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人類は神に創られ、その意に従うべき神の僕servus Dominiであり、神の下女ancilla Dominiである。
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徒然とか

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【徒然】ミサ聖祭について知りたい!

何で会衆が少ないんだろう・・・

Rickが所属するT教会はカテドラルです。

カテドラルなんだけど・・・年間主日は特にですが、所属信徒数から考えると御ミサの会衆が少ない。
それも三分の一くらいは他の教会の信者さんらしい。

うちだけではなく信者の間では・・・
「何でミサに来ないんだろう?」
「今の時代、曜日に関係なく忙しいから・・・」
「90年代は特に改革派の神父さんが続いたから、まともな人は余所へ逃げて来なくなったんです」
「神父さんの説教が、新聞記事レベルでくだらないから」
などなど、色々な推測は皆さんされますが、その理由の決定的な答えはなく・・・
いつも最後は「どうしたらミサに来てもらえるんだろう?」で締めくくられます。
これは深刻な問題・・・

ご高齢の信徒さんは「カトリック信者のおきてです、ミサ聖祭に与るべし!これを今一度、神父さまから徹底していただかなくては」と真顔で仰います。
それも御一人や御二人といった話ではありません。

当然のことながら、ご高齢の信徒さんは・・・
第一 主日と守るべき祝日とを聖とし、ミサ聖祭に与るべし。(公教会の6つのおきて)
これが叩き込まれていらっしゃいます。

無論、ご高齢の信徒さんは・・・
【427  ミサ聖祭とは何でありますか。
ミサ聖祭とは、パンと葡萄酒との外観の下に在し給うイエズス・キリストの御体と御血とを、聖父に献げる祭であります。
 犠牲とは天主を最高の主として礼拝するために献物をなすことであります。旧約の犠牲は牛、羊などを屠って之を献げることで、すべて新約の犠牲のかたどりでありました。
新約の犠牲はイエズス・キリストが、十字架上に於て、御自ら御生命を献げ給うたことであります。ミサ聖祭はこの犠牲の継続であります。
ミサ聖祭は司祭によって献げられますが、実はイエズス・キリストの御手を以て、直に之をお献げになるのであります。(公教要理 五十八課 ミサ聖祭より)
と、このあたりは今でも答えられますね♪

確かにその通りだとは思いますが・・・
それを信者に対して神父さまに言っていただく以前に「なぜ御ミサに与るのか?」
否、「ミサ聖祭とは何か?」から始めていただく必要を感じます。

というよりも「入門講座」がカトリック色を押さえ、聖書を読んで感じたことを各々が語る単なる「わかちあい」の場であったり、「カテキズム講座」がカテキズムを深めるのではなく、大切なものをサラーと流すか「昔はこう言われたけど今は・・・」とか「こう書いてあるけど、僕が思うには・・・」と否定したりして国際情勢や社会体制そして人間関係の話についての「わかちあい」が中心であったりします。

カテキズムの内容(正統なカトリックの教え)が嫌いなのか?
それとも自信がないのか?
面倒くさいのか?
教義を宣べ伝え「本当のカトリック」を理解されると困るのか?
何もわからない状態の方が「赤い社会活動」に歩ませやすいのか?

さて、どうなんでしょうね・・・。

でも「公教会の6つのおきて」や「ミサ聖祭とは」に限らず求道期間もさることながら受洗しても教義について「何となく言われたような、聞いたような・・・」であって「何も知らない・何もわからない」状況が実際にあります。

これは困りモノですね。
というより現状は、求道者や信徒がカテキズムを正しく学ぶ機会を
司祭に奪われていることにならないのかなぁ・・・
覚える気のない人も問題はあるかもしれないけど、興味を持たせるようにすることも大切な気がするけど。


「ミサ聖祭」に与れる事を喜びに・・・

話が横道にそれてしまいましたが・・・


典礼委員であるRickも含め、やはり「ミサ聖祭」というものに対する理解をもっと深める必要があると思います。
ただ理解といっても難しいものもあると思います。
公教要理を暗記するということだけではなく・・・
「ローマ・ミサ典礼書の総則」や「あがないの秘跡」などの書物を理解するだけではなく・・・

「ミサ聖祭」に与る事、「御聖体を拝領」できる事などを喜びと感じられるような理解だと思うのです。
という以前に、すべての司祭は「ミサ聖祭」をたてることができる事を喜びと感じられていらっしゃるのかな?

