも理解できるわ。あの子ま特殊な能力を持っていてね、頭の中で考えていることがそのまま言葉にも表れるのよ」

それは俗に言う単細胞というものなのでは。
岩崎には聞こえないにしろ、何かあった時の為に口にするのは止めておこう。

「Cat she means a woman like a cat. It robs other woman of boyfriend. (泥棒猫ってのはね、猫みたいな女の人のことよ。他人の彼氏を奪うっちゃうの) 」
「Oh...that's too bad. The same things cat robs other's of fish. (それは……何だか悪いことね。猫が他人のおかずをとっちゃうことと同じってことなのね) 」

会話の内容に問題を残してはいるものの、うまくやっていけているようで何よりだ。あの子も良く笑うようになったし、いいことだな。
フッと視線が合った。岩崎をよろしくって意味で微笑を返すと顔を赤くしてサッと背けられてしまった。

「う~む、やはり岩崎とはうまくやっていけないということなのか」
「むしろ今のでそう解釈できる雄二ってかなりのものよね。毅然としてればそれなりのものを持ってるのに」
「何だぁ?」
「別に。それよりマスター、二人のオーダー分があがったから運んであげて頂戴。私は明日の分の仕込があるから動けませんので」
「何もこんな早い時間からやらなくたっていいだろ。閉めてから手伝うからその時にやればいい。ウエイトレスがいないんだからお前が代わりをこなすのが筋ってもんだろ」

その言葉に、静音はクスッと笑って。

「面白いものがあれば見たいじゃない。雄二だってそうでしょう?」

わけのわからないままに徹底抗戦を張る古賀にもはや適う術は無い。腑に落ちないままにオーダーを持ってホールに出る。
席に近づけば近づくほどにフランス人形の女の子はそわそわと居心地が悪そうに体を揺らす。それを見た岩崎が俺を振り返って、

バギンッ! っとシャーペンを折る。

「……何さ、ちょっと英語ができるぐらいで」
「何、何でスネてんのお前」
「ハンッ、結局そういうことですか。付け焼刃じゃ振り向かないってことですか。私がやってきたことはみんな無駄だったってことですか。彼氏はできないってことですかっ!?」

泣きながら必死に訴える岩崎と、チラチラと赤い顔をしながら俺を盗み見る少女。
笑いをこらえかねた隣の席に座るカップルが盛大に笑い声を上げる。
一部を除き、和やかな空気の中で、今日も洋菓子店『コサージュ』、営業中です。





[21624] Manual 02 -相談足蹴にせず-
Name: ゆ~じん◆06e098cf ID:c167db0f
Date: 2010/09/07 01:18


「……キュルッ」

その聞きなれない音に反応したのは伝票整理をしている時。
珍しく仕込みを終えて俺の業務を手伝ってくれていた古賀の耳にもその聞きなれない音が届いた。

「何か音したな」
「えぇ。聞きなれない音だったけれど」

二人してクエスチョンマークを浮かべる。どこにでもありそうな効果音だが実際耳にしてみるとかなり異端のものであることが分かってもらえるだろう。
高い音でもなく、低い音でもない。しかし高いと言われれば高いし低いんじゃないかと言われればそうとも思える。
摩訶不思議な音を一度気にしてしまえば伝票整理よりもそちらに気がいってしまう。

「壁でも軋んでんのかな」
「そんな音じゃないような気がするけど。この店造りはしっかりしているじゃない?」
「うん、爺さんもそう言ってた。地震がきても滅多なことじゃ倒れないって。まぁ最近のは規模がデカイからそれを受ければ流石に土台は緩むかもしんないけど」
「そんな大きな地震、この辺りに起こった記憶はないわ。何より木が軋む音じゃないでしょ今の。一体何かしらね」

音の根源を探ろうとグルグル店内を見渡す俺たちだが、その死角を突いてそそくさと着替えようとしている女がいることを俺は知らなかった。



 Manual 02 相談足蹴にせず



「茜」

ビックゥと、それこそ自分の身長ほど飛び上がりそうな勢いで岩崎の髪が揺れた。
俺は全く気づいていなかったが古賀は誤魔化すことができなかったらしい。何となく、元凶は岩崎にあるような予感が過ぎる。と、いうよりほぼ確実だろう。
ああいう態度を見せる岩崎は確実に何か後ろめたいことを隠している。考えてみれば今日は一日岩崎はおとなしかったように感じる。業務はしっかりとこなしていたのだが。

