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[20520] 月のトライアングル(リリなの設定クロス、オリ主)
Name: 村八◆24295b93 HOME ID:1e7f2ebc
Date: 2010/09/07 23:34
○注意書き

■このSSは、魔法少女リリカルなのはstsとの設定クロス、オリ主モノとなります。
■原作の展開を踏襲するようなしないような。
■魔改造ルイズになる予定。
■オリ主がそれなりに無双。

以上の点を許せる寛大なお心をお持ちの方、もしよろしかったらご一読下さいな。
感想などもらえたら小躍りして更新ペースが上がると思われます。



[20520] 1話
Name: 村八◆24295b93 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/07/29 01:01

一人の男が、小さな足音を立てながら淡々と通路を歩いていた。
彼が進むのは、時空管理局本局の訓練スペース、その一角である。
進む先には訓練室があり、彼はそこへと突き進んでいた。
足運びに迷いはない。また、気負いも気怠さも。これから始まるであろう闘争への楽しみを瞳にたたえ、彼は笑みさえ浮かべていた。

彼の名は、カール・メルセデスという。
微かに青みがかった黒髪に、碧眼。
端正な顔立ちは、自信に彩られ強気な色が浮かんでいる。
身に纏っているバリアジャケットは一般局員がまとうプレートメイル型のそれだが、彼の色彩は普通のものではなかった。
教導隊に所属する局員は白い制服をまとう。同時に、バリアジャケットにもその色を反映させることがあった。
彼もその例に漏れず、通常ならば黒く染まっている軽装甲以外の部分は白一色でまとめられていた。

メルセデス一等空尉。魔導師ランクはミッドチルダ式空戦S+。
所属は戦技教導隊で、歳は十八。エリートと云えばエリートだ。
まごうことなきストライカーである彼は、これより行われる模擬戦で、必ず勝利すべく戦意を高めていた。

ああ、と思う。遂にこの時がやってきた。
前に彼女と顔を合わせたのはいつだっただろうか。
JS事件が終結した後に一度だけ言葉を交わして――その時だったかもしれない。

本当ならばその時に再戦を望んでいたが、しかし、当時の彼女はJS事件で使用したリミットブレイクの反動によって酷く消耗していたのだ。
そんな彼女を倒しても意味がないと、カールは模擬戦を先延ばしにして、二年も経ってしまった。
そうして、今日だ。

彼女――高町なのはもカールも、教導隊に所属しているため落ち着いて顔を会わすことはない。
JS事件の最中に養子とした少女を育てるために彼女はミッドチルダとその周辺世界の担当として落ち着いていたが、カールは違う。
少しでも経験を。少しでも魔導師としての実力を伸ばすために、数多の世界を渡り歩き魔導師を教導し、必要とされれば現場で戦ってきた。
所属は陸でも海でもない空という区分だったが、それでも渡り鳥のように世界を転々としていたカールは海の局員に近いだろう。

そうしてようやくまとまった休みを取ることができ――今日という日が訪れたのだ。
コンディションは完璧。三日の完全休養を取った後にオーバーワークに気を配りながらトレーニング、体調を整え、そして今日という日を迎えた。

デバイスの調整も完璧。技術部の知人を拝み倒して、オーバーホールを完了し、馴らしも終えている。
カートリッジもたった一回の戦いで想定される以上に持ち込んだ。

念入りに行った準備は、関係ない者が見れば、なんの決戦に望むんだと白い目をしそうである。
が、カールからすればこれは正しく決戦であった。

高町なのは。世を風靡する見麗しいエースオブエース。
多くの教え子から慕われ、まだ二十歳になったばかりだというのに三度も世界の危機を救った英雄の一人。
その鮮烈な生き方と存在感は多くの人物を魅了し――ある意味では、カールも彼女に魅了された人物の一人と云えるだろう。

「なのはさん、今日こそ勝たせてもらうぞ……!」

口の中で呟いた言葉は、しかし、呟きと云うには些か強い口調で紡がれた。
そう、必ず勝つ。今日という戦いだけは絶対に。
高町なのはが宿敵であることは間違いないのだが、それ以外にも、この一戦にカールは高町と賭けのようなものを約束していた。

『負けた者は勝った者のいうことを一つだけ聞く』

と、なんともまぁ俗っぽい上にお約束な代物ではあるものの、賭けに望む本人からすれば張り切らないわけにはいかない条件だ。
というか、必死すぎで哀れである。

もし自分が勝ったら――それを想像し、勝ち気に歪んでいた笑みがふにゃっとする。
ちなみにふにゃっと緩んだ笑みは通りがかった女性局員に目撃されており、キモい、と言葉にせずとも向けられた白い目が語っていたりする。

カールは咳払いをし、すぐに気を引き締め直すと、目前まで迫った訓練場へと進む歩調を早めた。

通路が暗いせいだろう。訓練場の照明は眩く、逆光によって中の風景が見えない。
その光の中へとカールは踏み込んで、

「あんた誰?」

唐突に目の前へと現れ、無遠慮な質問を投げかけた少女に、眉根を寄せた。
瞬間、カールは気付く。薄暗い通路を進んでいたはずの自分が、草原に立っていることに。
周囲を照らすのは照明ではなく、陽光。見上げれば抜けるような青空が広がっており、視線を落とせば、広大な草原は海原のように続いていた。

「……どこだここは」

「ちょっと、私の質問に答えなさいよ!」

「ここはどこだと聞いている」

「いや、あのね……」

「うおおおおおおお、なのはさぁぁぁぁぁぁああんッ!!」

「ヒッ……!」

唐突に叫びを上げたカールは、頭を抱えながら草原をごろごろ転がる。
転がって、ようやく彼は冷静さを取り戻した。

ここはどこなのか。何が起こったのか。
それらは未ださっぱり分からないものの、そう、こういう時こそ慌ててはならないと教育されている。

身体についた草を払いながら、カールは立ち上がった。
そして先ほどの少女を見れば、彼女は何やら頭の禿げ上がった中年男性と言葉を交わしていた。
男との会話の中に出てきた、使い魔、召還――その二つの単語から、カールは猛烈なまでに嫌な予感を抱いた。

「さて、それでは儀式を続けなさい」

「……はい」

男に論破されたのか、少女が肩を落としながらカールの方へと渋々進んできた。
この時になって、へぇ、とカールは軽く眉を持ち上げる。

まるで人形かと見間違いほどに、少女の容姿が可憐だったからだ。
桃色がかったブロンドは、陽光に煌めいて眩しいほど。
拗ねた様子の表情も、元の顔が整っているため全然許せる。
体型には女性らしさというものが欠けているかもしれない。が、その分、彼女には少女としての魅力がこれでもかと云うほどに詰め込まれていた。

「……っと。
 あー、ちょっと良い?」

「何よ」

我を取り戻したカールは、少女から目を逸らし、周囲を見渡しながら問いかけた。

「……時空管理局、って知ってる?」

「じくう……何?」

「いや、知らないなら良いんだ」

……どうやら嫌な予感が当たってしまったらしい。
召還、使い魔。それらの単語を聞いたときから、嫌な予感はしていたのだ。
だがどうやら少女は時空管理局の存在を知らない――ならばおそらく、ここは管理外世界か未発見の世界。
なんとなくだが、カールはこの草原に集まっている少年少女たちから魔導師としての気配を感じ取っていた。
魔力に触れることを生活の一部としている者の雰囲気――カールの同類、その気配を。

だが、魔法を使えるからと云って管理世界の住人であるとは限らない。
管理世界の一つにカウントされるには、次元航行技術の発達が最低条件である。
そのため、次元空間を行き来する技術を持っていなくとも、魔法を使用して生活している者たちがいても、そう珍しいことではない。

どうやら自分は、次元航行技術を持たない世界の住人に召還されてしまったらしい――
冷や汗がだらだらと流れてくるが、カールは落ち着き払った態度を装い懐から煙草を取り出した。
カールは喫煙者なのだ。ヘビースモーカーというほどではなかったが、心を落ち着けたい時や、くつろぎたい時などには煙草を吸う癖があった。
そして今がその時と、箱から一本抜き出し――

「あ、待ちなさい。それ咥えるならもうちょっと待って」

「ん?」

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
 五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔となせ」

煙草を箱に戻しながら、ん、とカールは目を細めた。
呪文を少女は唱えている。
だが足下に魔法陣が展開するわけでもなく、トリガーワードとなるものに呪文の方向性を集約させている風でもない。
そして最後に木製であろう杖をカールの額に翳すと、彼女は息を呑んだ。

何が――と思っていると、不意に少女がカールの両肩に手を置く。

「屈みなさい。届かないから」

「ん?……ああ」

云われた通りにカールが屈むと、少女――ルイズは、両腕でカールの頭を抱き込んで、即座に唇を寄せてきた。
カールの唇と、ルイズの唇が重ねられる。
瞬間、落ち着こうとはしたものの混乱に極みにあったカールの頭は限界を超えて真っ白に。
その時頭に浮かんできたことは、

「や、やめないか、はしたない!」

そんな言葉だった。
カール・メルセデス。割と真面目な人間なのである。
高町なのはに対しては少しアレだが。



















月のトライアングル
















くぅくぅと可愛らしい寝息が立ち始めたのを確認して、カールは横たえていた身体を起き上がらせた。
視線を向ければ、自分のご主人様らしき少女は猫のように丸くなりながら寝入っているようだ。
それを確認し、やれやれとカールは頭を掻いた。

立ち上がり、ゆっくりと窓辺に近寄りながら、彼は自分の身に起こったことを思い返す。
窓から見上げる空には二つの月が浮かんでいる。そう、ミッドチルダと同じ二つの月だ。
だがここはミッドチルダではない。それだけは確実だろう。

訓練場に入ったと思ったカールだが、しかし、どうやら彼はその際に転送魔法に巻き込まれて異世界へと導かれてしまったようだ。
まったくの偶然なのだろう。原因となったのはこの部屋のベッドで寝息を立てて眠っている少女、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールというらしい。
彼女は使い魔召還の契約を結ぶため、対象をランダムに設定した転送魔法を使用し、自分をこの世界へと引き寄せたのだ。
そうして彼女は状況を把握していない自分に対して使い魔契約を結んでしまい――今の状況がある。

どうなってんだよ、とカールは頭を振った。
高町なのはとの戦いに臨むつもりでいたため状況の把握が遅れ、ただ流されるままに今に至っていた。
それに多大な後悔を覚えながらも、カールは少女の言動から集めた情報の断片から、自分の置かれた境遇を把握しようと努める。

まず最初に、この世界である。
月が二つある点はミッドチルダと同じで、雰囲気からベルカ自治区ならあるいはとも思うが、ここには機械文明の香りが微塵もしない。
街の明かり。車の騒音。埃臭さが微かに漂う空気。それら、文明の汚染とはまるで無縁な自然が広がっているのだ。
召還を受けた草原からトリステイン魔法学院というらしい建物の寮に戻ってくるまで散策したため、断言できる。

ここは管理外世界。もしくは、未確認世界。
海に所属しているとはいえ、流石のカールも管理外世界すべてを把握しているわけではないのだ。
次元航行部隊でもすべてを把握している者などいないだろう。仕方ないといえる。

ともあれ、ここは管理局との接点がまるでない世界なのだ。
これはルイズに対して時空管理局の名を出し、何それ、と切り捨てられたところからも分かる。

さて――と、カールは懐に手を伸ばした。
抜き出した一枚のカードは、スタンバイモードのストレージデバイスである。

「スタートアップ、カブリオレ」

彼が銘を口にすると同時、群青の魔力光と共にデバイスがその形を取った。
彼の右手に握られたのは、一般局員が手にするそれと同じデザインの長杖だ。
が、その中身はまるで別物と云って良い。ストライカー級魔導師の扱うデバイスがどれも一品ものであるように、カールのデバイスもまた、専用のチューンを受けていた。
目に見えた違いは一点だけ存在する。それはヘッドの下に設けられたオートマチック型のカートリッジシステムだ。
ただ、外見はやはり一般局員のそれと変わらないのだが。バリアジャケットと同じように。

デバイスを掴んだ瞬間、カールは何か違和感のようなものを感じ取った。
これ、と上手く言葉にできるわけではないのだが、そう、高揚感のようなものを。
おそらく異世界へ投げ込まれたことで緊張しているのだろうと自身を納得させ、カールは窓を開けると、飛行魔法を発動させて外へと飛び出した。

群青の輝きを瞬かせながら、カールは一気に上昇を開始する。
トリステイン魔法学院は四隅に塔が立ち、塀に囲まれた作りである。
夜ではあるものの、明かりはまばらに灯っていた。

カールはすぐに視線を逸らすと、そのまま浮上を続ける。
そうして、やはり、と頷いた。

「明かりが少なすぎる。
 ミッドチルダであることはまず有り得ないし、機械文明も発達していない。
 管理外世界か未発見世界……これは確実かな」

うむうむ。一人納得するカールは、次いで足下にミッドチルダ式魔法陣を展開した。
なんの魔法を使うのか――勿論、転送魔法である。
一時間半ほど。それだけの時間を拘束されてしまったが、果たして高町なのはは待っているだろうか。
そんな考えが頭の片隅にあるものの、局員であるカールにだって職業意識というものがある。
長年夢見たなのはとの決着は当たり前のように大事だったが、だからと云って仕事を放り投げて良い理由にはならない。

取り敢えずは本局に出向き、使い魔とされた経緯を報告し、指示を受けるべきだろう。
ただ召還されたならばともかく――ルーンという、使い魔の証が自分には刻まれているのだ。
これが一体どんな影響を自分に与えるのか把握する必要もある。そこまで考え、ああ面倒、とカールは頭を掻きむしった。

検疫にルーンの解析、報告書の作成。やるべきことはたくさんあった。
次元航行部隊ではないため、慣れてない報告書が一番面倒である。
どうして休暇の締めがこんな厄介ごとなのだと、毒づきたい心境である。

それでも仕方がないと、カールはバリアジャケットで自らの身体を覆いながら長距離転送を発動させた。

そうして――

「なん……だと……」

転送魔法が終了すると同時、目に飛び込んできた光景に、カールは思わずそう呟いていた。
彼が今存在するのは次元空間、時空管理局本局の転送ポートであるはずだ。
転送先の座標はそう設定したし、術式も正しく組み込んだ。
だというのに、彼の目の前には何も存在していない。
あるのはただ、極彩色に光り輝く次元空間だけである。

んなアホな、と呟いて彼は再び転送魔法を発動させた。
幾度も座標を確認し、何度も何度も。
しかし転送魔法が終了する度に現れる風景は極彩色の広大な宇宙であり、やはり本局は存在しない。

ならば、と彼は親交のある次元航行艦へと通信を送った。
だが通信はどれとも通じず、ただノイズ音が続くばかり。

それなら、と彼は片っ端から地上部隊の本部へと座標を変更して転送魔法を発動。
が、やはりカールを嘲笑うかのようにそこには何もない。
あったにはあったが、自分が呼び出された世界と同じように広大な自然が広がっているだけだった。
それだけならばまだ良い。運が悪いときには、マグマが燃えたぎる大地に降り立ちそうになり、あやうく焼死するところだったのである。

「……あり得ない」

そう云いながら、カールは自分が呼び出された管理外世界の空へと戻ってきた。
次元空間も他の世界も、どれも人心地がつけないからだ。

何が起こっているのかさっぱり分からない。
デバイスが壊れた? まさか。オーバーホールから帰ってきたばかりなのだ。
その上、ストライカー級魔導師は管理局の切り札と云われている。そんな自分のデバイスを点検なしで返すなど有り得ない。
もしくはデータを改竄するウィルスを引き込んでしまった?
まさか。デバイスのプロテクトは完璧と云って良い。機能中枢は管理局の技術の粋を集めて作られ、一般からすればブラックボックス扱いなほどである。

ならば一体、何が起こっている――

失意のまま、ふらふらとカールは下降を開始する。
混乱しきりのカールが当座のしのぎとして考えたのは、自分を呼び出した少女が目を覚ますのを待ち、情報を収集することだった。
悪戦苦闘したカールがこの世界に戻ってきたとき、既に空が白み始めていた。
もう三十分もすれば陽が燦然と大地を照らし上げるであろう時間だ。

冷たい風が流れる空を下降し続け、彼は片手で頭を抱える。

「ありえない……どうしてこんなことに。
 夢……なわけないな。どうなってるんだ?
 頭が痛い限りだ……ああクソ」

ぶつくさぶつくさ漏らしながらカールは再び魔法学院へと戻り、記憶を手繰り寄せながらルイズの部屋を探した。
そうして、ああ、と気付く。窓を閉め忘れていたらしい。
縁に手をかけ――と思った瞬間だった。

「……」

「……」

ばっちりと目が合ってしまう。
寝ぼけ眼で窓を閉めようとしていた少女――おそらく寒くて起きたのだろう――は、窓の外で浮かんでいるカールを見て目を見開いた。
大きめのネグリジェを着た少女は、枕を引きずった状態で口元をひくつかせている。
カールもまた少女が起きているとは微塵も考えていなかったので、今までの混乱も相まって、言葉を失ってしまった。

そうして――

「よ、よ……!」

「よ?」

「夜這いよ――!」

「どうしてそうな――ぶふっ!」

手に持った枕を全力で投げつけられ、間抜けな声を上げてしまった。
そうされたカールが思ったことは、もう朝だぞ、なんてズレたことだった。


















「ま、まさかあなたがメイジとは思わなかったわ」

朝っぱらから近所迷惑な金きり声を上げたルイズは、すぐに我に返るとカールを部屋へと引きずり込んだ。
ちょっと外向いてて! と彼女は言いつけ、その間に着替えた。
昨日と同じブラウスとプリーツスカートを身に着けた彼女は、心持ち頬を赤く染めながらそう言い放った。

赤面しているのは、まぁ、普通に考えて寝ぼけた発言と寝間着姿を見られたことへの羞恥だ。
着替えても収まらない胸の動悸。水差しからコップに水を注ぎ、喉を潤した。

そうして落ち着きを取り戻すと、もう、と唇を尖らせる。

「そうならそうと、早く云ってくれれば良かったのに」

それはルイズの心底からの言葉だった。
じっと、目の前の男を見る。

年の頃は十七、八歳ほどだろうか。
右手に握った長杖は、彼の杖なのだろう。光沢から察するに何かの鉱石で作られているのだろうか。
学生で、魔法をまともに使えないルイズといえど、魔法使いの端くれだ。彼の杖が通常の規格から外れ、オーダーメイドで作られた一品であることにはすぐに気付いた。
その勘違いはある意味で当たり、ある意味では外れている。が、ルイズがそれに気付くことはできない。

杖に注いだ視線を、ルイズは男へと戻した。
青みがかった黒髪に、碧眼。髪の色こそやや珍しいものの、碧眼は珍しくはない。
どこの人種だろう。顔つきにはトリステイン人の面影があるものの、微かな違いがある。他種の血が混じっているのかもしれない。

この時点で、ルイズはカールの認識を使い魔からパートナーへと改める。
もし平民という認識のままだったならば、カールへの態度も違っただろう。
しかし彼が魔法を使えるという一点で、彼女は彼を評価した。

男はルイズに柔らかな笑みを向けると、やや迷った風に口を開いた。

「悪かったよ。
 俺も昨日は混乱しててさ。
 いつ君に説明しようかと迷って、結局できなかったんだ」

「そういうことは早く説明して欲しいわ!
 まったく、平民と間違っちゃったじゃないのよ、もう……それで?」

「ん?」

「あなたのクラスはなんなの? ドット? ライン?
 それともトライアングル? も、もしかしたらスクウェアとか?
 い、いえ、それより系統は? 水? 風? それとも火かしら?」

彼がメイジ――実際は魔導師――と分かってからまずルイズが気にしたことは、それだった。
まず最初に聞くべきことは他にもあるだろうに、寝起きの頭はどうやら上手く回ってくれないようだ。

使い魔とは主人の特性を色濃く現すという。同時に、格も。
そう、格だ。メイジの格。使い魔は鳥などの小動物からドラゴンなどの幻獣と、幅広く呼び出される。
その選択は魔法使いの属性と、眠っている素質に左右されるという。
どこぞのにっくき宿敵はサラマンダーを呼び出し、幼馴染みの姫はユニコーンを、婚約者となっている男性はグリフォンを呼び出している。
立派な幻獣を従えている者たちは、どれもが最低でもトライアングルクラスのメイジである。婚約者に至ってはスクウェアだ。
使い魔はメイジの格を現す。論理的なロジックがあるわけではないが、示された結果として事実と言い切ることができるだろう。

そして系統。
彼が特化している系統は、それすなわちルイズの系統と云っても過言ではない。
なので、ルイズは目の前の男のクラスと系統がどうしても気になってしまう。

彼女にとってそれは、一つの指針となりうるのだ。
ゼロのルイズ。魔法の成功率ゼロからつけられた名前であるそれが示すとおり、ルイズは自分の覚えている限り魔法に成功した試しがない。
そのため、自分がどの系統に特化しているのかすら分からないのだ。

自分の才能がまるで分からなかった――だが、目の前の男が自分の格と系統を現しているのならば、その悩みが一気に解決するだろう。
そう思い、わくわくしながらルイズは男の口が開くのを心待ちにする。

彼は何かを悩むように眉間に皺を寄せると、ええっと、と前置きをした。

「……火、雷、氷、石化。
 どれも使える」

「ほ、本当なの!?」

ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。
男の口から発せられた事実に、ルイズはその場で舞い上がりそうな感動を覚えた。
全系統が使えて、その上スクウェアクラス!
どうしてスクウェアと即答せず、回りくどい云い方をしたのか。そんな疑問があったものの、ルイズは全力で都合の良い方向に彼の発言を解釈した。

が、間違ってはいない。
カール・メルセデス。彼は炎熱、雷撃、氷結、石化の魔力変換をすべて行えるのだ。
それらは希少技能ではなく、すべて会得した技術によって。

カール本人として今の発言を、布石のつもりで行っていた。
この世界の魔法がミッドチルダ式、古代ベルカ式、近代ベルカ式のどれとも違うことは分かっている。
使い魔召還魔法がまずそうだし、昨晩目にした飛行魔法だってそうだ。
彼らが飛行魔法を発動した際、そこに魔力光を見ることはできなかった。
魔術体系が違うことは既に把握している。その確証を得るために彼はルイズへ否定されること前提の発言をしたのだった。
が、カールもカールで困ってしまう。
……どうして否定しない?

そんな風にカールが訝しんでいると、ようやくルイズは自分の世界から戻ってきた。
ごほん、と咳払いをすると、ぺちぺちと自分の頬を叩いた。

「ええっと、ごめんなさい。ちょっと興奮しちゃって。
 スクウェア――じゃなかった、ええっと、その、あなたは貴族?」

その時になってようやくルイズは自分が聞くべきことに気付いた。
彼は何者か。メイジ≠貴族とは云っても、メイジの大多数が貴族であることに変わりはない。
もし彼がどこかの領地を治める貴族であったなら、色々な問題が絡んでくる。
大事といえば何よりも大事な問題だ。

「……貴族、じゃないね」

「そう」

カールの返答に、ますますルイズの機嫌は良くなった。
もし貴族だったならば、とんでもなく面倒なことになったのは事実だ。
貴族は誰もが公務についている。法務や研究職、軍。そういった仕事に就いている人間を自らの使い魔として使役することはできない。
使い魔の召還は神聖なものとされてはいるものの、だからと云って貴族の責務である仕事を放り出すことはできないだろう。
なので彼が貴族であったならば、使い魔ではあるものの、常に側に置くことは不可能だっただろう。

「ね、貴族でないなら、あなたは何をしていたの?
 スクウェアクラスなんだから、傭兵?」

「戦うことを生業にしていた。
 それと、魔法を教えたりとか」

傭兵業の傍らに貴族相手の家庭教師。
成る程、確かに。スクウェアクラスならばどちらも果たすことは可能だろう。
家庭教師をしていたということが、ルイズには嬉しくてたまらなかった。
まったく同じということはないだろうが、使い魔は主人と似るものだ。
であれば、自分と似た魔法使いである彼に魔法を教えてもらえたら、自分はゼロという汚名から脱却できるかもしれない。

我が世の春が来たー! と、窓を開いて大声で叫び出したいルイズだった。

肩を震わせウフフフフ、と笑い出すルイズに不気味な何かを感じながら、ううむ、とカールは首を捻る。
貴族。貴族。ならばこの世界は封建制度が生きているのだろうか。
そこまで考え、駄目だ、とカールは肩を落とす。

管理外世界を相手に仕事をしている次元航行部隊ならまだしも、カールはただの教導官である。
社会制度などの知識は一般的なそれであり、かつ、彼は魔法理論と戦術、戦略理論は立派に語れるものの、それ以外は脳筋と呼ばれる部類だった。
封建制度、という単語は浮かんできたものの、さっぱり分からない。

参った……と肩を落とすカール。

……補足しておくと。
カールには自分が異世界の住人であることを明かすつもりはない。
云えば楽になるかもしれない、という認識はあるものの、管理局の常識として異世界文明へと干渉は原則的に禁止とされているのだ。
あくまで原則的にであり、危機的状態に陥った場合は別とされている。
が、カールは自分の置かれた状況が危機的なものなのか上手く把握できないのだ。

転送魔法を使っても本局に行けない。他の世界の座標もどうやらズレているらしい。
次元航行艦と通話することもできない。
考えれば考えるほど危機的状況ではあるのだが、自らの身分を明かすことで取るべき行動を変える必要がでてくるため、慎重にならざるを得ない。

「……っと、これぐらいにしましょうか。
 ちょっと早いけど朝食にしましょう」

「ん、ああ」

待っててね、とルイズは云うとカールに背中を向けて、ブラシで髪を梳かし寝癖を整え始めた。
そんな彼女の後ろ姿を見ながら、カールはデバイスをスタンバイモードに戻してバリアジャケットを解除する。
ジャケットの下に着ていたのは、教導隊の証である白を基調とした制服だった。スラックスは青、上着は肩の部分が同じく青でそれ以外は白。
これが一張羅になったな、と彼は溜息を吐く。
すると、

「……え? いつの間に着替えたの?」

見だしなみを整えて振り返ったルイズは、心底不思議そうに首を傾げた。

「それに、変わった服ね」

「……趣味なんだ。
 それより朝食を取るんだろう?」

「あ、うん。じゃあ行きましょうか」

やや納得がいかない風に眉根を寄せながら、ルイズは部屋の出口へと向かった。
その後を追うカールは、ふと、本棚に収まった書物の背表紙に視線を注ぐ。
この世界の文字であろうそれを、カールは読むことができた。翻訳魔法だ。ルイズと喋ることができてる点で、正確に発動していることが確認できる。
が、文字を目にして更にカールは悩まされることになった。

会話だけならともかく、文字の解読は術式に言語が組み込まれてなければ不可能なはずだ。
だというのに翻訳魔法は正しく文字を読ませてくれる。
管理外世界の言語を、何故……?
その疑問に対する答えは、誰も持ち合わせていない。

ルイズの後を追いながら、カールは周囲を見回していた。
その挙動に気付いたのだろう。ルイズは脚を動かしながらも、好奇心の混じった笑みを彼へと向ける。

「どうしたの?」

「いや、こういったところが珍しくてさ」

「そっか」

カールの言葉に、ルイズはまたまた誤解する。
トリステイン魔法学院は、名門と云われる貴族の子弟が通う学舎である。
そうでない下級貴族は各々で魔法を学ぶし、魔法学院は他にも存在した。
そのため、カールはトリステイン魔法学院を見たことがないのだろうと、彼女は思ったのだ。

「確かに、普通の貴族が入れるような場所じゃないわよね。
 知ってるかもしれないけど、ここトリステイン魔法学院は、由緒正しき学舎なのよ。
 各国からの留学生も受け入れてるし、王族や大貴族の子供もここで魔法と貴族としての作法を学んでいるわ。
 そう、実力と品格を兼ね揃えた、エリートメイジを輩出する場所なのよ!」

薄い胸を張りながら、ルイズはそう言い切った。
もし昨日までの彼女であればエリートという言葉を使うことはなかっただろう。
自分は違う、という意識があったからだ。
だが今は違う。自分はスクウェアメイジになれるだけの素質があると、胸を張れるのだ。

「……すごいところなんだね」

「ええ、そうよ。
 んー、そうね。まずはそのすごさの一つ目を見せてあげるわ」

悪戯っぽく笑って、ルイズは心持ち歩調を早めた。
そうして二人はアルヴィーズの食堂に到着する。
そうして自分の席に到着すると、ルイズは椅子を一つ手にして並べられた中に割り込ませ、その隣に座る。
腰を下ろすと、立ったままのカールを見上げた。

「隣に座って良いわよ」

「ありがとう。
 ……それにしても、朝からすごい料理だな」

カールはテーブルに鎮座する鳥のローストに圧倒された風に呟いた。
見渡せば、他にもパイなどが並べられている。

ルイズはそんな彼の反応に満足して、ふふん、と再び胸を張る。

「でしょう?
 通ってる生徒が生徒だもの。
 相応のテーブルマナーを癖として覚えてゆくのよ」

「俺はテーブルマナーと無縁な生活を送ってきたんだけど、大丈夫?」

「ええ、構わないわ。
 あなたは私のお客様のようなものだもの」

ルイズの言葉は、カールの扱いを端的に表していた。
もしここにいたのが平民であるならば、相応の扱いをルイズは行っていただろう。
しかしここにいる人物はメイジ――魔導師だが――である。それも、自分の家庭教師候補。
ここで機嫌を損ねて帰ると云われたら、たまらない。

高慢な性格を剥き出しにして彼を不機嫌にさせてしまうほど、ルイズは常識外れではなかった。
そう――彼女は猫を被っているのだ。

「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。
 今日もささやかな糧を我に与えたもうことを感謝します」

祈りの声を唱和して、目を開くと、カールの鳩が豆鉄砲くらったような顔が目に入った。

「どうしたの?」

「いや……なんでもない。
 そうか、宗教か……」

カールの声は小さく、ルイズは後半を聞き取ることができなかった。
構わず、彼女はナイフとフォークを手に取る。ルイズの手つきを見たのだろう。見よう見まねといった風に、カールも食器を手に取った。
ルイズはおっかなびっくり動かされるカールの手つきの柔らかな声で注意を飛ばしながら、自分の朝食を平らげる。
そうしてナプキンで口を拭うと、カールが食べ終わったのを確認して席を立った。

二人は食堂を歩き、隣だって歩きながら外へと向かう。
じろじろと視線を向けられるが、それはカールに対してだろう。
学院の生徒ではないのに、生徒と同じ場所で食事を取っていた。その上、変な格好をしている、と。
しかしルイズは、それがとても心地良かった。
むしろ見せ付けてやっている気すらするのだ。
ここにいるスクウェアクラスのメイジは自分の使い魔――そう、使い魔なのだ。

「ええっと……ルイズ、で良い?」

「ええ、良いわよ」

「そうか。じゃあルイズ。
 これからの予定はどうなってるんだ?」

「少し間を置いて授業になるわ。
 あなたも出席する? そりゃスクウェアクラスのメイジじゃ、私たち向けの授業を聞いても意味はないかもしれないけど」

「いや、同席させてもらうよ。
 どんな風に魔法を教えているのか興味があるし」

「分かったわ」

「あ、ちょっと良いか?」

「何?」

「本棚にあった本を何冊か授業に持ち込ませて欲しい。
 君が一年生のときの教科書があったみたいだから」

「ええ、それぐらいなら全然平気よ。構わないわ」

カールの言葉に、ルイズは微かな期待をしてしまう。
想像以上に彼は勉強熱心なようだ。家庭教師というのなら、やはり学校で何を教えているのか気になるだろう。
大当たりを引いたー、と幸せ一杯のルイズだった。





















石造りの大学の講堂、もしくはコンサートホールのような場所で授業は行われていた。
その一角にルイズとカールは隣だって座りながら、授業を受けている。
授業を真面目に聞いているルイズだが、カールと云えばルイズから借りた教科書を捲りながら興味深げに目を細めている。
かと云って教師の話を聞いていないわけではない。
マルチタスクを駆使して、女性教師の声を自分なりに解釈しながら、ここ、ハルケギニアの魔法理論を理解しようとしていた。

ちなみに授業が始まる前にルイズの使い魔がどうたらと騒ぎがあったのだが、飛行魔法を発動させて浮いて見せると、騒ぎは簡単に収まった。
先住魔法? まさかエルフ? いや、耳尖ってないし。などのやりとりはあったが、問題に発展するほどではなかった。

ともあれ、カールはルイズから借りた教科書、"魔法概説Ⅰ"を一通り読み終え、"魔法概説Ⅱ"に進む。
ルイズはなかなかの勉強家らしく、注意して読むべき場所にはアンダーラインが引かれていた。
そのためカールも要点を飲み込みやすく、スムーズに理解できたのだ。
新たな本を開くその段階で、彼はひとまずの推察をまとめていた。

ミッドチルダ式魔法が至上という考えが彼にあるわけではないが、この世界の魔法は未だ発展途上、というのがカールの見解だ。
体系化され四つ――正確には五つだが虚無は省く――の魔法に分類されるそれらは、どれも共通して呪文を唱えるというプロセスが必要なのだ。
これがミッドチルダ式であるならば、トリガーワードだけで済む。確かに呪文が必要となる魔法も存在するが、それは無詠唱では不可能な大魔法だけだ。

だがハルケギニアの魔法はどれもが詠唱を必要とする。
確かに研磨はされているのだろうが、強力かどうかと問われれば否と云わざるを得ないだろう。

その認識の他に、カールはハルケギニアの魔法――否、ハルケギニアに生きる魔導師たちは誰もが生まれながらに魔力変換資質の希少技能を持っているのだと解釈する。
いずれかの魔力変換資質が必ず発現する素質を誰もが持っているから、コモンマジックと呼ばれる魔法はあまり発達していないようだ。

魔力を形にし、弾丸として射出する。バインドを生み出す。シールドを生み出す。
そういったミッドチルダ式の基礎とも云える部分が、すっぽり抜けていた。
勿論、各系統に別れた射撃魔法、拘束魔法、防御魔法は存在している。

だが純粋に魔力だけを用いた魔法はどうやら存在していないようだ。
これは未熟と云うよりも、風土に適した形に魔法が発展したと考えるべきか。

古代ベルカが近接戦闘、ミッドチルダ式が遠距離戦という特性を帯びているように、世界の事情によって魔法は一定の方向性を持つ。
ここハルケギニアの場合は、変換資質ありきの魔法が発達してるということなのだろう。

それにしても、とカールは思う。
ある意味でハルケギニアの魔法はすごい。ぶっ飛んでるとすら云える。
ミッドチルダ式も古代ベルカ式も共通している点は、魔法がプログラムであるという点だ。
しかしハルケギニアは違う。
ロジックで組み立てたれた一種の科学なのではなく、イメージによって形作られる奇跡と云うべきか。

術式を組んで魔法を使うというミッドチルダ式に馴染んだカールでは、理解のできない魔法すら存在した。
例えば錬金。呪文を唱えた後に対象を変化させるイメージを持て――どうすれば良いんだ。結晶構造でもイメージすれば良いのか。
ミッドチルダ式魔法とはかけ離れた技術体系を目にして、カールは改めて自分が異世界に呼び出されたのだと理解した。

茹だってきた頭を休ませるべく、カールは溜息を吐きながら、いつの間にか前のめりになっていた身体を起こす。
そして、隣に座る少女へと視線を向けた。

ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。
正確にはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

自分を呼び出したこの少女は、これから何をさせるつもりなのだろうか。
教科書の記述を信じるならば、使い魔とはカールの知るミッドチルダ式のそれと同じような役割を果たすらしい。
使い魔。ミッドチルダ式であるならば、死んだ動物の死骸などを触媒にし、己の魔力資質を移植して生み出す人工生命体である。
しかしハルケギニア式魔法では、契約に同意した生物を従えて、主人と生涯を共にすると云う。性質としてはミッドチルダ式の召還師に近いだろう。
ハルケギニアの使い魔とミッドチルダ式の使い魔は、名前こそ一緒なもののまるで別物と捉えるべきだ。

……俺はルイズという召還師に呼び出された存在か。
左手の甲に刻まれたルーンを、そっと指でなぞる。

人を呼び出し従える、という点に関しては思うとことがあるものの、今はどうすることもできない。
教科書から読み取る限りコントラクトサーヴァントは一方通行の転送魔法らしいし、また、カールは時空管理局とコンタクトを取ることができない。
今の自分は状況に身を流すことしかできないのだ。

などと考えていると、鐘が鳴り授業が終了した。
これで午前の授業は終わる。これから昼食になるだろう。
また豪勢な食事だろうか、とカールが胃もたれを心配していると、カールたちの前に一人の少女が立った。

「ごきげんよう、ルイズ。
 隣の殿方、紹介して頂けないかしら?」

燃えるような赤毛に、健康的な褐色の肌。
ボタンの外されたブラウスの胸元は、豊かな膨らみが押し上げている。
男のサガとしてそちらを一瞥したあと、カールはルイズへと視線を向けた。

「ルイズ、この子は?」

「……紹介なんてする必要ないわ。
 さ、カール。昼食に行きましょう」



ふんだ、と鼻息荒くルイズは立ち上がると、教科書をまとめ出した。
が、赤毛の少女は男が見れば誰もが見惚れるような笑みを浮かべると、あらあら、と声を零す。
そうして彼女は腕を組み、露骨に胸を強調すると、カールに視線を流した。

「私はキュルケ・フォン・ツェルプストー。
 『微熱』のキュルケよ。ささやかに燃える情熱は微熱、ってね。
 あなたは?」

「カール・メルセデスだ」

そこまで云い、何か二つ名を名乗った方が良いのだろうか、などと思う。
そうしてカールは、ミッドチルダで自分へと送られていた二つ名を思い出す。
エースオブエース。高町なのはがそう呼ばれているように、カール・メルセデスにも呼ばれている通り名があるのだ。

「アベレージ・ワン。
 『均一』のカールとでも。よろしく、ええと……」

そこまで口にして、あー、と頭を抱えたい気分になった。
貴族。貴族。そういった相手に対する礼儀はさっぱり分からない。

「ミス・ツェルプストー」

「嫌だわ、そんな他人行儀に。遠慮なさらず、キュルケと呼んでもらっても結構よ?
 それにしても、変わった二つ名ね。
 名前から察するに――」

「いちいち律儀に返事しなくても良いでしょお!
 もう、行くわよ!」

「あ、ちょ……」

「あらルイズ、そんなムキにならなくても良いじゃないの。
 カールだって私とまだ話足りないみたいだし……あなたが強引に連れ去るのは、酷いんじゃない?」

「うるさい! あんたの趣味がなんだろうと好きにすれば良いけどね。
 それに私と、彼を巻き込んで欲しくないだけよ!」

ぷりぷりと怒りながら、ルイズはカールの手を取ってずんずんと歩き出した。
キュルケはその様子をさも可笑しそうに笑うと、またねミスタ、と声をかけてくる。

教室を出たことになり、ようやくルイズはカールの手を離した。
彼女に握られ、鬱血しかかった部分をさすぎながら、疑問に思ったことを口にする。

「あの子とは仲が悪いのか?」

「悪いも何も!
 ヴァリエール家とツェルプストー家の間には根深い因縁があるのよ!
 それにキュルケの奴、何かにつけて私をゼロ、ゼロってからかうし!
 何よ! 人の使い魔に色目使って!
 カールもあんな女に靡いたら駄目なんだからね!」

そこまで叫び、ズビシ、とルーズはカールに人差し指を突き付けた。
そうして我に返ったのか、カーッと顔を紅潮させた。

「……仲が悪いのは分かった」

「……うう」

行こうか、と止まった足を動かして、二人は食堂へと進み出す。

「そういえばルイズ。
 君は何か二つ名があるのか?」

「……え、えーっと」

キュルケとの会話でルイズの二つ名が気になったカールだったが、云われた瞬間、彼女は目を逸らした。

「それより! 私、あなたの『均一』って名前の由来が気になるわ!
 どういうことなの?」

露骨に話を逸らされた。
触れたら不味いんだろう、と察しつつ、カールはルイズの話に乗る。

「深い意味はないんだよ。
 全系統を均等に使える、ってだけさ。
 だからスクウェアと云っても、使えない大魔法があるし」 

「そう……えっと、均一なの? 得意な系統は?
 均一って云っても、最初に発現した系統ぐらいあるだろうし」

「強いて云えば、風かな」

憶測から、カールはそう口にした。
先の時間に教科書を読んだ際、風の強力な魔法としてライトニング・クラウドというものがあると知った。
ならば雷そのものを叩き落とす広域攻撃のサンダーレイジやサンダーフォールは、完全にそれの上位に位置するだろう。
天変地異を引き起こすレベルなので、威力そのものはヘクサゴンに指をかけているのだが。
ともあれ、もし疑われたならばそれを見せれば良い。そのつもりで、カールは説明した。

「風。風か。
 そっか。そういえばあなた、浮いて見せたものね。
 あはは、お母様と同じなのね!」

さきほどまでの不機嫌はどこに行ったのか、ルイズはスキップでも始めそうな様子でカールの一歩先を進んだ。
そして後ろ手を組むと、日向のような笑みを浮かべながら、彼女は振り返る。

「ねぇカール、お願いがあるの。
 私に魔法を教えてくれない?
 えっと、そのね? 私、ちょっと人よりも魔法が下手で……。
 でも、あなたに教えてもらったら、きっと使えるようになると思うの!」

元々が可愛らしいと充分に云えるルイズが、満開となった華のように笑みを浮かべれば、誰もが魅了されるほどの可憐さを引き出せる。
カールもまた、そんな彼女を可愛らしいと思ったが、

「だから――」

「ごめん。それはできない」

「……えっ?」

瞬間、ルイズの笑顔が凍り付いた。
笑顔の形のまま凍結し、次いで、それは引きつる。

「えっと、どうして?」

「俺は、俺の魔法を他人に教えたくはない」

「え、でも……ほ、ほら、カールは家庭教師をしてたって云ってたじゃない?
 だから、ね? 私もあなたに教えてもらいたいな、って」

「俺が教えていたのは、メイジとしての戦い方。
 要するに戦術だね。それだけだ。魔法の扱いそのものは、授業で学んだ方が良い」

カールが云うことは、すべて真実である。
教導官として戦術を教えていたというのは本当だし、また、ルイズにカールの知る魔法――ミッドチルダ式の魔法を教えるつもりがないこともまた、事実である。
今は管理局と連絡が取れない状況にあるが、もし復旧した場合、ルイズにミッドチルダ式魔法を教えたとバレたら自分が罰せられてしまう。
そう。管理外世界に魔法技術を残すことは管理局法に抵触するのだ。
これもまた場合に寄りけりであるものの、カールの置かれた境遇は危機的状況と云うべきかどうか微妙なところだった。

転送魔法で本局に行けないことも何もかも、次元震が本局の近辺で起こっているからという可能性もあり得るのだ。
そのため自分がいくら転送魔法を使用しても入力した通りの座標に飛べなかった――と。
……だが、次元震が発生したのならカールでも異変に気付く。
そして、転送魔法で出た次元空間では、次元震の痕跡がまったく見えなかった。

……イレギュラーなのか、違うのか。
どちらとも断言できないのだ。

カールの事情を知らないルイズは、笑みを崩して愕然とする。
そうして、彼女が次に浮かべたのは、怒りだった。

「――ッ、なんでよ!」

ダン! と石造りの床を踏みしめながら、ルイズは吠えた。
瞳には涙すら浮かんでいる。何故か、そんな彼女の様子に罪悪感が湧いた。
まだ会ってそう時間も経っていない少女に対して罪悪感とは、変な話だ。そう、カールは思う。

「良いじゃない! あなたは、私の使い魔なのよ!?
 だったらご主人様の役に立つことぐらいしなさいよ!
 貴族でもない癖に、何よ! 何よ! 何よっ!
 私が教えろって云ってるのに、どうして頷かないのよ!」

「……駄目なんだ」

「ふざけないで!
 あなただってメイジなら、使い魔の義務ぐらい知ってるでしょ!?
 前はどんなことをしていたか分からないけど、今のあなたは私の使い魔なの!
 だから云うことを聞きなさい!」

「無理だ」

「~~~~ッ、じゃあ良いわよ!」

お昼は抜きなんだから! と捨て台詞を残し、ルイズは走り去ってしまった。
一人残されたカールは、溜息を吐くと手に持った本を一瞥してから、おそらく外に通じるであろう通路へと歩き出した。




















「『ウインド』!」

スペルと唱えると同時に放たれたのは、やはり風ではなく爆発だった。
宙で起こった爆発を親の敵のように睨みながら、ルイズは再びウインドの呪文を詠唱する。
が、やはり放たれたのは爆発だった。

顔を真っ赤に染め、彼女は息を荒げつつ肩を上下させる。
今は放課後だった。授業をすべて終えたルイズは、一人で庭に立ち、魔法の練習をしているのだ。
彼女が唱えているのは風の魔法――唯一カールから得ることのできたヒントを元に、藁にも縋る気分で淡々と呪文を詠唱しているのだ。

だというのに一度も魔法は成功しない。
呪文は完璧。イメージだってしている。風の系統に関しては、幼い頃に母から散々叩き込まれたので間違えるはずがない。
それでもやはり、子供の頃と同じく、ルイズは魔法を発動させることができなかった。

何をしても、唱えても爆発。今も昔も変わらない。
どうしてなの、とルイズは目に浮かんだ涙を手で拭った。
悲しさはあるものの、今のルイズを満たしているのは怒りだった。

半分はカールに。そしてもう半分は、魔法の一つも成功させられない自分自身に。
魔法を教えないというカールの態度に怒りを感じるものの、やはり感情の矛先は自分だ。
どうして魔法が使えないのか。いや、成功はした。サモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァントは。
もう自分は『ゼロ』じゃない――なのに、どうして。

努力はしてる。魔法に理解が足りないんじゃないかと座学だって人一倍熱心に取り組んでいる。
なのに、魔法は一向に発動しない。
与えられた鍵である風系統だって、何一つ。


落ち零れのルイズ。『ゼロ』のルイズ。
公爵家に生まれたからこそ育まれたプライドに、それは痛く響いた。



やるべきことはやった。そのはずだ。

杖が悪いんじゃないかと取り替えたことは何度もあるし、滑舌が悪いのかと矯正したこともある。
姉に頼んでアカデミーの魔法に関するレポートを読み理解を深めようとしたし、イメージが悪いのかもしれないと色んな人に意見を聞いて回った。
学生の身分で唱えることが許される魔法はそれこそ各百回は口にしただろうし、喉が裂けるほどに呪文を唱え続けたこともあった。

……結果、巻き起こる爆発と、それに対する嘲笑に耐えながら。

何一つ上手くいかない。意味が分からない。
そんな人生に投げ込まれた一縷の望みすら、伸ばした手をはね除けられた。

何もない。そう、何もないのだ。

『ゼロ』のルイズ。その名に相応しいかのように、希望の一つすら見えない。
それでも良い。努力し続けてやる。
意図的に視野を狭めて雑音を排除し学生として頑張ってきたが、カールという存在が現れたことで、気付かないようにしていた事実に思いを馳せてしまう。

……何をしても、どうにもならない。
分かっている。ルイズは子供だが、それでも現実を否定して絵空事を信じられるほどおめでたくはないのだ。

貴族はメイジだが、メイジが貴族なのではない。
なら――メイジではない貴族の自分は、なんなのだろう。

「誰か……助けてよ」

成功した二つの魔法。自分が魔法を使えた証拠としてカールがいるのだとしても、やはり駄目だ。
何百、何千と唱えた呪文の中で成功したのが二回? そんなのはメイジでもなんでもない。

「助けて……」

杖を取り落としながら呟かれた言葉。
それに対する優しい言葉は――

やはり、訪れなかった。






















ルイズが失意に濡れているころ、同じように失意に暮れている人物がいた。
カール・メルセデス。ミッドチルダの魔導師である彼は、群青の輝きと共に転送魔法を終え、姿を現した。
その表情は暗い。当然だ。ルイズと別れてから再び彼は元の世界に帰ろうとしたが、やはり転移先はどこも彼の見たことのない場所だった。
そして、次元航行艦との連絡と一切取れない。次元震が起こっている様子もない。

……元の世界に帰る術は、ない。

再び絶望を確認した彼は、深々と息を吐き出した。
混乱を怒りに乗せて八つ当たりをしない分、彼はまともなのかもしれない。
教導官として培った経験……否、ストライカーとして培った経験の賜物だろうか。
いついかなる時でも、エースは取り乱してはならない。何故ならそれは、自分を信頼する魔導師たちに不安が伝播してしまうからだ。

「俺は……この世界で生きるしかないのか?」

戸惑いと共に、彼は小さく呟いた。
遙か上空で彼の声を聞く者はいない。
即座に風が浚った言葉は虚しく消え去り、カールは右手のデバイス、カブリオレを握り締めた。

そんなことは許せない。帰りたい。
まだ高町なのはに勝ってない。気持ちも伝えてないのに、こんな世界で朽ちるなんて我慢がならない。
あの女性に勝つために、自分はずっと力と技を磨き続けていたのに――

「くそ……」

ギリとカブリオレが軋みを上げ、彼の足下にミッドチルダ式魔法陣が展開する。
そうしてカールは歯を食い縛ると、苛立ちを乗せ、デバイスを構えた。

「畜生……!」

瞬間、集束した魔力が巨大なスフィアを形成し、怒りと共に虚空を薙ぎ払う。
カール自身は気付かなかったが、彼の左手に刻まれたルーンは、強い失意によって眩い光を放っていた。
群青色の輝きは強大で、伴った轟音が示す通りに、鮮烈な光を放った。


























「ふむ」

遠見の鏡でカールの動向を見ていたオールド・オスマンは、その長い髭を撫でながら目を細めた。
ルイズの呼び出した使い魔。それが人であったことは、昨晩の内にコルベールから報告を受けている。
そして彼がメイジであったことを今日の内に教師から――授業の前に浮いて見せたことが原因だ――を聞き、こうして彼が何をするのか見張っていたのだ。

ルイズの使い魔とはいえ、彼がメイジであることに変わりはない。
貴族ではないにしても魔法を使える不審人物が学園にいるとなれば、流石の彼も無視することはできなかった。
このトリステイン魔法学院は大貴族の子弟が通う学校である。守りこそ堅いものの、内側に潜り込まれれば酷く脆い。
なんせ、人質にできる立場のガキが山のように揃っているのだから。

それを警戒しオールド・オスマンはカールを眺め――彼は一体何者なのだろうか。
そんな疑問が湧き上がってくる。

フライではとても上がれない高度まで空を駆け、足下に妙な光の陣を敷いたかと思えば姿を消す。
そして戻ってきたと思えば、怒りと共に見たこともない攻撃魔法を撃ち放った。
魔法の練習というわけではないだろう。オールド・オスマンは、彼の唇の形からそれを読み取っていた。

「この世界で生きるしかない……とな?
 これはまた奇っ怪な。独り言にしては少々おかしな話じゃて。
 それに――」

彼が身に着けているプレートメイルと、手に握った長杖。
それがオールド・オスマンの古い記憶を呼び覚ますのだ。
ワインバーンを撃退し、命を救ってくれた恩人の姿を――

「……どれ、宝物庫から"光の杖"を取ってくるとするかのう。
 彼にそれを見せて、どんな反応をするのか楽しみじゃ。
 あー、ミス・ロングビル!」

「はい、なんですか?」

オールド・オスマンが声を上げると、ロングビルは書類に向けていた顔を上げた。

「宝物庫までちょいと出てくるわい。
 君はミス・ヴァリエールのところまで行って、彼女の使い魔くんにここへくるよう伝えてくれんか」

「分かりました。
 ……ところで、オールド・オスマン」

「なんじゃ?」

「"光の杖"とは、一体なんなのですか?」

どこか妖艶ささえ浮かんだ笑みで、ロングビルはオールド・オスマンに問いかける。
彼は好色そうな笑みを浮かべながらも、どこか子供のように語った。

「恩人の形見、マジック・アイテムじゃよ。
 使い方はよーわからんのだが、昔、ワイバーンを撃退したときには杖の先から目を焼きそうなほどに眩い光を放ってなぁ」

「へぇ……では遠見の鏡に映っていた彼ならば、その使い方が分かると?」

「おそらくのぅ。彼が使っている杖は、恩人のものとそっくりじゃ」

「そうですか」

オールド・オスマンは年甲斐もなく、恩人の故郷について何か分かるかも知れないと心を躍らせていた。
だからだろう。ロングビルの口元が、三日月のように歪んだことに、彼は気付かなかった。





















おまけ

――カール・メルセデス十四歳

厨二病全盛期である彼は邪気眼ではなかったものの、相応に痛々しいガキであった。
当時の彼は既に魔導師ランクがSに達しており、気分としては向かうところ敵なし状態。
自分より上のランクが存在すると分かっていたものの、この歳でSランクの奴なんて早々いねーよ、すげーだろ、と井の中の蛙ライフを満喫していたのである。

階級も三等空尉に上がり、人生初の彼女もでき、我が世の春がきたー! と云わんばかりの彼。
そんな状態のところに更なる吉報が舞い込んだ。
それは戦技披露会への誘いである。若いエースであるメルセデスに、露出の機会が回ってきたのであった。
天狗になっていたメルセデスは一も二もなく頷いて、早速戦技披露会の選考会へ。
彼女にはもう俺戦技披露会に出るんだーと、伝えちゃってあったりする。
そこからも分かるとおり、メルセデスにはまるで負ける気というものがなかった。

が――

カール・メルセデス、一次選考にて落選。

ちなみにカールと共に選考を受けたのは、高町なのはだった。

「か、可憐だ……!」

自分に自信があった分それを打ち破った高町なのはの存在はカールの胸に強く刻まれる。
刻まれた上で、彼女の容姿はカールのストライクゾーンど真ん中をディバインバスターしてた。
カール、彼女がいることも忘れその場で熱烈なアプローチを開始するも、鈍感ななのはさんマジパねぇっす。
じゃあお友達からー、なのはさんで良いよー、と割と好感触な返事こそあったものの、欠片も意識されてないことに気付きカールは男泣きに泣いた。

男泣きに泣いた後、彼は一つの決意をする。

「いらない……! もう何もいらない……!」

彼女と速攻で別れ、最近サボっていた魔法の練習を再開するカール。
目指すは戦技教導隊。そしてストライカーの称号。同じ階級。
自分が年下であることはもう覆せない。であれば、他の部分を限りなく彼女と同じ位に近付け、ガキと見られないよう自らを高めるしかない――!

……この出来事から四年間。
ハムスターがカラカラ回す車輪のような人生が、始まる。






[20520] 2話
Name: 村八◆24295b93 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/07/29 01:01

ランプによって照らされる薄闇の中に、三つの人影が浮かんでいた。
その内の一人――オールド・オスマンは執務机に座り、入出してきた二人へと視線を注いでいる。
カールと、彼をこの場へと案内したロングビルは、オスマンが口を開くのを待つように、口を開かない。

「ようこそ。初めましてじゃな。
 ここの学院長をしておる、オールド・オスマンじゃ」

「初めまして。
 カール・メルセデスです」

「そうか。では、カールくんと呼ばせてもらおう。
 そちらの女性はミス・ロングビル……もうお互い、自己紹介は済ませているのかね?」

「はい」

「そうか。それは良かった」

椅子に背を預けながら、好々爺とした笑みをオスマンは浮かべる。
彼はまだカールという人間の評価を下したわけではないが、それでも、おそらく恩人と同郷の者とあらば悪感情を抱くことはできない。
ロジックではなく、感情として。看護の甲斐無く恩人を殺してしまったことは、微かな罪悪感としてオスマンの胸に残り続けているのだ。

……カール・メルセデス。
プレートメイル姿に、光の杖。その上、プレートメイルを脱いだ姿まで似ている。
オスマンを救った人物はカールとは違い青を基調とした服をきていた。カールは白である。
それはもしかしたら身分の違いを表しているのかも、と思いつつ、オスマンはロングビルに視線を流した。

「ミス。申し訳ないが、彼と二人っきりにしてくれんかのう。
 少し込み入った話になりそうなんじゃ」

「分かりました」

一礼し、ロングビルは退室した。
扉が音を立てて閉められると、再びオスマンはカールへと視線を向ける。
緊張しているのか、こちらの出方を伺っているのか。
彼の表情には軽い警戒が滲んでいた。
見たところ年齢は二十歳前後といったところか。だからだろう。警戒の色を消し去るほどにまで、彼は芝居が得意ではないらしい。
だが、発せられている微かなプレッシャーからオスマンは戦場の匂いを感じ取る。
歴戦の猛者と呼ばれる者たちが放つそれと同種のものを、カールはまとっていた。

「おぬしを呼んだのは他でもない。
 ここの学園の責任者として、身元不明のメイジを放置するわけにはいかなかったのじゃ」

「でしょうね。当然のことだと思います」

「ただの平民だったら違ったのじゃが、流石にメイジとなればのう。
 我が学園に通ってるクソ餓鬼共は、貴族の、大袈裟な云い方をするならトリステインのアキレス腱じゃ。
 万が一を考えたら、おぬしを放置するわけにもいかん。
 して、カールくん。まずは聞きたい。君の出身は、どこの国かね?」

「……トリステインです。田舎の方の」

「ほう。田舎とな。
 どちらの方かね?」

「……海辺、でした。
 すみません、地理には少し疎いんです」

「そうか、そうか」

苦し紛れに向けられた答えに、オスマンは苦笑する。
悪戯心がむくむくと湧き上がってくるがそれを抑え付けて、机に立てかけてある布袋を手に取った。

「ところでな、カールくん。
 私は遠見の鏡というマジックアイテムを持っているのじゃ。
 それで、今日一日君の行動を監視させてもらった。
 いやぁ、かなりの風の使い手のようじゃな。あの高度まで上がるのは、ドラゴンにでも跨らなければ無理じゃよ」

オスマンの言葉にカールは顔を引きつらせ、目を逸らしながら口を開いた。

「……ええ。一応、スクウェアクラスなので」

「ぷぷ……いや、すまん。もう芝居はええわい」

このまま続けたら腸捻転になりそうだ。
オスマンは持ち上げた布袋から、一本の杖と抜き出して、それを机の上へと置いた。
それを目にして、カールの目の色が変わる。

「それは……!?」

「ふむ。おぬしが使っていた杖と、良く似てるのう」

カールはオスマンの執務机に近付くと、杖へと指を這わせた。
そうしてぶつぶつと、古い、壊れてるかも、リカバリーは、など口にする。

オスマンが机に杖は、彼が口にしたようにボロボロだった。
塗装は所々剥げ落ち、ロッドの先端にある宝玉には亀裂が走っている。
宝玉を挟み込むように伸びた金色の爪は半ばでへし折れ、ひび割れていた。

カールが光の杖を凝視しているのを見ながら、オスマンは過去を回想しつつ言葉を零す。

「これの持ち主は、三十年前に私をワイバーンから助けてくれた男じゃ。
 森の散策中、まさか幻獣に襲われるとは思わなくてのう。
 大口を開けてワイバーンが迫り、もう駄目かと思ったとき……光が、ワイバーンを横殴りに吹っ飛ばしたんじゃよ。
 驚きながらも見てみれば、その先には大怪我をした男がいた」

「デバイス……これの持ち主は?」

「……死んだよ。
 手厚く看護したんじゃがな……」

オスマンの口から死んだことを告げると、カールは音がするほどに歯を噛み締めた。
彼が何を思っているのか。それを想像しながら、オスマンは話を続ける。

「さて、その話と絡めてじゃ、カールくん。
 おぬしに一つ聞きたい」

「なんですか?」

「光の杖の持ち主はな、今際の時、うわごとのように言い続けていたんじゃ。
 『元の世界に帰りたい』とな。……のう、カールくん。元の世界とは、どういうことじゃ?
 おぬしが口にした、この世界で生きるしかない……ということと関係あるのかの?」

「……それは」

カールは視線を流した。そして僅かな葛藤を経て、オスマンと目を合わせてくる。

「……信じてもらえないかもしれませんが。
 僕と、そしてあなたを助けた人物は、この世界の人間ではありません。
 ええっと、"この世界"という概念は、分かりますか?」

「ここではないどこか、としか理解できん」

オスマンが口にした通り、彼には次元世界という概念がさっぱり分からない。
だが、それも当然だろう。そもそもハルケギニアには、宇宙の概念すら存在しないのだ。
いや、存在だけならするのかもしれないが、論理的に解明されたと云えるレベルではない。

なので、あくまで感性の域を出ない。
しかし、カールはそれで良いと、頷いた。

「それで構いません。
 なんだったら、大地の裏側には自分たちの知らない民族が住んでいて、俺たちはそこの人間とでも思ってもらえれば良い」

「取り敢えず、我々の常識外、まだ発見すらしていない土地の者たち、という認識かの?」

「ですね。発想が柔らかくて助かります」

心底安心したように、カールは苦笑した。
それもそうだろう。
話を聞く人物によっては、カールの話を有り得ないと断言し、最初から聞く耳を持たない可能性すらあり得る。
オスマンだってそうなる可能性はあった。
それでもカールの話を信じるのは、恩人の形見と、カールが使った見たこともない魔法が根拠になっている。

「あの、オスマンさん」

「なんじゃ?」

「このデバ……杖を持った人は、どうやってこの世界にやってきたんですか?」

「すまん。調べてはみたが、さっぱり分からんのじゃ。
 そもそも私が彼を見付けたのは、ワイバーンを撃退した時じゃからのう」

「……そう、ですか」

「今更の質問じゃが、帰ることはできんのか?」

「はい。独力で可能な手段を尽くしてみましたが、成果はありませんでした」

「成る程。それ故に、この世界で生きるしかないのか……ということか」

「ええ」

「ううむ……申し訳ないことをしてしまったのう。
 事故のようなものとは云え、おぬしを見知らぬ土地に引き込んでしまったのは事実。
 学園の責任者として、できることはさせてもらおう」

オスマンがそう云うと、カールは眉根を寄せた。
当たり前だ。初対面の人間が、負う必要もない責任を背負うと云うのだから。

カールはあくまで異邦人である。
ルイズがサモン・サーヴァントで貴族を呼び出したとあればオスマンが責任を取ってしかるべきなのだが、カールは違う。
責任を取る必要がないのだ。これは平民を呼び出した場合にも通用する。
謝罪は贖罪は、犯した過ちを軽減するために行うことである。
もしルイズが貴族を呼び出し、呼び出された貴族が学園に責任追及をしようものならば厄介なことになる。
だが、カールにはそれができない。いや、できることはできるのだが、彼が騒いだところで何にもならない。
異邦人である彼は、この世界ではなんの権利も持っていないのだ。

どうやらカールは、それに気付いているようだ。
聡いのか、それとも経験則か。
まったくの推測だが、別の世界、という概念を持ち出すほどだ。
彼らは未知の文明に触れることがそう珍しくないのだろう。

なので、自分たちの常識や権利が他の世界で通用しないことを当たり前のように知っているのだろう。

ほほ、とオスマンは笑う。

「何、そう怪しまないで欲しい。
 恩人に返せなかった借りを、おぬしに返すだけじゃ。
 おそらく彼も、そうした方が喜んでくれるじゃろ」

「……ありがとうございます。
 お礼、ってわけじゃありませんが、この壊れかけた杖、直しましょうか?」

「ん、直せるのか?」

「はい」

そう云ってカールは光の杖を手に取ると、そっと、ヘッドの宝玉に触れた。
瞬間、まるで水が染み渡るように明かりが宝玉へと灯る。
そうして、リカバリー、と彼が呟くと同時、ボロボロだった杖が一瞬で元に戻った。
ただ一点、宝玉のひび割れだけは修復できなかったが。

「自己修復機能をオンにしておきました。
 時間が経てば、デバイスコア……宝玉の傷も塞がりますよ」

「不思議な魔法を使うのう」

オスマンは光の杖を手に取ると、光沢を放つロッドに指を這わせた。
まるで新品同様だ。宝玉の痛々しいひび割れだけはそのままだが、カールの言葉を信じるならば、それも塞がるという。
本当に、不思議だ。

むくむくと知的好奇心が湧き上がってくる。
見知らぬ魔法。見知らぬ世界。
オスマンがマジックアイテムを蒐集している理由は、すべてが未知であるからだ。
もう見知ったものには興味はない。老い先短い私に、未知を見せてくれ――と。
そのため、目の前に舞い降りた未知の塊であるカールに多大な興味を抱いてしまうのだ。
恩人への感謝が、微かにそれを後押ししている。

ほほ、と笑いながら、オスマンは机の中からワインとグラスを二つ取り出す。
それを机に置くと、ずっと立ち続けていたカールに椅子を勧めた。

「どうじゃな、付き合ってくれんか?
 おぬしの世界、おぬしの魔法。それを肴に。
 駄賃としては悪くないぞ? タルブ産のワインは、なかなかの味――」

「大変ですぞ、オールド・オスマン!」

「……なんじゃ」

鬱陶しいこっぱげがきた、とオスマンは扉へと視線を注いだ。
そこには頭をはげ上がらせた中年男性が、肩で息をしている。
彼はずかずかと部屋に上がり込んでくると、興奮したままに声を張り上げる。

「宝物庫が、宝物庫が襲われたんです!」

「はん。並のメイジがいくら宝物庫を襲おうと、鉄壁の――」

「鍵が、開いてたんですよ!」

「……ひょ?」

え、何ソレ。そんな風にオスマンは首を傾げた。
鍵が開いていた。それはどういうことだろう。

Q.最後に宝物庫に入ったのは誰でしょうか?
A.私です。

「鍵はしっかりかけた! そのはずじゃ!
 そのはず! 多分! きっと! おそらく!」

「……クソジジイ、原因はあんたかよ」

「カーッ! 責任の所在はどうでもええわい!
 被害はどうなっとる!」

「持ち出せる大きさのものは根こそぎやられました!
 終いにはこれですよ!」

ダン、とコルベールがオスマンの机へと一枚の紙を叩き付ける。

『お宝を色々と領収しました。
 土くれのフーケ』

「舐めきってます! 我々を舐め腐ってます! 特に色々の部分とか!
 目録を書くの面倒くさがってます!」

「落ち着かんか!
 うっひょー、けど落ち着いてもどうにもならんわー!」

慌てふためく二人を見ながら、カールは居心地の悪さを感じた。
自分のせいで、と考えるほど殊勝な精神は持っていないし、自意識過剰ではないものの、オスマンが宝物庫を開いた切っ掛けが"光の杖"を持ち出したことというので、微かな罪悪感が生まれる。
盗賊が盗みを働いて、まだ時間が経っていないのならば、自分の力を貸すことで捕まえることができるかもしれないが――

「……あの、オスマンさん」

「なんじゃ!?」

ザ・この世の終わりといった顔をしたオスマンと、テンパりすぎて茹で蛸のように真っ赤になったコルベールの二人がじっとカールに視線を注ぐ。

「一つ、質問をさせてください。
 "光の杖"のようなマジック・アイテムが、盗まれたものの中には存在しますか」

「分からん! 確認してみんとなんとも云えん!」

「ですか」

ならば、とカールは頷く。
管理外世界の出来事にミッドチルダ式の魔法をもって干渉することは固く禁じられているが、そう――
もし奪われたマジック・アイテムの中に管理世界に関係するもの、例えばロストロギアのようなものがあるのならば局員として回収しなければならない。
そして、何を盗まれたのか分からない、盗まれた物を確認していたら逃げられるかもしれない状況であるならば。

局員として一応の筋は通っているだろうと苦笑し、カールは胸元からカードを取り出した。

「なんだかお困りのご様子ですね。
 俺にできることなら、お手伝いしますよ」





















月のトライアングル


















「さて、お仕事を始めますか」

トリステイン魔法学院上空。
学院の建つ敷地を一望でき、かつ、一面に広がる草原を見渡せる場所にカール・メルセデスはいた。

デバイスのセットアップを完了させた彼は、術式を構築しながら、オスマンと打ち合わせた段取りを思い出す。
土くれのフーケなる盗賊が確認されたのは今から20分前。
その間、学園から出た者はなし。空を飛んだ者もなし。そのためフーケは未だ学園の中に潜伏しているか、馬を使わず徒歩で外に出たと予想される。
徒歩で外に出たのならば、まだそう遠くには出ていないだろう。

ならば――

「封鎖結界」

カールの足下にミッドチルダ式魔法陣が展開されると同時、群青色の光が一気に膨れあがった。
それは即座に学園を包み込み、塀と四つの塔を包み、学園を中心として半径三キロまでを封鎖する。
それを確認したカールは、次にワイドエリアサーチを展開した。

彼がトリガーワードを呟くと同時、十の群青色に輝くスフィアが生まれ、方々に散ってゆく。

学園の敷地外に四つ、敷地内に六つ。
学園では今、生徒と教師を含めた全員がアルヴィーズの食堂へと集まっている。一人の例外もなく。
そのため、アルヴィーズの食堂以外で人影を見付けたら、フーケである可能性が高い――ということだ。

くるくると右手でカブリオレを回しながら、それにしても、とカールは思う。

ついつい買って出たフーケの炙り出しだが、まぁ、これは良い。
様子から見て背に腹は代えられない状況のようだったので、この一件はオスマンに対し大きな貸しにできるだろう。
貸しという明確な形でなくとも、イメージアップは計れるはずだ。
あくまでカールの主観だが、オスマンは恩人と同郷の人間を発見し、かつ、異世界への知的好奇心からカールを悪い風に見ていない。
おそらく、フーケが現れなければ気分良く飲めていただろうワインも、彼が善意から用意してくれたものなのだろう。

ミッドチルダに帰ることができず、次元航行部隊とも連絡が取れない今、オスマンという命綱を離すわけにはいかない。
ルイズはもうかなり怪しい。カールの扱う魔法がミッドチルダ式魔法である以上、彼女にそれを教えることはできない。
が、ルイズが望んでいるのは魔法の教授だ。その是非は、おそらくカールの待遇と直結している。昼飯を抜かれたのがその証拠だ。

「……夕食も食べてないんだよな。
 これが終わったら、オスマンさんに頼もう」

思い出したら腹がキリキリしてきたため、カールはエリアサーチの解析に意識を向けた。
分割に分割を重ねたマルチタスクでエリアサーチを制御しているため、考え事をしながらでもフーケを見逃すようなことはない。
だが、少しでも効率を上げるため、カールは戦意を高めながら両手でカブリオレを握り締めた。

瞬間、妙な高揚感がカールを包み込む。
別に劇的ではない。微かに鼓動が高鳴った感覚と共に、エリアサーチの捜査速度がやや上昇したのだ。
一体何が――と思うと、ふと、淡く輝く左手のルーンが目に入る。

平時は単なるタトゥーのようだったそれは今、薄ぼんやりと光を放っている。

まず間違いなくルーンが何かしらの効果を発揮しているのだろうが、未知の魔法に対する不信感から、カールは右手だけでカブリオレを保持する。
それでも高揚感は消えたりしない。だが左手でカブリオレを握ることに対して抵抗があるため、彼は右手のみでデバイスを保持する。

今はこうするしかない。後で封印するなり、オスマンに調べて貰うなりするとしよう。
そうしてエリアサーチの制御に集中し――ふと、中庭に人影を発見した。
何をしているのだろうか。その影はしきりに地面を気にしながら、脚で土を馴らしている。
フードを被ったその人物は、胸を撫で下ろすと顔を上げた。
そうしてフードを取り去り、中から豊かな翠の髪がこぼれ落ちる。

……ミス・ロングビル、だったか?

ついさっき自己紹介を交わしたばかりだったが、オスマンとの会話が濃すぎたせいで忘れつつあった。
さて。学院長の秘書である彼女だが、学院に勤める、通う者たちが一カ所に集まっている今、中庭で動いているのはどういうことだろうか。
どうやらオスマンの言葉にはそれなりの威力があるらしく、ロングビル以外の人影がエリアサーチに引っかかることはなかった。

なのでロングビルの怪しさはこの時点で振り切れているのだが、さて、どうしたものだろうか。
サーチアンドデストロイとばかりに砲撃魔法を非殺傷で叩き込むのは楽勝だが、そもそもカールに任されたのは犯人の発見、索敵である。
そもそも戦う必要はないのだが、媚びは売っておいて損はないだろう。

どうしたもんかと、カールは手の中でカブリオレを回し――片手だけでの扱いづらさから、モードチェンジを命じた。

「カブリオレ、ワンドフォーム」

命じた瞬間、長杖型――ロッドフォームだったカブリオレは、その身を縮めた。
変化したのはロッドの長さだけではなく、ヘッドもだ。
デバイスコアを挟み込むかぎ爪のような形だった金色のヘッドは消失し、デバイスコアを守るガードが新たに装着された。
ワンドフォームもまた、一般管理局員が使う片手杖型のデバイスとまったく同じ外見である。

ただ、やはりカートリッジシステムが搭載されていることと――長杖から片手杖への変形機構を汎用のデバイスは備えていないことが違いとしてあがる。
本来ならば片手杖型と長杖型は別物のデバイスなのだ。カールはそれを、一機のデバイスで再現できるようにしていた。

ワンドフォームとなったデバイスを、カールは握り締める。
ロッドの部分はそう長くはない。五十センチほどで、その先端にデバイスコアが鎮座していた。

握りを確かめ終えると、カールは地上へと下降する。
そうして一気に中庭へ降り立つと、さも今気付いたようにロングビルへと声をかけた。

「おや、ミス・ロングビル。どうしたんですか?」

「――え?」

「今、学院は職員も生徒も食堂に集まるよう指示が出てますよ?
 なんでも盗賊が宝物庫からマジックアイテムを盗んだとか……」

「ええ、らしいですね。
 ですから私も、見回りをと……」

「ああ、大丈夫ですよ。俺が魔法を使って、学院内を探知してますから。
 それに学院を魔法で外とも隔離しましたし。あとはフーケを炙り出すだけです。
 さ、ロングビルは食堂の方へ……」

「……学院を封鎖しているのは、あなたの魔法なんですか?」

ロングビルの声に微かな怯えが走ったことを、カールは見逃さなかった。
垂らした釣り針を泳がしながらも、露骨にならないよう気を配りながら、カールはロングビルを安心させるように笑みを浮かべた。
もっとも、彼女がフーケであるならば忌々しいことこの上ない笑みだろうが。

「ええ、そうです。
 こういった魔法が得意で。ロングビルが中庭にいることも、魔法で探知したんですよ」

「へぇ……それは、光の杖の力なんですか?」

「へ?」

「学院長がおっしゃってたんですよ。
 光の杖は見たこともない魔法を放つ、と。
 だから学園を封鎖するのも、私も見付けたのも、光の杖の力なのかな、と」

「んー……まぁ、そうですね」

そう応えた瞬間、ロングビルはすっと身を寄せてきた。
意識していなかった上にいきなり近寄られたことで、カールはテンパる。
二の腕に当たった柔らかな感触や、髪から漂う香水の香りが――

「はっはー! 光の杖は頂いたよ!
 さあ、命が惜しかったらこれの使い方をアタシに教えな!」

「……うん、知ってた。
 女ってすごい変わり身早いからね」

いつの間にかもぎ取られ、フリーハンドになった右手をにぎにぎしながらカールは溜息を吐く。
振り返れば、そこにはいつの間にか人の背ほどの――否、こうしている間にも巨大化してゆく。
カールが放置していると地面から生み出された土人形はあっという間に三十メートルほどまで膨れあがった。
そしてそれが打ち止めなのだろう。
ロングビル――否、フーケはゴーレムの肩に乗ると、カブリオレを翳しながら嘲笑を向けてくる。

「ほら、早く云いな! 死にたいの!?
 あなたがいくらスクウェアクラスのメイジだろうと、杖がなくちゃ何もできない!
 ゴーレムに踏み潰されたらどうなるかぐらい、分かるでしょう!?」

学院に閉じこめられたせいなのか、フーケの声はどこか焦れていた。
それを聞き流しながら、カールは目の前にいるゴーレムの脚にぺちぺちと触れる。
なるほど。確かに土そのものは脆いかもしれないが、人の形を作り生じた自重で密度を上げ、ゴーレムを強固にしているのか。
媒介が土ならば、大地が広がっていればどこでも形成可能――良くできてる。

「――ブレイクインパルス」

カールがトリガーワードを口にすると同時、フーケのゴーレムが粉々に――土は更に細かく粉砕され、一瞬で崩れ落ちた。
その際、カールはバックステップを刻み、五メートルほどを跳躍していた。

そして着地と同時にリングバインドとクロスファイアを構築。
このまま――と思った瞬間、地面が隆起してカールの身体を拘束した。
身体に巻き付く土を見て、カールは舌打ちをする。これは土系統のアース・ハンドだったか。
動きを止められた瞬間、更に、地面が剣山のように盛り上がりカールへと殺到する――!