この時に「ミサ聖祭とは」の違いという問題があります。
それは強調されるポイントの違い。
決して間違いではなかったとしても、「新しい教え」派の説明では「食事」が強調されすぎていますので御ミサを単なる「最後の晩餐を模したお食事会」といった印象を残しかねません。
それは「主観主義的象徴主義」に陥る可能性があります。

これについては宮川俊行師(長崎純心大学・教授)の研究論文から・・・

 実在的臨在を否定する誤りの代表的なものとして主観主義的象徴主義(Subjectivisticus symbolismus)を挙げることができる。パンと葡萄酒は人間の知性に働きかける単なる「しるし(signum)」すなわち「像(figura)」で、人に「最後の晩餐」を「思い出させる」にすぎない、と考える。イエス・キリストは過去の歴史上の人物だが、人は聖書を読んで、「最後の晩餐」の場面を思い起こしながら、目前の葡萄酒とパンを注視したりこれを信仰をもって飲食するとき、そこに現存しているイエスと交わっていると言える、と主張する。
 この説の誤りはパンと葡萄酒をイエス・キリストを意識させる単なる「しるし・像」と見るところにある。この説では復活者キリストの現存は完全に人の主観が生み出したものということになる。
(「聖体の秘跡におけるキリストの臨在」のカトリック神学:宮川俊行)より引用
http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels〈=jp&type=pdf&id=ART0008433711
↑これは良い論文でした。


さて「ミサ聖祭」に与る事、「御聖体を拝領」できる事などを喜びと感じられるような理解に感性と理性においてバランスよく向かわせてくれる本があります。
アメリカではベストセラーだった有名な本・・・

子羊の晩餐 ミサは地上の天国
イメージ 1
スコット ハーン 著
新田壮一郎 監修
川崎重行 訳
エンデルレ書店 ¥2.300+税

以前、翻訳された川崎重行さんとお会いした時に「近年では稀に見るカトリックの本髄がこの本の中にあります」と言われました。
読んでみると、まったく難しい本ではなく逆にシドニー・シェルダンの小説みたいに途中で止められなくなり一気に最後まで読んでしまいます。
そして・・・
主日や祝祭日だけではなく、時間と機会があれば全てのミサ聖祭に与りたくなります。

あえて内容は書きません・・・
まだ読んでいない方は、是非とも騙されたと思って読んでみてください。

この本から受ける「興奮」と「感動」といった感覚を、司祭から宣べ伝えていただければ嬉しいのですが・・・

川崎さんに講師をお願いして、「子羊の晩餐を翻訳して」といったような研修会を信徒主催で教会でさせていただくのもいいかも♪(笑)

きっとお説教の内容や典礼破壊などといった事も会衆が少ないことの要因ではあるのでしょうが、もっと根本的なところが問題なのかもしれませんね。

少なくとも「ミサはお食事会」といった印象を与えているうちは駄目なのでしょうね。

マラナタの唄みたいに・・・


二つのミサ聖祭・・・

あと、このところ「愛のおきて」と「ミサ聖祭」について考えていて何となく思った事ですが・・・


トリエントミサとノブス・オルドミサ。
教皇様は特別形式と通常形式といった違いだけで、この二つは表現法の違いこそあれ同じと仰ってますよね?

もしかしたら「愛のおきて」の第一義が強調されているのがトリエントミサで、第二義が強調されているのがノブス・オルドミサかも?といった考えが脳裏をよぎりました。
ただし、典礼破壊され「人類愛」のための形式だけノブス・オルドっぽいミサでは意味がありませんが・・・

そして、この2形式の共存(小教区で両方をすること)で完成度が高くなるのかな?とか・・・
どうなんだろう。


トリエントミサしか認めない!とか、トリエントミサは駄目!って人たち双方から怒られそうな発想ですけど・・・(汗)

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ヨハネ23世教皇さまの特別形式ミサは
十字架でいう縦方向に重きがおかれ
パウロ6世教皇さまの通常形式ミサは
十字架でいう横方向に重きがおかれ
唯一の典礼を構成するように、賢明に配慮されています