「その腕に抱えてるものは何?」
「か、カバン」
「デザインが可愛くないとかあれほど指定カバンに愚痴っていたクセに今日はやけに大切に抱えて帰るのね」
「も、物は大事にせにゃいかんとお爺様から言いつけられておりまして」
「へぇ。とっておきのプリンを食べられたとかでクソジジイと連呼していたアナタのお爺様に。食べ物の恨みは怖いから今月いっぱいは呪ってやると言ってたお爺様に」

こういう古賀の攻めは正直俺嫌いだなぁ。
岩崎もこの手の攻めを使うのだが古賀と比べるとまだまだ可愛いものだったんだと改めて認識する。顔こそ見えないものの、セミロングの髪で隠れた顔は冷や汗だらけだろう。

「茜、こっちを向きなさい。所詮アナタはポーカーには向かない人間なのよ」
「わ、私賭け事とかしないから。オイチョカブとかしか、そういうのしか知らないから」
「使う札が違うだけでしょう?いい加減にしないと貴方のあることないことそこいら中の男子生徒に吹いてまわるわよ?」

それが決定打となったのか、しばらく俯いているだけだった岩崎が渋々こちらを向き、胸に大切そうにカバンを抱えて俺たちのテーブルまでやってきた。

「何を隠してるの」
「べ、別に隠してなんか」

岩崎のその言葉に俺たちは顔を合わせる。さっきの段階でまだ諦めていないということは相当な代物を隠しているということなのか。突っ込むできかどうか躊躇いを覚える。
しかし古賀は容赦しない。いずれ向き合うことになるのなら早い段階で手をつけておいた方がいいという全うな理論の下に俺は打ち伏せられる。
古賀が岩崎からカバンを抜き取ってテーブルに置く。

「さっきの音はこのカバンに関係あるのかしら」
「あぁ、ただの学生カバンがパンドラの箱に変わるとは」
「開けない方がいいよ。希望なんてものを期待してるんならそのまま胸にしまっておいた方がいい。この中にあるのはね、耐え難い絶望だけよ」

真顔で言い放つ岩崎の言葉にさしもの古賀も一瞬躊躇った。ここまで反抗してくる岩崎の姿を少なくとも俺は知らない。古賀もそれは同じだったのだろう。
だが手を止めることはない。カバンのファスナーに手を添えると俺を見た。
いいわね、と瞳が問う。本当に開けるのか、と俺が答える。アテにはならないと見切ったのは古賀は一息にファスナーを引いてカバンを開けた。

「……」
「……」
「……?何だ、爆発しないのか」
「アンタ私のカバンを何だと思ってるわけっ?それとも何、今時の女子高生はカバンにプラスチック爆弾仕込んでるのが常識だとか思ってるわけっ!?」
「いや、一介の女子高生には無いだろうがお前のカバンならありえるかもしんないだろ?」

岩崎の拳による乱打攻撃を避けながらカバンの変化を見守るが、とりたてて何が起こるというわけでもない。ちょっと拍子抜けで、そう騒ぐことでもないのかと思った矢先、

「キュルッ」

ソイツはひょっこりとカバンの中なら顔を出した。

「……何だこれ」
「見て分かんないのっ、犬に決まってんじゃないっ。可愛くて、信じられないほど可愛い子犬よっ」
「いや」

岩崎が尚も熱く語ろうとしたところに古賀の冷静な声が入る。

「これ、キツネよ」










「で、どういうことなんだ」
「昨日の帰り道に拾ったの。私一人暮らしだから別にいいかと思って」
「アンタ確かマンションでしょ?あそこペット禁制のはずでしょう」
「私が思ってることが規律になるマンションなのよ。だから私がペット可って思えばペットを飼ってもいいことになってるの」

岩崎の独尊ぶりをそろそろ砕いておかなければならないと意識しながら、専用にあつらえた籠の中で尻尾を体に巻きつけて丸々小キツネを見やる。
こうして生で見るのは初めてだ。犬や猫はそこいらにいくらでもいるけれど野良キツネともなると終ぞお目にかかったことがない。しかし可愛いもんだなぁ。

「でも茜、ここは食べ物を扱うお店なのよ?動物は連れ込んじゃダメってわかってるでしょう?」
「でも一人っきりにさせておくなんてできないんだもんっ。私がいない間に九尾の狐になったり耳と尻尾だけ残したイケメンに進化したりしたらどーするのよっ」
「マンガの見すぎよそれは。見る限りおとなしそうな子なんだから大丈夫でしょうよ。キッチンに入れなかったことだけは褒めてあげられるけれど」