「……余計なことをするからだよ。
 こちとら余裕のある状況じゃないんだ。
 あんたに戦うつもりがあるんなら、殺らせてもらうさ」

ゴーレムの残骸である土のくれの山から這い出るフーケは、どこか言い訳がましく呟いた。
特に返事を期待していたわけではないのだが、

「……そうだね。そのつもりはなかったけれど、どこかで舐めてたのかもしれない。
 心に刻むよ。もう二度と慢心はしないってね」

「……は?」

確実に殺したと思った男の声が聞こえてきたため、フーケは杖を構えながら土煙の中で目を凝らした。
アースハンドは確かに相手を拘束しているし、土のマジックアローは確かにカールを貫いたはずだ。
いや、相手を貫いた瞬間は目にしていないが――

「そうか、偏在……!」

この時になってカールが風のスクウェアであることを思い出し、敵を牽制する意味でフーケはそう叫んだ。
だが、違う。じっと目を凝らすことで、フーケはカールが何をしているのか確認することがようやくできた。

アースハンドはやはりカールを拘束している。
だが、マジックアローの方は何か――そう、光の壁によって防がれていた。
瞬間、カールの身体を群青色の光が覆った。強化魔法により身体能力を上昇させ――腕を一振りし、土の縛めを粉砕した。

カールが復活したのを目にしたフーケの動きは速かった。流石に盗賊のスキルとして、引き際の見極めができているのだろう。
"光の杖"を抱きかかえ、彼女はそのまま駆け去ろうと――

「――バレルショット」

カールが呟いた瞬間、不可視の衝撃波が吹き荒び、背中を見せたフーケは空中で張り付けにされた。

「な……なんだってんだい!」

カールは答えない。
バレルショットを放つために持ち上げた右腕をそのままに、彼は足下へ群青のミッドチルダ式魔法陣を展開する。
そうして、大気が鳴動するような集束音を立てながら、闇夜に瞬く青のスフィアを形成し始めた。

防御するならすれば良い――その上から打ち砕いてやると。
煌々と光を放つスフィアに手を翳した彼は、トリガーワードを呟いた。

「ファントムブレイザー、シュート」

瞬間、群青色の閃光が濁流となって吹き荒ぶ。
刹那の内にフーケとの距離を詰めて、彼女を直撃。
バリアジャケットすら纏っていない異世界の魔導師を貫通した非殺傷設定の輝きは『火』の塔の屋根を掠め、ハルケギニアの空へと飛び出した。
天に昇る群青の彗星――それを撃ち放ったカールは、落下するフーケをフローターフィールドで受け止め、溜息を吐いた。
そして近寄ると、彼女の手から"光の杖"、カブリオレを取り返す。

今の戦いで良く分かった。
異世界の魔導師である彼女らは、バリアジャケットを纏っていないし、フィールド防御も会得していない。
そのため、ミッドチルダ式魔法による攻撃はほぼ一撃必殺になりうる――が、同時に、彼女らの攻撃はどれもが殺傷設定だ。
気を抜いていれば土のマジックアローで身体を貫かれた可能性すらあった。本当に、慢心は命取りである。

ここハルケギニアで魔法を使って戦うということは、命のやりとりに直結するのだろう。
いや、ミッドチルダでも管理局員として戦うときは命を賭けていた。そこに違いはない。
違法魔導師が使う魔法は大概が殺傷設定であったし、メタ読みで普通は使わないような魔法、誰も覚えてないような魔法を使われることもあった。
そういう意味では、管理世界で戦うのとここでの戦いは本質的に大差がないのだろう。

死にたくないのならば荒事を避けるのが賢明か――と考え、フーケを肩に担ぐためにしゃがもうとすると、背後に人の気配を感じた。

「……」

完全に目を回して気絶しているフーケをフープバインドで拘束すると、カールは目を細める。
もしかしたらフーケに仲間がいたのかもしれない。気配の消し方はお粗末だが、どんな魔法が飛んでくるか分からない以上、警戒をしすぎて困ることはないだろう。
ブリッツアクションでここから離脱し、長距離バインドで――そこまで考えた瞬間、ねぇ、と声がかかった。

やや甲高く、幼さを含んだその声に聞き覚えのあったカールは、警戒を解いて振り返った。
視線の先にはルイズがいる。彼女は月光に桃色がかったブロンドを輝かせ、赤く腫らした目でカールをじっと見詰めてくる。

「なんなの……?
 嫌味のつもり? 自分はすごいメイジだから、誰にもその技術を教えないって……そう思ってるの?
 ええ、確かに凄いんでしょうよ! お城だって壊せそうだわ、今の光なら!
 使い魔の癖に! 私の使い魔の癖に!
 私に黙ってフーケまで捕まえて、なんなのよ!」

「……ルイズ。どうしてここにいるんだ?
 学生は食堂に集まっているはずだけど」

「うるさい! あんたなんかきらい、だいっきらい!」

そう怒鳴り声を上げると、ルイズは食堂に向かって走り去ってしまった。

彼女の背中に声をかけることもなく、バインドで拘束したフーケを肩に担ぎ上げ、カールは食堂へと足を向ける。
どうしたものかと、ハルケギニアにきてから何度目になるか分からない溜息を吐いた。

懐から煙草の箱を取り出し、片手で器用に煙草を口に咥えた。
そして魔力を炎熱変換させて火を灯すと、深々と灰に煙を吸い込む。
咥えていた煙草を空いた片手で口から離すと、盛大に煙を吐き出した。
そうしてから、ふと思う。紙巻き煙草が登場したのは、パイプ煙草の後だったか。
もしかしたらこの世界は、まだ紙巻き煙草が生まれていないのかもしれない。

だとしたら人前で煙草を吸うのも控えるべきなのだろう。

本当に肩身が狭いと、カールは満天の星空へと立ち上る紫煙を眺めた。



















おまけ

――カール・メルセデス十五歳

もう何もいらない……! と決意を新たにしたカールだが、好きな人ができたので別れてくれ、と彼女に云ったらグーパンを食らって酷い目に遭った。
それが一年前のことである。そんな彼の態度を馬鹿と思うか誠実と思うか真摯と思うかは人によりけりだろう。

ともあれ、カールは取り敢えず戦技教導隊を目標として、武装隊員の仕事の傍ら自らを高め始めた。
が――この年、カールがハルケギニアに呼び出されからも尚議論の続けられる制度の改定が行われたのであった。

今までの魔導師ランクは魔力量に比例し、戦闘能力を重視したものであった。
しかし改訂された魔導師ランクの基準は、任務の成功率をその基準としているのだ。

これの背景には、任務遂行能力はそう高くないのに戦闘能力ばかり高い――局員の仕事を殲滅戦と間違えている馬鹿共と優秀な局員を区別したいからだった。
これにより魔力が低くても技量は高い局員を奪われる陸から悲鳴が上がるのだが、それはまた別の話。

ちなみにカールは脳筋に分類される人間であり、魔導師ランクが空戦AAにまで落ち込んだ。
一方、高町なのはは空戦Sのままだったりした。

「流石俺の女神……!」

と痛々しいことを考えるカールだったが、彼女の隣に立つという目標は思いっきり遠離ってしまった。






[20520] 3話
Name: 村八◆24295b93 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/07/29 01:01

トリステインの城下町、その入り口に、二人の男が立っていた。
一人は杖を持ち、頭が禿げ上がった中年男性、魔法学院の教諭であるコルベールだ。
街並みを眺める表情は、どこか楽しそうである。基本的に研究室に籠もりっきりである彼からすれば、外に出掛けるのは娯楽の一つなのかもしれない。

そしてもう一人――青い顔をしている青年、カール・メルセデスは、腰を押さえながら心底疲れ切った風に肩を上下させていた。

「大丈夫ですかな?」

「はい、なんとか……」

「ううむ。ミスタ・カールはどうやら馬に乗るのが不得手のようですな」

「というか、初めてでしたから。
 思った以上に腰にくるもんなんですね」

「はは、誰でも最初はそんなものです。
 それにしても、馬に乗ったことがないとは本当に珍しいですな。
 それでは、行きましょうか」

そう断って、コルベールは心持ちゆっくりとした歩調で歩き出した。
カールはその後をえっちらおっちらとついて行きながら、広がる街並みに目を向ける。
白い石造りの街は、カールにベルカ自治領を連想させた。聖王教会の本部がある街は、美観を損なわないよう手入れが行き届いていたことを思い出す。
城下町ということで、ここも衛生面では気を遣われているのだろう。それでも通りの広さや道行く人の格好を見れば、やはりカールの知る時代よりもずっと昔なのだと理解できた。

雑踏の中に踏み込むカールの格好は、上着を脱いだワイシャツ姿だった。
捲られた袖ぐちからは、相応に筋肉の付いた腕が除いている。
人混みの中でコルベールとはぐれないよう気を付けながら、彼は視線を彷徨わせた。

「コルベールさん、まずはどこに行くんですか?」

「そうですな。
 マジック・アイテムが目当てというならば、それ専門のところがあります。
 まずはそこへ行くつもりですぞ」

「分かりました。案内、よろしくお願いしますね」

「はい。学院長に依頼されたのですから、邪険には扱えません。
 それにしても数奇な運命ですな。オールド・オスマンの友人がミス・ヴァリエールに召還されてしまうとは」

軽く笑いながら、コルベールは世間話をするように告げた。
事実世間話なのだが、対してカールは苦笑する。

そう、カールはコルベールと学院の教師たちに、オスマンの友人、学院の食客として認識されている。
これは、フーケが宝物庫からマジック・アイテムを盗み出したその日から決まったことだった。

「お探しのマジック・アイテムが見付かると良いですな。
 早々転がっているものではありませんが、まぁ、そこは云っても始まらんでしょう」

「そうですね。
 本当に、見付かると良いんですけど……」




















月のトライアングル

















捕らえたフーケを衛兵に引き渡したあと、カールはオスマンの部屋へと戻っていた。
オスマンが騒ぎの収拾をつけている一方で、彼は一人、学院長室で"光の杖"――時空管理局で使われている汎用デバイスを調べている。

デバイスコアの修復は未だ完全ではないが、データの引き出しは可能だ。
専用の端末がなければ詳しく調べることはできないだろうが、それでも、レコーダーを覗くぐらいは可能だった。

持ち主であった男性の扱っていた魔法、そのデータベースを覗きたい気分を押し殺し、カールはデバイスの記憶野へとアクセスする。
これがインテリジェントデバイスであったならば少しは楽だったのだろうが、贅沢は云ってられないだろう。

慣れないデバイスのデータ検索に悪戦苦闘しながらも、カールはようやく目的のものを見付けた。
魔法の術式データが補完されているところとは別の、音声ファイル――おそらくは日記のようなものか。
それを発見し、カールは息を呑みながら再生した。

デバイス自体が壊れていたこともあるし、三十年もの時が経っているからか、データには欠損があるようだった。
ぶつ切りで、ノイズ混じりですらあるそれを、カールは耳を澄ませて聞き込む。

『この世界に降り立ってから三日――次元――連絡――。
 座標――』

断片から判断するしかないが、どうやら彼もカールと同じように次元航行部隊と連絡を取ろうとしていたようだ。
そしてまた、カールと同じように連絡が取れなかったのだろう。
雑音に掻き消されそうではあるが、声の響きに深い落胆と疲れが見え隠れしていた。

『管理――ミッド――いない――。
 魔獣――』

「……魔獣」

オスマン曰く、彼はワイバーンを撃退したときには既に深い傷を負っていたらしい。
ならばその怪我は、ワイバーンのような魔獣――ハルケギニアでは幻獣――によってつけられたのかもしれない。
否、彼が最初から怪我をしていなかったとは云いきれないから、断言してはならないだろう。

このデバイスの持ち主の魔導師ランクが気になる。
異世界を一人で生き抜くことが不可能なのは当たり前の話だが、それとは別に、彼の魔導師ランクから幻獣のおおよその強さを計ることができるだろう。
ワイバーンを撃退した魔法――おそらく砲撃魔法――はどれほどの威力だったのか。
自ら試してみるのが最も手っ取り早いと分かっているが、管理局と連絡が取れない今、なるべく危険は侵したくない。
フーケとの一戦で、決してハルケギニアのメイジを侮ってはならないと学習した。それは幻獣に対しても適応できる。

『次元震によって――』

「……!」

次元震。その単語が聞こえた瞬間、カールはその部分を繰り返してみた。
しかしノイズが酷く、彼が次元震からどう話を続けたのかが分からない。
次元震によってここにきたのか。それとも、次元震の影響で次元航行部隊と連絡が取れないのか。
もし後者であるならば、それはカールの現状を打破するヒントになるかもしれないからだ。

しかし、男の言葉を聞き取ることはできなかった。
思わずカールは舌打ちしてしまう。

同時に、次元震について言及した部分で記録は途切れてしまった。
記録をやめたか、この日にオスマンと出会ったか――それを判断することはできないが、手がかりが尽きたことだけは確かだ。

「……あまり手かがりにはならなかったな」

呟きながら、カールは椅子の背もたれに体重をかける。
そしてデバイスコアを一撫ですると、息を吐いた。

「行方不明……俺もあなたも、そう処理されたんですかね」

オスマン曰く、彼の遺品はこのデバイスだけらしい。他はすべて墓の中だ。
局員のIDカードを見れば名前ぐらいは分かったのかもしれないが、そこまでするつもりはなかった。
手がかり欲しさに死人の墓を暴くのは、些か趣味が悪すぎる。
失意の中で死んでしまったであろう彼の眠りを、妨げたくはなかった。
それに、名前が分かったところで何かヒントを得られるとも思えない。

ポケットから携帯灰皿と煙草を取り出して、カールは机に置いた。
置いて、ふと、紙巻き煙草にも限りがあると気付く。
そこから連想し、嫌なことに思い至ってしまった。

「消耗品はどれもケチって使うしかないか。
 カートリッジには限りがあるし、デバイスだってメンテナンスフリーってわけじゃない」

高町なのはとの模擬戦になんとしても勝つつもりだったので、カートリッジはマガジン五本分を用意していた。
だがそれはハルケギニアに訪れた時点での話であり、現在は残り三本となっている。

これは、カートリッジを使用して転送魔法を何度も試したからだ。
その結果として分かったことは、連絡が取れない、ミッドチルダに戻れない、という二点のみ。
割に合わないと云えば割に合わない結果だろう。

「緊急時以外はデバイスを使わず凌ぐしかない……か」

破損箇所はリカバリーで直すことも可能だが、それだってデバイスコアに負荷がかかる。
機械である以上、メンテナンスを欠かすことはできない。

デバイスを使わずに戦うことはできるものの、それは戦闘能力の低下を示す。
財産と云えるものが自分の身体しかない以上、まったく嬉しくない事態である。

なんとかならないものか――そうカールが思考を巡らせていると、学院長室の扉が開かれた。
帰ってきたオスマンを、カールは立って出迎える。

「カールくん、"光の杖"はどうかね?」

「お帰りなさい、オスマンさん。
 ……調べさせてもらいましたが、手がかりになりそうな情報はありませんでした」

云いながら、カールは汎用デバイスをオスマンの机へと移した。
オスマンは残念そうに唸ると、椅子に座る。

「できることなら故郷へ帰してやりたいもんじゃが……ままらなんの。
 おぬしも気落ちせず、手がかりを探し続けなさい。
 宝物庫の中にもええと、そう、ミッドチルダじゃったか? そこ縁の代物があるかもしれんしな。
 明日は宝物庫の確認をするから、その時にでも一緒に見て回るか」

「はい、よろしくお願いします」

そこで会話が一段落付き、オスマンは深々と息を吐く。

「……まさかミス・ロングビルがフーケじゃったとはのぅ。
 良い尻だったんじゃが」

「尻?」

「こ、こっちの話じゃ!
 ともかく……改めて礼を云わせて欲しい。
 盗まれたマジック・アイテムは中庭に埋められておった。確認してみたが、盗まれたものは全部取り返せたようじゃ。
 助かったぞ、カールくん。
 『シュヴァリエ』の爵位申請ぐらいはしてやりたいんじゃが、如何せん君は別の世界の住人だしの。
 まだ、こちらに腰を落ち着けるつもりはないんじゃろ?」

「勿論です」

「ならば重荷は背負わないことに越したことはない。
 帰るべき場所が決まっているなら、の。
 これは爵位だけではなく、女などもじゃがな」

「……失礼ですけど、なんとなくあなたの人物像が固まってきましたよ」

「男はそういう生き物じゃろ!」

「そうですけどね!」

一緒になって声を荒げた二人は、一拍置いて固く握手をする。
女そのものに。特定の女性にだけ。方向性は真逆なものの、どちらも女好きであることに変わりはなかった。
カール・メルセデス。愛故に教導隊に入り、ストライカーの称号を手にした男である。
意中の女性は微塵も気持ちに気付いてくれないが。

「爵位申請の代わりに、こちらでの生活に必要そうなものを揃えてやろう。
 嫌な話になるが、生活するなら金も必要じゃろうしな」

「……すみません」

「なんの。マジック・アイテムを奪われたら、と考えたら安いもんじゃろ」

「いえ、本当に助かります。
 自業自得な面もあるんですが、ルイズ……俺を召還した少女の機嫌を損ねたせいで、どうやって生活したもんかと困っていましたから」

「ミス・ヴァリエールか……何かあったのか?」

「ええ」

云いながらカールは脳裏にルイズの顔を思い出し、微かな罪悪感を覚えた。
魔法を教えて欲しいと云っていた彼女。
学生である彼女が、わざわざ教師ではなく自分に教えを請うたことには何か理由があるのだろう。
深く考えずとも、それに思い至ることはできる。
ああまで必死に魔法を覚えようとする理由は、なんなのだろうか。

「……俺の使うミッドチルダ式の魔法を教えて欲しい、と。
 管理局――俺の所属する組織ですが、規則として使用する魔法の流布を固く禁じています。
 彼女は俺の使う魔法が異世界のそれと気付いていないようですが、それにしたって同じこと。
 教えられないことに変わりはありません」

「そうか……私は管理局の人間じゃないから、流布するなとは云わん。
 じゃが確かに、おぬしらの規則も分からないわけではないな。
 ……教えるかどうかは、おぬし次第じゃろう」

「教えませんよ」

「そうか、そうか。
 だが、それはちと難しいかもしれんがな」

「何故ですか?」

カールが問うと、オスマンはどこか同情を目に浮かべた。

「彼女の魔法に対する執着は人一倍だと、私でも分かるからの。
 ミス・ヴァリエールは、『ゼロ』のルイズと呼ばれている。
 二つ名の由来は、魔法の成功率ゼロ、というところからきておるようじゃ。
 哀れな子じゃ。公爵家に生まれながらも、君を呼び出したサモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァント以外を成功させたことがないらしい。
 私の教え子というわけではないから、あくまで人伝に聞いただけじゃが……それでも、彼女の境遇がどれほどのものだったかは理解できる。
 そこにおぬしという存在が投げ込まれれば、彼女が目の色を変えるのも仕方ないじゃろう。
 使い魔は主人と同じ属性を持つ……ミス・ヴァリエールは、おぬしの使う魔法の素質があるのかもしれん。
 生まれてくる世界を間違ったのやもなぁ」

オスマンの台詞に、カールは言葉を返すことができなかった。
あの必死さは、そこからきていたのか。
ならばああまでカールに怒りを燃やしていたことも、理解できた。

ルイズから借りた教科書に書いてあったことから、ハルケギニアにおける魔法とは、貴族の特権のようなものだとカールは知っていた。
その貴族だというのに魔法を一切使えないルイズの境遇は、確かに同情するに値するだろう。

だからと云って、ミッドチルダ式魔法を教えるわけには――

「……ともあれ、じゃ」

自分に言い聞かせるよう葛藤していたカールに、オスマンは話題を変えるよう声を上げた。

「おぬしの立場はどうするかのう。
 この世界の常識を身に着け、金を稼げるようになるまでは食客として学院に滞在してもらおうと思うんじゃが、どうかの?」

「オスマンさんがそれで良いならば、俺に文句はありません」

「ならば決定じゃな。
 フーケのこともあったから、おぬしはスクウェアクラスのメイジとして、学院の守りに置いているとでも教師には云っておくわい」

「ありがとうございます。
 では、これからよろしくお願いします」

「ああ、勿論タダとは云わんぞ?
 フーケの騒動で聞きそびれてしまった君の世界の話と、ミッドチルダ式魔法とやらを教えて欲しい」

「だからそれは駄目なんですって……」

「勘違いするでない。
 ミッドチルダ式魔法とはどんなものなのか。
 それが発達した土壌、歴史、世界。そういったものに興味があるんじゃよ。
 このハルケギニアとまったく違う魔法が生まれた背景がどんなものなのか、メイジとして興味があるんじゃ。
 無論、口外はせん。
 教えてもらえないというのなら、まぁ、諦めるが……」

やはり異世界の文化と魔法に、オスマンは並々ならぬ興味を抱いているのだろう。
外見とは真逆の、子供のような好奇心を剥き出しにして、彼はカールへと話を持ちかけてきた。

「んー……まぁ、それぐらいなら」

苦笑しながら、カールは了承する。
これから世話になる人に対して、云えないことずくめでは流石に居心地が悪いからだ。

「ほほ、すまんのう。
 うむ。早いところおぬしが元の世界に戻れることを、祈っておるよ」

そうして、カールはトリステイン魔法学院に食客として滞在することが決定した。

そしてその週の虚無の曜日、"光の杖"と同じ管理世界の代物が街にないか、コルベールと共に出かけたのである。




















一日を使って歩き回ったものの、カールが目当てとしてるマジック・アイテム――管理世界のヒントがありそうなものは、やはり見付からなかった。
分かっている。そもそもオールド・オスマンが汎用デバイスを手にしていたこと自体が奇跡のような偶然なのだ。
簡単に手がかりが見付かったら、今度はカールが戸惑ってしまう。
管理世界の物品がハルケギニアに流れているのに、何故管理局と連絡が取れないのか――と。

ともあれ、カールとコルベールは足取りに疲れを見せながら、城下町の出口へと向かっていた。
陽が傾いているだけあり、雑踏を往く者たちはどれもが帰路についているようだった。
並んでいた出店もいくつかは店じまいを始めており、街は夜の時間に向けて姿を変えつつある。

「残念でしたな」

「いえ、そう簡単に見付かるとは思ってませんでしたから。
 コルベールさんは、色々と買い込んだみたいですね」

「ええ! やはり外には出るもんですな。出不精を改めなければ」

満足げに笑うコルベールの胸元には、彼が買い込んだ秘薬や実験器具などの入った紙袋が抱かれていた。
成果らしい成果のなかったカールだが、見聞を広めるという意味では有意義な一日だった。
魔法学院という狭い世界では、やはり常識を知るのにも限界がある。
こうして外に出なければ、気付けないことは多かっただろう。

平民と呼ばれる者たちの格好や生活習慣。
通貨の価値。

そういったものを肌で感じるならば、やはり人々の生活に触れるのが一番だった。

「ん……コルベールさん、あそこは武器屋ですか?」

カールは街並みの中から、剣を模した看板が下がっている店を見付けた。
刻まれているから文字から、武器屋なのだと分かる。

「はい、そうですよ。
 マジック・アイテムを探しているということで除外していましたが……」

「すみません、最後の一軒ってことで案内してもらえませんか?」

「お安いご用です。
 日が暮れてしまので時間はかけられませんがな。急ぎましょう」

コルベールが先導し、二人は店へと足を踏み入れる。
夕暮れ時ということもあるのだろうが、店の中は薄暗い。
ランプの明かりがぼんやりと照らす店内には、剣や槍が乱雑に並べられていた。

店の奥にはパイプを咥えた店主らしき人物がいる。
彼は面倒くさそうにカールたちを一瞥すると、煙を吐き出した。

「らっしゃい。すまねぇが、もう店仕舞いが近いんだ。
 用事があるなら手早く頼むぜ」

「ええ、ちょっとした捜し物があるのです。
 この店に、マジック・アイテムの類は置いてますかな?」

「他を当たりな。武器屋で探すようなもんじゃねぇだろ。
 まぁ、ないわけじゃねぇが……」

そう呟いて、店主はカウンターの下からゴソゴソと何かを取り出す。

とても客商売を生業にしているようには見えない接客態度で接してくる店主に、コルベールは居心地が悪そうだった。
カールもカールで、あまり良い気分はしない。どうやら店主は商売よりも、この後に待っている休息の時間の方が大切らしい。

が、ここで引き返すわけにもいかない。
彼はうっかり失念していたのだ。

オスマンが"光の杖"を起動状態で保管していたように、デバイスは武器の形と取っているかもしれない、と。
デバイスは何もミッドチルダ式のものだけではない。武器の形態を取る、近代、古代ベルカのアームドデバイスも存在する。
もしそれを見付けることができたなら――と、カールは武器屋に寄っていた。

そんな風にカールが考えを巡らせていると、店主はカウンターに一本の剣を置いた。

染みついた血糊から錆びが広がり、とてもじゃないが武器とは云えない。控えめに見ても鈍器。そのまま云うならスクラップ。
彼はそれを面倒くさそうに示すと、何かを思い出すように眉根を寄せた。

「竜殺しの呪いがかかった剣だそうでさ。
 何十体ものドラゴンの首を切り落としてきた魔剣、見た目はこんなだが、ドラゴンに対してなら有効な武器になるらしいですぜ」

「……嘘臭いですなぁ」

「なら帰れ。ウチにゃこれぐらいしか置いてねぇ」

「いよいよもって酷ぇなてめぇは! 商売する気がねぇならとっとと店畳んじまえ!
 頭の中にゃこの後に呑む酒のことしか詰まってねぇのかよ!」

「うるっせぇデル公!
 剣のてめぇに酒の美味さが分かるのかよ!」

「はん、知りたくもないね!」

なんだなんだ、とコルベールとカールの二人は店主に喧嘩を吹っかけてくる声の出所へと視線を注いだ。
そうしたら店主は何かを思い出したのか、にやり、と濃ゆい笑みを浮かべる。

「ああ、ありやしたぜお客さん。
 ウチにもれっきとしたマジック・アイテムが一つ」

よっこいせ、と店主は椅子から立ち上がると、剣が乱雑に積まれた棚へと歩き出した。
そしてその中から一本の長剣を取り出して、カウンターへと置く。

「意思持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ」

「ほお、珍しいですな」

「インテリ!?」

カウンターに置かれた長剣の柄にカールは触れた。
瞬間、左手に刻まれたルーンが薄ぼんやりと光り、これがなんなのかを伝えてくる。
そんなことが起きるとは微塵も予想していなかったカールは、不快感に耐えるよう目を細めた。
原因となったのは、インテリジェンス、という単語によって気分が高揚し、ルーンが発動したせいだろう。カールがそれを知ることはなかったが。

「……デバイスじゃない?」

そう、これはデバイスじゃない。
機械仕掛けの人工知能が学習の末に確固とした自我を獲得したインテリジェントデバイスやアームドデバイスではなく、『意思』を込められた魔剣だ。
ロジックで組み立てられたのではなく、奇跡という結果によって生み出された武器。
ミッドチルダでは生み出すことのできない、ハルケギニア産の武器か。

「おでれーた、てめ、使い……」

カールがインテリジェンスソードの解析を意図せずに行う一方で、彼もまた何かを感じ取ったようである。
鍔もとにある金具を口のように上下させて声を放つ、が、

「うひょー! んなこたどうでも良い!
 戦友! 戦友じゃねぇかよ! おいおいどうしたこんなところで!
 いやー、懐かしいねぇ! 何年ぶりだよなぁおい!?
 ……ん? おーい、戦友? 戦友よーい。
 ま、まさか戦友……物言わぬ屍もとい、物言わぬ杖に!?
 うおおおおお、こんなことがあってたまるかー! 戦友ー!」

パチリ。

「鞘に入れれば黙ります、へぇ」

戦友がなんなのか気になったのだが、店主はさっさと商談を進めたいのか、インテリジェンスソードを鞘へと収めてしまった。
彼が云うように、鞘に収まると金具が固定されて喋れなくなるのだろう。

残念な気持ちが湧くと同時、どうするか、とカールは考える。
このインテリジェンスソードはカールの探すデバイスとはまるで違う存在ではあるものの、興味深いのは確かだ。

武器を喋らせるという発想は、普通ならば湧いてこないだろう。
ミッドチルダとハルケギニアではそもそもからして世界が違うため一概には云えないだろうが、それでも戦闘のサポートを武器にさせるなどという考えは生まれるものではない。
武器はあくまで武器。詰め込まれるべきは性能であり、意思などではない。
性能を追求するという大原則によって、余計な発想が生まれる余裕を奪うはずだ。
だのに、インテリジェンスソードという武器は今目の前にある。

もしインテリジェンスソードを生み出した人間が独自の発想で鍛造したのならば、天才か異端、どちらかに分類される人間だっただろうとカールは考える。
どちらに分類させるかは単純だ。結果を出せたか、出せなかったか。それだけだ。
流石に今この場でそれを確かめることはできない。

コルベールの言葉を信じるならばインテリジェンスソードはハルケギニアでも珍しいようだ。
ならば道楽で作った者がいるという線も充分にあるだろうが――そう、例えば。

誰かが意思を持つ武器という未知の存在を目にして、それを模してこの魔剣を作ったのだとしたら。
今日一日を費やして何も手かがりを見付けられなかったカールは、藁にも縋る気持ちでそう考えた。

オスマンからもらった資金にも限りがあるため、無駄遣いはできないが――

「いくらですか?」

「百エキューで結構でさ」

「百……」

百エキューはカールの手持ちギリギリの金額だ。
今後のことも考えて、あまり散財はしたくないのだが――

「ふむ、店主よ。
 条件付で割り引いてもらえないかな?」

買うしかないか、とカールが思った瞬間、コルベールが口を開いた。

「条件? いやいや、これ以上まけるこたぁ出来ませんよ旦那。
 こっちだって生活がかかってんだ。厄介払いしたいとは云っても、せめてそれぐらいは出してもらいてぇところでさ」

「条件付と云っただろう?
 こう見えても私はメイジだ。貴族ではないがね。
 店の品物にいくつか『固定化』をかけよう。それでは駄目かな?」

「へぇ!? メイジだったんですかい!?
 そういや杖を持って……嬉しい誤算だ……」

言いかけのまま店主は店の奥に引っ込んで、店内にはカールとコルベールだけが残された。
カールは唐突なコルベールの申し出に申し訳なさそうな顔をしながら、すみません、と口にする。

「俺の買い物なのに……ありがとうございます」

「いいえ、気にしないでください。
 メイジのスタンスにもよりますが、私は、魔法は使ってこそのものだと考えているのです。
 ただの趣味ですよ」

一分も経たない内に、店主は鞘に入った長剣を三本抱えて出てきた。
インテリジェンスソードを脇に退けると、気を配った手つきで剣をカウンターに下ろす。

「この三本に固定化をかけていただけるなら、タダで差し上げます」

「分かった。
 タダとはなんとも気前が良い」

コルベールは杖を手にすると、呪文を詠唱して固定化の魔法を剣へとかけた。
剣が淡い光に包まれると、満足げにコルベールは頷いた。

「これで固定化はかかりました。
 不手際がありましたら、トリステイン魔法学院まで連絡を。
 私はそこの教員として働いてるので」

「へぇ、分かりやした! いやー、ありがとうございます!」

儲けたー! と満面の笑みを浮かべる店主を一瞥して、カールとコルベールは店を出る。
店に入ってからそれほど時間は経っていないものの、やはり帰路を急ぐ者の姿は増えていた。
雑踏の中に混じって街の出口に向かいながら、そういえば、とコルベールが口を開いた。

「ミスタ・カール。
 インテリジェンスソードは戦友と云っていましたが、あなたは彼……彼? と、知り合いなのですかな?」

「いえ、そんなことはないんですけど」

確認のためにカールが鍔を持ち上げると、プハァ! と息継ぎするように声が上がった。
インテリジェンスソードはカタカタと金具を鳴らしながら、さっきのテンションを引き継いで大声を上げ始める。

「うおおおおおお! 戦友ー!」

「……煩いですなぁ」

「……ええ、本当に。
 ええっと、デル公だっけ?」

「ちげぇよ! 俺はデルフリンガー様だ!
 それよりもおめぇ! 戦友に何しやがった!」

「その戦友ってなんだ?」

「おめーの胸に入ってるだろ!」

云われ、カールは胸元に意識を向けた。
シャツの胸ポケットにはカブリオレしか入っていないが――

「……戦友って、武器仲間のことを云っているのか?」

「それ以外に何があるってんだ!」

「なるほど」

パチリ、とデルフリンガーを再び鞘に収めて、マルチタスクで情報を整理する一方で、カールは苦笑した。

「俺の探しているマジック・アイテム……"光の杖"の同型なんですけど、意思を持っているものがあるんです。
 きっとデルフリンガーは、それのことを云っているのでしょう」

「なるほど。面白い話だ。
 武器とは云っても仲間意識があるとは……そこら辺は人と変わらないのですかな」

「かもしれませんね。
 っと、そうだ、コルベールさん。
 重ね重ねになってしまいますけど、本当にありがとうございました。
 詳しい話をデルフリンガーに聞いてみないと分かりませんが、収穫はありそうです」

「いえいえ、本当、気にしないで欲しいですぞ。
 魔法を誰かのために使うのはメイジの使命ですからな」

柔らかな笑みを浮かべながらも、コルベールの表情には微かな影が差した。
何故だろう――そうカールが思うと、彼は苦笑した。

「……やはり、土の魔法は良い。
 私はね、ミスタ・カール。たまに、土か水のメイジに生まれたかったと思うことがあるのです」

「確か、コルベールさんは火のトライアングルでしたっけ」

「ええ、そうです。
 火の系統が象徴するのは破壊。
 確かに人が生きるためには何かを破壊するしかないとは分かっていますが……なんとも、寂しい話ではありませんか」

……後悔、だろうか。
自らの才能に対する不満などではない。
どこか悔いるような響きでコルベールは呟く。

カールに火の系統について語っている風ではない。
自分の中に渦を巻いている価値観に対し、言葉をかけているようだった。

「風のスクウェアであるあなたに云ったら情けないと思われるかもしれませんが、私は、争いというものが恐い。
 そして、火種、という風に争いごとを象徴する言葉にすら使われる火という属性も。
 ……火が破壊しか象徴しないなんて嘘だ。それを信じて、日がな研究を行っていても、なかなか成果は出ませんけれども」

どう思いますか? そんな風に語る視線を、カールは向けられた気がした。
風のスクウェアというのはカールのついた嘘であるものの、彼が云いたいことは充分に分かる。
風は火に次いで戦闘に特化した系統と云われている。その属性を持つ最高位のメイジ――あくまでコルベールの主観だが――に、それとなく問いかけているのだろう。
ひょっとしたら、本人ですら気付かない内に。

どう応えたら良いものかと考え、言葉を選びながら、カールは口を開いた。

「火の本質は破壊だと思います」

「……ですな」

「ええ。それは避けようのない事実です。
 もし認めず足掻くのならば、それはただの逃避になってしまう。
 何事にも本質は存在している。それを見誤ってしまったら、もう、正しく物事を見ることはできなくなる。
 本質を正しく理解すること自体が難しいこともありますが、それはそれ。俺の云いたいことは変わりません。
 ……諦めの言葉として云っているんじゃないんです。
 重要なのは、本質を見極めた上で、他の側面を見付ける……それが、重要なんじゃないでしょうか」

「他の側面、ですか……」

「あまり火には詳しくないので、素人の意見ですけれど。
 人の営みの中で用いられる火は、食べ物を焼いたり、畑を焼いたり……どちらもやっていること自体は破壊です。
 だから……」

「結局は破壊……しかし、良くも悪くも破壊こそが火の生み出すもの、ですか。
 いえ、そこに善し悪しを付けるのは人間の勝手、か。
 そうですね。単純故に真理ですな」

どこか寂しそうにコルベールは笑う。
おそらく、彼も分かっていたのだろう。
本質を見誤ったままでは、火、そのものを用いて何かを生み出すことはできないと。
世界は違うとはいえ、コルベールはカールの倍以上を生きている人生の先達である。
歩んできた人生、そこで得た経験を元にした価値観の前では、カールの言葉などヒントにも、慰めにもならないだろう。
……ならば、逃避、という言葉は言いすぎだったかもしれない。

謝らないと、とカールが思っていると、コルベールはさっきまでの寂しさを払拭するように、照れたような笑みを浮かべた。

「分かったつもりではいましたが、少々目を覚まされた気分ですぞ。
 確かに逃避。自分に都合の良い情報だけに目を向けていては、本質を理解することなどできませんな」

「いえ、そんな……」

「良いのです。気にしないで欲しい」

それで話は終わりなのか、コルベールは小さく頭を振った。

「それにしても、なかなか重い言葉を口にしますな。
 本質から目を逸らせば、対象を理解することはできない。
 経験則ですか?」

「あー……まぁ、そうです」

はっきりとしない口調でカールは頷くと、偉そうなことを云った罪悪感から、自らの黒歴史を言葉にする。

「恋愛で思い悩んだことがあって。
 その時に得た答えを色んなことに適応しているだけですよ」

「はは、ミスタ・カールはまだまだ若いですからな!
 それにしても恋愛……相手はどんな方で?」

「管理きょ……職場の白い天使です」

「……そうですか」

「……え? なんですかその反応。
 ちょ、コルベールさん! おーい、聞いてくださいよー!」

「これだから若人は……!」

畜生……! と歯を噛み締めるコルベール。
ずんずんと先を歩いて行ってしまう彼の背中を、カールは追った。





















カールが学院に戻って真っ先に耳にしたのは、爆音だった。
どうやら学院の中で何かが起こっているらしい。事故か何かだろうか。
そう思っていると、隣に立つコルベールが溜息混じりに額を抑えた。

「……ミス・ヴァリエールですな」

「ルイズですか?」

「ええ。どうやら、魔法の練習をしているようです。
 今は良いですが、夜になっても続けないよう注意しておくべきですな。見に行ってみましょう」

コルベールの後を追い、カールは学院の門から歩き出す。
爆音の出所は中庭のようであり、すれ違う生徒はコルベールに挨拶をしながらも酷く迷惑そうな顔をしていた。
それもそうだろう。一度だけならばまだしも、何度も何度も連続してこうも騒々しい音が上がれば不安になり、それは不快感に直結する。

「コルベールさん、ルイズは魔法が成功しない、と聞いたんですけど……これはあの子の使っている魔法の効果なんですよね?」

「効果と云えばそうかもしれません。
 が、正しく発動していないのです。
 何をしても、どんなルーンを唱えても、彼女が引き起こす結果は爆発のみ。
 だから魔法の成功率ゼロ、と呼ばれているのです。……教師が言って良いことではありませんな。
 私たちにだって責任はある。ミス・ヴァリエールは、いえ、この学院に通う生徒は誰もが安くない学費を親が出しているのです。
 だというのにミス・ヴァリエールに魔法の一つも教えてやれないというのは、職務をまっとうできていない……情けない限りですよ」

コルベールの話が終わると同時、二人は目的地へと到着した。
開いた視界の中にはルイズと、彼女と距離を置いた場所に数人の生徒がいた。
それを目にし、いかん、とコルベールは焦りを見せた。

そしてカールは、すぐにコルベールが気にしたことを耳にする。

「やい、ゼロのルイズ! いい加減にしろよ!
 うるさくて読書の一つもできないだろ!」

「私の使い魔がさっきからずっと怯えてるのよ!?
 本当、いい加減にしてちょうだいよ、ゼロのルイズ!」

ゼロ、ゼロ、と連呼しているのは、ルイズにとって不明な二つ名であるそれを口にし、彼女をこの場から立ち去らせようと思っているからか。
しかしルイズはそれに耳を貸さず、再び手に持った杖を振り上げる。
そして、

『ウインド!』

ルーンが唱えられた瞬間、爆発が起こった。
轟音に掻き消されたものの、直前に聞こえたルイズの声を、カールはしっかりと聞いていた。
乾いて、醜くしわがれてしまった声。一体彼女はどれほど喉を酷使したのだろう。
注視すれば彼女の表情には濃い疲労が見えた。
魔法を使っての疲労ではなく、一向に成功しない魔法、それに対する野次、その二つからくる精神的なものだと分かる。
だというのに彼女は魔法の練習を止めようとはしない。
野次を飛ばされるのはこれが初めてではないはずだ。人伝に聞いただけだが、ルイズはずっと魔法を失敗し続けてきたらしい。
ならば、彼女はずっとこの逆境の中で魔法の練習を続けてきたのか。
ムキになっていると云えばそうなのかもしれないが、一方で、不屈の心という単語がカールの胸中に浮かび上がった。

「みっともない野次はおやめなさい!」

コルベールが怒りを含ませた声を張り上げると、ルイズに野次を飛ばしていた生徒たちは竦み上がった。
教師がきたからだろうか。ルイズも魔法の練習を中断し、爆音が止む。
が、すぐにルイズからコルベールへと興味を移したようだ。
彼らはルイズに向けていた苛立ちをそのままコルベールへと向けてくる。

「けどミスタ・コルベール!
 ルイズの失敗魔法が迷惑なのは事実です!
 止めるように云ってください!」

「今は自由時間です。何をしても問題はないですぞ。
 それにうるさいというなら、そう、君は確か風のメイジでしたな?
 『サイレント』を使えばよろしい」

「今日の授業で精神力は使い果たしました!
 ミスタ・コルベール、あなたはゼロのルイズではなく私が悪いというのですか!?」

威張って云うことでもないだろうに、ともすれば恥であることを言い訳に声を張り上げた。
コルベールは迷うように口元を歪ませると、小さく息を吐いた。

「分かりました。ミス・ヴァリエールには私の方から注意しておくので、もう良いでしょう?」

「ですが……!」

「もう夕食が近い。ここまでにしておきなさい」

コルベールに話を聞くつもりがないと気付いたのか、生徒たちは不満げな表情をしながらも中庭を後にした。
彼らの背中が見えなくなると、コルベールはルイズへと視線を移した。

「ミスタ・コルベール……」

コルベールの名を口にして、次にルイズはカールを見た。
彼女は悔しげに唇を引き結ぶと、俯き、脱兎の如く駆けだした。
ルイズに言葉をかけることなく、コルベールは小さな呻き声を上げる。

「……不憫だと分かってはいますが、どうしてやることもできない」

「……そう、ですか」

声に悔やむような響きがあったのは、やはり、教師として生徒の問題を解決してやることができないからなのだろう。
それに対し、カールは返す言葉を持たない。
あくまでオスマンの推測だが、もしかしたらルイズにはミッドチルダ式魔法の才能があるかもしれないのだ。
だがカールにはそれを教えるつもりがない。だから、コルベールにもルイズにも、どう言葉を向けて良いのか分からなかった。

「ミスタ・カール。厚かましいお願いとは分かっていますが、一つ、頼み事があるのです」

「なんですか?」

コルベールはどこか真剣な様子で、声をかけてきた。

「メイジであるあなたにとってこんなことを云われるのは、酷く屈辱的なことだと分かっています。
 ……ですが、どうか。
 あの子の理解者に、なってやってはもらえませんか」

「理解者?」

「はい。私は教師です。あの子の劣等感や悔しさを拭ってやりたいとは思っても、教師である以上、他の生徒と差別化するわけにはいかない。
 貴族というものはプライド、それもこの学院に通っている生徒たちは誰もが名のある家の者なので、それが人一倍強い。
 そんな環境でミス・ヴァリエールを贔屓するようなことをすれば、余計に彼女への風当たりが強くなってしまうでしょう。
 公爵家の娘だから……と。
 魔法に関してだけではなく、家名すらも貶められたら、もう彼女の拠り所はなくなってしまいます。
 私たち教師が彼女を評価するのは一時的な救いにはなるのかもしれませんが、長期的に考えれば彼女のためにはならない」

ですから、とコルベールは話を続けた。

「どうか、あの子の心を少しでも救ってやって欲しい。
 これは、あなたにしかできないことでしょう。
 学院の関係者ではない、スクウェアクラスのメイジ。学舎という閉じた環境で、あなたという存在だけがしがらみに囚われていないのです。
 重ねて云いますが、メイジであるあなたが使い魔になるというのは、大きな屈辱なはずだ。
 だが、その繋がりを忌むべきものと思わず、あの子の力になってもらえませんか?」

云われ、カールは左手のルーンを指で撫でた。
……コルベールの云うことは、カールにとって的を射ているように感じられた。
確かにそうだ。教師である以上、特定の生徒を見れば、それは風当たりが強くなることだってあるはずだ。
それだけじゃない。下世話な噂だって立つかもしれない。
それはおそらく、ルイズにとって不幸にしかならない。

だからと云って自分に彼女を助けることができるのか、という疑問はある。
しかし出会って間もないが、数少ない友人とも云える人からの頼みを無碍に断るのも気が引けた。
更に云うなら、デルフリンガーの代金を魔法で払って貰ったという、負い目もある。

そのため、一言でコルベールの言葉と気持ちを切り捨てることが、カールにはできなかった。

「些か乙女チックな話になってしまいますが」

「え?」

「一説によると、使い魔の選択基準はメイジの格、系統、それ以外にも、そう。
 運命によるものだと云われています。
 ミス・ヴァリエールの呼び出したあなたが、彼女の気持ちを救ってやる運命を担っている。
 そう考えてみると、あなたは彼女にとって必要な存在なのかもしれませんな」

「……そうですね」

救う。その一言が重いのは確かだ。
しかしそれを理由にルイズに対して抱いている罪悪感や同情を投げ捨てることができないのも、また、事実だった。


















トリステインの城下町、その一角にあるチェルボーグ監獄に、一人の女が繋がれていた。
世を騒がせた怪盗、土くれのフーケだ。
彼女は壁に背を預けながら、向かいの壁をじっと眺めていた。
そこに何かがあるわけではない。ただ何もすることがないため、そうしているだけに過ぎなかった。

壁を見詰めているフーケの脳裏には、一つのマジック・アイテムと、一人の男のことが渦を巻いていた。
"光の杖"とカール・メルセデス。奪おうとした宝物とそれを操るメイジ。
元々奪うつもりがあったわけではない"光の杖"だが、今の彼女にとって、あれを手に出来ないことは監獄にぶち込まれた現状よりも悔しさを覚える事柄だった。

"光の杖"がどういう代物かまでは分からないものの、効果は自分の身で思い知った。
一定範囲を外界と隔離して、誰も出さず、誰も入れない世界を作り上げる。
フーケにとってその魔法は、酷く魅力的だった。
お宝の価値としてではなく、その効果が、フーケにとって重要だったのだ。

――あれがあれば、テファとガキ共を村に残してても安心できたのにねぇ。

だが略奪は失敗し、今はただ監獄で処刑を待つ身でしかない。
まだ裁判で判決が下されたわけではなかったが、ただでさえプライドの高いトリステイン貴族の逆鱗を撫で上げて回っていたのだ。
どんな極刑を下されても、不当とは思えなかった。

ああ本当に、悔しくて仕方がない――

もう何度目になるか分からない後悔をフーケが覚えていると、コツコツと石畳を叩く靴裏の音が混じった。
誰だろう――そう思って待っていると、牢の前に一つの影が浮かび上がる。

仮面を被り、漆黒のマントを被った長身の影。
身長と体つきから、男だろうとフーケは察する。

「……こんな夜更けにお客さんなんて、珍しいわね」

フーケが声をかけても、男はじっとこちらを見詰めるだけだった。
どこか粘着質な――異性を見る目ではなく――値踏みをする眼光に、フーケの背筋はちりついた。

「『土くれ』だな?」

「誰がつけたのか知らないけど、確かにそう呼ばれているわ」

云うと、男は両手を広げて敵意がないことを示す。
そうして始まるのは、フーケの引き抜き話である。再びアルビオンに仕える気はないか、と。
誰かと組むつもりはないものの、死ぬつもりはない。
仕方がないか――と思いながらも、フーケは一つの条件を男へと提示した。

「わたしがここにぶち込まれた原因のマジック・アイテム。
 それを盗み出すのを手伝ってくれるなら、いいなりにでもなんにでも、なってやるよ」

「手伝う?」

「ああ。足運びからなんとなく分かる。
 あなた、そこそこの使い手でしょう?」

云われ、仮面の男が僅かに身じろぎした。
これ以上向こうの事情に踏み込んだらまずいか、と思いながら、雰囲気を払拭するように小さく笑う。

「半端なメイジじゃ手に負えそうにない番犬が、今の魔法学院にはいてね。
 アイツが使い魔として呼び出されなければ"光の杖"の使い方も分からなかったわけだけど、それにしたって厄介よ。
 風のスクウェアって話だけれど、あんな魔法見たことないよ」

フーケの云っていることは事実だった。
家族という守るべきものを養うために盗賊を行っていた彼女には、負けることなど許されなかったのだ。
勝つか、最低でも逃げ切ることができるよう、魔法に関しては自分に才能のない系統のことも学んでいた。
だが、カールの使った魔法――特に最後の光の矢など、見たことも聞いたこともない。

「虚無って云われても、あたしは信じるわね」

「……虚無だと?」

そんな冗談のつもりで云った一言。
それが、仮面の男――ワルドの執念に火を付けることとなった。





















おまけ

――カール・メルセデス十六歳

魔導師ランクをAAからAAAまで上げたカール、なんとか高町なのはと昼食の約束を取り付ける。
当日を迎え、鼻の下をデレデレ伸ばしつつなのはと話をしていると、彼女は今度新設される部隊のことを話題に上げた。
今はまだ人員を集めている最中だが、それが終わり次第に部隊が始動するという。

「え、ちょ、なのはさん教導隊は……?」

「しばらく出向になるんだー」

凍り付くカール・メルセデス十六歳。今年の内にでも教導隊に入ってやると執念を燃やしていたのである。

戦技披露会の選考会で落選してからずっと彼は己の力と技を磨いてきた。
その方向性とは、すべてを均等、万能に、である。
長所は一定以上に磨かず、浮いた時間を短所の補填に当てる。

彼が不毛とも見える訓練を積んだのは、れっきとした理由があった。
まず魔導師ランク。制度の改定により任務成功率が何よりも重視されるようになったため、カールは自らを使い勝手の良い魔導師へ成長させると決めていた。
保持技能の多様性により割り振られる任務の種類、数を底上げし、それによって魔導師ランクを上げるつもりなのだ。実際、一年で彼はAAからAAAへとランクアップを果たしていた。

そしてまた、教導隊での仕事もこれに関係してくる。

魔導師を教え導く立場である以上、分からない、教えられない、では話にならない。
砲戦魔導師である高町なのはも、クロスレンジの教導はできるのだ。
それが示すように、例え不得手な分野であろうと最低でも一定以上、可能ならば最上級の戦闘技能を求められる。
カールは不得手を潰し、すべての技能を高水準にまとめることで、人にものを教えることに特化するつもりでいた。
そんな魔導師になってしまったため教導隊ではなく教育隊から熱烈なラブコールがあったりしたが、余談でしかない。

ともあれカール、アベレージ・ワンの二つ名と教導隊に手が届きそうな時期になのはから出向を告げられ、地味に凹む。
し、新部隊の方に誘ってもらえたら嬉しいですよ? とそれとなく云ってみるものの、迷惑はかけられないよー、とやんわり一蹴される。鈍感ななのはさんマジパねぇっす。

良いもん良いもん、と若干拗ねながらも、出向、というなのはの言葉を信じてカール頑張る。めげずに頑張る。
出向から戻ってくるよりも先に教導隊に入って、なのはさんを出迎えるんだ、と超頑張る。

めげずに頑張って、教導隊から誘いの声がかかってきて――

なんだかんだで順風満帆かと思われていたカール・メルセデス十六歳。
そんな彼の元へ、ある日、友人から一通のメールが届く。

『なのはさん、子持ちなんだってなー』

――すべてが、凍った。

友人から驚愕の情報を得たカールは、嫌な感じでドッキンドッキン騒ぎ出す胸を押さえつつ高町なのはに電話。

「な、なのはさん……その、子供ができたって聞いたんですけど」
「うん、そうなの。ヴィヴィオ可愛いよ? 今度会ってみる?」
「……」
「あ、それと、子供ができたって云い方は正しく――」
「……さようなら」

絶望を確かめる希望がある! と誰かは云うけれど、カールには絶望を確かめる希望すらなくなったわけである。盛大な勘違いだけど。

ちなみに何故彼がこうも落ち込んでいるのか補足しておく。
考えてみて欲しい。彼の年齢は十六、第97管理外世界で云えば高校生一年生に当たる年齢である。
勿論、ミッドチルダの住人である彼にそれを適応するのは大きな間違いであるが、それでも、子供であることに変わりはない。
そして年相応に女に夢を見たりしているカール・メルセデス十六歳(現時点では処女厨)。
好きな女が知らぬ間に知らぬ男の子供を産んでいたと勘違いし、怒り狂ったあとに拗ねて落ち込み絶望した。

もうこの世には神も仏もねぇよ! ぶち殺すぞヒューマン!

と方向性を失った怒りを抱くカール・メルセデス十六歳、盛大な誤解を原因として今までの熱意を根こそぎ失ってしまう。
管理局の仕事も最低限にだけしかこなさないようになり、毎日は流れ作業のように過ぎてゆく。
積み上げた技術が錆び付くことはなかったものの、自分の力に意味を見出すことができなくなり、俺どうして生きてるんだろう、とか年相応のことを考え始めるカール・メルセデス十六歳。

局員辞めてニートにでもなろうかな、とか彼が考え始めた時期、ミッドチルダでJS事件が勃発する。
事件への対処に奔走しているのは地上部隊だが、打撃力として用いられているのは機動六課であった。
機動六課。高町なのはの所属している部隊。

だがそんなことは関係ねぇ、とウルトラ混乱しまくってる地上部隊を尻目に定時で帰るカール。
ちなみにこの日、久々になのはからメールが届いていた。

『最近連絡取ってなかったね。元気にしてる?
 今日、ちょっぴり大変な現場に出るの。
 それが終わって落ち着けたら、ヴィヴィオに会ってみない?』

といった内容。
カールはそれに返事をしないまま、今日も今日とて後ろ向きな一日を終わらせようとしていた。
その時だった――二年前に別れた彼女、シャリオ・フィニーノがオフィスに押しかけてくる。戦闘中であるはずなのに。
なんの因果か、シャリオ、カールにグーパン叩き込む原因となった(悪いのは十割カールだが)高町なのはと同じ部隊に所属していたのである。
それでも彼女に対しにこやかに接することができていたのは、シャリオの人柄故だろう。
そんな彼女がグーパンなどという暴挙に及んだのは、それだけカールを好きだったからなのか、ただムカついただけか。

ともあれ、彼女と出会ったカール。ゾンビじみた声で何か用? と聞く。
シャリオ、事件の首謀者を捕まえることはできたけど、聖王のゆりかごからの脱出が間に合わない、だから力を貸してと頼み込んでくる。
なんで俺がそんなことしなきゃあかんねん、と鎧袖一触なカールだが、余裕がないのはシャリオも同じ。
だが彼女が怒ったのは力を貸さないことに対してではなく、なのはへの情熱はどこに行ったんだ、ということだった。
そんな怒りに乗せて再びグーパンが飛ぶ。ぶっ倒れるカール。

人をフッておいて、惚れた女が子持ちなんて理由で腐るとかいい加減にしろ。
子供がいないから、という理由で惚れたわけじゃないでしょう? 
あなたが惚れた高町なのはは、何も変わってないんじゃないの?
それなのに諦めるとか意味分からない。
そもそも、そんな簡単に諦めるなんて、じゃあ踏み台にされた私はそれ以下でしかないの?

子持ち云々周りに盛大な認識の違いがあるのだが、そこは突っ込んだら野暮である。
というかシャリオ、カールに説教してるのか嫉妬をぶつけてるのか微妙なラインである。

あなたが好きになった女の人は、今も戦っている。
けれど力を使い果たして、誰かが助けてあげなきゃ死んでしまうかもしれないの。

そう言葉をかけられ、カール、考え込む。

そうだ。自分が高町なのはに惚れたのは、そんな理由なんかじゃない。
切っ掛けは一目惚れかもしれなかったけれど、後を追い、少しずつ距離を詰める度に色んな顔を見ることができて、より一層熱を上げた。
そう。子供がいようとなんだろうと、自分が惚れた高町なのはという女性の本質は何も変わっていない。
砲戦魔導師だというのに敵陣のど真ん中に飛び込むその心根の強さ、自分がやらなきゃ、という責任感と強さと紙一重の脆さ。
可愛らしくて、不器用なところがあって、優しくて。
そんな彼女を、隣に立って、守ってあげたい――

分かった、シャリオ。俺、行くよ。

戦うよなのはさん。戦って、勝ってみせる。
あなたの待つ戦場が、唯一、今あなたを感じられる場所だろうから。

目を覚ましたカールは、部署も所属する部隊も違うというのに、聖王のゆりかごが飛ぶ空域へと転移した。
その空域はガジェットⅡ型と呼ばれる機械兵器が蒼天を埋め尽くしていた。灰が七分に青が三分。
総力戦を挑んだ地上部隊は、首謀者の逮捕、聖王の打倒という目標を達成したことで気を緩めてしまい、士気が崩壊しかかっている状態だった。
敵を統率している戦闘機人さえ倒せば事件は終わると思い込んでいたのである。
そんな敗北の香りが濃厚な空へ、カールは降り立った。

シャリオから通信が入る。

カール、聖王のゆりかごは左下方。
突入部隊を救出するスタッフが到着する前に、ガジェットを一掃して。

シャリオから指示が飛ぶ。無茶というか、お前一人の魔導師になんつーことを要求するんだ、というレベルである。
ちなみに聖王のゆりかごを包むガジェットの数は千機を超えていた。
周辺空域の機体と、艦載機がすべて出揃っているのだ。だが――

邪魔だとばかりにACSで包囲網を突き破ると、ゆりかごの艦首へと一瞬でカールは到着した。
フルドライブの発動と共に、デバイスコアが燦然と輝く。
着地の勢いで装甲版が砕けていたりする。どうなっているんだ。
そして包囲されている敵陣ど真ん中に行けば集中砲火を見舞われるのが道理である。
が、レーザーの雨をこともなげに弾き飛ばすと、カートリッジをロードしまくって砲撃魔法をぶっ放す。

戦場に立ったエースを、ただの人間と思うなよ……!

撃ち放った状態の砲撃をぶんぶん振り回してガジェットを一気に処理すると、今度は下方。
救出部隊のヘリが到着するため、下方のガジェットを一掃して欲しいとシャリオから指示が飛ぶ。
だがカールは困難な指示を果たすことが、なのはに近付ける術だと盛大に酔いながら、おもむろに砲撃魔法を明後日の方向に放った。
瞬間、砲火が数多の光条に分裂して降り注ぐ。ホーミングバスター、という魔法らしい。
ホーミングする砲撃ってなんだ。しかも敵味方を完全に識別している。おかしい。

カール、離れて。直衛に入ってちょうだい。
反撃がくる。敵を引き付けて。一機でも多く、少しでも遠くに。

その注文にケチをつけることなく聖王のゆりかごから飛び立つと、カールはレーザーの豪雨にその身を晒した。
晒したものの、カートリッジをロードし、傾斜をつけて展開したラウンドシールドですべてを反らす。

そんなことで、俺を倒せると思ったか……!

リミットブレイクを発動、カブリオレ・ダブル――両手に握った長杖をそれぞれ脇に抱えて、救出部隊の進行ルート上に存在するガジェットを一掃してゆく。
カートリッジをケチるようなことはしない。湯水のように炸裂させ、次々とリロードを繰り返す。
数が数なのでやはり撃ち漏らしは出てしまうが、救出部隊を運ぶヘリには優秀な魔導師が乗っているらしく、接近する敵を確実に始末していた。

そうして救出が行われ、聖王のゆりかごは軌道上でアルカンシェルによる消滅させられる。
事件終了後、カールは大急ぎでなのはが回収されたアースラへ向かった。
ちなみにシャリオが出迎えたりしてくれたのだが、会話もそこそこに医務室に向かった。哀れである。

医務室では、高町なのはがベッドで横になっていた。
AMF下でブラスターⅢを使用したと聞き、馬鹿ですかあなたは、馬鹿は酷くない? などと会話を交わしたり。
補足しておくと、この時点でカールも一杯一杯である。彼もリミットブレイクをAMF下で使用し限界近いので、脚がガクガクしていたりする。
いくら相手がガジェットとはいえ、援護なしで数の暴力と対峙し、かつ、限られたリミットで敵を処理しろと無茶な注文をつけられたので無理をしていた。
というか、たかがガジェットと戦ったとは云っても桁が常識外れという言葉を通り越し、荒唐無稽も良いところである。
が、格好付けの脳筋である彼はやせ我慢を通す。

「……それにしても、カールくんがきてくれるとは思わなかったな。ビックリしちゃった。ありがとう」
「見直しました? 惚れました?」
「あはは、戦ってるところを見たら惚れたかもねー」

お礼を云われて嬉しいんだけど、心境としては複雑極まりない。
鈍感ななのはさんマジパねぇっす。しかしカールの聴き方が悪いとも云う。
というか今更になって救出部隊の方に行くべきだったと後悔するカール。孔明もといシャリオの罠である。

それじゃあ仕事があるからもう帰りますね、と嘘を吐き医務室を後にして、限界を迎え廊下でぶっ倒れるカール。
そこを目撃した戦勝気分のフェイトさんの悲鳴が、アースラに響き渡った。

余談だが――
後日、ヴィヴィオが養子であることを知り、カールは誤解を招くようなメールを送ってきた友人を殴りに行った。







[20520] 4話
Name: 村八◆24295b93 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/08/05 23:20

「それで、戦友とやらのことは覚えてないと」

「おう。相棒が持ってた杖にピピーンときたんだけど、それがなんだったかさっぱり思い出せねぇや。
 いや、悪いね。なんせ六千年も生きてるんだ。物忘れも酷くなるってもんさ」

積み重ねられた魔法に関する本が脇に退かされ、机の上に置いたデルフリンガーを腕組みしながら見下ろしつつ、カールは呻き声を上げた。

コルベールと共に城下町から帰ってきたあと、彼は収穫物であるデルフリンガーから話を聞くために自室へと戻っていた。
彼の部屋は学院の生徒ではなく、教師たちが使っている寮だ。
家庭を持っている者は別だが、独り身教師の大半はここに住んでいる。
仮の身分ではあるがメイジということで、カールを下働きの者たちと同じ所に住ませるわけにはいかない、というオスマンの配慮だった。
それにカールは食客、用心棒として学院に招かれている立場だ。これもオスマンが考えついた嘘だが、嘘で身を固めた以上、らしく振る舞う必要があった。

ベッドに机、何も入っていない本棚に箪笥。
そんな殺風景な部屋で、カールはデルフリンガーを見下ろしつつ、彼から伝えられた情報を頭の中で整理していた。

デルフリンガー。意思持つ魔剣。
六千年という長き時間を生き続けた、本人曰く伝説の剣らしい。
何が伝説なのか、という点を本人が覚えていないのは頭が痛いことこの上なかったものの、覚えていない以上云っても仕方がないだろう。
だが覚えていないとは云いつつも、デルフリンガーはいくつかのヒントのようなものを教えてくれはした。

例えば、戦友、という一言。
デルフリンガー曰く、戦友を他の武器と見間違うわけはないらしい。
それでも彼が間違えたのは、酷く良く似た武器――デバイスだからではないだろうか、とカールは推察する。
とは云ってもやはり確証は持てない。あくまで推察止まりだ。
"光の杖"の持ち主がいたことからも、カールと同じようにこの世界へ迷い込む次元世界の住人は存在しているはずだ。
そのため、デルフリンガーの云う戦友の持ち主がカールと同じ次元世界の住人であるという可能性はある。
同時に、デバイスをオスマンと同じく拾っただけのハルケギニア人、という可能性も存在していた。
現段階ではなんとも云えないだろう。

次に、使い手。
武器屋でデルフリンガーが言い掛けたこの単語は、どうやら重要なものであるらしかった。
が、何故重要なのかをデルフリンガー自体が覚えていない辺り始末に負えない。
使い手――その単語から意味を察するに、デルフリンガーを使用する者、という意味だろうか。
このインテリジェンスソードを握るのに何か条件でも必要なのか?
そんな疑問が湧き上がってくるものの、やはり分からない。

分からないことだらけで頭が痛いばかりだった。
デルフリンガーが記憶を思い出せば事情は違ってくるのだろうが、現段階では徒労としか言い様がない。
ヒントを手に入れることができた分まだマシではあるものの、どうしても落胆してしまう。

カールが一人で頭を抱えていると、コンコン、と部屋の扉がノックされた。
はい、と声を返せば、コルベールが顔を見せる。
彼は寮の隣人だ。基本的に火の塔の隣にある研究室で時間を過ごしているコルベールだが、寝泊まりだけは寮で行っているらしい。

「もうそろそろ夕食ですぞ。行きましょう」

「はい、今行きます」

それじゃあな、とデルフリンガーに声をかけて、カールは席を立った。
いってらー、とカチカチ金具を上下させてデルフリンガーは応える。

部屋から出て共に歩き出すと、どうでした? とコルベールは声をかけてきた。

「さっぱりです。彼は何かを知っているようですが、なんでも覚えてないらしくて」

「ううむ……あの錆びっぷりから年期が入っているのは分かりますが、それは困りましたなぁ」

「ええ、本当に。
 まぁヒントを手に入れられた分だけ、まだマシなのかもしれませんけど」

「そうですな。まぁ、気落ちせずに。
 何事も最初から結果が出るものではありませんよ」

「はい……っと、そうだ、コルベールさん。
 一つ頼み事をしたいんですけれど、良いですか?」

「はい」

「このルーンに関してなんです」

そう云って、カールは左手を持ち上げた。
刻まれた文字を目にし、コルベールはどこか気の毒そうな色を瞳に滲ませる。
彼がそんな風に様子を変えたのは、そう不思議ではない。
メイジという立場にいる者は、誰もがプライド高い。高慢というわけではなく、誰もが譲れない一つの基準を心に持っているのだ。
それはトリステインでもゲルマニアでもガリアでも変わらないのだと、カールは聞いている。

そして、そのメイジが使役する使い魔――本来であれば従える者の立場にメイジ自身がされた時、その屈辱は何にも勝るのだという。
これは使い魔という立場だけを指しているのではない。
頭を下げるつもりのない人物に呼び出され、唐突に仕えろと云われれば誰だって反感を抱くのが普通だ。

ならば使い魔召還などという儀式は――などと、極端な思考に飛ぼうとは思わない。
そもそもサモン・サーヴァントは人間以外の生物を呼び出し、使役するものだ。カールがイレギュラーなだけである。
人とその他の生物を同列に考えるのは、普通に考えて真っ当ではない。
悪いとは云わないが、とても消費社会の中で生きてゆける人種ではないだろう。そういった者は。

ともあれ――メイジは、己の生き方を己で決める。誰に仕えるか。何を目的とするのか。
国に仕えるのも、金を何よりと大事にするのも、それは人によりけりといったところか。
何を信ずるか。何を尊いと思うか。その自由を侵害されるのを、メイジは何よりも嫌うのだ。
杖にかけて、という言葉がそれを何よりも示しているだろうと、カールは思う。

そして、メイジでありながら――そのメイジという立場が嘘なのだが――使い魔という立場を強いられたカールに対し、コルベールは同情的だった。

「少し、気になる点があるんです。
 フーケを捕まえた際の戦闘で、このルーンの効果によるものなのか、武器を手にしている最中、戦闘能力が上昇しました。
 得体の知れないものを放置したくはないので、申し訳ありませんが、このルーンの正体を調べてもらえませんか?」

「……ミスタ・カールがそれで良いのなら、任されましょう。
 あなたをメイジと気付けずにコントラクト・サーヴァントをミス・ヴァリエールに勧めたのは私ですからな」

「いえ、そんな。
 すみません、研究の邪魔をするような手間を頼んで」

「気にしないでいただきたい。
 それでは早速……ルーンの効果ですが、どのような?
 怪力を発揮した、などなら心当たりはありますが」

「いえ、そういうのじゃないんです。
 なんでしょう……武器を持ったときだけに限定されるんですが、魔法の威力、身体能力、そういったものが全体的に上がったように思えます」

「戦闘特化のルーン……それだけなら珍しくはないのですが、不思議ですな。
 武器を持つ、という条件が必要であるならば、ミスタ・カールに刻まれたルーンは人か、それと同じ身体を持つ幻獣に刻まれるものなのでしょうなぁ。
 オーク鬼などを呼び出した先例を取っ掛かりに、調べてみます。
 ああいや、武器を取り扱う知性があることを前提にしているルーンか……?
 だとしたらオーク鬼は相応しくない。
 ううむ、なんとも知的好奇心が刺激されますな」

「よろしくお願いします」

カールが小さく頭を下げると、二人はアルヴィーズの食堂に到着した。
そのまま階段を上がり、二人は教師の食事スペースである二階ラウンジへと向かう。
部屋の割り当てがそうであるように、カールが食事を取るのは一階ではなく二階だった。

さて、とカールは気分を入れ替える。
デルフリンガー、ルーン。その二点が気になるのは確かだが、他にもカールが気を配るべきことはあった。
それは、自分をこの世界へと呼び出した少女、ルイズとの対話だ。















月のトライアングル













夕食のあと、女子寮の廊下をカールは歩いていた。
階段を昇って三階まで上がり、部屋の番号を確認しながら目的の部屋を探す。
そうしながら、彼は夕方のやりとりを思い出していた。

夕食前の中庭で行われていた、ルイズの練習。
それに対して投げつけられていた罵詈雑言を堪えていたルイズ。
可哀想だ、という素直な感情はあるし、助けてやれるなら、とも思うが、自分にはそれが許されていない。
だからルイズとは一定の距離を置こうと思ってはいたものの――どうやら、無視することはできないようだ。

辿り着いた部屋の扉をノックすると、室内からやや強ばった声が返ってくる。
失礼、と入室すると、ルイズはカールを一瞥するなり部屋に備え付けられた椅子を勧めてきた。
二人は椅子に座って、テーブル越しに視線を交錯させる。

出会い頭に罵声の一つでも浴びせられるのでは、と思っていたが、自身の苛立ちを言い訳に辛く当たるほど彼女は常識外れではないようだ。
あまりカールにとって実感のないことだったが、ルイズは公爵家の三女である。
まだ子供ではあるものの、相応の立ち振る舞いは身に着けているのだろう。

「話が長くなるならメイドを呼ぶわ。お茶でも入れさせるわよ」

「あまり長くはならない、と思う。
 もう夜だし、長居するのも悪いだろうから」

「そう」

さして興味もない風に頷いて視線を流すと、それで? とルイズは続けた。

「話って何?」

「俺が、ルイズの使い魔として呼び出されたことに関してだ」

「……文句があるなら聞くわよ」

どうして今更、という響きはあるものの、自分がメイジを呼び出したという事実を認めないわけではないようだ。
カールを呼び出した翌日は舞い上がっていた彼女だが、時間が経ったことで落ち着いたのだろう。
ルーンを刻み、使い魔としたものの、カールが自分に従うつもりはないし、道理もない。
それを分かっているからこそ、ルイズはカールを使い魔ではなく他人として扱っているのかもしれない。

「……文句は、ない。
 事故のようなものだったって分かってる。
 悪意をもってやったのならともかく、違うんだろ?
 なら、仕方がないさ」

ミッドチルダに帰れない、その原因を作ったルイズに思うところがないわけじゃない。

だが、それはそれだ。
今カールがルイズの目の前にいる理由は、言葉を交わすことで彼女の助けになることができたのなら――というものだった。
不干渉を貫くことは誰にでもできるし、賢い生き方だろう。
だがカールはとてもじゃないが賢いと云える生き方をしてきた人間ではなかった。
そう――どうにも、カールはルイズを無視できないのだ。

コルベール曰く、ルイズは真面目な生徒なのだという。
聞いた話だけではなく、他の生徒が憩いの時間としている時すら、一人、熱心に成功するかどうかも分からない魔法を使っているところを目にした。
だが一向にその芽は出ず、もし運が悪ければ、彼女の努力は完全に徒労で終わる可能性すら存在するのだ。
……オスマンの云う、ハルケギニアの魔法に適正がないかもしれない、という推察が当たってしまったのならば。

結果の見えない努力がどれほど辛いものかを、カールは知っていた。
何をしても、自分の望む結果は手に入らないのではないか。
そんな諦めを振り解いてひたすらに努力を重ねる辛さは、カールにとって他人事とは思えない。
だからカールは、こうして少しでもルイズの助けになれたらと顔を合わせているのだ。

「……俺が使い魔として呼び出されたのも何かの縁だと思う。
 魔法そのものを教授することはできないけれど、相談ぐらいになら――」

「ふざけないで!」

ダン、とテーブルを叩き、ルイズは一気に態度を変えた。
自制していた怒りは一気に噴出し、目尻はつり上がっている。
きっと引き結ばれた口を開くと、彼女は震える声をカールに叩き付けた。

「何それ。同情? 相談に乗れるかもしれないって?
 魔法を教えるつもりがないんだったら、あなたになんて用はないわ!
 相談に乗る? なんの? だったら教えてみなさいよ。
 魔法を覚える以外に、私がやるべきことってなんなの?
 公爵家の娘として、嫁にでも行けって云うの?
 ええ分かってるわよ、魔法を使えない貴族にはそれぐらいの価値しかないわよ!」

「……ルイズ」

「今まで、たくさんのメイジが私に魔法を教えようとしたわ。
 お父様とお母様が呼んだ、あなたと同じスクェアクラスのメイジだっていた。
 けれど誰も、私に魔法を覚えさせることなんてできなかったのよ。
 中には、私の爆発に価値を見出して、それを攻撃魔法に……なんて人もいたけどね」

それもそうだろう。
公爵家の人間にわざわざ呼ばれたメイジが、なんの成果を上げずに引き下がるのは有り得ない。
最高位のメイジ、そのプライドを守るため、詭弁でもなんでも使ったに違いはないはずだ。
だが、

「そんなのはただの侮辱よ! 私はヴァリエール家の娘として、魔法を使えなきゃいけないの!」

……その叫びは、公爵家の娘として放ったものなのだろう。
やはりカールには貴族の立場、その重みというものが分からない。

だが、それでも理解に努めようとするならば。
彼女が欲しているのは魔法だけではない。
公爵家の娘として家の格を落とさない、公爵家の娘という立場に相応しい力を持ちたい――そう、責務を果たそうとしているのだろう。

名門と呼ばれる魔法学院に入れたのも。
不自由のない生活をしていられるのも、それらはすべて、貴族であるからだ。
並の人間ではどう足掻いても手に出来ない贅沢の裏には、しかし、当たり前のように責任が存在している。
責務を果たす義務があるからこそ、貴族にはそういった暮らしが許されているのだろう。
責任を果たさない貴族も存在しているのだろうが、この場では関係がない。
ルイズの目指す貴族は、そんなものではないからだ。

彼女は、貴族であるのに責務を果たせないことが悔しくてたまらないのだろうと、カールは思う。
そうでなければ、実るかどうかも分からない努力を続けることなど出来はしないはずだ。

未だ子供で、貴族としてはスタートラインにも立っていない書生の身分ではある。
だが、いつか訪れる貴族としての品格が問われるとき、何もできないままでは、それこそ彼女が自分で口にしたような、公爵家の女としての価値しかないことになるのだろう。

それは果たして、貴族としての責任を果たしているのか。
カールは分からない。それで充分と云う者もいるかもしれない。だがルイズは、それに対して否と思っている。
だからこそ魔法を覚えることに執念を燃やし、魔法を使えない公爵家の娘という立場に価値がないと理解しているからこそ、カールの言葉にこうも怒りを露わにしているのだ。

……誇り高い子だ。
そう疑いなく思えるからこそ、カールはより一層ルイズを哀れに思う。

「出て行って! あなたと話すことなんて、何もないわ!」

ドアを指差し、腰を浮かせながらルイズは怒鳴った。
カールは僅かに逡巡しつつも、分かった、と立ち上がる。

ルイズが魔法を使えないことに対して何を思っているのかは理解できた。
そして、今この場ではどんな言葉も彼女に届くことはないだろうと。
カールに魔法を教えるつもりがない以上、やはりルイズにはどんな言葉も聞いてもらえないだろう。当たり前の話だ。

相談に乗るつもりでいながらも、カールはルイズと同じ目線に立とうとはしていなかった。
であれば、どんな言葉も彼女には通じないだろうから。

「……また明日。
 俺は君のことが嫌いじゃない。いや、むしろ好ましい。
 だから、このままにしておきたくはないんだ」

「――ッ、うるさい!
 私はあんたなんか、きらいよ、だいっきらい!」

ドアを閉める直前に、そんな涙混じりの怒声を叩き付けられた。
そっと扉を閉じて、カールは溜息を吐く。
どうやったらこの子に言葉を届けられるだろうか――そんなことを考えていると、隣の部屋の扉が開かれた。

「こんばんは、ミスタ。
 どうやら大変なことになってたみたいね」

「君は……」

踊る炎のような長い赤毛に、褐色の肌。
どこかで見たような――そこまで考え、召還された次の日に教室でこの少女と出会ったことを思い出す。

「ええっと、ミス……」

「キュルケよ。まったく、酷いわ。
 レディーの名前を忘れてしまうだなんて」

云いながらも、責める言葉とは裏腹にキュルケは微笑みを浮かべた。

「ルイズと何かありましたの?
 なんだか、酷い怒鳴り声が聞こえてきたけれど」

「ああ……まぁ、色々と。
 魔法に関して彼女と少し話をしたんだけど、駄目だった」

「そう」

小さく頷くと、彼女は困った風に笑みを浮かべる。

「ルイズにとって魔法はコンプレックスであると同時に、手に入れるべき憧れだから……。
 だから、安易に触れたら、今みたいに怒鳴られるでしょうね」

そんな風に口にした言葉に、おや、とカールは眉を持ち上げた。
てっきりキュルケとルイズの仲が悪いと思っていたからだ。
しかし彼女が今口にした言葉は、仲が悪い人間が云うようなものではないだろう。
よく相手を観察していなければ分からないような……いや、相手がどういう人物か知っているからこそ嫌う、というのもある。
だがルイズの言葉を信じるならば、キュルケとルイズの間にある因縁は個人規模のものではなく、家のものであるらしい。
だというのにルイズ個人をよく見てるであろうキュルケの言葉が、カールには意外だった。

「……よく見てるんだ。
 ルイズと君は、てっきりいがみ合っているものだと思っていたけど」

「あら、ツェルプストーの人間としてヴァリエールの人間を嫌ってはいるわよ?
 あっちにはあっちの言い分もあるのだろうけれど、私たちにだって都合はあったし。
 それでもまぁ、敢えて云うなら、そうね……ルイズのあのひたむきな姿勢を、私は認めているの」

くすぐったそうにキュルケは云う。
だが、すぐにその表情を打ち消すと、彼女は流し目をカールへと向けてきた。

「そんなことよりミスタ・カール。
 今、私はとても暇ですの。よろしければお茶の一杯でも付き合ってくださらない?」

「ああ、そうだね。折角だし――」

と、そこまでカールが言い掛けたときだった。
ガラスが砕かれるけたたましい音が甲高く響き、次いで、ルイズの悲鳴がドアを越えて木霊した。
カールとキュルケは即座に目の色を変えてドアを開け放つ。

ルイズの部屋は、さっきと様子を変えていた。
床にはガラスの破片が散らばり、吹き抜けとなった窓から吹き込む風によって、カーテンがそよいでいる。
それを背後に、月光を浴びながら、窓枠に脚をかけている影があった。

体格を隠すほどに大きなマントに、顔に被さった仮面。
その人物の腕には、ぐったりとしたルイズが抱きかかえられている。
気絶しているのだろう。血臭は漂ってこないため、傷付けられてはいないはずだ。

「……カール・メルセデスだな」

ルイズを抱きかかえた影、声からして男だろう人物は、じっとカールを見て云った。

「主人の命が惜しいならば、二本の"光の杖"を持ち草原の東にこい。一人でだ」

「待ちなさい! ルイズを――」

咄嗟にキュルケは声を上げ、しかし、悔しげに唇を噛んだ。
おそらく杖が手元にないことを思い出したのだろう。
ミッドチルダ式魔法と違い、ハルケギニアの魔法は媒介として杖がなければ発動することができないのだ。
その杖を部屋に取りに帰っていれば、間違いなく男を取り逃がしてしまう。

そしてカールは、キュルケがすぐそばにいるため魔法の使用を躊躇い――その隙に、男は姿を消した。
ギリ、と歯を食い縛る。

「……ミス・キュルケ。君は教師の誰かに連絡を。
 俺はオスマン学院長の所へ"光の杖"を取りに行く」

「ええ、分かったわ!」

疑問を口にすることもなく、キュルケは颯爽と駆けだした。
彼女を追うようにカールも動き出す。
また"光の杖か"――そんな呆れが浮かんでくるものの、それよりも今は、ルイズを浚われてしまったことへの悔しさが勝っていた。
ルイズが抱きかかえられているのを見た瞬間、バインドを発動させることはできたのだ。
しかしキュルケがいるため躊躇ってしまい、そして敵をみすみす逃してしまった。
そのことに、やり場のない怒りを、感じていた。


























トリステイン魔法学院を取り囲む草原、その東。
桃と群青に輝く二つの月が照らし上げる緑の海原を、カールは歩いていた。
さくさくと踏みつける雑草は、夜風にそよいでいる。
そこへ、カールの肩からぽとりと一つの影が落ちた。

オスマンの使い魔である鼠のモートソグニルだ。
遠見の鏡では様子をうかがうことはできても、音までは聞こえない。
そのため、カールはオスマンから使い魔を同伴させ、敵に気付かれない内に野に放ってくれと頼まれていた。

カールは両手にそれぞれ杖を持ちながら、ゆっくりと草原を進む。
そうして小高い丘を越えたところで、夜景に浮かび上がる二つの影を見付けた。

マント姿の男に、ローブを被ったもう一つの影。二人の足下には、月光に輝く桃色がかったブロンド――ルイズが、横たえられていた。
気を引き締めながらカールは二人との距離を詰める。
そうして十メートルほどまで近付くと、止まれ、と声が響いた。

「"光の杖"を投げろ」

「ルイズと引き替えに、だ」

「断る。君がただ者でないことは、既に彼女から聞いているんだ。
 だというのに行動を制限している枷を解いてしまえば、何をされるか分かったものじゃないだろう?」

云いながら、男は同意を求めるように側の女へと顔を向けた。
応じて、女がローブのフードを下げる。そうして露わになった顔に、カールは目を細めた。

「……フーケ?」

「ああ、そうだよ。あんたにやられて捕まった、土くれのフーケさ」

「どうして――お前、監獄に入っているんじゃ」

「この旦那が出してくれたんだよ。
 ま、そんなことはどうでも良いだろう?
 さあ、あの夜の続きといこうか」

寄越しな、と云われ、カールは両手に握った杖を放り投げた。
フーケは投げ出された"光の杖"へと歩き出す。
カールの動きを阻害するように、男の杖はルイズに向いている。その先に集まっている風の渦――おそらく、風のブレイドだろう。
もし動けばルイズは無事じゃ済まないと、カールに示している。

歯を噛み締めながらカールが耐えていると、フーケは落ちている二本の杖を拾い上げ、薄く笑った。

「今度は二本ともだ。こないだみたいなドジは踏まない」

どうやら杖なしでカールが魔法を発動させたことを、フーケはスペアがあったからだと解釈したようだ。
それもそうだろう。"光の杖"が二本あるならば、杖なしで魔法を使ったという非常識よりも、もう一本を隠し持っていたという、より常識的な方に解釈するのが普通だ。

「さあ、こいつの使い方を教えな。
 学院を閉じこめた魔法だよ。それさえ教えてくれたら、あんたのご主人様は返してやる」

――杖の使い方ではなく、封鎖結界を?
大事そうに杖を抱きかかえるフーケの様子と、敢えて封鎖結界を指定する言葉に、どこか引っかかりを覚える。
が、違和感を覚えても意味はない。あまり関係のないことかも――いや。

「使い方を教えたところで、一朝一夕で身につく魔法じゃないぞ、あれは」

「ほう……ならば君の使った魔法とやらは、一体なんなのかな?」

声を上げたのはフーケではなく、仮面の男だった。
彼はブレイドを発動させた杖をルイズに向けたまま、両手を広げてカールに問いかけてくる。

「フーケに聞いたところ、君の使った魔法は知らない代物だったらしい。
 風の魔法で生み出した結界であるならば、地中を進めば逃れられるのが道理だ。
 しかし、どうやらそれはできなかったと云う。
 彼女の言葉を借りるのならば、まるで、光の檻。
 是非教えて欲しいものだ。それは一体、なんの魔法なのかな?」

そう問われ、咄嗟にカールは上手い嘘を吐けなかった。そんな器用なことに向いている性分ではないのだ。
風の系統魔法でないことは、男の口から云われたことから既にバレていると考えるべきだろう。
そのため、適当な言葉がすぐに浮かんでくることはなかった。

そして男は、喜色の滲んだ声で、やや上擦った調子に口を開く。

「云えないのかな? ならばそれは何故?
 口にするのも憚られると……そんな魔法なのかな?」

……ある意味では合っている。
だが、

「そう、虚無のような!」

男が口にしたまるで見当違いの言葉に、カールは眉根を寄せる。
だがそんなカールに気付かず、男は先を続けた。

「四系統に属さず、また、他に類を見ない効果を持った魔法。
 なあ、そうなのだろう? そこでだ、教えて欲しい。
 君が虚無を用いることができたのは、"光の杖"の力によるものか。
 それとも、君個人の力によるものなのか。
 それ次第で、話は変わってくるんだ。さあ、返答は?」

「ああ――」

溜息と共に、カールは口を開いた。
相手の出方を覗い、ずっと隙を探していたが、

「俺が使った魔法は、虚無だ」

「やはり――!」

男が歓喜に身を震わせる。
瞬間、ルイズに突き付けられていたブレイドの切っ先が僅かにだけズレた。
カールはそれを見逃さない。言葉を交わしてる間、ずっとその時を待っていたのだから。

完成一歩手前まで構築していた移動魔法、ブリッツアクションを発動。同時に、バリアジャケットを展開。
更に、フェイクシルエットによって光学迷彩を施しておいた背中のデルフリンガーを抜き放ち、一気に男との距離を詰めた。
カールが立っていた場所は爆発したかのように土砂を巻き上げ、一瞬の内にデルフリンガーを下段に構えたカールの身体は男の目の前へと接近していた。

加速の勢いを乗せた峰打ちが大気を引き裂き、そのまま男の脇腹へと吸い込まれる。
肋骨を粉砕し、肉を叩き潰す手応えに表情を歪めながらも、カールは男を蹴り飛ばした。
仮面の男は錐揉みしながら夜空を飛翔し、そのまま草原に落下、転がる。

それを横目で見ながら、カールは即座にサークルプロテクションを発動。
群青の光がルイズをドーム状に包み込み、彼女の保護に成功した。

「ヒャッハー、峰打ちだー!
 ……相棒、今の勢いなら一刀両断できてたぜ?」

「人を殺すのには慣れてないんだ。
 それに、今のだって手加減はした」

それでも、ともすれば命を奪ってしまうような威力を発揮してしまったのは、一重に左手のルーンが力を与えてくるからだ。
苦々しい表情のまま、カールは僅かに唇を噛んだ。

「いいから黙ってろ」

「……寂しいぜ。
 ああ、あと助言だ。
 もちっと感情を高ぶらせた方が良い。そうすりゃ使い手は十二分に力を発揮できる。
 相棒が優秀な戦士なのは握られりゃ分かるから、無茶な注文かもしれねーけどよ」