どちらも大切であることに違いはありません

戦わせる必要のないものを
戦わせるべきではありません

主キリストが認めておられるものを
人に過ぎないものが、どうこういうべきものではありません

2010/6/21(月) 午後 11:07 sacerdosaeternus

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前者は崇高・荘厳・統一性においてすぐれており
後者は信徒の積極的・意識的・行動的参与と表現の多様性においてすぐれています

後者の典礼は
本来、表現の多様性という側面から
叙唱に豊富さをもたせたり、奉献文に充実と幅をひろげることで、
信徒の霊的精神的理解の向上をはかるよう、大きく拡充されました

2010/6/21(月) 午後 11:07 sacerdosaeternus

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ところが、後者の典礼刷新の本来の意図を無視して
お決まりの奉献文、短い文の選択、はては省略・身勝手な改悪・公式祈願の排除などなど
典礼を化石化させ、恩寵の流れをせき止める行為をし続けるがために
信徒に恩寵を受けられないようにさせてしまっています

霊的感動すら起こりにくくしてしまっているのです

信徒の霊的弱体化を促進する現行の日本のやり方では
信徒が離れて行くのも無理はありません

2010/6/21(月) 午後 11:07 sacerdosaeternus

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現行の典礼挙行の実態の抜本的な見直しをしないまま
表面上、人が集まるよう、小手先のことに走っても、何の実りもありません

教皇庁の指針で指摘されていることを
謙虚に受け止めて、
「実りのない自己流」の典礼から
「恩寵の豊かに注がれる源流」の典礼へと
典礼挙行をシフトさせていく必要があります

「日本の」「日本の」などと
井の中の蛙状態から、たいがい目を覚まして、
誤った典礼挙行や不完全・不従順な典礼挙行からの脱却で
この地方教会における信徒の真の霊的利益をはかっていってもらいたいですね

傑作ぴこり〜の

2010/6/21(月) 午後 11:08 sacerdosaeternus

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さすが!ベネさん、ありがとうございます。
Rickが思っていた事をまとめていただきました。
2つのミサ聖祭についてはずっと気になっていたんです。
胸がスッとしました。
今後Rickは明確に「ミサ聖祭2形式共存派」路線になると思います。

まずは、仰るとおりノブス・オルドミサが「恩寵の豊かに注がれる源流」の典礼に戻らなければ意味がありませんが・・・。
たぶんこれは御ミサだけではなく、エキュメニカルや諸宗教対話そして社会活動の内容など全てに通ずることであり、聖座の意向に従順な姿勢を固める事であると思います。

2010/6/22(火) 午前 8:17 Rick

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ポチ(*'-'*)/十❤十❤十 凹凸

2010/6/26(土) 午後 6:19 聖母マリアへの祈り

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リックさん、『子羊の晩餐』に関する好意的なブックレビューを有難うございました。私は同著を訳した者です。インターネット上では約10年前より吉祥寺五右衛門と名乗っております。
「近年では稀に見るカトリックの本髄がこの本の中にある」というのは決して言い過ぎではないと思います。我が国でミサの本質について書かれた本がどれだけあるでしょうか。式次第の説明のようなものはありますが、それは教会に通ってさえいれば、遅かれ早かれ、誰もが自然と覚えることです。私たちに必要な知識はミサの意味です。しかし、残念なことに、我が国では、「誤った典礼学」の権威者が著したミサ本が一般的に広く読まれているため、哀れな読者はミサを記念の会食と理解するあまり、「生贄」、「キリストのご受難の現在化」(秘跡的再現)という本来のミサの中心から目が逸れてしまっています。この「軽視されている最も重大な意味」をドラマティックに解説した本が『子羊の晩餐』です。ご紹介下さったリックさんに感謝の意を表するとともに、皆様にもご一読をお勧め致します。(アマゾンで購入可能) 削除

2010/8/20(金) 午前 6:50 [ 吉祥寺五右衛門 ]

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吉祥寺五右衛門、ご来訪ありがとうございます!
お久しぶりです。
また秋にお会いしましょう!

2010/8/21(土) 午後 10:00 Rick

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