体を軽くつついてやるとくすぐったそうに身をよじってキュルっ、と鳴く。

「キツネって鳴き声こんななんだ。コンコンが定番なのかと思ってた」
「北国なんかに行くとキツネの鳴き声は騒音にもなるらしいわよ。童話の中に出てくるようなあの泣き声は皮肉でも込められてるんじゃないかしら」
「また夢の無いことを」
「それよりマスター、ここはちゃんと叱っておかないと。拾ったばかりで獣医にも見せていない野良を店に持ち込むなんて言語道断。私が将軍だったら切腹を命じるわ」

さりとて岩崎の腸が飛び散った店で働く気にはなれないし、何より岩崎は怨霊にでもなりそうで恐ろしい。
などという考えを悟られないように岩崎に向き直り、腕を組んで考える。一蹴するのも可哀想だ。コイツはコイツで母性を持っているのだから否定だけを与えるのはやりきれない。

「仕方ない。明日俺と一緒に獣医に行こう。その間は古賀、店頼めるか」
「ちょっと正気?しかも何で雄二までついてくのよ」
「厄介な菌でも持ってたらそれに対処しないといけないし、今後どうしたらいいかも合わせて聞けるじゃないか。責任者の俺がそれを知っておくべきだ」
「仕込みはどうするのよ。私がホールに出たらキッチン誰もいなくなるじゃない」
「そんなに時間はかからないだろ。何なら今から仕込みの量増やしておいてもいいし」

古賀はまだ何かいいたいことがあったようだが口にすることはなかった。ただ不満げな視線を俺に向け続けるだけで事なきを得た。できたらそれも止めてください。

「いいのっ!?」
「飼うなら飼うでちゃんとしてやらないと可哀想だろう?お前もしっかり責任持って世話してやるんだぞ」

満面の笑みを浮かべてヒョイと子キツネを抱き上げると胸に抱いたままクルクルと回った。親に許可を許されたガキのような構図に笑いが出そうになった。
ただ親父は許したものの難関の母親がジト目で二人をにらみ付けている。明日の営業に支障がないことを祈るばかりではあったが、ちゃんとフォローしておかねばなるまい。
明日の段取りを確認した後、岩崎は飛ぶように帰っていった。近場のスーパーで小キツネに与えるものを買わなければいけない、との理由らしい。
呆れ顔で見送った後、俺と古賀は一緒に店を出た。先のことから古賀は沈黙を貫き、何とも言えない嫌な空気の中での帰宅を迫られた。

「ちょっと寄っていかない?」

公園を指差して提案する古賀。やはりキッチリと話しておきたいと言うことか。
先に行っててくれと言った後、近くの自販機で缶ジュースを二本買う。古賀は炭酸は飲まないからとりあえずオレンジジュースを購入。
公園に入って見回すと古賀はブランコに座っていた。何だか定番のシュチュエーションだなぁ。長話になるのだろうかと少し覚悟を決めて俺も隣のブランコに座る。

「ほら」
「ありがと」
「今日は男の待ち合わせはないのか?」
「いいのよ。待たせておけば。今日はそんな気分じゃないし」

相も変わらずの暴君ぶり。相手に同情しながらもそれ以上言及するのは止めておいた。

「客はとても敏感なものよ。例えば食中毒の一つでも起こせば一気に客足は引いてしまうわ。いくらおじさんの援助があるからって、そこからの建て直しはとても難しい」
「だなぁ。テレビでもよく見るし」
「常連さんはそれでも来てくれるとは思うけど、やっぱり一抹の不安を残すと思うのね。そうなると自然と食は減っていくわ。そうやって、どんどんお店は廃れていくのよ」
「俺だって嫌だもんなぁ。折角金を払って食べるんだから、安全なところで旨いものたらふく食いたいってなもんだし」
「茜には、そういう意識が足りてないと思うの。一度雄二から強く言うべきよ」

店のことを誰よりも考えている古賀だからこその言葉だろう。もちろん俺も考えてはいるが、古賀はある意味では依存という言葉の方がシックリくるのかもしれない。

「岩崎はあれでいいんだよ」
「いいって、雄二っ」
「岩崎にできないことをお前がやればいいじゃないか。丁度バランスが取れてるんだ。お前と岩崎で。それで無理なら俺が何とかする。互いに無いものをねだっても仕方が無い」

決して岩崎のことをバカにするわけではないが、それでも引けない部分が人間にはある。

「岩崎は優しすぎるんだな。それを弱さって言い換えることもできるけど、俺はアイツのそういう部分が逆に愛しいって思うよ」
「……雄二」
「だからさ、岩崎にできないことは俺たちでカバーしてやろう。お前の言う事も分かる。眠たくなるぐらい、それはその通りだと思うよ。けど、それでも俺は俺がしたいようにやる」