デルフリンガーが云っていることは、仕方のないことだった。
ストライカー、歴戦の猛者として、カールは感情のセルフコントロールを当然のように習得している。
戦闘において適度に己を鼓舞するのは推奨すべきことだが、一定以上に精神を高ぶらせるのは要らぬ力みや体力の配分を乱すことに繋がる。
そのため戦場で感情を爆発させるようなことはまずないのだが、それとは別に、

「何か思い出したのか?」

「……すまねぇ、根拠がなかったわ。
 なんとなくそんな気がしたんだ」

「……黙ってて」

「うい。
 ああ、それと相棒。戦ってる内に今みたく何か思い出すかもしれねぇから、戦友の方じゃなくて俺の方を使ってくれると有り難いぜ。
 いや、嘘でもなんでもなくな?」

「分かった」

微かな落胆を覚えながらも、カールは意識を戦闘へと引き戻した。
フーケは"光の杖"を地面に置くと、懐から杖を取り出す。
カールに蹴り飛ばされた男も、満身創痍の状態で立ち上がり――その身を、増やした。

「……偏在?」

おそらくそうなのだろう。
口にした瞬間、カールは舌打ちしたい気分になった。

魔力変換されたミッドチルダ式魔法もそうだが、系統魔法も同じように、場の状況によってその威力を上下させる。
そしてこの遮蔽物の存在しない草原は、風の使い手にとってこの上なく戦いやすいフィールドだろう。
そしてフーケにとっても、武器にする土くれには困らない。
アウェーと云えばアウェーと云える状況だ。

どうする、とカールは己に問いかける。
このまま空に上がれば勝負はついたようなものだ。
ハルケギニアにはメイジ同士の空戦という概念が存在しない。そのため、飛行可能な幻獣を用意していないフーケたちはただの的に成り下がる。
だが、ルイズという枷がある今、迂闊に空へと上がるのは危険だ。
サークルプロテクションを発動させているとは云っても、強度を上回る攻撃を叩き込まれれば破られるのが道理である。

このまま陸戦を挑むしかないのか。
アベレージ・ワンの名が示すように、カールは陸戦もこなすことができる。
だが、あまり守勢に回りたくないのは事実だった。

いくら系統魔法がミッドチルダ式と比べ未熟な点が多々あろうと、個人戦レベルの殺傷能力という点に限れば、大差はない。
バリアジャケットや防御魔法があるためそう簡単にやられることはないだろうが、リスクを放置したまま戦闘に突入したくはなかった。

そう。ハルケギニア人にとってミッドチルダ式魔法が未知の塊であるように、系統魔法もカールにとっては未知の塊である。
この世界に召還されてから魔法に関して一通り目を通したものの、知識とは別に実戦経験は乏しい。
対系統魔法戦はこれで二度目。しかも相手は偏在を使えることから、風のスクウェアと見るべきだろう。それに加えて、土のトライアングルであるフーケまでいる。

ハルケギニアの戦力比をカールは知らないが、とても楽な相手ではないことは察することができた。

自分たちから男たちが離れたあとに結界魔法を発動、閉じこめて空から一方的に――という作戦は、果たして成功するのか。
今この場で封鎖結界を発動させることも可能といえば可能だが、デバイスのない状態ではルイズを除外するという細かい設定に自信がない。

「……失せろよ。
 "光の杖"は渡した。ルイズは取り戻した。
 これ以上、俺たちが睨み合う必要はないはずだ」

退いてくれればそれで良し。
二本のデバイスも、転送魔法で引き寄せることは可能だ。
しかし、

「なるほど。簡単に杖を手放すとは……。
 やはりフーケの云う魔法はマジック・アイテムの力ではなく、虚無の力によるものなんだね。
 ならばここで退くわけにはいかなくなった。
 虚無の力がどれほどのものなのか、この身で確かめさせてもらおう。
 フーケ。お前には悪いが、付き合ってもらうぞ」

「ちっ、仕方ないね」

どうやら向こうは、カールの言葉を聞くつもりがないらしい。
フーケは忌々しそうに舌打ちをしながら、ルーンを唱える。
それに伴い、土が盛り上がってゴーレムが形作られるが――

「あ、あれ?」

「どうした?」

「おかしい。
 あれからもうなん日も経ってるってのに、精神力が――ああもう!」

忌々しげにフーケが声を上げると、彼女の隣には全長十メートルほどのゴーレムが現れた。
三十メートルほどはあった以前のゴーレムと比べれば、どうしても見劣りしてしまう。
それは何故か――彼女らは分からないだろうが、カールには思い当たる節があった。

フーケを昏倒させた砲撃は、純魔力による非殺傷設定だ。
それはバリアジャケットを纏っていないフーケのリンカーコアに満ちる魔力を一撃で吹き飛ばし、体内に残留して、魔力の蓄積を阻害する。
バリアジャケットをまとわないハルケギニアにおいて、ミッドチルダ式魔法の純魔力攻撃は、まるで毒のような効果を持つのだ。

だが、多勢に無勢であることに変わりはない。
敵は仮面の男が四人に、フーケが一人、ゴーレムが一体、計六人。
こちらは一人で、不得手ではないものの得意でもない陸戦を挑む羽目になっている。

どう戦うか――逡巡していると、男たちが動いた。
ルーンが耳を打つと同時に、猛烈なまでの突風が吹き荒ぶ。
それをプロテクションで防ぐカールだが、動きを止めた彼に向けてゴーレムは動き出した。
土の人形は腕を振り上げ、その材質を変える。右腕が鉄に変わると、鉄槌の如き勢いでカールを押し潰さんと振るわれた。

カールはそれを、僅かに身体を捻ることで回避する。
地面に突き刺さる豪腕にそっと手を添え、以前と同じようにブレイクインパルスを発動。
金属が粉々に砕け散る甲高い音と共に、支えを失ったゴーレムが倒れ込んでくる。
ステップを踏みつつ回避行動を取って、擦れ違い様に再びブレイクインパルスを。
固有振動数を鉄から土に変えて再度放たれた魔法により、ゴーレムは今度こそ無力な土くれへと還った。

くそ! とフーケの罵声が聞こえる。
それと同時、仮面の男がマントを翻しながら二人、接近してきた。
杖が掲げられると同時、大気が歪んで槍に変貌する。殺到する二本の刃に対し、射出された刹那、カールは前進することを選んだ。
姿勢を低くすることで潜り抜け、一気に間合いへと潜り込む。
驚愕に動きを止める二人の内一人をリングバインドで拘束すると、もう一人へと袈裟懸けにデルフリンガーを叩き落とした。
鎖骨を割り砕く感触と共に、痙攣するように男は動きを止めた。
動きを止めた男の腹に掌を添え、ショートバスターを展開。
群青の閃光が瞬くと同時、男の姿は掻き消える。

偏在とは云っても、おそらく像を形作っているのは魔力なのだろう。
そのため、偏在を構築している以上の魔力を叩き込まれたことで消滅したのか。

推察は後だとばかりに、カールは脚を動かした。
が、そのカールへと横殴りの圧力が加わる。エア・ハンマーだ。
砲撃を放って走りながら体勢を整えようとした隙に打ち下ろされた衝撃に、カールはたたらを踏んだ。
咄嗟にデルフリンガーを盾のように差し出し、更にプロテクションを発動させたため痛みはない。
だが足を止められたことは確かであり、

「相棒! エア・カッターがくる!」

「不可視の刃だったか……!?」

仮面の男が唱えたルーンを聞いたのか、デルフリンガーが声を上げた。
即座にカールはサークルプロテクションを展開し、刹那、彼を中心にして地面を覆う草が土砂と共に舞い上がった。
もし無防備な状態で直撃すれば、間違いなくバリアジャケットがリアクターパージされるほどの威力だ。
そこへ追撃を受ければ、重傷は免れない。

魔力光の見えない攻撃にカールは背筋を泡立てながら、クロスファイアを構築した。
浮かんだ光は六つ。行け、と言葉にせず命じると、群青の瞬きは直角の機動を描きながら二人の仮面へと肉迫した。
仮面の男は二人で寄り添い、クロスファイアをギリギリまで引き付けてからストーム――竜巻の防壁を生み出し、魔力弾を弾こうとしたのだろう。
だが、竜巻に衝突しながらも、クロスファイアは暴風の障壁を素通りした。

ヴァリアブル・バレット。
魔力弾を弾殻で包み込み、敵の防壁に当たると同時にそれをパージ、魔力の破裂により一時的に防御を中和し、魔力弾を標的に撃ち込む技術である。
AMFに対して有効な対抗策と云われているそれは、このハルケギニアでも敵の防壁を食い破る力を発揮していた。

殺到する六発の誘導弾の直撃を受け、二人の男は吹き飛んだ。
が、それと同時、バインドをエア・カッターで破壊し解除した仮面の男とフーケがカールへと杖を向けてくる。
更に、クロスファイアの直撃を受け倒れ伏しながらも、仮面の男は杖を――カールではなく、ルイズへと向けた。

――勝てない戦いじゃない。けれど、ルイズを気にしたままじゃ。

敵の戦闘能力を削っているのは確かなものの、ルイズを守りに入れば優勢となった運びはふりだしに戻ってしまう。
守勢に回ったため仕方がないと云えるかもしれないが、このままじゃ――

「カール……ッ!」

ジリ貧に回るしかない状況にカールが歯噛みしたときだった。
甲高い声が響くと同時、カールはそちらへと目を向ける。どうやらルイズは、目を覚ましたようだった。

仮面の男がルーンを唱え、風の刃がルイズのいる場所を蹂躙する。
それでサークルプロテクションが砕けることはなかったが、至近距離を吹き飛ばされる光景に、彼女は目を白黒させた。
だがそれでも、彼女は我を取り戻して声を張り上げる。

「私に構わないで!
 あんたなんて、私となんの関係もないじゃない!
 浚われたのは私のミスだわ! 手助けなんて余計なお世話よ!」

……おそらくは、本気で云っているのだろう。
現実を見ていないわけじゃない。もしカールがルイズを見捨てればどうなるか――それを分かった上で、彼女は云っているのだ。
助かると根拠もなしに信じているのではない。危害を加えられることすら自分のミスで、だから受けて当たり前の仕打ちなのだと思っている。
何故だか確信できる。それは、そう多くない回数しか彼女と言葉を交わしていないまでも、彼女という人物を僅かに掴むことができたからか。

「やめて! もうこれ以上、私を無様にしないでちょうだい!」

放たれる魔法が放つ轟音。
それに負けないよう張り上げられた声は、裏返ってすらいた。
喉を痛めるほどに紡がれる言葉は、ああ、彼女の性格がそのまま言葉になっていると云える。

そのプライドの高さを醜悪と取るかどうかは人によるだろう。
だがカールは――彼女が魔法を使えないその理由を知っているため、もし彼女が魔法を使えたらこうも悲壮な声を上げなかったと思うために、醜悪などとは微塵も思わなかった。
努力はしていた。けれど生まれ持った才能が、致命的にこの世界と合っていないであろう少女。
そんな彼女を、自分は、助けることができるのか。
物理的な意味ではなく、少しでもその心を慰めることが――

「……関係なら、あるだろ」

「……え?」

放たれる土のバインド、風の刃、それらをステップを踏んで避けながら、カールは呟く。

「君の魔法であるサモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァント。
 それが成功した結果として、俺は使い魔になったんだ。
 ……使い魔は、主人を守るのが仕事なんだろ?」

カールの言葉を境に、ルイズは声を止めた。
息を呑んだのかもしれない。仮面の男たちを見据えるカールに、それは見ることができなかった。

「成功したじゃないか、魔法。
 今君を守っているのは、君自身の力だ。
 そうだろう?
 それでも守られているだけが嫌だって云うなら、協力して欲しい」

云い、カールは大きく跳躍し、仮面の男たちと距離を置いた。
そして魔力を一気に放出しながら、足下にミッドチルダ式魔法陣を展開し――

「走れ!」

大声を上げると同時、ルイズを守るサークルプロテクションを解除した。
ルイズは即座にカールの意図を汲んで、しゃがみ込んだ状態から立ち上がり、背中を見せて駆け出した。
無論、仮面の男たちがそれを見逃すわけがないが――

「――ッ!」

歯を食い縛り、身体を旋回させると共にデルフリンガーから放たれた衝撃波が草原を疾走する。
轟音を伴って吹き荒ぶそれは、通過した射線上にあるもの――フーケと仮面の男たち全員を、その場で宙に張り付けにした。

「またこれかい……!」

フーケが怒声を上げるも、カールはそれを無視して更に魔法を構築する。
立ち上る魔力がデルフリンガーに絡み付き、群青の輝きが夜空へと一直線に伸びた。
そうして形成されるのは、刀身が五十メートルを越す魔力の刃、

「断ち切れ、ジェットザンバー!」

トリガーワードが紡がれた瞬間、魔力刃は群青の輝きで草原を照らし上げながら、横薙ぎに振るわれた。
その斬撃の通過点にいたフーケと仮面の男には、一刀両断に切り捨てられる激痛と、精神力――魔力を根こそぎ奪い取られる攻撃が叩き込まれる。
そうして、群青の閃光が昼間のように闇夜を照らし――

蛍火のようにカールの魔力光、その残滓が踊る中、フーケを抱える仮面の男が一人、立っていた。
男はじっとカールを見詰めながら、杖を構えている。
カールは大技を放った疲労感を見せずにデルフリンガーを下段に構えながら、敵意に燃える碧眼で男を睨み付けた。

「見事。
 偏在で生み出され劣化していたとはいえ、スクウェア四人とトライアングル一人を、圧倒的に不利な状況で相手取るその力、虚無と云うに相応しい。
 有り得ないことだよ、これは」

満足げに頷くと、彼は顎で地面に置かれたままの"光の杖"――汎用デバイスとカブリオレを顎で指し示した。

「それは返そう。
 我々が持っていても宝の持ち腐れだろうし。
 ……それでは、また会おう。
 虚無の伝承者。そして、虚無の担い手よ」

男がそう言い終えると同時、突風が草原に吹いた。
瞬間、男の姿が掻き消える。風系統の魔法だろうか。
危険がないことを確認したカールは、溜息を吐くと共にデルフリンガーへと視線を落とした。

「デルフ」

「あいよ」

「ジェットザンバー……光の剣を生み出したとき、お前に魔力が吸い取られるような感覚があった。
 何か知らないか?」

カールが云ったことは事実だった。
咄嗟に魔力を上乗せすることで魔法を完成させることはできたが、もし失敗していたらと思うと心臓に悪い。
デルフリンガーは考え込むように金具をカチカチ鳴らすと、おお! と声を上げた。

「いやー、すまねぇな相棒。すっかり忘れてた。
 そぉい!」

デルフリンガーが声を上げると同時、錆び付いていた刀身が光に包まれた。
それが止むと同時に現れたのは、鏡に代用できるほど研ぎ澄まされ、月光に光り輝く刀身だ。
一体何が、とカールが目を細めると、カチカチと金具が鳴る。

「これが俺の本当の姿よ。
 それで相棒の魔法なんだが、いや、本当に悪いね。
 俺は刃の部分で魔法を吸い込むことができるんだ。
 いきなりだったからつい驚いてやっちまった。
 その他にも色々と思い出して――」

「悪い、あとで聞くよ。お疲れ様」

「相棒――!」

まだ喋り足りない! といった様子のデルフリンガーを背中の鞘に収めると、カールは歩き出した。
そして地面に転がった二本のデバイスを待機状態、カブリオレをカード、汎用デバイスをペンダントモードに戻すとポケットに入れ、更に進んだ。

その先には驚いたようにルイズが座り込んでいる。
腰を抜かしたのだろうか。それでもはしたなく脚を広げたわけではなく、横たえてる辺りに育ちの良さを感じた。
そんなどうでも良いことを考えながら、カールは尻餅をついたルイズへと手を差し出す。

「立てる?」

「……もうちょっと待って欲しいのよ。
 その、脚が痺れただけだから! 腰が抜けたなんて勘違いしないでちょうだい!」

バツが悪そうに、ルイズは声を上げた。
それに苦笑しながら、それなら、とルイズを抱きかかえる。

「え、ちょ、カール!?
 いきなり何するのよ、失礼ね!」

「待っても良いけど、早く学院に帰らないと皆が心配するだろ?」

「……なら、仕方ないわね。
 許してあげるわ」

本当はオスマンが使い魔で一部始終を見守っているのだが、敢えて口には出さなかった。
それに、早く帰りたいのは事実だ。いつまでも戦場に残っているのは良い気分ではないし、ルイズを休ませてやりたかった。
学生であるのだから、この子が実戦の空気を肌で感じたのはこれが初めてだろう。
だったら、今は元気でも後からどっと疲れが押し寄せてくるはずだ。
経験則からそう考えたカールは、ルイズを抱きかかえながら歩き出した。

思ったよりもルイズはずっと軽かった。
体格が小さいということもあるだろうが、それ以上に、華奢なのだろう。

「……ねぇ」

腕の中で居心地悪そうにしながら、そっぽを向いて、ルイズは口を開いた。

「何?」

「……一応、お礼を云っておくわ。
 そうだったわよね。私、二つだけ魔法を成功させてた。
 それすら忘れてたから」

「ああ、そうだね。
 君は、俺を使い魔にした」

「……悪いとは思っているわ。
 メイジであるあなたを使い魔になんて」

「使い魔として呼び出されたことに、思うところがないわけじゃない」

「……うん」

せつなげに唇を噛むと、ルイズは視線を泳がせた。
彼女なりに責任を感じているのだろう。
それは、カールを使い魔――下僕として扱っていないことからも分かる。
コルベールが云うように、この召還は事故のようなものだった。そしてカールは、その事故の犠牲者。
ルイズ自身も、そう思っているに違いない。
だからこそサモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァントを、成功した魔法だと胸を張ることができないのだろう。

「けれど、こうして呼び出されてしまったのは仕方のないことだし。
 今回の事件は、食客として学院にいる俺としても見逃せなかった……ってこともある。
 使い魔として君を助けたとのかと聞かれたら、素直に頷くことはできない。
 でも、ルイズを助けたいと思ったのは事実だ」

「……何よそれ。
 理屈を並べておいて感情論で締めるとか意味分かんない」

「そうだな。なんだろうな」

上手く、言葉にはできない。
そういう意味で、この戦いを行ったことは感情論が根幹にあるのだろう。
やむを得ない状況だったとは云え、ミッドチルダ式魔法を使って戦いもした。
相手がミッドチルダ式魔法を虚無と誤解したことで、この世界にとって未知の技術であることを隠すことはできた。
ミッドチルダ式魔法を使えない最大の理由は、魔法の使用によって、次元世界の存在が明らかになるからである。
未だ発展途上にある世界に、より進んだ技術を公開するのは確かに進歩を促すことに繋がるのだろうが、侵略と紙一重の行為である。
だからこそ、管理外世界での魔法の使用及び存在の流布は管理局法で原則禁止とされているのだ。

フーケの時は、捕まえれば監獄に押し込まれて情報を流布できないだろうとオスマンに保険をつけてもらっていた。
今回の場合ならば、仮面の男は未知の魔法を異世界のものではなく、ハルケギニアの代物だと認識していた。
だからこそ魔法の使用を躊躇うことはなかったが――

しかしそのせいで、ミッドチルダ式魔法を虚無と誤解され要らぬ火種を作ってしまったのかもしれない。
また会おう、と仮面の男は云っていた。
ならば、再び自分たちの身が危険に晒されることは、半ば必然と云って良い。

「ねぇ、カール」

「ん?」

「あなたが使った魔法って、あの、その……虚無、なのよね?」

どこかそわそわした様子で、ルイズは聞いてきた。
虚無のわけがない、とは考えないのか。
確かに仮面の男に対して、ブラフではあったもののカールは虚無と断言した。
それに、戦闘の興奮が冷めていない彼女は、正常に物事を判断することができないのだろう。

どう答えたものか。
そう思いながら、カールは言葉を選んだ。

「虚無がどんな魔法なのか知らないから、断言はできない。
 けれど俺は、俺の使う魔法を虚無ではないと思っている」

「……そう」

落胆したような、ほっとしたような。
カールの腕の中でルイズは胸を撫で下ろすと、首を傾げてカールを見上げた。

「じゃああなたの使う魔法って、なんなの?
 フーケに使った光の矢。賊を一掃した光の剣。私を守ってくれた光の壁。
 私、それなりに魔法は勉強してるけれど、どれも聞いたことがないわ」

「……あまりメジャーじゃない魔法なんだ。四系統に属さない魔法」

「そう……ねぇ、カール。
 あなたを呼び出したってことは、私にもその魔法の素質があるってことなの?
 だから私は、今まで失敗ばかりしていたの?」

「それは――」

どうなんだろう。未だ、確証は得られていない。
それに、口にしたら最後、ルイズに希望を与えてしまうことになるかもしれない。
オスマンは反対していないようだったが――今のカールには、判断のできないことだった。

「……どうなんだろうな。なんとも云えない」

「……あっそう。
 相変わらず、私に魔法を教えるつもりがないのね」

曖昧なカールの言葉にすっかり臍を曲げてしまったのか、ルイズは不満げに身じろぎした。

「もう歩けるわ。下ろしてちょうだい」

「分かった」

カールはしゃがみ込んで、ルイズを地面へと下ろす。
僅かにふらつきながらも彼女は歩き出し、カールの一歩先を行くと、僅かに頬を膨らませた。

「そうやって、すごい魔法を自分だけのものにしてれば良いんだわ。
 やっぱり私、あなたのこと、だいっきらいよ」


























カールと戦った場所から魔法を使って移動したワルドは、フーケを地面に横たえると、自らも草原に倒れ込んだ。
流石に偏在を四体生み出し、念を入れてカールに感知されないよう隠れて移動したことで、精神力がごっそりと減っていた。
だが、大の字に広がり夜空を眺める彼の表情に、疲労の色はない。

むしろ喜びすら浮かばせて、彼は唇で弧を描いた。

「凄まじい。あれならばエルフとも戦えるかもしれない。
 流石は虚無の伝承者と云ったところか」

伝承者、とワルドは云う。
それはカールが口にしたことではなく、ワルドが独自解釈したことで思い浮かべた言葉だった。

そもそも不可解だったのだ。
失伝した虚無という系統。それの素質を持つ者がいくら存在しようと、教え導く者がいなければ大成させることなどできない。
ルイズがずっと落ちこぼれのゼロと呼ばれていたように、誰もその素質が輝かしいものであると気付かない。

だが――そう。
サモン・サーヴァントによって虚無を会得した者を呼び出し、それによって虚無が受け継がれるならば。
謎が氷解した気分だった。おそらく、六千年間、そうやって虚無は受け継がれてきたのだろう。
一子相伝の第五系統。ブリミル教徒ならば、虚無がどれほどの価値を持っているのかなど誰もが理解している。
そのため世に虚無の伝承者や担い手が出てくることはなく、ひっそりと伝説の系統は続いてきたのだ――

そう、ワルドは思い込んでいた。
そしてその思い込みにより、彼はルイズとカールを虚無の使い手であると断定していた。
……その認識は、あながち間違ってはいないのだが。

「必ず……必ず、手に入れてみせる。
 そして、聖地をこの手に掴んでみせる……!」

云いながら、ワルドは天に浮かぶ双月へと手を伸ばした。
群青と桃色の月は、ただ、じっとそこに佇んでいる。






















おまけ

――カール・メルセデス十六歳について

「そういえばフェイトちゃん、カールくんと会ったらしいね」

「うん。会ったのは、JS事件が終わった日の、アースラで倒れたところだったよ。
 びっくりしたな、本当に。
 急いで医務室に連れ込もうとしたら、『後生だから今の医務室にだけは運び込まないで……!』とか云われたし」

「え、そうなの?
 あの時ベッドで寝てるの暇だったから、話し相手になって欲しかったのになぁ」

「……ああ、気付いてないんだ」

「何が?」

「……彼がどんな人かは、前々から話には聞いていたんだけどね。シャーリーから。
 酷い男の子って話だったけど、実際会ってみたら、ちょっと面白い子かな? って思ったり。
 けれど意外だったのは、結構まともな子だった、ってことかも」

「そうなの?」

「話に聞く限り、ええっと……その……クソ外道とか、脳筋とか、どうせ私は地味な眼鏡っ子ですぅーとか……あ、最後は違った。
 ともかく、あまり良い話を聞いてなかったから、その分、驚いちゃって。
 うん、悪い子じゃないと思う」

「カールくんはすごい良い子だよ!
 頑張ってるし!」

「……うん、そうだね。
 ところでなのは」

「何?」

「彼のこと、どう思ってるの?」

「可愛い後輩!」

「……普通気付くよね。わざわざ関係のないJS事件に首突っ込んできた理由を考えれば気付けるよね。
 ……シャーリーが丑の刻参りでもしてるのかな。
 っていうか、わざわざ切り札として呼び出す辺り、シャーリー、まだ諦めてないんだ……」

「うーん……なんとかしてあげたいよね」

「え?」

「え?」 

「ごめん、なのは。ちょっと話が見えなくて……」

「いや、カールくんとシャーリーの仲直りの話でしょ?」

「……なのは、私たち、今いくつだっけ? 教えてくれない?」

「十九歳だよね。それがどうしたの?」

「いや、その……うん。なんでもないよ。
 なのははそのままでいて……!」




[20520] 5話
Name: 村八◆24295b93 ID:1e7f2ebc
Date: 2010/08/07 02:23


ルイズの救出を無事に終えたカールは、その脚でオスマンの元へと赴いていた。
学院の中は現在、物々しい空気に満ちている。
普段から警備に詰めている衛兵は全員が警戒態勢を維持しており、生徒は全員が自室に引きこもっている。
教師陣はメイジとして戦力に数えられており、誰もが待機状態。

以前オスマンが口にしていた通り、この魔法学院はトリステインのアキレス腱である。
自国の貴族に何かあれば問題だし、ガリアやゲルマニアから通う他国の貴族に何かあれば、最悪、外交問題にまで発展するだろう。
そのため、このやり過ぎ感すら漂う状況も、仕方がないのだろう。

扉をノックし声が返ってくると、カールは学院長室に入った。

「ご苦労。災難だったのぅ。
 疲れているところ悪いが、早速話がしたい。
 座ってもらえるか」

「はい」

オスマンの言葉に従って腰を下ろすと、途端に疲れが押し寄せてきた。
戦闘そのものは得意と云って良いカールだが、流石に命のかかったやりとりで、しかも相手は異世界の魔導師だ。
警戒しすぎて困ることはない――過度に緊張することこそなかったものの、ルイズを無事に助け出すという目的にも気を配っていたため、精神的な疲労はかなりものだった。

「……脱獄してたんですね、フーケ」

「そのようじゃな。今、王宮にまでそのことを確かめるためフクロウを飛ばした。
 もしかしたら今日昨日の内に監獄から抜け出したのではないのかもしれん。
 フーケは散々貴族に対して舐め腐った態度で盗みを働いた盗賊じゃから、それを捕まえたことはそれなりの価値があった。
 同時に、捕まえておきながら逃がしたと知れてしまえば、チェルノボーグ監獄……それを管理している国への不信感も増すじゃろ。
 アルビオンで面倒なことが起こっている今、フーケの脱獄が露呈するのは避けたかったのやもなぁ」

「……薄汚い、とは思いませんよ。
 そういうものでしょう」

別に珍しいことではない。この世界でも、管理世界でも。
フーケが脱獄したことが露呈しない内に再度捕まえてしまえば、結果として脱獄した事実は消えてなくなるようなものだ。
その根性を責めることは簡単だが、だからと云って何が変わるというわけではない。
自分の手でそれを改めるつもりがないのなら、余計なことをほざくだけ無駄というものだ。

「そうじゃな。よくあることじゃ」

そしてオスマンもカールと似たようなことを考えているのか、それとも怠慢に諦めを感じているのか。
話を続けようとはせず、彼は溜息を吐いた。

「助かるわい。おぬしをここに呼んだのは愚痴を言うわけでも陰口を叩くためでもない。
 それを分かってくれているなら話が早そうじゃのう。
 ……これから、どうするかね?」

「……そうですね。
 仮面の男が何を考えているのか把握できていないので――」

「ああ……そうじゃな。そこから話さんといけんか」

カールの言葉に、オスマンは頭痛を堪えた風に顔を顰めた。

「モートソグニルを通して一連の流れを見させてもらったが……仮面の男の狙いが、なんとなく浮かび上がった。
 すべての切っ掛けはフーケなんじゃろうなぁ。おそらく、おぬしのミッドチルダ式魔法を目にして、虚無と勘違いしたのかもしれん」

「虚無ですか……俺はあまり実感がないんですけど、そんなに価値のある系統なんですか?
 確かに、失伝した系統が再発見されれば保護は必要だと思いますけど」

希少技能保有者、古代ベルカの騎士、ユニゾンデバイスという単語を脳裏に浮かばせながらカールは云った。
しかしオスマンは緩く頭を振ると、違うんじゃよ、と肩を落とす。

「この世界にはブリミル教という宗教があってな。
 詳しい説明を省くなら……系統魔法を生み出した人物を神と等しく崇めている、と思って欲しい。
 確かに我々の生活基盤である系統魔法を生み出した人物ならば、神と云っても過言ではない。
 その遺産を使って、私たちはここまで繁栄したんじゃからな」

「はい」

「そして、その系統魔法を生み出した人物の使っていた系統が虚無でな。
 神の使っていた聖なる系統。そのせいで、虚無の系統に目覚めたが者が現れたならば、それは現人神として扱われるじゃろう」

「……ミッドチルダ式をそれと勘違いされた、と。
 虚無がどんな魔法を発動させるのか、文献なりなんなりで残っていないんですか?
 それと照らし合わせれば、俺の使う魔法が系統魔法のどれとも違うと分かりそうな気がしますけど」

「正しく記したものも、あるかもしれん。
 だが、如何せん始祖ブリミルが逝ってから時間が経ちすぎた。
 神聖視された虚無は一人歩きを始め、最早何が虚無かも分からん。
 神の御技に等しい所業はどれもが虚無と云われる……というのは乱暴じゃが間違っておらんよ」

オスマンの言葉から、カールは局員として働いていた頃、仲間内で口にしていた冗談を思い出した。
どんな冗談かと云えば、何か不思議なことが起こったら、古代ベルカの遺産、もしくは、アルハザードの超技術、の一言で片付けてしまうというものである。
古代ベルカやアルハザードがなんなのか分からないため、良く分からないものは全部そこに転嫁してしまう、とんでもなく頭の悪い言いがかりだった。

オスマンの話は、それと似たようなものかもしれない。
神の御技に等しい現象。それが起こったら実体の判明していない虚無だと思え。
彼が自分で云ったようになんとも乱暴な話ではあるが、それは云っても仕方のないことだろう。

「大雑把だがブリミル教については分かってくれたと思う。
 では問題へと移ろうか……ミス・ヴァリエールを浚った仮面の男じゃが、どうやら目的は彼女ではなく、君の方だったようじゃな。
 おそらくはフーケの口から君のミッドチルダ式魔法を聞き、それを虚無と勘違い。
 今回の襲撃は、ミス・ヴァリエールを餌に使い魔である君をおびき寄せ、ミッドチルダ式がどのような魔法かを確かめるためのものだったんじゃろう」

そして、とオスマンは目を細めた。

「……ここで大きな問題が一つ発生した。
 仮面の男はおぬしの発言から、ミッドチルダ式を虚無と完全に信じ込んだようじゃ。
 男の目から見ればおぬしは虚無を使うメイジ。であれば、おぬしを召還したミス・ヴァリエールの系統はなんになる?」

「……虚無、ですか」

「そうじゃ。真実がどうかは関係がない。
 仮面の男にとっておぬしとミス・ヴァリエールは虚無を使う者であり、そして口ぶりから察するに、男にとっておぬしらは価値のある存在ということじゃ。
 ……なぁ、カールくん。自分にとって必要な人材を見付けたら、普通はどうするかね?
 そしてその人材が放置して厄介なことになる存在ならばどうするかね?」

「……仲間に引き込むか――」

「手に入らないのならば、排除するか」

オスマンの言葉は脅しに近いものだったが、有り得ないと断言することはできない。
何故なら、仮面の男は虚無を確かめるためだけにルイズを浚った。
公爵家の娘を誘拐することがどれだけ自分の首を絞めることか理解できないほど馬鹿ではないはずだ。
そういう意味ではルイズの命に危険が及ぶことはないと思うが――こちらも、断言はできない。

「のうカールくん。魔法学院の院長として、一つ、君に頼みたい。
 自衛手段止まりで良い。ミス・ヴァリエールにミッドチルダ式魔法を教えてやってはもらえんか?」

「それは――」

思わずカールは言葉に詰まってしまう。
教えない、の一点張りで済むような状況ではなくなってしまったからだ。
オスマンは自衛手段として、と云った。その通り、今のルイズには己を守る術がない。だからこそ彼女にミッドチルダ式を教えてやって欲しいと彼は云っているのだ。
自衛も何も、ルイズが己の身を守るのではなく、カールが守れば――とは云わない。
カールは手段こそ未だに見付かっていないもののいずれミッドチルダに帰る身ではある。守るなんて無責任なことは云えない。
それに加えて、今回の一件。別れて数分と経たずに、目を離した隙に彼女は浚われた。当たり前のことだが、カールは四六時中ルイズと一緒にいられるわけではないのだ。

「おぬしか教師がミス・ヴァリエールの元に駆けつけられるだけの時間を稼げる程度で良い。
 駄目かの?」

「……それは」

教えない、と一言で切って捨てることができない。
それは確かな罪悪感が胸に宿っているからだ。
この世界で一時しのぎの生活基盤、オスマンの信頼を得るために、カールはフーケを撃退した。
その時に使ったミッドチルダ式が事件の原因となったのは、確かだ。

勿論、悪いのはカールではなくフーケだし、もっと云うならばカールをこの世界へと呼び出したルイズのせい、とも云える。
しかしどれもが過失の域を出ない。運が悪かった、の一言で済ますしかないことだ。

だが、巡り合わせが悪かった。自分には関係がない、と切り捨てられるほどカールは厳しくあれる人間ではなかった。
甘いわけではないものの、冷徹というほどでもない。

「完全には理解していないのだろうが、おぬしの所属する組織の規律がどういうものなのかはなんとなく分かっておる。
 そこを曲げて、頼めんだろうか。
 一人の教育者として、生徒の危険に対し、有効な手を打てないというのは避けたい。
 無論、私は頼む側でしかない。すべてはおぬしの裁量次第じゃよ」

オスマンの言葉にカールは目を伏せ、

「……分かりました」

そう、短く口にした。
だがオスマンの表情が明るくなることはない。
申し訳なさを滲ませながら、小さく頭を下げる。

「すまんの」

「いえ。
 ですが、条件というか……一つ、教える前に」

「なんじゃ?」

「ルイズ自身がミッドチルダ式を覚えたいかどうか、という問題があります」

「む……二つ返事で了承するとは思うが」

「そうですね。俺も、少し前まではそう思っていました。
 けれど――」

仮面の男に彼女が浚われる前、ルイズと交わした言葉をカールは思い出す。

公爵家の娘として、貴族として、相応しい人間になるために魔法が使えるようになりたい。

しかし果たして、ミッドチルダ式魔法を覚えることは、ハルケギニアの貴族に相応しいことと云えるのだろうか。
魔法とは、直接的な力であると同時に、貴族にとっての特権である――とカールは解釈している。
一部の者に許された特異技能。それとは別として、魔法が使えるからこそ科せられる責務というものもあるはずだ。

この世界の貴族には、従軍義務があるという。
それはそのまま、力を持つ者が国の盾となり民を守る、ということを現しているのだろう。
戦うことを生業としている者――好んで戦うことを選択した者とは違い、貴族は生まれながらに戦うことを義務付けられている。
貴族として、戦う術を手にすることは義務である。そう、ルイズは思っているのだろう。
そういう意味では、ルイズはミッドチルダ式魔法に飛びつくかもしれない。

だが、ミッドチルダ式魔法を覚えたとしても、その義務を果たすことにはならない。
迂闊に異世界の魔法を使うことは許されない、ということはあるが――それとは別に。
魔法は貴族の力でもあると同時に、その立場を現す権威の象徴なのだ。

始祖ブリミルから賜った、民草を導く力。
虚無ほどではないのだろうが、四系統魔法にも神聖さは存在しているのだろう。
だからこそ貴族という立場とセットで、平民には許されない技術と決められているし、貴族はそれを誇りに思っている。
だがミッドチルダ式には、神聖さなど存在しない。

虚無でも、四系統でもない魔法。
それは貴族が手にするに相応しい力と云えるのだろうか。

そんな風に疑問を抱いていたカールは、ルイズがミッドチルダ式魔法を受け入れるのか心配だった。























仮面の男に浚われた次の日。
ルイズが学院長室に呼び出しを受けたため、指定された時間に部屋へと訪れていた。
学院長室にはオスマンだけがいて、まず最初に昨晩の謝罪――ルイズは生徒であると同時に公爵家の娘でもあるため――を受けたあと、次いで、今の状況について説明を受けた。
仮面の男がカール・メルセデスの使う魔法に興味を持ち、今回のようなことが再び起きるかもしれないこと。
そして、彼を召還したルイズも標的にされているかもしれないこと。
それらを説明されたあと、ここからが本題じゃ、と彼は続けた。

「ミス・ヴァリエール。一つ、君に勧めたいことがある」

「勧めたいこと、ですか?」

「そうじゃ。
 今回、君が浚われたことから分かるとおり、君には自衛手段と云えるものが何もない」

その言葉に、ルイズは小さく唇を噛んだ。
彼女も分かってはいる。別に侮蔑の意味でオスマンは云ったわけではなく、事実を口にしただけに過ぎないと。
それでも自分が魔法を使えないというコンプレックスを刺激されてしまったので、オスマンに見えない膝の上に乗せた手を、彼女はきゅっと握り締めた。

「情けない話じゃが、いくら学院の守りを固めても賊の侵入を完全に防ぐことはできん。
 そして一度中に侵入されてしまえば、教師やカールくんが警戒していようと、四六時中君の側にいることができないため、何かがあってもすぐに対処することはできん。
 ……じゃからな。おぬしには、カールくんの使う魔法を学んで欲しい」

「え……!?」

オスマンの言葉に、ルイズは目を見開いた。
それもそうだろう。今までカールに魔法を教えて欲しいと云っても、彼が頷くことは一度もなかったからだ。
ルイズの驚きをオスマンも分かっているのが、白く長い髭を一撫ですると、苦みの滲んだ声を上げた。

「これに関しては、既に彼も了承してくれている。
 未だに魔法を教えることに抵抗はあるようじゃが、おぬしを襲う者がいる状況をどうにかできない以上、仕方がないとな。
 それで、ミス・ヴァリエール……どうするかね?」

「どうするも何も……!」

学ぶに決まっています!
そう二つ返事で声を上げようとしたルイズを、オスマンは手で制した。

「落ち着きなさい。
 彼の魔法を学ぶことがどういう意味を持つのか分かるかね?
 彼が使う魔法は四系統から外れているし、ましてや虚無などではない。彼には悪いが、トリステインのメイジとして敢えて云うならば。
 あれは貴族にとって外道の技じゃよ。
 それをおぬしは積極的に学びたいと思うのかね?」

普段の好々爺然とした声とは違う、学院長としての重みが加えられた言葉に、ルイズは抱いていた興奮を即座に冷やされた。
……そうだ。分かってる。
魔法を学べる。その一点はゼロと呼ばれるルイズにとってこの上なく魅力的なものの、その学ぶ魔法自体が普通ではない。
魔法は魔法。あくまで力。力の種類が違ったとしても本質に大差はない――とは、云えない。

このトリステインという国は、他の国よりも格式と伝統を重んじる。
だからこそ国力を徐々に低下させているという問題も孕んでいるのだが、それは今論じるべき問題ではない。
その国に公爵家として君臨している家の娘が、伝統も何もあったものではない外道を学んでも良いのかと、オスマンは問うている。

外道。その云い方は過激ではあるものの、間違ってはいない。
ゲルマニアなら便利という一点で持て囃されるかもしれない。
だが他の四国――始祖ブリミルと深い縁のあるトリステイン、ガリア、アルビオン、そしてロマリアからすれば異端だ。
特にロマリアの神官が四系統から外れているカールの使う魔法を目にすれば、その場で異端審問を開始してもおかしくはない。

確かにカールの使う魔法は強力だが、同時に、異物でもあるのだ。
その異物を貴族であるルイズが学んでも良いのか。学ぶに相応しいのか。そう、オスマンは云っているのだ。

「自分で云っていることが矛盾しておることは、分かっているよ。
 学べと云っておきながら、学ぶ魔法が外道と云う。
 だがな、ミス・ヴァリエール。そこから目を逸らしてカールくんの使う魔法を手にしてしまっては、取り返しの付かないことになってしまうのじゃ」

「いえ……その、オスマン学院長」

「なんじゃ?」

「学院長は、貴族がカールの魔法を学ぶことについて、どう考えていますか?」

「なかなか困ったことを聞くのう。
 私が肯定したら、おぬしはそれを言い訳に彼の魔法を学ぶつもりなのかね?」

「そんなことはしません!」

一瞬でオスマンの邪推を切って捨てたルイズに、オスマンは破顔した。

「はは、そうか。
 では、何故聞くのかね?」

「……確かに、私は魔法を使えるようになりたいと思っています。
 だからどんなに理屈を頭で分かっていても、感情が先に行って、正しく判断できないかもしれません。
 ですから、学院長の目から見て、彼の使う魔法を学ぶことがどんな意味を持つのか、聞いておきたくて」

ルイズが口にしたことは嘘でもなんでもない。
オスマンからカールの使う魔法が外道と聞いても、やはり魔法を学びたいという感情は死んでいないのだ。
下手をしたらそれに取り憑かれて、言い訳をしながら魔法を学び始めてしまうかもしれない。
そんな自分を戒めるという意味で、ルイズはオスマンに問いを投げかけていた。

「ふむ、そうじゃな……。
 この歳になると、若い頃には見えなかったものが分かるようになってくる。
 信じていた貴族の在り方。誇り。そういったものを大事にするのは立派だが……それに取り憑かれてしまうのはなんとも哀れじゃ。
 これと決まった規律を守ることを貴族と云うのか。それとも、抽象的な貴族という概念を信じるか。
 それらを間違っているとは云わん。だが、規律を守ることで人が不幸になってしまうのは間違っているのではないかのう。
 このハルケギニアに定められた貴族制。これは特定の階級に生きる者を幸福にするためのものでも、不幸にするためのものでもない。
 選ばれた貴族という人種が、その下で生きる民を正しく導き、万民が幸せに暮らせたら、と願われて生まれた制度なんじゃよ。
 それは、分かるかね?」

「はい」

「うむ。
 そして……なんの意図があって系統魔法を使う者が貴族と呼ばれているのかを、考えてみよう。
 魔法とは守るべき領民を外敵から守る剣であると同時に、領民に畏れられるための断頭台なんじゃよ。
 そして貴族の誇りとは、敵に恐れられ、導くべき民がこの人なら、と信じられるようになるための威厳じゃ。
 それらを両立させるのは、人を守る立場である者が負うべき責務じゃろうて。
 本来の貴族とは孤高の存在なのじゃ。
 魔法という力なくしては、領民を守ることはできん。
 火や風の魔法で外敵から守ることがそうだし、土や水の魔法で人々の生活を豊かにしたり、がな。
 だが魔法を使えたとしても、それが系統魔法から外れたものだとしたら……統治される民は、自分らの主をどう思うかのう?
 畏れられはするじゃろう。だが敬意を払ってもらえるとは思えん。
 つまりじゃな、ミス・ヴァリエール。カールくんの使う魔法を学んだところで、おぬしが望む貴族に近付くことはできん。
 私が云ったように、どこまで行っても自衛手段の域を出んのじゃよ。
 もし出てしまったら最後。それはハルケギニアに根付いている貴族の在り方から外れてしまうじゃろう」

オスマンの言葉は、いちいちルイズの胸に突き刺さった。

彼は古き良き貴族の在り方を尊重する一方で、ルイズは決してそれにはなれないと云っている。
ルイズは女で、貴族として領民をまとめ上げる立場になることはない――などという言い訳は意味がない。
そんなもの必要ない。そう、ルイズは立派な貴族になりたいからだ。
オスマンの云う貴族の在り方は、両親が幼い頃からルイズに教え込んだそれとそっくりだった。

母は鋼鉄の規律を守ることこそが貴族の在り方。容易に態度を翻す不誠実な人間だとは思われない引き締めが必要なのだと云った。
父は民と国を守るためならば、王にすら刃向かう気高さが貴族に必要なものだと云っていた。そして時には、守るべき領民にすら杖を向けなければならないとも。

ずっと厳しかった両親の教育にルイズは息苦しさを覚えていたものの、同時に、両親を貴族として尊敬していたのだ。
広大な領地をしっかりと治める父。
己と夫の信じる貴族の在り方を子供に伝えるべく教育に熱を上げていた母。

幼いルイズにとって二人の背中は遠すぎたが、それでも、自分がなるべき貴族の姿は、ずっと見てきた。
そして、いつか自分もああなれたらと、思っていた――
しかし自分には、系統魔法の才能がない。
使える魔法はカールが使う外道の法のみなのだ。

だが――だとしても――

「……私は、魔法を覚えても、ゼロのままでいるしかないってことですか?」

「……カールくんの話によれば、飛行魔法はフライと似せることが可能という話じゃ。
 それと同じように、いくつかの魔法は系統魔法と偽ることができるらしい。
 『ゼロ』の二つ名から脱却することは、可能かもしれん」

……『ゼロ』から脱却するだけ。
家族の誰もがメイジとして大成していることを考えたら、それは五十歩百歩のような気がする。
けれど、今のルイズにはそれしか望めないというのなら――

「……それでも、構いません。
 魔法を学べるのなら」

苦みを押し殺して、ルイズはオスマンにそう応えた。


















月のトライアングル
















火の塔に数ある研究室の一室で、カールは一人、部屋の中を見回していた。
主のいなかった一室をミッドチルダ式の授業のために割り当てられ、物置同然の扱いを受けていたそこは今、綺麗に掃除され、窓からは午後の暖かな空気が吹き込んでいた。
部屋の中はなんとも寂しいと云える。
カールの背後には黒板と教卓があり、その向かい、部屋の後ろには本棚が並び、壁を埋め尽くしていた。
が、それはカールの授業――教導に必要なものではなく、元々この部屋に置いてあった本たちだ。
急遽決定されたルイズの授業、その準備はギリギリで間に合った状態だった。

部屋の中心には、ルイズの机がぽつんと一つだけ置いてある。
なんとも殺風景な部屋だが、仕方ないだろう。

カールの授業には必要な教材というものがない。
あるにはあるが、この世界には存在していない。
設備も何もない環境で、ルイズにミッドチルダ式魔法を教えなければならないのだ。

どうやってルイズに魔法を教えようか。
そんな言葉がずっと脳裏に鎮座しているものの、まず今日、ルイズの魔力資質がどれほどのものかを調べ、教導計画を練ろうと思っていた。
教育隊ならばともかくとして、教導隊には絶対の指導要綱というものは存在しない。
多くの教え子に魔法を学ばせるのではなく、個人個人の特性を把握して、長所を伸ばし短所をなくす方向に教え導く。
それが今までカールの行ってきた大雑把な教導だ。

だが、ゼロから魔法を教えることは、彼にとっても初めてのことだった。
加えて、腰を据えた長期教導もだ。
世間話として長期教導がどういうものなのか、とある女性から聞いてたいたものの、初めてのこと故に不安ではあった。
設備はない。文化も違う。カールも慣れていない。
この三拍子は頭痛の種でしかなかった。
それでも教導をすると決まった以上、絶対に手を抜かないという矜持をカールは持っていたが。

「相棒相棒。もうそろそろじゃねぇのか?」

「まだ早いよ。開始まで十五分はある」

壁に立てかけられたデルフリンガーの言葉に、カールは懐から懐中時計を取り出し、そう云った。
これはコルベールがジャンクから作り出した趣味の一品だ。
教師ならば時間を守らなければいけませんぞ――と、彼はカールにこれを贈ってくれた。

そう、教師だ。
今のカールは食客からトリステイン魔法学院の臨時教員という風に立場を変えていた。
ルイズに授業時間外で魔法を教えるという線もあったが、一刻も早くルイズに自衛手段を覚えて貰いたい――というオスマンの考えから、こういう形になっている。
彼からすればルイズが浚われた事件は死活問題だ。ルイズが浚われた一件に関して、オスマンは証拠隠滅を図らず、その内容を王宮とヴァリエール家へと伝えていた。
もし二度目があったら公爵に打ち首に処されるわい、とガタガタ震えていた。おそらく冗談でもなんでもないのだろう。

そんなわけで少しでも早くルイズにミッドチルダ式魔法を覚えて貰うべく、午後の授業時間はすべてカールに割り振られている。
そして授業時間を使ってルイズに魔法を教える以上、カールは教師でなければならない。
ルイズからしても、そういう扱いを取って貰わなければ単位数が危うくなり、卒業が怪しくなる。

ルイズが正規の授業を受けないことについては、大した問題がない。
元々使い魔召還儀式を終えたら、魔法学院の生徒は、使い魔の特性によって明らかになった系統の授業を選ばざるを得なくなる。
ルイズの場合は、その授業がミッドチルダ式であるというだけだ。

「しかしよお、相棒。
 相棒の使うミッド式だったかって、あんまり人に教えちゃ駄目なんじゃなかったのか?」

「ああ、そうだ。原則禁止だ。
 けどまぁ、この場合は仕方がないってのもあるし……そもそも何故禁止にされているかってことを考えれば、これは許容範囲だよ、デルフ」

「そーなのか?」

「ああ。
 元々ミッドチルダ式魔法を広めちゃいけないのは、それによって管理世界の存在が管理外世界に仄めかされるからだ。
 まぁこれはオスマンさんの入れ知恵なんだけど……ミッドチルダ式はハルケギニアの、未知の魔法ということにする。
 まぁ、限りなく黒に近いグレーではあるけどね。
 ミッドチルダに帰ったら、謹慎ぐらいは覚悟するさ」

「成る程成る程。
 つまり、相棒の魔法は系統魔法から外れてるけどハルケギニアの技術ですよー……ってことにするんだな?」

「そういうこと。デルフもうっかり口にしないようにな」

「任せておけよ。口は堅いぜ。
 俺、剣だし」

カタカタと緩い金具を上下させて任せろと云うデルフリンガー。
その様子にちょっぴり不安を感じたカールは、溜息を吐いた。

ただまぁ、そのオスマンの屁理屈によって肩の荷が少しだけ降りたのは確かだった。
そもそも彼がこれを考えついたのは、仮面の男がミッドチルダ式を虚無と間違えたことが発端だ。
誇大妄想狂でなければ、普通は異世界が存在するなどと思わないだろう、と。
それもそうだ。カールとオスマン、そしてデルフリンガーが口を滑らさなければ、管理世界の存在は明らかにならないだろう。

「――っと?」

「失礼します」

開始まであと十分――といったところで、不意に扉が開いた。
カールがそちらに視線を投げれば、そこにはルイズの姿がある。
彼女はカールと目を合わせると、どこか不満げに唇を尖らせながらも、ぺこりと頭を下げた。

「今日からお世話になります、メルセデス先生。
 ミッドチルダ式のご教授、よろしくお願いします」

「……先生?」

眉根を寄せながらカールが問うと、同じようにルイズも眉根を寄せる。

「……臨時教員であっても教師じゃないの。
 魔法を教えてくれるのなら、相応の敬意は払うわ。当たり前のことじゃない」

「そ、そっか……」

なんとも変な気分だ。
ルイズと云えば怒り顔、といった表情しか見ていなかった分、猛烈なまでの違和感がある。
確かに召還されて二日目の時点では友好的に接してくれてはいたものの、魔法を教えないと云ってからはずっと、彼女は怒りっぱなしだった。

ルイズは変な顔をするカールを無視して机に進むと、その上に筆記用具を置いた。
彼女が持ち込んだノートは真新しい。カールの知る物とは若干外見が違う。
新聞紙のような材質の荒い紙の背を縫って整えたようなものだった。

どうやら彼女はやる気満々のようだ。
その気持ちは分からなくもなかったので、カールは気を引き締めた。

「まだ早いけど、始める?」

「お願いします」

「分かった。
 それじゃあまずは、君が学ぼうとしている魔法についてだ。
 オスマンさん……学院長から聞いているかもしれないけど、これは四系統から外れた魔法で、虚無でもない。
 知っている人は皆無と云っても良い技術体系だよ」

カールが説明を始めると、ルイズは要点だけを抜き出してノートに文字を書き連ね始めた。
彼女の手が止まるのを待ちながら、カールは先を続ける。

「名称はミッドチルダ式魔法。語源は発祥した地名からきている。
 ミッドチルダ式魔法は系統魔法とは違い、攻撃、防御、補助のすべてをこなす。
 技術体系そのものが何かに特化しているわけじゃなくて、使い手の素質によって使うべき魔法を取捨選別してゆくことになる。
 けれどルイズ。君にはしばらくの間、特化適正を見極めてそこを伸ばすのではなく、どの分野でも必要になる基礎を覚えて貰う予定だ。
 何か質問はあるかな?」

「えっと……」

ルイズは手を止め、微かに迷いながらも、思い出すように問いを口にした。

「先生の使った光の矢、光の剣、光の盾、光の檻。
 これはそれぞれ、攻撃、防御、補助の三つになっているの?」

「ああ、そうだよ」

先生、という呼ばれ方にむず痒さを覚える。
少し前まで食客をやり、今は先生と呼ばれている。
先生お願いします的な何かを思い出してしまい、馬鹿か俺は、と意識を授業に引き戻した。

「光の矢は砲撃魔法。光の剣は近接魔法の魔力斬撃。光の壁は防御魔法で、光の檻は結界魔法と分類されている。
 この他にも、射撃魔法、拘束魔法、治癒魔法、強化魔法、と種類がある。
 状況に応じて魔法を使い分けられるのがミッドチルダ式の強みだ。
 使い手によって特化適正がある、とは云ったけれど、ミッドチルダ式そのものは全領域に対応できる万能選手なんだよ」

逆に近代ベルカ式、古代ベルカ式、と行くにつれ接近戦に傾倒してゆくが、そこは説明する必要はないだろう。
この世界にはベルカなど存在しない。であれば、説明するのはミッドチルダ式だけで良いはずだ。
要らぬ情報を与えて理解を遅らせてしまっては意味がない。

「概要はここまで。
 それじゃあ次は、四系統との違いを説明しようと思う。
 まず最初に最大の違い……ミッドチルダ式魔法は使用することで、足下に魔法陣が現れ、それは魔力光によって彩られる」

云いながら、カールは適当な魔法を構築し、足下にミッドチルダ式魔法陣を形成した。
ルイズはそれを目にして微かに驚くも、先をねだるようにカールに目を合わせてきた。

「このミッドチルダ式魔法陣は、魔力によって形作られ、外部に露出し、目に見える姿を取った数式だ。
 これを、術式と呼ぶ。術式を正しく構築しなければ、魔法は発動しない。
 魔法陣を形成しなくとも魔法を使うことは可能だけれど、難易度は途端に跳ね上がる。
 自分の内側だけで構築できる術式には限界があり、こうして外部に術式を出さなければ強力な魔法は使えないと思って欲しい」

「はい」

「そして二つ目の違い。
 魔法の構築を術式で行うから、呪文は基本的に唱えない。
 術式だけでは制御の難しい大魔法には必要となるけどね」

「けど、先生は……えっと、フーケに魔法を使ったとき、何か口にしていました。
 ふぁんとむぶれいざー……だったような」

「うん。それはトリガーワードと云うんだ。
 これも唱えずに魔法を発動することはできるけど、やっぱり難易度は上がるね。
 トリガーワードはその名が示すとおり、拳銃の引き金としての役割を担っている」

「引き金、ですか?」

不思議そうに首を傾げるルイズに、ああそうか、とカールは思った。
この世界にも銃器は存在しているものの、魔法が戦争のメインであり、かつ、貴族である彼女にとっては縁の薄い武器なのだろう。

「ええっと、つまり、暴発を防ぐために備わっている構築式だよ。
 魔法の名を口にしなければ発動はしない。つまり、誤って発動することはない。
 トリガーワードを云わずに難易度が跳ね上がる理由は、口にせずこれを解除する必要があるからだ。
 普通ならば声に出して解除するものを、術式の段階で取り除く必要がある。
 分かったかな?」

「えっと、ちょっと待ってください」

ルイズはペンを走らせ、文字を書きながら、情報を整理しているようだった。
彼女が話を整理して飲み込み終えるのを待つと、カールは自分の中でも系統魔法との違いを咀嚼しつつ、口を開いた。

「こう、考えて欲しい。
 系統魔法の発動に必要なルーンは術式に。
 系統魔法のカタチを作るのに必要なイメージは、呪文詠唱に変わっていると」

「はい」

「大雑把なものはこんなところかな。
 それじゃあ早速、ルイズには一つの魔法を覚えて貰う」

「いきなりですか!?」

喜びのような、驚愕のような。
椅子から立ち上がりそうな勢いでルイズは声を上げ、すぐに自分の態度に気付いたのか、顔を真っ赤にした。
カールはそれに苦笑しながら、懐から一枚のカード――カブリオレを取り出した。

「スタートアップ、カブリオレ」

起動を命じた瞬間、待機状態だったカブリオレはその姿を一本の長杖へと変える。
呆気に取られた様子のルイズを目にしながら、カールはストレージ機能――その中から、バリアジャケットの構築式をセレクションする。

「ルイズ、これを握って」

「は、はい」

手渡されたカブリオレを、ルイズはおっかなびっくりといった様子で受け取った。
すると彼女は、奥歯にものが引っかかったような顔をする。

「ルイズが構築するべき数式が、既に準備されている。
 頭に浮かんだね? それが術式だよ。さあ、魔力を込めてみて。
 系統魔法の練習をしている時と同じで良い。精神力をカブリオレ――光の杖に注ぐんだ」

精神力、とカールは云う。
それは間違ってはいない。ハルケギニアの魔法に関する本を読み漁った結果として、この世界には魔力という概念がないようだと彼は思っていた。
そして、何故魔力が精神力と云われているか――これの定義は、酷く曖昧なものだった。
やや話が脱線するが、人の心はこの世界でも胸に宿っていると云われている。そしてそこが精神力の源と思われているらしい。
そう、胸に――リンカーコアがある場所が精神力の出所と思われているのだ。
魔法を使うためのエネルギー、その出所が胸にあるとまでは分かっているのだろう。
しかし、ミッドチルダですらリンカーコアの構造は未だ謎に包まれている。
そして医学がミッドチルダほど進んでいないこの世界では、リンカーコアを発見することが出来ていないのだろう。

そんなことを考えながら、カールはさりげなくプロテクションの準備をした。
ルイズの魔法が爆発することはもう知っている。
系統魔法の素質がないのに魔法を使おうとするから発生するエラー、と推察しているが、実際のところがどうなのかは分からない。
ミッドチルダ式の適正があるかもしれない、というのも現段階では確実ではないのだ。
カールを呼び出したということで、その可能性があるというだけだが――

ルイズが集中するように目を閉じた途端、彼女の足下には桃色のミッドチルダ式魔法陣が広がった。
桃色――決して同じではないものの、この世界では絶対に見ることの叶わなかった魔力光、桜色のそれに近いものを目にして、カールの胸はざわつく。
だがそれを教導官の矜持で押し殺し、彼はじっとルイズを見守り続ける。

「頭の中に、自分の今の姿を思い浮かべて。
 トリステイン魔法学院の制服姿だ」

「はい」

答えた瞬間、即座にミッドチルダ式魔法陣が眩い光を放った。
おそらく、普段から身に着けている服だからイメージしやすかったのだろう。

桃色の光が止むと、さっきと同じ姿のままのルイズがそこにはいた。
だが、カールの目には違って見える。
身に纏ったブラウスにスカート、マント。そのどれもが魔力で編まれた防護服に代わっているのだ。

敢えてカールがルイズのバリアジャケットに制服を選んだのは、敵にそれを悟らせない必要があるからだった。
これから戦闘に望む、といった格好を設定すれば威嚇にはなるかもしれないが、同時に、警戒させてしまうだろう。
普段の格好でいながらも確かな防護性能を得た姿。こちらの方が油断を誘えるだろうと思ったからだ。

セットアップを終えたルイズは、不思議そうに自分の身体を見下ろしている。
バリアジャケットが何か、ということまでは分からないのだろうが、自分の身体を何かが纏っていることには気付いているのだろう。

「それじゃあルイズ、杖を」

「はい……えっと先生、これは?」

カブリオレを返して貰いながら、カールはデバイスに走っているバリアジャケットの構築式、そのサポートを切った。
途端にルイズは、何かに耐えるよう口を引き結ぶ。
だがバリアジャケットは解除されない――その様子に、カールは軽く驚いた。

誰もが初めて魔法を使う場合は、デバイスによって術式の構築に触れる。
そう。デバイスなしで魔法を扱うことは、最初は誰もできないのだ。
唯一例外がいるとしたら、それは天才と呼ばれる優れた感性の持ち主であり、呼び覚ますこと自体はカブリオレに頼ったものの、バリアジャケットの維持を自分で行えるルイズには、まず間違いなく才能があるだろう。

……俺を召還しただけのことはある、ってことなのか。

惜しい、とすら思う。
もし彼女に祈祷型インテリジェントデバイス――イメージするだけで魔法を構築できるタイプのデバイスを与えたら、低ランク魔導師を一瞬で追い抜く力を手にするはずだ。
それでも言い過ぎではないほどに、ルイズのミッドチルダ式魔法に対する感性は飛び抜けている。
先に抱いていた不安とは別種の、原石のままでも輝かしい宝石を全力で磨けない悔しさが微かに湧き上がった。

そう胸中で呟きながら、カールはすっと指を持ち上げ、ルイズの額へと差し出した。
彼女はそれを不思議そうに眺め――おもむろに弾かれたデコピンに目を見開く。
だがそれは痛かったからではなく、不可視の柔らかな壁が、衝撃を完全に殺したからだ。

「防御魔法の初歩の初歩。
 基本とすら云えないレベルだけど……それはミッドチルダ式のフィールド防御魔法、バリアジャケット。
 おめでとう、ルイズ。それが君の使う、ミッドチルダ式魔法だよ」

「あ――」

先ほどまでの態度とは裏腹に、ルイズは自分の身体を――バリアジャケットをおずおずと抱き締めた。
それもそうだろう。サモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァントを除いて、彼女が初めて成功した魔法だ。
系統魔法ではないからかその表情は複雑そうだが、確かな喜びが表情には滲んでいる。
その喜びようがどれほどのものかなど、カールには勿論、ルイズ以外の誰にも分からないだろう。

が、ルイズは何かに気付いたように顔を上げると、小さく頬を膨らませた。

「……バリアジャケットって、先生の着ていたプレートメイルもそうなんですか?」

「そうだよ」

「……じゃあ私のバリアジャケットも、戦場に相応しいものにしたいです」

「君を狙う賊がいなくなるまで我慢しなさい」

「そんなぁ……」

しょんぼりと肩を落とすルイズに苦笑しながらも、カールは授業を続けた。
今日のところはバリアジャケットの構築を完璧とは云わずとも出来るようになることから始める。
解除し、再構築。解除、再構築。それを何度も繰り返す内に、最初は再構築まで一分近くをかけていたルイズも、十秒ほどで構築できるようにまでになる。
これは遅くはない。むしろ早いと云える。慣れてない内にデバイスの補助なしで魔法の発動を行うのは決して楽ではない。
だがそれでも、敢えてカールはルイズにデバイスを使わせなかった。

バリアジャケットの術式は、防御魔法の基本ということもあり、フィールド防御魔法全般と似通った部分がある。
それをデバイスではなく自分の身で覚えることで――基礎固めをしっかりとすることで――後の発展応用をスムーズに、と考えているのだ。

が、一時間ほど注釈を交えてルイズにバリアジャケットの構築を教えていると、不意に彼女はふらついた。
倒れ込むほどではなかったものの、足下はおぼつかず、彼女は椅子に腰を下ろす。

「……すみません。ちょっと疲れたみたいで」

「慌てないで。回復するまで休んでいれば良い」

ルイズにそう声をかけながら、カールは彼女の身体にじっと視線を注いだ。
痩せて小さな身体。別に変な意味で見ているわけではない。

「……一つ、説明し忘れたことがあった」

「なんですか?」

「系統魔法にはない、ミッドチルダ式のデメリットとも云える部分かな。
 ルイズが魔法に不慣れってこともあるけれど……ミッド式は、使用するのに魔力だけじゃなくて、体力も消費するんだ。
 魔力操作が上手くなれば違うんだけど、君はまだ初心者で無駄が多い。
 その分、消費する体力もそれに比例する」

カールの云うことは嘘ではない。
ルイズは今まで失敗魔法としてだが、魔力を消費する機会はあった。
そのため魔力を消費するということを身近に感じてはいるだろうが、しかし、成功した魔法を維持し続けるという経験はないはずだ。
これはルイズだけに云えるのではなく、防御魔法の発達していないハルケギニアの魔導師――メイジ全般に云えることかもしれない。

まだまだ未熟なミッド式の魔導師、ベルカ、近代ベルカの騎士は、そのどれもが一定水準以上の体力が要求される。
それは魔法を使う一方で、魔導師として身体を動かす必要もあるからだ。
カール自身もだが、彼が気にしているとある女性も、最初の内は不慣れな魔法を使って倒れたこともあった。
また、魔力操作が下手な内は、莫大な量のカロリーを補填するために大量の食事を必要としたりもする。

ある意味、ルイズが貴族で良かった。
体力は今からでも付ければ良いが、魔導師として十全に戦える肉体は、食べなければ手に入れることはできない。
もし彼女が平民であったならば、それは不可能だっただろう。

「そういうわけで」

「はい」

「走り込みだ」

「……はい?」

え、この人何云ってるの? みたいな顔をルイズはする。
対してカールは大真面目に、着ているシャツの袖を捲った。

「体力が多ければ、魔法の訓練時間をそれだけ長く取れることに繋がるだろう?」

「そうですね」

「けど、今の君には体力がない。
 ついでに、体型を見る限り筋力も」

「……そうですね」

「魔法の勉強と平行して、身体も鍛えようか。
 俺が教えるのは自衛手段なんだし」

「…………そうですね」

「そういうわけで、バリアジャケットを展開したままヴェストリ広場まで駆け足。
 ほら、急いで!」

「どうしてそうなるのよー!」


























「う、うう……」

疲労困憊、といった様子でルイズはようやく自室へと辿り着いた。
パタリ、と力なくドアを閉じると、彼女はそのまま力なくベッドに向かい、倒れ込んだ。
今日一日は一体なんだったんだろう。そんな言葉が脳裏に浮かんでくる。

ミッドチルダ式、という魔法を教えてもらい、たった一つだが魔法を使えるようになった。
それは良い。素直に嬉しい。
例え系統魔法から外れた外道であろうとも、今まで魔法を一切使えなかったルイズにとって、ミッドチルダ式魔法の存在は心を軽くしてくれる。
自分の才能がなんなのか、ようやく分かった。
それは十六年という決して短くない間ルイズが彷徨っていた迷宮に出口を示してくれる光のようなものだから。
それが系統魔法を使うメイジとして大成できない技術なのだとしても、魔法を手に入れることはルイズの悲願だった。

……例え、系統魔法から外れているのだとしても。
オスマンの言葉は今も棘のように胸へと突き刺さったままだ。
どれだけミッドチルダ式の扱いが上手くなっても、それをおおっぴらに使うことは出来ない。
ミッドチルダ式魔法を、貴族の人間として使うことはできない。

魔法を使えないというコンプレックスを払拭することはできたのだとしても、しかし、ルイズ本来の目的である、ヴァリエール家の娘として相応しいメイジになるという目標を達することは、できないのだ。
……やめよう。
塞ぎ込んでしまいそうになる自分の思考に頭を振って、彼女は息を吐いた。

オスマンの言葉は決して無視できないことだが、今大事なのはミッドチルダ式を覚えることだ。
無力なままで、これ以上家族に迷惑をかけたくはない。
ただでさえ魔法に関しては見放されているというのに、その上、ヴァリエール家のお荷物になってしまうなんてことをルイズは認めたくなかった。

だが――

「走り込みだなんて……」

などとどうしても愚痴りたくなってしまう。
ルイズだってカールが云いたいことは分かる。
ミッドチルダ式魔法は使えば疲労する。それは確かだ。実際、バリアジャケットの構築という基本中の基本を行っただけでルイズは疲れてしまった。
だから体力をつけて魔法を十全に使えるように――というのは、理解できる。
それに母が騎士であったから、メイジとして強さを追求するならば身体も鍛えるものだと知ってはいた。
……ただ、自分の場合は強くなるため云々以前の、逃げるための術を覚える必要があるから、なのだが。
どうにもその辺りが納得できなかったりするが、一人の人間として自分が弱々しいことは認めるしかない。

ルイズは感情が先に立つ少女ではあるものの、根は真面目なのだ。
そのため、相手が正しければ不満に思っていても従うだけの分別はある。
そしてカールの云うことは間違っていなかったので、彼に急かされるまま走り込みを開始したが――

ヴェストリ広場十周。
全力疾走で二周。
じっくりゆっくり腕立て腹筋背筋スクワット各三十回三セット。

瞬発力に自信はあるルイズだったが、持久力はカールが予想したようにまるでなかった。
そのため、今の彼女は全身ガクガク。明日の筋肉痛が恐すぎる。
疲労困憊の極みにあったため食事を取らずに速効で寝てしまいたかったが――

『食事はいつもの二倍ね』

鬼教師はそれを許さずルイズを食堂に連行して、山盛りの夕食を持ってきた。笑顔で。
ちなみに、風呂にはちゃんと入っている。全身が汗でべたつく不快感はあまり経験がなかったため、我慢できなかったのだ。

「……もう、限界。
 くそう、今に見てなさいよ。
 その内魔法を使いこなせるようになって、驚かせてやるんだから……!」

ベッドの上でもぞもぞ服を脱いでいたルイズだが、全裸になった時点で力尽きた。
とてもタンスまで着替えを取りに行く余力が残っていない。
このまま寝てしまえば――

「そ、そうだ。バリアジャケットを着れば良いんじゃない。
 私ったら天才ね」

どうやら脳が茹だっている様子。
目をグルグルさせながらルイズはバリアジャケットを展開すると――そのまま気絶してしまった。

補足だが、術者が気絶してもバリアジャケットは解除されない。
一度構築したら魔力供給を絶たれるか物理的に破壊、術式が欠損するまで、防護服は能力を失わないのだ。
これは、戦闘中に魔導師が気絶した状態で放置されても最悪の状況を免れるために付加されている機能である。

そしてルイズは、バリアジャケットを展開したまま眠ってしまった。というか気絶した。
だが、これもそう悪いことではないだろう。
バリアジャケットは術者を守るという性質上、展開後は温度調節などを完璧に行う。
バリアジャケットの強度にもよるが、火災現場や極寒の地でも、魔導師の身体を守るために。
そのため、快適な気温で眠りにつけると云えば、そうだ。

基本中の基本であるために、バリアジャケットはある意味最も研究された魔法と云っても過言ではないだろう。
設定次第で熱変化に耐え、BC兵器を無効化し、飛行魔法を使っているときは大気との摩擦から術者を守る。
攻撃魔法など派手さのある魔法に目が行きがちになるが、防御魔法や結界魔法など、人命を守るために行使される魔法は高度に進歩していると云えるだろう。

ともあれ、ルイズはバリアジャケットを展開したまま眠ってしまった。
その彼女の真下にミッドチルダ魔法陣が広がり、身体を群青色の輝きが包み込む。
発動された魔法はフィジカルヒール。展開した魔法陣の直上を範囲内とし、サークル内に入ってる者の肉体疲労を癒す治癒魔法だ。

それを発動させた人物は、ルイズの部屋の外にいた。

「意外だ。相棒、結構面倒見が良いんだな」

「そうか? 何が起きるか分からない今、少しでも早くルイズに魔法を覚えて欲しいのはそう不思議じゃないだろ?
 だったら疲れを明日に残さず、しっかり回復してもらわなきゃ」

「いや、なんつーかね。
 娘っ子に魔法を教えないって云ってたから、突き放したところがある奴だなーとか思ってたんだ」

ルイズの部屋、その窓の外。
飛行魔法を発動させて浮かぶカールの背中に担がれたデルフリンガーは、カチカチと金具を鳴らした。
彼は鞘に収まっているものの、コルベールによって設けられたストッパーによってその状態でも会話が出来るようになっている。

突き放したところがある、と云われたカールは、薄く笑みを浮かべた。
カールは個人的に、ルイズという少女を気に入っている。
彼女が浚われた日に交わした言葉がそうだし、外道と分かり、所詮偽りでしかないのだとしても風のドットという力を手に入れたい彼女の必死さを。
確かに局員としてそれは間違っているのかもしれないが――

「今はもう状況が変わったしな。
 教えるならとことんやる。中途半端が一番危ないんだ」

そんな風に、カールは理由を隠した。
デルフリンガーは気付いているのかいないのか、ふーん、と気のない相槌を打つ。

「そーかい。
 しかし相棒、教師っつーか教官って方が板についてるんじゃねぇの?
 座学を娘っ子に教えてる時より、庭で娘っ子駆り立ててた時の方が生き生きしてたぜ?」

「まぁ、身体動かすの好きだしな。
 それに俺は教師じゃなくて教導官。教官って方が正しいよ。
 ルイズには家庭教師って勘違いされてるけど」

「実戦派だったんだなぁ。
 や、俺としては嬉しいけど」

「お前を振り回す機会はきて欲しくはないけどね。
 さて、これから教導計画を詰めるとするかな。
 デルフ。お前、六千年間を剣として生きてきたんだろう? 戦場でメイジがどんな風に動くのか、教えて欲しい。
 それ次第でルイズに何を教えるのかも変わってくるからな」

「任された。
 いやー、なんだか鞘に俺を押し込めない相棒は久々な気がするぜ本当!
 涙がちょちょぎれそうだ! 俺剣だから涙とか出ないけどな……!」

興奮した様子で金具をカチカチ鳴らすデルフリンガーに、カールは苦笑した。
カールはストレージデバイスを扱っているが、実はインテリジェントデバイスに少しだけ憧れていたのだ。
























「うにゅ……」

寝ぼけ眼を擦りながら、ルイズは目を覚ました。
昨日は早く眠ってしまったせいか、普段と比べてやや早く起きてしまったようだ。
まだ窓からは顔を覗かせたばかりの陽光が差し込んでいる――

「ああ、そっか……朝から訓練するって云ってたっけ」

慌てて跳ね起きると、ルイズは着替えようとして自分がバリアジャケットを着て眠ってしまったことを思い出す。
服に皺が寄ってしまっているが、バリアジャケットを解除、再構築すればそれも新品同様の状態に戻った。
ついでに、彼女は髪型をストレートからポニーテールへと変えた。
昨日庭を駆け回り筋トレをした時点で、長い髪が邪魔に思えて仕方がなかったのだ。
しかしルイズ自身は姉とお揃いの長い髪を気に入っているため、切ろうとは思わない。

手早く顔を洗うと、彼女は急いでヴェストリ広場へと向かう。

早朝の学生寮は誰かが起き出している気配がなく、静かな廊下には彼女の足音だけが木霊した。
そうして外に出ると、明るい日差しにルイズは目を細める。

冷たい空気の中で一人準備運動をしている姿を目にして、感心するように小さく頷いた。
身に着けているのは平民が着るような作業服だった。灰のズボンに麻のシャツ。
昨日ルイズに付き添って走り込みをしている時、運動着はないのか、とぼやいていたのをルイズは思い出す。

どうやらカールは先に到着していたらしい。
教師なのだから当たり前。そういうことは簡単なものの、彼の姿勢から熱心に魔法を教えようとする気概が伝わってくるのは悪い気がしない。
しかし、まだ今日で二日目だ。これからも彼が熱心に教えてくれるかどうかは、分からない。

ルイズ自身にやる気があるため、教える側であるカールにも同等の熱意を求めてしまう。
それが独りよがりな要求だと分かっているものの、云わずに答えてくれようとしているカールの姿勢に、ルイズは複雑な気持ちになった。

魔法を教えないと云っていたカール。
授業を始めてくれたことで自身の意固地な部分が薄れ、どうして彼がそう云っていたのかを、ルイズはなんとなくだが理解していた。
バリアジャケット一つ取っても分かる。これは四系統から外れた異端の魔法だ。
このハルケギニアにおいて、道から外れた魔法を使うということがどんな意味を持つのか――ルイズもそのことは良く分かっている。
カールもそれを分かっているのだろう。分かっていて、ルイズにミッドチルダ式魔法を教えようとしてくれている。
ルイズが自分の力で少しでも戦えるようになるために。

魔法を学びだし、使えるようになって、ルイズは嬉しさを覚えている。
しかしこの覚えた魔法の使い道が、はっきりと分からなかった。
……貴族らしからぬこの力と、自分はどう付き合ってゆけば良いのだろう。
それもまた、教師であるカールが教えてくれることなのだろうか。
少し、彼に多くを望みすぎな気もするけれど。

ともあれ――朝日の中で準備をしているカールの下へと、ルイズは駆け寄った。
思ったよりも自分の身体は頑丈だったのか、心配だった筋肉痛は一切感じない。
これなら今日も全力で魔法を学ぶことができる。
少しでも早く、魔法を覚えないと。

さあ、今日も一日を始めよう――

「おはようございます!」






















おまけ

――カール・メルセデス十七歳について

「ヴィータちゃん、最近カールくんどうしてる?」

「ん? メルセデスの野郎か?」

「うん。ちょくちょく現場で一緒になるよね?
 私、全然会えないんだ」

「ああ。アイツとアタシは教導隊じゃ新人だからな。
 一緒になって先輩方からご教授頂いてますよ、っと。
 最近のメルセデスか……うーん、前より馬鹿っぽいところが減った気がするな。
 それが人に物教える立場に相応しい物腰か! とか怒鳴られっぱなしだったぜ、最初。
 それが今じゃ、おっかなびっくりだけど、教導官としてそこそこやれてる。
 あと一月もすれば、一人で派遣されるようになるんじゃねぇのか?
 馬鹿も成長するもんだな」

「あー……大変なんだね、カールくんも。
 出来れば私が面倒見たかったんだけどなぁ」

「駄目駄目。オメーはなんだかんだで甘いからな。
 柔らかくて優しい教導官ってのも悪くはないんだろうが、やっぱりそれなりに畏怖されるべきだろ」

「酷いなぁ、もう。
 ちゃんと怒るときは怒るよ?」

「……ああ、ティアナとスバルの時みてーにな。
 まぁ、良いや。それよりなのは」

「何?」

「メルセデスの野郎もいい加減、可哀想通り越して哀れっぽくなりつつあるから、いい加減それらしい反応ぐらいしてやれよ」

「それらしい反応……?」

「……いや悪ぃ。なんでもねぇ」

「フェイトちゃんもそうだけど、ヴィータちゃんもたまに変なこと云うよね」

「アタシらが変なこと云う原因を考えようとは思わねぇのか……?」

「ええっと……」

「よーっく考えろ」

「うーん……あ、そうか!」

「分かったか。なんか猛烈に嫌な予感がするけど云ってみろ」

「ヴィヴィオに会わせるって約束したのに、まだ会わせてなかったよ私!
 うん、そうだよね。養子ってことなら腫れ物扱いするだろうし、カールくんからは言い出しづらいもん。
 うっかりしてた」

「そっちじゃねぇよ……! うっかりすぎるだろ……!
 お前わざとやってるんじゃねぇよな!?」

「わざとじゃないよ。忘れてたんだってば」

「だから、そっちじゃねぇー!」








[20520] 6話
Name: 村八◆24295b93 ID:3c4cc3d5
Date: 2010/08/07 02:24

ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの一日を、少し追ってみよう。

日が昇ると同時に起床。
寝間着の外見であるバリアジャケットを解除、制服のバリアジャケットを展開すると、そのままヴェストリ広場へと移動する。
日が出てからまだ時間が経っていないというのに臨時教師のカール・メルセデスは絶対に先に起きている。
なんで朝から元気なのよ。そんなことを思いながら広場を出発し、学院の外をハイペースで走り回る。

汗だく及び疲労困憊状態で帰ってくると、そのまま風呂へ。
それで汗を流すと食事に向かい、カールに命じられた二倍の量の食事を取る。
最初の頃は吐きそうになったものの、慣れて胃が拡張されたのだろうか、今は平気になっていた。

満腹感と微妙な疲労で眠気を感じるものの、それを押し殺して系統魔法の授業を受ける。
正直眠ってしまいたいルイズだったが、根が真面目である彼女はそれを良しとしなかった。
ミッドチルダ式魔法に触れ始めたことで系統魔法への興味が徐々に薄れつつあったルイズだが、カールの指示できっちりと授業は受けていた。
例えルイズが系統魔法を使えなかったとしても、ルイズを付け狙っている者は系統魔法を使ってくるのだ。
敵がどんな攻撃手段を使ってくるのか学ぶことも必要、と言いつけられ、それを律儀に守っていた。

午前の授業が終わると、昼食になる。
昼食の量は朝食や夕食ほどぶっ飛んではない。何故か。それは吐くからだ。
二日目の時点でちょっと調子に乗ったルイズは張り切って身体を動かし、口から砲撃魔法を放っていた。
体力がないことや身体が出来上がっていないことから分かる通り、ルイズは身体を動かすことに慣れていない。
母親譲りの運動神経の良さはあるものの、積み重ねがないために長時間の運動は辛いのだ。
それで懲りたため、腹七分目といったところで昼食を済まし、午後の授業に臨む。

授業は座学から入り、三時を過ぎた頃から場所を研究室からヴェストリ広場へと移す。
ただルイズが魔法を使えるようになったことで変わったのは、そこに魔法の実技が加わったことだろう。
バリアジャケットを取っ掛かりとして、カールはルイズにバリアタイプの防御魔法を教え込んでいた。
より早くプロテクションの展開を。それが一定水準に達したら、カールの放つ模擬弾の防御を。
応用で展開したプロテクションを破裂させ相手を吹き飛ばすバリアバーストという技術があると聞いているが、それを教えてくれるのは少し先のことらしい。

そうして魔法の実技が終わると、今度はルイズが大嫌いな体力作りが始まる。
この体力作りに関して、ルイズはカールのことを真性のサディストだと思っている。
頑張れ頑張れやればできるってどうしてそこで諦めるんだ! と恥ずかしいことこの上ない声を上げながらルイズを駆り立てるカールの姿は、絶対に自分をいたぶって楽しんでいる。

しかし、熱心に教えようとしてくれている気持ちは伝わってくるため、悪い気はしなかった。
悪い気はしなかったものの、やはり体力作りが辛いことに変わりはないのだが。

体力作りが終わる頃にはボロ雑巾のようになる彼女と比べ、カールはいい汗かいた、ぐらいにしか消耗していない。
あれは本当に人間かとすら思う。
いつか追いつけたら、と思うものの、それはまだ先のことだろう。
ルイズにも、日に日に自分の体力がついている実感がある。そのため、体力作りは嫌いだがつまらないとは思わなかった。
初日は広場を十周するだけで潰れてしまっていたのに、今はペースを保って十五周はいける。
が、残った体力はその後の全力疾走と筋トレで絞り尽くされるために余力が残った日など一日もないが。

汗まみれで体力作りを終わらせると、夕食の時間になる。
風呂に入ったあと二倍の量の食事を食べて気絶するように就寝。

――そうして、カールはルイズにフィジカルヒールを使用して、彼女の進歩状況から翌日の教導計画を練る。

自室で机と向き合いながら、カールは口に咥えた火の点いていない煙草を上下させ、どうするか、と呟いた。
既に外は暗い。魔法のランプが浮かび上がらせる薄暗い部屋で、カールは走り書きの並んだ紙と、ルイズの成長記録をそれぞれ見ていた。

「デルフ、もう一度確認させてくれ。
 普通のメイジは、固定砲台みたいな扱いなのか?」

「ああ、そうだぜ。火も風も土も水も、メイジの大半が戦争じゃ固定砲台扱いだ。
 一部の例外もいるっちゃいるがね。ええっと、ちょっと待てよ。なんて云ったか……嫌だねぇ、歳を取るとものを思い出すのが大変で。
 ああそうそう、魔法衛士隊だ!
 連中、魔法の技量もさることながら、接近戦の練度もかなり高けぇぜ。まぁ職業軍人だから当たり前だって話ではあるがね。
 娘っ子を浚った仮面の野郎が、それに近いな。
 戦争に駆り出されるメイジは大半、平時は貴族やってるからよ。剣振り回すなんてこたぁ野蛮だと思ってる。
 だから武術の類はあんまり明るくない連中が多いな。
 フーケも仮面の男も、メイジにしちゃかなり珍しい類じゃねぇかな。どっちも個人同士の戦いに慣れてた。
 あと他には……あー、竜騎士かな。ってか、幻獣乗りだわ。
 こっちはメイジが接近戦するわけじゃねーけど、竜やグリフォン、マンティコアは人間じゃ太刀打ちできねぇ怪物だ。
 そういう相棒に肉弾戦を任せて、乗り手の方は魔法を使う」

「後者の方は、僚機付きの空中砲台ってところかな……。
 ともあれ、分かった。メイジは基本的に、肉弾戦を好まないんだな?」

「基本的には、だな。
 そこを突く形で、本気で殺しにかかってくる連中は身体も鍛えるし剣技も磨く」

「そうか……ならやっぱり、ルイズには防御魔法の次に、飛行魔法を教えるとしよう」

「相棒、なんでそうなるんだ?
 攻撃とか拘束じゃないのか?」

「それも悪くはない。
 けどな、デルフ。ルイズに教えているのはあくまで自衛手段なんだ。
 俺や教師、学院を守る人間が到着するまで堪え忍ぶ術を第一に学んでもらってるんだよ」

「ああ、成る程。
 今のところ娘っ子は亀みたいに守りを固めて耐えるしかねぇ。
 けど飛行魔法を覚えたら、今度は飛んで逃げることが出来るようになる、と」

「そういうこと。ハルケギニアのメイジは、基本的に空を飛んでもミッドチルダ式の飛行魔法には追いつけない。
 ルイズの成長次第ではあるけど、速度にものを云わせれば幻獣に追われたって逃げ切ることはできる。
 ……惜しくは、あるんだけどね」

そういうカールの顔には、言葉が嘘でないと云うように、微かな悔しさが滲んでいた。
ルイズに魔法を教え始めてから、今日で一週間と少し。
その間にバリアジャケットの瞬時の設定変更――耐熱防御、毒性防御、リアクターパージなどを教えていた。
おそらくバリアを張らずとも、衝撃を付加されていない火のラインスペルには耐えられるはずだ。
尚、バリアジャケットを構築する魔力を瞬間解放して相手を吹き飛ばすジャケットパージは教えていない。
教えていざという時に使い所を間違われたら、大変なことになるからだ。

バリアの方も覚えは良い。
実戦の空気に触れたらどうなるか未だ分からないものの、精度だけならば実戦レベルではある。

体力作りの方も順調と云えるだろう。
限界まで身体を酷使して回復、を繰り返すのはあまり身体には良くないのだが、虚無の曜日だけは完全休養に充てているため壊れることはないはずだ。
体力は徐々に、しかし確実についてきている。

生かさず殺さず。
そのラインの見極めには気を配っているため、今のところは大丈夫だろう。

……本当に惜しい。
設備が整い、ルイズ専用のデバイスを準備できる環境が整っていたら、もっと彼女を磨き上げることができるだろうに。
基礎固めは確かに重要だ。もし設備が整っていてもそこだけは変わらない。
だがここから徐々に訓練内容を発展させてゆけば、いずれ限界がくるのは確かだ。
カールの身一つで整えられる訓練環境にも限界は存在している。

他にも、魔導師がどう戦うべきか、という戦闘映像を見せることだって勉強にはなる。
しかしこのハルケギニアではそれができない。
いずれ、野良の幻獣を相手に戦い方を見せようとは思っているが、それでも魔導師、メイジ同士の戦いとはほど遠いだろう。

「……なんとかしたくはあるんだけどなぁ。
 あの子の熱意に応えられないのは、なんとも気が引ける」

「熱心だねぇ」

そう云っていると、不意に扉がノックされた。
はい、と声を返せば、遠慮がちに扉が開かれる。
姿を現したのはコルベールだった。
彼は少し驚いた様子で部屋に入ってくると、こんばんは、と声を上げる。

「部屋の明かりがついていたようなので、ひょっとしたら消し忘れて寝てしまったのでは、と思っていましたが、違いましたか」

「ええ。ルイズの教導計画を練ってました」

「ふぅむ。ミス・ヴァリエールもなかなかに贅沢だ。
 一対一の授業とはいえ、こうも面倒を見てくれる教師はなかなかにいないでしょうに」

「いえ。俺も初めてのことだから、熱を上げてるだけですよ」

どうぞ、とカールが椅子を勧めると、コルベールは来客用の椅子へと腰を下ろした。

「今までは、一人の生徒に長期間教えるってことはなかったんです。
 一度に大勢の生徒を持って、要所要所で口を出す。
 多分、一人の面倒を見た時間を数えたら、一時間を超えるのは稀でしょうね」

「そうなのですか。
 それで、ミスタ・カール。ミス・ヴァリエールの調子はどうですか?」

「良いですよ。あの子には天性のものがある」

「ほう。スクウェアのあなたにそこまで云わせますか」

コルベールは驚いた風に声を上げた。
カールが召還されたことから、表向き、ルイズには風系統の才能がある、という話になっている。
そのため、周囲の目を誤魔化すためにも、ルイズには飛行魔法だけはマスターしたら人前で使って良いと許可を出していた。
まだまだ先の話だが、魔法陣を展開せずクロスファイアに炎熱を付加できるようになったら、ラインクラスと名乗ることもできるだろう。

「それにね、コルベールさん。
 俺、嬉しいんですよ。ルイズにはやる気がある。貪欲なほどに、俺から与えられる技術を取り込もうとしている。
 そこまでやる気を見せられたら、こっちも半端なことはできません。
 いや、最初から半端をする気なんてなかった。余計に燃える、ってところでしょうか。
 俺のかけた勝手な期待に、あの子は応えてくれる。なんだかそれが、とても嬉しくて。
 良いものですね、教師って」

云いながら、カールは脳裏に一人の女性を思い浮かべていた。
彼女も二年前、機動六課という部隊で初めての長期教導を行っていたという。
一年という長い時間の中で良いことと悪いことの両方があったと云っていたものの、大きな価値のある日々だったと、彼女は云っていた。
まだルイズの教導を開始して間もないカールだが、今なら、彼女が云っていたことを少しだけ理解できる気分だった。

「はい、良いものですとも。
 自分が学んだことを他者に教え、自分の技術が他人の中で生き続ける。
 価値のあることだと思います」

カールの言葉に、コルベールは柔らかな笑みを浮かべる。
まだ若いカールが教育者として喜びを感じている姿を微笑ましいと思っているのだろうか。
友人、という立場ではあるものの、今の彼には友というよりは弟を見守る兄のような色があった。

「っと、そうだ、ミスタ・カール。
 少し話を変えてしまってもよろしいですかな?」

「はい、なんですか?」

「頼まれていたルーンの調査結果が出たので、それを教えようと思いまして。
 本当は明日にするつもりでしたが、速い方が良いでしょう」

「ありがとうございます。
 それで、どうでしたか?」

「……それが、ですね」

カールが質問すると、途端にコルベールは顔を曇らせた。

「ガンダールヴ、という単語は知っていますな?」

「はい、一応」

一応、カールはその名を知っていた。
この世界に訪れてから次の日、食堂でルイズが祈りを捧げていた始祖ブリミル。
そのブリミルを崇めるブリミル教について興味があったため、彼はそれを調べていたのだ。
異端であるミッドチルダ式がその教義の下ではどういう扱いを受けるのか、ということを知るためでもあったのだが――

ともあれ、カールはガンダールヴがなんなのかを知っていた。
始祖ブリミルに仕えていた四体の使い魔、その一体。神の左手、神の盾。
あらゆる武器を使いこなしたと云われているらしいが――

「……まさか、そのガンダールヴ?」

「……ええ。ルーンの綴りは合っています。
 それに、武器を持ったら力が増したというミスタ・カールの言葉とも合いますし――」

「おいおいこっぱげ。
 それじゃ何か? 相棒がガンダールヴなら、それを呼び出した娘っ子が虚無だとでも云うのか?
 冗談キツイぜ。娘っ子の系統は風なんだぞ?」

けたたましい程に金具を打ち鳴らし、どこか怒りすら覚えた様子で、デルフリンガーは唐突に声を上げた。
カールはそれに違和感を覚えたものの、コルベールは苦笑するだけだった。

「そうですな。カビの生えた伝説ですしね。
 しかし能力が酷似していることから、おそらく、それに近いルーンなのでしょう」

「……すみません、デルフが失礼なことを」

「いえいえ、気にしないで欲しいですぞ。
 与太話を始めたのは私の方です。
 それじゃあ私はこの辺りで……ミスタ・カールは?」

「俺はまだ起きてます。
 ルイズの教導計画を練りたいし、魔法の勉強も……ああえっと、この学院は蔵書量がすごいので、この機会に目を通しておきたいんですよ」

本当はハルケギニアに対する理解を深めているのだが、コルベールはカールが異世界人だと知らない。
未だに知っているのはデルフリンガーとオスマンのみなのだ。
そのため、カールは咄嗟に言葉を取り繕った。

「……いつ寝ているのですか?」

「ルイズの朝練習に付き合ったら寝るようにしてます。
 午前中は俺の受け持つ授業、ありませんからね」

「昼夜逆転とはこれまた……若い内は無理が利いて良いですなぁ」

「……やっぱり歳を取ると厳しいですか?」

「ええ。いくら体力があっても無理が利かなくなってきますよ。
 それでは、もう私は寝るとします。ミスタ・カールも、あまり無理をしないように。
 おやすみなさい」

「はい。おやすみなさい」

パタリ、と扉が閉められてコルベールが外に出ると、カールはデルフリンガーへと視線を向けた。
彼の眼差しは、どこか怪しむように細められている。

「デルフ。どういうことだ?」

「何が?」

「ガンダールヴに関してだよ。
 お前、ルイズが風の系統なんかじゃないって知ってるはずだろ?
 俺はてっきりミッドチルダ式だって思っていたけど――」

「相棒のルーンはガンダールヴに似てるけど別物で、娘っ子の系統はミッドチルダ式だ。
 俺はそれ以外、何も知らないね」

「本当に?」

「本当さ」

「そうかい」

カールはデルフリンガーを追求することなく、早々に話を打ち切った。
もしデルフリンガーが人ならば違っただろうが、彼は剣だ。
表情も何も見えない相手に駆け引きを行い、情報を引き出せるとは思えなかった。
それに、カールはそういった腹の探り合いに向いた性格ではないということもある。

だが、

「なぁデルフ。隠し事をするのは別に良い。
 けどさ。隠し事をする理由ぐらいは教えてくれよ。
 じゃないと、俺はお前を信頼できない。お前に教えられた能力のこともある。
 魔剣を握って身体を操られて、なんてのは嫌だぞ」

仮面の男との戦いを終えてから、カールはデルフリンガーの持つ能力を聞いていた。
魔力吸収に使用者の肉体操作。
前者はともかくとして、後者の能力は便利な反面恐くもある。
とてもじゃないが、デルフリンガーを信頼してなければ彼を握ることは出来ない魔性の能力だ。

カールの言葉に、デルフリンガーは寂しげに金具を上下させた。

「……だから隠し事はしてねぇって。
 けど、そうだな。
 もし、もしだぜ? もし娘っ子が虚無だとしたら、それを明らかにするのは幸せなことなのかねぇ。
 俺にはどうしてもそうは思えねぇよ。
 世の中には往々にして、知らない方が幸せだった、ってこともあるもんさ。
 人間何が幸せって、美味いもん食って、好きな女抱いて、子供育てて孫に看取られながら死ぬのが一番さ。
 きっとな」

「そうか。
 ……そうだな」

異世界人なりに、カールはこの世界における虚無の系統、その価値を理解していた。
仮面の男がカールを虚無と勘違いしたこともあって、図書館で調べられるレベルの情報は頭の中に入っている。
デルフリンガーの、もしもの話に乗るならば。
確かに、虚無の担い手と判明してしまうことは、幸せと断言することはできないだろう。

崇められはするし敬われもするだろうが、それは――きっと、人としての扱いを二度と受けることができなくなってしまう。
それが言い過ぎでないほど、この世界にとって虚無という系統の扱いは重い。
デルフが口にしたような、人が当たり前のように手に入れる幸せが許されなくなるだろう。

「俺は相棒の剣さ。
 その相棒が大事にしている娘っ子も、大事にしたいと思ってる」

「……ああ、分かったよ。
 悪かったな、デルフ。変なこと云って」

「気にすんな。たとえ話だからな」

それっきりデルフリンガーは口を噤んでしまう。
カールはそんな相方の様子に肩を竦めると、ルイズの教導計画を再び練り始めた。


















月のトライアングル















「わぁ……!」

眼下に広がる風景に、ルイズは感嘆とした声を上げた。
今、彼女の視界一杯にはミニチュアのようにトリステイン王国が広がっている。
目を凝らせば、その先にあるアルビオンの影すら見えるだろう。
風は強く、バリアジャケットを解除すればまず間違いなく寒い。

ルイズと、そしてカールは、現在トリステイン魔法学院の直上にいた。
高度は三千メートルを少し超えたところだ。
飛行魔法に不慣れなルイズはカールと手を繋ぎながら、広がる景色に目を見開いている。
幸いなことに雲は出て無く、視界を遮るものは存在しなかった。

飛行魔法を覚えたての人間を高々度まで連れて行くことに危険がないわけではないものの、カールの考えとして、飛行魔法の素晴らしさを早い段階からルイズに教え、彼女の熱意を風化しないようにしたかった。
ミッドチルダ式魔法を熱心に覚えようとするルイズだが、人である以上、いつかはこの状況に飽きてしまうだろう。慣れる、とも云う。それは仕方がない。
だからカールはルイズのミッドチルダ式魔法に対する興味と好奇心を刺激し、彼女の熱意を少しでも長く維持したかった。

その成果は――

「ルイズ、どう?」

「……すごい。すごいわ」

予想とは違い、彼女の反応はどこか上の空だった。
しかしそれは感心が薄いというわけではなく、広がる景色に見入っているからだろう。
ルイズと同じように景色を眺めながら、カールは口を開く。

「ルイズも、飛行魔法を訓練し続ければこの高さまで楽に昇ることができるようになるよ。
 先は、長いけどね」

「……うん。
 この高さまで昇れたら、私は風のメイジって名乗っても良いの?」

どこか期待するように、ルイズは問いを呟いた。
飛行魔法――『フライ』は風系統の魔法に分類される。
そして、メイジのクラスが決定されるのは、一度にどれだけの系統を足せるか――風系統のスペルを使えるようになったルイズは、風のドットと云えるだろう。
もし今後ルイズがラインクラスへの昇格を偽装したいと願うならば、氷結の魔力変換――風と水で氷を生み出す――を教えることになるか。
そんなことを考えながら、カールはルイズの問いに答えた。

「いや、高度を上げなくとも空を飛べるだけで『フライ』を使ったことになるのなら、もうルイズは風のドットって云える。
 ただまぁ、俺としては、もっと練習してからじゃないと危なっかしくて飛行魔法を使わせたくないけどね」

「わ、分かってるわよ。
 防御魔法だって一週間で覚えたんだもの。飛行魔法だって、すぐにマスターしてみせるわ」

「マスターするのはかなり難しいだろうね。
 空を飛ぶだけなら難しくないけど、高々度の飛行、マニューバ、継続時間、そういったものを挙げていったら飛行魔法は奥が深い」

「……むぅ」

その言葉に、ルイズは気難しそうに唇を尖らせた。
だがそれは子供が不機嫌になった時に見せるようなものではなく、まだ先は長いと理解したからなのだろう。
思わず苦笑し、カールはルイズの頭をやや荒く撫でた。

「ちょ、ちょっと! 何するのよ!」

「無茶にならない範囲で、俺は君が望むだけの技術を教えるから。
 だから頑張れ。どこまで行けるかはルイズ次第さ」

「分かってる!」

子供扱いされたからだろうか。頬を微かに染めながら、ルイズはカールの手から逃れると、ふらふらと空を漂い始めた。
吹き荒ぶ風に流されないよう飛行魔法を制御しながら、自分の望む通りに飛ぼうとしている。
まだまだ甘い。未熟。複雑な機動で空を舞うにはほど遠い。
だが、カールが教えようとするよりも早く自ら臨んで技術を身に着けようとする彼女ならば、不可能ではないだろう。

人を成長させるのは天性の才能でも、努力を続ける忍耐強さでもない。
必要なのは、目的を達成しようとする熱意である。それが、カールの持論だった。
熱意の炉に火をくべ続けた結果として、カールはストライカーと呼ばれる魔導師にまで上り詰めたのだ。
そして、そんな自分と似たひたむきさが、ルイズにはあるように感じられた。

「先生! 少し、速度を出して曲がれるかどうか試してみたいの!」

「ああ、良いよ。失速したらすぐ助けに入る。後ろについてるから、思う存分試してみると良い。
 自分のやり方でやってみて。失敗したら、反省点を含めてもう一度教え直すから」

「失敗前提で話を進めないでよ!」

風に負けないよう声を張り上げるルイズに、カールは思わず苦笑した。
既に念話は教えてあるのに、わざわざ声に出して会話をしようとするのは、まだ念話の存在に慣れてないからなのだろう。

さて、ルイズは自分自身の力で飛行魔法を使うことはできるのか――そう思って後を付け、不意に失速した彼女を、カールは慌てて助けに行った。

そうして魔法の実技が終わると、二人は地上へと戻ってきた。
防御魔法の訓練をする時はカールが結界魔法を使用して人目に付かない空間を生み出すのだが、飛行魔法は違う。
フライという空を飛ぶ魔法があるため、わざわざ結界を張る必要はないのだ。

ようやく地面に足を付けることのできたルイズは、生まれて初めて自分の身一つで上がった空の感覚と、足の着いている状態のギャップに変な顔をしていた。
風のメイジや竜騎士は、あんなにふらふらした状態に慣れているのだろうか。
失速した際、カールにキャッチされるまでの浮遊感を思い出して、ぶるりと震えた。

けれど、とも思う。
上昇と直進だけならなんとか出来る。
カールが云っていたようにマスターにはほど遠いかもしれないが、ハルケギニアの『フライ』の範疇なら、既に満たしたようなものだ。
これでようやく自分も風のドット――そう思うと、やはり頬が緩んでしまう。

「おめでとう、ルイズ」

そう思っていると、不意にカールが声をかけてきた。

「オスマンさんには報告しておくよ。
 これで君は、風のドットだ。例えコモンマジックが使えないのだとしても、一つの系統に目覚めたのだからそう名乗れる。
 良かったな」

カールはなんの嫌味でもなくそう言い放った。
褒めてくれているのは分かるものの、なんとも微妙な気持ちになってしまう。
もう自分はバリアジャケットを始めとして、バリア系各種防御魔法と、飛行魔法、そして念話を使えるようにはなった。
けれど表向きにはフライの一つしか唱えられない風のドット――悔しさがないと云えば嘘になる。

「……所詮は風のドットだわ」

だからそんな風に心にもない悪態を吐いてしまったが、カールは気分を害した風もなく、困ったように笑った。

「そうだね。けど、すごい進歩だと思わないか?
 魔法の一つも使えなかった君が、今じゃ風のドットメイジを名乗れるんだ。
 それも、たった一週間しか学んでいないのに。
 正直、ここまでくるのにはもっと時間がかかると思ってた。
 それでも飛行魔法のレッスンを始められたのは、ルイズの覚えがそれだけ良かったからだ。
 才能の一言で俺は片付けたくない。
 ルイズが頑張ったからだろ?」

「……おだてたって何もでないわよ」

ぷいっとルイズはそっぽを向く。
誰かに教えたわけではないが、ルイズは体力に余裕のある時間、カールから教えて貰ったミッドチルダ式のおさらいをしていた。
実践ではなくあくまで座学のだが、それでも、ミッドチルダ式は正しく術式を編まなければ魔法を発動させることができない。
そういう意味では、発動させてはいないものの、術式の組み立てを何度も復習していたルイズの努力が実ったとも云える。
だから、カールの言葉が嬉しくないわけではなかった。
けれど真に受けたら密かに行っていた努力を明らかにするようで悔しい。
なんとも複雑な心境だった。

対してカールは、苦笑しながら補足するように口を開いた。

「折角だから、ジャケットパージも教えるよ。バリアジャケットを破裂させて相手を吹き飛ばす魔法。
 これは魔法陣を出す種類の魔法じゃないから、ウインド・ブレイクって偽れるはずだ。
 さて……じゃあ休憩はこれぐらいで。
 今日も楽しい体力作りを始めようか」

うへ、とルイズは座り込みたくなる。
それを我慢したのは、なんともはしたないからだった。

「ルイズ、今日から君には、デルフを担いでもらう」

「デルフ?」

ルイズが問うと、カールは周囲を見渡してから転送魔法を発動させ、一本の長剣を召還した。
見覚えがある。いつも研究室の隅っこに立てかけてある武器だ。
それがインテリジェンスソードであることも、ルイズは知っていたが――

「なんでそれを背負うんですか?」

「普段から、ってわけじゃないけど、有事の際、ルイズにはデルフと一緒に行動してもらおうと思ってる。
 それに慣れるためにも、今日からデルフを背負って走り込みをしようか。
 大丈夫。それができるだけの体力はついてきてると思うから」

「そいうことだ、娘っ子。よろしくなー」

「話が見えません、先生。嫌です。そんなもの背負ったら背中が鉄臭くなりそうです。
 それに重そう」

「相棒――! やっぱり俺は嫌だぜ!」

「ちゃんと理由はあるから……」

ガシャガシャと金具を鳴らすデルフリンガーに額を抑えながら、カールは溜息を吐いた。

「このデルフリンガーは……まぁ自称だけど、六千年の間存在しているらしい」

「骨董品ですね」

「ああ、骨董品だ」

「……あれ? 相棒、酷くね?
 俺の味方じゃなかったのか? コンビ解消の危機か?」

喚くデルフを無視しながら、カールは先を続けた。

「だが、人ならそれは古参兵って云っても良い。
 六千年の全部を戦場で過ごしたわけじゃないだろうけれど、それでも生きている人間の誰よりも多くの戦場を、デルフは見てきている。
 実戦経験なら誰よりも豊富なんだよ。実際にデルフから話を聞いてみて、それは俺も保証する。
 ルイズ。君はミッドチルダ式魔法を覚え始めたけれど、場慣れはしていない。
 だからいざ戦闘が始まったら、おそらく冷静な判断ができないだろう。
 その時にアドバイスが出来る存在を、俺は君の側に置いておきたい」

「理屈は分かりますけど……」

そう。理屈は分かる。
カールはルイズに魔法を教えているが、それは勉学としてではなく、実戦ありきの、戦場で生き残る術としてだ。
そのため、"その時"を意識して準備を行うことは、ルイズにも理解はできる。
……それでもデルフリンガーを背負って走り込みをしろというのは御免被りたい。重そうだし。実際に重いだろうし。
魔法の勉強も体力作りも真面目に取り組んでいるルイズではあったが、自ら率先して苦行をしようとまでは思わない。

「相棒。俺も戦士でもなんでもねぇ娘っ子のお守りはやっぱり嫌だぜ。
 どうしても、って頼まれるなら、まぁ、やぶさかでもないけど」

「……昨日の内に決めたことだろ」

「いやでもよー、剣は振るわれてなんぼだぞ?」

「ただの剣ならな。
 インテリジェンスソードなら別の使い道が出てくるのは自然だろ」

「詭弁だ!」

「事実だ。そういうわけでルイズ、頑張ろうか」

「うぅー……」

どうやら既に、カールの中ではデルフを背負っての走り込みが決定しているようだった。
そしてカールの云っていることが分からないわけではないため、ただわめき散らすなんてみっともないことをしたくないルイズではあった。
が、それでもあまり友好的には見えず、かつ、クソ重そうなインテリジェンスソードを背負って走り回るのは……。

そんな風に考え込むルイズに、カールは首を傾げた。

「そんなに嫌か……じゃあ、ルイズ。
 風のドットになったご褒美も兼ねて、君が覚えたい魔法を授業内容に組み込もう」

「本当ですか!?」

「ああ。とは云っても、いきなり広域攻撃魔法とかは無理だけどね」

「私、射撃魔法が覚えたいです!」

射撃魔法。ルイズがそれを選んだことには、一つの理由があった。
魔法陣を展開せずに氷結を付加した射撃魔法を使えば、ラインメイジと認められる。
簡単な魔法ならば、魔法陣を展開しなくても発動はできるため、ハルケギニアの魔法と偽ることも可能――ということもあるが、もう一つ。

貴族には責務の一つとして、戦争に参加しなければならないというものがある。
そのため、戦う術を持たないということは、貴族の責務を果たせないということに直結する。
何も敵を倒すことが戦争に赴いたメイジの役割ではない。水のメイジなどは医師として戦場に出る。
だがそれでも、メイジとして戦う力を持つということは、貴族としての責務を果たすことに繋がるのだ。

ミッドチルダ式が外道の魔法なのだとしても、ルイズの心根にはハルケギニアの貴族、その在り方が刻まれている。
たとえ使う魔法が違っても心根だけは貴族でありたいと、ルイズは願っている。
だからこそ彼女は、攻撃魔法を教えて欲しいと口にしたのだ。

それを聞いたカールは少しの間考え込むと、先ほどまでの気さくな表情を消して、酷く真剣な顔をルイズに向けた。

「分かった。良いよ。
 ただし、一つ約束をして欲しい。
 オスマンさんから聞いているとは思うけど、改めて、だ。
 ルイズ。自衛以外に、ミッドチルダ式魔法を使ってはいけないよ?
 それを約束してくれなければ、射撃魔法を教えることはできない」

「……分かってるわ」

微かな逡巡を見せながらも、ルイズは頷いた。
分かっている。もうミッドチルダ式魔法を学び始めてしまった今、その約束を反故にすることはできない。
学んでおいて前提条件を破る。それではまるっきり詐欺そのもの。貴族として、そんな行いは許されない。

ルイズの表情から、カールは本気であることを察したのか。
すぐに真剣な色を解くと、彼はにっこり笑ってデルフリンガーをルイズへと差し出した。

「良し。
 それじゃあ、走り込み、頑張ろうか」

「……どうしてそうなるんですか?」

「射撃魔法、覚えたいんだよね?」

「……ガンバリマス」

この男は絶対に真性のサディストだ。
ぐぬぬ、と歯を食い縛りながら、ルイズはデルフリンガーを背負い、走り込みを開始した。
思った以上に剣は重い。いつもなら軽快に走ることのできるペースでも、身体が地面に引き寄せられているようだ。
ガチャガチャと音を上げながら、ルイズは重い身体で広場を走り始める。

普段は一緒に走るカールは、広場の隅に座り込んで、どこからか取り出した本を読み出した。
ルイズは彼を恨めしげに睨みながらも、明日から始まるであろう射撃魔法の勉強に思いを馳せて――

「やい娘っ子」

「……あによ」

「相棒の頼み事だから聞くけどよ。
 俺は相棒以外に握られるの、あんまり気が進まねぇんだ。
 間違っても抜いたりするんじゃねぇぞ」

「奇遇ね。私だってメイジなのに武器を背負ってるなんて状況が、気に入らないわ」

「へーへーそうですかよ。んじゃ俺は精々知恵袋に徹しさせてもらうわ。
 まぁ、お前の小枝みたいな腕じゃ、どう頑張ったって俺を振ることはできねーだろうしな!」

「メイジが振るのは杖よ。あんたみたいな骨董品を振ったりなんてしないわ」

「杖だぁ? お前、相棒みたく戦友を持ってるわけじゃねぇだろ?
 娘っ子の場合、ミッド式は杖なしで使うしかねぇじゃねぇか」

「ぐっ……うるさいわね、黙ってなさい!
 喋りながら走るのって疲れるんだからね!」

「じゃあ話に乗らなきゃ良いだろ」

「話しかけてきたのはあんたの方じゃないの!」

「ルイズー! ペースが落ちてるぞー!」

「はーい!」

「おら、頑張れ頑張れ」

「今に見てなさいよ……!」

こんちくしょー! とヤケになりつつ、ルイズはその日の体力作りを終わらせた。
その頃にはもう日が落ち始め、茜色に空が染まり出す。
解散、ということでカールはデルフを持って自室へと戻っていった。
ルイズは重りを追加された走り込みですっかり疲れ切ってしまい、息を整えるために広場に残っていた。

大の字になって、彼女は胸を上下させながらぼんやりと空を見上げる。
疲労がしみ込み、汗に濡れた身体には、穏やかに吹く風が心地よい。
眠ってしまわないよう意識をしっかりと保ちながら、ルイズは呼吸を徐々に整えていた。

そうしていると、かさり、と芝生を踏みしめる音が聞こえる。
頭を動かすと、そこにはコルベールの姿があった。

「こ、こんばんは、ミスタ・コルベール!」

ルイズは跳ね起きて服に付いた草を払うと、勢いよく頭を下げる。
そんな彼女に微笑ましげに頷きを返して、立ち上がったルイズを手で制した。

「座っていても良い。
 疲れているでしょう」

云いながら、コルベールもその場に座り込む。
一人だけ立っているのは気まずく――だからコルベールは座り込んだのかと思いながら、ルイズもその場に腰を下ろした。

「今日も走り込みですかな?」

「はい……何故か剣を背負って」

「ああ、あのインテリジェンスソードですか。
 ミスタ・カールがそんなことを云っていましたなぁ。
 それで疲れてしまった、と」

「……いえ、体力作りで疲れ果てるのはいつものことなんですけれど」

「はは、そうですか。
 まぁ、疲れなければ体力作りとは云いません。仕方がないでしょう。
 しかし、熱心ですな」

「え?」

「いえ。軍人にでもなれば話は別ですが、普通、体力作りをしろと命じられて熱心にそれを行うメイジはいません。
 まぁ、あまり不思議な話ではありませんが。
 けれどミス・ヴァリエールは、ミスタ・カールの言いつけを守り走り込みを続けている。
 失礼な云い方になってしまいますが、勉強ならばともかく、ロードワークをこうも続けられるとは思っていませんでしたよ」

「それは……だって、体力作りをしなきゃ、メルセデス先生は魔法を教えないだろうし」

「それはないでしょうなぁ。
 彼は学院長から直々に、ミス・ヴァリエールへ魔法を教えるように云われている。
 確かに体力作りも大事なのでしょうが、もしあなたがそれを嫌がり続けるようなら、早々に切り上げて魔法に専念させたでしょう。
 そうなっていないのは、偏にあなたが真面目だからですぞ、ミス・ヴァリエール」

……褒められているのだろうか。
なんとも微妙な気持ちになりながら、そうですか、とルイズは頷いた。

「ミスタ・カールも報われているようで何よりです」

「報われている?」

「はい。彼は昼夜逆転の生活を続けているのです。
 あなたの授業を行ってから、そのまま夜通しで授業の計画を立ててますからな。
 眠っているのは受け持った授業のない午前中と聞いています。
 しかし、ミス・ヴァリエールがこうもやる気を見せているならば、そこまで熱が入るのも頷ける」

ルイズの目には、どこか、コルベールが自分のことのように喜んでいるように見えた。
それはともかくとして――微かな嬉しさが、ルイズの胸に込み上げてくる。

カールが熱心に魔法を教えてくれているのは態度から察することができていたが、そこまでとは思っていなかった。
まるで自分の熱意に彼が応えてくれているようで、上手く言葉にできないくすぐったさを抱いてしまう。
幸運なのだろう。ずっと魔法を使えなかった自分にとって唯一の教師とも云えるカールの存在は。
そんな彼が手間を惜しまず魔法を教えてくれていることは、本当に、幸運としか言い様がない。

……良し。
勢いよくルイズは立ち上がると、背筋を伸ばした。

「すみません、ミスタ・コルベール。
 今日教えてもらったことを、復習しようと思います」

「そうですか。ならば邪魔にならないよう、私は退散しましょう」

「はい。それでは」

コルベールに頭を下げると、ルイズは飛行魔法の復習を始めた。
杖は持ってきている。フライと勘違いしてもらえるよう、その準備はしてあった。

杖を手に持ったルイズは、その場で浮かび上がる。
地上から五十センチほどしか浮いていないが、高度を取っていない分、姿勢制御などはずっと楽だ。
少しはコツを掴めたら、と思いヴェストリ広場を漂っていると、今度は、

「あら? ルイズ?」

「ツェルプストー?」

声のした方を向けば、そこにはキュルケの姿があった。
彼女は幽霊でも見たように目を瞬いて、唖然と口を開けている。
失礼ね、とルイズは浮かんだまま腕を組んだ。

「何よ」

「いえ……フライの練習?」

「そうよ。風系統に目覚めたから、今日から晴れてドットクラス。
 どう? 少しは見直したかしら?」

驚いたキュルケに向けて、どうよ、と云わんばかりにルイズは薄い胸を張った。
どうせ嫌味の一つでも飛んでくるのだろうけれど、と思っていたが、しかし、彼女の反応はルイズの予想から外れていた。

「ええ、見直したわ。
 やったじゃない! おめでとう!」

「……へ?」

今度はルイズが唖然とする番だった。
素直に彼女から称賛の言葉が向けられるとは、微塵も思っていなかったからだ。
しかしキュルケはそんなルイズを馬鹿にした風もなく、彼女にしては珍しく屈託のない笑顔を浮かべていた。

「……やめてちょうだい。なんだか調子が狂うわ」

「あら、そう?
 ともかく、良かったわね。これで『ゼロ』からも脱却じゃないの。
 二つ名、一緒に考えてあげましょうか?」

「け、結構よ! 調子が狂うったら!」

あら残念、とキュルケは溜息を吐く。
ルイズの反応に何を思ったのか、どこか残念そうに態度を改め、彼女はいつもの悪戯めいた笑みを浮かべた。

「ま、風のドットって云っても、まだまだよね。
 私と肩を並べたいなら、さっさとトライアングルまで駆け上がっておいでなさいな」

「云ってなさいよ。すぐに追い付いてやるから」

「……ええ、その意気よ」

トライアングル……ラインまでは見通しが出来ているものの、エリートと呼ばれるクラスに自分が認められることはあるのだろうか。
ミッドチルダ式には、電撃、炎熱、石化、氷結の四種類の魔力変換が存在するとカールは授業でルイズに教えていた。
ならば氷結を覚えたら、風と水を身に着けたと偽装できるのだろうか――

そんな風にルイズが考え込んでいると、それじゃあね、とキュルケは手を振り立ち去ってしまった。
そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、ある一つの実感がルイズの胸中に湧き上がってくる。

カールに云われた時はそれほどじゃなかったものの、ライバルとも云えるキュルケに云われて、ようやく。

「……私、風のドットなのよね」

使っている魔法はハルケギニアのものではないものの、フライに相当する魔法を行使できるようになったのは事実。
ぞわぞわと何かが身体をくすぐって、ルイズは自分の身体を抱き締めながら、笑みを浮かべた。

























次の日。
十五分早く――授業開始の日は十分だったが、それ以降は五分早くルイズは研究室にきていた――研究室に訪れたルイズのやる気に苦笑しながら、早速カールは射撃魔法の授業を始めた。
射撃魔法。それはミッドチルダ式で最もポピュラーな攻撃魔法と云っても良いだろう。
陸戦、空戦問わずに、戦闘を行う魔導師ならば誰もが覚えている代物だ。
バリエーションも多く、大別するならば誘導式と直射式の二つになるが、そこから更に枝分かれしている。

魔法を何も知らないルイズに、まず何から教えるか。
カールは迷いつつも、直射式から彼女に教えようと決めていた。
誘導式は便利である反面、制御が面倒だ。インテリジェントデバイスの補助があれば初心者でも扱うことはできるだろうが、ハルケギニアにそんなものはない。
そのため、ルイズに教える射撃魔法は直射。それは決定したものの、ならば直射式の何を教えるか、という問題が次に浮かび上がってくる。

一口に直射式と云っても、多くの種類が存在しているのだ。

数を増やせばそれだけで必殺技の域に達するフォトンランサー。
速度とバリア貫通能力に秀でている、対魔導師用のスティンガーレイ。
多くの数がある中でルイズに教える魔法は――吟味の末、シュートバレット、という魔法に決定された。

シュートバレットはミッドチルダ式魔導師ならば誰もが一度は学ぶ魔法だ。
魔力を圧縮して弾丸状にし、加速して撃ち出す。たったそれだけのシンプルな射撃魔法である。
しかし、これは発展応用が可能なのだ。炸裂効果を付加したり、各魔力変換を行ったり。高等技術には相手のバリアを無効化するヴァリアブルシュートも存在する。

この基本的な魔法を取っ掛かりにして射撃魔法に慣れたあと、ルイズの適正に合わせて他の種類に移ってみよう――と、カールは考えていた。

「説明はこんなところ。
 カブリオレから術式は読み取ったね?
 それじゃあ早速、魔力弾を作ってみて」

「はい」

カールが指示を出すと、ルイズは人差し指を立てた右腕を持ち上げて、窓の外へと向けた。
次いで、彼女の足下に桃色のミッドチルダ式魔法陣が展開する。
ルイズは必死に術式を制御しながら、その指先に桃色の弾丸を生み出した。

「……シュートバレット」

トリガーワードが呟かれると同時、桃色の弾丸が窓の外へと飛び出した。
完成まで十秒。有効射程距離は十メートルほどか。
そんな風に分析しながら、カールは頷いた。

防御魔法や飛行魔法に触れたからか、初めて故に時間こそかかるものの、ルイズはしっかりと魔法を構築できている。
今の段階で、シュートバレットを覚えたとは云えるだろう。
あとは魔法を完成させるまでにどれだけ時間を短くできるのか。どれだけ連射できるか。どれだけ命中精度を上げられるか。どれだけ威力を込められるのか。
そういった基本的な部分を詰めるだけだ。

それにしても――と思う。
ハルケギニア式魔法を使用する度に発生していた彼女の爆発は、一体なんだったのだろうか。
てっきりカールはミッド式を使用することでもそれが起こるのだと思っていた。
しかしルイズは真っ当にミッド式を使っており、爆発するようなことはない。
このことから、炸裂付加のような希少技能を彼女が持っていたわけではないと分かる。

正直、カールとしてはそちらの方がありがたかった。
ハルケギニアの魔法と違い、ミッド式の魔法は理論で編まれた科学である。
そのため、爆発という結果に対し、術式を解析することでその原因究明が可能なのだ。

だが、ルイズの魔法は爆発しない。
これは本当にどういうことなのだろう。

ハルケギニア式に適正がなかったために成功しなかった――と考えることはできるものの、それは思考停止に近い。
現段階で原因の究明をすることは不可能に近いが、いずれカール自身がハルケギニア式魔法の理解を深めたら、それも分かるのだろうか。

「あの、先生」

ルイズの声によって思考から引き戻されたカールは、やや慌てて声を返した。

「何かな?」

「これに氷結を付加すれば、私はラインクラスと名乗ることができるんですか?」

「そうだね。現時点でルイズは風系統に目覚めたってことになっている。
 魔力弾を氷の弾丸に変換したら、それは風と水を足したラインスペルってことになるだろう。
 けど、氷結の付加を教えるのはまだ先の話だ。
 射撃魔法を教えた時点でやや脱線している。これ以上他のことに手を出したら、覚えが悪くなるよ」

「……はい」

微かに頬を膨らませながらも、ルイズはシュートバレットの練習に没頭し始めた。
徐々に慣れてくると、今度は殺傷設定と非殺傷設定の切り替えを始めたようだ。
魔力弾が放たれる間隔は徐々に短くなり、五秒に一発、という割合になってくる。

「良し。ルイズ、次は飛行魔法で浮かびながら射撃魔法を撃ってみて」

「はい」

カールに云われるまま、ルイズはその場で三十センチほど浮くと、再びシュートバレットの練習へと戻った。
しかしさっきと比べて、精度が一気に落ちる。
魔力弾の形成は再び十秒台にまで落ち込み、放たれた弾丸の射程も目に見えて落ちていた。

「先生、これ、むずかし……」

「だろうね。二つの魔法を同時に処理するのは、難しい。
 それを行うためにマルチタスクって技術があるんだけど――」

そうして、今日もカールの授業は続く。
魔法を教えられるルイズは、彼の言葉を一生懸命に理解しようと努めながら、徐々にミッドチルダ式魔法を覚えてゆく。

飛行魔法を発動させながら射撃魔法を使う。けれど、ルイズが初日のように目眩を感じることはない。
一歩一歩確実に魔法を身に着けている状況が、ルイズには嬉しかった。
まだ氷結変換を教えられるのは先の話らしいけれど、それでもラインクラスへ到達する道のりがはっきりと見えたのだ。
分かっている。これは系統魔法ではない。
けれど自分に使える唯一の魔法、それを完成させてゆくことがルイズには嬉しくてたまらなかった。

その後、外に出て飛行魔法の訓練を。
空の上で覚えたばかりのマルチタスクを駆使して防御魔法の発動を試すと、地上に降りてロードワーク。
背負ったデルフリンガーをがちゃがちゃ云わせながら、ルイズは今日もヴェストリ広場を走り回っていた。

走り込み自体は慣れつつあるものの、デルフリンガーという重しが乗ると今までとは勝手が違った。
以前のペースを保ちながら走るのは、最初は良いものの、疲れ始めると途端に脚が重くなるのだ。
それをなんとか根性で耐え、ルイズは汗だくになりながら最後の全力疾走を終わらせる。
……こうして走り込みを終える度に、私ってこんなに熱血だったかしら、とルイズは思ったりする。

走り込みを終えたあと、カールに脚を押さえて貰ったりしながら筋トレを。
まだたった一週間しか経っていないというのに、ルイズの腕には少しずつだが筋肉がつき始めていた。
以前はデルフリンガーが云うように小枝じみていた腕には、僅かな起伏が生まれている。

どんなに疲れ果てても翌日に筋肉痛が残ることはないため、若干ルイズは筋力が付くのか心配だった。
が、それはどうやら杞憂のようだ。体力、魔法、それらと同じように、身体の方も少しずつ出来てきているようだった。

何もかもが順調――そんな日々が、ここまでは続いていた。




























カールの授業が始まってから二週間が経ったある日のことだった。
いつものように体力作りをしていたルイズたちの元へオスマンがやってきて、カールを引っ張って行ってしまったのだ。
残されたルイズはデルフと一緒に、延々と走り込みを続けていた。

監視がいなくなったため無意識の内にペースが落ちそうになる度、背中のデルフが煩い声を上げるため、手を抜くようなことはできなかった。
そうしてノルマを終わらせたルイズは、汗だくになりながら膝に手をつき息を整えながらも、座り込んだりはしなかった。

「おう娘っ子。まだ続けるのか?」

「当たり前でしょ。
 飛行魔法で上昇したら、そこで射撃魔法の練習をするわ」

「駄目駄目。
 浮かぶだけなら良いけど、相棒のいないところで高度を取らせるなって云われてるからな」

剣の云うことを無視したって、煩いだけで手出しはできない――とは、思わない。
この骨董品、ルイズが一人で何かやらかすと、すぐカールへとチクるのだった。

デルフが云ったことは、カールからルイズに伝えられていることでもあった。
飛行魔法が上達したルイズではあるが、しかし、マルチタスクを使用しながら飛行と攻撃魔法を両立させることはまだ慣れていない。
射撃を行いながら飛ぶことはできるものの、万が一を考えたらカールがいないと危険なのだ。
そして、万が一が有り得ないと云えるほど、まだルイズはミッド式を使いこなせてはいなかった。

「うー……分かってるわよ。
 あーあ、次は結界魔法を教えてもらおうかしら。
 おおっぴらに訓練できないってのは、少し苦痛だわ」

「相棒がいるときに訓練すれば良いだけじゃねぇのか?」

「訓練時間が限られるでしょ。
 先生が教えてくれる時間以外でも、私は魔法を練習したいの」

「相棒に云えば、付き合ってくれると思うぜ」

「嫌よ。だってそんなの……先生に悪いじゃない」

云いながら、ルイズは唇を尖らせた。
魔法を覚える手段として最も確実なのは、カールに訓練を見てもらうことだ。
が、ただでさえ付きっきりで授業をしてもらっているのに、これ以上面倒をかけるのは申し訳がなかった。
コルベールからも、彼が昼夜逆転生活を送って自分の授業に備えてくれていると聞いている。
そこまで手をかけて貰っているのにこれ以上は――望めばきっと力を貸してくれるからこそ、それだけはしたくなかった。

使えるものはなんでも使う。
その考えは正しいと思うし、悪くはない。
しかし相手が自分に尽くしてくれていると分かっていて尚それ以上を望むのは、どうなのだろうか。

今の段階でルイズもカールもお互いに真剣ではある。
これ以上を望めばそれは、無理や無茶といった領域に踏み込むことになるかもしれない。

そんなルイズの考えを肯定するように、デルフは金具をカチカチと鳴らした。

「ま、それが良いだろうさ。
 相棒は娘っ子がギリギリ壊れないラインを見極めて魔法を教えてる。
 そこで更に一歩踏み込んだら、オーバーワークになるさね。
 ただでさえ魔法で毎日疲労を取ってやってるんだし――っと、やべ」

「……なんか今、聞き捨てならないことを耳にした気がしたわ」

「なんも云ってねぇよ。俺、剣だし」

「ふーん、あっそう。じゃあ先生に直接聞くわね」

「や、やめてくれ! ただでさえ相棒には戦友がいるんだ!
 これ以上俺の株が落ちたら、使ってくれなくなっちまう!」

カチカチと小刻みに打ち鳴らされる金具は、人間だったら震えてるようなものなのだろうか。
使ってもらえなくなる、というのが今ひとつルイズには辛いことなのか分からなかったが、そもそも剣のことを理解しようとするのが無理な話。

「ならキリキリ吐きなさいよ。バラしたことは黙っておいてあげるから」

「うう……分かった、分かったよ。話すから俺が云ったってことは秘密にしといてくれよな?
 娘っ子が寝入ってから、毎晩、相棒は治癒魔法をかけてるんだよ。
 筋肉痛や疲労が次の日に残らないように、ってな。
 元々運動不足のお前さんだ。もし相棒が治癒魔法を使わなかったら、次の日は動くのも苦痛だったろうよ」

「そう」

デルフから話を聞いた瞬間、ルイズの頭にかっと血が上った。
が、それは怒りなどではない。
もしカールとルイズが会ってからそう時間が経っておらず、ただの同情心からそれを行っていたと思えば、彼女は怒り心頭といった状態になっていただろう。
だが、今は違う。
カールは本気でルイズに魔法を教えている。その一環として、ルイズが万全な状態で授業に望むことができるよう、手助けをしてくれていた。
素直な感謝の気持ちが湧き上がってくるが――

「……ねぇ骨董品。
 なんで先生は、わざわざそのことを隠していたの?」

「なんだよおめぇ。それぐらい察してやれよ。彼氏いたことねぇだろ」

「お生憎様。貴族の私にはそんなもの無縁よ。
 で? どうしてなの?」

「あー……まぁ、俺も直接聞いたわけじゃねぇから推測だけどよ。
 自分の力だけで一歩一歩前進してる、って思えた方が、気分良いだろ?
 なんでもかんでも相棒におんぶに抱っこ、って意識しちまったらお前だってやりづらいだろうに」

「……まぁ、そうね」

「それにな。女を喜ばせて嬉しくない男はいねぇぜ。
 これは、六千年経った今も昔と変わらないことの一つだと俺は思うね」

「……え、何? 先生、私のことそういう目で見てるわけ?」

少しだけ嬉しそうにルイズはそう云うが、

「ゲラゲラゲラ。んなわけねーだろ。姿見見て物言えよ。
 相棒だって男だし、選ぶ権利ぐらいはあらぁ。
 顔はともかく、身体の方がなぁ……」

「……あっそ」

「ん、なんだ? 期待したか?
 なぁどんな気持ち? 今どんな気持ち?
 そもそも教師と教え子、主人と使い魔、そんな関係で――」

「……上等よ。ちょっと先生に頼んであんたを魔法の的にして良いか聞いてみるわ。
 まだ習う段階じゃないけど、砲撃魔法のお手本を一度先生に見せてもらいたかったのよ」

「やめろ娘っ子――!」

そうして、ガチャガチャとデルフリンガーはやかましく金具を打ち鳴らす。
そんな骨董品の慌てた様子に溜飲を下げたルイズは、飛行魔法の練習を行おうとした。

が――その時だった。
体力作りが終わるこの時間帯は、午後の授業の終わりと被る。
そのため、夕食までの空き時間をヴェストリ広場で過ごそうとする者たちも自然と現れるのだ。
その中には、以前、ルイズの失敗魔法に文句を云っていた生徒たちも含まれる。

彼らはルイズの姿を目にすると、物珍しそうに近付いてきた。
ルイズは彼らの顔を覚えていたため意図的に無視したが、どうやら興味を持たれてしまったようだ。

「へぇ、ルイズ。『ゼロ』の癖にフライが使えるようになったのか」

おもむろに投げつけられた言葉に、ルイズは眉根を寄せた。
魔法が使えるようになったことは見て分かるだろうに、相も変わらずルイズを『ゼロ』と呼ぶ。
そもそもサモン・サーヴァントとコントラクト・サーヴァントを成功させた時点で、その不名誉な蔑称は撤回されるべきなのに未だ使われているのは、単純にルイズがからかいの対象から抜け出ていないからだろう。
貴族にあるまじき――とは思わない。これは貴族云々の話ではなく、ルイズをからかう個人の人間性が問題なのだから。
公爵家の娘と云っても、立場は同じ学生――それを悪い方に解釈しているのだろう。

そんな者たちを相手にしたくないため、ルイズは無視を続けた。
飛行魔法が使えるようになったとはいえ、ミッド式が使えることを隠し通すのは、ルイズにとってのコンプレックスでもあるのだ。
本当はもっとたくさんの魔法が使えるのに――しかし、ルイズには飛行魔法ただ一つしか使用することを許されていない。

そう。
貴族としてルイズを見たら、結局、『ゼロ』の状態と五十歩百歩でしかない。
それがたまらなく悔しくて、ルイズは唇を噛み締めながら魔法の構築へと意識を集中させた。
しかし、意固地になったルイズに対して、彼らは蔑むような笑みを浮かべる。

「二年生にもなってようやくドット……卒業しても今と大差ないんじゃないのか?」

「そうそう。ドットクラスって云っても、ピンからキリまでいるし。
 ゼロより多少マシになったって云っても、ねぇ?」

「……何が云いたいのよ、あんたたち」

つい言い返してしまった瞬間、しまった、とルイズは歯噛みした。
ずっと嘲笑されてた――今までの経験から分かっていたのに。
下手に反応をすれば、相手はそれを面白がってまとわりつく。
彼らにとってこれは些細な娯楽であり暇つぶしでしかない。
その役目を果たせないとなれば、飽きた玩具を放り投げるように立ち去ってしまう。
そんな習性を分かっていたのに我慢できなかったのは……もうゼロではないという自覚があったからだ。

「そのままの意味だけど。
 フライが使えるようになっただけで、お前がゼロってことに変わりはないってさ」

「どうしてよ。
 ゼロってあだ名は、魔法の成功率ゼロからきてるんでしょ?
 だったらもう私は違うわ。サモン・サーヴァントも、コントラクト・サーヴァントだって成功した。
 今はフライを当たり前のように使えるわ。これのどこがゼロだって云うの?」

「ああ、ゼロのルイズに教えてやるけど、魔法っていうのは何かを生み出してこそのものだろ?
 なのに使えるのは、家庭教師を呼び出した成功したかも分からない召還魔法と、生産性が微塵もないフライだけ。
 ゼロかどうかなんて、深く考えなくても分かるだろ?」

「……そう。なら良いわ。
 今に見てなさいよ。フライ以外も、使えるように、なってやるんだから……!」

一語一区に呪詛すら含める語調で云いながら、ルイズは頭に血が上るのを自覚した。
さっきカールが治癒魔法を使ってくれているという事実を知ったときとは違い、今度こそ純粋な怒りで。
自分で口にした言葉が負け惜しみ以外の何ものでもないと分かっていながらも、今のルイズにはそう云うしかなかったのだ。

けれど、そうとしか云えなかった。
努力はしてる。真剣に魔法と向き合ってる。
だから今は駄目でも、いずれはゼロの汚名だって返上してみせる――そう、強く決意するが、

「どうだか。所詮、ゼロだしな」

そんな決意すら嘲笑う彼らに、ぶちり、と頭の中で何かが切れる音を聞いた。
が、それでもルイズは堪え忍ぶ。
ここで暴れても自分がより惨めになるだけだと分かっているから。
はっ倒したい気持ちはあるし、そのための手段は――あるけれど、使ってはいけない。
ミッドチルダ式魔法は決して使ってはならないと云われているし、もし系統魔法を使えたとしても、こんなことには使いたくない。
魔法は貴族の誇りであり力だ。武器のように気軽に振り回せるような代物じゃない。
振るうだけの価値があると思ったときだけに杖は振るわれるべきで――

「しかし、あの家庭教師もどうなんだろうな。
 ルイズに魔法を教えたって云っても、フライだけだし。
 風のスクウェアってのも本当かどうか。フーケを捕まえたのだって偶然なんじゃないのか?」

「そうそう。なんか、朝から晩までメイジに走り込みなんて見当違いのことをさせてる奴。
 スクウェアってのも、やっぱり怪しい――」

「……黙りなさい。先生を侮辱しないで」

侮辱の対象がルイズからカールに移った瞬間、とうとう、ルイズの怒りは沸点を大きく超えた。
必死に理屈をこねて抑え付けようとしていた感情は一気に噴き出し、視線だけで人を殺せるというなら、正にそれだけの眼力で、ルイズは彼らを睨み付ける。

流石の彼らも、ルイズの怒りが限界を超えたと気付いたのだろう。
僅かにたじろぎ、張り付いていた笑みが引きつる。
しかし、本気で怒らせたのだとしてもゼロのルイズに、フライしか使えないメイジに何ができるのか――と、再び威勢を取り戻した。

ルイズの必死さは、しかし、外から見れば滑稽にすら映る。
彼らが見ているルイズの姿は、それだった。

「家庭教師なんかじゃないわ。
 カールは、立派な私の先生よ。
 例え教えてくれた魔法が道に沿うものじゃなくったって、ようやく、私は私が望む貴族って目標に歩き出すことができた。
 ……私は良い。私は良いのよ。認められないって分かっていながら、ミッド式に手を伸ばした。
 だから罵倒はいくらでも聞いてあげる――けどね!」

夕食が近く、弛緩していた広場の空気を、ルイズの一喝が震わせた。

「私の本気に対して、どれだけ彼が真剣に向き合ってくれているのかも知らないで、悪く云うのは絶対に許せないわ!
 杖を抜きなさい……!」

怒声と共に、ルイズは貴族の証として、タクトのような杖を彼らへと向けた。

ルイズは貴族になりたいと願い続けている。
誇り高く、父や母が教えてくれた孤高の存在になりたいという渇望を抱いている。
杖を抜いた理由はそこに起因していた。
自分は良い。言葉にした通り、それは嘘じゃない。
ルイズ個人にだけ向けられた嘲笑ならば、いくらでも聞いてやれた。
魔法が使えないことは、意味こそ違え、嘘ではないから。

だが――それに加えて、矛先が自分を形作るものに向けられれば、もう我慢などできない。
ヴァリエール家が笑われれば杖を抜く。家族を馬鹿にされたなら杖を抜く。家が忠誠を誓っている王家を侮辱されたら杖を抜く。
そして――自分に貴族の誇り、それを抱く証を持つ手助けをしてくれたカールを侮辱するならば、同じように戦ってみせよう。

ただの苛立ちからではない。
ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールという人間を作ってくれた人々に感謝しているからこそ、ルイズはその人たちの尊厳を守りたかった。
敵に後ろを見せない。背後に守るべきものを背負う者こそを貴族と云う。
まだルイズには人の命という重いものを守れるだけの力はない――けれどせめて、人の心ぐらいは守れる貴族でありたかった。

だから、彼らの言葉を無視することだけは、絶対にできなかった。

「ご教授願うわ。教えてもらえないかしら。私より先にドットクラスになったあななたちに、メイジの戦い方を。
 決闘じゃなくて、模擬戦でね」

「そ、そういうことなら」

決闘ではなく模擬戦。
それは決闘が法律で禁止された今、貴族の中で行われている魔法を使った喧嘩の言い訳みたいなものだった。
普段はそれを馬鹿馬鹿しいと思っているルイズだが、今だけはその方便を使わせてもらう。

そしてルイズを嘲笑する彼らも、所詮はゼロ――と侮って、杖を抜いた。

「……娘っ子。黙って聞いてたけど、熱くなりすぎだぜ。
 せめて杖じゃなくて俺を抜け。不満はあるが仕方ねぇ。今だけは許してやる。お前はよく我慢したよ。
 握って、刀身に魔力さえ込めてくれたら、こんな連中蹴散らしてやるから、な?」

「嫌よ。こいつらは魔法で叩きのめすわ。
 あんたの力なんて、借りない」

「おい、相棒との約束――」

デルフの言葉さえ遠い。今のルイズには眼前の敵しか見えていない。
彼らが杖を抜いたのを確認した瞬間、ルイズは足下にミッドチルダ式魔法陣を展開した。
次いで、彼女はシュートバレット――魔力弾を二発、形成する。

彼らはルイズの展開した魔法陣がなんなのか分からず、硬直してしまっていた。
それに微塵の感慨さえ感じず、ルイズはトリガーワードを口にする。
それと同時に、桃色の魔力弾は真っ直ぐに大気を引き裂き、杖を持つ彼らの手へと直撃した。
非殺傷設定であったのは、欠片ほどの理性がルイズに残っていたからか。

一瞬で杖を吹き飛ばされた二人は、何が起こったのか分からず唖然としている。
そんな彼らに対し一歩踏み出して、ルイズはプロテクションを展開。
このまま飛行魔法で一気に突撃し、鼻っ柱を叩き折ってやる――

杖を失った相手への追い打ちすらも辞さないルイズと、何が起こっているのかも分からず恐怖に染まる生徒。
そして、唐突に始まった喧嘩に騒然とする周囲は――

キーン……と、小さく鳴り響いた鐘の音により、一人の例外もなく意識を失った。



























窓に向かって煙を吐き出しながら、カールは夕闇に沈みつつある夜空を眺め、失望に濡れていた。
ルイズから目を離したのは本当に失敗だった――いや、ミッド式を覚え出したばかりの頃にこういった事件が起こったのは、ある意味幸運だったかもしれない。

ギシリ、と椅子を軋ませて顔をベッドに向けると、そこにはルイズが寝息を立てている。
ここはカールの部屋だ。
ヴェストリ広場での騒ぎを『眠りの鐘』というマジック・アイテムで鎮圧し、その影響で眠りに落ちたルイズを、カールは自室に運び込んでいた。
彼女が目を覚ましたら、少し腰を据えて話をする必要があるからだ。

オスマンからの呼び出しは、ルイズの魔法に関することだった。
が、それはルイズ個人に対してではない。
ルイズに魔法を教えることのできた唯一の教師ということで、ヴァリエール家の長女が近い内に顔を見せにくるという。
その通達も含めて、カールからオスマンへ、ルイズがどれだけ魔法を身に着けたのかという報告をしていたら、ヴェストリ広場で決闘騒ぎ――模擬戦、という逃げ道らしいが――が起きていると耳にした。
騒ぎが起こっている中心にミッドチルダ式を覚えているルイズがいるということもあり、オスマンは秘宝の準備を行い――そうして、決闘が始まってしまったため、眠りの鐘は使用された。

眠りの鐘は、人が入眠する直前のことを覚えていないのと同じように、対象の記憶をあやふやにするという効果があるらしい。
その副作用によってルイズがミッド式を使ったことは露呈しないとオスマンは云っていたが――

問題はそんなことではない。
ルイズが人前でミッド式、それも射撃魔法を明確な攻撃手段として使ったことが問題だった。
どうして、という失望を、カールは煙と共に吐き出す。

人である以上、以心伝心なんてことは有り得ない。
それでも、魔法に関して真摯であると思っていた――向き合う姿勢、魔法の扱い――ルイズが約束を破ったことが信じられず、また、深い苛立ちを覚えていた。
君にとって魔法はそんなものだったのか、とすら思う。
ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールという少女を気高く、正しい熱意を持っていた人間だと思っていたからこそ、こうまで嫌な気持ちになる。

もう残り少ない煙草をフィルターごと炎熱変換した魔力で、灰すら残さず焼き尽くす。
そして新たに一本口に咥えると、カールは火を点けた。

喫煙者は煙草を吸えないとイライラする、と云われているが、カールはイライラすると煙草を吸いたくなる部類の人間だった。
普段からリラックスするために煙草を吸ってるため、そういう習慣がついてしまったのだろう。

「……なぁ、相棒」

どこか遠慮するような声を、壁に立てかけられたデルフリンガーが上げた。
カールは細めた目でそちらを一瞥しつつ、鼻で笑うように勢いよく煙を吐き出す。

「なんだよ」

「娘っ子のこと、許してやれねぇかな」

「黙ってろ。
 なんのためにお前をルイズに預けておいたと思ってるんだ」

「……そりゃ、そうだな。
 確かにもっと早い段階でフォロー入れりゃ、って思う。それは俺のミスだ。
 けど相棒。相棒は娘っ子とガキどものやりとりを全部聞いてたわけじゃねぇだろ?
 確かにミッド式を使っちまったけど、ちゃんと理由があったんだ。
 それは――」

デルフがそこまで言い掛けた瞬間、ベッドで眠っていたルイズは勢いよく跳ね起きた。
キョロキョロと周囲を見回し、そうしてカールと目を合わせ――

「……あっ」

気まずそうに視線を逸らした。
そんなルイズの様子に、思わず目を伏せる。
悪いことをしたという自覚があるなら、どうして――
ずっと続いている失望を引きずりながら、カールは煙草を灰皿へと押し付け、火を消した。

「……オスマンさんが眠りの鐘ってマジック・アイテムを使って、騒ぎを収拾した。
 あの場にいた人は全員が眠ってる。前後の記憶も曖昧になっているらしい。
 だから、ルイズがミッド式を使ったことはバレてないみたいだ」

「そう、ですか……」

「ああ。けど、そんなことよりも、だ」

ベッドの上にいるルイズへと身体を向けて、カールは深々と溜息を吐いた。

「ルイズ。どうしてミッドチルダ式魔法を使ったんだ。
 俺は君に、見せびらかすために魔法を教えたんじゃない。
 最初に約束したはずだ。あくまで自衛手段としてしか使ってはならない、って。
 射撃魔法を教える前にもしっかりと念は押した。
 なのに、どうして君はあんなことをしたんだ」

「それは……」

何か理由を説明しようとしたのだろうか。
それとも、言い訳を口にしようとしたのだろうか。
彼女はそのまま口を引き結び、顔を俯けた。

その様子はカールの目に、今更になってミッド式を使ったことへの後悔のように映った。
そんな顔をルイズが見せる度に、疑問と怒りが渦巻いてゆく。

裏切られた、とすら思ってしまう。
まだそんな長い時間を彼女と共にしたわけではないが、それなりの信頼関係が結べていたと自惚れていた。
仲が良い、とは云わないまでも、教導官と教え子としては悪くない関係が築けていたと思っていたのに。

教え方が悪かったのだろうか。
彼女の意思を尊重して、その熱意を手助けする形は間違っていたのだろうか。
ルイズが覚えたいと願う魔法など関係成しに、必要となる魔法だけを事務的に教え込み、徹底的にミッド式がこの世界においてどういう扱いを受けるのかを伝えた方が良かったのだろうか。

ルイズに抱く苛立ちは、そのまま自分にも返ってくる。
熱心で真面目な生徒、なんて都合の良い風に見るのではなく、彼女が魔法に対してどんな扱いをしようとしているのか見極めるべきだったのかもしれない。
だとすればこれは自分のミスとも云える。甘かった。

「……まぁ、良いさ」

諦めを滲ませ、カールは呟くように云った。
ルイズは俯けていた顔を上げ、何かを云おうとしながらも、結局声を漏らすことはなかった。

「約束だ。もう君にはミッド式を教えない。
 ここまでだよ。自衛手段と云うには心細いけど、まぁ、必要最低限の魔法を教え込めたのは不幸中の幸いかな。
 今まで通りの生活に戻りなさい」

「待っ――……分かり、ました」

何かに堪えるように声を震わせて、ルイズは頷いた。
そして顔を俯けたままベッドから降りると、失礼します、と部屋をあとにする。
そんなルイズの背中を見送りつつ、カールは吸い途中だったシケモクを灰皿から持ち上げて、再び火を点けた。
焦げ臭い香りを吸い込みながら、まるで放心するようにカールは煙を吐き出す。

「……明日からは、またミッドチルダに帰る方法の模索に戻るか。
 一時の腰掛けにしちゃ、少し長かったかもな」

「だから、待てって相棒!
 話があるって云ってるだろ!?」

「なんだよデルフ。もともと決まっていたことだぞ、これは。
 訓練の時だけ云うことを聞いて、目を離したら勝手なことをする……。
 云うことを一から十まで聞けってわけじゃない。それを破られたから俺は失望したんじゃない。
 ……ミッドチルダ式を使うことがどういう意味を持っているのか。
 それをあの子が理解していなかったことが、腹立たしいんだ」

「だから、娘っ子はそれをちゃんと分かってたんだよ!」

苛立ち、悲鳴じみたとすら云える声をデルフリンガーは上げる。

「聞けよ相棒。娘っ子はな、最初、どんな言葉をかけられたって魔法だけは使うまいと我慢してたんだ。
 相棒との約束を、ちゃんと守ろうとしてたんだよ」

「守ろうとしてた、じゃ意味がないだろ」

「ああそうだな。俺だってそう思う。
 けど、娘っ子が約束を破るだけの理由はあったんだ。
 それはな。娘っ子に魔法を教えてる相棒が、馬鹿にされたからさ」

「……なんだって?」

ずっと憮然とした表情を続けていたカールが、呆気に取られたように問い返した。
デルフリンガーは寂しげに、ゆっくりと金具を上下させる。

「どうしてそんなことで怒るんだ?
 自分のことならまだしも、わざわざ他人の……」

「知るかよ。俺は娘っ子じゃねぇんだ。
 けど、娘っ子の境遇を考えたら想像することはできると思うぜ?
 相棒は"そんなこと"って云うが、娘っ子にとっちゃ、きっと違ったんだ。
 なぁ。相棒には、そういう奴がいねぇのか? 大事な女でも、男友達でも良い」

それは――いる。
例えば幼馴染みたちや、長年恋慕を抱いている女性がそうだ。
魔法を使っての実力行使に出るかどうかは分からないが、烈火の如く怒るのは間違いないだろう。
けれどカールからすると、何故ルイズがそんな風に自分を見てくれていたのかが、いまいち分からない。

確かに、ずっと魔法を使えなかった彼女にとってカールという存在は貴重だと思う。
だが、それにしたって――と。

「相棒、どうするんだ?
 娘っ子は、ガキみたいな癇癪で喧嘩を買ったわけじゃねぇんだぜ?
 約束は約束で大事だろうが、それを敢えて破った娘っ子の気持ちも汲んでやれよ」

「……だったら釈明でもなんでも、すれば良かった。
 敢えてルイズがそれをしなかった気持ちを、俺は汲むよ」

本当の気持ちが別にあるのだとしても、ルイズはやせ我慢を選んだ。
その結果として魔法が学べなくなってしまっても構わないと分かっていながら。

デルフリンガーがルイズの本音を分かって欲しいという一方で、カールはルイズの言葉を大事にしたいと思っている。
どちらも彼女の気持ちではあるのだ。

しかしカールの考えを聞いても尚、デルフは言葉を止めようとはしなかった。

「ああ、それだって間違っちゃいねぇだろうさ。
 けどよ。娘っ子は、相棒から魔法を学べることが楽しくてしょうがないように、俺には見えたぜ。
 それに、魔法を教えてくれる相棒にも感謝してた。
 そんな娘っ子が、生半可な覚悟で約束を破れると思うのか?
 本当は約束を守りたかったはずだ。分かってやってくれよ」

「……その結果、あの子のプライドを侮辱するような形になってもか?」

「なったとしても、だ。
 娘っ子は相棒を侮辱されて怒ったんだ。
 相棒と娘っ子の熱意は一方通行なんかじゃなかった。
 運が悪かったんだ。今回の馬鹿げた騒ぎがなかったら、相棒と娘っ子はまだまだ一緒にやれてたぜ、絶対。
 お前らを見てきた俺が、それだけは保証する」

「……お前も大概世話焼きだよな」

煙を吐き出して、カールは煙草の吸い殻を灰皿へと押し付けた。

……また、自分はルイズと共に歩むことができるのだろうか。
今はまだその答えを出すことはできないが――

「分かったよ。話をしてくる」

それを確かめるためにも、ルイズが何を想っているのか確かめたい。

「おう、行ってこい」

椅子から腰を持ち上げて、カールは急ぎ足でドアへと向かった。
まず最初に彼女へ念話を送ってみたが、返答はなかった。
そうなってしまえばあとは自力で探すしかないが――エリアサーチも使えない状況で、土地勘のない学院を探し回るというのは骨が折れる。
それでもルイズとは話をしなければならないと、カールはルイズを探し続けた。

部屋に戻っているのでは、と思い女子寮に向かってみるも、彼女はいない。
隣室のキュルケに話を聞いてみても、ルイズが帰ってきた様子はないとのことだった。

教室、庭、食堂、図書室――そんな風に歩き回って、最後に辿り着いたのは火の塔だった。
研究室、ミッドチルダ式の授業をずっと続けていた部屋のある場所だ。
ここにはいないだろう、と思い敢えて後回しにしていたが――ここを外したら、明日に回すのが賢明だろう。
カールは階段を昇って、真っ直ぐに割り当てられている研究室へと向かった。

もうすっかり日は暮れて、照明以外の明かりは月光ぐらいなものだ。
魔力でスフィアを生み出すと、群青の魔力光を照明代わりに使って、カールは歩を進めた。

そうして研究室までたどり着き、そっとドアを開ける。
スフィアを引き連れて中に入ると、そこには、一人で机に座っているルイズの姿があった。

鬼火のように浮かぶ群青の輝きに照らされたルイズの表情、その頬には、涙が伝ったような跡がある。
それに気付かないふりをして、カールは口を開いた。

「こんなところにいるとは、思わなかった」

「……すみません。ここに入るのは今日で最後にしますから」

「……その話なんだけどさ。
 ちょっと気になることがあって――ヴェストリ広場で何があったのかを、ルイズの口から詳しく聞こうと思ったんだ」

「詳しくも何も、先生が云ったことしか起こってません。
 私は、自衛手段以外でミッドチルダ式魔法を使いました。
 約束を破ったことに、変わりはありません」

「……そうだな」

云いながら、カールは教卓の脇に置いてある教師用の椅子へと腰を下ろした。
……ついつい、こんなことを思う。
自分が約束を破ったと認めながらも、ルイズはこうして研究室に入り込み、もう生徒と教師の関係が終わった自分に対して丁寧語で話しかけてくる。
それは何故だろうか――やはり、未練があるからか。

涙を流すほどに深く後悔する一方で、しかし、彼女は言い訳もせず自分の過ちを認めている。
そんな潔さは、出会った頃から変わっていないように思えた。
ミッドチルダには存在しない貴族という立場――人の上に立つ人間であろうとするルイズの気高さを、カールは気に入っていた。
それが彼女に魔法を教え始めた理由の一つではあったし、教導にも熱を上げることができた。

だからこそ、ルイズが約束を破った理由が見えてこない。
それを確かめるためにも話をしようと思ったため、当たり前のことではあるが。

小さく息を吐き、カールは早速話を切り出した。

「デルフから聞いたよ」

「あの骨董品……!」

その一言で、カールが何を云いたいのか察したのだろう。
塞ぎ込んでいた様子から一転して、彼女は怒りすら滲ませた声を上げた。
それを頭を振って流すと、聞いてくれ、とカールは云った。

「今回の一件で、分からなくなったんだ。
 ルイズは真面目で、真剣に、魔法と真摯に向かい合ってる。そう思っていた。
 だから射撃魔法を人に向けたってことが、俺は信じられなかった。
 けど、それにはちゃんとした理由があったんだろ?
 良かったら、それを教えてくれないか」

「……え?」

「それを聞いて、今回の騒ぎについて考えたい……いや、違うな。
 俺とルイズの関係はこれで終わりになるかもしれない。
 けどそれでも、君が何を思って約束を破ったのか……もし理由があるのなら、納得させて欲しい。
 ルイズはもう決めちゃってるのかもしれないけど、俺はまだ、判断ができていないんだ。
 約束の通りもう魔法を教えないとは云ったけど、理由があったんだろ?
 それを聞いてからどうするのか決めたい。駄目かな?」

カールの言葉に、ルイズは戸惑うように視線を彷徨わせる。
そして迷いながらもおずおずと口を開くと、あのね、と話を始めた。

「……少し関係のない話から始まるけど。
 私は、ずっと魔法を使いたいと思っていたの」

「うん」

一人語りのような調子で、ルイズは丁寧語を止めて話を始める。
カールは相槌を打つだけで、彼女の言葉に耳を傾け始めた。

「いつかあなたに怒鳴った通り、それは貴族としての力を得るためよ。
 貴族はメイジだけど、メイジは貴族であるわけじゃない。けれど、メイジでない貴族の私はなんなのか……。
 そんな自問自答は、それこそ飽きるほど繰り返してきたわ。問いの答えは、『ゼロ』のルイズってあだ名の通り。
 貴族としての価値もゼロ……嘲笑をはね除けることはできても、不名誉なあだ名を撤回させるだけの実力はなかった。
 私自身が分かっていたしね。魔法を使えない貴族なんて、それこそ、平民と大差ないんじゃないか――って」

ルイズが口にしていることは、以前ルイズが語った貴族としてのメイジ像、その裏側のようなものだろう。
これ、という明確な目標を抱きながらも、その影で彼女はこんなことを考えていたのか。

「だから私は、せめて、心だけは貴族であろうと思っていたわ。いつか魔法が使えるようになった日に、胸を張って自分は貴族だと云えるように。
 ……志ぐらいまともじゃなきゃ、申し訳じゃない。
 メイジとしての実力がいつになっても身につかないから、才能に関して、お父様とお母様はもう諦めてる。
 諦めていたけれど、私のことを娘としてちゃんと育ててくれたわ。
 私にはね、カール。何もないのよ。『ゼロ』の名が示すとおりに。私個人は、何も持っていない。
 私を形作っているものは、全部、ヴァリエール家が与えてくれたものでしかなくて――申し訳なさを感じると同時に、それは私にとっての寄る辺で、誇りでもあった」

そこで一度言葉を句切り、ルイズはじっとカールに視線を注いだ。

「そしてそれは、あなたもだわ」

「……俺が?」

何故唐突に話を向けられたのか。
ここからがデルフの云っていた、カールを馬鹿にされて――ということに繋がるのだろうか。

「ええ。例え四系統から外れているのだとしても、あなたは私に魔法を与えてくれた。
 ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールを形作るものの中には、カール、あなたもいるのよ。
 ……私はどうだって良いの。
 今までゼロって呼ばれ続けてきたし、きっとこれからもそうなんだわ。
 ミッドチルダ式を学ぶと決めた時点で、私はそれを甘んじて受ける立場になった。
 なのに約束を反故にすることは詐欺そのもので、だから約束は絶対に――私が信じる貴族として、守るべきだって思ってた。
 だって、分かってたもの。約束をした上で、あなたがどれだけ真剣に魔法を教えてくれているのか。
 それを踏みにじるような傲慢さなんて私は持っていないし、持ちたいとも思わない。
 貴族としてそんなもの、相応しくないわ。
 そう思っていたけれど……。
 黙っている方が賢くて、我慢した方が正しいと分かっていても……私は貴族として、あいつらの言葉を見過ごすことができなかった」

……そして結局、ルイズはミッドチルダ式を使ってしまった。
そもそも矛盾していたのだろう。
ただ単にルイズは魔法を覚えたいのではない。彼女は貴族に相応しい力が欲しかっただけだ。
貴族として――だが、貴族としての矜持を傷付けられた時、彼女が行使できる戦う術は、使ってはならないと約束させられた魔法のみだった。
いつかは露呈したのだろうその矛盾が、今という時期に現れたに過ぎないのか。

話を聞いて良かった、とカールは思う。
ただ新たに手にした力を、優越感に駆られてルイズは振るったのではない。
彼女は何も変わっていなかった。その心根は、カールが好感を抱いた時と同じく、気高いままで残っている。
例え魔法という力を手にできないのだとしても、貴族で在り続けたいと願い、毅然と立ち続けるその姿は、何も変わっていない。
その鮮烈なまでの信念は、ともすれば魅了されてしまいそうなほどだった。

それが今回の形に歪んでしまったのは、深く考えるまでもない。
ミッドチルダ式という異物が付加されて、どう折り合いを付けてゆけば良いのか分からなかっただけなのだろう。

「……自分が何をしたのか分かってる。私はちゃんと受け止めるわ。
 だから授業が打ち切りになることにも、文句は云わない。
 自業自得だもの」

「そうか」

キシリ、と音を立てて、カールは椅子から腰を上げた。
そうして座ったままのルイズに近付くと、苦笑した。

ルイズの話を聞いて、ようやく分かった。
この子はこの子なりのやり方で、信念に従い、カールを守ろうとしてくれていたのか。
その守った代償として魔法を失おうとしている――ああ、ならば。
ルイズが守ってくれたというならば、今度は自分が彼女心を守る番だろう。

それが彼女のプライドを傷付けることになるのだとしても、このままではあまりにルイズが報われない。
孤高であろうとする彼女の意識は立派だ。
けれどそんな生き方を続けてしまえば、いつかは孤独になってしまう。
だからここで、少しでも彼女のことを助けてあげたい。

ルイズの気高さを認めるからこそ、今この時だけは彼女が信じている理屈を曲げさせて欲しい。
それはきっと、ルイズが次の段階に進むために必要なことだと思うから。
貴族がどんなものかのか、ルイズは自問自答の果てに理解しているのだろう。
しかし手に入れた魔法の扱いには、まだ慣れていない。

それを教えることこそが自分の役目だ。
教導官として。ルイズの教師として。サモン・サーヴァントによって呼び出された強い縁を持つ者として。

心底から、カールはそう思えた。

「教えた通りに、眠りの鐘のお陰で、君がミッドチルダ式を覚えているってことは露呈しなかった。
 だから、今回っきりだ。次はないからな」

「……え?」

意味が分からない、といった風に、ルイズは見上げる形でカールと目を合わせた。
彼女が何を云おうとしているのか。それはカールも分かっている。
罰も何もかもを引っくるめて、彼女はミッドチルダ式の使用を決断したのだろう。
だというのに許すような言葉をかけられたのでは、あまりに情けない。
ルイズの抱く貴族像から考えるのならば、きっとこれは侮辱にも等しい言葉だろう。