受け持ったあの店は、俺の好きなようにやるのだと決めた。

「止まればそれまでだけどな。少なくとも俺はその覚悟をもって今までやってきたつもりだ」
「知ってる。雄二、バカみたいに真っ直ぐだものね。だから私が止めてやらないといけない部分もあるって、そう思ってた」
「あぁ。でも今回は俺にも言い分がある。絶対に危ないと思ってる橋は、まぁ、よほどのことが無い限りは渡らないさ。その時は全力で止めてくれ」

しばらく古賀は黙ったままでいたが、グイッとジュースを一気に胃に流し込んだあと、ホッとため息をついた。

「そうね。その時は容赦しないことにする。……雄二、アンタってほんと、初めて会った時から何も変わらないのね。そういうの、人間的にはどうかとは思うけど」
「何だそりゃ。バカにしてるのか?」
「外側からね。内側からはそうでもない。逆にそうじゃないと困る部分、私にだってあるから」

その後の沈黙は居心地が悪いものじゃなく、互いに安心できる空気だった。古賀は何も言わず、黙ったまま漆黒の帳を眺めている。今宵は星がよく輝いていた。










「キュルッ」
「まぁかわいいわねぇ。触っても大丈夫なのかしら」
「大丈夫ですよ~。獣医さんのお墨付きですっ。あ、でも食べ物をあげるとかはしないでくださいね」

数日すると子狐はウチの看板として働いてもらうことになった。学校に行っている間にマンションに置き去りにするわけにもいかず、かと言って学校に持ち込むわけにもいかない。
しかし大人しい性格だから店に置いておいても大丈夫だろうとの俺の議論は古賀に却下された。確かに不安がありすぎるのは事実だったので反抗もできない。
それでも尚俺の案に岩崎は必死に食い下がり、しっかり躾をするからどうにか置いて欲しいとの鬼気迫る願いには首を縦に振るしかなかった。
トイレの場所をしっかりと教え込むこと。
決してキッチンには入れないこと。
テーブルを引っかいたりしないこと。
古賀の注文は多岐に渡ったが、それでも岩崎は素直に一つ一つ頷いてメモをとっていた。
マンションの狭い個室に入れておくよりは広く、落ち着いた空間に居させてやりたいとの岩崎の願いを子キツネは理解してくれたようだった。
専用にあつらえた籠の中で丸まっているか、トコトコと店の間を歩いたりするぐらいのもので、こちらが困るような被害はまだ一つも出していなかった。
古賀も最初は疑いのまなざしをずっと向けていたのだが、次第に動物特有の可愛さにやられ、誰も見ていないのを確認した上で可愛がったりしている姿を以前目撃したことがある。
岩崎がこの店にきて、ご飯を食べさせる。昼休みにもわざわざ学校を抜け出して店まで来てはご飯を与えているようだ。
夜になればまたご飯を与え、眠ったのを確認してから店を出るようにしていた。まだ小さいこともあって、温もりを恋しく思うかなとも思っていたが、スヤスヤと毎夜安らかに眠っている。
営業中はマスコットとしてお客さんには大変な人気を呼んだ。大人しく撫でられるがままだったが満更でもないようで、少し大きめの尻尾をユラユラと揺らせている。
女子高生は特に可愛がり、連れて帰ってもいいですかと本気で言われた時は少し焦ったが丁重にお断りしていた。

「しっかしキツネなんてこの界隈にいるもんかねぇ」
「確かに山からは離れているものねぇ。大方誰かが飼ってたけど手放したって感じじゃないかしら」
「キツネってペットショップとかで扱ってるもんかな。でも人に懐いてるってのは確かにあるよなぁ。最初から俺たちのこと怖がってなかったし」
「アンタは特別じゃない?何か、雄二の傍にいると不思議と落ち着くのよねぇ」
「何だそりゃ。俺は香炉か」

アハハと笑いながら古賀がキッチンに戻っていく。
ため息を一つついた後、後ろから聞こえた和やかな笑い声に顔を向ける。
お客さんの腕の中に収まっている子狐。それを見守る岩崎の母親のような顔。それを見ると、やっぱり間違ってはいなかったかなと思ったりもする。
客足を呼んでくれればもっといいんだけどと、邪な心も芽を出したが、摘まれる前に自分で刈り取った。
まったりと、穏やかな時間の中に笑い声が入り混じる。洋菓子店、『コサージュ、新しいメンバーを一人加え、今日もまったりと営業中です。