だから、

「俺にも責任を取らせて欲しい。
 今回の件は、俺の監督不行届でもあるんだ。あと、デルフの」

どこか冗談めかして云うと、ルイズは不機嫌そうに頬を膨らませた。

「……そんなのってないわ。
 まるで私が馬鹿みたいじゃない」

「いいや、馬鹿なんかじゃないさ。
 ルイズの目指している貴族は、とても綺麗だよ。立派だとすら思う。
 そして今回のことは決して褒められたものではないけれど……悪と断定してしまいたくはない。
 たとえ約束を守れなかったのだとしてもね。
 お互いに自室で謹慎。僅かな時間とはいえ、魔法を学べないのは、ルイズにとって辛いだろう?
 それが罰ってことで良いじゃないか」

「……それは、あまりにも不誠実だわ。
 約束が意味を成さなくなってしまうじゃない」

甘くすらあるカールの言葉に、やはりルイズは抵抗した。
けれどここで退いてしまえば、結局、何も変わらない。
まだルイズには教えていないことがたくさんある。技術もそうだし、魔法との折り合いの付け方もだ。

苛烈なまでに真っ直ぐなこの子の生き方を少しでも手助けしたい。
ルイズの言葉に頷きながらも、しかし、カールは譲らなかった。

「そうだね。約束は約束で守るべきだって、俺も思う。
 けどルイズが何故約束を破る必要があったのかってのを無視したくないとも思うよ。
 駄目かな?」

問いかけると、ルイズは気まずそうに視線を逸らした。
約束は約束で守るべき。そして破ってしまったのなら、その責任は取るものだ。
当たり前の常識で、しかし、守るのが酷く難しいそれを、ルイズは律儀に履行しようとしている。
そんな姿勢が本当に好ましい。
好ましく思うからこそ、今だけは俺にそれを曲げさせてくれと、カールは自分の趣味を押し付ける。
ルイズという少女との繋がりがここで終わってしまうのは、あまりにも惜しい。
自分はミッドチルダの人間で、この世界では異邦人である――その認識は今も胸に根付いているが、それはそれとして、この少女がどこまで行けるのか見てみたいと強く思う。

「もう一度やり直そう。
 魔法だけじゃない。それとの付き合い方を、一緒に学んでいこうか」

例えずっと一緒にいられるわけじゃないのだとしても。
教導官としてこの子に力と、それとの向き合い方を教えたい。
ああそうかと、今なら分かる。

これが長期教導の難しさと、楽しさなのかもしれない。
もしルイズが貴族としてミッドチルダ式と折り合いを付けることができる日がきたのなら、きっとそれは、カールにとっての喜びにもなるだろう。

「力も心も、まだまだ未熟。
 だから間違いだってするし、ミスも侵すさ。
 ……一度の失敗で、俺はルイズって大事な生徒を見放したくはないよ。
 俺に免じて、またミッドチルダ式を学んでくれないか?」

そっと、カールは手を差し出した。
ルイズは迷うようにそれを見詰め、

「……仕方ないわね」

迷いに引きずられながらも、おずおずとカールの手を取った。
触れ合った小さな手を取りながら、微笑む。

「さあ、行こうか。
 夕食はとっておいてもらってる。
 一緒に食べよう」

「……はい」

手を引いてルイズを立たせると、繋がれていた手は離れた。
ルイズは重ねていた自分の右手に名残惜しそうに触れると、

「……ありがとう、先生」

ともすれば聞き逃しそうなほど小さな声で、そう呟いた。
カールは頬が緩むのを自覚しながら、いや、と小さく返す。

「嬉しかったよ。俺のために怒ってくれたって聞いて」

「……そ、そんなことないわ!
 私は自分のために怒ったの!」

「そうだね」

照れ隠しに大声を上げるルイズに苦笑して、二人はそのまま研究室を後にした。




























おまけ

――幼馴染みがカール・メルセデスを語る

ミッドチルダのとある居酒屋、その片隅に一組の男女がボックス席で向かい合っていた。
が、カップルというわけではない。シャリオ・フィニーノとグリフィス・ロウラン、幼馴染みの二人だった。

店が繁盛して店員に余裕がないのか、テーブルの上には空のグラスがいくつも置かれている。
つまみの皿は焼き魚の残骸だけが乗っており、それもすっかり冷め切っていた。
食べるのは止め、もうアルコールだけを飲もうという状態。

酔いで頬を紅潮させたシャリオはテーブルに頭を乗せて、うー、と唸った。

「何よもー、久し振りに三人で飲もうって話だったのに、どうしてあの脳筋はこないのよー」

「まぁまぁ。カールもカールで忙しいみたいだし」

「嘘だぁー。なのはさん、定時で上がってヴィヴィオとご飯作ったりしてるとか云ってるもん。
 カールだって時間に余裕ぐらいあるでしょー」

「ああまぁ、そうだね」

それはそれ。養子とはいえ子供を持ったなのはが、同僚に気を遣ってもらっているだけだろう。
シャリオだってそれを分かっているだろうが、それでも愚痴を零してしまうのは仕方ないのかもしれない。

幼馴染みの三人組――グリフィスはシャリオとカールの二人を側で見続けてきたため、彼女がどうして荒れてるのか察することができた。

「あーあ……昔はもっと仲良くやれてたのになぁ」

「そうだね」

シャリオの一言から、二人は昔話へと移った。
シャリオ・フィニーノ。グリフィス・ロウラン。カール・メルセデス。
この三人は生まれた家が近いということもあり、物心つく頃には既に一緒になって遊んでいたような仲だった。

一緒に遊び、学校に通って――いつまでも三人一緒に、という風に考えていた時期はそれぞれにあった。
しかしそれが終わったのは、グリフィスとシャリオの二人が進路を管理局へと定めた時だっただろうか。

シャリオは開発。グリフィスは指揮。それぞれ自らの進む道を決めたとき。
カールは、じゃあ俺操舵士にでもなるわー、とウルトラ軽い調子でほざきやがったのだ。

当時、それを聞いたグリフィスとシャリオは、どうしてお前はそう勿体ないことをするんだと怒った。
管理局への進路を決める時点で、カールには高ランク魔導師になれるだけの魔力資質があった。
けれど彼はそれを一切磨こうとせず、あまつさえ 天賦の才を放り投げて操舵士になると云った。
せっかくの才能を埋もれさせるなんて勿体ないことを――と、二人は怒りながらもカールのためを思って考え直すよう説得した。
結果、彼は進路を武装隊へと変更したが、しかし、今になってグリフィスとシャリオの二人はその時のことを少しだけ後悔している。

カールは考えなしに才能を放り投げようとしたわけじゃなかった。
グリフィスとシャリオ、幼馴染みの二人と一緒に次元航行艦に乗り込めたら――と考えて、彼はそう云ってたのだ。
実際、彼は云っていた。指揮、操舵、裏方。俺たち三人で部隊を動かしてやろうぜ、と。

公私混同と云ってしまえばそれまでだが、カールは、いつまでも三人で――と、幼馴染みの誰よりも繋がりを大事にしていたのかもしれない。
魔導師としてカールが活躍することで、大勢の人が助かっているのだと理解はしている。
しかし魔導師としての才能を開花させることの代償として、カール本人が望んでいた日常を、自分たちは取り上げてしまったのではないか。
そんな罪悪感が、二人の中にずっと残っていた。

才能を持つ者には、それを行使する義務がある。
そんな言葉は嘘だ。素質など関係なしに、自らがなりたいと望む姿に突き進むのが、きっと正しいのだろう。
それなのに、自分たちは幼く、そんなことも分からずにカールへ才能を正しく使えと云ってしまった。

その後しばらくの間、三人の仲がぎこちなくなったこともある。
一途なあの男がシャリオと別れたことだって、グリフィスたちが突き放したことが少なからず影響しているのだろう。

もっとも、カール本人はもう当時のことを気にしてはいないようだが。
魔導師になれ、と云った時は酷く傷付いた様子を見せていたが、今の彼はあっけらかんとしている。
むしろグリフィスに、とっとと偉くなって次元航行艦を任せてもらえ、三人で無敵の部隊を作ってやろうぜ――と、昔と相変わらずの馬鹿さ加減を見せている。
……本当に、馬鹿な奴。

「シャーリー。
 カールって、なんか浮世離れしてるって思わない?」

「……常識に縛られてないだけ。
 それこそ、好きな人ができたから別れてくれ! とかストレートに云ってくるぐらいにねー」

「……ま、まぁそれはともかくとして。
 雑音に縛られてないって云うのかな。
 自分が気に入ったものを追い続けるようなひたむきさがあるって、僕は思うよ」

自分の素質なんて関係ないと、操舵士を目指そうとした時のように。
何よりも誰よりも、カールは自分のやりたいことを、きっと分かっていた。

「……分かってるわよ、そんなこと。
 真っ直ぐなあの馬鹿が、私は好きなんだから」

だから――と、シャリオは口を噤んだ。
カールに負けないほど、この幼馴染みも気難しい。
好きだと云っておきながら、振られて以降、友達という立ち位置以上にシャリオはカールに近付こうとしない。
真っ直ぐなカールが好き。
それは、高町なのはを一途に追い続けている姿勢にも当てはまって――子供の頃のように、彼が望まない形で道を外させたくないからこそ、シャリオはカールに何も云わないのだ。
事実、彼女はカールが道を踏み外しそうになった時、わざわざフォローを入れていた。

口にする愚痴と小言は、まぁ、大目に見るべきだろう。

本当に面倒な幼馴染みたちだ、と一人でグリフィスは笑みを浮かべた。




[20520] 7話
Name: 村八◆24295b93 ID:3c4cc3d5
Date: 2010/08/12 03:53
寝癖をそのままに、カールは椅子に座って新聞をぼーっとした目で眺めていた。
時刻は早朝――ではなく、あと十五分で昼食になろうという頃だ。
この時間帯が彼にとっての起床時間である。

眠気のこびりついた表情には、普段の彼が見せる活力に満ちた色がない。
が、それもそうだろう。
教師という立場上、ルイズの前にいるときはそれなりに格好付けていたりする。
これはミッドチルダで教導隊の一人として技術を教えている時もそうだったが、その時の姿を目にした友人知人は、決まって爆笑していた。

「相棒、寝足りないならベッドに戻れよ。
 もう一時間ぐらいは眠れるぜ? 俺が起こしてやっから」

「寝起きの頭で授業するのはなー。
 それに、午後にはお客さんもくる予定だし。
 大丈夫。飯食ったら血も巡りだして目が覚めるだろ」

云いながら、カールは再び新聞へと視線を落とした。
記されている日付は、ルイズの模擬戦騒ぎが起こってから二週間が経過したことを伝えてくれる。

カールはハルケギニアにきてからしばらくして――というか、臨時教師となって給与がもらえるようになってから、新聞を取るようになっていた。
この世界の情報を仕入れるという意味もあるが、それ以外にもコルベールやオスマンなどの友人たちと雑談するための話題作りのため、という面がある。

ミッドチルダと比べればこの世界には娯楽というものが少なく、トリステイン魔法学院はその閉鎖された環境から更に娯楽が少ない。
いや、少ないのではなく、ミッドチルダが多すぎるのかもしれない。
どちらが良く、どちらが悪い、とは云わないが、カールはこの世界でしばらくの間生きてゆくため、ハルケギニアのルールに慣れなければならないだろう。
人間、仕事だけしていれば良いというわけではない。車もガソリンがなければ動けないのと同じように、楽しみがなければ毎日を過ごすことなどできない。
そして今、新聞を読むこの時間が、魔法学院におけるカールの数少ない娯楽の一つだった。

相変わらず寝ぼけ眼のまま、ふーん、とカールは云う。

「レコン・キスタ、ねぇ……」

カールが目を通している紙面には、空中大陸アルビオンで起こっている革命についての記事が載っていた。
革命の是非など気にせず、カールはふとした疑問をデルフリンガーへと向けた。

「なぁ、デルフ。お前、長生きしてるんだし、聖地に何があるのか知ってたりしないか?」

「聖地だぁ? おいおい相棒、変なもんに興味持ちやがったな」

どこか呆れた調子で声を上げたデルフに、カールは苦笑した。

「ちょっと気になっただけだ。
 一応、ブリミル教については調べたから、彼らにとってそれが大事ってのは分かってるつもり。
 聖地の奪還はブリミルの悲願、故にその執念は子々孫々まで語り継がれ、宿命とされている――んだっけ?」

「ああ、そうだ。いい加減諦めた方が良いと思うがね」

やはりデルフリンガーは呆れたような言葉を上げるばかりだ。
何故彼がそこまでどうでも良い風に云うのは分からず、カールは首を傾げた。

「なんだよ。いやに食いつきが悪いじゃないか。
 いつもだったら要らないことまで喋り出すのに」

「うーん……ああ、そうだ。
 ここいらで相棒にもエルフのことを教えておくかね。
 それを聞いたら、相棒だって聖地から興味を失うさ」

カチカチと金具を鳴らすデルフリンガーは、嫌なことでも思い出したような口調で先を続けた。

「相棒もエルフがどんなもんかは知ってるよな?」

「ああ。噂話程度だけどな」

人を頭からバリバリ食べるとかなんとか。

「ああ、それは全部忘れっちまえ。
 エルフってーのは、聖地を中心に生活をしている亜人の名だ。
 外見は、女なら別嬪、男なら美男子、背は高くて華奢、人と最大の違いは耳の長さかね。体つきと同じで細長いんだよ、連中。
 見た目は良いんだが性格がこれまた慇懃無礼で最悪でな……まぁ、ここら辺は良いや。
 問題は連中の使う特殊な魔法だ。
 人間と比べて圧倒的に個体数が少ねぇのに未だ聖地が奪還できねぇ原因は、それだね」

「系統魔法じゃないのか?」

「おう、違うのさ。先住魔法、って呼ばれてる。
 系統魔法と違って詠唱要らず。威力は馬鹿みたいに高い。終いにゃ、こっちがぶっ放した魔法をそっくりそのまま跳ね返してくるって卑怯技もあってなぁ。
 ああ、云っておくけど魔法だけじゃなくて弓や剣なんかも跳ね返すぜ。
 そのせいもあって、メイジはほとんど役立たずだ。スクェアクラスですら分が悪い。
 戦場の主力がそんなもんだから、侵略なんてできんわけよ」

「戦力比はどんなもんなんだ?」

「おいおい、まさか戦ってみたいなんて云うんじゃないだろうな?」

「自分からおっかない連中と戦いたいなんて思うほど、俺は好戦的でもなければ酔狂でもないぞ。
 お前にこの話を振ったのと同じく、興味本位だよ」

デルフの話から推察するに、おそらくミッドチルダ式魔法も系統魔法と同じく跳ね返されるだろう。
魔法、物理、それらに関係なく反射する。ならばこれは魔法に干渉するというものではなく、向けられた現象のベクトルを操作する類なのだろう。
やりようはいくらでもあるとは思うが、自分で云ったようにカールは自殺志願者でもなければバトルジャンキーでもなかった。

「十倍、って云われてる。
 だが俺に云わせりゃそんなのは嘘だね。
 エルフ相手に数揃えたってしょうがねぇよ。肝心なのは質だ。
 虚無使いがいるって前提でようやく――」

そこまで云って、デルフは口を噤んだ。
が、すぐにわざとらしく金具を打ち鳴らすと、ともあれ! と話題を変えた。

「レコン・キスタって連中、どうせそこの大将はロマリアに関係する奴じゃねぇか?」

「良く分かったな。
 オリヴァー・クロムウェルって司教らしい」

「だろうよ。
 今時、聖地を奪還したいなんてクソ真面目に思ってる連中はロマリアぐらいだ」

「……あれ?
 ブリミル教はトリステイン、アルビオン、ガリアの国教だろ?」

眉根を寄せたカールに、デルフは上機嫌に金具を上下させた。

「お、相棒らしからぬ発言だな。
 よしよし、教えてやるぜ。
 宗教ってのはな、それを信じることで救われるからこそ人に信仰されるんだ。
 ブリミル教の場合、系統魔法って恩恵を目に見える形で授かっているから、たくさんの人間がその教えを信じてるのさ。
 そして国がその宗教を支持しているのは、まぁ、王家の始祖がブリミルのガキってこともあるが、ブリミル教が国民の統治に上手いこと使えるのが一番大きいだろうな。
 神が授けた権能を振るう貴族。大仰な云い方をすれば神様の眷属だわな。
 その恩恵を授かることで平民の生活は潤う――だから平民はブリミルと、貴族を敬う。
 ブリミル教ってのは、社会を潤滑に動かす歯車の一つなのさ。
 が、ここで一つ問題がある。
 ブリミル教は三国の国教だが、ブリミルの悲願である聖地の奪還、これを達成するには国を傾ける必要がある。
 兵士の育成、導入、そいつらに食わせる飯、装備。分かり易いところを上げたが、実際はもっと色んなものが必要さね。
 エルフを駆逐するって考えれば、かかる金は半端な額じゃねー。
 投入する人材だって全部が生きて帰ってくるわけじゃねぇし、遺族補償も必要だ。
 で、その金を出すのは誰だ? 勿論、国ではあるが――」

「……収入源は税金。つまりは、国民か。
 話が見えたよ」

「そういうこった。
 だから、王家の人間は聖地の奪還を使命と分かっていながらも、いつか出来たら良いねー、ぐらいにしか考えてねぇはずだ。
 そんなこんなで時は流れて六千年。未だ聖地は奪還できず、不毛と気付いたのか、遠征軍もここ数百年はエルフの土地に踏み入ってねーよ」

カールが理解したことを悟り、デルフは話を切り上げた。
これはただそれだけの、単純な話。
ブリミル教は国を動かす歯車として重要な役割を果たしているが、しかし、聖地の奪還を本気で敢行してしまえば、肝心の社会を維持できなくなる。
そうなれば最後、ブリミル教から信心は離れ、飛躍すればブリミルから系統魔法という力を授かった貴族からも人の心は離れてしまう。
寂しい話だが、死んだ人間の遺言より、生きる人間の意思が優先されているということなのだろう。
益がなければ人は動かない。それはミッドチルダもハルケギニアも、やはり同じか。

「……しかそういう話なら、各国がレコン・キスタを警戒するのも頷けるな。
 王族はアルビオン王家みたいに処刑されるのを警戒してるし、下についてる貴族は、その後の聖地奪還の果てに国が荒廃すると理解しているわけか。
 エルフに関しては誰もが、触らぬ神に祟りなし、ってところなのかな」

「そういうこった。
 ……ん? ニュアンスは分かったが、相棒、今の例えはどういう意味だ?」

「ええっと……なんだったかな。
 避けて通れば問題ないなら障害に進んでぶつかる必要はない、って意味だったか」

「うろ覚えなんだな」

「あー……まぁ、前にいた世界で聞いてな」

そう云って、カールはくすぐったそうに笑った。
デルフは彼の様子に何を感じたのか、キュピーンと刃を輝かせる。

「お、何やら女の気配。
 そういや聞いてなかったぜ。
 相棒、女性遍歴とか教えてくれよ。まだ童貞だったりするのか?」

「……もう飯だな。行ってくる」

「無視すんなよー!
 武器の俺と以心伝心であるのが、戦士の在り方だろ!?
 隠し事すんなよー!」

「じゃあなー」

「相棒――!」

















月のトライアングル















ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールは俯いていた。頭を抱えたい気分ではあったが、それだけはなんとか自制。
場所は学院の応接間。ルイズの座るソファーの隣には、カールがいる。
普段彼がいる場所ではなるべく真面目な生徒としてあろうとしている彼女ではあったが、今日だけは無理、と思っていた。

その原因は――

「待たせたわね」

ガチャリとドアが開き声が聞こえた瞬間、ルイズがビクリと身体を震わせた。
ルイズがおずおずと顔を上げれば、そこには、ややキツい目付きをし、手入れの整った長いブロンドの女性――ヴァリエール家の長女、エレオノールの姿があった。
エレオノール・ド・ラ・ヴァリエール。
ルイズの姉である彼女は、今日、ルイズが浚われた一件と、彼女が魔法を使えるようになったことに関して話をするために魔法学院へと訪れていた。

責任問題にまで発展させるつもりでないことは、公爵本人が赴いていないことから察することはできる。
が、お咎めなしとしては都合が悪いということで、こうして長女であるエレオノールが出向いたのだろう。

女ではあっても、エレオノールは公爵家の人間として立派にその責任を果たしている。
王立魔法研究所の主席研究員。公爵家の娘だからこそ、その職に就けたという部分もあるだろうが、仕事を全うできるだけの実力――貴族の力は、確かに有していると云える。
婚約が決まり、じきに嫁ぐ立場ではあるが、今はまだヴァリエール家の者であるという自覚があるのか。
ヴァリエール家の代表として、エレオノールはルイズたちの前に姿を見せていた。

彼女は最初はルイズに、そして次にカールへと視線を注ぎ、入り口からソファーまで歩いてきた。
カールが立ち上がったのを目にして、続いて、ルイズも立ち上がる。

「初めまして。
 ルイズさんの専攻授業を受け持っている、カール・メルセデスです」

そうカールが口にした瞬間、エレオノールは眉根を顰めた。
同時に、何やってんのー! と内心で絶叫するルイズ。

物腰こそ柔らかで丁寧だが、カールの態度は同等の立場の人間が見せるそれだ。
メイジではあり、実力はスクウェアと名乗っても間違いではないとルイズも知っているが、この場では関係がない。
そう。カールはメイジではあるが貴族ではないのだ。
そしてエレオノールは公爵家の人間としてこの場に立っている。
カールなりに礼を尽くしているつもりでも、それは、天と地ほどの地位の差が存在している相手に対する態度ではない。。

『先生! 言葉遣い!』

『え?』

念話を送ってみても、本人に自覚はないようだった。
ただでさえ居心地の悪いルイズの胃袋が悲鳴を上げるが、しかし、彼女が予想していた様子をエレオノールは見せなかった。
落ち着くように吐息をつくと、初めまして、と返す。

おかしい、とルイズは汗を流した。
普段の姉ならばここで、ヴァリエール家を舐めてるのか貴様、と初対面の相手に喧嘩を売り、本来の目的を忘れての説教が始まってもおかしくはないのに。

そうして三人はソファーに腰を下ろした。
エレオノールは眼鏡のつるを指で持ち上げ、カールへと視線を注ぐ。

そんな姉の調子に違和感を覚えつつ、ルイズは事の成り行きを見守ることに徹する。
火中の栗を拾いたくはないのである。

「まずは最初に、ルイズが賊に浚われた一件の礼を云わなければならないわね。
 助かったわ」

「いえ、ルイズさんを助けるのは魔法学院の教員として当然のことですから。
 あの頃はまだ食客として滞在している立場でしたけれど、無視はできませんでした」

「そう。とにかく、ルイズも無事だし、公爵家としては今回のことを大事にするつもりはないから。
 文句はここの学院長に云ったし、あなた個人には感謝してる」

……ルイズは浚われたあの一件を深く考えていなかったが、もしカールに助け出されても怪我を負っているような結果として終わったならば、どうなっていたのだろうか。
そう考えると背筋が凍る思いだった。

「それじゃあ、次の話に。
 おちび、あなた、ようやく自分の系統に目覚めたそうね?」

「は、はい、お姉様」

矛先が急に自分へと向き、ルイズは背筋を伸ばした。
普段の姉ならば怒っても無理はないことが一つ二つと重なっているのに、まだ噴火していないのはどういうことなのだろう。
エレオノールには悪いがルイズからすれば、それが不気味でしょうがなかった。

が、

「良かったじゃない。
 それも風だってね。お母様の小さい頃とそっくりなだけはあるじゃないの」

満面の笑みと共にそう云われ、ああ、とようやくルイズは理解した。
同時に、くすぐったい気分にもなる。
嬉しいと同時に恥ずかしくて、あまり自覚したくはないことだが――末っ子ということもあり、ルイズは姉たちから可愛がられているのだ。
次女のカトレアとは違い、エレオノールの可愛がり方はちょっと……ちょっと肉体言語な部分があったりするが、そこに親愛の情があることは良く分かっている。
……そう。そんな風に自分を家族が愛してくれると知っていたからこそ、ルイズは公爵家の人間として立派な貴族になりたいと思っていたのだから。

家族の向けてくれる暖かな感情を、ルイズは偽りのものだとは思わない。微塵も。
もし偽りであったなら、満面の笑みで姉が祝福の言葉を向けてくれなかっただろうから。

そして更に、ルイズは気付く。
ヴァリエール家の人間として相応しい行動を。
父と母に云われるのは当然だが、姉もそのことを口を酸っぱくしてルイズに云っていた。
翻して、それは他人にも当てはまる。ヴァリエール家の人間に対して相応の態度で接しろ、と。
一応云っておくならば、エレオノールはただ高慢なわけではない。
ヴァリエール家の存在に誇りを持っているからこそ、そして、人の上に立つ人間の振る舞いとして相応しい態度を取っているにすぎない。

だというのにカールに何も云わないのは――自分を賊から助け出し、その上、今まで誰も目覚めさせることの出来なかったルイズの才能を開花させてくれたからなのだろう。
ルイズとて、恩人と云っても過言ではないカールがエレオノールに叱責される姿は見たくない。
エレオノールは、きっとそれを察してくれたのだ。

さっきから続く姉らしからぬ言動は、きっとそんな理由があるからだろう。

だからこそルイズは嬉しくて――同時に、申し訳がなかった。
確かに風系統の魔法、フライに似せた飛行魔法は使える。
しかしそれは系統魔法ではなくミッドチルダ式という外法。もし本当のことを話してしまえば、きっと姉は深く落胆し、失望し、怒るだろう。
それがルイズには、辛かった。

ミッドチルダ式を系統魔法と偽るというのは、いわばルイズのワガママだ。
カールとオスマンは学ぶことを勧めてくれたが、本来、ルイズの目指す立派な貴族が行使する魔法となれば、ミッドチルダ式は相応しくない。
それでもルイズは『ゼロ』から脱却したくて――風のドットメイジという偽りの立場を手にした。

今更になってその事実がのし掛かり、ルイズはぎゅっと手を握り締めた。
しかし、姉の前で表情を陰らせたくはない。こんなこと、知られたくない。本当は知らせなければいけないのに。

ごめんなさい、お姉様――

心の中で呟いて、しかし口にするだけの勇気を、ルイズは持っていなかった。
その弱さが自分の目指す貴族に相応しくないという自覚があり、より一層惨めな気分になってくる。

「学院長の報告曰く、使えるのはフライとウインド・ブレイクだけって話だけど、どうなの?」

「風の呪文をより多く使えるようになるより早く、水の系統に目覚めるかもしれません。
 まだまだ発展途上ですが、才能は豊富ですよ」

「そう。ラインまで見通しができているのね」

カールの言葉に今度は機嫌を損ねることもなく、エレオノールは笑顔をそのまま続けた。
そんな姉の表情が、痛くて――その時だった。

「大変ですぞ!」

バン、と勢い良くドアが開かれ、汗にまみれたコルベールが姿を現した。
エレオノールは思いっきり不機嫌な顔を、ルイズは驚きから身を竦ませるが、カールは慌てた様子でコルベールの元に小走りで駆け寄った。

「コルベールさん、どうしたんですか!?
 何かあったとか?」

「ぜぇ、はぁ……さ、流石に教室からここまで走り続けと疲れる……。
 そ、そうではなくですな。
 聞いてくだされ!」

肩を上下させながらもコルベールは姿勢を正すと、息を整えた。

「アンリエッタ姫殿下が、ゲルマニア訪問からのお帰りにトリステイン魔法学院に寄ると通達がありましてな」

「姫殿下が!?」

コルベールの言葉を耳にした瞬間、異口同音でルイズとエレオノールは叫びを上げ、その場で立ち上がった。

「拙いわ。外行き用の格好ではあるけど、とても正装とは云えない……。
 今からアカデミーまで取りに戻って……ああ、間に合うかしら!?」

「落ち着いて、お姉様!」

そう云うルイズも、大変なこととは分かっているが何からすれば良いのだろうと頭が真っ白になっていたりする。
そんな中、カールだけは不思議そうに首を傾げていた。































アンリエッタ姫殿下を迎える式典が終了すると、その頃にはもう日が暮れる時刻となっていた。
授業を丸々潰されてしまったカールは持て余した体力をどうするかと考えながら、一人、廊下を歩いている。

それにしても、と思う。
王族が訪れるということがどれだけの意味を持っているのかカールも分かってはいたものの、やはり貴族云々が絡んできてしまうと世界の違いを自覚させられる。
確かにすごいことではあったのだろう。が、ルイズと一緒になって慌てることができるほどではなかった。
不思議に思ったコルベールに指摘された時は、あまり実感が湧かないんです――と、嘘を吐いてはみたが。

どうにもままならない、と思わず苦笑した。
そうして動かし続けていた脚を、カールは止める。
目の前にはエレオノールが滞在する客間があり、彼女と話をするために、カールはここまで足を運んでいた。

ノックの後に声が聞こえると、カールは部屋の中へ。
彼女は昼間の姿――結局、大急ぎでアカデミーから正装を取ってきた――から普段着へと着替え終えており、化粧も薄くなっていた。
昼間はあまりまじまじと見ることはなかったが、こうして見てみると、確かにルイズに似ている。
桃色がかったブロンドのルイズとは髪の色こそ違うものの、緩くウェーブのかかった髪質や顔立ちはそっくりだ。
目元が少し鋭くはあるものの、そこが長所となっているスレンダーな美人。仕事のできそうな人。そんな印象だった。

「かけて良いわよ。
 それで、ルイズの話ってなんなのかしら」

「はい」

勧められるままにカールは腰を下ろし、エレオノールと目を合わせる。
そして、どこか彼女が上機嫌に見えるのは、やはり妹が魔法を使えるようになったからだろうか――などと考えた。

カールは、ルイズから彼女の姉がどんな人物なのかを聞いていた。
だからこそ話をしようと思ったのだが――果たして、これがどちらに転ぶか。
それはカール自身にはさっぱり分からないことだった。

「……まず、最初に確認を。
 オスマン学院長から、僕がサモン・サーヴァントによって呼び出されたことは聞いていますか?」

「ええ、聞いているわ。あなたの生活を考えずに召還したことは申し訳なく思っている。
 臨時教師として学院から給与は出ているという話だけど、それ以外に何か必要なら、遠慮なく云ってくれて良いわ」

それはやはり、カールを呼び出した責任を負うという意味なのだろう。
ルイズが負うべきもの、とは考えず、ヴァリエール家が負う責任と考えているのかもしれない。
例えルイズという個人が行ったことでも、いや、ルイズが行ったことだからこそ、ヴァリエール家がその責任を持つということか。

家族想い――というよりは、似たもの家族だ、とカールは思った。
それは決して悪い意味ではなく、良い意味で。

「それにしても盲点だったわ。
 確かにサモン・サーヴァントでメイジを呼び出せれば、それは教師としてこの上なく適任でしょうね。
 呼び出されたあなたに云ってはいけないことだと思うけれど」

「いえ、そこはもう気にしていません」

云いつつも、カールはエレオノールが話に乗ってくれたことに嬉しく思い、また、居心地の悪さを覚えた。
これから話すことの内容、それの許可はオスマンとルイズの二人から得ている。
ルイズは自分から話すと云っていたが、こればかりは自分に任せて欲しかった。

そう、カールがエレオノールに伝えようとしている話の内容は――

「単刀直入に云います。
 ルイズに僕が教えている魔法は、系統魔法ではありません」

僕、と呼称を変え、カールはエレオノールにとってショックであろう事実を口にした。

「……は?」

カールの言葉に、エレオノールはさっきまで浮かんでいた笑みを消した。
そして、即座に目が細められ、冷徹なまでの眼光が向けられる。
先を促されているようで、カールは口を開いた。

「僕が使っている魔法は四系統に属さず、また、虚無でもありません。
 ミッドチルダ式、と呼ばれています。
 ……貴族が四系統から外れた魔法を身に着けることがどういう意味を持つのか、分かっているつもりです。
 ルイズもそれを分かった上で、僕からミッドチルダ式を学んでいます」

「……四系統に属さない魔法? 虚無でもない?
 そんな魔法があるわけ――」

だろうな、とカールはエレオノールの言葉に頷き、足下にミッドチルダ式魔法陣を展開した。
群青色の輝きが部屋に満ち、鬼火のようにクロスファイアが三つ、浮かび上がる。

「これがそのミッドチルダ式魔法です。
 この中のフライに似た魔法を、ルイズは既に習得しました」

静かにカールが告げると、エレオノールは即座に顔色を変えた。
細い目は一気につり上がり、口元は苛立ちで噛み締められる。
怒りで頬は朱に染まり、ダン! とテーブルが叩かれた。

「あなた、よくもそんなものをルイズに教えてくれたわね!」

「……理由はありました。
 ですが、貴族が覚えて良い魔法だとは、僕も思っていません。
 ルイズもそれを分かっています。それでも、覚えるしかなかった」

「ふざけないで! あなた、こんな……!」

怒りのあまり言葉すら浮かばないのか、彼女は睨み付けた眼光をそのままで、口を悔しげに引き結んだ。
カールは彼女の言葉を待たず、先を続ける。

「お願いします、エレオノールさん。
 僕をいくら責めても良い。けれどどうか、ルイズの気持ちを汲んでやってはくれませんか。
 そして、あの子の理解者になってやって欲しい。
 これは、家族であるあなたにしか出来ないことだと思うんです」

お願いします、とカールは頭を下げた。
そうして十秒ほど経った頃、頭を上げなさい、と激情を押し殺した声がかけられる。
見れば、エレオノールは眼光こそさっきの鋭さを保っているものの、目に見える形での怒りは抑え付けたようだ。

「まず、聞くわ。
 ルイズが四系統から外れた魔法を学んでいること、他に誰が知っているの?」

「ミッドチルダ式を学んでいると知っているのは、僕とオスマン学院長のみです。
 他はルイズが学んでいる魔法を、四系統だと思い込んでいます」

「そう。馬鹿ではないのね。
 それで? ルイズがそんな外法を学ぶ必要に駆られた理由ってなんなの?」

エレオノールに問われ、カールは自分が召還されてから起こった出来事をそのまま話した。
フーケを撃退したこと。それが切っ掛けとなり、賊を招き寄せてしまい、自分たちが虚無使いと誤解されてしまったこと。
それに合わせて、ルイズがミッド式に対してどう考えているのかも補足した。
彼女は決して魔法を覚えたいという欲に目が眩んだわけではないと。
自分の身を守るために覚えなければならない必要があったのだ、と。

そう長くない話が終わると、エレオノールは眼鏡を外し、目元を抑えた。
そして再び眼鏡をかけると、心底疲れ果てたように肩を落とす。
落胆したと、一目で分かる――やはりこうなったかと、カールは罪悪感に駆られた。

昼間、ルイズを交えて話をしていた時の彼女を思い出す。
妹が魔法を使えるようになったと知り、エレオノールはそれを自分のことのように喜んでいた。
だが今カールが聞かせた真実は、彼女を失望させのるに充分なだけの重さを持っていただろう。

それでも尚、カールはルイズの姉であるエレオノールにミッド式のことを知っておいて欲しかった。
カールはいつか、この世界からミッドチルダへと帰還する。
その後に残るのは、理解者を失ってしまったルイズだ。
誰にも明かせない秘密を抱えたまま、メイジとして生きることも許されない彼女。
孤独にしたって度が過ぎたそんな状態に、ルイズを晒したくはなかった。

だから教師として――彼女を教え導く者として、あの子の理解者を残しておきたい。
エレオノールがこの事実をどう受け取るのか、カールには分からない。
ルイズの話から、そして、昼間見た様子から秘密を打ち明けようとは思ったものの、カールはエレオノールという女性と、そして、貴族の誇りというものを把握しきっているわけではないのだから。
家族である彼女に理解されないのならば、最悪、ミッドチルダにルイズを連れて行くという線もある。
もっとも、これは最悪に近い手段だ。立派な貴族になりたいというルイズの夢を潰えさせてまでする必要はあるのかとすら思う。
最善なのは、カールが去ったあともルイズを理解してくれる者を残し、ルイズが望む貴族の姿勢を貫かせること。
それが自分の成すべきことだと、カールは信じている。

「……ルイズはね」

降りていた沈黙に、ぽつりとエレオノールが染みを落とす。
彼女は俯き加減のまま、何かを思い出しているような様子で言葉を紡いだ。

「小さな頃からずっと、魔法が使えるようになれと厳しい教育を受けていたわ。
 それこそ、私やカトレア――次女ね。私たちが目を背けたくなるぐらいに。
 精々できることと云ったら、泣いて逃げ出しそうになるルイズを慰めるぐらい。まぁ、私はそういったことが苦手で、叱咤ばかりしてたけど。
 実際に手助けできたことなんて何一つなかったって思うわ。
 それでもあの子は、ヴァリエール家の者として立派な貴族に――って、ずっと努力を続けてた。
 そんなあの子が魔法を使えるようになったって聞いて、家族全員で喜んだわ。
 ヴァリエール家の誰もが、ルイズが頑張っていたのを知っていたから。
 夏期休暇で帰省したら盛大に祝ってやろう、ってもう決まってるの。
 それだっていうのに……皮肉なものね。誰よりも努力をしていたあの子が、才能に裏切られていただなんて」

溜息を吐き、エレオノールは目を伏せた。
それでも尚、彼女は言葉を止めない。
吐露されるものはおそらく、愚痴のようなものなのだろう。

どうしてルイズが――と。
彼女に系統魔法の才能がないことは、カール以上に、家族であるエレオノールの方が良く分かっているはずだ。
ずっと見てきたのだから。
だからこそミッド式に適正があったという事実を否定せず、受け入れ、その上でこうも落胆しているのだろう。

「……あの子も馬鹿よ。
 ルイズの性格は良く知ってる。ずっと厳しい躾を受けてきたから、嘘はいけないことだって理屈以上に感情で分かっているはずだわ」

そこで一度、エレオノールは小さく笑った。
その笑みは自分に向けたものなのか、それとも、"厳しい躾"を行ってきた人物に云ったのか。

「それでも風のドットって偽ったのは……ゼロから抜け出たと私たちに報告したのは。
 どうしてあの子がそんなことを云ったのか、なんて、深く考えないでも分かるわ。
 ルイズは私たちを喜ばせたかったんでしょうね。
 そんなこと、もう拘らなくても良いのに」

「……ルイズは、公爵夫妻が魔法の才能に関しては諦めてると云っていました」

「ええ、諦めてるわ。
 だからあの子には、自由な人生を歩んで欲しかった。お父様もお母様も、そう思っているはずだわ。
 魔法学院に入学させたのは、勿論魔法が使えるようになって欲しいからだけど、一方で、ルイズに魔法を諦めさせるって目的もあった。
 ヴァリエール家に相応しい者に、って言い続けた私たちがこんなことを云うのは傲慢だって分かっているわ。
 それでも、私たちはあの子の幸せを願ってしまうの。
 学院に入って魔法を使えるようになれば良し。
 学院に行っても系統に目覚めることができなかったなら……希望を手折ることで、他のことに目を向けられるようになるかもしれない。
 ルイズにとってはそれは絶望なのかもしれないけれど、生き方を変えるチャンスにはなる。
 ……そう思っていたけれど、まさか、四系統から外れた魔法に目覚めるなんてね」

どうすれば良かったのだろう。
言外に問われているような気がしたが、カールには何も云うことができなかった。
……ルイズは家族に恵まれている。そう強く思うと同時に、この優しさは彼女にとって苦痛ですらあっただろうとも。

再び溜息を吐くと、エレオノールは顔を上げ、凜とした表情を取り戻した。

「……恨み言はたくさんある。
 けれどそれは、あなたに向けるべきじゃなくて、運命とでも云うものにぶつけるべきなんでしょう。
 理屈は分かったわ。確かに、虚無と勘違いされ狙われているのなら、あの子には身を守る術を学んでもらう必要があるでしょうね。
 そして、もう学び始めてしまった以上、今更止めようとは思わないわ。
 私の方からも説明しておくけれど、いずれはお父様やお母様にも、あなたから話をしてもらうことになるでしょう。
 ……メルセデス先生、ルイズのことを、よろしくお願いします」

云いながら、エレオノールは会釈程度にだが頭を下げた。
それを目にして、カールは呆気にとられたように目を瞬いた。

ルイズをずっと見てきたのだから、貴族の、その中でも最上位に位置する公爵家の人間がどれほどのプライドを持っているのか知っていた。
そんな彼女が頭を下げて――ルイズのためにそこまでするのかと思い、思わず微かな笑みを浮かべてしまう。
失礼と分かっているので、すぐに打ち消したが。
こんな家族に囲まれればルイズも真っ直ぐに育つはずだと、実感した。

「ああそれと、念のために云っておくわ」

「はい?」

さっきまでとは打って変わって、氷のような冷たさを孕む声を向けられた。
あまりの変わり身にカールは追い付けないが、構わず、エレオノールはカールを見据える。

「もしルイズの使う魔法が外法と他人に知られたならば、命はないと思っておいて。
 あの子の才能に関しては仕方がない。けれど、ミッドチルダ式とやらを認めるつもりはないの。
 メイジですらない――それ以下の立場にまでルイズが貶められたらなんて、考えたくもないわ。
 その時は容赦なく、ヴァリエール家の名にかけて、あなたを殺すから」

「……分かりました」

「そ、それに、私――じゃなくて、家族がルイズをどう思っているのかを教えても殺しますからね!」

「は、はい」

……なんだか締まらないオチがついた。
そんなことを思っていると――コンコン、と控えめなノックが鳴る。

エレオノールはカールを一睨みして制すと、どうぞ、とドアへ声を投げかけた。
ドアノブが回ると、そこには、ルイズの姿がある。

しかしその様子はどこかおかしかった。
姉の元を訪ねたから、というわけではなさそうだ。
肩は落ち、頭は俯き、顔色は真っ青。よく見れば、身体は小さく震えている。

「……ルイズ?」

カールとエレオノールが彼女の異変に気付いたのは、ほぼ同時だった。
まるで申し合わせたかのように立ち上がると、そのままルイズへと近付いてゆく。
顔を上げたルイズは最初にエレオノールを、そしてカールを見ると、口を開きながらも言葉は発せず、ただ唇を震わせるだけだった。

「……何か、あったのか?
 まずは落ち着こう。何か温かい飲み物でも持ってくるから、椅子に座って待ってて」

ルイズの肩に手を置きながらそう諭すと、カールは部屋を出ようとする――が、ルイズに服の裾を握られ、立ち止まった。
見れば、彼女は未だに震えたままだが、瞳には縋り付くような色が浮かんでいる。
何がこうも彼女を怯えさせているのか――そう、怯えだ。
まるで小さな子供が悪夢を見たような、自分ではどうにもできない何かと対峙した様子に近い。

「おちび。何があったのか話してごらんなさい?」

ついさっきまでカールが対峙していた厳しさとは裏腹の、柔らかな声がルイズへと向けられる。
ルイズは迷うように視線を彷徨わせ、しかし、決壊を寸前で踏みとどまり、小さく頭を振った。

「……ごめんなさい、お姉様。
 カールと話をさせて欲しいの」

「……分かったわ」

柔らかに笑んで、エレオノールはカールへを目を向ける。
お願いするわ。言葉として伝わったわけではないがそう云われている気がして、カールは頷いた。

行こう、とルイズの背中を優しく押し、促して、二人は部屋を後にした。
夜の学院、石畳の床をコツコツと叩きながら、進んでゆく。
向かう先はカールの部屋だ。二人っきりで話をしたいなら、誰かに聞かれる心配のない場所の方が良いだろう。
コルベールはまだ研究室から帰ってきていないだろうし、反対側の部屋は空き室だ。
そして、人を寄せ付けたくないのなら結界魔法すら使っても良い。
そんなことを考えてしまうほど、ルイズの様子はおかしかった。

そうして、カールの部屋へと辿り着く。
部屋に入り、ドアを閉めた瞬間、ルイズはカールの服を掴んで、胸板に額を当ててきた。

彼女らしからぬ行動だ。
まるで何かに縋り付いていなければ耐えきれないと、身体全体で叫んでいるような。

「……どうしよう。先生、私、どうすれば良いの?」

「ほら、まずは落ち着いて。
 何に困っているのかを教えてもらえないと、何も云えないよ」

云いながら落ち着かせるためにルイズの頭を撫でると、それとなく椅子に座るよう促した。
そうして部屋の隅に置いてあるティーセット、ポットに水を注いで魔力を通し、炎熱変換を行って一気に温めた。
急な沸騰で味は壊れてしまっているかもしれないが、今は何かを口にして落ち着かせる方に意味がある。

二人分のカップに紅茶を注ぎ、片方をルイズに手渡すと、カールは向かい合う形で椅子に座った。

「それで、どうしたんだ?」

云いながら、少しだけルイズの悩み事を想像する。
カールが気にしたように、ルイズは家族に自分の口からミッド式のことを打ち明けるか否かを迷っているのだろうか。
いや、それはない。あるかもしれないが、ここまで怯える必要はない。
ルイズがどれほど気丈かは、良く知っている。
そんな彼女がこうまで動転しているからこそ、カールもエレオノールも心配しているのだ。

ルイズは湯気を上げるカップに一度だけ口をつけ、そして、ゆっくりと口を開いた。

「……さっき、私の部屋に、姫様がきたんです」

「……姫殿下が?」

「そう。あの、えっと、私と姫様は、その、幼馴染みで……小さな頃はよく遊んでもらったんです。
 だからてっきり、最初は私、お忍びで近況報告を――って思って」

けれど違った、とルイズは云う。
アンリエッタ姫がルイズに云ったことは近況報告などではなく、一つの頼み事だったのだ。

レコン・キスタによって滅びつつあるアルビオン王家。
亡国となりつつある国のウェールズ皇太子とアンリエッタは従妹同士であり、また、幼い頃に将来を誓い合った仲だという。
その熱は今も冷めておらず、その恋慕から、アンリエッタはウェールズに一通の手紙を出したらしい。
内容は恋文。それだけならば問題はなかったが――しかし、今のトリステイン王国にとって、その手紙の内容が問題なのだという。
恋文の一節には、始祖に誓って、と綴られているらしい。砕けた云い方をするならば、神に誓って。
カールにはあまり実感の湧かないことだったが、始祖ブリミルの名を使った誓約には強い拘束力があると云う。
永遠の愛を神に誓って。それはとても素晴らしいことなのかもしれないが――しかし、アンリエッタ王女はゲルマニア皇帝の元へ嫁ぐことが決定されているのだ。

そのため、誓いは果たされることはない。
否、両者が心の底で想い合っていれば、それは誓いも守ることになるのかもしれない。
ウェールズは死に、アンリエッタはゲルマニアへ。悲恋ではあるだろう。

だが、この話は悲恋で終わらない可能性が残っていた。
好転するという意味ではなく、より最悪な展開を見せるという意味で。

元々アンリエッタが皇帝の元へ嫁ぐことには、ゲルマニアの身内となることで、国力に余裕のないトリステインがレコン・キスタから身を守る、という理由があった。
しかし始祖の名を引用した恋文がレコン・キスタに発見され、それをゲルマニア皇帝へと暴露されれば――アンリエッタは皇帝を手ひどく侮辱したことになる――婚約は破棄され、トリステインは孤立してしまうことになる。
男の視点から見ればこれは酷くふざけた話だ。
あなたと結婚してゲルマニアの力を貸していただきますが、心までは捧げません。
頭を下げるべき側にそんなことを云われ平気でいられる貴族は、例えゲルマニアでも存在しないだろう。

そして、婚約を破棄されればどうなるか。他国の力を借りなければ自衛すら危うい国が独り立ちなどできるはずがない。

結果、トリステインはレコン・キスタに国土を蹂躙され、王家は吊され、軍は戦に駆り立てられ、国民は戦のために搾取される。
昼にデルフとカールが話していた未来が、嘘ではなくなってしまうのだ。

……そして、それを防ぐために、アンリエッタはルイズに手紙の奪還を頼み込んできた。
一介の書生に何を、とは思う。それこそ王家の人間ならば秘密裏に人を動かすぐらいは――と。
しかし、あちらにも都合はあったようだ。レコン・キスタはアルビオンを確実に落とせると踏んで、既にトリステインへと間諜を忍び込ませているらしい。
誰が信頼できるかも分からない中で、迂闊に国の未来を左右する情報を漏らすわけにもいかず。
王家の右腕たるマザリーニにすら秘密で、アンリエッタはルイズへとこの任務を命じてきた。

……アンリエッタがルイズにこの任務を命じたのは、それができると思うだけの根拠はあったのだ。
フーケの一件は王宮へと報告されている。誰によって討伐されたのか。そして、討伐した者が何者なのか。
サモン・サーヴァントの事故によって呼び出された、スクェアクラスのメイジ、カール・メルセデス。
人間でありながらも使い魔となった彼は、その主であるルイズの力と解釈することもできるだろう。

ならば何故カールに直接云わず、ルイズに命じたのか。
これはそう深く考えずとも分かる。
カールはメイジであっても貴族ではない。
そのため、彼に直接頼み込むよりも、王家に忠誠を誓った貴族であり、カールの主人でもあるルイズに頼んだ方が断られないと考えたのだろう。
それはそれで、正しいのかもしれない。事実、ルイズは貴族としてアンリエッタの命を断ることができなかったのだから。

そしてまた、カール一人を戦地に赴かせれば良いというわけではない。
時間との勝負であるこの任務に、アルビオンの土地勘の有無など語るべくもないカールを向かわせては迅速な行動は期待できない。
加えて、ルイズはアンリエッタに手紙奪還の大使として任命されていた。
もしカール一人がウェールズの元に到着しても信用してもらえず、手紙を渡して貰うことはできないだろう。

そのため、この密命はルイズの立場と、カールの実力を前提として命じられたようなものだ。

だが――

「……先生。
 私、どうすれば良いんですか?」

再び、ルイズはカールに問いかけてくる。
未だに彼女の瞳は迷ったままだ。答えを教えて欲しいと、揺れている。

だがそれは、

「貴族として、この任務をこなすべきって分かってる。
 ここで私が逃げたら、トリステインそのものが危険に晒される。
 だから、逃げられないって、分かってるけど――」

その両肩にのし掛かった責任の重さに押し潰されそうになりながら、しかし、それでも彼女は、

「先生との約束、破れないよ。破りたくない。
 けど、ゼロのルイズのままじゃ、私は国なんて大きなもの、守れない……」

ミッドチルダ式を使ってはならない。
その約束を守りたいと、震えていた。
手にした力は使えない。しかし、トリステインの貴族として逃げることはできない。
蛮勇を振るい死んでしまっては意味がない。それは死に価値がないというわけではなく、失敗の許されない任務、という意味だ。
もし失敗すれば、トリステイン王国が危険にさらされてしまうのだと、ルイズは理解している。

理解していても尚、カールとの約束を破りたくないと、今にも泣き出しそうになっていた。
……今はそんな場合じゃないとカールの約束を反故にするのは簡単だ。
しかしルイズは、自らの信じる貴族として、カールとの約束を守りつつ任務を成功させたい――けれどその方法が分からないと、途方に暮れているのだ。

――誰だ、この子にこんな重いものを背負わせた馬鹿は……!

それはアンリエッタなのかもしれないし、聖地奪還を掲げて革命運動を続け、トリステインへ矛先を向けようとしているレコン・キスタなのかもしれない。
辿ってゆけば、フーケを討伐してしまった自分自身なのかもしれない。
やり場のない怒りとはこういうものを云うのだろう。
拳を握り、息を吐いて、ゆっくりと激情を解く。
ルイズがこんな状態なのに怒りを見せるほど、カールは馬鹿ではなかった。
いや、馬鹿ではあるが、それだけに人の心は大事にしたいと思える類の人間ではあった。

「ルイズ。一応、聞いておくよ。
 今から任務を他の人に任せることはできないのか?」

「……分かりません。
 私に密命を下すまで、姫様は他の手を打ってないみたいでした。
 だから、私が断ったら、他の人に頼むかどうかは……」

分からない、とルイズは云う。
だからこそ、力が備わってない自覚があるというのに任務を引き受けたのだろう。
頼みを断れば、ウェールズが自ら手紙を処分することを願って、アンリエッタがこの件を放置した可能性もある。
そんな不確かなものに、トリステインの命運を賭けることなどできはしない。
だからルイズはこの任務を引き受けてしまったのか。

自分しかいない。自分しかできない。
そこに優越感を覚えるのではなく、こうして押し潰されそうなほどのプレッシャーを感じて。

「……そうか」

……それなら。
この子が実力を越えた障害に立ち向かわなければならないというのならば。
教師である自分が、力を貸してやるべきだ。

もしルイズが自らの力を過信していたならば見捨てていただろう。
もしルイズがカールとの約束を破ること前提で任務を受けていたら、今度こそ失望していただろう。
だが違う。
彼女はその気高さ故に苦悩しながらも、貴族としての責任を全うしようとしている。
その上で途方に暮れてしまっているのならば、誰かが手を引いてやらなければならない。
その役は……カールでなくとも、例えば、エレオノールだって良いのかもしれない。
しかしカールとしては、この正しく迷っている教え子を導く者は自分でありたかった。

「……大丈夫だ」

静かに、力強くルイズへ言葉を向け、カールは彼女の頭を一撫でした。
何も心配は要らないと云うように笑みを浮かべて、頷いてみせる。

「任務は手紙の奪還なんだろう?
 なら、飛行魔法でひとっ飛びだ。
 俺が全力で飛んでルイズを引っ張れば、アルビオンまでそう時間はかからない。
 そもそも姫殿下はルイズではなく、俺の力を当てにして命じたんだろう?
 なら、ルイズが気にすることじゃないよ。任せておけって、ご主人様」

「……ごめんなさい。
 ありがとう、先生」

最後に冗談めかすと、ようやくルイズは薄い笑みを浮かべた。
それは強張り、ぎこちなかったが、それでも迷い込んだ迷路の出口を見付けた喜びのように、カールには見えた。

この子に約束は破らせない。
そして、胸に抱いた気高さも汚させない。
カールはルイズの笑みを見ながら、そう、強く決意した。



















どうしてこうなった、とワルドは一人、割り当てられた部屋で頭を抱えていた。

魔法衛士隊の一人としてアンリエッタ姫のゲルマニア訪問、その護衛についていたワルドは、現在トリステイン魔法学院の敷地内にいる。
だがこれは、彼にとって想定外の事態である。叶うことなら次の準備が整うまで、決して近付きたくはない場所だった。
だというのに魔法学院にいるのは、私人ではなく公人、子爵位の貴族として仕事をこなしていたからだ。

だが、それだけならばまだ良かった。
チャンスと考えろ、と発想を転換して、今まで連絡を絶っていた婚約者――ルイズに近付くとっかかりを得ることはできたから。
親同士が酒の席で決めた冗談のようなものだが、一応、ワルドの婚約者はルイズと決まっている。
だがそれも父が戦死した時点で価値が薄れ――ルイズとワルドの父が友人のじゃれ合いとして婚約を組んだのだから――今日という日まで放置されていた。

別にルイズのことが嫌いではないワルドだったが、しかし、その感情は異性に向けるものではない。
身内に向ける親愛の情。可愛らしい妹分と見ていたため、恋愛感情を育むために連絡を取ったりなどはしなかった。
たまの帰省で顔を合わせたときは、冗談めかして婚約のことを口にしたりもしていたが、ワルドも、そして様子を見る限りルイズも本気にはしていないようだった。

そんなワルドがルイズとの距離を今になって縮めようと思った理由は、フーケを通じて、彼女が虚無の素質を持っていると知ったからである。
ワルドの夢。大好きだった母の無念を晴らすために達成しなければならない、聖地の奪還。
そのためには強大な虚無の力が、どうしても必要なのだ。

だからワルドはルイズを手に入れようと思った。
将を射ずんばまず馬を射よ。ワルドが手に入れたいのは虚無使いとして発展途上のルイズではなく、既に虚無を会得しているカール・メルセデスの方だ。
その彼の力を借りていつか聖地を奪還するために、まずはルイズを手に入れて、ルイズを通じてカールの信頼を勝ち取り、目的を達成する。
時間はいくらかかっても構わない。母が死んでから今という時までずっと力を磨き続けてきた。我慢強さにはある程度の自信があった。

現状はまだワルドの夢にほど遠い。
その自覚があるからこそ、彼は自らの実力を磨きながらも、レコン・キスタ、そして虚無という、聖地奪還に必要であろう手段を模索している段階なのだ。

だが――

「恋文の奪還だと……? そのために明日からアルビオンに行けと……?
 それも、ルイズと伝承者と共に……? レコン・キスタに楯突けと……?
 なんだこれは。悪い夢か?」

ついさっき部屋に訪れ、アンリエッタから命じられた任務を思い出し、呻き声すら上げてワルドは頭を抱える。
酒でも飲まなければやってられない気分だった。

ルイズと共に任務をこなす。
だがこれを、渡りに船、とは思わない。

何故ならば――ワルドの目的を達成するためには、是非ともレコンキスタにはトリステイン王国を滅ぼしてもらわなければならないからだ。
その点に関しては問題がない。
トリステイン王国が蹂躙されると共に、おそらく王家に忠誠を誓っている公爵家も同じ道を辿るだろう。
だが、あの娘を溺愛している公爵のことだ。長女と次女はともかくとして、末っ子のルイズだけはなんとか生かしたいと思うはずだ。その点に関しては確信に近い自信があった。
そうして一人残され悲しみに暮れているルイズに付け入り、宥め賺して虚無を手に入れる――それが現状で最善のプランだった。
その時のためにルイズとの距離を詰めておくのは良い機会である。魔法学院に寄り道したいと言い出したアンリエッタに感謝すらしよう。
……寄り道をするだけだったら。

が、何が悲しくてレコン・キスタの邪魔をし、かつ、裏切りが露呈する可能性のある土地にルイズたちと向かわなければならないのか。
任務を断ることなどできなかった。国を左右するようなスキャンダルを聞いておいて任務を断れば、流石のアンリエッタといえどワルドを放置などしなかっただろう。
今、レコン・キスタはアルビオン王国に王手をかけている状態だ。決戦にはなんとしても参加し、武勲を上げて、クロムウェルの信頼を勝ち取っておきたい。
そんな状態だというのに監禁でもされたら、肝心な時に力にならない役立たずという烙印を押されてしまう。

だが果たして、その選択は正しかったのだろうか。今更になって後悔が押し寄せてくる。
汚名は返上すれば良い。しかし裏切り者と露呈してしまえば、二度とルイズは自分を信用しなくなるだろう。
レコン・キスタにおける地位と、虚無使い二人。どちらが重いとは云えない。どちらもワルドの夢を達成するには必要なピースであった。

任務は既に受けてしまった。
であれば自分にできることは、重要な虚無使い二人からの信頼を失うか、、クロムウェルとルイズ、両方の顔色を窺って現状維持に努めるか。
……本来ならば、アルビオン王家を滅ぼして信頼を勝ち取れるチャンスであったというのに。
それだけのことができる自信が、ワルドにはあった。

聖地の奪還という名目を掲げているが、レコン・キスタの中身、その大半は甘い汁を吸おうとしている傭兵と、誇りより実を取った貴族ばかりだ。
中には大真面目に聖地奪還という目的に付き従う熱心なブリミル教徒もいるが――
そんな連中に、戦士として正規の教育を受けていない者たちに、後れを取ることなど有り得ない。
魔法衛士隊の練度は、トリステイン、アルビオン、ガリア、ゲルマニア、ロマリアの各国の軍の中でも飛び抜けている。
でなければ、ロイヤル・ガードなどという役目に就かせてはもらえない。
そんなワルドだからこそ、これより始まる決戦で多大な戦果を上げ、クロムウェルの信頼を勝ち取るという手段を考えついたのだ。
青春を犠牲にして自らを高める日々に身を投じたワルドは権謀作術よりもそちらの方が向いていた。
磨き続けた力と技こそが自分の誇り――だが、それを生かすチャンスをみすみすドブに捨て、レコン・キスタの進行を妨げるような真似をするとなっては、やっていられない。
だが、レコン・キスタに荷担すれば虚無使い二人を失う。だが、チャンスを捨てたくはない――

不幸と云えば不幸すぎる状況のただ中に、ワルドはいた。
不貞寝したいことこの上ないが、策の一つも練らないで明日を迎えれば待っているのは緩やかな身の破滅である。
夢を諦めたくないため、全力で目を逸らしたい現実と対峙しながら、自分に何ができるのかをワルドは必死に考えた。





















おまけ

――カールの給料

「ほい、カールくん。取り敢えず今月分の給料じゃ」

「……借りた100エキューがあるから大丈夫って云ったのに」

「あれはおぬしがフーケを捕まえた褒美じゃよ。
 遠慮せずに受け取らんか」

ほれほれ、と差し出された袋を、カールは申し訳なさそうに受け取った。
やや重い革袋には、どれだけの給与が入っているのか。
非常に気まずい気分になりながらも、ええっと、とカールは声を上げた。

「そういえば、ハルケギニアの平均収入ってどんなもんなんですか?」

「成人男性一人なら年百二十エキューと云われとるよ。
 とは云っても、これは成人男性一人が暮らすのに必要な額というだけで、平均収入というわけではない。
 実際にはもう少し多いじゃろ」

「そうなんですか?」

「ああ。それに、基準となっているのは商人などが大半で、農民ともなればもっと低い。
 が、彼らは自給自足ができる面もあるし、あまり食うには困ってないじゃろうな。
 商人の方は破産の危険と隣り合わせだし、まぁ、釣り合いは取れてるんじゃろ」

「……ちょっと意外です。飢饉とか発生しないんですか?
 あまり詳しくないんですけど、えっと、畑が痩せたりとかで」

カールの中にある学生時代の風化しかけた知識からそんな言葉が飛び出るが、オスマンは苦笑しつつ手を振った。

「ないない。なんのために土のメイジがいると思っているんじゃ」

流石は土のメイジ。
理論は分からなくとも、元気になーれ、とイメージしながら魔法をかければ痩せた畑も復活するのだろう。
生活という面に限れば、ハルケギニア式魔法は酷く便利だった。

「ま、その土メイジを呼ぶ代金もあまり安くはないが、生活を切り詰めなければ、という程でもなし。
 よっぽど劣悪な環境で農業を営み、かつ、メイジを呼ぶ資金的余裕がない状況でなければ、不作などそう起こらんよ」

そーなのかー、とカールは頷く。
そんな様子に何を思ったのか、オスマンはにやりと笑みを浮かべた。

「ちなみに最下層の貴族であるシュヴァリエの給与は年五百エキューに固定されとる。
 魔法学院の教諭は、これと同じ給与を貰っておるよ。おぬしもな」

「臨時なんだからもっと安くて良いですよ!?」

貴族と同じ給料を貰ったと聞いて、カールは唐突に大声を上げた。
それを楽しそうに眺めながら、いやいや、とオスマンは頭を振る。

「嫁をもらって家族を作ったらと考えてみると良い。
 四人家族止まりじゃぞ? 子供は金がかかるからのう。
 ミス・シュヴルーズなんぞは家を購入するための資金を作るために本を出しておるし……。
 それほど高給取りというわけではない」

「……なんだ、ただのサラリーマンか」

「さらりーまん?」

「いえ、こっちの話です。
 じゃあシュヴァリエって、結構貧乏なんですか?」

「ああ。実際に貧乏貴族、と云われておるよ。
 財産となる領地もないしのう。
 もしあったら、国に収める税金の他に徴収して生活を豊かにすることも可能じゃがな。
 ともあれ、シュヴァリエですらそれじゃ。
 男が見栄張って家庭を女に任せるとなると、まぁ、普通は楽な生活が出来んじゃろう」

最低位のシュヴァリエでそれならば、爵位を持たず国に仕える軍人などはどんな有様なのだろうか。
と、そこまで考え、カールは再び疑問を抱いた。

「貴族は分かりました。じゃあ、メイジの給料はどんなもんなんですか?」

「ふむ、面白いことを聞くのう。
 ならばやや脱線して話を膨らませるとするかの。
 ミス・ヴァリエールの面倒だけを見ているおぬしには関係のないことじゃが、トリステイン魔法学院を出たメイジの進路を話してやろう。
 まず火と風のメイジ。これらの大半が軍に入るか、傭兵になるかの二択じゃな。
 トライアングルまで大成すれば戦場の星となれるから引く手数多じゃが、ドットとなるとかなり哀れじゃ。
 魔法は使えても精神力はドット故に多くないから、手柄を立てる機会も自然と減ってしまう。
 だから卒業までにラインクラスになれと云うとるのに、ガキ共はこっちの話を聞きはせん」

……後になって教師の話が正しかったと知るのは、どこの世界も同じなのか。

「次は水と土のメイジ。こっちは働き口が多いぞ。
 まず水のメイジは医者じゃな。いつの時代でも人は生きている限り、病や怪我と戦わなければならん。
 だから医者はいくらいても足りないぐらいで、卒業シーズンが近付けば、学院と縁のある病院からは卒業生を寄越せと口うるさく云われとるよ。
 土のメイジは土木建築や、さっきも云ったように農村の助っ人じゃな。
 これも生活に密着している分、働き口は減らん。それに土のメイジは軍の方にも転向できるしの。
 最も進路の開けた系統は、おそらく土じゃろう。だから最上、とは思わんが」

「……今の話聞くと、火と風のメイジは薄給、水と土はそうでもない、って風に感じました」

「そうじゃ。ただ、土と水のメイジは、貴族が最も必要とする名誉を手にするチャンスがない。
 儂も含めてメイジは夢見がちじゃから、人の目が集まる方向に流れてしまうもんじゃよ。
 ……まぁ、系統なんぞ関係なしに、大人しくトライアングルクラスまで実力を磨けば良いだけじゃが。
 社会に出たら腕を磨く時間など取れないから、学生の内に努力をせいっちゅーのに」

「存外シビアなんですねぇ……」

「ああ、シビアじゃ。
 そしてメイジの収入じゃが、火と風が足を引っ張り、水と土が底上げして……そうじゃな。
 三百といったところではないかのぅ」

「……なんだかんだでシュヴァリエ、結構もらってるんですね」

「一人暮らしと考えればな。
 いつの時代も、男の一人暮らしこそが自由を謳歌できるという訳じゃよ」

「はあ、そうかもしれないですね」

いまいち分からない、といった風にカールは首を傾げるが、オスマンはそれを目にして面白そうに笑った。
若いな若造。思わず二度云ってしまうほどに。

「まあ、その自由を犠牲にしても惜しくないほど、妻というものは、家族というものはいいものじゃが」

「そんなものですかね」

「ん? ぶしつけな事を聞くが、元々いた世界にそういった相手はおらんかったのか?」

「え、ええ、まあ……」

云われ、思わずカールは目を逸らす。
いたにはいた。が、あの頃のカールは今に輪をかけてガキだった。
家庭を持つ云々まで考えても、それは夢想の域を出ない代物だった。

「ほお、そうかそうか、分かったわかった」

「何が分かったんですか……」

「おぬし、女を知らんのか、そうか、そうか、ほぉほぉほぉ」

「男にもセクハラをするのかあんた……!」




[20520] 8話
Name: 村八◆24295b93 ID:3c4cc3d5
Date: 2010/08/16 00:12
朝日が魔法学院の周囲を照らし上げる時間、門の外には二つの影があった。
カールとルイズだ。二人はバリアジャケットを展開した状態で、それぞれの手にデバイスを握っている。
そう。ルイズもデバイスを手に持っているのだ。

局員が使用する汎用デバイス。今は光の杖と呼ばれ、マジック・アイテムとしてオスマンが保管している代物である。
自分の身の丈ほどもある長杖をおっかなびっくり手にしながら、ルイズは先端にはめ込まれている宝玉、デバイスコアへと視線を向けた。

「これが、光の杖……」

そう呟くルイズに、カールは思わず苦笑した。
彼女にこれはデバイスと説明することはできないからだ。
ミッドチルダ式を教えているとは云っても、ルイズには次元世界の知識を欠片ほども与えていない。
そんな彼女に、これは機械でできた――とは説明することはできなかった。

そのため、言葉を選びながらルイズには汎用デバイスの使い方を教えるのは骨が折れた。
既にカブリオレに触れているルイズだが、外見はともかく中身がワンオフ仕様であるカールのデバイスと一般局員が使用するものとでは勝手が違う。
それでもインテリジェントデバイスではなくストレージデバイスではあるため、そこまで大きい癖の違いは出ない。
スムーズとはいかないまでも、使うことは出来るだろう。

が、ルイズがこのデバイスを使えるようになった背景には、もう一つの理由がある。

――悪いとは思ったが、カールはこのデバイスを初期化し、ルイズに合わせて最適化した。
ミッドチルダへ帰還することを夢見てハルケギニアで散った魔導師。
せめて遺品ぐらいはミッドチルダに持ち帰りたかったが、しかし、彼とルイズを天秤にかけたとき、どちらに傾くかは決まっている。
アルビオンから無事に帰ることができたのなら、高い酒を墓前に添えよう。そう、カールは決めていた。

オスマンからの許可はちゃんと得ている。
そうでなければ、こうしてルイズの手に汎用デバイスが渡ることはなかっただろうが。
どうやらアンリエッタ姫からオスマンへと、ルイズがアルビオンに旅立つことが伝えられたらしく――密命ではなかったのか?――、それを聞いたオスマンは、ルイズに光の杖を手渡しにきた。
私の大事な宝物を、ちゃんと返しにくるんじゃぞ、と彼は云っていた。
やはりアルビオンがどれだけ悲惨な状態なのか分かっているのだろう。
本当にオスマンには迷惑ばかりかけている。
そのつもりは微塵もないが、もし万が一ルイズの身に何かあったら、オスマンにも多大な迷惑がかかるだろう。

だが悪いと分かっていながらも、もうこの任務を断ることはできないのだ。
ここで任務を断るようなことをすれば、アンリエッタが手紙の奪還を他の者に頼るかどうかは分からない。
アンリエッタがこのまま泣き寝入りを決め込んで、結局レコン・キスタが手紙を発見してしまう――などということになったら、トリステインには破滅しか残っていない。
そしてルイズ以外に頼ったとしても、これから準備をしたところで、既に秒読み段階へと入っている王家の滅亡に間に合うかは分からない。
自分の身の丈に合っていない任務だと分かっていながら、それでも断れないと理解して、ルイズはこの場に立っているのだ。

絶対に断ることができず、失敗は許されない任務。
その性質から、エレオノールにもこのことは話していない。
ルイズのこととなれば鋭い彼女のことだ。おそらく、昨晩の様子からルイズに何かあったと察しているだろう。
そしてルイズがアルビオンに行くと聞けば、自分が代わりに――と言い出しかねない。
普通に考えれば確実なのはそちらだ。メイジとして既に完成したエレオノールの方が戦力としては間違いなく上だろう。
だが、機動力という点を見たら、ミッドチルダ式の飛行魔法を会得しているルイズには敵わない。
この密命は何よりも機動力が必要とされる――まったくの偶然だが、アンリエッタの目は確かだったということなのだろうか。

ともあれ、姉にさえ秘密でルイズは旅立つ。
カールも含め、後々、この密命のことで説教されることは覚悟しておこう。
そんなことを事前に二人は話し合い、頭を抱えていた。

「……こんな便利な道具があるだなんて」

どこか不満そうにルイズが呟いた言葉に、没頭していた思考から戻ってきた。

「ん、素手より、杖ありきで魔法を勉強したかった?
 確かにそっちの方が上達は早かっただろうけど――」

「違うわ。こんな便利なものに頼ったら、魔法を使う貴族じゃなくて、魔法に使われる貴族になるなって思ったの。
 何よ、本当。術式を選択して魔力を流し込むだけで魔法が発動するだなんて、ふざけてるわ」

どうやらルイズはそこが不満だったようだ。
彼女が口にした通り、ストレージデバイスは記録されている術式を選択し、魔力を流し込むことでそれが発動する。
簡単な魔法ならばともかく、複雑な結界魔法や強力な砲撃魔法となると、デバイスの助けを借りなければ構築するのは難しい。
どんな魔導師も、術式を全部覚えているわけではないのだ。
膨大な数の数式を覚えられる人間は確かにいるだろうが、全員が全員、そこまで優れた記憶力を持っているわけじゃない。

そしてルイズは、今まで教えた魔法の術式を完璧に覚えていたため、急に差し出されたストレージデバイスという便利な道具に不満を覚えているのだろう。
だが――

「うん、そうだ。
 杖を使って魔法を覚えても良いけど、それじゃ限界がすぐにくる。杖に記録された魔法以外を使えないからね。
 けど基礎からみっちり固めたルイズなら、それはない。
 そうだろ?」

「……ま、まぁね」

どこか恥ずかしげに目を逸らしたルイズに、カールは思わず苦笑した。
そして背負った革袋――食料などが入った――とデルフリンガーの居心地を正すと、空を見上げる。

「天気は快晴。風もそこまで強くはないみたいだ。
 飛行魔法で一気に行くとしても、そう難しくはないだろう」

「私は、アルビオンまで先生に引っ張られていくんじゃないんですか?」

「ああ、そうだね」

不思議そうに首を傾げたルイズに、カールは再び苦笑した。
普段のルイズであれば自力で頑張ると云うだろうし、カールだってそんなルイズの頑張りを見守ってやりたい。
が、レコン・キスタと王党派が衝突するよりも早く手紙を奪還しなければならないという絶対条件が存在している。
そのため、ルイズには自力で飛んでゆくという選択肢が存在していない。
飛行魔法を教え始めてから二週間以上が経ち、最高速度だけならハルケギニアで云う風竜ほどに空を駆けることができるようになったルイズだが、やはりカールと比べれば遅いのだ。
それに航続距離にも不安がある。未だ長距離の飛行をルイズは体験したことがない。

初期に比べれば大分魔法が使えるようになった彼女だが、長時間の魔法の行使は不慣れなのだ。
魔力だけではなく体力までも使用するミッドチルダ式。長距離飛行を行えば疲労が蓄積し動けなくなることは目に見えていた。

「それじゃあ空に上がって、以降の会話は念話で。
 もう一度確認しておくけど、途中で休憩したりはせず、そのままアルビオンに向かうんだね?」

「それが良いと思います。
 内戦が起こってるって云っても、治安はそこまで崩壊してない……って話ですし。
 休憩はアルビオンに着いてからで。
 そこで情報収集をして、もし王党派とレコン・キスタが戦い始めているのなら、すぐにでも再出発」

「了解」

頷き合い、二人は飛行魔法を発動させる。
ふわりと宙に浮き、そのままゆっくりと上昇――したところで、ふと、一つの影が目に入った。

「……あっ」

「どうした?」

十メートルほどまで浮かび上がったところでルイズが飛行魔法を中断し、地上に視線を向ける。
カールも釣られて視線を向けると、そこには一人の男がいた。
課外授業、と適当な言い訳をしてさっさと出発を――と思っていると、不意に男が声を上げる。

「話がある! 降りてきて欲しい!」

なんだ――と思うと同時、嫌な予感が脳裏を過ぎる。
目を凝らしてみてみれば、男の装備は魔法衛士隊のそれだ。
王女の護衛をしていた時と比べ、身に纏っている服は装飾などが取り除かれているが、見間違えたりはしない。

もしや王女が自分たちに――そこまで考えると、すみません、とルイズから念話が届く。
彼女は高度を落として降り立つと、小走りに男の元へと近付いた。
ルイズに続いて、カールも降りる。

二人が降りてきたことを見て、男は安心したように笑みを浮かべた。
そして、

「久し振りだな! ルイズ! 僕のルイズ!」

男が唐突に上げた大声に、カールとルイズは一瞬で固まった。
男は雰囲気を察したのか咳払いを一つすると、苦笑しつつ自己紹介を始める。

「……すまない、はしゃぎすぎたようだ。
 姫殿下より、きみたちの同行することを命じられた。
 女王閣下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。
 改めて……久し振り、ルイズ。そしてよろしく、フーケを捕らえた騎士殿」

云いながら、ワルドはカールへと手を差し出した。
戸惑いつつもカールは差し出し、気になった単語を口にする。

「騎士?」

「ああ。フーケを捕まえたメイジとして、君のことは聞いているよ。
 最近になってシュヴァリエの授与条件が変わったため、君が騎士を名乗ることはできないようだが、その実力と名誉は成る程、密命を任されるのに相応しいだろう。
 当てにさせてもらうよ」

「……よろしく」

閉鎖された環境にいたせいか、フーケを捕まえたことにどれほどの価値があったのか分からないカールは、取り敢えず頷いておく。
カールと握手を終えたワルドは、それにしても、と二人を眺めて首を傾げた。

「フライでアルビオンまで行くつもりだったのかい?
 それは些か無謀というものだ。
 ラ・ローシュに辿り着く前に精神力が切れるのは目に見えているだろう?」

「えと……うん。そうね」

困った風にルイズは笑う。
常識的に考えて不可能でも、ミッド式なら可能というわけにはいかないからだ。
が、ここで大人しく認めてしまっては予定に遅れが出る。
そう察したカールは、いや、と頭を振った。

「子爵。ご存じかもしれませんが、俺は風のスクウェアです。
 フライと云っても、その速度は幻獣と同等のものを叩き出せます。
 ルイズを牽引して、一気にアルビオンまで向かう予定でした」

「そう……か」

瞳に興味の光を浮かべながらも、ワルドは思案顔になる。
そうして、いや、と頭を振った。

「だとしても、やはり無謀だ。
 君はともかく、ルイズは風のドットになったばかりなのだと聞いている。
 牽引するにしても、この子の精神力が途中で切れたらどうするんだい?
 人一人を抱えてフライを使うとなれば、君の精神力も保つまい。やはり無謀だ。
 ……しかし、そうだな。君だけならば可能と云うなら、その案を少し修正させてもらおう」

ワルドは唐突に口笛を吹くと、それに応じてどこからか一体の幻獣が現れた。
鷲の頭と上半身に、獅子の四肢を持つグリフォン。
彼はグリフォンを手で指し示しながら、自信に満ちた顔で修正案を口にする。

「私とルイズはこれに乗り、君はフライで追従する。
 どうかな? グリフォンは馬よりも速く、長い時間を走り続けることができるよ」

「……分かった」

「先生!?」

カールが了承したのを目にして、ルイズが驚いたように声を上げる。
見れば、彼女は不満げな顔をカールへと向けていた。

『ここに彼を置いて出発するわけにもいかないさ。
 それに、常識的に考えてフライでアルビオンに向かうのは無謀って言葉は的を射ている。
 例え俺たちに出来るのだとしてもね。
 子爵の同行を断れば、きっと姫殿下も不信感を抱くだろうし。
 そうなったら何が起こるのか分からない。
 仕方がないよ、ルイズ』

『……分かりました』

渋々とルイズはカールの言葉を受け入れた。
この密命は爆弾そのものなのだ。
些細なことを切っ掛けにアンリエッタ姫が依頼を取り下げればトリステインが危機に陥る。
今更になって彼女に不安を抱かせても、百害あって一利無しと云えるだろう。

そしてルイズもそのことを良く分かっているのか、急ぎ足でグリフォンの側へと近付いた。

「そうと決まれば、早く行きましょう。
 時間が惜しいわ」

「その気概、実に頼もしいね」

ワルドは慣れた調子でグリフォンの背に跨ると、ルイズへと手を差し伸べた。
ルイズは急いで彼の手を取ると、すぐにグリフォンへと乗る。

「それでは、出発しようか」

「ああ」

ワルドに促され、カールは飛行魔法を発動させた。
そうして、一行は魔法学院を出発する。
重い体躯をものともせずに地を力強く蹴りつけるグリフォンと併走しながら、どうしたもんかとカールは溜息を吐いた。


















月のトライアングル
















魔法学院から出発してから、一行は会話も少なく静かにラ・ローシュへと向かっていた。
最初はワルドが気さくにルイズへと話かけていたのだが、プレッシャーに耐え続けているルイズは、そんな話をしている場合じゃないでしょう、と切って捨てていた。
苦笑したワルドは、それ以降黙ってグリフォンの手綱を握り続けている。

ルイズの態度も分からないわけじゃない。
カールが協力すると聞いて昨晩よりもずっと気が楽なっているのだろうが、この任務が国にとって重要な価値を持つものであることに代わりはない。
そのため彼女は、今という時も任務を無事に果たすべく使命感に燃えている。ともすれば、その身を焼き尽くされてしまいそうなほどに。
緊張した状態が長く続けば、意識しなくても身体に力が入り続け、無意味に体力を消費するものだ。
魔法衛士隊――デルフ曰く練度は飛び抜けている軍人――ならば緊張感のオンオフなど手慣れているだろうが、学生でしかないルイズにそれを望むのは酷だろう。

ワルドが軽い調子で話しかけたのも彼女の緊張を解すためだったのだろうが、ルイズはそれを突っぱねてしまった。
何故彼が食い下がり緊張を解こうとしなかったのか――これはカールが察するしかないが、おそらくワルドはルイズのプライドを尊重したかったのだろう。
柔らかなところが出てきたので忘れそうになるが、もともとルイズはプライドの高い子だ。
任務の性質上、不真面目な姿勢で取り組むことはできないと思っているのかもしれない。

が、だからと云って無駄に緊張し続けてはやはり疲れてしまう。
その時に何かトラブルがあっては遅いのだ。
ワルドが諦めてしまったのなら、とカールはルイズに念話を送った。

『そういえばルイズ、今更だけど』

『なんですか?』

『子爵と知り合いだったのか?
 会ったときに、久し振りって云ってたけど』

『えと……はい。彼、私の婚約者なんです』

『婚約者……』

なんともまぁ、とカールは目を見開いた。
が、別にカールの常識から考えても別におかしなことではない。
ミッドチルダは就業年齢が低く、それに比例して十代の内に結婚することも珍しくはない。
無論、それぞれの家族が結婚する二人をフォローしてくれるからこそ可能なことではあるが。

ルイズの年齢は十六。
そのため、婚約者がいることに驚きはしたものの、まだ早い、とは思わなかった。

『成る程。可愛いのに男の影がなかったのはそういうわけか』

『か、可愛いって――って、先生、こんな話、不謹慎ですよ!?』

案の定、ルイズは念話でだが怒声を上げた。
カールは意図して真面目な顔を作ると、いいやと頭を振る。

『ルイズ。子爵にもそう云ってたけど、ずっと気を張りっぱなしじゃ疲れてしまうよ。
 今はただの移動時間なんだ。集中するのはアルビオンについてからでも充分だ』

『でも……』

『どうして俺が君に体力作りを命じたのか、忘れたわけじゃないだろ?
 疲れてしまったら、万全な状態で魔法を使うことはできない。
 そしてそれは、任務をスムーズに達成できないことに繋がる。
 ……もっとリラックスして良いんだ』