[21624] Manual 03 -業務明日に回すべからず-
Name: ゆ~じん◆06e098cf ID:c167db0f
Date: 2010/09/07 01:19

「もう、ダメだ。俺はもう、ダメだ」

己の無力に悩むことは誰にだってある。その結果に打ちひしがれることを挫折といい、絶望にくれる反面人を大きく成長させることもある。
今正にその挫折に衝突し、絶望にくれている男が一人。
名を城山大寒。
名前とは裏腹に熱血を中心に据える男ではあるが、今体から発しているものは熱血の炎ではなく、守る炎を失った哀れな男へと成り果てていた。
全ての授業を終え、これからクラブの練習に移っていく。男にとってはそれはそれは楽しい時間のはずだ。
だというのに男は立ち上がらない。それよりも、どうにもならない現実の壁が立ちはだかっているその事実を無視することができないからだ。

「雄二、俺ぁどうすればいいんだ」
「いや、どうするも何も、やるしかないだろ」
「雄二、お前は現実を見ていない。そんなことができるような男なら、今こうして絶望にくれることもなかったろう」

本人が言うのもどうかとは思うがそれも真実だ。後回しに、後回しにと己をだましてきた男はついにそのツケを支払うことになった。

「どうすりゃいい……。三十ページなんて、終わるわけねぇだろ……」





 Manual 03 業務明日に回すべからず





その異様な光景は体育館で活動するクラブ生徒の視線を一手に集めた。男はただがむしゃらに参考書を睨み、おおよそ初めて見ることになるだろう記号と格闘している。

「何だ、アイツ何やってんだ」

部活動に打ち込む生徒をよそ目に、隅っこに配置された一脚の机。
かじりつくように前のめりに、参考書をガン見する男の憔悴は見る人を心配させるにあまりある。

「課題忘れてたんだってさ。明日提出のやつなんだけど」
「何だ課題ぐらい。そんなもん帰ってからパパッとやっちまえばいいじゃん」
「それがそうもいかない。何せ月間のやつだからなぁ」
「あぁ~……そりゃ仕方ねぇよなぁ。科目は?」
「数学。しかも広山センセ。毎日積み重ねていればそれほど苦でもなかったものを。残り三十ページあるんだってさ」

青木は遠い目で城山を見る。今生の別れとなるやもしれない相手に向ける目ともなればやはり感慨もこもるというもの。広山でなければまだ救いはあったのだが。
城山は完全に文系で理系という理系を目の敵のようにしている。足し算と引き算があれば数学は決して困ることはないとの弁は誰もが思っていることだろう。
しかし学生であるうちは使い道どうこうは関係無しに数列であり微分・積分であり組み合わせの問題をこなしていかなければならないのだ。
反発するのは簡単だがその根底を覆すのは非常に困難、というより不可能と言い切った方が気持ちがいい。挑戦するだけ時間の無駄であることは皆知っている。

「しっかし提出間際に思い出すってのもすごいよな」
「今日の授業で催促があったからなぁ。俺、席があいつの後ろだから顔は見れなかったけど、相当青ざめてたはずだ」
「広山のペナルティはおぞましいからなぁ。できてないとあれば倍の量の課題を二分の一の時間でやらされることは目に見えてる」
「それもできなきゃ単位も出ないしな。三年はもう受験勉強ばっかだから二年に混じって単位取るのは羞恥以外の何でもない。加えて自習時間も減る」

それがこの学校のおぞましいところでもある。
単位制を取り入れているところはほとんどの高校が同じであろうが、取得単位数を計算しなければならないのは数多くの高校が存在する日本でもウチぐらいなものだろう。
単位認定は完全に担当教師にあるから、落とすと言われれば本気で落とされる。三年までに取りこぼしたものがあれば三年時に二年に混じってまた修得しなければならない。
部活の後輩などがいればまだマシであろうが、やはり周囲の目が痛い。席についているだけで単位を取りこぼしていることを表明しているようなものだ。

「で、無駄な足掻きをしてるわけか」
「無駄かどうかは結果が出てから判断することだろ?少なくとも今はまだ無駄じゃない。やれるだけやった後にそうなった時、笑えるようならそれでいいと俺は思うけどね」
「貫禄があるよなぁお前の台詞」

青木がブンブンとラケットを振り回しながら練習に戻っていく。
一方の俺は体操着には着替えてはいるものの、今日は本格的な練習には参加する気はなかった、軽く汗を流して終わりにしょうと思っていた。そこに村越の声がかかった。

「柏木、今日は参加しないの?」
「あぁ。どうも体が重たい。今日は汗を流して終わることにするよ」
「そう。言い訳には十分すぎるわね。普段が真面目なだけにここは切り込めないなぁ」

おそらく村越の推測は的を得ているが、それを敢えて肯定することはしない。まぁ、何だ。そういう仲間意識だとかを感じていたわけじゃない。けどもやっぱり相方は必要だ。

「あのバカ、終わりそうなの?」
「どうかな。できる限り努力はしてるみたいだけど」
「……ほんっと、バカなんだから」

捨て台詞のようにそれだけ吐き捨てると村越も練習に戻っていった。犬猿の仲である二人ではあるが、やはり張り合いがないとなるとつまらないものらしい。
しかし三十ページか。無理をすれば終わらせることができない量ではない。一人の友人としてこのまま単位を取りこぼす様を見ているわけにもいかないか。やる気はあるようだし。

「救いの手って、ガラでもないんだけどな」

救われるかどうかは、本当に城山次第ってところか。










「仕込み終わったわ」
「あぁ、お疲れさん。上がってもいいぞ」
「雄二は?」
「ちょっと約束があってさ。今日は送ってやれない。悪いな」

ホールの最終チェックをしながら返事を返す。岩崎を信じてないわけじゃないけど、結構大胆に残して帰ることがある。スプーンやフォークの補充を忘れていたこともあった。
確認を終えてキッチンに入ろうとすると、古賀の視線がまだ俺を捉えていることに気づいた。

「何だ、どした」
「雄二もついに彼女ができたってことかしら?」

ニヤニヤと笑いながらこちらを見据える。上から目線がちょっとムカつく。

「哀れな男に救いの手を差し伸べるだけだ。用が無いならさっさと帰れ帰れ。ホールは今から使うから電気は消さなくていい」
「口では何とでも言えるものねぇ。私が帰った瞬間に可愛い子猫を招き入れてあ~んなことやこ~んなこ」
「古賀、そろそろ怒るぞ」

それでもクスクスと笑いながら手を振って店を出て行く。
アイツはほんとにそういうことしか考えない。男漁りが悪いとは言わないが、いずれその身を滅ぼすことになるような気がする。まぁ言っても聞かないだろうからそこは仕方ない。
アイツはアイツで何か思うところがあるのだろう。無闇に言及すれば傷を余計に広げてしまうことにも繋がる。冗談ではなく、いつかこの店を巻き込んで波紋を巻き起こす気がする。
まぁ、それでもこの店のパティシエは古賀しかいない。

「雄二~、いるかぁ」
「あ、あぁ。今開けるよ。ってか開いてるけど」

今はいいか。向き合わなきゃいけない問題は今はそれじゃない。

「こんばんわ~って、うわっ、何か新鮮。俺閉店した後の喫茶店に入るなんて人生初の経験だよ」
「珍しい経験はそれだけで輝かしいもんだろう?俺の家だと集中できないし、お前の家だと尚更だろ。まぁお前の兄さん嫌いじゃないんだけど」
「いやいいって。ハッキリ嫌いって言っちまえ。あれほど騒がしい因子、俺は他に知らないね。もしかしたら俺がこうなった元凶は兄貴かもしれない。いやきっとそうだ」
「責任転嫁はやりすぎだろう。一端を担った、ぐらいに留めておいた方がいい」

全く責任が無い、と言わない辺り、山城も察してくれたようだ。テーブルに促すと城山はそこに座り、早速持参してきた課題を取り出した。問題集というよりは参考書の類だ。
広山もあれはあれでレッキとした教師だ。生徒にマイナスになるようなことは指示しないし、課題もしっかりと俺たちの頭に残るようにと考慮してのことだろう。

「これさ、真面目にやればそんなに大変でもねぇんだよな。俺みたいな頭でもじっくり読めばちゃんと理解できるし解放の手順も浮かんでくる。気づくのがもう少し早ければなぁ」
「たら、ればを嘆いても課題は減らない。広山も皆が言うほど鬼じゃないしな。さっ、手伝うから早いとこ片付けちまおう。結果を出せばうまいケーキを食えるかもしれないぞ?」
「うはぁ。俺甘いものそんなに好きじゃねぇんだけど、ま、ここは釣られて勉学に勤しむとしますか」