『……先生もワルドも、それを分かってたんですか?』

『ああ。けど、ルイズが無知ってわけじゃない。
 仕方がないんだ。俺も、そして彼も、くぐった修羅場の数が違うんだろう。
 そして、そういった場面に今まで出くわさなかったのは、幸運なことなんだよ。
 それでも自分にこういった経験が必要と思うのなら、これから学べば良い。
 そうだろう?』

『……分かりました』

渋々とルイズは頷くと、ルイズは深呼吸して肩の力を抜いた。
そしてすぐ側にあるワルドの顔を見上げ、照れくさそうに目を逸らす。

「……ごめんなさい、ワルド。
 少し気張りすぎていたわ」

ルイズの口からそんな言葉が聞けるとは思っていなかったのだろうか。
ワルドは意外そうに目を瞬き、しかしすぐに微笑んだ。

「良いのさ、ルイズ。
 いや、自分でそれに気付けたのはすごいよ。
 それじゃあ静かな旅はここまでで、少しは気楽に行くとするかな」

「……重っ苦しい空気はどうかと思うけど、気楽なのもどうかと思うわ」

「はは、そうだね。
 ……ともあれ、流石だな。疲れないのかい?」

グリフォンの手綱を握りながら、ワルドはすっとカールへ視線を流した。

「まだ昼を過ぎたぐらいだが、それでも半日近くはフライを使い続けている。
 凄まじいね。君の父上や母上は、高名なメイジなのかい?」

「……いや、別に。両親は魔法とあまり馴染みのない人でしたよ。
 鳶が鷹を生んだ、と良く云われていたみたいです」

カールの言葉に嘘はなかった。
祖父や曾祖父は魔導師ではあったようだが、父と母に魔力資質はほぼなかった。
魔力ランクはC。技術を磨いたところで魔導師ランクはB止まり、と云われていたよう。
そのため両親は管理局に籍を置きこそしているものの、魔導師として現場に出たりはしていなかった。

そこがミッドチルダとハルケギニアの大きな違いだろう。
メイジはメイジからしか生まれない。
しかしミッドチルダでは、魔力資質が存在しない親からでも、高ランク魔導師が生まれる例がゼロではないが存在している。

実証することはできないのであくまで仮説止まりだが――おそらくは。
六千年という長い時間の中で貴族同士の結婚を繰り返してきたため、ハルケギニアではほぼ確実に魔力資質が遺伝するのだろう。
貴族という血統書付き。ミッド人は様々な人間が交わった雑種。端的に言い表すならばそんなところだろうか。

ミッドチルダでも魔導師同士が交配を続ければ、確実に魔力資質が遺伝するようになるのかもしれない。
そのために必要な時間は、ハルケギニアと同じように六千年ほどかかるのかもしれないが。

そう考えてしまえば、次元世界で魔導師同士が子供を作り続けるなんてことは有り得ない。
魔力資質があったとしても、ミッドチルダでは選べる職種が増えるといった程度の違いしかない。
人によってはそれが大きな壁と思うのかもしれないが、才能を持つ者が特定の職につくのはどんな世界でも同じことだ。
魔力資質如きに、大した価値なんてない――なんてことは、魔導師として飯を食っていたカールが云って良いことではないが。
しかし、魔力資質を残すために好きな人と結ばれることすら出来なくなる――それは酷く寂しい世界ではないだろうか。

「ほう、そうなのか」

興味深そうに、ワルドはそう呟いた。
またか、とカールは辟易したくなる気持ちを抑え、感情を表に出さないよう努める。
何かを口走る毎にワルドはそれを興味深そうに聞くのだ。
共に任務をこなす人間を理解しようとしているのかもしれないが、それが酷く窮屈だった。

「相棒相棒」

「なんだよ、デルフ」

ふと、背負ったデルフリンガーが声を上げた。
彼は考え込むような口調で、金具を緩やかに打ち鳴らす。

「気のせいかもしれねーけど、アイツの声、どっかで聞いたことないか?」

「どっかってどこだよ。
 魔法衛士隊の人間と会ったことなんてないぞ」

「だよな。
 うーん、気のせいか……本当、どっかで聞いた覚えがあるんだがなぁ」

「骨董品、アンタは耄碌しただけでしょ?」

「なんだと娘っ子!
 最近の俺は思い出しの悪さすら払拭したパーフェクトデルフリンガー様なんだぞ!?」

「ほざいてなさい。
 ねぇ先生、ワルドじゃないけど、本当に疲れないの?」

ミッド式に触れたと云っても、やはり元々がハルケギニアの人間である彼女からすれば、連続した魔法の行使に不安があるのだろう。

「ああ、別にこれぐらいなら。
 速度を出したら別だろうけど……まぁ、低速で姿勢を維持するのは難しいっちゃ難しいか。
 それでもやっぱり、これぐらいじゃ疲れないよ」

「……私もいつか、そんな風に魔法を使えるようになりますか?」

「できるさ。
 もっとも、それはルイズが真面目に魔法を学び続けたらって前提があるけどね」

「云われなくても頑張ります!」

「そうか」

ややムキになって声を上げたルイズが微笑ましくて、思わず笑みを浮かべてしまう。
ルイズはそれが不満なのか、むっと唇を尖らせた。
そんな彼女の様子に何を思ったのか、会話が途切れる隙を突くようにワルドが口を開いた。

「……カール、ルイズは教え子として優秀なのかな?」

「優秀ですよ、子爵。
 まだまだ発展途上ですけど、大成したらきっとすごいメイジになる」

それは決して嘘じゃない。
ルイズの才能は、ミッドチルダの基準で見ても高ランク魔導師と呼ばれる者のそれと遜色がない。
だからこそ彼女の才能を磨くのが楽しく、同時に、思う存分に才能を磨けない環境に不満があるのだ。

「そうか。婚約者としてそれは鼻が高いな。
 楽しみにしているよ、ルイズ」

「……そうね」

婚約者、という単語を出されて、ルイズは表情を曇らせた。
そんなルイズに、どうしたのだろう、とカールは首を捻る。
貴族の婚約者ともなれば、それは自由恋愛の果てに結ばれたのではなく、家の決まり事という面もあるだろう。
ハルケギニアの常識に疎いところのあるカールでも、それぐらいは分かる。

が、どうやらワルドとルイズの仲は悪いものではないらしい。
言葉尻から、嫌いではない、という感情を察することはできる。
だというのにルイズが表情を曇らせる理由が、カールには分からなかった。

が、ルイズはすぐに表情を変えると、どこか悪戯っぽくワルドに視線を送る。

「でもワルド。今まで私を放っておいて、今更になって婚約者面というのもどうかと思うの」

「これは手厳しいな。確かに、そうだね。
 でも弁解させて欲しい。僕はね、ルイズ。今の立場を得るために、ずっと努力を続けていたのさ。
 公爵家の娘である君と釣り合いが取れる男になるように、とね。
 戦死した父の爵位と領地を継いでも、それは僕の力とは云えない。
 何か一つ、男として誇れるものが欲しかったんだ。
 だからどうか、今までのことは水に流してくれないか」

「……確かに、魔法衛士隊の隊長になるには並外れた努力が必要だったって分かるわ。
 でも、それはそれ。
 今のあなたと昔のあなた。今の私と昔の私。
 どっちもまるで別人なのよ。それなのに、昔のように――なんて、できないわよ」

「そうだね。
 だからこれは良い機会だ。
 お互いに変わったところをゆっくりと発見してゆこうじゃないか」

「だから、そういうのが不謹慎なのよ!」

……仲が良いご様子で。
他人の惚気ほど見ていて面白くないものはないので、カールは思わず溜息を吐いた。
婚約者、か。

ふと、カールは脳裏にミッドチルダにいる女性の顔を思い浮かべる。
あの人は自分がいなくなって、少しは悲しんでくれているだろうか。
いや、多分そうだろう。そういう人だ。もしかしたら仕事の傍ら、捜索活動すらしているかもしれない。
けれどそこに恋愛感情は、多分ない。
そこに思い至ると盛大に凹みたくなってしまうのだが、それはそれ。今更だ。
だからこそ振り向かせるためにあの手この手を尽くしていたのだし。……芽が出たことは一度としてないが。

そして更に考える。
高町なのはだけではなく、他の――幼馴染みの二人はどうしているだろうか。
普段は気まずさからあまり考えないようにしていたことだが、ワルドとルイズの様子を見て、ついつい思い浮かべてしまった。
グリフィスはきっと探してくれている。シャリオもきっと。
いつか戻る、気にするな。そんな風に一言送ることができれば、気心の知れたあの二人は普段の生活に戻るだろうが、今はそれすら叶わない。

早く帰りたい。帰らないと。
そんな思いはずっと胸に息づいているが、ルイズを放置して帰るのは間違っている。
彼女に魔法を教え、虚無を狙う賊を捕まえたその時こそ、自分は未練なくミッドチルダに帰ることができるだろう。
どれだけの時間がかかるかは、まだ分からないが。

「……デルフ、嫌なことを思い浮かべてしまった」

「なんだよ、相棒」

「俺が帰る前になのはさんが他の男と……特に無限書庫の司書長辺りとくっついてたらどうしよう」

「そりゃ、どうしょうもねぇんじゃねぇのか?
 勘だが、相棒は略奪愛とか大嫌いだろ?」

「当たり前だ。好きな女の幸せぶち壊してどうするんだよ。
 ああ……でもそれはそれとして、凹むなぁ……」

空を飛びながら頭を抱えるという器用なことをやらかしているカールを、ルイズとワルドは不思議そうに眺めていた。

そうして一行は、夜の七時頃にラ・ローシュへと到着する。
もし――カールが馬を使っていたのならば、予定は一気にずれ込んで到着は夜中になっていたかもしれない。
だがそうはならず、三人はやや遅い夕食時といった時刻に辿り着くことができていた。

が――

「……運が悪かったね。
 ラ・ローシュからアルビオンへの便は、今出てしまうところだ。
 間に合うかも、と思い急いだが、駄目だったようだな」

「そんな……」

ワルドから知らされた事実に、ルイズは困惑したように声を上げた。
どうやらアルビオンへの船は早朝、昼、そして今時間が最終便。
以前はもっと多かったようだが、内戦が始まり空賊が出るようになってから、縮小運営を行っているらしい。

『先生、どうにかなりませんか?』

『困ったときの知恵袋じゃないんだけどね、俺は』

そう冗談めかしてルイズからの念話に応えると、カールはワルドへと顔を向けた。

「空を飛んで行くことはできないのか?」

「距離だけ見れば問題はないが、グリフォンはあの高さまで上がれないよ」

「滑空だけなら?」

「可能ではある」

ワルドの言葉に頷くと、それなら、とカールは考えを巡らせた。
脳裏にある考えは、転送魔法の使用だった。
そもそもアルビオンまで転送魔法で――という話だが、それはできない。
何故なら、カールはアルビオンの座標をまったく知らないからだ。
アルビオンだけではない。この世界の座標そのものが、まったく未知と云って良い。
こんな状態で転送魔法を使用すれば、どこに出るのか分からず、出た先に存在するものと衝突しても不思議ではない。
次元航行艦のスタッフなどがバックアップに回ってくれればこの限りではないものの、今はそれも叶わない。

この世界に訪れた際、カールはミッドチルダへ帰るために転送魔法を使用したが、それは全部記録されていた座標に飛んだに過ぎない。
ハルケギニアにおいてカールが転送魔法を使って飛べる場所は、精々が魔法学院くらいだった。

が――
座標軸を弄り、今立っている場所の上空に出ることぐらいならば可能。
滑空するだけならば可能という話だから問題もないだろう。

『先生、どうですか?』

『大丈夫。今からでも行けるよ。
 ただ、転送魔法を使わないといけないから……ええっと、悪いんだけど、子爵の目を塞いでくれないか?』

『はい。ミッド式を見られたらいけませんからね。
 ワルドへの説明は、私からします。
 それと――』

そこで一度ルイズは言葉を句切り、ちらりとカールの顔を見上げた。

「先生」

「ん?」

念話ではなく肉声で向けられた声に、首を傾げる。
ルイズは曇った表情でじっとカールの顔を見ると、遠慮がちに口を開いた。

「大丈夫ですか?
 顔色があまり良くないみたいですけど」

「そう?」

云われ、カールは思わず自分の頬に手を当てた。
身体の不調も何も感じることはない。疲労だってそれほど。
ストレージ機能を使ってないとはいえカブリオレをずっと手に持っていたため、ルーンが発動しているということもある。
だから各種能力が強化され、疲れらしい疲れを感じていないのだろうとは思う。
だがそれにしたって、飛行魔法を使い続けて疲れてしまうほど柔な鍛え方はしていないが――

「……ワルド、少し休みましょう」

カールの様子に何を思ったのか、ルイズは婚約者の方を向き、そう言い放った。
良いとも、とワルドは頷き、一行は宿に向かってゆっくりと歩き出す。
そうして高級そうな宿にたどり着くと、ルイズとワルド、カール一人といった風に部屋が分けられ、それぞれは自分の寝床に向かった。

宿に向かう最中に、これからの行動は決まっていた。
休憩を取った後、深夜にラ・ローシュを出発。
アルビオンに到着し次第、再び休憩。これは、走り続けた上に滑空まで行うグリフォンの疲労が限界に達するだろうから、だ。
そして夜明けと同時に迂回路を使ってニューカッスル城へ。

大雑把な予定はこんなものだろう。
明日も明日で大変だ――と、自室に辿り着くと同時、カールはバリアジャケットを解除してベッドに倒れ込んだ。
こうして横になると染みるような疲労を自覚する。
ルイズの前ではああ云ったものの、やはり疲れが溜まっていたのかもしれない。
元々昼夜逆転生活をしていたのに、普段は寝ている時間帯から活動を開始したため、当たり前と云えば当たり前かもしれないが。
本当に――そこまで思った瞬間、カールは息を呑んだ。

「ぐぁ……!」

「お、おい!? どうした相棒!」

原因は胸に走った痛みだ。
傷口に爪を立てられたような鋭い苦痛が、胸の奥底に響き渡る。
喘ぐように呼吸をし、しかし空気を取り入れることが叶わず咳き込んだ。
柔らかな布団を握り締め苦痛に喘ぎながら、カールは投げ出したカブリオレへと手を伸ばす。
そうしてデバイスを握ると左手のルーンが輝き、カールの身を蝕んでいた痛みは一気に消滅した。

「……なんなんだ?」

一瞬で額に浮かんだ脂汗を拭いながら、思わず呟く。
もがくようにデルフを背中から外し服の襟元を緩めると、落ち着くために深呼吸を。
嫌な予感を抱きつつ、治療魔法、その中の診断プログラムを走らせた。
異世界にきて最初に気を付けることは、その世界固有の病気の有無――それを確かめることだったのに。
だが、やはりこれもカールが気にしてどうにかなる問題ではなかった。
教導隊とはいえども、現場に出ればカールは一人の武装隊でしかない人間だ。
本来ならばバックアップの者たちが気を配るべきことで、しかし、この世界には機材も何もかもがない。

そんな中で病に倒れるのは、なんらおかしくない可能性だったのに。

診断プログラムを走らせてはみたものの、その結果にはあまり期待ができない。
異世界ということから未知の病気であってもなんらおかしくはないだろう。
くそ、と毒づきながら、カールはカブリオレをぎゅっと握り締めた。

「……相棒、大丈夫なのか?」

「……今はなんとかな。
 ルーンの効果で体力が底上げされているのかなんなのかは知らないが、助かってる。
 けど、これからどうなるかは分からない」

「おいおい、不吉な云い方しないでくれよ。
 確か、荷物の中に水の秘薬があっただろ? それを飲んでゆっくりしとけ。
 何かあったら、俺が起こしてやっから。な?」

「……そうするよ」

診断結果が出るのを待たずに、カールは荷物の中から水の秘薬が入った小瓶を取り出すと、口の中に流し込んだ。
美味いとも不味い云えない味が口腔に広がると、カールはそのままベッドに身体を預ける。
激痛のせいか、疲労のせいか。
目を瞑って五分も立たずに、カールは寝息を上げ始めた。

そうしてデルフだけが残った室内に、ピ、と電子音が鳴る。
カブリオレの上に浮かび上がるウィンドウ。
そこに真っ赤な文字色で記されたミッドチルダ語を、デルフは読み解くことができなかった。
























宿の廊下を、ルイズは一人で歩いていた。
彼女の顔は俯いてしまっている。表情は決して暗くはないものの、明るいとは云えない。
ルイズの脳裏には、先ほどワルドに向けられた言葉が渦を巻いている。

この任務を無事に達成できたら結婚しよう――と。

カールと別れ、二人で部屋に入って寛いでいると、ワルドはそんなことをルイズに告げた。
その場で返事をすることは出来ず先送りにし、気まずさからカールが心配だと云って部屋を出て――そうして、今に至る。

「……結婚」

そんな風に単語を口にしてみるも、実感は湧かない。
今まで距離があったというのがまずそうだし、ワルドを好きかと問われると、どうにも。
確かに兄貴分として好きだったのは確かかもしれないが、ルイズがワルドに抱く感情はその時で止まってしまっている。
兄とずっと一緒にいられるのは嬉しいか? そう問われれば、頷くだろう。家族なのだから。
しかし兄を異性として見ることなどできない。
そんな心境であるルイズに結婚と云われても――と、ただただ戸惑うしかなかった。

だが、ワルドが結婚のことを口に出してくれたことは、正直に云って嬉しい。
彼の言葉を真に受けたわけではないが、もし魔法衛士隊に入った理由がその通りならば、ルイズは相応の気持ちをワルドに向けなければならないだろう。
分からない、といつまでも誤魔化すつもりはない。そんな不誠実な態度は彼に失礼だ。
この任務が終わったら時間をかけて、自分の気持ちを見詰めてみよう。
そう、ルイズは思っていた。

それはともかくとして――

「先生、大丈夫かな……」

呟き、ルイズは宿にくる前のカールを思い出し、表情を曇らせた。
本人は気付いていないようだったが、ずっと彼の顔を見て授業を受けてきたルイズだからこそ分かる。
声の調子や動きは元気そうだった。しかし顔色がどうにも、ルイズの見続けてきたカールとは違うような気がしたのだ。

任務のこともあるが、それ以上にカールが体調不良なのかもしれない――なのに無理矢理自分に付き合わせてしまったのなら、と。
もともと昼夜逆転生活をしている彼を、本来ならば寝ている時間から連れ回してしまったことは、無関係ではないはずだ。

だが――カールに申し訳ないと思いながらも、やはり今回の一件は、ルイズにどうすることもできなかった。
任務を断ればトリステインが危機に晒される可能性が生まれる。
ならばそれを防ぐためにも――けれど自分には力がない。あるけれど、使ってはならない。
使ってはならないけれど、断るわけには――その堂々巡りに答えを出してくれたのは、カールだった。
だからあの時、力を貸してくれると彼が云ってくれたときは本当に嬉しかった。

……自分でもどうかと思うものの、今回のことは決まってしまったことだ。仕方がない。
けれどもし次があったならば、その時は覚悟を決めよう。そう、ルイズは決意する。
……けど、その時、覚悟の内容によって自分はカールの信頼を失ってしまうのだろうか。

そう考えた瞬間、ルイズは嫌な寒気を覚えた。
敢えて云っておくならばそれは、魔法を教えてくれる存在が消えてしまうから、というわけではない。
例えるならば、そう。幼い頃、父と母が自分に魔法の才能がないと見切りをつけた瞬間に似ている。
今でこそゼロという汚名に慣れたものの、幼い頃は大好きな父と母、そして姉たちが自分を見捨ててしまうのではと気が気ではなかった。
結局そんなことはなく、家族は自分のことを大事にしてくれていると分かっているが――きっとカールは違う。

やや自惚れた云い方をするならば、おそらくカールは、ルイズだからこそ魔法を教える気になってくれたのだと思う。
勿論、虚無を狙う賊という要素もあるのだろうが、授業態度から見える彼の熱意は、義務感に駆られてのものではないはずだ。
どんな感情を抱いてルイズと向き合っているのかまでは分からないが。

そしてカールとの約束を破ることは、おそらく、彼が自分の中に見出した"何か"を裏切ることに通じるのかもしれない。
だからこそ射撃魔法を使ってしまった日、彼はあそこまで失望の色を見せたのだろうから。

あの時のことを思い出すだけで、ルイズは居心地の悪さを感じる。
魔法を教えてもらえなくなることは別に良かった。自業自得だったから。その覚悟をもって、ルイズはトリガーワードを呟いた。
けれどその後に待っていたカールの失望があまりにも痛くて、そして、自分が失ったものの大きさを後になって知った。
愚かだったとは思わない。あの行いは間違ってはいなかった。
けれど、魔法を使ってしまったことは間違いで――

ざわざわと胸を撫で上げる感情が、ルイズには良く分からない。
まだまだ先生に魔法を教えて欲しい。いなくならないで欲しい。
どうとでも取れる言葉にすることは簡単だが、しかしそれはルイズの心情を現しているとは云えないだろう。

ここまで自分の心が分からなくなったことはなく、嫌な気分を抱えながら、ようやくルイズはカールの部屋に辿り着いた。
ノックをしてみるも、反応はない。寝てしまったのだろうか。
そう思っていると、ういー、と陽気な声が部屋の中から響いてきた。骨董品もといデルフリンガーだ。

かけていなかったのか、鍵は開いていた。
遠慮がちに扉を開けると、真っ暗な部屋が廊下の明かりに照らされる。
後ろ手に扉を閉めて桃色のスフィアを浮かばせると、ルイズは足を進ませた。

「先生、寝てますか?」

「相棒なら寝てるぜ」

「骨董品?」

スフィアを差し向ければ、ベッドの上には寝転がるカールの姿と、床に放置されたデルフがあった。
ルイズはデルフを壁に立てかけると、椅子に腰を下ろす。

「先生、なんだか調子が悪いように思ったけど……どう?」

「んー……まぁ、疲れたんだろ。
 部屋に入るなりベッドに倒れて、寝ちまったよ」

どこか考え込むようなデルフの言葉に眉を持ち上げながらも、そう、と云うだけに留める。
その時になってふとルイズは、カブリオレの上に青いプレートが出ていることに気付いた。
本当はメッセージウィンドウなのだが、彼女にそんなことは分からない。
記されている文字を目にしても、どうにもルイズには分からなかった。
知識には自信のある彼女だったが、この文字はルーンでも古代ルーンでもない別物だ。
どこかしら文字の綴りにハルケギニアで最も使われている文字の面影を見ることはできるが、解読することはできなかった。
が、血を連想させる赤い文字色は酷く不気味だ。良いものじゃないのかも、とイメージだけでルイズは当たりを付ける。

「なんだろ、これ」

云いながら指で青いプレートを突いてみると、ピ、と音を上げてそれは消えてしまう。
やっちゃった、と嫌な汗を流すルイズ。
おずおずとデルフを振り向くと、俺知ーらね、と金具をカチカチ打ち鳴らしている。

「……あとでちゃんと謝るわよ」

「それが良いさね。
 それで相棒が心配なのは分かったが……こんなところで遊んでて良いのか?
 婚約者と一緒だったんだろ?」

「そうなんだけど、なんだか居心地が悪くて」

「そうかい。まぁずっと放置されてたらしいし、娘っ子の気持ちも分からんでもねーや。
 時間潰したいなら、話し相手ぐらいにはなってやるよ」

「……余計なお世話よ。
 一休みしたら、部屋に戻って仮眠を取るわ」

「そうかい」

興味もなさそうに相槌を打つデルフに溜息を吐いて、ルイズは天井を見上げた。
桃色の魔力光に照らされる天井には、染み一つ無い。
割と良い部屋なのに少し休んで出てしまうのは、なんだか勿体ない。
ラ・ローシュは別に観光地というわけではないが、それでも、ゆっくりと時間を過ごしたいと思えるぐらいの豪奢さはあるのに。
それも、婚約者と一緒にきて――

「……分かってる。戻るさ、シャリオ、グリフィス」

不意にカールが上げた言葉に、ルイズの思考は中断した。
けれど振り返ってみれば、彼は未だに寝息を立てている。
寝言? そんな風に思っていると、

「……なのはさん」

続いて口にされた名前に、むっと眉根を寄せた。
先のグリフィス、シャリオという二つの方には気さくな響きがあったものの、今度のは違ったような。

「ねぇ骨董品。今のって先生の友達か何か?」

「さぁね。あんまり相棒はそういうの口にしないし。
 云ったら云ったで、気を遣わせると思ってるんじゃねぇのか?
 向こうから云わないなら、こっちも聞かないのが華だろうよ」

「……興味がないみたいで嫌よ、そんなの」

「おいおい娘っ子、お前らそんな仲じゃねぇだろ?
 教師と生徒だ。お互いのことをなんでも知って……なんて必要はねぇんだぜ。
 それにそれを云ったら、今日までおめぇも婚約者がいるなんてこと口にしなかったじゃねぇか」

「それは……だって、別に云う必要もなかったし」

「そう。つまりは、そういうこった。
 必要があったら相棒が自分から云うさ」

「むぅ……」

不満げに唇を尖らせながら、ルイズは椅子の背もたれに体重を預けた。
確かに自分とカールは生徒と教師。別になんでもかんでも理解し合う必要なんてない。
けれど、それを寂しいと思ってしまうのは確かだった。
ルイズが気にしたことは、生徒と教師という立場で気にするようなことではない。
カールにどんな友人知人、縁者がいようと関係がない――はずなのに。

何故そう思うのだろう。その問いはワルドに対する感情と同じように、形の見えないものだった。

























「すまない、少し休憩をさせてくれないか。
 コイツも限界近いみたいだ」

ゼヒ、と壊れたような息をするグリフォンの背中を撫でながら、ワルドはカールたちにそう云った。
今、三人はアルビオンへと上陸している。
計画通りに転送魔法でラ・ローシュの上空に出ると、そのまま滑空して目的地にたどり着いたのだ。
降り立った場所は沿岸―― 一歩先には空がある場所を沿岸と云うのならだが――で、小さな森が広がっている場所だった。

このまま目的地のニューカッスル城へ――とは、スムーズにゆかない。
やはり長時間を走り続けたグリフォンの疲労は、僅かな休憩では回復できなかったのか。
朝の力強さは消え去り、それでもまだ主人の役に立とうとする幻獣の意思には痛々しさすら感じる。
ルイズは元気付けるようにグリフォンの喉を撫で上げると、そうね、と頷いた。

「近くに水場があると思う。
 コイツを連れて行くから、二人は敵が近くにいないか見ててくれ」

「分かったわ。もう、アルビオンに着いたんだものね」

昼間に見せていた意気込みを取り戻した様子で、ルイズは大きく頷いた。
そしてワルドの姿が見えなくなると、不慣れな様子でセットアップと呟く。
すると彼女の首に下がっていたペンダントが変形し、長杖の形を取った。

「……ここからが本番なのね」

「そうだな。ただ、あまり気負いすぎも良くない。
 戦うのは俺と子爵に任せて、ルイズは自衛に専念。
 分かってるな?」

「うん、分かってます」

そう云いつつも戦意を昂揚させるルイズに、カールは思わず苦笑した。
なんとしてもこの任務を達成させる。
そんな気概が伝わってくるようで……もし焦って失敗をしたら、必ずフォローをしてやらないと。
カールも気を引き締めつつ、カブリオレを握り締めた。

ルーンの微かな輝きが、闇夜を薄ぼんやりと照らす。
仮眠から目覚めたら胸の痛みは治まっていたが、その原因は不明なままだ。
デルフ曰くルイズが誤ってメッセージウィンドウを閉じてしまったらしい。
また調べれば良いだけなので特に怒ったりはしなかったが……問題は、メッセージウィンドウが出たことそのもの。
もし異常がないようならば勝手に診断システムが落ちるはずだったのに、そうはならなかった。
つまり、何か身体に異常があるということだ。

ルーンを発動させなくとも魔法学院では普通に生活を送ることができていた。
だが今は違う。何か、今と普段とで状況が違うのだろうか。

そんなことをつらつらと考えていると、ワルドがグリフォンを連れて帰ってきた。

「ワルド、どうだった?」

「……やはり駄目だね。
 丸々一日休ませれば良いのだろうけど、今はそんな余裕もない。
 コイツには悪いが、どこかに繋いで行こう」

「そう……お疲れ様」

ルイズがそう声をかけると、グリフォンはどこか悔しげに唸り声を上げる。
翼をはためかせる様には力強さが残っていたものの、人であればそれは強がりでしかない。
気まずさを覚えながらも、行こう、とワルドはカールたちを先導し始めた。

「子爵、どこへ行くつもりだ?」

「休んでいる最中に偏在を生み出し、先行させた。
 この先には渓谷があってね。抜ければ近くの街へと出ることができる。
 普段は見晴らしの悪さから盗賊を警戒して、あまり使われないようだがね」

「……詳しいのね」

「ああ、伊達に魔法衛士隊をやってはいないよ。
 アンリエッタ姫について、アルビオンにきたこともある。
 ルイズも旅行にきたことはあるようだが、地理は僕の方が詳しいよ」

ワルドの言葉に、ルイズは感心したように頷いていた。
成る程、と思う。ゲルマニア訪問と同じように、姫殿下が遠出する際、ワルドはそれに付き従っていたのだろう。
地理に詳しいというのなら、今更だが姫がワルドをこの旅に同行させたのにも頷ける。

そうして森を抜け、ワルドの云っていた渓谷へと差し掛かった。
山肌を強引に割り砕いたような細い道を、三人はゆっくりと進んでいた。
夜空に浮かんだ二色の月が照らす渓谷は寒々しく、無機質だ。
不気味ですらあるその中に――コツリ、と小さな音が上がった。
小石が転がり、岩肌を転がり落ちる音。別にそれだけならば気に留めることもなかったが――

瞬間、カールはカブリオレを構えて、背中のデルフリンガーを鞘ごとルイズへと投げる。
ワルドはホルダーから杖を引き抜き、カールと共に背後へグリフォンとルイズを庇った。
ルイズは押し付けられたデルフを抱え、唐突に戦闘態勢へと移行した二人に目を白黒させる。

そして――

「見事。微かな気配にさえ反応して見せるか。
 流石、アンリエッタ姫が遣わせた大使の護衛だと云っておこう」

冷え切った大気へ、唐突に男の声が響き渡った。
それを切っ掛けに、ザ、と一斉に統率された足音が響いて渓谷の上を、そして正面、背後に人影が浮かび上がる。

完全に包囲されたか――舌打ちしたい気分を堪えながら、カールはカブリオレに術式を走らせる。
が、魔法の完成までには僅かな時間が必要。
それを稼ぐつもりで、カールは先ほどの声を発したであろう男へと視線を向ける。
指揮官、なのだろうか。
渓谷の上部、その奥に当たる場所には三つの影がある。
その内二つは、まるで男を守るように両脇を固めていた。

影を目にし、カールは軽く目を見開く。
その姿を忘れたわけじゃない。自分がルイズに魔法を教えることとなった原因――

「フーケ……それに、仮面の男!?」

「そうとも。
 彼と彼女は、頼もしき我らの同士だ」

そして、と男は舐めるように視線を巡らせ、微かに口の端を持ち上げ、

「カール・メルセデス。虚無の使い手よ。
 どうかな? この場で、我らの同士になってはくれないか」

自信の満ちた言葉と共に、そう言い放った。



















おまけ

――カール・メルセデスがいなくなってから

あの日、高町なのはとカールの模擬戦には、それなりのギャラリーが集まっていた。
とは云ってもその面子はすべて身内だ。
純粋になのはとカールが全力戦闘を行ってどちらが勝つのか楽しみなヴィータ。
もうそろそろなのはがお嫁に行く時期になっちゃうのかとメルヘンなことを考えるフェイト。
おやつ片手にレジャー感覚で観戦する気満々な幼馴染み二人組。
そして、ママ頑張ってーと無邪気な声援を上げるヴィヴィオ。

ママが頑張っちゃったらいつまでもパパが出来ないのよ……と思う一同ではあったが、それはそれ。
放って置いたっていつまでもぶつかり続けるであろうあの脳筋のことは微塵も心配していないのであった。

が――

開始時刻を五分過ぎても、カールは現れなかった。
仕方がない、とシャリオが席を立ち、更に十分が過ぎてもカールは現れない。

十分が経って、今度はグリフィスが探しに出る。
フェイトとヴィータは念話を送ってみるが、しかし、返答はない。

十五分が経っても、カールが訓練場に現れることはなかった。
仕方がねぇな、とヴィータが腰を浮かせて、残されたフェイトは、ヴィヴィオの相手をしながら待つ。

そんな中、なのははひたすらレイジングハートを構えたまま、カールが訪れるのを待っていた。
しかし結局カールの姿は見当たらず、この日は誰もがあの野郎尻尾巻いて逃げやがって、と憤っていたが、次の日、職場にすら彼が姿を見せないことでこれが異常だと理解した。

その日からカールの捜索が始まる。
彼が姿を消した原因は、すぐに発覚した。
訓練場の入り口付近を映していた戦闘記録用のサーチャーが、カールが消える寸前の映像を収めていたのだ。

彼が訓練場に足を踏み入れようとした瞬間、銀色の鏡のようなものが出現し、飲み込まれた。
それがなんなのかは不明。姿を消したことから転送魔法か何かかと推察できるが、時間が経った今、魔力反応などを調べることはできない。

教導隊の魔導師が失踪したとなり、それなりの騒ぎにはなったものの、本格的な捜査はすぐに始まったりはしなかった。
彼本人が転送魔法を使えるという部分が大きすぎたということもある。

もしすぐに戻ってこれないのならば、それは自力で解決できない問題に直面したということを意味するだろう。
動くのならばそれからで良い、と。
ストライカー一人を遊ばせておくのは確かに痛手ではあるものの、捜索に人手を割くほど管理局に余裕があるわけでもなし。
次元航行部隊に捜索対象として通達は出されたが、積極的に探そうとする動きはなかった。管理局には。

しかし個人規模となれば話は違う。
カールが模擬戦をすっぽかし(しかも今回に限っては負けられない理由があった)、仕事を放り投げる(不真面目な人間をなのはは嫌う)なんてことは有り得ない。
身内の目が入ってしまうため捜索理由として強く推すことはできなかったが、彼を知る者は誰もが何かあったと気付いていた。

だが、手がかりと云えるものは何もない。
フェイトは執務官の仕事の傍らで探してくれているし、なのはとヴィータも教導官の仕事をこなしながら、教え子に聞き込みを行っていた。
そしてシャリオとグリフィスは、カールを飲み込んだ銀色の鏡について、調べていた。

だが"銀色の鏡っぽい何か"、なんてアバウトな代物を元に調べても限界はすぐに訪れる。
既存の魔法にそんなものを出すものはないと結果を得た後、二人は藁にも縋る思いで無限書庫へと向かっていた。

「……お久しぶりです、スクライア司書長。
 仕事の片手間で良いので、依頼を引き受けてはもらえませんか?」

「うん、良いよ。
 もしかして例の彼に関すること?」

そう云うユーノ、直接会ったことはないがカールのことは知っていた。
主に、なのはを通じて。
最近頑張っている子がいるんだー、と聞く度に、なんとも微妙な気分になるのである。

それはともかくとして、ユーノはグリフィスからの頼み事を引き受けた。
データとして登録されている魔法、それ以外に関して記されたもの本があったら教えて欲しい、と。
だが膨大な情報の中から、未登録の魔法を探し出すというのも骨が折れる。
どれだけ時間がかかるか分からない、と断って、ユーノは息を吐いた。

「……早く、彼を見付けることができると良いね」

「ええ。
 僕はそう簡単に死ぬことはないと思っているんですけど、シャーリーがかなり気にしてて」

「シャーリー……っていうと、あの眼鏡の子だっけ。
 そっか。心配してくれる女の子がいるんだ。
 ……それなのに彼も頑張るなぁ」

「あの熱意がどこから湧いてくるのか分かりませんけどね」

そう云うグリフィス、六課にいた頃にルキノと仲良くなって、今は結婚が決まっている勝ち組である。
それもあり、あの馬鹿を発見しなければ結婚式を挙げることもできない。馬鹿を放置して挙式をするつもりはない。
早いところ見付けたいのだが――

「敵は難攻不落。なんだかんだで僕も十年以上一緒にいるのになぁ……今まで何やってたんだろうなぁ……。
 そして、これからどうすれば良いんだろうなぁ……」

そんなことを考えていると、ユーノは頭を抱えながら無重力空間を漂い出した。

「……普通にアプローチすれば良いのでは?」

「普通で撃墜できるならとっくの昔になのはは魔法少女辞めてるよ……!」

「……魔法少女?」

「うん、そう、魔法少女」

「魔法……少女?」

そういえば高町一尉は今年で何歳だっただろうか。
思い浮かんだ答えと、魔法少女と言う単語がどうしてもかみ合わない。

「魔法少女ですか……」

呟いて、グリフィスは意図的に思考を停止した。




[20520] 9話
Name: 村八◆24295b93 ID:3c4cc3d5
Date: 2010/08/21 01:57

「カール・メルセデス。虚無の使い手よ。
 どうかな? この場で、我らの同士になってはくれないか」

そう言い放った男――彼を睨み付けながら、カールは思わず目を細めた。
また虚無と……隣にフーケと仮面の男がいるならそれを知っていても不思議ではないが、しかし、フーケたちから虚無云々を聞いているあの男は一体何者だ。
カブリオレの切っ先を向けることで敵意を示し、カールは声を張り上げた。

「出会い頭にいきなりそんなことを云われても、答えようがない。
 お前は誰だ。どうして虚無なんてものを必要としている」

カールの声が渓谷に反響すると、男は不遜そのものである笑みを浮かべ、慇懃無礼に頭を垂れた。

「失礼した。私の名前はオリヴァー・クロムウェル。
 一介の司教でしかない……と名乗りたいところだが、今は違う。
 レコン・キスタの議会に所属し、今は総司令官に任命されている。
 君を我が組織に招き入れようとするのは単純だ。聖地を奪還するために、その強大な力が必要なのだよ」

「……レコン・キスタ」

カールの背後で、ルイズが思い出すように呟いた。
レコン・キスタ。アルビオン貴族派をまとめ、王党派に牙を剥いている革命組織の名だ。
だが、何故そいつらが俺を――いやそもそも、誘いをかける前、クロムウェルは何を口にした?
全方位から向けられる敵意に注意を払いながら、カールはクロムウェルを見据え続ける。

「……分かった。それは良いさ。
 けど、引っかかるな。
 何故俺たちをこうも簡単に包囲できた?
 加えて、どうして密命のことを知っている」

「云うほどのことかな?
 戦いにおいて情報戦を仕掛けるのは至極当然のことだろう」

「だとしても、この任務が露呈する確率は酷く低いと思うんだけどな」

「ゼロではあるまい?」

……確かに、ゼロではない。
だが、姫殿下の右腕でもあるマザリーニ枢機卿にすら秘密で開始された手紙の奪還を知る者が、どれほどいるのだろうか。
炙り出すのは簡単だろう――いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。

目の前にいる男こそがオリヴァー・クロムウェル。
そしてフーケと仮面の男はレコン・キスタに所属している。そのため、カールとルイズが虚無であるという誤解は広まってしまっている。
レコン・キスタは聖地奪還のために虚無を必要としている。
こちらの動きは、敵に筒抜けになっていた。

注意しておくべき点はこの四点だろうか。
最後の一点が気になると云えば気になる。
尾行されていた気配はなかったが――こちらに気付かれるほど敵も間抜けではなかっただけかもしれない。
斥候として先行していたワルドの偏在はどうなったのだろうか。こんな大規模な包囲を見逃すなんてこと、有り得ないとは思う。
いや、今はそれよりも、目の前の困難をどう解決するかに腐心するべきだろうが――

カールは緩く頭を振って雑音を頭から排除すると、意図して不敵な笑みをクロムウェルへと向けた。

「こんな物々しい雰囲気の中で抱き込むと云われ、はい分かりましたと頷く奴がいるか」

「この状況でそれだけの大口を叩ける豪胆さは見事だろうが……良いだろう。
 敢えて云おう。
 君たちはトリステインの未来を守るためにアルビオンまで出向いたのかもしれないが、そんなものに価値はない」

「……なんですって?」

大仰に、どこか酔った風に声を上げるクロムウェルに、ルイズが震えた声でこたえた。
それに応じたわけではないだろうが、彼は大きく頷いて先を続ける。

「もう一度云おう。君たちはトリステインの未来などに執着しているようだが、そんなものに価値などないのだ!
 そうとも。我々が掲げているその目的を、君たちは知っているかな?
 端的に云えば、ハルケギニアに散らばる始祖の血の流れた三国。それを統一し、纏め上げられた力で聖地を奪還しようというものだ。
 トリステイン貴族である君たちは、ブリミル教徒であるはず。
 ならば、聖地の奪還にどれほどの価値があるかも分かるだろう?
 我らが手にする日々の糧、それを与えたもうた始祖ブリミルの悲願を……ああしかし、今の世ではどの国もブリミルを敬いながら、始祖に指し示された目標を忘れ去ってしまっている。
 始祖が唱えられた大願を叶えることこそを至上の喜び、それを成就させるためにブリミル教徒は生きるべきであるのに、さて、今の世はどうだ。
 ブリミルから賜った遺産を行使しながらも、感謝の念を忘れ、ただ日々を生きる家畜に成り下がっていると思わないかね?
 貴族も平民も一丸となり、エルフから聖地を奪還してこそ人は人として生きることができる。
 それが唯一、始祖に許された正義――」

「いい加減になさい!」

長々と続くクロムウェルの話を、甲高い声が引き裂いた。
唐突に上がった大声に、カールは、そしてワルドも目を見開き振り返る。
そこには肩を怒らせ、歯を剥きながらクロムウェルを睨み付けるルイズの姿があった。

彼女は瞳に怒りの火を灯しながら、光の杖の石突きを地面へと突き立てる。

「正義ですって? ふざけないで!
 あなたたちに正義なんてないわ。
 絵空事のような大義名分に酔って、守るべき民の悲鳴を無視しながら聖地の奪還を掲げている……そんなあなたに、人を率いる資格なんてない!
 自分たちがどれだけ無意味なことをしているのか分かっているの?
 聖地の奪還も、人を守ることも、貴族は両方をこなさなきゃならない。
 それなのに一方を蔑ろにして聞こえの云い台詞を口にするあなたは、ただの道化よ。
 アルビオン貴族派があなたみたいな奴に率いられてると思ったら虫酸すら走るわ!
 ねぇ、革命を推し進めたらどれだけの血が流れるか分かってるの?
 ……いいえ、分かってないんでしょうね。
 だからそんな楽しそうに、私や先生をレコン・キスタへ引き込もうとしているのよ」

叩き付けられた言葉に、クロムウェルの表情は一瞬で歪んだ。
光源が月の光しかないというのに、赤く染まったことすらも見える。
が、即座に彼は余裕を取り戻すと、ハハ、と短い笑い声を上げた。

「伝承者殿と比べ、未だ担い手たる少女は未熟であると見える。
 君と話はしていないのだ。黙りたまえよ。
 ……さあ、カール・メルセデス。君なら分かるはずだ。
 この場で何を選択することが正しいのか――」

クロムウェルの言葉に反応し、渓谷の中に甲冑の軋む金属音が一斉に鳴り響いた。
それはどんな言葉よりも、雄弁にカールへと事実を示していた。
この場で死ぬか、レコン・キスタに恭順するか。さあ選べ、と。

「……カール。これは少々分が悪いぞ。
 ここは一度、頭を垂れて――」

「いや、その必要はない」

『ルイズ!』

『くっ……分かりました』

念話で指示を出した瞬間、ルイズはワルドに後ろから抱きついて目を塞いだ。

「なっ――ルイズ!? 何をするんだ!」

「お願い、我慢して!」

ワルドの悲鳴とルイズの怒声を背負いながら、カールは足下にミッドチルダ式魔法陣を展開。
渓谷が群青色の光で染め上げられる中、視線をクロムウェルとフーケ、そして仮面の男へと注ぐ。
クロムウェルは何が起こったのか理解できないのか、目を驚愕に見開いている。
フーケは杖を構えて警戒を。仮面の男も同じく。

兵士はクロムウェルと同じように驚愕で動きを止めた者が大半だったが、中には狂乱に駆られたか、それとも先手を取ろうと思ったのか、ルーンを唱える者もいた。
火の魔法が長い尾を引いて次々にカールたちへと肉迫する。
が、それらをワイドエリアプロテクション、ファイアプロテクションで弾ぎ、カールはトリガーワードを呟いた。

「――封鎖結界」

瞬間、蛍火のように群青色の光が浮かび上がると、世界が色を変えてゆく。
寒々しさすら孕んでいた景色が、僅かに極彩色の着色を得て広がってゆく。
そうして――結界魔法が完成すると、渓谷にはカールたち三人とグリフォンの姿だけが残された。

『……先生、これって結界魔法ですよね?』

『ああ、そうだ。
 術式を読み込んでみれば分かると思うけど、設定はやや細かい。
 俺、ルイズ、子爵、彼のグリフォン。
 それ以外の生体反応を持つ者を、結界に閉じこめたんだけど――』

……下手を打ったか?
三人だけが残される。そのはずだった。
だが実際には違う。渓谷の上部、クロムウェルが立っていた周辺には、甲冑の影がいくつか見える。
腕が鈍ったとはあまり考えたくないことだが、事実として標的を取りこぼしてしまったことは確かだ。

「……これは?」

カールが己のミスに歯噛みしていると、呆気にとられたような声をワルドが上げた。
それで我に返ったカールは、気を引き締め直した。

「問答はあとだ、子爵。
 先導を頼む。俺はルイズとグリフォンを守りに入るから」

「分かった。説明はしてもらうぞ」

「それはこっちの話だ。
 先行させた偏在はどうしたんだ。全方位から包囲されるなんて冗談じゃない」

「……すまない」

杖を構えながら、ワルドはゆっくりと動き、そして敵に攻撃する気配がないと見ると、一気に駆け出した。
その後を追う形で、ルイズとグリフォンが、そして最後尾にカールが続く。

『……こんな連中から、逃げるしかないだなんて』

『我慢するんだ。勝てたとしても、それは俺たちがすべきことの分を越えてる』

おそらくクロムウェルに言い返したときの怒りが、まだ収まっていないのだろう。
それを宥め賺しながら、カールは防御魔法を組み立てる。

上方からの攻撃を警戒するカールだったが、しかし、魔法が降り注いでくるようなことは一度としてなかった。
指揮官が消えたから戸惑っている? いや、違う。そう、何か――まるで主人を失った人形のような。
じっとこちらを見詰め続ける甲冑たちの姿に、カールはそんな不気味さを抱いた。























「……光の檻、だね」

「お前が閉じこめられたという、例の虚無か?」

「ええ。発動した瞬間は初めて見たけど、これはあの時と一緒ね。
 ……僅かに色の変わった周囲の風景。
 多分、出ようと思っても出られない」

諦めたように肩を竦めるフーケに、ワルド――偏在ではなく本人――は、感嘆の息を吐いた。
光の壁、光の礫、光の剣までを直接見た彼だったが、フーケが手に入れたいと願う光の檻は、今までの中でも別格と云える力を持っているだろう。
ただ効果範囲内にいる人間を閉じこめるというだけならば、系統魔法にも真似はできる。
火系統ならば人には越えられない業火の壁を生み出したり。水ならば雨天の時に限定されるだろうが、水の膜で一定範囲を覆ったり。
土ならば壁で囲い、風ならば竜巻で。

だがこの光の檻は、ワルドたちを閉じこめるだけではなく、魔法を使った張本人であるカールと、同行していたルイズにグリフォン、そしてワルドの偏在を除外した。
檻ではなく結界とでも云うべきだろう。
固有の世界を生み出して、そこに対象を放り込む。おそらくはそんな効果を持っているのではないだろうか。

……実に、素晴らしい。
エルフがいかに強大だろうと、この世界に放り込んでしまえば無力化したも同然だ。
虚無に対する心酔にも似た感情が、この時、更に高まる。
が、今は感心している場合ではないだろう。
ワルドはその感情を押し殺し、背後に立つクロムウェルへと振り返った。

「申し訳ない、司教。彼の虚無を甘く見ていたようだ」

「い、いや、謝ることはないとも。
 そうか、これが虚無か……凄まじいな」

クロムウェルの言葉尻には、微かな怯えが含まれていた。
仮面の奥で眉を持ち上げながら、ワルドは首を傾げる。

「この魔法をご存じではないのですか?
 同じ虚無の使い手であるあなたは――」

「わ、私の虚無は命を司るものだ!
 彼の、戦を司る虚無とは違うのだよ!」

「これは失礼を」

頭を下げながら、そうか、とワルドは胸中で思考する。
クロムウェルが虚無の使い手であることに疑問は抱いていない。
死人に命を与え、操る所業は既に目にしている。その行いの善悪はともかくとして、力そのものはカールの用いる虚無と同じく凄まじいものであることに違いはない。

戦を司る――成る程。
カールとクロムウェルが直接戦ったら、その結果は云うまでもないだろう。
しかし人の命を操るという虚無の力は、軍勢を生み出すという意味では強力無比である。
圧倒的な個と、不滅の群体。
それらが衝突した際、どちらが勝つかは――戦の常識を考えれば後者だろうが、虚無という伝説の括りに当てはめるとさっぱり分からない。
おそらくは互角、と当たりを付ける。どちらも人智を越えた力だ。ワルドの物差しでは測れない。

……この二つの力が備われば、レコン・キスタに敵はない。
そう思いこの襲撃をクロムウェルに頼み込んだのだが、光の檻の効果はワルドの思惑を越えるほどだった。

この包囲は、カールを亡き者にするためだけに計画されたものだ。
数にものを云わせて守勢に回らせ、その背後から偏在がカールの命を絶つ。
ルイズは適当に気絶させ、ワルドが裏切る瞬間を目撃させなければ良い。
そうしてカールをクロムウェルの力で従えて、と。

……不意打ちに近い形でしか、ワルドはカールを殺せないと思っている。
いや、それですら怪しい。
虚無といえど所詮は人間。寝込みを襲えば――とは思うものの、そんな簡単は手段であのカールを殺せるのか?
そんな疑問がまとわりつき、どうしても実行に移せなかった。
それに、ルイズと一緒にいる状態でカールを殺すのは、彼女の信頼を失う可能性が存在している。
ただでさえ危ない橋を渡っているのに、これ以上の博打を打てるほど、ワルドはおめでたくなかった。

……どうしたものか。
光の檻という魔法ただ一つにより思惑は外れ、自分たちは足止めを受けている。
この場で旅を終わらせるつもりだったため、偏在には適当な言い訳をさせなければならないだろう。
カールたちから見れば、レコン・キスタに包囲された原因はワルドのミスなのだから。

「とにかく、まずはこの光の檻から出ねばならん!
 ミス・サウスゴータ、あなたは以前、この中に囚われたことがあるという。
 何か脱出する手立てはあるかな?」

「……あなた、虚無の使い手なんでしょう?
 私に聞くより自分で考えた方が良いと思うけど」

「い、云ったはずだ! 私の虚無は彼と方向性が違うのだとな!」

もう良い! と肩を怒らせ、クロムウェルは部下へと指示を飛ばし始めた。
光の檻の果てにあるだろう壁に魔法の集中砲火を加えよと。
指示に従い、甲冑が立てる重い音と共にレコン・キスタの者たちが動き出す。

それを聞きながら、ワルドはフーケへと声をかけた。

「何故、あんな喧嘩腰の言葉を向けた?」

「……勘の域を出ないんだけど」

自分でも分からない、といった風な口調で、フーケは口を開く。

「あんたが云う司教の虚無の力は確かなのかもしれない。
 けれど、どうにも……何度か目にした、国の権威に胡座をかいてる貴族に雰囲気が似てる気がするのよ、あいつ。
 金メッキの自信っていうか……あたしは好きになれない」

「だとしても、力があることに変わりはない。
 金メッキ云々も、それは司教の人間性にかかることだ。
 実力とはまた別だろう。加えて云うなら、好きになれないのはお前の好みだ」

「まぁ、そうかもしれないけどね」

納得がいかない風のフーケから視線を外して、ワルドは光の檻へと攻撃魔法をぶつけ続けるレコン・キスタへと視線を流した。
そう。虚無を抜けばクロムウェル自身が矮小な人間であることぐらい、とうの昔に見抜いている。
だが、それとこれとは別だ。ワルドにとって重要なのはクロムウェルの人間性などではなく、虚無の力である。
なんとしても彼の力を手に入れてみせる。そして、母への贖罪を果たしてみせる。

自らの心根を強く意識し、ワルドは拳を握り締めた。



















月のトライアングル















微かな疼きを感じる胸を手で押さえながら、カールは礼拝堂の入り口にある椅子に腰掛けていた。
差し込む月光により奥にあるステンドグラスは妖しく輝いており、見る者が見れば、荘厳な雰囲気を感じ取るだろう。

カールたちは渓谷を抜けると、その先にあった街の外れにある打ち捨てられた古城へと忍び込んでいた。
ワルド曰く、ここの城主は王党派なのだという。そのために城を捨て、今はウェールズ皇太子とともに行動しているのではという話だ。
城内は物取りが入り込んだのか荒れ果て、唯一落ち着いて過ごせそうなのはこの礼拝堂ぐらいだった。
他は部屋という部屋が荒廃し、金目のものはすべて剥ぎ取られている有り様だ。
寝床としてならまだ使えるかもしれないが、腰を据えて過ごすとなると落ち着けない。

そのため、休憩を取っているカールは礼拝堂にいる。
物取りにも良心があったのだろうか。人が入った痕跡こそあれ、ブリミルの聖像、そのレプリカなどには手を触れた跡すらない。
始祖ブリミルはやはり敬われているのだろう。そんなことを考えながら、服の上から胸元を擦った。

以前のような激痛はない。しかし、今度は痒みのような違和感がずっと続いている。
本当になんなのか――それを調べるために、カールは再び診断プログラムを走らせていた。
じっと待ち続けて十分ほど。その頃になってようやく、診断結果がウィンドウに表示される。
それを目にした瞬間、カールは目を瞑り、盛大に溜息を吐いた。

「そう、だな。
 魔法が普通に使えるから気にしなかったけど、充分にあり得た。
 ……どこまで抜けてるんだ俺は」

額に手を当てて待機状態のカブリオレをポケットに突っ込むと、そのまま長椅子に横たわった。
どうするか――そんな疑問が脳裏に渦を巻くも、どうしようもない。
自分の患った病――というより怪我は、ハルケギニアに居続けては絶対に治せないだろう。
しかしミッドチルダへの帰還方法は未だ見付かっていないため、どうすることもできない。

この任務が終わったら、ルイズの教導と平行して、帰還方法の模索に力を入れるべきだろう。
ルイズの教導をしている場合じゃない、とは考えない。それはそれだ。
責任は取らなければだし、教え子はしっかり導きたい。
この怪我が命を脅かすようなものでないからこそ云える軟弱な意見なのかもしれないが、余裕がある以上、そうしたい。

……魔法という力。そして力との付き合い方。
それを教えるという約束はカールにとって、そしてルイズにとって決して軽いものではないだろうから。
彼女が真面目に魔法と向き合っている以上、中途半端なことをしてルイズの気持ちを馬鹿にしたくはなかった。

一刻も早くミッドチルダに戻りたいという願いは、今も胸に息吹いているが――

「先生、いますか?」

「ああ、お帰り」

蝶番の軋む音と共に、礼拝堂の扉が押し開かれた。
姿を現したのはルイズとワルドの二人だ。デルフリンガーは、ルイズが背負っている。

ルイズの両腕には、干し肉やビスケットの箱など、保存食が抱えられていた。
城のキッチンから探し出してきたものらしい。とは云ってもやはり物取りが荒らし回った後だから、量は多くなかった。
カールが持ち込んだものもあるが、これは最後の最後まで取っておきたいため、可能な限り現地調達でと決まっていた。

カールは起き上がってルイズたちの元へと近付く。
ルイズは近くの長椅子に荷物を置くと、デルフを背もたれに立てかけ、腰を下ろした。

「……このお城、酷く埃っぽいわ。
 お風呂に入りたい」

「できなくはないけど、どうする?」

「……大丈夫です」

一瞬顔を輝かせたルイズだったが、そんなことをしている場合じゃないと思ったのか、肩を落とした。
そんな様子をワルドと共に笑い、三人は椅子にかけて保存食へと手を伸ばす。
ルイズはビスケット。カールとワルドは干し肉を。
ワルドが一囓りし、なんとか食べられると判断すると、それぞれはモリモリと食事を始めた。
が、三人で食べるには量が少ないため、念入りに咀嚼しながら食べる。

「……ここ最近、たくさんご飯を食べてたからなんだか物足りないわ」

「……おや、そうなのかい?」

「せ、先生に云われたからなの!
 そうでしょう!?」

ワルドに問われ、ルイズは大慌てで声を上げた。
くつくつと笑いながらも、そうだね、と頷く。

「元々ルイズの食が細かったんだよ。
 最近のがようやく、普通よりもちょっと多いぐらい。
 でもまぁ確かに、保存食じゃ物足りないってのは分かるけどね」

ブチリ、と干し肉を噛み千切りながらカールは云う。
微かに味付けされていて良かった。味のない肉を噛んだって美味しくもない。

「そ、そういうこと。
 ワルド、分かった? 別に私は大食いってわけじゃないのよ」

「はは、別に僕は君が大食いだなんて云っていないよ、ルイズ」

「それでも! それでも大食いってわけじゃないのよ!
 ああ、もう……」

ビスケットを口に放り込んで、ルイズはそっぽを向いてしまう。
カールとワルドは相変わらず笑ったままだが、どちらも、彼女を馬鹿にしているわけではない。
ルイズもきっと分かっているのだろう。それでもこんな態度を取るのは、ただ恥ずかしいからかもしれない。

「大食いだって別に気にすることじゃないと思うけど。
 ルイズは痩せすぎなんだよ。最近になって少しは変わってきたけどね。
 ややふくよか、ぐらいが丁度良いと思うけぞ。ねぇ、子爵?」

「……ん? ああ、そうだな。
 やや、の塩梅が人によってかなり違うだろうが」

「男の人って、もう! 緊迫感もないんだから!」

もう一つビスケットを取り上げ、囓りながら、ルイズは微かに頬を膨らませる。
それはリスの如くほっぺたに食べ物を蓄えてるわけではなく、今度こそ怒ってしまったからかもしれない。

「休憩中なのだとしても、もう少し焦りましょうよ……」

吐露された言葉は、しかし、怒りというよりは焦りに濡れていた。
それもそうだろう。封鎖結界を使用したことで難を逃れたとはいえ、結局、敵が自分たちを追っているという事実は何も変わらない。
ただでさえレコン・キスタが王党派と衝突する前にウェールズ王子の元へ辿り着かなければならないのに、ここにきて追っ手の出現。
敵を振り切ることが出来ずに王党派の元へレコン・キスタを招くようなことなどできない。
しかし、敵の追跡を振り切るのはどうすれば良いのか――

「……そうだね。気持ちは分かる。
 実際、僕たちは余裕のない状況に追い詰められてるのだし」

現実を突き付けるように云うと、ワルドはルイズの肩に手を置いた。
ルイズの表情は一気に沈み込み、俯いてしまう。

今の状況は正直、笑えない。
レコン・キスタを振り切って王子の元へ行かなければならないというのがまずそうだし、その打開策もまともなのが上がっていない。

今は食事の時間となっているが、ルイズたちが食料を探しに出る前、三人で案を出し合っていた。
一度話を打ち切ったのは、気分転換のためだ。
いや、有用な案が出なかったということもあるが、ワルドの偏在がレコン・キスタに気付けなかったこと、そして連中がカールの魔法を虚無と呼んだこと。
それらお互いの痛い腹を探り合い、雰囲気が非常に悪くなったため、一時中断していた。

今の所上がった案は、どれも実行するのに躊躇いを覚えるようなものばかりだった。
三人での強行突破。可能かもしれない不可能かもしれない。それに追っ手を振り切れなかった場合、やはり王子のもとへレコン・キスタを招くことになってしまう。

ワルドとカールの偏在を使って(カールのは幻影魔法)敵を攪乱する。手段としては悪くないかもしれないが、ルイズがいないことを警戒されてしまえば意味はない。
既にルイズが大使であることは見抜かれているのだ。虚無云々はともかくとして、手紙の奪取に敵が狙いを絞ってきたら、大使であるルイズを真っ先に狙うだろう。

ワルドが身を隠し、カールとルイズが飛行魔法で一気に王子の元へ行く。
これはカールたちにとって最も確実な手段だと思えるが、ミッド式を知らないワルドからすれば自殺行為に等しいため猛反対された。

アルビオンにきたときと同じように、滑空しながら王子の元へ。
これを行うには、グリフォンの消耗が激しすぎる。回復を待っていたらレコン・キスタと王党派の衝突が始まってしまうかもしれない。

……どんな手を使って敵の追跡を振り切り、王子の元へ行くべきか。
カールとルイズからすれば、そこにワルドを納得させる理由というものが追加され、冴えたやり方は一向に浮かんでこなかった。

「……そうだ、二人とも」

ルイズの一言で生まれた沈黙を、ワルドの言葉が破った。
カールが視線を向けると、彼は酷く真剣な顔で、上へと視線を向ける。

「そう珍しくもない風習だが、アルビオンでは教会の鐘を特定回数鳴らすことで、教会で行われている行事を周囲に知らせるらしい」

「それがどうかしたの?」

ルイズが不思議そうに問うと、ワルドは大きく頷いた。
そしてやや大仰に腕を広げると、芝居がかった様子で口を開く。

「打ち捨てられた王党派の古城。今にもレコン・キスタとの戦いが始まろうとしている中、そこの鐘が鳴る。
 しかも、僕たちが追っ手から逃げ出した場所に近い……敵はこれを、どう捉えるかな?」

「どう、って……」

どうにもならない、といった風に眉根を寄せるルイズに、ワルドは大きく頷く。

「そう。不審ではあるが何が起こっているかは断定できない。
 そして、だ。レコン・キスタが戸惑っているところに、王党派の戦力が現れたら……どうなると思うかな?」

「敵は迷わず攻め込んでくるでしょうね……って、ちょっと待って、そんなことしたら、わざわざ私たちの居場所を教えるようなものじゃない!」

「そうだ。敵は我々がここにいると思い込んでくれる」

「……敵を引き付け、その隙に本命が王子の元に急ぐって寸法か?」

「ご名答」

カールが呆れた風に云うも、ワルドは大真面目な顔で尚も言葉を続ける。
……城の鐘を鳴らし、敵を注意を引き、その上で王党派がここにいると示し、この城へと招き寄せる。
確かにそうすることでこの付近に展開しているレコン・キスタを引き寄せ、開いた穴を抜ける形でここから離れることはできるだろうが――

「……待って、ワルド。王党派なんてどこにいるの?」

「実際にいる必要はない。
 レコン・キスタへ攻撃を加える者が、王党派の城から出てきたとなれば、連中が勝手にそう解釈してくれるだろう。
 いや、そうだな。偏在を向かわせ、僕が噂を流してこよう」

「ちょ、待って。つまり――」

「ああ。誰かが王党派と誤認される役をやらなければならない」

「馬鹿げてるわ! 無理に決まってるじゃない!」

ルイズはその場で立ち上がると、燃えるような瞳でワルドを睨み付けた。
彼はそれを真っ向から見詰めながらも、微塵も気圧されず、ゆるく頭を振る。

「敵の注意を引き、包囲網に穴を開ける。
 そこを抜けて一気に進めば、僕らの任務は達成される。
 ルイズ。もともとこの任務は、非常にリスクの高いものなんだ。
 レコン・キスタに君とカールが狙われているというイレギュラーは発生したが、それがなくとも、内乱の地を進み王子の元に辿り着くのは生半可なことじゃない。
 どう転んだとしても、犠牲はつきものだったと思う」

「けど……っ!」

「だったらルイズ、何か良い案を出してくれ。
 僕の考えだしたものより効果的で、かつ、犠牲の少ないプランを。
 ……厳しいことを云っている自覚はあるよ。すまない。
 けれど、ルイズ。君はこの任務がどれだけ大事なものなのか、分かっているだろう?
 国を救うんだ」

「分かってる、けど……でも……」

尻すぼみに消えてゆく言葉と共に、ルイズは力なく座り込んでしまった。
……あの子だって馬鹿じゃない。ワルドの挙げた作戦がどういうものなのか理解していたからこそ、声を荒げたのだろう。

「……なぁ、子爵。横槍を入れて悪いんだけどさ」

「……何かな?」

「……その敵を引き付ける役は、誰がするんだ?」

「勿論、僕が引き受けよう」

「……ワルド」

迷いなく云い切ったワルドに対し、ルイズは何を云えば良いのか分からないようだった。
カールだってそうだ。どうしてそんなことを簡単に口にできるのかと、言葉を失った。
そんな二人に何を思ったのか、ワルドは苦笑する。

「……元々この状況に追い込まれた原因は、僕が偏在でレコン・キスタを発見できなかったことにある。
 責任を取るという意味でも。そしてトリステインの貴族として、連中に戦いを挑もう」

「……馬鹿げてる。一人であれだけの敵を足止めできると思っているのか?」

「偏在を用いたゲリラ戦なら、混乱させられるだろう。
 もっとも、それだって長時間は保たないだろうがね」

「ワルド、あなた死ぬ気なの?
 ねぇ、待ってよ。確かに貴族としてレコン・キスタに戦いを挑むのは立派だと思うわ。
 けど、何も命を賭けなくたって……別の方法があるかもしれないじゃない!
 一人が足止めをするより、三人で突破する方が――」

ワルドの考えを変えようとしているのか、ルイズは必死に早口でまくし立てた。
しかしワルドは緩く頭を振ると、苦笑を浮かべたまま口を開く。

「良いかい、ルイズ。この任務は生還することが目的ではないんだ。
 確かに手紙を回収し、かつ三人が生きてトリステインに帰るのが最上だろうとも。
 けれど何よりも重要なのは、手紙を回収してトリステインを危機から救うこと。
 それを忘れてはいけない」

「確かに、そうかもしれないけど……!」

けど、と言葉を続けようとして、しかしルイズは口を開くことができなかった。
彼女も分かっているのだろう。ワルドの意見を否定するのならば、それよりも良い案を出さなければならないと。
そしてルイズにはアイディアと云えるものがないのか。
きつく握り締められた手と噛み締められた口が、黙して語っているようだった。

「……悪くない案だな」

「そう云ってもらえると助かる」

「先生!?」

怒声にも似た声を浴びせかけられるが、カールはルイズに構わなかった。
ワルドの目を正面から見据え、正直見直した、と胸中で呟く。
密命を任されるほど姫殿下から信頼されているというなら、ワルドは信用しても良いのかもしれない。
そんな気持ちでワルドと共にアルビオンへ向かったが、到着してからのミス――レコン・キスタの待ち伏せ、偏在の不調、その二点から信頼はできないと思っていた。
が、その責任を取る一方で、ルイズと似た覚悟をもって命を張ると彼は云っている。
そんな彼を死なせてしまいたくなくて。そして、ルイズの婚約者を捨て駒になんてしたくなくて。

「ただ一点、変更を要求する。
 囮役は子爵じゃなくて、俺がやろう」

だから危険が充分にあるというのに、思わずそう口にしていた。
勢いで云ったわけではない。確かにそれもあるだろうが、彼よりも自分の方が生還できる可能性が高いというのは事実。
それに――クロムウェルの言葉を聴き、カールにはこの地でやるべきことができていた。

が、そんな風に建前を並べたとしても、カールを突き動かした衝動は、ワルドをここで殺したくないという一点だ。
まだ時間を共にして一日と経っていない人間なのだとしても死なせてしまっては気分が悪いし、何より、ルイズが可哀想だ。
長い間連絡を取っていなかったのだとしても、彼とルイズが親しい仲であることは見れば分かる。
教師として――は度が過ぎているか。ならばこれはカール個人として、ルイズという女の子の幸せを守りたいのだろうか。
なんともくすぐったい気分になりながら、カールはワルドに苦笑を返した。

「クロムウェルの虚無云々はまったくの誤解だけど、それでもそう呼ばれるだけの実力は持っているつもりだ。
 任せて欲しい」

「それは……いや、駄目だ。
 僕は貴族として――」

「貴族の名を出すなら、手紙の回収だけを考えれば良いでしょう、子爵。
 それだけじゃない。あなたは軍人なのだから、国を守るため、確実に王子の元へルイズを連れて行かなければならない。
 そうでしょう?」

「……すまない」

カールの言葉にワルドは目を逸らすと、手で口元を隠した。
僅かに肩を揺らす様は、まるで笑いを堪えているよう。だがまさか、この場でそんな表情をするわけがない。

そうと決まれば、とカールは腰を浮かせようとした。
だがその瞬間、ルイズの手が服の裾を掴む。
視線を送れば、ルイズは今にも泣き出しそうな顔で、じっとカールを見上げていた。

「……どうして? どうしてですか?
 先生がそんなことする必要、どこにもないのに」

縋るルイズの手を解き、カールは緩く頭を振った。
そして諭すような口調でルイズに言葉を落とす。

「云っただろ?
 そうした方がより確実に任務を達成できて、生還する確率が高くなるって。
 それだけだよ。
 じゃあ、俺はもう休む。二人も、仮眠ぐらいは取った方が良いだろ」

そう言い残して、カールは礼拝堂の出口へと向かった。
ルイズたちから顔を背け、さて、と考えを巡らせる。
敵がどういった形で陣を広げているかにもよるが、どんな手を使って戦うべきか。
明日の戦場を想像しながら、カールは自らの寝床へと歩き出した。
























重々しい音と共に閉じられた扉を、ルイズはじっと眺めることしかできなかった。
……力を貸してと云って、その果てにこんな無理難題を彼に頼むことになってしまうなんて。
あまりの罪悪感に頭痛すら覚える。

確かにカールはメイジとして規格外の力を持っていると、ルイズも知っている。
けれど軍隊を相手にして――と考えると、途端に分からなくなってしまう。
カールは強い。ミッド式を覚えだしたルイズでも、未だメイジとして彼の背中には遠く届かない。

だとしても、こんな――けれど、どうすれば良いのか、ルイズにはさっぱり分からなかった。

「ルイズ、そんなに悲しまないでおくれ。
 これは必要なことなんだ。それに、彼が死ぬと決まったわけじゃない。
 レコン・キスタを振り切った魔法を見ただろう?
 きっと彼なら上手くやってくれるさ」

「……そんなのは言い訳みたいなものよ。
 私たちが先生に押し付けたって事実を誤魔化そうとしているわけだわ。
 先生だけを危険に晒すなんて……」

「……僕も悔しいんだ、ルイズ。でも適材適所というものだよ、これは。
 囮役はルイズじゃ無理だし、僕では大軍相手に長時間戦えない。
 それに、これは彼にとってとても名誉なことだ。
 その身を祖国の礎に捧げる……ならば僕たちは彼の名誉を守るために、必ずこの密命を成功させなければね」

「どうしてカールが死ぬこと前提で話をするの!?
 それに――」

続いて口にしようとした言葉に、ルイズははっとした。
……そうだった。そもそも彼は教師として自分に付き合ってくれただけで、彼個人がこの任務を請け負う必要なんてなかった。
ぎゅっと手を握り締めると唐突にルイズは立ち上がって、礼拝堂の出口へと駆け出した。

背後からワルドの呼び声が届いたが無視して、そのまま城の中を走る。

城の構造を完全に覚えているルイズではないが、実家が実家なため、道に迷うということはない。
寝室として使えそうと目をつけていた部屋を一つ一つ覗き、そうして、ようやくカールを見付けた。

スフィアを明かりの代わりに浮かべ、彼はベッドに腰を下ろしながら一人で煙草を吸っていた。
ルイズが部屋にきたのを見ると、吸い途中だったそれを割れた花瓶に押し付けて火を消す。

「どうかしたのか?」

「……話しがしたくて」

「そっか」

座ると良い、とカールはルイズにベッドを手で示し、ルイズはカールの隣に腰を下ろした。
何を云うべきなのか。それを頭の中で整理しながら、あの、と口を開く。

「……すみませんでした。こんなことになって」

「ルイズの頼みを引き受けた時点で、こうなる可能性はあっただろうさ。
 ただ、フーケと仮面の男がレコン・キスタに所属していたとは思わなかったけどね。
 俺は大丈夫。だからルイズは、子爵と一緒に手紙の回収をこなせば良い」

どこか元気付けるようにカールは云うが、しかしルイズの表情が晴れることはなかった。
それを見て何を思ったのか、彼は苦笑すると安心させるように、ルイズの肩にやや力強く手を置いた。

「確かに大変な戦いにはなるだろうけど、こんなところで死ぬつもりはないよ。
 まだルイズにはミッド式を教えきってないからな。
 それに、俺だってまだまだ生きてやりたいことが残ってる。
 充分に敵を引き付けたら逃げに回るさ」

「違う。そうじゃ、ないんです」

だが、ルイズは頭を振る。
違う。安心したいからカールの元に訪れたんじゃない。
ただルイズは、カールに謝りたかった。そして――

「……逃げてください、先生。
 先生一人なら、魔法学院に戻ることはできるでしょう?」

「……いきなり何を言い出すんだ?」

僅かに呆然としたあと、微かな怒りすら滲ませて問いをかえすカールに、再びルイズは頭を振った。
分かってる。自分を大事にしてくれるカールの気持ちは感じているし、ワルドの強引な頼みを断らなかったのも、任務を果たすため――ルイズに命じられた密命を成功させたいからなのだと。

けれど、違う。そもそもから間違っていた。
ルイズが貴族の責務としてこの任務を請け負うのだとしたら――貴族ではないカールを、これに巻き込んでしまってはならなかった。
それなのに自分には力がないという理由でカールに縋り、この旅に巻き込んでしまって。
だからそんな間違いを今ここで正すために、ルイズはカールの元へきていたのだ。

「先生はメイジだけど、貴族ではありません。
 貴族は国に忠誠を誓って、その力を国に捧げなければって決まってる。
 けど先生は、違うじゃないですか。先生は私たち貴族が守るべき、トリステインの民なんです。
 そんなことを云っている場合じゃない……なんて言葉は、きっと逃避なんです。
 そういった大義名分の元に私たちは動いてる。なのに事情があって道理を曲げて、この任務が終わったらまた貴族のルールを……そんなの、不誠実じゃないですか。
 理想だけじゃ国は守れないって分かってます。けど理想がなければ、なんのための貴族なんでしょう。
 ……だから先生は」

戻ってください、と続けようとしたルイズの言葉を、カールは遮った。

「だとしても、ルイズ。
 俺抜きで手紙の奪還はできない。そうだろう?
 敵陣を抜けて、ワルドと二人で王子の元へ行くことは不可能だ。
 それが火を見るよりも明らかだったから、俺は君に力を貸そうと思ったんだ」

「そうかもしれません。
 けど、無理じゃない。私には、先生が教えてくれたミッドチルダ式があります」

「……ルイズ」

咎めるような声が何を意味しているのか、ルイズは分かっていた。
ミッドチルダ式は自衛以外で使ってはならない。
その約束を破ると、ルイズはカールに云っているのだ。
分かっている。しかし分かっていて、ルイズは彼にそう云っていた。

「……理由こそあれ、密命を受けたのは私。
 ならその責任はちゃんと負います。逃げはしません。
 その結果、ミッドチルダ式を先生から教えてもらえなくなるのだとしても」

「……ミッド式を学べなくなるだけじゃない。この際それは置いておく。
 いいか、ルイズ。死ぬかもしれないんだぞ? それだけの危険がある。
 それを分かっていて、そんなことを云っているのか?」

「……そう、ですね。
 死にたくない。死ぬつもりはない。そんな精神論で現実が覆らないのは分かってます。
 貴族っていう理想論だけじゃ駄目なんだって。
 でも……現実を言い訳に理想を曲げても、きっと駄目だと思うんです。
 何故か、って問われたら、はっきりと応えられませんけれど……」

……理屈の面で何故駄目なのかは、分からない。
けれど貴族として――幼い頃から教え込まれた、国を守る人間として、それを歪めてしまってはいけない。
そんな甘いことを云っている場合じゃないのかもしれない。手段を選ばず、どんなことをしてでも国を守るために手を汚さなければならないのかもしれない。
けれど――国を守れればそれで良いの?
そんな疑問が、ワルドの案を聞いてからずっと脳裏に残っている。
勿論、ミッド式を使わず、誰も欠けず任務をやり遂げることが最上なのだと分かっている。そのためにはカールの力を借りるのが一番だとも。

けれどそれはやりたくない。
嫌だという以上、他の案でこの任務を果たさなければならなくて――
だからルイズは、ミッドチルダ式とカールとの繋がりを捨てて果たすと云っている。
きっとそれが、責任を果たすということだろうから。舞い降りた任務とはいえ、引き受けた以上、もう不満も何も口にすることはできない。
そう、ルイズは信じている。

「……本当に君は」

呆れたようにカールは溜息を吐くと、額に手を当てた。
自分でもこれは呆れてしまっても仕方がないと思うものの、そんな云い方はないんじゃないかとルイズは口を尖らせる。
が、すぐにカールの表情が苦笑に変わると、彼女は目を瞬いた。

「君がそういう子だって、知ってたのにな。
 ……そう。だから俺は、ルイズにミッドチルダ式を教えようと思ったんだ」

「……先生?」

「そもそもルイズがミッドチルダ式を覚え始めた原因であるフーケと仮面の男……その背後にいるレコン・キスタ。
 連中が存在する限り、俺も君も面倒ごとに巻き込まれてしまうというのなら……」

何か強い決意のようなものを燻らせながら、カールは俯き加減で拳を握り締めた。

「やっぱり、この戦いは良い機会だ。
 俺のやり方で話をつける」

「だ、だから、先生はもう学院に帰っても……!」

「そうだな。
 それが安全に過ごせる唯一の方法で、賢い選択なんだろうけど……何、ルイズを助けるのはもののついでだ。
 俺は俺の目的のために戦う。ルイズが貴族の責任として国のために戦うように、自分の責任を果たすために」

……何それ、ずるい。
ルイズが責任を持ちだしてカールを帰そうとしたら、今度はカールが責任云々を持ち出して帰らないと主張する。
なんだか屁理屈を言われたような気がして、かつ、相応の覚悟をもってカールの元にきた身としては、非常に納得ができない。

思わず頬を膨らませると、何がおかしいのかカールは小さく笑い声を上げた。

「……笑うようなことですか?」

「……いや。
 揺るがないな、って思っただけだよ。
 そうだ。そんな君だからこそ、俺はミッドチルダ式を教えたいと思った。
 約束を破られた時だってそう。だからあんなにも怒ったし、ルイズなりの道理に従って魔法を使ったから許そうと思えた。
 ルイズなら正しく魔法を使ってくれる……そう思えたから」

「……私だから?」

「そんな君だから、俺は力を貸したいと思った。
 ……正直な話、どうしてこの依頼を受けたんだって苛立ちがないわけじゃなかったよ。
 けれどルイズは、ルイズなりの道理の下に動いてるって分かったから、今こうしてこの場にいる。
 それが俺は気に入っててさ。今回だけじゃない。君が生徒に射撃魔法を向けた時も、だからこそもう一度チャンスを与えたいって思った」

どこか子供っぽくカールは笑う。
それが癪で、意味が分からなくて、ルイズはむっとした。

「……馬鹿にしないでください。
 私は自分の手に余ることだって分かっていながら、この任務を引き受けたんです。
 ……確かに、先生に縋りはしました。
 けどそれが間違ったことだって今更に理解したからこそ――」

不満は怒りへと僅かに傾き、ルイズは尚も食い下がった。
だが言葉を途中で遮り、良いか? とカールは口を開く。

「だとしても、俺は戦う。
 君が何を云おうと、そう決めた」

「けど、私は、貴族で――!」

「貴族だけど、俺の生徒だ。そうだろう?
 生徒を守るのは先生の役目。
 ルイズにそう呼ばれている以上、俺は逃げたりなんてしない」

……どうしてそんな風にカールが云うのか、ルイズにはよく分からない。
ルイズですら危ないと分かっている戦いに、どうして向かおうとするのだろう。
命が惜しくないと考えているわけじゃないのに――

そこまで考え、ああそうか、と少しだけカールのことを理解できた気がした。
きっとこの人は、自分が貴族であることに誇りを抱いているように、教師であることに自負があるのかもしれない。
その教師として、戦地であっても私を導こうとしてくれている。

貴族の誇りと形は違えど、そんな彼の心をとても気高く思えて、ルイズは溜息を吐いた。
頑固者。そんな文句を口の中で転がして、しかし僅かに頬を緩ませながら、俯く。
この人の生徒になれて良かった。そんな場にそぐわない考えが湧いてしまって、浮かんだ表情を見られたくなかったから。

「……明日は早い。
 夜が明けるまで数時間もないけれど、お互い横になって疲れを取ろう」

「はい、先生」

頷き、ルイズは腰を浮かばせて最後にカールを見た。
朝になれば過酷な戦場に立つと分かっているはずなのに、彼は穏やかに――自分のことよりもルイズを心配しているような目付きをしている。
ありがとう。もしこの任務が終わったら、心からそう云おうと決めて、ルイズは小さく頭を下げた。

「おやすみなさい、先生」






















ルイズが立ち去り、一人礼拝堂に残されたワルドの偏在は、微笑みを浮かべていた。
思惑通りにルイズはカールを説得に向かった。
名誉。その単語を口にして彼の死を意識させれば、絶対にルイズはカールの元に行くと読んでいた。
これで、ルイズの説得の結果がどうなるかはわからないが、今更に作戦の変更は有り得ないだろう。
ならば問題はない。逃げるか戦うか。どちらでも、好きな方を選べばいい。
もし逃げるのならばそうすれば良い。だがルイズは絶対に逃げない。貴族はそんなことをしないから、だ。
愚かしくも羨ましさすら覚えるその馬鹿正直さに、もし呪縛に囚われていなければ惚れ込んでいただろうとすら思う。
だが、それはそれだ。哀れだが、躊躇はしない。
ルイズと二人っきりになるならばむしろそれは好都合だ。
クロムウェルの虚無は、死者だけではなく生者をも操る。
手紙の奪還と同時にウェールズの暗殺をこなした後、操ったルイズと共にトリステインへと帰還。
ルイズを餌にカールを呼び出し、油断しきったところを背後から刺せばそれですべてが手中に収まる。

また、カールが戦うならばそれでも良い。
彼が戦うのは古城近辺の戦力などではない。レコン・キスタの総軍だ。
戦力差は既に挙げることすら馬鹿らしい。カールの死は戦いに望んだ時点で決定的と云って良いだろう。
そうなれば手に入れる順序が逆になるだけだ。先にカールを操り、それを使ってルイズを籠絡すれば良い。
ワルドはルイズが魔法に対し強い執着を持っていることを知っている。その魔法を教えてくれる教師を餌にすれば、レコン・キスタに傾いてもおかしくはないはずだ。

どうあってもカールは殺すべきだ。強大な力を持ち、かつ己の意思を強く持っている人間は御しづらいものだ。
ワルド本人が良い例だろう。風のスクウェアとしてトリステインでも一目置かれている存在故に、こんな任務を言い渡された。
だがワルドは王国に忠誠など誓ってはいない。彼が殉じているのは己の罪悪感であり、いつしか抱いた呪縛を解くことこそを至上の目的としている。
だからこそトリステインを侵す猛毒として、アンリエッタの密命が刻一刻と破綻してゆくのだ。
任された任務などよりも、ワルドは己の目的を優先するが故に。

ワルドから見て、カール・メルセデスは善人であるように見えた。
力を出し惜しみしつつ、一方で犠牲が出るとなると矢面に立とうとする。
その行動は戦えるだけの力があるという自負に裏打ちされているのだろうが、それでも、命の危険があることに変わりはない。
そこまで考え、成る程、と思う。ルイズが呼び出すわけだ。形こそ違え、その善良さは彼女と通じる所がある。

ああ――そんな確固たる我を持った彼を貴族としては素晴らしいと思いながらも、ワルド個人としてはひたすらに煩わしい。
一刻も早く聖地を奪還したい。そしてそこに何があるのかを確かめたその時こそ、己の目的が果たされる。
だから殺す。何、なんならルイズさえも殺してしまったって構わない。
死人を蘇らせ操るクロムウェルの虚無にかかれば、カールもルイズも物わかりの良い人形へと変貌してくれることだろう。

カールにクロムウェル。二人の虚無が揃った状態ならば、まだエルフと戦うことは怪しいが、トリステインぐらいならば容易く落とせる。
次はガリアか、ゲルマニアか。
ロマリアということはないだろう。連中はレコン・キスタの掲げている目的が目的なため、十中八九傍観を決め込むはずだ。そんなところに攻め込むのは最後で良い。

例えハルケギニアが火の海に呑まれようと、どれほどの哀絶が響こうと、婚約者を手にかけたとしても、ワルドには関係がない。
抱き続けている罪悪感を捨て去る。
その唯一の手段として、母が終始口にしていた聖地の奪還を果たせるのならば、どこにだって尻尾を振ろう。
だが――トリステインでもレコン・キスタも、どこに属したとしても、それはあくまでワルドの目的を果たす手段でしかないのだ。

――そんな風にワルドは考えてるが、本来の虚無の在り方から考えれば、これは酷く穴のある計画だった。
ワルドはカールとルイズを虚無と断定しているが、しかしそれは半分正解で半分間違っている。
虚無の使い手が命を落とせば、その資格は別の者へと明け渡される。だが始祖の祈祷書に記されるその情報を、ワルドが知る術はない。
尤も、これは大した問題ではないとも云える。ワルドが欲しているのは虚無であるが、その実、彼が目をつけたのはミッドチルダ式だ。
アンドバリの指輪を使って蘇らせることで、生前と同じように魔法を使うことは可能かもしれない。だが、確証はない。
ハルケギニアのメイジをリビングデッドとして操ることができるのだとしても、魔導師はどうなのか。
試してみなければ何も分からないだろう。





















翌朝。空に浮かんでいるということもあるのだろうが、まだ大気が冷え切っている時刻に、カールは空に浮かんでいた。
眼下にはルイズとワルドが残っている古城と、その城下町が広がっている。
冷たい風に頬を撫でられながら、彼は視線を街の向こう――草原に展開しているレコン・キスタの軍勢へと向けた。

彼の右手にはカブリオが握られている。背中にはデルフリンガーが。
朝日の中で穏やかに輝くルーンを眺め、意思を持たない相棒に頼むぞを声をかけた。
そうしていると、背後でカチカチと金具が打ち鳴らされる。

「どうした?」

「なに、負け戦に挑もうとしている相棒に最後の激励をな。
 話によるなら、敵の数は五万らしいじゃねぇか。
 や、それの全部を相手にするわけじゃねぇだろうが、生半可な数を相手にすることに変わりはねぇ。
 相棒、死ぬぜ? そりゃ、ガンダールヴが千の敵を前にして~とか伝承じゃ云われてるけどよ」

「なんだ、もう隠さないのか?」

「死ぬって決まった奴に隠し事してどうするよ。
 なんなら虚無のことも聞くか?」

「やめておく。縁起でもない。
 生憎と、死ぬつもりはないんでね。
 ……確かに敵の数は多いが、まぁ、四桁までなら相手をしたことがある。
 それに敵を全滅させる必要があるわけじゃない。ルイズとワルドに追っ手が追いつけなくなるまでの時間を稼げば良いんだ。
 無理じゃないさ」

「ハッ、そこまで自信満々に言い切られたら、暗くしてるこっちが馬鹿みたいだな。
 よしよし、なら一発やってやろうじゃねぇかよ相棒!」

「ああ、そのつもりだ」

デルフを言葉を交わしながらポケットのカートリッジを確認し、小さく頷く。
最後に胸元を緩く握り締めて、再び眼下の軍勢を見下ろした。

そうして――打ち合わせの通り、古城の鐘が鳴り響く。
等間隔に打ち鳴らされる鐘はまるで戦いの火蓋のようで、カールの思考はこの時、教師ではなく教導隊の魔導師へと切り替わる。

「……往くぞ、デルフ、カブリオレ。
 目標は敵の中枢、オリヴァー・クロムウェル。
 速攻で奴を叩き虚無を諦めさせた後、古城の前に展開し防衛戦を開始する」

「良いのかい?
 敵の軍勢一つをおしゃかにしちまっちゃ、管理局法とやらに引っかかるんじゃねぇのか?」

「レコン・キスタを叩き潰すつもりはない。使うのは非殺傷設定だ。
 ただ、"お話"をするだけだよデルフ。
 奴にはここで、俺とルイズを諦めてもらう。推測だが、あの男は自らの野心と国を天秤にかけて、自分の衝動を優先する奴のように見えた。
 そんな男を放置したら、今後、何が起こるか分からない。
 なんとしてでもここで釘を刺しておく必要がある。
 アルビオンが陥落すれば次はトリステインだ。絶対に放置はできない。
 ……それにこの戦場で敵を叩いたとしても連中の進行が遅れるだけで、王党派の滅亡は揺るがないだろう。既に、それだけの戦力差がある。
 ならここで俺が引き起こす戦いは、蛇足以外の何ものでもないのさ。
 加えて云うなら、ありがたいことに連中がミッド式を虚無と誤解してくれるからな。
 異世界の存在が露呈することもないだろう」

「うい。ま、相棒がそう云うならそうなんだろうな。
 んじゃまぁ……行こうぜ、相棒!」

デルフの声に応え、カールは群青色の魔力光を纏いながら空を駆ける。
同時、鳴り響いた古城の鐘を警戒して上がってきたであろう竜騎士が何体か視界に上がってきた。
それらを見据え――ルイズの前では決して見せない冷酷な瞳を、カールは注ぐ。

嵌められた策から抜け出すことができるのか、否か。
この時点ではまだ、何も分からない。









[20520] 10話
Name: 村八◆24295b93 ID:3c4cc3d5
Date: 2010/08/25 01:38

遠くから鳴り響く開戦の号砲を聞きながら、陣地の奥で、オリヴァー・クロムウェルはすべての事態が手はず通りに進んでいることにほくそ笑んでいた。
どうやらワルドは上手く伝承者と担い手を騙したようだ。ここまで計画が軌道に乗ったのならば、もはや虚無は手に入ったも同然だろう。
そう――本当の虚無が。

伝承者と担い手を引き離し、前者をレコン・キスタの主力で倒し、後者をワルドが手に入れる。
伝承者は殺しても構わない。いや、担い手もそうだ。そう、ワルドにも指示を出してある。
死者であるならばクロムウェルにとってそれは、何よりも頼もしい友人となってくれる。
アンドバリの指輪――レコン・キスタの御旗ともなっている偽りの虚無があれば。
そしてその偽りの力で、今度こそ自分は本当の虚無を手に入れる――その後に待っているであろう展開が楽しくてしょうがなく、ずっと彼は微笑みを浮かべていた。

オリヴァー・クロムウェルという男は、そう大した人間ではない。
ブリミル教の司教にまで上り詰めたこと自体は確かに相応の努力などを払いはしたが、しかし、それが彼の限界でもあった。
否、限界だと決め付けてしまった、というべきだろうか。
人並み外れて権力欲が旺盛だった彼は、自分の身ではこれ以上上に昇ることができないと自分自身を見限ってしまっていた。
だからこそ、悪魔の囁きとも云える取引に頷き、アンドバリの指輪を手にしたのだ。

自分の限界を決め付けてしまった劣等感、その呪縛から逃れた開放感、いつしか抱いていた権力欲。
それらがブレンドされた強い衝動は、アルビオン王家の喉を食い破るレベルにまで高まっている。
下した相手を次々に手下へと加えてゆく行いに、クロムウェル自身が快感を覚えているということもあるだろう。
ともあれ、彼が行って得たものは、その全てが彼の野望を燃え上がらせる薪に変わる。
何もかもが順調。レコン・キスタと、アンドバリの指輪さえあれば――そして、虚無を従えることができたのならば。

「閣下。手はず通り、トリステインのメイジが空へと上がりました」

「うむ、そうか」

使い魔から視覚情報を得たのか、隣に立っていた副官が声を上げた。
ならば圧倒的な物量にものを云わせ、押し潰してやろう――
そう、自身と味方を鼓舞する一言を口にしようとした瞬間、ですが、と副官が不安の滲んだ声を上げた。

「目標は速度を上げて進行中。
 迎撃に竜騎士を向かわせ、ただ今戦闘が開始された模様です。
 ……あのメイジは、防衛戦に徹する予定だったのでは?」

「……な、何、心配はいらない。そうとも。
 元より彼を始末する方針は変わらないのだ。
 守りに徹する敵よりも、攻め込む者を討ち取る方が容易と決まっている。
 自ら火中に飛び込んでくれるのならば、非常に有り難いことだとも」

「はっ」

言葉の上ではそう云いながらも、クロムウェルの背中は一瞬で汗に濡れていた。
脳裏には昨晩の光景――光の檻が蘇り、かけている椅子の手すりを震える手で握り締めた。
大丈夫だ。陣地には竜騎士だけではなく、数多ものメイジと腕利きの傭兵がいる。
数だけではなく質をも上回っていては、例え虚無の使い手だろうと何もできぬまま命を奪われるのが関の山だ。
そう、自分自身を鼓舞するが――

「……閣下」

「なんだ?」

震えた声を上げる副官に、クロムウェルは眉を持ち上げた。
見れば、彼は真っ青な顔でしきりに窓の外を気にしている。
瞳には軽い恐慌すら浮かび、戸惑っているのが一目で分かった。

その理由は――

「先行させた竜騎士たちが、一人残らず撃墜されました」

「……なんだと?」

たった一人のメイジに幻獣乗りが……?
戦闘に関してそれほど詳しいわけではないクロムウェルからしても、それがどれだけ異常なことかぐらいは分かる。
もしこれが真っ当な戦であれば、その功績は英雄と云うに相応しいだろう。
味方であるならこの上なく頼もしいだろうが、しかしそんな馬鹿げたことをやらかしたのは敵である。
だが、とクロムウェルは己を鼓舞する。萎えそうになる心を震わせる。
例え英雄が相手なのだとしても、圧倒的な物量に屈しなかった人間など、今まで一人として存在しなかったのだから。



























「相棒、二時の方向だ」

「見えてる」

デルフリンガーの示した方には、新たに空へと上がってくる幻獣の姿が見えた。
それを認めた瞬間、カールはカブリオレのヘッドをそちらへと向ける。
おそらくこの間合いから狙い撃たれるなどと微塵も思っていないのだろう。
上昇中の敵に、回避行動の予備動作を行っている気配はない。
ならば、とカールは足下にミッドチルダ式魔法陣を展開。
群青色の輝きが巨大なスフィアを形成すると同時――トリガーワードを呟くと閃光となって炸裂した。
狙いは端。一直線に伸びる砲撃は即座に敵を撃墜し、それを確認した刹那、カールは繊細な手つきでカブリオレを横へと薙ぎ払う。
それに呼応して振り回された砲撃魔法は射線上にいる幻獣へと次々に炸裂し、盛大な爆煙を上げながらぼろぼろと小さな影が地上へと落下した。

人は狙っていない。幻獣に乗るほどだからメイジのはず。
ならば落下してもフライで着地することは可能だろう。
幻獣乗りは安全性の問題で、騎乗出来るメイジはフライを使えることが最低限の決まりとなっている。
魔法学院で読みふけっていた書物、そこに記されていた情報を頼りに、カールは攻撃を行っている。

砲撃の終了と共に吐き出される排煙に目を細めながら、カールは眼下へと視線を流した。
敵陣地の直上とはいえ、ここまで攻撃を届ける術が向こうにはない。あるとしたらついさっきカールに撃墜された幻獣乗りぐらいだろう。
航空戦力はここで叩く。機動力を持つ敵を残していては、クロムウェルを叩くよりも先に城へと到達される可能性があるからだ。

さあ上がってこいと、カールはおもむろに地上へと威嚇射撃を放った。
威嚇とは云っても威力は人一人を昏倒させるに充分なほど込められている。
魔力が炸裂する光と狂乱の叫びが地上に蔓延する中、また空へと幻獣たちが上がってきた。

二度の砲撃を受けて流石に学習したのか、緩く回避運動を取りながらこちらへと接近してくる。
数は十五。小隊規模か。
カブリオレを一閃し十を超えるクロスファイアを傍らに浮かべると、カールは止めていた進行を再開した。
飛行しながら胸に手を当て、まだ保つ、と自分自身に言い聞かせる。
いや、保つ保たないの問題ではない。魔法を使うことそのものに問題はないのだから、ルイズたちが逃げる時間をなんとしても稼いでみせる。

一気に下降し、傍らに浮かべたクロスファイアを射出。
真っ直ぐに向かってくる魔力弾に敵は回避運動を取るも、クロスファイアは獲物を追うが如く機動を変えた。
鋭く確実に幻獣の頭部へと突き刺さり意識を刈り取る。その度に群青色の閃光が明滅する。
せめて一太刀とルーンを唱えるメイジもいたが、誰もが落下し始める幻獣に引かれ次々に落下していった。

「……もう一回釣りをやりゃあ、空での撃墜数が五十を超えるな。
 地上の入れりゃあ百は超えてるんじゃねぇのか? 呆れたもんだな。
 相棒にとっちゃ幻獣乗りはカモでしかねぇのか?」

「いや、連中が見たこともない方法で一方的に攻撃してるだけだよ、俺は。
 対処法を練られたら、もう少し手こずる」

「なるほどな。
 お、きたきた。んじゃまぁ、敵がこっちの手の内を知る前に撃墜数を稼がせてもらうとしますか」

「云われなくても」

デルフとの会話を打ち切ると、カールは再び足下にミッドチルダ式魔法陣を展開。
再びクロスファイアを生み出すと、今度はその場に停止したまま一斉に撃ち放った。
幻獣乗りたちは殺到する群青の輝きに翻弄されるだけで、カールにとってはただの的でしかない。
魔法放たれたとしても不安定な状態で狙いをつけらないのか、カールに直撃することはなかった。

ただひたすらに、航空戦力はカール一人によって撃滅されてゆく。
もし空に誰も上がってこないのならば地上へと砲撃を開始し、メイジの一団や指揮官と思われる甲冑姿の兵士を次々と昏倒させていった。
血の臭いがしない、しかし戦力が次々に削がれてゆく戦場。
あまりにも噛み合わない現実に――そして、手の出せない上空でひたすら自分たちを狙い撃ってくる驚異に、徐々にだが士気は崩壊しているようだった。
視線を巡らせば戦場から逃げ出そうとする一団が見えた。
それもそうだろう。カールは非殺傷設定で魔法を放っているが、彼らたちからすれば砲撃や射撃を受けたものが昏倒しているだけと分からない。
傷もないのに殺された――そんな風に解釈したなら、込み上げる恐怖は尋常なものではないだろう。
ただでさえ勝敗が分かり切っている戦いで気楽に構えようとしていたところに、悪夢じみたメイジが出現したのだ。
割に合わないと逃げ出す者がいたとしても不思議ではない。

「――っと、ようやく見付けたぜ相棒!
 発着場だ! 十時の方向、幻獣に搭乗を開始してる奴らがいやがる!」

「でかしたデルフ。それじゃあ――」

デルフの言葉に反応し、カールはカブリオレを腰だめに構えた。
同時に吹き上がる魔力、形成させるスフィアのサイズは今までの比ではない。
長距離砲撃、魔力ダメージのみ、炸裂効果付与、広域破壊設定――
術式の構築と共に設定を行い、終了すると同時、カールは遠く存在する敵に狙いを定めた。

「ファントムブレイザー・ロングレンジ――」

凶悪なまでに集束された砲撃は群青色であるカールの魔力光を心持ち濃くするほどだ。
カートリッジが二発炸裂し、空薬莢が宙へと排出される。
そして凝縮される魔力に周囲の大気は悲鳴を上げ、

「シュゥゥゥゥゥ――トッ!」

トリガーワードが叫ばれると同時、轟音と共に砲撃魔法は放たれた。
ファントムブレイザーの名を冠していながらも、いくつもの特性を付加されたこの砲撃はまるで別物だ。
広く使われている魔法であり、決して強力ではない砲撃魔法。ただそれだけのはずだ。
だというのにカールが持ちうる技術を注ぎ込んで改造を施したこの魔法は、凶悪なまでの効果を叩き出す。

大気を疾駆する群青の光条はそのまま地上へと突き進み、間を置かずに着弾。
瞬間、青い閃光が放たれると同時、着弾地点周囲五十メートルは群青色のドーム――魔力ダメージのみを叩き込む広域破壊の特性を解放した。
轟音と共に紫電を散らし大地を蹂躙する光輝の奔流。
それを目にしたデルフリンガーは盛大に金具を打ち鳴らし、喝采を上げた。

「ヒャッハァー!
 おいおい相棒、こんな隠し球があるなら最初から使えよな!
 豆鉄砲ばらまいていた今までが馬鹿みたいじゃねぇか!」

「……そうしないといけない理由があったんだよ」

喜びを表すデルフとは違い、カールの表情は苦渋に満ちていた。
空いた手で胸元を押さえ、頬に汗が伝う。
じわじわと胸を中心に広がりつつある苦痛に顔を歪めながらも、しかし、カールは頭を振って陣地の奥へと視線を向けた。

「……これで航空戦力は壊滅させることができたはずだ。
 地上に降りるぞ。デルフ、背後の索敵はお前に任せるからな」

「了解。文字通り、背中は任せておけよ」

デルフと短くやりとりを終え、カールはカブリオレを構えながら下降を開始する。
カールの動きをレコン・キスタも察知したのだろう。対空砲火として火の魔法が降り注ぐ中を戦術機動を駆使して駆け抜け、カールはクロムウェルの元へと急いだ。


















月のトライアングル















「今頃彼は、僕たちのために足止めを行っているのだろうね」

「……ええ、そうね」

二人が言葉を交わした通りに、カールが戦闘を開始した一方で、ワルドとルイズの二人は礼拝堂でチャンスを窺っていた。
既にルイズは光の杖を手にし、外見こそ魔法学院の制服だが、バリアジャケットを纏っている。
いつ出発しても良いようにと、既に準備を済ませていた。

カールが敵の戦力を引き付け包囲に穴が空いた瞬間を狙い、自分たちはウェールズ王子の元へ急ぐ。
戦闘が始まってからもう三十分ほどだろうか。カールが無事かどうか念話で確かめようと思いながらも、ルイズはどうしてもできなかった。

邪魔にならないだろうか。カールがマルチタスクを会得しているのは知っているものの、しかし、ルイズは戦闘というものを知らない。
だから唐突な念話が原因でカールが怪我をしたら、否、死んでしまったら――そう考えてしまっては、どうしても念話を送ることができなかった。
彼が戦場に飛び立ってから今更になって実感できた。今までは頭で分かっていたが、そう――もしかしたらカールとは二度と会えなくなるかもしれない。
それは酷く胸にのし掛かり、そしてどうやっても彼の力になれない自分が悔しかった。
……分かっている。適材適所。敵を足止めするならばカールが最も適していて、自分たちの仕事は手紙を回収すること。
そう分かっているけれど――どうしても、ルイズには割り切ることができない。

まだ出会ってそれほど月日が経っているわけでもないのに、カールと過ごした濃密な一月はとても充実していたと思う。
差し伸べられた手を取って、カールの背中を追う形でミッドチルダ式を学んで、と。
もし彼がいなくなってしまったらと考えると、まるで足下が崩れ落ちるような不安を覚える。
それは何も、自分を導いてくれる教師役がいなくなってしまうからではない。
勿論、それもあるのだが、同時にカール・メルセデスという理解者がいなくなってしまうことが、恐かった。
すべての切っ掛けをくれた彼がいなくなってしまうのは、酷く寂しかった。

ミッドチルダ式という異端の魔法と真摯に向き合えたのは、偏にカールがいてくれたからで――
そんな彼がいなくなってしまったら、自分はどうすれば良いのだろう。

「ルイズ」

「何?」

「カールは無事にこの窮地を切り抜けると思うかい?」

「当たり前だわ。先生が強いのは、教え子の私が一番よく知っているもの。
 死んじゃうなんてこと、絶対に有り得ない」

今の言葉は多分に強がりが含まれていたが、そう。カールが強いのは知っている。同じミッドチルダ式の使い手であるルイズには、そのことがよく分かっていた。
しかし生き延びるかどうかとなると――やはりルイズには、分からない。
死んで欲しくないのは確かだけれど、戦場に出たことのないルイズにはそんなことさっぱり分からないのだった。

アルビオンに向かう道中で、カールはそんなルイズの無知を幸運と云っていた。
云いたいことは分かっている。戦争なんて経験しない方が幸せなのだ。
もし実家に帰れば、家族も口を揃えてそう云うだろう。
だがそれでも、今のルイズにとって自分の無力は酷く悔しかった。

もし力があったら――
……私は、カールと一緒に戦うの?

その考えは、あまり実感の湧かないことだった。
まず力のある自分という姿を上手く思い描くことはできなかったし、もし力があったとしてもカールは決してそれを許さないだろう。
しかし、彼と一緒に戦う――そのこと自体は決して不快ではない。
否、今という瞬間、自分の無力感に心を苛まれている分、余計に強く思えた。
守られるだけは嫌というのは、勝手な言い分なのだろうか。
確かに力のない今の自分には、そんな文句すら云う資格はないけれど。
それでもいつか、立派なメイジになることができたら――

そこまで考え、貴族としての本分を思い出し、ルイズは唇を噛み締めた。
……立派なメイジが、必要に迫られたこと以外で魔法を使うだろうか。否だ。そんなことはない。
力が欲しいという渇望は確かに胸に息づいているが、今の自分はそれに振り回されかかってる。
そう自覚して、自戒するように、ルイズは手を握り締めた。

メイジの魔法はそんなことに使って良いものじゃない。
貴族の誇りが杖である。だが、力そのものが誇りであるわけがない。
今のルイズにとっては自衛手段としてしか許されておらず、そのため、何かを守るための力だという認識がより強くなっていた。
今のカールが自分たちを守るために魔法を行使しているように。そう、きっとそれが正しい魔法の使い方。
逃げることが許されない戦いで、何かを守るために戦うことが。

「……ワルド、行きましょう」

「まだだ。もう少し、カールの元へ敵を集中させてからの方が良い」

「私たちが時間をかければその分だけ、先生への危険が増すのよ?
 三人で無事に任務を達成するためにも、早く動かないと!」

「だからルイズ、云っただろう?
 三人で生還することは二の次だ。それは任務達成の次にくる目的だよ」

「確かにそうかもしれない。
 けど、両方を選び取る選択だってあるはずだわ!
 そのためにも早く動かないと!」

まだ待つと言い張るワルドに、ルイズは声を大にして抗議する。
だがワルドは呆れのような色を表情に浮かべると、溜息を吐いた。

「ルイズ。君は戦場を知らないからそんなことを云えるんだ。
 損耗を気にしていては、何も手にすることはできないよ。
 確かにカールを囮にしたことは僕だって心が痛むさ。
 だが、それとこれとは別だ。既に作戦が始まってしまった以上、手紙回収へ意識をむけるべきだ」

「そうかもしれないけど……!」

貴族でありつつも軍人であるワルドと、貴族とは云っても学生でしかないルイズではやはり違うのか。
こうなってしまった以上、どうあっても任務を完遂しようとするワルドと、三人揃っての任務完遂を願うルイズではやはり認識に齟齬があるようだ。
ワルドの考え方は正しいのかもしれない。それはルイズにだって分かっている。
だがそれでも、必要な犠牲だ、と割り切れるほどカールはルイズにとって軽い存在ではなかった。

魔法を与えてくれ、導いてくれ、ルイズが問題を起こすことがあっても見捨てず、一緒に魔法との付き合い方を学んでいこうと云ってくれた彼。
そんなカールがいなくなってしまうとは思えない。思いたくない。
彼がいなくなってしまったら、自分はどうすれば良いのだろう――そんな不安さえ浮かんでくる。
まだ教えて欲しいことがたくさんあるのに、離ればなれになんてなりたくなかった。

けれどカールを助ける術をルイズは知らない。
一秒でも早く自分たちが古城を出て安全圏まで退避し、カールを離脱させることが最上だと思っている。
だがワルドは限界までカールに負荷をかけ、自分たちの離脱を確実なものにしようとしている。
事この時にいたって、ルイズは自分がお飾りの大使でしかないことを強く思い知った。

「……この任務から帰ったら」

「ん?」

「私、今まで以上に先生から魔法を学ぶわ。
 そうして、今回みたいな足手まといから卒業する。
 一人前にはほど遠いって分かってるけど……何もできないのは、嫌だもの」

「そうか……」

まるで何かに宣誓するように呟くルイズだが、しかし、ワルドの表情はどこか愉快げですらあった。
不意に、ワルドはルイズの肩へと手を乗せる。

「なぁルイズ。一つ、教えてくれないかな?
 時間つぶしのちょっとした雑談だ」

「……何?」

時間潰し、という一言にルイズは眉尻を上げながらも、大人しくワルドの話に耳を傾けた。

「君はレコン・キスタの聖地奪還に対して何を思う?
 ああいや、レコン・キスタをルイズがどう見ているかは渓谷で聞かせてもらったよ。
 ただそれとは別に、ブリミル教徒として聖地の奪還をどう思うのか……とね」

ワルドに問われ、ルイズはやや迷いながらも口を開いた。

「……お父様の受け売りだけど、今のトリステインには戦争なんてことをしている余裕はないらしいわ。
 伝統や格式を重んじるって風潮は素晴らしいと思うけど、一方で低下しつつある国力から目を逸らしちゃならない、って。
 今やるべきことは、小国なりに、戦争をしかけたらただじゃ済まないと侵略を躊躇わせる軍の整備……って。
 うん、確かにそうだと思う。聖地の奪還は、まずトリステインに余裕ができてからなんじゃないかしら」

「ああいや、違うんだよ。
 云っただろう? ブリミル教徒として、とね」

「……あまり気は乗らないわ」

やや小さな声で呟かれた言葉は、ルイズの本心だった。
今までは遠い世界の出来事のように思っていたが、今は身近な出来事として戦争はルイズのすぐそばにある。
そしてこんな――たった一人の身近な人間が戦場に立っているだけでこんな気分になってしまうのなら。
そして自分と同じような気持ちを抱く人間がたくさん出てしまうのならば、聖地を奪還する必要などあるのだろうか。
ブリミル教徒としては始祖ブリミルの遺言に従い聖地を奪還するべきと分かっているが、間違っていたとしても、一人の人間としてルイズはそう思っていた。

「……つまり、自分の力はやはり聖地奪還に使うべきものではない、と思っているんだね?
 彼と同じように」

「え?」

「なぁルイズ、考えを改めてみないか?
 そうだ。君は立派なメイジになりたいと、小さな頃からずっと云っていただろう?
 もし聖地奪還を君の力で成功させることができたのなら、それは立派なメイジであることの証明になると思うんだがね」

「……酷い勘違いだわ。
 そんなものを、私は立派なメイジとは云わないわよ。
 少なくとも、私はそう思う」

「何故だい?
 始祖が奪還を願った土地だ。それを取り返す聖戦に参加し、力を振るえば、貴族としての立場も保証される。
 そこに間違いはない」

「……確かに、そうね。そうかもしれない。
 けれどねワルド。私は、ただ戦争に参加することが貴族の誇りであるとは思わないわ。
 ……そう。そうなのよ」

ワルドに声をかけながらも、ルイズは同時に己の価値観を見詰めていた。
戦場にて他の誰よりも先頭に立ち、自らの身を危険に晒すことは高貴な行いと云われている。
が、それはそれだ。確かに立派な行いではあるのだろう。
だがルイズは、ただ戦いたいのではない。力を誇示したいわけではない。

そうだ。自分は何かを守り、守られた人が安心できるような、胸を張って自分を誇れる人間になりたい。
力も心も強い人間に――そう。ひょっとしたらそれは、今も戦場で自分たちを守るために戦ってくれているカールのような。

「……ルイズ。君がどんな価値観を抱いているのか知らないけれど、一つ云っておくよ。
 君がどれだけ気高く、力を持っていようと、誰かに認められない限り価値などないよ」

「違うのよ、ワルド。私は誰かに認めてもらいたいわけじゃないわ。
 ……確かに、認めて貰えたらそれはとても素晴らしいことだと思う」

ルイズの脳裏には、家族とカールの顔が浮かんだ。
自分の背中を押してくれる者たちに認めてもらい、祝福してもらえたら、それはどれだけ嬉しいだろう。
けれど、

「誇りは誇示するものじゃないって思うの。
 自分だけが胸に秘めた決意を理解していれば良い。
 それをさも素晴らしいことのように外へと見せびらかすのは、間違っている。
 だから良いのよ。私、聖地の奪還になんて興味はないわ」

ルイズが己の考えを口にした瞬間、ワルドの声、その質が変貌した。
柔らかさを含んでいたそれは、一気に陰気で平坦に。ルイズの肩に置かれた手は痛いぐらいに握り締められ、ルイズは顔を顰めた。
やめて、と、そう云おうとして――

「聖地奪還に少しでも執着があるのなら話は別だったが……。
 残念だよ、ルイズ」

さよなら、と呟かれた瞬間、ワルドは腰に下げられた杖を引き抜き、即座に形成した風のブレイドをルイズ目がけて突き出した。
身動きの取れないルイズは、背後からそれに刺されるしかなく、切っ先が服を引き裂き――
ルイズが身に纏うバリアジャケットが術者の危険を察知してリアクターパージを起動。
バリアジャケットを構成する魔力が一気に破裂し、ルイズはそのまま吹き飛ばされた。

聖像の土台に背中を強かに打ち付けたルイズは苦悶に表情を歪めながらも、手放さなかった光の杖を支えに立ち上がる。
そして即座にバリアジャケットを再構成すると、ブレイドを纏った杖を構えるワルドへと視線を向けた。
未だ混乱の渦中にいるものの、幾度と繰り返した反復練習が実を結び、ルイズはバリアジャケットの構築を忘れなかった。

「な……何をするの?」

意味が分からない。リアクターパージが発動したのは、バリアジャケットの耐久性を越えた――要は直撃すれば致命傷を受けた場合に限る。
そして何故ワルドが唐突にそんなことをしたのか分からなくて、ルイズは瞳を揺らしながら問いかけた。
だが彼はルイズの問いに応えるつもりがあるのかないのか。

くつくつと笑みを漏らしながら、服を叩いて埃を落とした。

「流石。やはり不意打ちは聞かないか。
 カールに試さなくて良かったよ。運が悪ければ、俺の裏切りはあの渓谷で露呈していた可能性もあったわけか」

僕から俺へと、ワルドは人称を変えた。
まるでそれは仮面を脱ぎ捨てる禊にも似て、彼は穏やかだった表情をかなぐり捨てる。
そうして現れた顔つきには、不敵なまでの自信が滲んでいた。

だがルイズには、それが分からない。
どうしてワルドが急にそんなことをしたのかが、さっぱり分からない。
いや、思考が追い付いてないだけなのかもしれない。
だってそうだろう。今まで味方だった人間が唐突に牙を剥いて――しかもその人は自分の婚約者で、幼馴染みで。
本当にどうしてと、言葉を口にする余裕すら失っていた。

「君が知るべきことは何もないぞ、ルイズ。
 何も知らぬまま、どうか、この場で俺に殺されてくれ」

云いながら、ワルドは杖の切っ先をルイズへと向ける。
それと同時にルーンが紡がれ、大気が鳴動を開始した。

やっぱり間違いなんかじゃない。
リアクターパージが発動したのは、やはりワルドが自分を殺そうとしたからだ。
それを自覚した瞬間、混乱は一気に烈火の如き怒りへと転化した。
未だ分からないことは多いし、混乱も完全には退いていない。
しかしそれらを凌駕する怒りが、思考を纏め上げた。

「あなた――何をしているのか分かっているの!?
 意味が分からないわよ! 私たちはこれから、ウェールズ王子の元へ行かなきゃならないのに!」

「まだ分からないとは察しが悪いな。
 まぁ良い。君はここで死ぬべきなんだ。
 安心するが良いさ。人形になっても、カールの側にいさせてやる」

言葉を挟み、そしてワルドはルーンを完成させた。
瞬間、風が不可視の刃となってルイズへと肉迫してくる。
咄嗟にルイズは光の杖へと魔力を送り込み、プロテクションを展開。
甲高い擦過音を響かせて、礼拝堂の床を盛大に砕きながら、風の刃は破壊を撒き散らす。
だがルイズは歯を食い縛ってそれをやり過ごすと、燃えるような視線をワルドへと叩き付けた。

「……私を殺すつもりなのね?」

「見て分かるだろう?」

「冗談!」

叫びを上げて射撃魔法を構築しようとし――ルイズは唇を噛み締めた。
完全に頭に血が上っていながらも、やはりついさっきまで強く思っていたからだろう。
違う。今の自分がすべきことは戦いじゃない。こうして足を止めている間にも、カールは危険に晒されている。
どうすれば、と視線を彷徨わせ、カールに口を酸っぱくして云われたことが脳裏に蘇る。

敵に襲われたら戦おうなんて考えちゃいけない。防御を整えて、脇目もふらずに逃げるんだ。

声が聞こえたわけではないもののルイズは頷き、飛行魔法を発動させると宙に浮いて、背後のステンドグラスへと視線を投げた。
防御魔法を展開してガラスを突き破り外に出て、そのまま王子の元へ。
自分に刃を向けたワルドの真意は分からないし、絶対に許せないが、それはそれだ。
こんな風に時間を潰している内にも、カールはずっと戦っている。
だったら自分がこんなところで――

「良いのか? 君がここから逃げれば、俺はカールの元に行くぞ。
 あの数を相手にしているんだ。消耗した頃合いを見計らって戦えば、さて、どうなるだろうな?」

その言葉に、ルイズは動きを止めた。
ただでさえ決して楽じゃない戦いをしているカールの元に、風のスクウェアを向かわせるだなんてことは――できない。
ここから逃げ出さなければならないと分かっているのに、同時に、カールに無理をさせたくないとも思ってしまう。
頭では分かっているけれど――

「……卑怯よ」

ステンドグラスと同じ高さまで上がり、あとは外に出るだけという状況で、ルイズは再びワルドの方を向いた。
握り締められた光の杖は細かく震えている。だがそれは決して、恐怖が原因ではない。
もう彼の足手まといになんかなりたくないのに、それを強要するワルドが、どうしても許せないからだった。

「卑怯よ! 卑怯だわ!
 裏切るだけじゃなくてそんなことまで――あなたには貴族の誇りがないの!?」

「とうの昔に捨て去ったよ。
 そんなもの、今の俺には一ドニエの価値すらないんだ。
 誇りなんて、犬にでも食わせれば良い」

「……そう」

小さく呟き、ルイズは僅かに顔を俯けた。
先ほどまでの憤怒はなりを潜めて――いない。
限界を突破した感情は頭を一瞬で沸騰、極限の集中力へと変わり、その元凶たる人間だけが視界に残る。
ワルドに光の杖を向けながら、ルイズは鋭い眼光を向けた。

「……ねぇ、ワルド。一つ教えて。
 あなたは最初、足止めを自ら買って出たわね。
 あれも演技だったの?」

「当たり前だろう。
 そんな馬鹿げたことをする奴がいるなら、それはただの自殺志願者だ」

「……私たちは、都合良く操られていたわけね。
 それじゃああなたは、レコン・キスタの人間だったの?」

「一つ教えて、と云ったのは君だぞルイズ」

もはや問答無用とばかりに、ワルドはルーンの詠唱へと移った。
ルイズはそれを冷え切った目で眺めながら、先の言葉を脳裏で転がし、胸中でうねる激情がより勢いを増す。
……カールは自殺志願者なんかじゃない。危険だと分かっていながらも、自分ならそれができる――そして自分たちを助けるために進んで囮役を引き受けてくれた。
例えワルドが図っていたことだとしても、彼が進み出たことは善意で――その行いをルイズは気高いと思っているのに、ワルドはそれを小馬鹿にする。
下らないと思っているのだろう。命を張って戦う彼を愚かだと嘲笑しているのだろう。侮蔑すらしているかもしれない。

自分たちを罠に嵌めた上、貴族の誇りを踏みにじり、最後にはカールと自分を侮辱して――絶対に、

「絶対に許さない……ッ!」

叫びと同時にルイズの足下にはミッドチルダ式魔法陣が展開し、魔力弾が三つ浮かび上がる。
使用する魔法はシュートバレット。デバイスの補助を得て今までよりもずっとスムーズに魔法を構築すると、ルイズは怒りと共にそれを撃ち出した。


























元は豊かだった草原は、野火によって焼き焦がされていた。
もくもくと上がる黒煙と熱波が、人を拒絶している。
レコン・キスタの野営地であった場所は炎に包まれ、テントや放置されていた装備が次々と炎に呑まれていた。
その中をカールはゆっくりと進む。
身に纏っているバリアジャケットと展開しているファイアプロテクションが熱波を防ぎ、こんな状況でも彼は動くことができていた。

この炎はカールが放ったものではない。
カールが地上に降りたのを目にしたメイジがファイアーボールを誤射して火が立ち、そのまま焼き殺せと次々に火の魔法が放たれた結果だった。
炎の海を進むのはカールにとっても決して楽なことではないが、しかし、このまま上昇すれば魔法で狙い撃ちにされるだろうことは想像に難くない。
そのため飛行を諦め徒歩でカールはレコン・キスタの陣地を突き進んでいた。

「……もうそろそろだな」

呟き、カールはカブリオレのヘッドを持ち上げると、おもむろに砲撃魔法を前方へと撃ちはなった。
その威力と衝撃で、火の海が真っ二つに割れる。
炎のカーテンが吹き飛ばされて、その向こうに現れたのは一つの屋敷だった。
元はアルビオン王党派のものであったとされる家だが、しかし今はこの戦いの指揮所となっているらしい。
その情報をここに向かう途中で兵士を締め上げ聞き出していたカールは、迷い無く一歩を踏み出し―― 一気に駆け出した。

カールの動きに反応して、四方から魔法が次々と殺到する。
風の魔法をラウンドシールドで防ぎ、火の魔法を射撃魔法で相殺し、土の魔法を宙に浮くことで無効化して、水の魔法をバリアで弾き飛ばす。
そうして空いた一拍の間――ルーンの詠唱を経なければ魔法を放つことはできないため、連射は不可能。
その上、敵は今の一斉放火でカールを殺そうとしたのだろう。追撃は弓矢などの原始的な質量兵器のみだった。
直撃コースの弓をカブリオレで弾き、掠る程度のものは無視する。バリアジャケットに傷をつけることすらできない攻撃など気にする必要はない。

防御行動を取りながらもカールは僅かに上昇し、この場に存在する兵士をざっと見渡すと、

「――アルタス、クルタス、エイギアス」

足下にミッドチルダ式魔法陣を展開し、二十を超えるフォトンスフィアを形成した。
更に数を増やすことも可能だったが、今は詠唱速度を重視したためこの数となっている。
カートリッジを使おうかと迷うも、却下だ。既にここへくるまでにマガジンを一つ消費している。
数に限界がある以上、使用せずに済むのならば可能な限り使わないよう気を付けていた。

瞬くフォトンスフィアを目にして悲鳴と共に逃げ出そうとする者が出るが、遅い。

「フォトンランサー・ファランクスシフト」

詠唱完了と共にマルチロックを終わらせ、群青の光が盛大に瞬くと共に、射撃魔法の嵐が吹き荒れた。
最優先で狙いをつけたのはメイジ。次は近接武器を持った傭兵。弓兵は刈り尽くしたあとで余裕があったら、だ。
フォトンランサー。取り柄は弾速ぐらいで、一発一発は決して強力ではない射撃魔法だが、この魔法の発展型としてファランクスシフトというものが存在している。
カールが浮かべたフォトンスフィアは、銃口を意味していた。二十を超える銃口が一斉に火を噴き、その上連射を行うという暴挙。
それはたった今カールの受けた斉射を、たった一人で行うことに等しい。

フォトンスフィアが一度瞬く毎に、一人のメイジが倒れてゆく。
中には防御を行う者もいたが、それも第二射によって昏倒させられた。
けたたましい音と共に次々と群青の瞬きが敵を食い破る。
そしてフォトンランサーが役目を終える頃には、視界内に動く者はいなくなる。
カールは額の汗を拭い、荒く息を吐きながらカブリオレを地面へと突き立てた。

氷結付加。威力は最弱で――そう設定し、広域拡散させた砲撃魔法を撃ち放つ。
それによって燃え広がっていた野火は一気に消失し、後に残ったものは焼け焦げた草原に数多の人間が怪我もなく倒れ伏す不可思議な光景だった。
いや、怪我ならしているかもしれない。カールが消火活動をする前に倒れ伏した者が火傷を負っていても不思議ではないのだ。
だが、そこまで気にしている余裕はない。
バリアジャケットの胸元をキツく握り締め、苦痛に顔を歪めながら、カールは身を起こした。
そして、

「封鎖結界……!」

血を吐くようにトリガーワードを口にし、瞬間、クロムウェルがいる屋敷が隔離される。
結界魔法が正常に機能したことを確認すると、カールはカブリオレをロッドフォームからワンドフォーム、片手杖へと変形させ、背中のデルフリンガーを引き抜いた。

「お! ついに俺の出番……か……?」

待ちに待った出番がきたと声を上げたデルフだが、勢いの良かった言葉は尻すぼみとなる。
そして思案するように金具を上下させると、なぁ、と声を漏らした。

カールはデルフに視線を落としながらも、歩みを止めない。
足を進めて結界内に入ると、周囲を警戒しつつ屋敷の敷居を跨ぎ、真っ直ぐに進んで屋敷の中へと侵入した。

「なんか相棒の様子がおかしいとは思ってたが……相棒、お前、ヤバくねぇか?
 上手く云えねぇけど、精神力を溜める器にヒビが入ってるっていうか……」

「だとしても、ここで動きを止めるわけにはいかない。
 それに、今のところは痛みを感じるだけで魔法の使用に問題はないんだ」

ドアを潜ると、視界が開けた。
入り口から正面の階段へと真っ直ぐに伸びる絨毯を踏みしめながら、カールはエントランスを進む。

「ガンダールヴのルーンを発動させてるのに痛みを感じてんだぞ!?
 並大抵の苦痛じゃねぇぞそれは!」

「大丈夫。水の秘薬は持ってきてある。
 ルーンの効果が切れる前に飲む――」

そこまで云った瞬間、カールはバックステップを。
一拍おいてカールが立っていた場所へと、ファイアーボールが突き刺さる。
見れば、上階からメイジがこちらへと杖を突き出している。
舌打ちしつつそれを認めると、更にステップを踏んで狙いを外し、壁に向けて跳躍。
足を着くと共に移動魔法ブリッツアクションを発動させ、三角飛びの要領で上階に上がると、着地と同時にデルフを構え疾駆した。

カールの姿を目にしたメイジは、防御するように杖を横に構える。
一気に間合いを詰めて杖を両断、カブリオレの石突きを鳩尾へと叩き付け気絶させると、再びステップを踏む。
直後、カールが立っていた空間を水のマジックアローが薙いで壁を粉砕した。
振り返ればそこには三人のメイジがおり、一斉攻撃を行わず、一人一人が隙を埋めるように順次詠唱を行っている。

「デルフ!」

「おうよ!」

それだけのやりとりを経て、カールはメイジに目がけて駆け出した。
接近を許さないとばかりにウインドブレイクが内装を破壊しながらカール目がけて接近するが、突き出したデルフがそれを吸収する。
魔剣デルフリンガーの特性、魔力吸収。防御するでもなく魔法を掻き消した――ように見えた――暴挙にメイジたちは一瞬動きを止め、カールの接近を許してしまった。

一気に距離を詰めたカールは刃の腹で一人の側頭部を殴り飛ばし、次に蹴りを別の男に繰り出して流れるようにカブリオレをぶち込み、体勢を整えると最後の一人へ峰打ち見舞った。
それぞれを一撃で気絶させると、肩を上下させながらもカールは歩みを再開した。
息は荒い。脂汗はびっしょりと顔に張り付いて、湿った前髪は額に張り付いていた。
たった一人で敵の拠点に乗り込むことが簡単なわけがないが、それ以上に胸の激痛という重荷が彼にはある。
カール自身が口にしたように、魔法のキレと体捌きに影響はないようだが、土気色ですらあるカールの顔を見れば、疲弊していることは一目瞭然だろう。

だがそれでも、カールは歩みを止めない。
一秒でも無駄にしている時間はない。早くクロムウェルを見つけ出し、そうしたらすぐにでも敵の足止めへと戻らなければならない。
敵の数はカールの予想を遙か上回っていたが、それを理由に膝を屈することはできなかった。
深々と息を吐き、カールは目についたドアを蹴破り部屋を確認して回る。
不意打ちのように現れる敵を撃退しながらも、クロムウェルを探し続ける。

正直なところ、カールにとってこの任務で脅かされているもの――トリステインへの興味はさほどなかった。
確かに友人であるオスマンやコルベールがいる国が侵略されるというのは目覚めが悪いし、たとえ世界が違うのだとしても民間人が戦火に巻き込まれるのはいい気がしない。
だが、それはそれだ。余所の世界の都合に首を突っ込むほどカールは傲慢ではない。
ならば何故今戦っているのか――それは偏に、教え子であるルイズを守りたいからだった。

だからこの戦いの目的はレコン・キスタの壊滅などではない。
オリヴァー・クロムウェルに虚無を諦めさせ、ウェールズの元へルイズが安全に到着できるよう時間を稼ぐ。
その二点さえこなすことが出来たのならば、もうルイズを脅かすものはなくなるだろう。

自分をこの世界へと呼び出した少女。
彼女には本当に複雑な感情を抱いている。
ミッドチルダに帰ることもできないような異世界へと呼び出した恨み辛みは鳴りをひそめたものの、消滅したわけではない。
痛く苦しい現状と相まって、関係ないと逃げ出したくなる感情は確かにあった。

だが同時に、若さ故かそれとも彼女の気質か――ルイズが口にする立派な貴族。その存在と、それを目指そうとする彼女を眩しく思っているのもまた事実だった。

だから導きたい。守ってやりたい。
きっと彼女を正しく育て上げることができたのならば、自分と同じストライカーになってくれるような気がして――

一つ、また一つ、とカールは部屋を確認してゆく。
そうして再び扉を蹴破って――瞬間、火の魔法が自分へと殺到してきた。
デルフを構えて間に合うか否か。即座にカールはプロテクションでの防御を選択すると、沈静化しつつあった胸の痛みに顔を歪め、しかし動きを止めずに踏み込む。
だが、一度は弾いたと思った火の魔法は再び集い、カールへと矛先を向けた。
ファイアー、違う、フレイムボールか。誘導式の火球をデルフで吸収すると、今度は真横から放たれた殺気に反応して床を転がった。
カールの選択が正しかったと示すように、柔らかな絨毯へと振り下ろされた剣が突き刺さる。

舌打ち一つの後にデルフをメイジへ、カブリオレを剣士に向けると、カールは射撃魔法をそれぞれに放った。
だが剣士はそれを剣で防ぎ、メイジは身を翻して回避する。手練れか。
カブリオレを向けられこちらの動きを探っている剣士に背を向け、カールはメイジへと狙いを絞った。
絨毯を蹴りつけて一気に距離を詰めると、デルフを大上段から振り下ろす。
だが返ってきた感触は硬いものだった。杖に何かを仕込んでいるのか、デルフを叩き付けられた杖は折れることもなく残っている。
それなら――と背後にプロテクションを張り剣士を牽制すると、カールはカブリオレに魔力刃を形成した。
片手杖から伸びる魔力刃は長く、その長さはデルフに匹敵する。
唐突に現れた光の刃に困惑したのか、メイジの動きは止まった。
対してカールはデルフで鍔迫り合いをした状態で、躊躇いもなく魔力刃をメイジの胸に突き立てる。
非殺傷設定でも、刃で刺し貫かれたという実感はるのだろう。かは、と吐息を漏らして、メイジはその場に倒れ伏した。

すぐに刃を引き抜き左足を軸にして、カールは振り返る。
剣士は距離こそ詰めているものの、やはりプロテクションを警戒していたのだろう。
剣を構えた状態で静止し、こちらの出方を窺っていた。

砲撃魔法で一気に――という選択肢が脳裏に浮かぶも、却下だ。
射撃や防御だけでも負荷がかかっているというのに、砲撃など使えば一気に消耗してしまう。
そう。これは魔法を使えば使うほど激痛に苛まれる呪縛のようなものだった。

だがそれを言い訳にしてここから逃げ出すことなど言語道断で――

「はぁぁぁぁあっ!」

裂帛の気合いと共に、カールは剣士との間合いを詰める。
まず振るったのはカブリオレの方だ。切り上げられた切っ先に対し、剣士は受け流そうと思ったのか、僅かに構えを変える。
だが――魔力刃と剣がぶつかり合おうとした瞬間、カールはカブリオレへ回していた魔力をカットした。
その結果起こることとは刃の消失だ。受け流す体勢を取っていた剣士は予想していた斬撃に対して僅かに力んでいたため隙が生まれ――

残っていたデルフリンガーを袈裟に振るい肩口に叩き付け、再構成した魔力刃で剣士を引き裂く。
傷こそ生まれないものの、痛みは実際に身を引き裂かれたものと同じだ。
更に魔力ダメージによって剣士の意識は奪い取られ、その場に崩れ落ちる。

それを眺め、カールは部屋の奥へと視線を向けた。
もう一つの扉が残っている。もしかしたら――という期待を胸に、カールは重い足取りでそちらへと向かった。
この部屋に入った瞬間、奇襲されたこともある。
やや迷いながらもカールは射撃魔法で扉を吹き飛ばすと、ようやくクロムウェルの顔を目にすることができた。

クロムウェルの隣にいる、おそらく副官であろう人物が杖を差し向けてくる。
が、その切っ先は震えていた。構えを見て戦い慣れていないのだろうと当たりを付け、射撃魔法を撃ち放つ。
先ほどの手練れと比べれば酷くあっさりと崩れ落ちた兵士を一瞥すると、カールはクロムウェルに向けて歩き出した。

「あ……あぁ……!」

口をわななかせながら、クロムウェルは体を震わせていた。
何をしているのだろうか。右腕を持ち上げ、必死にカールへと突き出している。
カールが疑問に首を傾げると、カブリオレが魔力反応を検出した。
だがそれはクロムウェル自身ではなく、彼が持ち上げた右手、その中指にはめられている指輪からだ。

マジック・アイテムか何かだろうか――そう思いつつ警戒しながら、カールは足を止めた。

「オリヴァー・クロムウェルだな」

名を口にし、デルフリンガーの切っ先を彼へと向ける。
刃物という物々しい凶器を目にしたからだろうか。クロムウェルは怯えを表情に走らせ、即座に頭を下げ、

「すまなかった……!」

唐突の謝罪にカールは目を瞬き、言葉を失ってしまった。
云うべきことはあるはずなのに、あまりにも潔い反応にこっちが困惑してしまう。
だがカールはすぐに気を引き締め直すと、鋭い眼光をクロムウェルへと向けた。

「何を謝っているのか知らないが、俺はお前に話があってここへきた。
 簡単なことだ。お前は俺と俺の生徒を虚無と思っているようだが、それは誤解だ。虚無などではない。
 だからもう付け狙うな」

云いながら、カールは足下に魔法陣を展開した。
構築する魔法は射撃魔法。設定は物理破壊。だが、込められた魔力は少なく、精々が直撃しても人一人を殺す威力には遠く及ばない。
その不出来な魔法をクロムウェルの机へと放ち、木片が飛び散る中で、凄みを聞かせながら口を開く。

「……もっとも、虚無云々は関係なしに強大な力をただ欲しているだけだというのなら」

「分かっている! もう狙わない!
 で、出来心だったのだ! 強大な力さえあればアルビオンを手に入れられると……!」

「現状でもうアルビオンを墜とすには充分な戦力が揃っているだろうよ。
 欲深すぎたな。もう二度と俺たちを狙わないと云うならば――」

再び射撃魔法を撃ち放ち、机に穴が穿たれる。
着弾の音が甲高く響く中、カールは溜息を吐いた。

「見逃してやろう。話はそれだけだ。
 お前はお前のやりたいように、戦争でもなんでもしていれば良い」

「ああ、分かった! 始祖に誓う!」

始祖に誓って――ブリミル教の司教がそれを口にすることには、大きな意味があるはずだ。
この任務にカールたちが赴いたことも、アンリエッタが手紙にウェールズとの愛を始祖の名の下に誓ったからである。
教徒である彼女が行ったことにさえそれだけの拘束力があるのならば、ウェールズの言葉は信頼するに値するだろう――

そう思ってカールが踵を返した瞬間だった。
唐突に身体の自由が奪われる感覚に襲われると同時、デルフを握った左手が勝手に跳ね上がった。
そして勢いのまま強引に背後を振り向けば、そこには確かに昏倒させたはずの副官が立ち上がっており、こちらに杖を向けている。
魔力ダメージで一度昏倒した者が立ち上がるなんて――それこそ専用の治癒魔法を使わなければ有り得ないことだ。
そしてハルケギニアでは怪我を治す魔法こそ発達しているものの、純魔力ダメージを取り払う手段は存在していないはずなのに。
加えて、立ち上がった副官には気配というものを感じ取ることができない。意思とも云うべきか。殺気も何もかもがなく先の行動を予測できない不気味さがあった。

「あ、あぁ……」

そしてクロムウェルは、絶望を目に浮かべながらガタガタと身体を震わせる。
カールを納得させて隙を産み、今の一撃で葬ろうとしたのだろうか。
確かに惜しいところではあった。バリアジャケットがあるため、死ぬことはなかっただろうが。

「……助かったよ」

咄嗟に身体をジャックし、放たれた魔法を吸収したデルフへと礼を口にする。
デルフは気にした風もなく金具を上下させると、声を放った。

「気にすんなよ、相棒。
 取り敢えずはあの指輪を狙え。奴がそれを向けた瞬間、あいつは跳ね起きやがった」

「分かった」

やはりあの指輪はマジック・アイテムだったか。
そう納得すると同時に、苛立ちを乗せてカールはクロムウェルを睨み付けた。
彼はたじろぎ、まるで命よりも大切なのだと、指輪を逆の手で包み、窓際へと逃げ退る。
だがそれを見逃すつもりはない。歯を食い縛りながら魔法陣を展開すると、リングバインドを発動。
まずは右足を光の輪で拘束し、体勢を崩したクロムウェルは左腕を突き出して転倒を避けようとする。
が、次はその左腕を。そして開かれた右腕を拘束し、カールはカブリオレを差し向けた。

そしてカブリオレの先端にスフィアを形成するとカートリッジを二発ロードし、巨大な魔力弾を形成。
慌てふためくクロムウェルを見据えながら、カールはトリガーワードを呟いた。

「シーリングシュート」

砲撃魔法の形を取って放たれた封印の光は指輪に直撃し、群青色の瞬きが指輪を覆い尽くす。
シーリングシュートとは、稼働しているロストロギアにそれを上回る魔力で強制停止をかけ、機能を沈黙させる魔法だ。
それによってクロムウェルが指に通っていたマジック・アイテム、リングに填め込まれている宝石は色を失った。

それと同時に、こちらの様子を窺っていた副官がその場に倒れ伏した。
一体何が――と目を見開いたカールだが、クロムウェルのわめき声によってすぐ正気に返った。

「何を――何をしたんだ!?
 私の指輪に、一体何を!
 これがなければ、私は……!」

「黙れ。
 オリヴァー・クロムウェル。お前、始祖の名を持ちだした誓いを破ったな?
 殺されたいのか? そういう意味を込めて、俺はお前と約束したはずなんだけどな」

「す、すまなかった! 咄嗟のことで動転してしまったんだ!
 約束は絶対に守ると誓う!
 それよりも、なぁ、頼む! 私の指輪を……!」

「……指輪?」

あのマジック・アイテムにどんな能力があったのか――どうしてもそれが気にはなったが、構っている場合ではない。
話を聞き出すことは決して無駄ではないだろうが、あの状態のクロムウェルを落ち着かせるとなると時間がかかってしまうだろう。
カートリッジを二発も使用して放った封印は強力だ。ミッドチルダ式の心得がない者では解呪することは不可能に近いだろう。
ならば――と喚くクロムウェルを無視して、カールは踵を返した。

部屋を出て先の手練れたちがいた場所に戻ると、何故か二人は血を流しながら絶命していた。
カールが行った攻撃は、純魔力を使用した非殺傷設定――それで人が死ぬことなど有り得ない。
未熟な魔導師ならばまだしも、そんな初歩的なミスを犯すほどカールは間抜けではなかった。
ならばどうして、と思考が凍り付くも、今は古城に戻ることが先決だ。

クロムウェルが自分たちに再び手を出すかどうかは怪しいところだが、おそらくは大丈夫だろう。
自分自身の力で何かを成そうという性格ではないことは、この短いやりとりでよく分かった。
その上でこうも戦力を蹂躙されたとあっては、同じ目に遭うことを畏れ牙を剥いてくることはないはずだ。

「……急いで戻ろう」

「ああ。しっかし相棒、山場は越えたんだし、ここからは少し楽に……」

「いや」

デルフの言葉を青い顔で否定しながら、カールは胸元をきつく握り締めた。
じくじくと広がっていた痛みは、既に突き刺さるような激痛へと変貌している。
ルーンを使っていてこの状態なら、武器を手放した瞬間、自分はどうなってしまうのだろうか。

考えたくもない、と頭を振ると、額の汗を拭いながら、カールはうんざりした口調で呟いた。

「……ここからだよ」


























礼拝堂の中では、破壊の嵐が吹き荒れていた。
それは比喩ではなく事実として、ワルドの放つ風の魔法がルイズを襲っているからだった。
風の刃、槍、それらをルイズが防いだ結果として、質素ながらも小綺麗に造られていた礼拝堂は荒廃の一途を辿っている。
並べられていた長椅子は吹き飛び、へし折れ、残骸となって脇に退けられている。
ブリミルの聖像は粉々に砕け散り、同じく割り砕かれたステンドグラスからは陽光が差し込んでいる。

その中でルイズは飛行魔法を維持しながらもプロテクションを展開し続け、ひたすらにワルドの攻撃に耐えていた。
いや、耐えているのではない。耐えるしかないのだ。

「どうした、ルイズ。君の身体に流れる虚無の血が、情けないと泣いているぞ。
 俺の攻撃を耐え続けるのは確かに見事だろうが、それだけだ。
 いつまでも守りを固めているだけでは、どうにもならん」

「黙りなさい!」

咄嗟に怒声を返すが、ルイズとてワルドの意図は分かっている。
ルイズが守りを固めているのは確かだが、ワルドもまた、ルイズの守りを突破できていないのだ。
千日手の様相を見せ始めているこの戦場――さきの挑発は、ルイズから冷静さを奪おうという思惑があったのだろう。
それだけは駄目だと自制し、ルイズは足下にミッドチルダ式魔法陣を展開した。
形成する魔法はシュートバレット。宙に浮かんだ魔力弾は即座に加速され、ワルドへと撃ち放たれる――が、それが直撃することはない。

ワルドは軽くステップを踏むと射撃魔法を回避し、再びルーンを唱え始めた。
まただ。ルイズの攻撃は、どうしてもワルドには届かない。
ワルドの攻撃を防ぎ、ルイズが攻撃する。が、避けられる。今まで行ってきたのはこれの繰り返しだ。

どうして当たらないのか、最初、ルイズにはその原因がさっぱり分からなかった。
弾速は決して遅くない。デバイスの助けを借りているため、練習の時より形成も射出速度も雲泥の差と云って良い。
ならば当たらないのは何故か――簡単な話だ。一言で云うならば、ワルドに隙がないからだった。
否、それは正しくない。正確には、ルイズがワルドの隙を見付けることができない、ということが正しいのだろう。
如何に強力で早い魔法といえど、その射出タイミングを見切られては回避されてしまう。
それも誘導弾ではなく直射型ならば尚更だ。ただ真っ直ぐに飛んでくるだけの弾など、避けるならば魔力弾でも鉛玉でも大差はない。

幾度も幾度も同じことを繰り返し、ルイズはやっと自分でそのことに気付くことができた。
だが、問題の解決策にまでは至らない。これの原因となっているのは、致命的な実戦経験不足と、カールから戦闘技術そのものを学んでいないことが影響している。
ルイズが教え込まれた知識と技は、そのすべてが逃げと守りに特化している。射撃魔法を教えられているとは云っても、それはあくまで蛇足に過ぎない。
ルイズが行えることはあくまで時間稼ぎ。誰かが助けに来てくれるまでの時間を稼ぐことだけ。
だが――今この場には、頼れる人はいない。
カールはいる。けれど決して頼れない。そんなこと、絶対にできない。
もしワルドの裏切りを念話で伝えれば、絶対にカールはこっちに向かってきてくれる。そんな確信がある。
そしてワルドを倒し、ルイズというお荷物を抱えたまま包囲網を突破してウェールズ王子の元に辿り着くだろう。

けれどやっぱり、それだけはしたくなかった。

この戦いに巻き込んだのは私。婚約者であるワルドの裏切りを見抜けなかったのも私。死地に赴く彼を止められなかったのも私。
例えワルドの思惑が背後にあり、彼が自分たちの動きを操作していたのだとしても――どうしても罪悪感を覚えてしまう。
ワルドを絶対に許せないと思う一方で、すべての責任をワルドへ転嫁することなどはできなかった。
自分の他力本願な姿勢がこんな事態を招いたのだという自覚があるから――だからせめてワルドぐらいは、この場で食い止めておきたかった。
……本当は倒したいけれど、その方法が分からない。

「さて……ルイズ。君の守りが強固であることは理解した。
 フライを使いながらそこまで魔法を使えるのも、見事だと思う。
 だが、底が浅いな――落ちろ!」

ワルドが一喝すると共に杖を振り上げると同時、ルイズの真下へと空気の渦が発生した。
それは僅かに逆巻くと、一気に勢いを増し直上にいるルイズへと伸びてくる。
ストーム。竜巻を形成する魔法だ。

ルイズは咄嗟に飛行魔法へと魔力を送り離脱を図るが、駄目だ。
逆巻く大気の流れから脱しようと全力で抵抗するも、徐々に引き込まれ、弾き飛ばされた。
上下感覚すら失う中でプロテクションの展開だけは忘れなかったが、何か――墜落すると共に壁に激突し動きを止めた瞬間、猛烈なまでの嫌な予感が走った。
咄嗟に目を開けば、眼前には集束する大気の渦――エア・スピアーが三本、形成されていた。
即座にルイズはラウンドシールドを展開し、エア・スピアーはシールドへと激突する。
桃色の魔力光は強く光を放つ――が、拮抗したのは僅かな時間だけだった。
殺到する風の槍はギリギリと擦過音を上げながらシールドを食い破り、刺し貫く。
そして今度はプロテクションに激突し、今度こそ威力を失った。

が、壁に背中を預けた状態で攻撃を防御し、生じた衝撃を逃がすことができなかったため、ルイズは咳き込む。
失敗した。形状を考えれば、エア・スピアーが貫通生に優れた魔法だって分かり切っていたのに。
それなのに平面にしか展開されない防御魔法で対抗すれば、破られたっておかしくない。カールがやればまだ違ったかもしれないが、これがルイズの限界だった。

けれど――

「まだよ……!」

まだ負けてないと、ルイズは声を張り上げる。
そうだ。まだ負けていないし、負けるつもりはない。絶対に負けてはいけない。
精神論でこの局面がどうにかなるわけではないし、カールが助けにきてくれるとこの期に及んで甘えているわけでもない。
ただひたすらに――諦めてしまってはすべてが終わると、分かっているからだ。

だが飛行魔法で再び宙に浮こうとしたルイズに、ワルドが跳躍し接近してくる。
掲げた杖には風が渦を巻き、ブレイドが形成されている。
避けるか守るか――やはり防御だ。そう選択して再びラウンドシールドを展開。
袈裟に振るわれた刃を今度こそ正しく弾き、ルイズは飛行魔法を――だがそれを許さぬと、次々に刃が振るわれる。
歯を食い縛りながらルイズは防御を続け、どうすれば良いのか必死に考えを巡らせる。

勝算は確かにゼロに近いのかもしれない。攻撃という攻撃は一切通じない。
博打を打ってひたすらに連射を――という考えがないわけではなかったが、それはただの自棄に等しい。
何かこの状況を切り開く術は――そう考え、濃く疲れの滲んだ息を吐いた。

初めての実戦で緊張が続いているせいか、もう消耗しつつある。体力はしっかりとつけたはずなのに。
加えて、ここまで魔法を使い続けていれば疲労が蓄積しても不思議じゃない。
魔力だけならまだまだ余裕があるのかもしれない。だが目減りする体力と、そして集中力が切れる寸前であることは確かだった。

攻撃をしても当たらない。守りに徹し続けるのも長くは保たない。逃げ出すことはできない。
ならば自分がするべきことはなんだろうか。決まっている。攻めることだ。
守り続けてはいずれ気の緩みを突かれて負けてしまうかもしれない。こうして今、地上に引きずり下ろされているように。
では逃げるとなると、やはり駄目だ。そんなことは許されていない。
ならば戦ってワルドを倒すことが最上――でもどうすれば良いのだろうか。

戦いの中で徐々に経験を積んでいるルイズだが、、しかし、実力そのものが上がったわけではない。
手元にある技術だけで勝負するしかなく、しかし、ルイズの攻撃は悉くが見切られる。
ワルドの隙を見付けることができない。ならば、どうすれば――

不意にルイズは唇の端を僅かに持ち上げた。
それは自嘲。戦いのイロハを知らないルイズには、ワルドの隙を見付けることなどできない。
だからどこまで行っても、今の自分には無様な戦い方しかできないだろうから。

けれどそれでも良い。
頭に浮かんだ一つの作戦。ルイズは迷いなく、それを選択する。
危険を冒すなとカールに教え込まれたというのに、また自分はそれを破ろうとしている。
本当に自分は悪い生徒で――ちゃんとカールに叱ってもらわないと。
負けてしまったら叱られることすらできない。もう一度、どんな形でも良いから彼の声を聞きたい。
だからここでワルドはなんとしてでも倒す。倒して、カールの敵を一人でも減らす。

もう一度会いたい――その気持ちが疲労によって鈍り出していた身体に活力を与え、ルイズは迫るブレイドの軌道を見切った。

ワルドのブレイドがラウンドシールドに叩き付けられた瞬間を狙い、バリアバーストを発動。
それによってワルドは――そして未だ姿勢制御を完璧にできていないルイズは逆方向に吹き飛ばされる。
椅子や外壁の破片が散らばる床をごろごろと転がりながらも、ルイズはすぐに身を起こした。
ワルドも同じように杖を構え、戦闘続行の意思を見せる。

彼が動き出そうとした瞬間を見計らい、ルイズは口を開いた。

「……本気を出しなさいよ、ワルド」

「……何?」

震える声で向けられた台詞に、ワルドは眉を顰めた。
が、ルイズはそれに構わず、やや強ばった不敵な笑みを浮かべ、言葉を続ける。

「それとも、これが本気なのかしら?
 風のスクウェアって云っても、ドットの私すら倒せないでいる……。
 ああ、そうね。何も不思議なことはなかったわ」

「……何を云っているんだ?」

言葉を返すワルドの顔には、小さな笑みが浮かんでいた。
だがそれは、決して機嫌が良いわけではなく、むしろ怒りの前兆であろう。
しかしルイズは言葉を止めない。狙い通りと、先を口にする。

「風のスクウェアと云っても、あなたは裏でコソコソするのが好きなんだものね。
 それこそ、正面から戦えばドットを倒すことができないから。
 閃光の二つ名、返上したら? あなたに光は似つかわしくないと思うの」

「ほぅ……」

ワルドは顔に浮かんでいた微笑みを消し、完全な無表情へと変わった。
そしてグリップが悲鳴を上げるほどに杖を握り締めると、それをルイズに向け――
力むその瞬間を狙い、ルイズは土壇場でトリガーワードを破棄した射撃魔法を撃ち放った。
宙に生まれた桃色の弾丸は一発だけ。それが限界。だが完成度は高く、不意打ちならば避けられないであろう速度でワルドに向かい――

「――舐めたな、俺を」

振り上げた杖で魔力弾を切り払い、怒りの滲む獰猛な笑みを浮かべる。
そして杖の先端をルイズへと差し向け、舌打ちを一つ。

「見よう見まねの挑発で隙を作ろうとしたのか?
 小手先だなルイズ。良いだろう。そんなに見たいというなら、文字通り目に焼き付けろ。
 風のスクウェアの力を――!」

ワルドが咆吼を上げると同時、ルーンが礼拝堂に響き渡った。
その詠唱から放たれる魔法は、ライトニング・クラウド。
殺傷能力という点では火の系統にも負けない程の威力を秘めたスクウェアスペル。

ワルドには分かっていた。ルイズの挑発が何を誘っているかを。
操ろうと思っているからこそ、ワルドはルイズという少女を相応に理解している。
あの子は聡い。だからこそこの状況を打破する一手として、おそらくは――

だが、と彼は口角を釣り上げる。
彼女に唯一の誤算があるとするならば、それは我が魔法の凄まじさを過小評価したことだ。

一語一区が紡がれる度に、大気に紫電が走り、オゾン臭が立ち上る。
何かが爆ぜる音は徐々に数を増し、盛大なまでの合唱を奏で出す。

――そして抜刀が起きる。雷の剣が抜き放たれる。

白光が礼拝堂に満ちてゆく中、ルイズは光の杖を握り締め、じっとそれを見据えていた。
……お願い、先生。私を守って――

ルイズの呟きが声になるよりも早く、縦横無尽に雷は走り、その先にいるルイズへと直撃する。
凄まじい光と音を撒き散らしながら、爆音が礼拝堂、否、古城そのものを揺るがした。
もうもうと上がる粉塵に、ワルドはくつくつと笑い声を上げる。
婚約者に対する最後の礼儀として、せめて綺麗な姿で殺してやりたかったが、これではそれすら叶うまい。

「ハハ、ルイズ、君が悪いんだ。
 要らぬ挑発などするから、醜い亡骸を晒す羽目になる」

死体を確認するために、未だ立ち上がる煙へとワルドは一歩を踏み出す。
が、その足取りはどこかおぼつかなかった。当然だ。今のライトニング・クラウドは、ワルド本人ですら会心の一撃と思えるほどに凄まじい威力だった。
それに比例して相応の精神力を使用しており――

「う……ゲホッ」

「……何?」

有り得ない。言葉そのものを表情で表現したかのように、ワルドは目を見開く。
有り得ない。あの一撃を受けて死なないメイジなどいるはずがない。そのはずだ。
なのに今聞こえた咳は、間違いなくルイズのもので――

「あっ……うう、私ってば実はドジなのかしら」

有り得ないと分かっているのに、気楽さすら含む声が聞こえるのはどういうことだ。
自分の力に絶対の自信を持っているからこそ、今の一撃を耐えるとは思わず――致命的なまでの隙を、ワルドは晒していた。

そうして、煙が晴れる。
粉塵の向こう側では焼け焦げたルイズの死体があるべきだ。
だのに姿を現したのは、服こそ焼け焦げ、敗れているものの生きているルイズの姿であり、

「まあいいわ。今度はこっちの――番よ!」

『Phantom Blazer』

彼女が腰だめに構えた光の杖が、桃色の閃光を放った。
本来ならばルイズが知らない砲撃魔法。だが光の杖に記録されていたそれを、ルイズは使用したのだ。

肉迫する桃色の、光の矢。
ワルドは咄嗟にルーンを唱えると、風の防壁を展開した。

「直撃――だが、耐えきる!」

それはルイズの放つ砲撃魔法と拮抗する――が、防御の上からでも魔力ダメージが叩き込まれる。
砲撃魔法を放つルイズもまた、この一撃で戦闘の流れを変えるべく、魔力を光の杖へと一気に注ぎ込んだ。
結果、本来ならば照射時間がそう長くはないはずのファントムブレイザーは力強さを増し、ワルドの防御を削り続ける。
だがワルドもこれの直撃を受ければどうなるかなど理解している。絶対に凌ぎきると歯を食い縛り――

砲撃が止むと同時、全身にのしかかる苦痛に耐えながらも、彼は震える手で杖を持ち上げた。
だが――視界の隅で明滅する桃色の光に目を見開き、頭上を見上げる。
そこにはいつの間にか飛行魔法で宙に浮き、足下にミッドチルダ式魔法陣を展開するルイズの姿があった。

「隙を晒したわね」

「くそ……!」

そう。つまりはそういうこと。
ルイズの狙いは安い挑発などではなかった。
挑発によってワルドが大技を使い、消耗しきるその瞬間こそを待っていた。
そのためにはライトニング・クラウドの直撃を耐えきらなければならないという条件があったが、しかし、ルイズには自信があった。
カールに教えられた防御魔法。託された光の杖。そして、ワルドの攻撃を耐え続けたことから生まれた自信が。
それらが全て繋がり、この瞬間を生み出していた。

ワルドは回避行動に移るべく跳躍しようとするも、しかし、それは突如現れた光の枷によって阻まれる。
最初に右足を。次に左足を拘束され、ついには両腕までもを封じられ、その場に貼り付けにされた。
だが杖だけはまだ握り続けている。まだ勝敗が決したわけではないと、ワルドはエア・スピアーの詠唱を開始した。

それに対してルイズは光の杖を槍のように構えて矛先をワルドへと向けると、前面にプロテクションを展開する。
そうして桃色の魔力を吹き上げ、飛行魔法にそれを注ぎ、倒すべき敵を見据えた。

「これで……終わりよ!」

叫びと同時、注がれた魔力が爆発するように噴出し、加速を得てルイズはワルドへと突撃する。
放たれたエア・ニードルをものともせずに弾き飛ばし、両者の距離は一気に縮まった。
そうして――桃色の障壁がワルドに激突し、バインドの拘束能力を超えた衝撃によって、ワルドは錐揉みしながら吹き飛んだ。
床をバウンドし、陥没させながら粉塵を巻き上げ、転がりながら地面に倒れ伏す。

地面に降り立ち、肩を上下させながら、ルイズはワルドへと視線を注ぐ。
お願い、もう立たないで……そんな弱音にも似た考えすら浮かぶ。
正真正銘、ファントムブレイザーから続いた一連の猛攻は、ルイズの全力全開だったのだ。
体力は既に底をつきかけ、今は魔力すら危うい。まだワルドが立つというのなら、本当に為す術がなくなってしまう。
全身全霊を賭けた一撃は命すら奪いかねないほどで、立ち上がるわけがないとすら思う。
だが敵は風のスクウェア。言葉の上ではああ云ったものの、ルイズが勝てたのはワルドがシールドブレイクやバリアブレイクを知らなかったからだ。
もし真っ当にやりあったら絶対に勝てない相手だった。そして、そんな相手を軽く見るほどルイズはおめでたくはない。

これで駄目だったら、本当にもう手の打ちようがない。
だからお願い、もう――その願いは通じたのか、横たわったワルドはぴくりとも動かなかった。
だが、ルイズが安堵した瞬間、まるで大気に溶け込むようにして消えてしまう。

……まさか、偏在だったの?
肩透かしと、あの強さで偏在だったという恐怖に、ルイズは身を強ばらせる。
もしワルドの本体がどこかに隠れているのなら、もう戦う術など残っていないルイズは、ただ殺されるしかない。

光の杖を胸に抱いて、せわしなくルイズは礼拝堂の中に視線を巡らせる。
だがその中に動く影はなく、ほっと胸を撫で下ろした。
それでも払拭できない不安を抱いて、ルイズは壁際までふらついた足つきで向かうと、背を預けて座り込んだ。

勝った――けれど、その事実に充足感など微塵もない。
次に自分がやるべきことは、いや、もともと自分がやるべきことは、王子の元へ向かうことだった。
それなのに満身創痍のルイズには既に余力が残っておらず、魔法を使う体力も魔力もゼロに近い。
僅かに残った気力を振り絞り、カールへと念話を送ろうとするが――何を云えばいいのだろうと、困ってしまう。

情けなくて仕方がない。カールは自分たちを信じて戦ってくれているのに、結局、その期待を裏切る形になってしまった。
だというのにどんな言葉を彼に云えば良いのだろう。もう戦う必要はないから戻ってこい? まさか。そんな彼の頑張りを踏みにじるような台詞は、口が裂けても云えなかった。
しかし、ならば何をカールに云えば良いのだろう。
それがさっぱり分からなくて、ルイズは縋るように光の杖をかき抱いた。


























「はあぁぁぁぁぁああ……ッ!」

血を吐くような叫びと共にカールは傭兵の頭部を掴み、側にあった木へと後頭部を叩き付けた。
それによって痙攣し動きをとめた傭兵を、そのまま放り投げる。その先には剣を構えた兵士がおり、仲間が飛来してくるという状況に目を見開いて動きを止めた。
そうして、激突する。動きを止めた二人へと接近し蹴りを叩き込んで、坂から転落させた。

カールが現在戦っている場所は、古城の下に広がっている森林だった。
なだらかな勾配の上に立つカールと、昇ってくるレコン・キスタの兵隊たち。
カールは徐々に防衛線を後退させながらも、ずっと戦い続けていた。

敵の配置はこの場に降り立つ前に展開したエリアサーチによって把握している。
が、それが今のカールが使っている唯一の魔法だった。カブリオレは既に待機状態へと戻している。
無論バリアジャケットは展開しているが、それ以外は使っていない。
もう、それだけの余裕が彼には残っていないのだ。

燦然と光り輝くルーンに、鍛え上げられた技術。それだけを頼りに彼は戦い続けている。

まだ最初は良かった。
魔法を使用しながらの戦闘はクロムウェルの元へ向かった時と同様に敵を圧倒していたが、しかし、それにも限界はくる。
魔力も体力も残っていたが、しかし、胸を襲う激痛が耐えられないレベルにまで深刻化していた。
痛みを耐えることで気力は削がれ、集中力は落ちてゆく。その穴を埋めるために魔法を使って――それは完全な悪循環だった。
短期戦ならばそれで良かったかもしれないが、今は先の見えない防衛戦を続けているのだ。
ルイズから念話が届かない限り、ここを退くことはできない。
もし一人でもここを突破してルイズの後を追うようなことになれば、危険が生じてしまう。それだけは避けたかった。

確かに密命を受けたのはルイズかもしれない。
だがレコン・キスタに狙われる原因を作ったのはカール自身だ。
ならばその責任を果たすためにも。そしてルイズを守りたいからこそ、この場から退くことはできなかった。絶対に。

「相棒、気をしっかり持て!
 火の魔法がくるぞ!」

デルフの声によって我に返ると、カールは空に視線を移した。
そこには雨のようにカール目がけて落下してくる火の魔法が数多に存在している。
ルーンの力によって強化された身体能力でステップを踏み、直後、爆撃が起こったかのような揺れと轟音が林を揺るがせた。
一瞬で火は広がり、パチパチと木々が爆ぜる。
引かれた炎のカーテンの向こうからは、三発の火球が飛来してきた。
正面、右、左。各一発。左右のそれぞれは弧を描く軌道を取っており、これがフレイムボールだと察することができた。

「デルフ!」

「二発だけなら吸い込める!
 こっちぁもうパンパンなんだよ!」

二発。その縛りを聞いた瞬間、カールは身体を右へと跳躍させた。
ジャンプしたカールを目がけて火球は軌道を返る。一発、二発、とデルフで切り払いつつ吸収し、三発目が飛来した瞬間、カールは木を蹴りつけて再度跳躍した。
結果、カールに当たるはずだったフレイムボールは狙いを違い木へと直撃する。
それを認めカールは着地すると、デルフに身体の主導権を明け渡した。
デルフがカールの身体を動かすために必要なエネルギーは、魔法を吸収した量に比例する。
そしてもうデルフのキャパシティが限界だと云うならば、こうして消費しなければ能力を使用できない。