城山はイヤホンを取り出して耳に装着する。何でも何か音楽が流れている方が集中力が増すんだとか。実際の効率はどうなのかは分からないが本人が言うんだからそうなんだろう。
俺はポットから紅茶を注ぐと城山の隣に置いてやる。サンキュと一言残したあと、城山は問題集に取り掛かっていった。この辺り、城山は他の奴とは違う。やると言えばやる男なのだ。
分からない箇所が出てくれば城山はイヤホンを外して俺に問いかける。俺は傍で読みかけてそのままになっていた小説を取り出して読み始めた。
こういう時間は嫌いじゃない。音がほとんど無い状態で、ただ黙々と読書にふける。確かに城山の質問で気が途切れることもあったのだが、それは仕方がないと我慢した。
夜の帳の中を城山がノートにシャーペンを走らせる音だけが響く。一心に集中する姿から普段の城山を見つけることは他人には難しいだろう。
表に見える面だけで人間は構成されているわけじゃない。いろいろな側面を確かに併せ持っているものだ。俺が城山を見つけたのは、もしかしたら何か因果があったのかも。









どれくらい時間が過ぎたろうか、フッツと人の気配を感じた。
城山は相変わらず課題に集中している。ページ数を見たが、どうやら何とかなりそうなペースだ。場所さえ提供すれば俺は必要なかったのかもしれない。

「……?」

入り口に誰かが立っている。
とっくに閉店していて、時刻は既に深夜の0時を回っている
何か忘れ物でもしたのだろうか。でもそれならそれで何故入ってこないのだろうか。入り口の前を行ったり来たりを繰り返している影が見える。入ろうかどうしようか考えているのだろうか。
席を立って入り口まで向かう。そのままドアを開けるとそこには意外な人の姿が。

「あれ、村越?」

ビクッと肩を震わせるとおそるおそるこちらを振り返る。手にはバスケットを持っていた。春とは言え今年は暖かい。それに併せるように薄着姿。夜中に出歩く格好ではない気がするが。

「や、やぁ偶然ねぇ」
「……あぁ、偶然だな」

俺が話を合わせてきたのが意外だったのか、ますます村越の挙動不審に磨きがかかっていく。
俺が店を持っているのは結構知れ渡った事実ではあるのだが、夜中にそこで紅茶を頂こうなんて魂胆ではまるでない。
おまけにバスケット。食べ物を扱う店に食べ物を持ち込むような太い神経は……あ、なんかありそうだな。堂々と持ち込んで食事してそうで何かイヤだ。

「何、その目。何か失礼なことを考えてそうな目ね」
「いや、まぁ、ほどほどってとこかな。それよりどうしたんだ?見ての通りウチはもう閉店だ。まぁケーキ食いに来たわけじゃないとは思うけど、俺に何か用があったのか?」
「いや、そういうんでも、無いって言うか。あの、まぁ、うん。そ、そうっ、思い出したっ。柏木に用があったのよ、私」
「……」

何だ、何狙ってるんだ。
俺に用が無いのは明らかなクセに何故そこまで意地を張る。そして店の中をチラチラと伺うのはどうしてだ。店内に興味があるのならば営業中に足を運べばそれで問題ない。
夜中だからこその何かを見ているとでも言うのか。そりゃ俺が個人的に気に入っているのは認めよう。だが店に足を運んだことの無い人間が俺と同じ思考を持つのかは疑問だ。
嫌な時間が進む。
何とか狙いを看破しようとする俺と、それをかたくなに隠す村越。
思えばコイツはそういう性格の持ち主だったろうか。少なくとも恥じらいを見せるような女ではなかったはずだ。豪快なスマッシュを夢に見る女がする動作ではない。

「……ひょっとして、お取り込み中だったかしら?」

そこへ、更に事をややこしくするだろう女が参戦。

「お前、帰ったんじゃ」
「いや私としたことが迂闊。ロッカーに携帯を忘れる不始末をしでかしちゃって。相手からの連絡が無いんじゃどうしようもないから取りに戻ったのよ」
「三時間も過ぎてからか」
「いや~参った参った」
「電話かけてやろうか?」
「いいわよ。どうぞ?」

コイツ、本気でロッカーに置いてきたのか。恐るべき執念。そうまでして俺の秘密を漁りたいのか。ニヤニヤと俺を見据える視線が刺さっていたが、フッとそれが俺の右横にズレた。

「なるほど。こちらが」
「違うからな。たまたま今訪れて来ただけだ」
「へぇ~。閉店後に。三時間も後に。何か忘れ物をしたわけでもないのに。あっ、大丈夫。ちゃんと茜に聞いといたから。忘れ物のたった一台の携帯、常連の人のだから」