火が灯ったエリアから離脱しつつ、デルフに操られるカールは力強く地を蹴り疾駆する。
そうして次の一団を目にすると、距離が詰まった瞬間にデルフから主導権を返してもらい、ジグザグにステップを踏みながら接近した。
次々に放たれる魔法を回避しながらデルフの腹で傭兵の兜、その側頭部を叩き昏倒させる。
剣を振り上げて斬りかかろうとする者に当て身を食らわせ体勢を崩すと、蹴り飛ばす。
瞬間、殺気を感じて振り返ると、そこには拳銃を構えた三人の兵士がいた。
僅かな恐怖を覚えながらも、躊躇せずカールは突撃する。降り注ぐ銃弾はバリアジャケットに弾かれ――だが、再構成を行わず主人を守り続けた防護服は、それで消滅した。
しかしそれに構わずカールはデルフを踊らせ、次々に兵士を昏倒させてゆく――が、最後の一人を昏倒させた瞬間、横合いから飛んできた突風に吹き飛ばされた。
デルフの叱責が飛ぶも間に合わない。カールは背中から木に叩き付けられ、痛みと呼吸の停止により意識が暗転しかける。
が、

「まだだ……!」

渇を入れて鋭い眼光を瞳に宿すと、カールは追撃として叩き込まれる魔法をデルフで切り払った。
一閃、二閃、と続けながら前進してメイジとの距離を詰め、峰打ちで次々と昏倒させてゆく。
まるで風のように駆け抜けながら、カールはひたすらに敵を排除してゆく。

敵の姿が視界から消えると、デルフを杖のように地面へと突き立てながら、カールは呼吸を整え出した。
ゼィゼィと上がる吐息は、まるで壊れたエンジンのようだった。身体は休息を求めている。

「……相棒」

そんな相方に何を思ったのか、デルフは躊躇いがちな声を上げた。

「もう良いじゃねぇかよ。
 すげぇって、本当。ここまで戦えた奴は今までのガンダールヴにもいなかった。
 認めるよ。だから、もう良いじゃねぇか。相棒がここで死ぬのは無駄でしかねぇ。
 娘っ子だって絶対悲しむ。お前、先生なんだろ? 娘っ子と一緒に学院に戻れよ、もう。
 依頼なんて良いじゃねぇか。そもそも無理難題を言いつけた姫様が悪いんだ。
 無理でした、って云っても、なんら恥じるこたぁねぇよ。
 もしなんか云われたって、自分のケツを他人に拭かせて文句を云う方が間違ってんだ」

「……それはあまり、関係ないな。
 最初の方はともかく」

呼吸を整え終えたカールはデルフを地面から引き抜くと、明後日の方向へと視線を投げた。
視界には木々が映るのみだが、エリアサーチには侵入者の反応がある。ならば戦わないといけない。
己を鼓舞して、カールはゆっくりと歩みを進め出した。
そしてやや躊躇い、表情を歪めながらバリアジャケットを再構成する。
魔力は極力使いたくはないが、バリアジャケットの有無は命に関わる。無視することはできなかった。

「トリステインがどうこうとかは、本当に興味がないんだ。
 あるにはあるけど、俺には関係がない。関係しちゃいけない。
 王国の未来をどうこうってのは、子爵とルイズの問題だ。
 ……そう。俺の問題はあくまで、教え子を守ることなんだよ」

「だから、娘っ子を守りたいなら、魔法学院に戻れば良いじゃねぇかよ!」

「守る、ってのは直接的な意味だけじゃないんだよ、デルフ。
 そうだ。それだけだったら、どんなに楽か――」

呟くカールの脳裏には、お人好しの管理局員たちの顔が浮かんでいた。
ただ問題を解決するなら容易い。しかし時空管理局とは災害や人災から人を守るだけではない。
それも立派な仕事だが、違う。命があっての物種という言葉があるが、しかし命しか残らないようでは、人の心は折れてしまう。
家族、財産。そういったものを可能な限り守り抜き、人々を笑顔のままでいさせることこそが管理局員の本分だ。
危険に直面した人の心を救う――絶望の中でも希望を見い出させることこそが本質なのだ。

そしてそんな局員の中でもストライカーと呼ばれるカールには、それが身に染みて分かっていた。
ストライカーとは管理局員として人々を守ると同時に、仲間の心すら救う存在である。
ただその人がいるだけで万事上手くいく――そんな希望を抱かせる唯一無二のエース。
それが尊いものであると、カールは信じている。その根底には彼が想いを寄せている女性の影響があるのは確かだが。
優しく、強く――そんな彼女に追い付きたくて、彼女が大事にしているものを自分も大事にしたいから。

そして、そんなカールだからこそ、ルイズを守ってやりたい。
ストライカーとして。そして更に、教師として。
損得なしに、あの子の行く末を見守りたい。
そして、あの子が胸を張って生きてゆくには、きっとこの任務は成功させなければならないはずだ。

もし失敗してトリステインが危機に晒されたら、ルイズは一生自分のことを責めるだろう。
それだけはいけない。あってはならない、とすら思う。
あんなに真っ直ぐな子に影を落としたくはない。

「……けれど戦う。だから俺は戦うんだ」

「……そうかい。なら、最後までやり遂げりゃ良いさ。
 精々見守ってやるからよ」

「ああ、頼む」

ケッ、とデルフは忌々しそうに吐き捨てながら、金具を打ち鳴らした。
その様子に苦笑しながら、カールは見えてきた追加の敵に目を細める。
だが志を再確認しようと、消耗した身体が復活するようなことはない。
魔法をデルフで引き裂き、敵を昏倒させながらも、やはり疲労は蓄積し、受け損なった魔法によって傷が刻まれてゆく。
しかしそれでも尚カールは歯を食い縛り、剣を握った。

まだだ、まだ戦える――決して強がっているわけではなく、自分の限界を知っている闘争者として意思を燃やしながら。

――その時、だった。

『……先生』

『ルイズか!?
 今、どこにいる? 王子の元にはたどり着けたのか!?』

不意に届いた念話へとマルチタスクを割いて、戦い続けながらもカールは返事をした。
が、怒声に近いカールの声とは正反対に、ルイズからの念話の色は沈み込んでいる。
一体何があったのか――まさか既に城が陥落していたのでは、と最悪の予想をするも、それは裏切られた。
それが良い方向か悪い方向かは、微妙だったが。

『……その……ごめんなさい。
 ワルドが私たちを裏切ってて、私、それに気付けなくて』

『子爵が裏切った?
 ルイズ、どういう……』

『ごめんなさい……!』

説明を要求するカールの言葉に対し、ルイズはひたすらに謝り続けるだけだった。
プライドの高い彼女がどうしてそこまで――と疑問が生じるも、彼女の声によってすぐに理解できた。

『まだ私、古城にいるんです。
 ワルドの偏在はなんとかしたんですけど、もう、動くことができなくて……。
 先生、もう逃げてください! これ以上戦う必要なんてありませんから!』

……ああ、そうか。
ルイズが謝っている理由はワルドの裏切り、それを見抜けなかったことも含まれているのかもしれない。
だが最大の理由は、おそらく、未だ古城に残っているということだろう。
まるで今までの戦いが無駄だったと云われたようなものだ。ルイズが逃げ出すまでの時間を稼ぐ戦いだったのに、ルイズは逃げ出していなかった。
そしてこの任務がどれだけ大事なのかは、カール以上にルイズはよく分かっている。
だというのに王子の元へ向かう余力すらない状況に悔しさを覚えているのだろう。

……もしかしたら彼女が念話を送ってきたのは、状況説明以外にも、誰かに責められたいという願いがあるからなのかもしれない。
ルイズは真面目だ。一月と少しだが、教師として接してきたカールにはそれがよく分かっている。
そんな彼女だからこそ、任務をまともにこなせていない現状に満足できず、納得できず、誰かに罰して欲しいと思っているのかもしれない。

それらはすべて推測だが、おそらく、あまり外れてはいないだろう。
ルイズという少女は愚直なほどに真っ直ぐな子だから。
そんな彼女が自分を責めているというのなら――

「……相棒?」

呆然とした声をデルフが上げる。
次いで、今まで薄ぼんやりとしか光っていなかったガンダールヴのルーンが、強烈なまでの光を放った。
今まで、最低限以上には能力を解放しなかったルーンが。

「……はっ、なんだよそれ。
 戦場で抱く感情が"慈愛"だって?
 それも、こんなに強烈な――」

デルフの声さえ遠い。胸の痛みは完全に消滅し、疲労も何もかもが吹き飛んだ。
軽く地を蹴れば弾丸の如く身は跳ね、一瞬で敵との間合いが消滅する。
峰打ち――では駄目だ。今の状態ではそれですら殺してしまう。
そう理解しているカールは、デルフの腹でこの場にいた兵士を一瞬で叩き伏せると、くつくつと笑い声を上げた。

「デルフ。ルイズから念話があった。
 どうやらあの子は、まだ古城に残っているらしい」

「ふーん。それで?」

「攻め込むぞ。
 指揮官を倒し、圧倒的な力を見せ付けて士気を崩壊させ、撤退に追い込む。
 協力してくれるな?」

「別に。俺、剣だし。勝手にしろよ」

心底呆れ果てたような声を上げるデルフに苦笑すると、カールは一気に坂を駆け下りだした。
目指すはこの先に展開しているであろう陣地。そこを強襲し、敵を撤退に追い込む。
ああ、これほど戦い甲斐のある戦場は久々だ――そんな気持ちを抱きながら、カールは敵陣へと切り込んだ。























砲撃音が鳴り響く空の下、古城への坂道を登りながら、カールは振り返った。
高台となっているここからは、上空ほどではないにしろ周囲の地形を一望することができる。
開けた視界の中、空には十隻を超える空中戦艦が浮かんでいた。
それはひっきりなしに地上への砲撃を加え続けている。

カールがルーンの力を頼りにレコン・キスタと戦っている途中に、あの戦艦は突如出現したのだ。
砲撃が加えられている場所は、一度はカールが足を踏み入れたレコン・キスタの本陣である。
止むことのない轟音と立ち上る黒煙は、レコン・キスタの本陣が壊滅的な打撃を受けているであろうことを察しさせた。
今のレコン・キスタにとって航空戦力は驚異そのものだ。竜騎士と主力をカールによって壊滅させられた今、彼らに対抗手段は存在していないだろう。
あったとしてもまとまった戦力ではないため、戦艦に戦いを挑むことは不可能に近い。

故に負け戦と察したのか、カールと戦っていた者たちは我先にと蜘蛛の子を散らすように逃走して行った。
勝つ自信はあったものの、危うかったのは事実だ。
信じられないほど都合の良いタイミングで訪れた展開には疑いすら抱きそうだが、今はそれで良い。
なんとかカールは己の役目――尤も、敵を撤退に追い込むのは要求された以上の戦果である――を終え、任務の続行は可能となった。
消耗は些か激しいため、いくらか休まなければならないだろうが、それでも最悪の事態だけは回避できただろう。

「……呆れたぜ。
 運が味方したとはいえ、本当に敵を撤退まで追い込みやがった」

「本当にな。
 ところでデルフ、撃墜スコアはどんなもんだ?」

「数えてねぇよ、馬鹿らしい」

「そうか」

そんな風に軽口を叩きながら、カールはようやく坂を登り切り、古城にたどり着いた。
閉じてしまっている正門を無視し飛行魔法で上階に降り立つと、そのまま中へと入ってゆく。
階段を下り、廊下を歩いて、そうして、礼拝堂へとたどり着いた。

扉を押す――が、上手く開かない。鍵がかかっているというわけではなく、建て付けが悪くなったような手応えだ。
手で押しても駄目なら、とカールは躊躇いもなく扉を蹴破り、広がった光景に眉根を寄せた。

出発前までは埃こそ積もっていたものの荒れていなかった礼拝堂は、まるで台風か地震でも起きた後のように破壊し尽くされている。
無事に残っている長椅子は一つもなく、床はところどころが砕け散って陥没し、ブリミルの聖像は砕け、ステンドグラスは粉々。
いっそ清々しいほどの壊しっぷりだ。一体何があったのかと視線を巡らせ、壁際で足を抱えているルイズを見付けた。

彼女は膝に顔を埋めたまま、光の杖をまるで縋るように抱き締めている。
扉を蹴破った時点でカールがきたことには気付いていたのだろう。ルイズはじっと視線を注いでくるが、口を開くことはなかった。

カールはルイズの側まで歩いてゆくと、彼女の隣に腰を下ろして、同じように壁へ背中を預けた。
落ち着いた瞬間、どっと疲れが押し寄せてくる。ともすればこのまま眠ってしまいそうなほどの睡魔に襲われながらも、なんとか言葉を発した。

「……子爵と戦ったのか?」

「はい」

肯定の意を返したルイズは、しかし誇ろうとはしなかった。
沈痛な表情を浮かべたまま、光の杖を抱き締め続けている。
いじけているわけでも、拗ねているわけでもない。強いているなら自虐だろうが。それも微妙に違うだろうが。
どんな言葉をかけるべきか――そう考え、カールは苦笑した。
探すほどにバリエーションがあるわけではないのだから。

「無事で良かったよ」

「……え?」

「戦った甲斐があったってもんだ。
 ルイズが子爵に負けていたら、俺はいつまでも戦い続けて、その内に包囲されていただろうしね」

「……違います。
 そもそも先生が戦う必要なんて、なかったのに……どうして逃げてくれなかったんですか?
 私が悪いんです。ワルドの裏切りを見抜けなくて、先生を孤立させて……」

「仕方ないさ。誰が子爵を疑えるんだ。
 魔法衛士隊の隊長で、姫殿下に信頼されていて、君の婚約者で。
 確かに今思えば怪しいところがいくつもあったけど、裏切り者って看破できるほどじゃない。
 できる方がおかしいんだよ」

「でも……」

それでも私は、とルイズは未だに責任を感じている。
無事に済んだんだから気にするな――そんな言葉じゃ、ルイズは納得しないだろう。
ルイズは気高い。気高くあろうとするからこそ他者にもそうあれと要求する。
それの良い悪いはともかくとして……そんな彼女だからこそ、自分のミスが許せないのだろう。
高いプライド。ルイズのそれはただの傲慢ではなく、自分を磨き続けようという向上心の表れだ。
だからこそ簡単に自分を許すことなどできはしないか。

……これは、二週間前にルイズが学院で起こした模擬戦騒ぎに通じるところがある。
自分に非があると分かっているから彼女は罰を甘んじて受け入れようとしていた。
そして今も、それを待っている。
今のやりとりの通り、仕方ないの一言で彼女が納得することはないだろう。
美徳を裏返せば欠点となるように。

まったく仕方のない――そんなルイズに微笑ましさすら覚えて、気付けば、カールは彼女の髪をぐしゃぐしゃと撫でていた。

「ちょ、先生、やめてください!
 いきなりなんですか!?」

「仕方がないと納得できないのなら、もう二度と同じ轍を踏まないよう気を付けろ。
 今回みたいに上手くいくとは限らないんだ。強くなりなさい。
 その反省が、今回の罰だ。
 勿論、強くなれというのは、力を指して云っているわけじゃない。
 それに、全部を疑ってかかれと云っているわけでもない。
 似たような困難と対峙したとき、決して屈しない強い人間になれってことだ。
 分かるか?」

「……なんとなく」

「なら、良いさ」

カールは手を止め、荒れたルイズの髪を僅かに整えると、全身から力を抜いた。
やはり今回の戦いは堪えた。激痛に耐え続けた精神的疲労は、今まで感じたこともないほどだ。

「……それにしても疲れた。
 トリステインに帰ったら、少しはゆっくりしたいな。
 まぁ、気が早いか。まだ任務が終わったわけじゃないんだし」

だからだろうか。ついついそんな軽口が口を突いて出て、ルイズは呆気にとられたように目を瞬くと、苦笑した。
苦笑はそのまま微笑みへと変わり、くすくすと小さく声を上げて彼女は笑う。

「疲れた、で済ます辺り、先生はやっぱりすごい人だわ」

「……それ、褒めてる?」

「褒めてます。
 ……でも、そうですね。
 私も少し疲れました。考えたいこともあるし……そうだ、先生。
 トリステインに戻ったら、ヴァリエール公爵領にきませんか?
 学校があるからあまり長くは滞在できませんけど、旅の疲れを取るぐらいなら大丈夫だと思います」

「……ルイズの実家か」

やはり今回の件は、ルイズの両親に話した方が良いだろう。
一応はアンリエッタ姫に伺いを立てた方が良いだろうが、駄目と云われることはないだろうし。
オスマンでさえ今回の件は知っていたのだ。ならば保護者にだって、知る権利はあるだろう。
が、それとは別に、エレオノールにミッド式の存在を明かしたのと同じく、ルイズの家族にもそれを教えなければならないか。
カールにとっては、そちらの方が気が重い。

が――今回は、ルイズの提案を素直に受け入れよう。

「もてなしは期待しても良いのかな?
 頑張った使い魔に、それぐらいのご褒美があっても良いと思うけど」

「もう、茶化さないでください!」

ようやくいつもの調子が戻ってきたのか、ルイズは唇を尖らせながら、うらめしそうな目を向けてきた。
悪い悪い、となだめると、カールは疲れのこびりついた身体に鞭打って立ち上がった。

「バカンスの話は、取り敢えず任務をこなしてからにしよう。
 少し休んだら王子の元に再出発だ」

「はい」

カールは手を差し出し、ルイズはカールの手を掴んで立ち上がろうとする。
が、やはりワルドとの戦いで疲れが限界に達しているのだろう。
腰を浮かせた彼女はそのまま座り込んでしまい、手を引っ張られてカールは倒れ込んでしまった。

咄嗟に壁へと手を突いてぶつかることだけは避けるが、その結果、まるでルイズを襲おうとしているような構図になってしまう。
が、ルイズが声を荒げるようなことはなかった。
不思議そうに二人は目を瞬くと、ひそやかに声を上げて笑い合う。

どちらもボロボロ。そんな状況がなんとも可笑しかった。

すぐそばにいるカール。
彼から漂ってきた臭いが鼻を突き、ルイズは苦笑する。
汗と、血と硝煙。ルイズは戦場の香りというものを知らないけれど、きっと今のカールに感じるものがそれなのだろうと思う。
本当に彼は戦い抜いて、そうして、自分の元に帰ってきてくれたことが、彼を近くに感じてようやく実感できた。
それが嬉しくてたまらない。こうして再び言葉を交わせたことを、感謝したい。

カールが死んでしまうかもしれないと考えた時に生まれた、色の見えない不安感が、今は微熱のような感情へと変わっている。
どこか温かくて、幸せと云って間違いではなく……少しだけ、くすぐったかった。

そうだ、とルイズは思い出す。

「……あの、先生」

「なんだ?」

今度こそカールの手を取って立ち上がると、ルイズは彼を見上げながら、云いにくそうに口を開いた。
それでも目と目を逸らさず、じっとカールを見詰めている。

「ワルドとの戦いで、私、先生の言いつけを破ってしまいました」

「……そうなのか?」

「はい。すぐに逃げず、そのまま戦ってしまったので」

そこに色々と理由はあったが、割愛する。
説明するのは気恥ずかしく、わざわざ声に出して云うようなことでもないと思ったから。
彼はそのことに対してどう思ってくれているのだろう。
やはり言いつけを破ったから怒るのか、それとも――そう。もし万が一、良くやったと褒めてくれたら嬉しいな、と思ったり。

「だから……その、私を……叱ってください」

微かに頬を染めながら、ルイズは小さな声でそう強請った。
が、カールは困った風に頬をかくと、どうしたものかと息を吐く。

「今回のことは、仕方のない面も多々あったと思う。
 だから、次がないよう気を付けてくれれば良いよ」

「そんな! 駄目です先生! 叱るときはきっちり叱らないと駄目ですよ!」

「そりゃそうだけど……。
 ……ん? なんでだ? 普通、嫌がるもんじゃ……」

「先生!」

「なんでだよ!?」
























それ以降にアルビオンでカールたちが行った旅は、もはや蛇足でしかないだろう。
心臓部が麻痺したことで指揮系統が壊滅したレコン・キスタは完全に足並みが乱れ、カールとルイズ、空を飛翔するたった二人の人間を捉える余裕がないほどに混乱しきっていた。
そうして二人はウェールズ王子の元へと辿り着き、手紙の回収を完遂した。
その際、ルイズは本来の物語と同じように亡命についてウェールズへと問いを投げたが、やはり答えは否だった。
が、それを愚かとルイズが思うことはなない。ウェールズの云いたいことは分からないでもなかったからだ。
レコン・キスタに背を向けてしまっては、連中の正義を肯定してしまい、自分たちは哀れな敗北者の烙印を押されるだろう、と。
レコン・キスタの掲げる正義を王党派は絶対に認めることができない。民を蔑ろにして聖地を目指すその目的と、国土に戦火を撒き散らした連中を絶対に許せないため。
例え負けが見えているのだとしても、自分たちが信じる正義を無価値なものに貶めないために最後まで立っていなければならない、と。

ならばトリステインに亡命し、レコン・キスタを打ち倒して――とルイズは思わなかった。
それでは駄目だと分かっているから。勝てばそれで良い、というやり方はレコン・キスタと変わらない。
例え愚かでも馬鹿正直と云われようとも、貴族として退いてはならない戦いがあると知っているから。
そしてそれは王子だけではなく、王党派全員が胸に抱いた強い決意のようだった。
死がすぐそこまで迫っているというのに、その状態でも貴族の誇りを選べる――命惜しさにレコン・キスタへと寝返った貴族たちとは真逆の精神を目にし、ルイズは説得を完全に諦めた。
いや、諦めは少し意味が違うだろう。正確には、認めた、というのが正しいだろうか。

遺品、ということで風のルビーを手渡され、ルイズとカールはアルビオンを発った。
その後のことをルイズたちは知らないが――

結果だけ記すならば、アルビオン王党派は滅びなかった。
カールたちが去ると同時に、レコン・キスタの内情を探るべく城を出ていた兵士が戻り、一つの報告を行ったのだ。

レコン・キスタの主力は壊滅。
ヘンリー・ボーウッドを中心に編制された空軍が合流を申し出ていると。

ヘンリー・ボーウッド。その者は"元"王立空軍の艦長として戦っていた者である。
だが、元とあることから分かる通りに、現在はレコン・キスタへと寝返った一人の人間だったのだが――
彼は部下からレコン・キスタの主力部隊が何者かと交戦を行い、壊滅状態に陥っていることを聞き、捕虜として囚われている王党派の軍人たちを解放し、これが好機とばかりに反逆を開始していた。
ヘンリー・ボーウッドという人間は、元々生粋の武人だった。
思想として、軍人は政治に関与するべからずというものがあったが――それに従い、上官の判断で反乱軍側についてしまったことを、彼はずっと後悔していたのだ。
心情としては王党派を支持していたし、今でも王党派を信じている。それでも己の信念を曲げずにレコン・キスタの艦長として王党派と戦っていた。
が、王と仰ぐウェールズの喉元に刃が突き付けられた今その信念は大きく揺らぎ、そして、レコン・キスタの中枢が壊滅しつつあるという知らせが背中を後押しし、この反逆に踏み切ったという。

これを聞いたウェールズは急遽出陣の用意を完了させ、出撃。
そしてボーウッドと合流したあと、彼から聞いた戦場の噂話を使って敵を脅し、再び寝返り始めた貴族派を吸収し、一気に攻勢へと回る。
そして敵の戦力と真っ向から戦うことを避け執拗にレコン・キスタの中枢とも云えるオリヴァー・クロムウェルを付け狙い、首をはねた。

その結果、虚無という切り札を失った貴族派は一気にその勢いを失い、アルビオンでの内戦は膠着状態へと変わる。
治安は最悪。逃げ出した傭兵が盗賊となり跋扈し始めるなどを始めとして大きな問題を抱えることとなるが、結末の見えていた革命戦争は、これにより行方の分からないものとなぅた。

ちなみに、ウェールズがボーウッドから聞いた噂話を脚色し捏造した話とは以下のものである。
下らない与太話の域を出ないはずの噂話は、しかし、確かに戦場で群青色の光により昏倒させられた者たちの声を元に広がっていったのだ。

――聖戦にブリミルの子らを向かわせるオリヴァー・クロムウェル。
   だが倒れた使者の魂が向かう先はヴァルハラではなくニブルヘイム。彼の者は人を死の世界に誘う道化である。
   始祖ブリミルの遣わせた群青の光は、妄執に取り憑かれた者を赦さない。
   ブリミルの授けた王権をただ欲し、聖地という大儀を踏みつけにする者たちよ、知るが良い。
   白の国アルビオンは、虚無によって守られているのだ。


























ガリア王国の首都に建つヴェルサルテイル宮殿の、暖炉に火の灯った一室には、一人の男が退屈そうに椅子へと座っていた。
手すりに肘を置き、顎を持ち上げた様はただひたすら無気力だ。が、その様すらも絵になるほどに、男の容姿は整っている。
王族であることを示す青い髪に、がっしりとした体躯。彼は退屈に飽く子供のように小さく欠伸をすると、溜息を吐いた。

「秘宝を与えても、やはり只人ではあれが限界か。まったく使えぬ。
 やはり実力の伴わない無能者ではあんなものか」

言葉尻には微かな自嘲があった。
それに反応した、男の隣に控えている女が口を開く。

「ジョゼフ様。あなたは決して無能ではありません」

「確かにな。余が虚無であると知れば、余を嘲笑う家臣共も目の色を変えるだろうよ。
 だがそれはそれだ。無能王と嘲笑されていることに変わりはない。
 ああしかし、本当に困ってしまったな。しばらくはレコン・キスタで遊ぼうと思っていたのに、壊れてしまったよ。
 最後に上げられた花火は、確かに爽快ではあったがな。
 だがその代償として――アンドバリの指輪が使い物にならなくなってしまったようだ。
 さて、どうしたものか」

「……申し訳ありません」

事実を気にした風もなく口にしたジョゼフだったが、まるで親に叱られた子供のように、女は肩を震わせる。
よいよい、とジョゼフは手をひらひら振ると、またも溜息を吐く。

アンドバリの指輪が使えなくなったというのは本当だ。
クロムウェルから女――シェフィールドが回収したマジック・アイテムは、その機能を完全に停止していた。
ミョズニトニルンである彼女には何が原因となって機能停止に追い込まれているのかを理解できたが、しかし、魔力を持たない彼女では解除する術がない。
もし他者にやらせようにも、シェフィールドの知る解呪方法は系統魔法から大きく外れた技術を必要としているため、不可能に近かった。

「ああ、困ってしまったぞ。
 王党派と貴族派が膠着状態に陥れば、これ幸いにとトリステインは戦力を貸し与えるだろう。
 そうすればゲルマニアとの婚姻も必要となくなり、再び世は平和という名の停滞に留まってしまうことになる。
 退屈すぎるな。暇潰しにエルフの願いでも聞いてやろうか」

エルフ、とジョゼフは口にする。
彼の言葉は嘘ではない。この宮殿には、彼が云うように一人のエルフが滞在しているのだ。

数ある客間の一室には、一人の亜人がいた。
彼の名はビターシャルという。サハラに住むエルフと呼ばれる種族の一人だ。
本来ならば人間の敵である彼が何故王宮にいるのかと云えば、それはガリア王であるジョゼフと交渉するためなのだが――

今の彼はそんなことなど、どうでも良かった。
本来ならばエルフの土地へと人間が踏み込まないよう交渉することが彼の役目で、それをどうでも良いなどとは口が裂けても云えないのだが、しかし事情が変わっている。
ビダーシャルの脳裏には、今朝方からずっと一つの光景が焼き付いている。
それはジョゼフによって見せ付けられた空中大陸で行われている戦争の風景だった。
人間が如何に愚かかをエルフである自分に見せ付けてジョゼフは楽しもうとしていたようだが、しかし、その中でビダーシャルは決して無視することのできないものを目にした。

悪魔の力でも、精霊の力でもない、"異世界"の力――ミッドチルダ式の光を。
そう。ビダーシャルはあれが異世界のものであると知っている。また、ミッドチルダ式という名称も。
古来より語り継がれ、しかし時代の節目に必ず来訪者が訪れるために伝説にまで風化していないエルフの伝承。
それに語られているものと酷似した力を持つ人間を、発見することができたのだ。

評議会の一員としてガリアに向かうよう指示を受けたビダーシャルだが、しかし、それ以上にあの人間と言葉を交わすことは重要だ。
彼の力を借りることができれば――

個人で判断するにはあまりに大きな出来事のため、一度は本国に戻り、指導者であるテュリュークの意向を仰ぐべきだろうが、この機会を逃すわけにはいかない。
ジョゼフの言葉によると、ミッドチルダ式の使い手はトリステインからアルビオン王家に遣わされた使者なのだと云う。
ならば今すぐトリステインに向かい件の男と顔を合わせ、事情を話すべきだろう。
一度サハラに戻ってしまえば、彼を見失ってしまう可能性もあるのだ。

ビダーシャルが行うべきことはジョゼフと交渉し、四人の悪魔が聖地へ進行しないよう虚無の使い手を牽制することだ。
悪魔の力を使うものが揃えば、シャイターンの門は活性化する。サハラから遠く離れた国での出来事だというのに、門は唸りを上げる。
ならば近付かれたら――それは想像したくもないことだった。

だがミッドチルダ式の使い手の協力を先に取り付けることができれば――

ならば、とビダーシャルは今朝方からずっと続けていた思考に結論を出し、腰を浮かせた。
そして胸元に下がった丸いペンダントにそっと触れる。
それはエルフの土地から出る者に預けられる装飾品だが、しかし、次元世界の人間が目にしたら目を細めるだろう。
ストレージデバイスのコア。それを何故、と。




[20520] 11話
Name: 村八◆24295b93 ID:3c4cc3d5
Date: 2010/09/07 01:44

微かな振動と、道を車輪が蹴る音が静かに木霊する馬車の中、カールは新聞を広げていた。
その第一面には、アルビオン王国で起こった王党派の大攻勢――滅亡寸前にまで追いやられた王族が息を吹き返したことが記されていた。
記事の中身はそれをとっかかりにし、トリステインがアルビオンへ軍隊を派遣すること、それに伴いアンリエッタ姫の結婚が延期されることへと話が膨らまされている。

記事を読み進めながら、カールはなんとも居心地の悪さを感じていた。
自分がどんなことをしようともアルビオン王家の滅亡は確実だと思っていたのに、王党派はカールがレコン・キスタへ与えた打撃に追い打ちをかける形で状況を覆してしまった。
カールが直接的に引き起こしたことではないが、これは重大な異世界への干渉行為となるだろう。
バタフライ・エフェクト――使い所は違うだろうが、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

カールという異邦人がハルケギニアにきた時点で、ルイズはミッドチルダ式に触れることとなってしまった。
そしてカールはミッドチルダ式を虚無と誤解され、ワルドに付け狙われてしまった。
ルイズとワルド。たった二人の人間に及ぼした影響のお陰で、今の事態が生まれたと云っても良いだろう。

ルイズにミッドチルダ式を教えなければ、彼女は姫殿下からの密命を受けなかっただろう。
ワルドに虚無と誤解されなければ、レコン・キスタに付け狙われることもなかっただろう。
だが現実としてルイズは姫殿下の密命を受け、ワルドはカールを虚無と誤解し、その果てにアルビオン王家はレコン・キスタと拮抗できるほどにまで力を取り戻した。

本当に馬鹿げた話だ。
蝶の羽ばたきが地球の裏側でハリケーンを起こす、という荒唐無稽っぷりに引けを取らないほどに。
だが馬鹿げたことなのだとしても、自らが起こしてしまったということに変わりはない。
ルイズを守れた。クロムウェルを――首をはねたのはウェールズだが――排除できた。その結果に満足はしているものの、反省はしなければならないだろう。
後悔はない。ただ、今後似たようなことを起こしてしまえば、自分には時空管理局の局員である資格がなくなってしまう。

それは物理的な意味ではなく、倫理観や感情といった部分で。

時空管理局は、そしてそこに所属している魔導師は、決して神様などではない。
如何に優れた技術を有していると云っても、所詮は人間でしかない。
もし一度でも神様じみた振る舞いをして世界を思うがままに操るようなことをしてしまえば、根幹にあるのが悪意でないのだとしても、たくさんの人の人生を歪めてしまう結果になるだろう。
人が他者に行って良いことは、あくまで選択肢を提示すること止まり。そう、カールは信じている。
助けて欲しいと云われれば助けよう。ただそれは、助けて欲しい、という人間の意思があるからこそ取って良い行動ではないだろうか。

だからこそカールはルイズにミッドチルダ式を操る者として次元世界の価値観を強要しようとはしないし、クロムウェルの命を自らの手で奪ったりはしなかった。
無論、それは管理局法があるから、という面もある。
しかし、何故そのルールを守らなければならないのかと考えたとき、今挙げた理屈に行き当たる。

……もっとも、カール自身は管理局法の根底にある思想にただ従えるほど、出来た人間ではないわけだが。
なんだかんだで、結局自分がリンカーコアを傷付けてまで戦った理由の根幹には、この少女を助けたいという欲求があったわけで。

「あ、あの、先生」

「ん?」

呼ばれ、カールは新聞から顔を上げた。
途中から記事を読んではいなかったのだが、ずっと新聞を広げた状態で固まっていたのだ。
畳んだ新聞紙を隣に置いてルイズを見る。
向かい側の席に座った彼女は、ええっと、とバツが悪そうに視線を彷徨わせていた。

馬車の中の雰囲気は、トリスタニアを出てからずっとこんな具合だった。
いや、アルビオンからの帰り道時点で、既にこんな雰囲気になっていたかもしれない。
カールとルイズは決して仲が悪いというわけではないのだが、しかし、授業以外の時に会話を交わしたりする機会は少ない。
そのため、少しの間ならば話していられるものの、ヴァリエール領に向かう道中をずっと喋り通すことはできなかった。
しかし理由はそれだけだろうか。普段よりも、どこかルイズは自分と対面するのに緊張している気がする。

居心地が悪い、というよりは困っているようなルイズに苦笑しながら、カールは彼女の指に通された水のルビーへと視線を向ける。

「水のルビー、しっかり身に着けてるんだ」

「え? あ、はい。
 せっかく姫様から頂いたんですし……」

云いながら、ルイズはおずおずと水のルビー、その宝石部分へと指で触れた。
本来ならば王家の者が持つ国宝である水のルビーは、現在ルイズが所有している。
今回の密命を成功させた報酬――ということらしい。そうでなくとも、元々これは旅の経費の代わりとして姫殿下から預けられたものだという。
だがそんなものを売り払うことなどできないと、ルイズは水のルビーを手元に置いたまま密命を終えた。
本来ならばこの国宝を姫殿下に返すべきなのだろうが、密命の報酬として、今度は正式にルイズへと送られたのだ。

「精一杯のご厚意だと思うんです。
 密命って形で下された命令だから、きっと資金を表立って動かすことはできなかったのだろうし。
 けれど姫様は、自分のポケットマネーでなんとなかる褒美じゃ申し訳ないと思って、これを下さったんだと思います」

「そうだね」

「……先生に褒美がないのは、申し訳ないですけれど。
 でもその分、ヴァリエール領についたらもてなしますから!」

「あはは、期待させてもらうよ」

ちなみにカールに対する褒美として、アンリエッタ姫は王家の杖を与えようとしていた。
それを目にしたルイズは全力でそれを阻止し、自分でカールに精一杯のおもてなしを――となった運びである。
 
「そういえばルイズ」

「はい、なんですか?」

「これからヴァリエール領に向かうわけだけど、ルイズのご家族ってどんな人なんだ?
 エレオノールさんは知っているけれど、お父さんにお母さん……それと、お姉さんがもう一人いるんだっけ。
 先にどんな人なのか聞いておきたいな」

「はい。
 えっとまず、ちい姉様のことを」

「……ちい姉様?」

「す、すみません! カトレア姉様です!」

顔を真っ赤にしながらそう云うと、ルイズは説明を続けた。

「カトレア姉様は、私の大好きな姉なんです。
 穏やかで、優しくて、いつも微笑んでる感じ。
 動物が好きで、その子たちもちい姉様が優しいのを分かっているのか懐いてて、いつも囲まれてるんです」

云われ、カールは脳裏にカトレアの顔を思い浮かべてみた。
エレオノールとルイズの外見で共通していた部分は、長い髪とウェーブ。そしてブロンドか。
目元もそっくりだったし、もしかしたら柔らかなルイズ、もしくはエレオノールといった感じなのかもしれない。

そんな風に想像していると、不意にルイズは表情を陰らせた。

「けどちい姉様は生まれつきからだが弱くて……それこそ、遠出するのも一苦労なぐらい。
 病気がちだから体力をつけることができなくて。
 だから、こういった機会がなければ先生とちい姉様が会うことはなかったかもしれません」

「……そっか。
 それじゃあヴァリエール領についたら、お姉さんと会って、色々話をしてみようかな。
 俺の知ってるルイズと、お姉さんの知ってるルイズでどんな風に違いがあるのか、とか」

「それは止めて……!」

どうやら本当に嫌らしく、慌てた風にルイズはカールを静止させるように両手を突き出した。
一気に話題を変えられたからか、ルイズから蔭りが抜ける。
彼女がそれに気付いたのかどうかは分からないが、こほん、と小さく咳払いをすると、先を続けた。

「ええっと、そしてお父様とお母様ですけど……」

そこまで云って、ルイズは頭を抱えた。

「どうした?」

「……あまり考えないようにしていたんですけど、やっぱり今回の密命の件、お父様とお母様に説明しないといけませんよね?」

「勿論。ルイズもそれを分かっているだろう?」

「分かっていますけどー……」

駄々を捏ねる……というよりは、どこか甘えているような。
普段のルイズなら自分の行いに対する叱責も何もかもを甘んじて受けていたような気がするも、今はどこか違う。
もしかしたら、任務を無事終わらせられたことと、実家に帰ることが相まって普段と調子が違うのかもしれない。
無論、カールがルイズの心情を把握することはできないが、そんな風に推察した。

ちなみにアンリエッタ姫には既に許可を得ている。
王家の尻ぬぐいとも云える今回の件だが、公爵家の人間ともなれば無意味に王家の汚点を言い触らすこともないだろう、という信頼の下に。
しかし、

「絶対、お父様は怒ると思います。
 危ないことをした私に、ってのもありますけど、姫様にも。
 姫様だって反省をしているだろうけど、それを誰かに責められるのとそうでないのとでは、大きく違いますから。
 公爵家の人間としてそうする義務がある、って」

「……立派な人なんだな」

「はい。自慢の父です。同じ貴族として尊敬できます。
 ……そんなお父様だから、絶対に今回のことを有耶無耶にはしない。
 勿論、事情を考えて大事にはしないでしょうけれど」

ルイズが貴族としての父を語る一方で、エレオノールからルイズを魔法学院に入れた本当の理由を聞いていたカールは、おそらく、と推測する。
姫殿下に苦言を呈するのは公爵という立場もあるだろうが、もう二度と今回のようなことをルイズにさせたくないという、父親としての面もあるのだろう、と。
エレオノールの話からはルイズの父親を断片的にしか知ることはできないが、その断片情報ですら、ルイズに対する愛情を察することができた。

そして――

「そして、お母様は……」

母親を口に出すと、再びルイズは頭を抱えた。

「ああ……絶対に何もないまま終わるなんてこと有り得ないわ。
 実力以上のことをしようとするんじゃないってあれほど口を酸っぱくして云われたのに……。
 でもでも、今回のことは国の存亡に関わる問題だったから……」

「る、ルイズ?」

ガタガタと震えだしたルイズの肩を揺すると、彼女はハッと正気に戻った。

「どうした?」

「ええっと、その……お母様は、厳しい人で」

「うん」

「今回の密命が仕方ないものとはいえ、それはそれとして、自分の分を越えたことをしようとしたことに対して、絶対に怒ると思います……」

「いや、俺はどんな人なのか聞こうと思っただけで」

「ああ、どうしよう……!
 今から言い訳……ううん、言い訳なんて云ったら余計に酷いことになる!」

「落ち着けってルイズ!」

若干涙目にすらなっているルイズを肩を揺すって強引に落ち着かせると、カールは息を吐いた。
考え込ませると大変なことになるのは今のを見て分かったので、話を逸らすべきだろう。

「ともかく、良い親御さんじゃないか。
 お父さんは勿論だし、お母さんだって、実力以上のことをしようとしてルイズが危険に晒されるのを嫌っていて、そう云ったんだろうしね。
 大丈夫。今回のことにはれっきとした理由があったんだし、ルイズは無事に帰ってくることができたんだ。
 確かに怒られるかもしれないけど、酷いことは云われないさ。
 俺たちが任務を成功させたことで、レコン・キスタとトリステインの戦争は回避できた。
 まだ会ったことはないけど、聞いた話から、その事実から目を瞑って一方的に非難するような人たちじゃないって思うよ」

「……はい。ありがとうございます」

ようやく落ち着いたルイズは、溜息を吐きながら乱れた髪の毛を直した。
そして視線を上げると、その、と口を開く。

「そ、そういえば、先生。
 体はもう大丈夫ですか?」

唐突に変わった話題に、カールは微かに首を傾げた。
気になった風に聞かれたのは確かだが、まるで、話題を探してたった今思い付いたような――
が、深く考えず、そっと、カールは自らの胸元に手を置く。
体の内にあるリンカーコア。カールがアルビオンへの旅路の途中から感じ始めた激痛の原因は、それにあった。

ハルケギニアではまだ解明されていないだろうが、世界には魔力素という目に見えない物質が大気に満ちている。
リンカーコアを持つ人間、生物はそれらを呼吸と共に体内へと取り込み、リンカーコアで魔力素を魔力に変換する。
が、魔力素は酸素などと同じく、適正濃度を超えれば人間に牙を剥く毒のような側面を持っているのだ。
通常濃度の±15%が適正値。しかしこのハルケギニアは、おそらく+17%といったところだろう。もしそれ以上に高いのならば、カールが召還された瞬間に違和感を覚えたはずだった。
だが実際には、異常を感じるまで気付かないほど微妙な濃度の違いがあり、知らぬままカールは魔法を使い続けてしまった。

ルイズに魔法を教えるぐらいならば、まだ平気だったのかもしれない。
しかしラ・ローシュに向かうまでの長時間飛行、レコン・キスタとの戦闘を経て、カールは大量の魔力を消費してしまった。
その結果、リンカーコアは減った魔力を補填しようと魔力素を一気に取り込み、適正値を超えた濃度の魔力素に耐えきれず軋み始めたのだ。

今は魔力が回復しきっているので痛みはない。しかし、また魔力を消費し、肉体がそれを回復しようとすれば、再び激痛に襲われるだろう。
それを防ぐ手段は現状、ガンダールヴの効果によって肉体を頑強にするしかない。
が、大量に魔力を消費すればルーンの補助効果を痛みが上回り、レコン・キスタと戦った時のような激痛に苛まれることとなるだろう。

クロムウェルが倒れたことで、もう二度と大規模な戦闘をすることはないと思うが――嫌な話だ、とカールは溜息を吐く。
この世界においてカールが平民以上貴族以下の立場の人間として生きていられるのは、偏に魔法を使えるからである。
それを失ってしまえば、出来ることが一気に減る。そしてその中には、ミッドチルダへの帰還、それの遅延も含まれているだろう。
魔法が使えなくなるまでに、帰らなければならない――残りのタイムリミットがどれほどかは分からないが、急がなければならない。

……ハンデを負ってしまったことに反省はあるが、しかし、後悔はなかった。
あの局面で戦うことを渋ってしまえば、ルイズがどうなるか分からなかった。
そして戦った果てにルイズを助けることができたという結果があるのならば、体の異常も受け入れるべきことだだろうから。

「……ああ、大丈夫だよ。
 けど疲れが抜けてないから、ルイズの実家でゆっくりさせてもうらうさ」

「はい」

そこで一度、会話が止まる。
するとルイズはソワソワした様子で窓の外へと視線を投げた。
なんだか挙動不審だ、と思いながら、カールはミッドチルダへの帰還と、ルイズのことを頭に浮かべる。
ミッドチルダへの帰還方法を探すのは現状の最優先事項だ。体のこともあるが、何よりもカールは自分の無事を友人たちに伝えたい。
リミットが科せられたせいだろうか。今までよりもずっと強くそれを感じてしまう。

だから――折角ヴァリエール領まで遠出したのだ。
魔法学院では入手することのできなかった情報などを帰り道に探すのも良いかもしれない。
ルイズには申し訳なく思う。だが一度はミッドチルダに戻り体を癒さなければ、彼女の授業を十全に行うことはできない。
そして、ミッドチルダに戻れなければ、いつかはルイズに魔法を教えることができなくなってしまう。
座学だって、カールが魔法を使えなくなれば今よりもずっと教えづらくなるだろう。
中途半端だけはいけない。彼女を立派な魔導師にしたいということもあるが、同時に、不完全な力の使い所に迷ってしまうかも知れないという不安があるのだ。
ルイズのことを信頼していないわけではない。虚無を付け狙うクロムウェルももういないのだし。
だが、ルイズという一人の人間にしっかりとした力と、それを操る心を育てたい、という願いがカールにはある。

だからルイズにミッドチルダ式を教える――教師としての責任を、投げ出すことだけはできなかった。
だがそれは決してカール本人の性格というわけではなく、ルイズだからこそ――という部分が半分を占めているかもしれない。

「あ、あの、先生」

「ん?」

「先生が大変な戦いを潜り抜けたことは分かってます。
 だから、その、しばらくの間、授業は座学だけで良いです。
 先生は回復に努めてください」

「……授業はお休み、とは云わないんだ」

「あ……」

「はは、冗談だよ」

そんな風に茶化して云うと、ルイズはジト目でカールを見て、頬を膨らませた。

「先生のたまに意地悪なこと云う所、あんまり好きじゃありません」

「悪かったって。
 それに、疲れてるのは俺だけじゃなくて、ルイズも一緒だろ?
 しばらくはゆっくり休もう、って思っていたからさ。
 無論、ルイズが勉強熱心なのは嬉しいよ」

「むぅ」

「疲れてるだろ?」

「……一日ゆっくり休めば大丈夫です」

そう云うルイズだが、やはり彼女にも気怠げな部分がある。
今は馬車に乗っているため気にならないが、トリスタニアで歩いていた時は目に見えて疲れているようだった。
長旅に加えて、やはり初の実戦――それも風のスクウェアを相手に戦ったことは大きな疲労となり残っているのだろう。

などと考えていると、くぅ、と可愛らしい音が鳴った。
腹の虫。それはカールのものではなく、ルイズのもので、彼女は今までよりも顔を真っ赤にして俯いてしまう。

「……アルビオンから急いで帰ってきたから、ゆっくりご飯を食べる時間もなかったし。
 取り敢えず、お腹いっぱいになりたいな」

「うう……」




















月のトライアングル















ヴァリエール公爵領に入り、更に半日かけて屋敷にたどり着くと、カールはまず眉根を寄せた。
屋敷と聞いていたため立派な豪邸を想像していたが、実際に見てみると、それは屋敷などではなく城だった。
そう、城。お城。実家を目にして、今更だがルイズが貴族のお姫様であることを再認識した気分だった。

朝に出発し、公爵領に入ったのは昼過ぎ。
到着すればもう夕食時になっており、挨拶もそこそこにカールたちは城の中へと執事に案内された。

通された先は広間であり、中心には長いテーブルが鎮座している。
並んでいる料理は魔法学院の食事よりも豪奢であり、テーブルマナーという一言がカールの脳裏に踊る。
夕食と云うよりは晩餐会という方が正しいかもしれないこの状況。
一応マナーも魔法学院で最低限のものは身に着けたが、ルイズの両親――公爵の前で失礼にならないかどうかと聞かれると、自信がなかった。

既に席の上座にはルイズの父親、隣には母親、そして歳の順なのかエレオノール、カトレア、そしてその隣が空席。おそらくルイズの席なのだろう。
カールは公爵の対面に位置する場所に座るよう、予め執事から伝えられていた。

ふと視線に気付き、カールは居心地の悪さを覚える。視線の主はエレオノールであり、おそらく、なんの相談もなしにアルビオンへ旅立ったことに云いたいことがあるのだろう。
もっとも、彼女はカールたちがアルビオンに旅立ったことを知らない。、唐突にカールたちの姿が消えたと思っているはずだった。
なんの連絡もなしに行方を眩ませば、それは怪しまれても仕方がないというものだ。

カールはエレオノールに小さく頭を下げつつ、視線を移す。
彼女の隣にいる女性は、ルイズの云っていたもう一人の姉か。
桃色のブロンドはルイズと同じだが、身に纏う雰囲気や、今も浮かべられている穏やかな微笑みが、ルイズの云ったように柔らかな印象を与えてくれた。
確かにルイズやエレオノールとそっくりだ――が、一人だけ三姉妹の中で抜きん出てる。おっぱい的なあれが。
が、ガン見するのは失礼すぎるのですぐに視線を引き剥がした。

「よく帰ったな、ルイズ。
 まだ夏期休暇というわけでもないのに帰ってくると聞いて驚いたが、こうして家族全員が揃えて良かった。
 さあ、座りなさい。
 カール・メルセデス。君もだ」

「はい、お父様」

ルイズに続いて頷くと、カールはゆっくり椅子に腰を下ろした。

こうして公爵と対面してみれば、なるほど、立場相応の風格があるように思える。
値踏みするようなことを云うのは失礼かもしれないが、この人がルイズに貴族の在り方を教えたのか――などと、カールは思った。

『先生』

『ん?』

不意に念話が届き、カールは眉根を寄せた。

『アルビオンに向かったことは、夕食が一段落してからにしましょう。
 騙すようで悪いと思いますけど、最初からお父様やお母様を不機嫌にはしたくないんです。
 機嫌一つで聞く耳を持たなくなるほどお父様もお母様も頑固じゃないけれど、それでもしっかり理解してもらいたいから』

『分かった』

そこから晩餐会が始まる。
主賓はやはりルイズであるのか、公爵が主に話を振るのはルイズだった。
魔法が使えるようになったことを祝福して、ルイズは照れくさそうに、同時に気まずそうに頷く。
やはりルイズも、両親を前にして自分の覚えている魔法が外道ということを再認識したのかもしれない。
無論、一時たりともルイズがそれを忘れたことはないだろうが。今はそれを身に染みて理解しているのかもしれなかった。

カールに対しても時折、言葉が向けられる。
だが答えづらい話を振られると、こっそりとエレオノールが助け船を出しくれて言葉に詰まるようなことはなかった。
てっきり嫌われているものだと思っていたが、違ったのか。

デザートを平らげ、紅茶が運ばれてくると、ルイズが視線を向けてきた。
同時に、彼女は指に通したままだった水のルビーをテーブルの上に置く。
カールは頷くと、息を吐いて公爵を真っ直ぐに見据えた。

「ヴァリエール公爵。
 一つ、耳に入れて頂きたいお話があります」

「何かな?」

やはりルイズが帰ってきたこと、そして魔法を使えるようになったことを喜んでいるのだろう。
微笑みを浮かべながら、公爵はカールへと視線を向けた。

「……ミス・エレオノールが学院に訪れてからこの公爵領に辿り着くまでのことを。
 申し訳ありませんが、人払いをお願いできませんか?」

「……一体なんの話をするつもりだ。
 まずはそれを――」

「お父様。これを」

まず話の内容を、と公爵が問おうとすると、ルイズは席を立ち公爵へと水のルビーを手渡した。
公爵は手渡された指輪を訝しげに見るが、それが水のルビーと気付いた瞬間目の色を変え、控えていた執事とメイドを部屋の外へ出す。
そしてルイズに席へ戻るよう云うと、先ほどとは一転し、鋭い眼光をカールへと向けた。

そしてカールは公爵へ密命の説明を開始する。
ウェールズ王子へとアンリエッタ姫が手紙を送ったこと。
その奪還を魔法学院を訪れた姫殿下がルイズを通してカールに命じ、ワルドを含めた三人でアルビオンに向かったこと。
水のルビーはその報酬として与えられたものである。

それを聞いた公爵は苦虫をかみ潰した顔で目を閉じると、ルイズに視線を向けた。

「……ルイズ。お前が水のルビーを持っている以上、今のことが作り話とは思わん。
 だが、本当のことなのか? お前の口から聞きたい」

「……本当のことです、お父様。
 私は姫様の依頼を受けアルビオンに向かい、手紙を奪還してトリステインへと戻ってきました」

ルイズがそう口にした瞬間、エレオノールは突き刺さるような視線をカールへと。
公爵夫人は顔色を変えないままカップを持ち上げ、カトレアは困ってしまったという風に眉尻を下げていた。

ダン、とテーブルを叩き、エレオノールは腰を浮かせる。

「おちび! 自分たちのこなした任務が、どれほど危険だったのか分かっているの!?
 それにカール! あなたはルイズの教師でしょう! ルイズを無事に守ったことは評価してあげる。
 けど、そもそもそんな無茶苦茶な任務をどうして受けたの!?」

「待って、お姉様! この密命は私が受けたの! カールは私に求められて力を貸してくれただけよ!」

「だとしたって――!」

「黙りなさい、エレオノール。
 今はお父様とルイズたちが話をしているのですよ」

言い争いを始めた二人に対し、まるで水を浴びせかけるように公爵夫人が口を開いた。
ルイズとエレオノールは渋々椅子へと座り直し、それを見た公爵は深々と溜息を吐く。

「……ルイズ。自分のしたことがどれほど危険な旅だったのか、お前なら理解しているはずだ。
 まだまだ幼いとは思うが、同時に、私はお前を馬鹿ではないと考えているよ。
 そんなお前が、何故身の丈に合っていない任務を受けたんだ?」

公爵から向けられた言葉に一度だけ瞼を伏せるも、すぐにルイズは顔を上げた。
そして真っ直ぐに公爵へ視線を注ぎながら、彼女は迷いなく言い切る。

「……トリステイン貴族として、逃げることはできなかったからです。
 お父様なら分かるはず。姫様が私に密命を頼んできた時、既に王党派と貴族派の争いは一刻の猶予もない状況でした。
 そこで私が断ってしまえば、手紙の回収が間に合うかどうかは怪しくなる。
 勿論、お父様やお姉様が云うように身の丈にあっていないのは分かっていましたし、実際にアルビオンへ赴き、それを痛感しました。
 それでも貴族として、国の危機を無視することはできなかったんです」

「……貴族として?」

「はい。貴族として。
 私たち貴族は、守るべきもののために戦うべきと教えてくれたのはお父様じゃありませんか。
 そして私は、レコン・キスタに国土を蹂躙されるのを防ぐために姫様の密命を受けました。
 ……心配をかけたのは、分かっています。
 けれどお父様、理解してもらえませんか?
 私は貴族として、メイジとして、国の危機を手に負えないからと放置することはできなかったんです」

「……それは」

ルイズの言葉を聞き、公爵は口を噤んでしまった。
カールは知っている。ルイズの口にする貴族像が、父や母の影響を大きく受けているということを。
そしてもしここでルイズの言葉を叩き潰してしまえば、それは自分たちの説く貴族像を否定してしまうことになってしまう――そう、公爵は分かっているのだろう。
だからこそ公爵は何も云えないのかもしれない。
例えルイズが愛娘であるのだとしても、同時に彼女はトリステインの貴族であるのだから。
そして貴族である以上、避けてはならない使命があると分かっているのだ。

そんな公爵の姿は、悲しげですらあった。

「ルイズ」

すると、公爵の隣で黙って話を聞いていた公爵夫人――カリーヌが口を開く。
彼女はこの場の誰とも違い、感情の色を見せないままルイズへと目を向けた。

「あなたは貴族として立派なことをしたと思います。
 それは称賛されるべきことでしょう。
 けれど、この場で誓いなさい。
 もう二度と今回のような危険なことをしないと」

……譲歩、だろうか。
カリーヌが口にした言葉を聴き、カールはそんな風に思った。
密命を受けたルイズを認める一方で、もう二度と今回のようなことをするなという。
貴族として立派なことをした。けれど親としてそれを推奨したくはない、といったところか。

……もしこの話をしているのが血の繋がりのない他人同士ならば、ルイズの行いは全面的に肯定されることかもしれない。
しかしルイズと対面しているのは、彼女の家族である。
そして家族だからこそルイズの身を案じて、全面的にルイズの背中を押すことができないだろう。

カリーヌの言葉に、しかしルイズは緩く頭を振る。

「いいえ、お母様。
 私は貴族として間違ったことをしていません。
 確かに今回の件は自分の分を越えていました。云われなくとも、今後は出過ぎた真似を控えるつもりでした。
 しかし今回のような余裕のない状況で、再び私に命令が下ったのなら、躊躇はしません」

「ルイズ!」

窘めるようにエレオノールが声を上げる。

同時にカールも目を細め、ルイズに視線を向けた。
……ルイズにそういった覚悟があるのは知っていた。
しかし今の言葉を真に受けるなら、まるで破ること前提で話をしているような……。
いや、違う。厳密には、そう。約束を破りたいのではなく、ミッド式を会得したいから――そして自分にとっての力は、ミッド式だけだから。
だからもし選択を迫られたときは、その力を与えた自分との信頼を捨てなければならない。
そんな風に決め付けてしまっているのではと、カールには思えた。
どうにもルイズらしくはない言動のように思えてしまう。普段のルイズならば、約束を破ること前提で授業を受けることなど絶対に良しとしないはずだ。
だというのに――どこか普段のルイズと食い違いがあるような気がする。

しかしカールは言葉を挟まず、じっとルイズを見詰める。
彼女は微かに怯えながらも毅然とした態度を崩さず、テーブルへと視線を向ける。

「……豪奢な料理も、お城に住んでいられるのも。今まで豊かな暮らしを続けて今の私があるのは。
 すべて、貴族の責務を果たしているからです。
 私は、ただ権利の上で胡座をかくような人間になりたくない。そんなものは貴族じゃない。
 例えそれでも良いと思う人がいるんだとしても、私はそんな貴族になりたくない。
 私自身が、そんな自分を許せないから」

そこまで云って、ルイズは両親へと顔を向けた。

「……お父様、お母様。
 私は二人を尊敬してます。だからこそ、教えてくれた貴族の在り方をねじ曲げたくない」

どうか分かって、とルイズは縋るように視線を向け続ける。
カリーヌはそれを真っ向から受け止め、公爵は苦々しく口を閉ざした。

……そして結局、決着はつかなかった。
また後日、話の続きをしようということになり、晩餐会は重い雰囲気のまま終了した。

























晩餐会のあと久々にゆっくり風呂に入ると、ルイズは久々に袖を通した部屋着姿で廊下を歩いていた。
彼女の脳裏には、家族とのやりとりがずっと渦を巻いている。
どうして分かってくれないの――とは思っていない。

ルイズの言葉、行動を理解している一方で、家族だからこそルイズの言葉を認められないのだとルイズも分かっている。
ルイズは自分が家族に愛されていると理解している。それはただ傲慢というわけではなく、温かく育ててくれた家族の愛情に気付いているという意味でだ。
そんな家族だからこそ――家族にとって自分はいつまで経っても"小さなルイズ"だからこそ、ルイズの言葉を認めてくれないのだろう。

エレオノールがああも怒ったのも、母がルイズを認めつつ二度と同じようなことをするなと云ったのも、すべてはルイズを危険に晒したくないから。
その気遣いを嬉しく思うと同時に、もどかしさを覚える。
別にルイズは英雄になりたいわけじゃない。そんなものはどうでも良い。
ただ、自分の信じる貴族になりたいだけなのだ。

ルイズは家族のことが大好きだ。
ゼロでしかなかった自分を見捨てずに育ててくれて、だからこそ自分はカールと出会えた。
手にしたミッドチルダ式は確かに使って良いものではない。けれど貴族として、その力はしっかり身に着けなくてはならない。
そして今回の密命のようなことが再びあれば、自分は――カールとの約束も、信頼も、運が悪ければ命すら投げ出して、その責務を果たさなければならない。
……それは絶対に嫌だけど。それでも、全部を失いたくないなんてのはただの駄々だとルイズは分かっている。
今回はただひたすらに運が良かった。まだまだ未熟な自分にカールが力を貸してくれたからこそ、何も失わずに済んだ。
けれど、いつまでも同じことが続くわけではない。
そしてカールが側にいない時、自分は決断をしなければならない。
いつか訪れるかもしれない時を、ルイズは心根があやふやなまま迎えたくはなかった。

――そんな風に考えているが、ルイズの思考には一つの欠落があった。
考えないようにしているというよりは、自分自身でも気付いていない穴がある。
カールが晩餐会で気付いたように、ルイズはいざその時がきたら、約束を破ること前提でものを考えている。
しかし、実際は違う。ルイズはミッドチルダ式に固執しているわけではない。
その微妙な差違は、そう――ルイズは別に、ミッドチルダ式に固執しているのではないのだ。
彼女が固執しているのは、ミッドチルダ式ではなく、ミッドチルダ式を教えてくれるカールの方。
自分は彼に魔法を教えてもらっている。彼は自分に魔法を教えてくれる。その時間は楽しくて、決して失いたくない。他のことに興味はない。
だから自分にとっての力とは、ミッドチルダ式しかない。だから――と。
ルイズという少女に甘えがあるというのならば、おそらく、これが最大の甘えなのかもしれない。
だが、ルイズがそれに気付くことはない。今はまだ。

歩き続けていると、ようやくルイズは目的地にたどり着いた。
ドアをノックすれば、部屋の中からは穏やかな声が返ってくる。
失礼します、と扉を開けば、まず最初に感じたのは鳥が羽ばたく音だった。

見れば、カトレアは鳥かごの中にいる小鳥へと餌をやっているところだった。
それだけではない。彼女の足下には犬や猫が集まっており、部屋の奥には暇そうにした虎が寝転がって部屋の中を睥睨している。
ベッドにはしゅるしゅると蛇が巻き付いており、どこの動物園だといった有様だが、これがカトレアの部屋では当たり前の光景だった。

「ルイズ、いらっしゃい。
 ちょっと待っててね」

「うん、ちい姉様」

ルイズは部屋を見渡して、椅子を探す。
見付けたソファーの上には猫が丸まっていた。
ごめんなさいね、と持ち上げて腰を下ろすと、ルイズは膝の上に猫を下ろす。
が、居心地が悪かったのか猫はすぐに床に降りてしまうと、ベッドの上に駆け上がり、再び丸まった。

相変わらず気まぐれ、と思うものの、猫を始めとした気まぐれな動物にも好かれているカトレアはなんなのだろう。
ただ穏やかだから、と言い切るのは些か強引すぎる気もする。ひょっとしたらカールの云う希少技能の一つでも持っているのかもしれない。
鳥や犬は躾でどうにかなる気もするが……蛇や虎は何か違うし。

餌やりが終わったのか、カトレアは手を拭くとルイズの隣に座り、にっこり微笑んだ。

「なんだか遅れちゃったけれど……お帰りなさい、ルイズ。
 無事に帰ってきてくれて嬉しいわ」

「ありがとう。ただいま、ちい姉様」

「うん」

微笑みを浮かべながら、カトレアは手にしたブラシをルイズの髪に通し始める。
ゆっくりと髪を梳かれながら、昔は毎日のようにしてもらっていたっけ……と思い出した。

「少し、髪の毛が荒れてるわね」

「……アルビオンで戦ったから、きっとそのせいだと思う。
 旅の途中は、落ち着いてお風呂に入ることもできなかったの」

「そう……」

繊細な手つきでカトレアはルイズの髪を梳き続ける。
しばらくの間無言で、その作業は続けられた。
ふと気付けば、部屋にいる動物たちがどこか心配そうにルイズたちへと目を向けている。
それに対してルイズが居心地の悪さを感じることはなく、むしろ、なんでそんな風に見られるのかと疑問に思ってしまった。

「ねぇ、ルイズ」

「何?」

「お父様とお母様、それにエレオノール姉様はね。
 ルイズのことを、心配しているのよ。それだけは分かってあげて」

「……分かってる。
 けど、私は私が信じる貴族でいたい。
 存在している責務から目を逸らすことはできないわ」

「そうね。
 ルイズの云う貴族の在り方は、とても素晴らしいものだと思うわ」

困った風に笑いながら、カトレアはルイズを肯定するような言葉を口にする。
しかし、けど、と髪を梳きながら彼女は先を続けた。

「ねぇルイズ。あなたの姿勢はとても素晴らしいものだけどね。
 でも、なんだか私には、考え方をガチガチに固めて、自分自身を縛っている風に見えてしまうのよ。
 ……それはひょっとしたら、私がルイズの云う貴族の在り方から大きく外れているからかもしれないけれど」

「そんな! だって、ちい姉様は仕方ないじゃない!」

ルイズが声を上げると、再びカトレアは困った風に笑う。

「そうね。体のことはどうにもならない。
 だからルイズの云うような貴族の在り方を、私には真似ることはできない」

「だって、それは――」

「そう、仕方ないの。私は体が弱いから、責任を果たすことがどうしてもできない。
 ……でもね、ルイズ。それはあなたもなのよ?」

「え?」

「あなたの云う貴族は、確かに立派で……けれどそれは、人を率いて領地を持つ男の人が目指すべきものだと思うの。
 勿論、ルイズが性別なんて関係ないって思っているのは知っている。
 けれどルイズ。どうか、自分が女の子ってことを忘れないで」

「……女らしくしていろってこと?」

やや声のトーンを落としながら、ルイズは問い返した。
怒声を上げなかったのは相手がカトレアだからだ。
もしこれが魔法学院の同級生相手なら、大声で言い返していたとルイズは思う。

しかしカトレアは、違うのよ、と頭を振った。

「ルイズは自分が貴族であるって決め付けてしまっているけれど、外から見たら、あなたはそれ以前に一人の女の子として目に映るし、そう扱うわ。
 お父様とお母様が公爵家の人間として、というより、一人の娘として扱っているように。私たちが妹として扱っているように。
 そういった人たちの気持ちを振り切ってしまっていては、いつか孤独になってしまうと思うのよ。
 私、ルイズが孤独になってしまうのは寂しいわ。
 ……一人は、寂しいものよ」

寂しい。その言葉に、ルイズは何も言い返せなかった。
カトレアだからこその言葉だったのだろう、今のは。

「私はね、ルイズ。病弱で、一人じゃ生きていけない人間なの。
 だから自分を大事に扱ってくれている人たちが、どれだけ掛け替えのない存在なのか分かるのよ。
 ……ね? お願い、ルイズ。
 理想を追うのは良いの。でも、追い続けて、何もかもを振り切ったりなんてしないで」

「それは――」

カトレアの言葉にどう返答して良いのか、ルイズにはさっぱり分からなかった。
貴族というものは、どこかしら寂しいもの。そんなオスマンの言葉が、今も脳裏に残っている。
その言葉はきっと真理だ。ルイズの目指す貴族を追求すれば、きっと周りには誰も残らなくなってしまう。
慕われはするかもしれない。けれど、肩を並べてくれる人はきっと誰もいなくなる。
誰かに背を向け守るということは、前に敵しか存在しないということだから。

それが寂しいものだということは、ルイズにも分かった。
そして、家族がルイズをそんな境遇に追い込みたくないというのも理解できて――

「……うん」

おずおずと、ルイズは頷いた。
自分の理屈を曲げるわけではなく、家族の気持ちを汲むという意味で。
そんなルイズにカトレアはにっこり微笑むと、ぎゅっとルイズを抱き締めた。

「耳を貸してくれてありがとう、ルイズ。
 本当にあなたが無事に帰ってきてくれて良かったわ」

「……別に私、何もしてないようなものだもの。
 カールに守られてばっかりだったわ」

そう口に出し、ルイズは僅かに落ち込んだ。
そうだ。自分は守ってもらってばかりだった。
父と母に啖呵を切ったのは良いものの、結局自分は姫殿下の依頼を受けるという決断をしたのみで、戦いはカールに任せっきりだったから。
確かにワルドの偏在は倒したのかもしれないが、それはあくまで尻ぬぐいのようなもので――

……やめよう。
そこまで考え、ルイズは思考を打ち切った。
これは何度も考えたことで、答えはカールから与えて貰った。反省して、次に生かす。
だったら自分がするべきことは自虐なんかじゃないだろうから。

暗い思考を振り払い、そうだ、とルイズは頭を上げた。

「聞いて、ちい姉様」

「あら、何かしら?」

「私に魔法を教えてくれているカールは、すごいメイジなのよ」

「そうなの?」

「ええ!」

ずっと誰かに云いたかったことを、ルイズはカトレアに伝えようと決めた。
それはカールのことだ。ルイズにミッドチルダ式を教えてくれたこともそうだが、その感謝と同時に、ルイズは自分の先生を誰かに誇りたかった。
風のスクウェアということで魔法学院でも相応の敬意を払われているものの、カールの凄まじさはそんなものじゃない。
けれど――カール自身が口を酸っぱくして云っているように、ミッドチルダ式という外道の法は、決して誰かに喋って良いものではなかった。
そのため、カールがどれだけ素晴らしいメイジかを語ったところで、それを証明することはできない。誰も分かってくれない。
誰もメイジとして、カールを理解してくれないのだ。

けれどこの姉なら、きっとカールのすごさを理解してくれる。
カールの理解者になってくれるかもしれない。

彼が立派な人――それこそルイズに魔法を教えてくれて、レコン・キスタを前に一歩も退かずルイズを守ってくれた心の強い人物だということを、誰かに知って欲しかった。
今までは自分だけが分かっていれば良いと思っていたが、今のルイズはそれ以上を望む。
誰かに、カールが自分の教師であることを誇りたかったから。

「先生はすごいのよ。
 魔法学院からラ・ローシュまで、フライで飛んで、船を使わずにアルビオンに行って。
 それに私たちがレコン・キスタに包囲された時、一人で守りに徹してくれて、敵を撤退させるのに成功したの。
 先生がいなかったら、きっとこの密命は失敗していたわ」

「あら、すごいのね」

あらまぁと笑いながら相槌を打ったカトレアに、ルイズは唇を少し尖らせた。
普段から姉はこの調子だと分かっているものの、もっと驚いてくれても良いだろうに。

「晩餐会の時に、カールさんにルイズを守ってくれたお礼を直接云いたかったのだけれど、あの雰囲気じゃ云えなかったし……。
 でも、うん。死ぬかもしれない任務に力を貸してくれて、しっかりルイズを守ってくれるなんて、良い先生ね」

「……ちい姉様。
 私が云えた義理じゃないけど、それは良い先生の分をかなり越えていると思うの」

「あら、そう?」

「そうよ。
 普通、先生ってだけで生徒のために命を張るなんてこと――」

有り得ない、と云おうとして、ルイズは言葉に詰まってしまった。
ならばどうしてカールは自分に力を貸してくれたのだろう。
アルビオンに向かうことが命の危険に晒されるということは、自分以上に彼はよく分かっているはずだった。
なのに彼は、どうして力を貸してくれたのだろう。

「それにしても、ルイズが誰かをそんなに誇らしげに云うだなんて。
 ルイズは本当にカール先生のことが大好きなのね」

「勿論よ」

誇らしげに胸を張り、ルイズはカトレアの言葉に即答した。
そう。ルイズにとってカールはかけがえのない、大事な人だから。

「あらあら」

頬に手を当てながら、カトレアは楽しげに笑う。
が、ルイズはそんな姉の様子を目にして自分が口にした言葉の意味に気付くと、真っ赤になりながら頭をぶんぶんと振った。

「って、ちょっと待って! そういう意味じゃないの!」

「そうなの?」

「そうなの!」

ルイズが大声を上げると、部屋にいた動物たちはすごすごと物陰に隠れてしまった。
ついつい脊髄反射で言い返してしまったものの、別にルイズにとってカールは――まぁ、確かに大切な人ではあった。
好きかどうかと云われれば大好きだけれど、それはあくまで先生で、カトレアが口にしたニュアンスなんかじゃない……はず。

「……本当にそんなんじゃないんだから」

拗ねたようにそっぽを向きながら、ルイズは小さく呟いた。
けれど、とも考える。好き。もし――もし、だ。今さっき分からないと思ったカールが自分に力を貸してくれた理由が、そういうことだったら、と。
恥ずかしいことのこの上ないので口にすることはできないが、そう、カールは自分のことが好きだからレコン・キスタと戦ってくれた……と考えたら。

頭に血が上るのを自覚して、ルイズは俯いてしまう。
分かってる。そんなんじゃない。カールは良い先生だ。
常識的に考えて誰かのために命を投げ出す人間が稀なのだとしても、カールの場合は違うのかもしれない。
だからつまり、そういうことで――そんな風に無理矢理納得しようとすると、もやもやとした感情が胸に生まれた。

そのよく分からない感情から目を逸らす――ルイズ自身は気付いていない――意味も込めて、"そういう目"でカールを見てみる。
頼り甲斐はあるし、しっかりと自分の面倒を見てくれていることには感謝している。
いつか彼に認めて欲しいと思っていて、そのために頑張ろうと思えば胸が熱くなる。
……その熱の種類が、ルイズにはまだ分からなかったが。

「ねぇルイズ?」

「何?」

「あなたの先生って、どんな人なの?
 なんだか興味が湧いてきちゃった」

「どんな人って、カールは優しくて、強くて……」

そこまで口にして、ルイズは続く言葉を見付けることができなかった。
カール・メルセデスがどんな人物なのか。それを改めて考えると、ルイズには何も分からなかったのだ。
彼と知り合ったのは、ほんの一ヶ月と少し前。馬車の中で会話を続けることができなかったように、彼がどんな人なのかルイズはさっぱり分からなかった。

……サモン・サーヴァントで呼び出した、年上の青年。先生。ミッドチルダ式の使い手。真面目な人。優しい。スクウェア・クラスなんて括りじゃ収められないメイジ。
ルイズが知っているのは、そんな記号的な面ばかりだった。カール・メルセデスがどんな人なのか、さっぱり知らない。
ふと、ルイズは思い出す。ラ・ローシュの宿で彼が口にした寝言を。
上がった名前は友達のものなのだろうか。家族のものなのだろうか。それとも――

「……よく、分からない」

「そうなの?」

「……うん。私、先生のこと何も知らない。
 今まではそれで良いって思っていたの。私とカールは、生徒と教師だから。
 お互いがお互いの役目を真摯に果たせばって思っていたけれど……」

「ルイズは、カール先生のことを知りたくなっちゃったのね?」

云われ、ルイズは躊躇いながらも小さく頷いた。
……別にカールはそんなんじゃない、と心の中で呟きながらも、自分が気にしているのはつまりそういうこと。
けれどやっぱり、カールをそういう風に自分が見ているのかも今はまだ曖昧で、彼のことを知りたい、ということだけが残ってしまうのだった。




























ルイズがカトレアと話をしている同時刻、公爵家の一室にはカールと、残るヴァリエール家の面々が集まっていた。
カールは渇いた喉を、テーブルに置いてあった紅茶で潤す。
会話が始まった頃にはまだ湯気を立てていた紅茶は、すっかり冷え切っていた。

カールの言葉を聴き、公爵は疲れ果てたように溜息を吐く。
今の話と、晩餐会の時に行われた密命のことが重なって、疲れてしまったのかもしれない。
無理もないだろう、とカールは思う。

彼が公爵夫妻に行った話とは、エレオノールに行ったミッドチルダ式魔法についてのことだった。
やはりエレオノールと同じように、何故そんな魔法を、と公爵は激昂したが、話を最後まで聞いてからと夫人に諭され、そうしてたった今、カールは話を終えていた。
エレオノールは一度聞いた話だからか、バツが悪そうに視線を彷徨わせるばかりだ。

ミッドチルダ式のことに加えて、この三人にはワルドの裏切りと、カールとルイズが虚無と勘違いされたことも伝えてある。
クロムウェルは捕まり、首をはねられたため当面の安全は保証されたものの、また今回のことが起きないとは限らない。
なんともデリケートな問題だからか、誰も口を開こうとはしなかった。

「……ようやく、納得したよ」

「え?」

ふと、公爵が重々しく口を開いた。
彼は疲れたように溜息を吐きながら、じっとカールに視線を注ぐ。

「ルイズが貴族の在り方に意識を向けていたのはずっと前からだが、今まであの子に欠けていた力を手にしたことで、ただ心に誇りを秘めているだけでは駄目だと思ったのだろう。
 ルイズ風に云うならば、そう……力を手にしたのならば、それを行使する義務があるのだ、とな」

その言葉に対し、カールは頷いた。
ルイズの立派な貴族でありたいという姿勢は尊いと思うし、そんな彼女の願いを潰えさせたくはないと思う。
しかしミッドチルダ式という力を与えたせいで貴族の責務をまっとうしようと思ったことは事実であり、密命を受けたことにも関係しているのだろう。

「……申し訳ありませんでした」

「……いや、良い。
 君が力を与えたことは事実だが、立派な貴族になれと言い続けたのは私たちだ。
 もし君が力を与えても、私たちが貴族の在り方を説かなければルイズは危険なことをしなかったかもしれない。逆もまた然りだ。
 ならばこれは、運命の歯車が嫌な風に噛み合っただけなのだろう」

そう云う公爵の口調は、酷く苦々しげだった。
彼自身は言葉の通りに考えているのかもしれないが、やはり感情の面では納得できないのかもしれない。

「……てっきり僕は、ルイズがアルビオンへ向かう理由の一つを作ったことを責められると思っていました。
 寛大な処置に感謝します」

「……良い。複雑だが、君に罪はない。
 密命という性質上、トリステインからアルビオンへの使者は向かっていないことになっているだろうしな。
 そんな君を罰することなどできん。罪が存在しないのだから。
 それに君は、ルイズに魔法を教えた責任として、あの子を守り抜きこうして私たちの元へ届けてくれた。
 責任を果たしたものに対して礼を逸するのは、貴族のすることではないよ」

「ありがとうございます」

頭を下げながら、ああやっぱりこの人はルイズの親だ、とカールは微笑ましく思った。
勿論、それを表情に出すことはなかったが。

「メルセデス先生。
 あなたはルイズをどうするおつもりですか?」

次に口を開いたのは公爵夫人だった。
彼女は鋭い眼光を向けながら、じっとカールの返答を待っている。

「……引き続き、自衛手段を教え込もうと思っています。
 今のままでも充分、と云えるかもしれませんが、アルビオンではスクウェア・クラスのメイジに付け狙われました。
 それをルイズ一人で排除できたのは、運の要素が大きい。
 もし次に同じ状況になっても彼女が潜り抜けることができるよう、しっかり鍛えます」

「なるほど」

意外なことに、公爵夫人はそれっきり口を開くことがなかった。
馬車でのルイズの怯えっぷりを覚えていたからこそ小さな違和感を覚えるものの、そんな質問ができるわけもない。

「さて、それにしてもそもそもの元凶に対してはどうしてくれるか」

「へ?」

元凶。なんとも物々しい言葉に、カールは首を傾げてしまった。
しかし公爵はカールの様子に頓着せず、まるで独り言のように先を続ける。

「一国の王女がロクに家臣を頼りもせず、まるで悪戯を隠す子供のように友人を頼るなど……。
 あの方には王族の自覚はないのか。終いには報酬として水のルビーを……王家の証をルイズの手に渡すとは。
 今回のことは絶対に許さん。何を云われても水のルビーは返却せんぞ。ヴァリエール家の家宝として永久に保管してくれる。
 鶏の骨めが……こういう時に働かないとはいよいよもって耄碌したか」

「あなた。それは八つ当たりというものです。
 確かに姫殿下の行いには私も首を傾げるところがありますが、結果として国は守られました。
 であれば、ご慧眼をお持ちだったということなのでしょう。
 ……まぁ私としても、今回のことを無視するつもりはありませんが」

わぁい不敬罪のオンパレードだー、と、遠い目をするカールとエレオノール。
しかし、こんな風に王家の行動に疑問を感じ、苦言を呈することができる貴族がいるからこそトリステインは上手く回ることができているのかもしれない。
そんなことをカールは思った。























完全に日が暮れた道を、一人進む影があった。
それはローブを纏った男である。長身痩躯の体は決して痩せすぎているわけではなく、程よくついた筋肉がローブの下に隠されている。
彼は夜風に髪を踊らせながら、淡々と足を動かし続けていた。
男が歩んでいるのはゲルマニアの街道である。その道はガリアから真っ直ぐ続いていた。

ふと、男は唐突に足を止める。
そして何もない宙へ視線を投げると、ふむ、と頷いた。

「ふむ、なるほど。
 ミッドチルダからの使者は、この先で止まったのだな。
 わざわざすまない。感謝する」

誰もいない空間へと声を放った男に対し、周りにいた人々は白い目を向けた。
ママー、あの人誰と話してるのー? 駄目! 見ちゃいけません!
などと声が上がるも、男――ビダーシャルは気にすることなく止めた歩みを再開した。

彼が聞いた声、そして返事をした相手とは風の精霊である。
エルフは系統魔法とは違い、自然界に存在する精霊の声を聞き、力を借りて、魔法を行使する。
彼が行ったことは未契約の精霊に助力を乞い、彼の探す人物がどこにいるのかを聞いたものだった。
意味は違うが、風の便りと云ったところかもしれない。

現在、ビダーシャルは風と水の精霊の力を借り、系統魔法で云えばフェイスチェンジの効果で尖った耳を人間のそれへと変えていた。
だからこそ人の目がある表通りを歩くことができるのだ。

「……ああ、分かっている。
 なんとしてもミッドチルダの使者から助力を得て、シャイターンの門を封印する。
 それこそが我らに科せられた使命であり、成すべきことだからな。
 すべては、古き盟約の下に」

ぶつぶつと独り言を口にするビダーシャルに、今度こそ街道を進む人々は一気に距離を取った。
端から見たらとてもお近づきにはなりたくない雰囲気を持つ彼だが、本人はいたって本気である。

そしてまた、彼が口にすることはどれもが事実。
ミッドチルダ式の使い手に、一秒でも早くこれを届けなくては――

ビダーシャルは首に下げた宝玉をそっと撫でると、足早に街道を進んだ。






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