その言い訳は使えないとばかりに俺を見据える。
あぁ、何というややこしさ。ゴッド、俺今日何かしたのでしょうか。

「あの、貴方は?」
「あ、ごめんなさい。名乗るのは遅れたわね。私ここの店でパティシエやってる古賀です。古賀静音。あ、大丈夫大丈夫。雄二とはそういう関係じゃないのでご心配なく」

聞いてないって。
そう突っ込もうとしたところに、

「雄二?誰か来たのか?」

店の中から城山が顔を出した。










「何だツマンナイ」
「古賀、お前本気でそういうこと止めろよ。いつか俺に本当に彼女ができたらどうするんだ」
「だからその時の為に今日の仕込があったわけじゃない?」
「……次やったら時給下げるからな」
「どうぞ?はしたお金目当てでケーキ作ってるわけじゃないもので。わたくし、自分のケーキを食べてくれるお客様の喜ぶ顔が見たいだけなので」

正にパティシエの鏡のような回答をする古賀にはもはや何を言っても無駄だ。
そうそうと犀を投げて問題の二人を見やる。

「お前、そうまでして俺を笑いに来たのか」
「そうよ。悪い?無様に苦しむアンタの顔が見たかったの。まぁ教えを請うなら考えてあげなくもないけど。どうせそんなに進んでないんでしょ?ここに私がやったノートがあるってわけよ」
「帰れ。お前に用は無ぇよ」

少し古賀と話している間にかなり邪険な空気が漂っている。
村越はどうやら城山を追って来たらしい。課題ができていない城山を笑いにくるのが目的だったらしいが、正直呆れた。

「それだけの為にここまで来るとは。そんなに嫌いだったのか」
「バカね。そんなわけないでしょ」

俺を見下すように流し目で見た後、暖かい紅茶を喉に流し込んだ。

「相手を笑うなんて自分の部屋でだってできるわよ。彼女はね、今時分に見ないほどに純粋な女の子なのよ」
「何かお前の口からそういう言葉聞きたくないな。まるで全てを見透かしているかのようなその物言い、女という点においてお前は女子高生の領域を越えている」
「なぁに?試してみたいの?」
「嘘です。ゴメンナサイ」
「まぁここは黙って見てればいいわ。城山クンって雄二の友達なんでしょ?きっと大丈夫よ」

さっきの古賀の妖艶な微笑みには本気で寒気がした。これ以上刺激するのは得策ではない。俺も黙って紅茶を胃に流し込みながら二人を見守った。

「何よその言い草。折角来てやったのに」
「頼んでねぇだろうが。こんな夜中にまで追ってきやがって。目的は果たしたろ。ならさっさとかえ……何だそのバスケット」

おおよそ不釣合いなバスケットに城山が目を奪われた。その刹那、村越がウッ、とたじろぎを見せたが、その失態を振り切るようにダンッとテーブルを叩いた。

「食べなさいよ」
「「はぁ?」」

突然の行動に二人して声がハモってしまった。

「ま、まぁ私はそんなものいらないって言ったんだけどお母さんがどうしてもって言うから持ってきただけよ。別にあんたに食べさせようとか、そんなこと思ってなかったんだけどっ」

母親に、という言葉を強調する村越。
ってかそんなもの持たせる前に深夜にどこかに出かけようとする娘を止めるべきではないのか、名も知らぬ村越の母親よ。
城山はじっと村越を見据えていたが、フッと顔を崩すと片手をパタパタと振った。てっきり断ったのかと思ったが、城山は予想できなかった言葉を返した。

「そんじゃ美味しく頂こう。お前の母ちゃんの特性だろう?時間を空けて無駄にしても悪いしな」

城山の言葉に少し面食らっていた村越だが、フンッと顔を背けた後、乱暴にバスケットを開けて用意を始めた。
何故そうなったのかを全く理解できずにただ見守っていただけだったが、村越のお誘いの声を受けて俺たちも頂くことに。
わけのわからないまま、とりあえず残り少なくなっていた紅茶を足そうとキッチンへと足を向ける。手伝うわとついてきた古賀がキッチンに入ってから俺に言った。

「さすが雄二の友達。ちゃんと分かってるじゃない?」
「分かってるって、何を」
「……いいわ、もう。雄二はそれでいいのかもしんないし」

首を二三度振った後、テキパキと準備をすすめる古賀の後姿を見守っていた。
時刻はもうすぐ0時30分を回ろうかというところ。洋菓子店『コサージュ』、今日は営業時間外にも営業しております。




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