第250回 10月21日(金)
「小泉首相の靖国参拝」「東京裁判は不当裁判」
「政治的信念なら堂々と参拝せよ」「靖国神社に2つの問題」
小泉純一郎首相が17日、靖国神社に参拝した。秋季例大祭に合わせたもので、中国や韓国の反発や憲法の政教分離を意識してか、本殿に入らず、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳しないまま拝殿前で手を合わせる形式を取った。いわゆる私的参拝を演出したものだ。

これまで首相は「政治家の信念として」とか「不戦の決意で」などと語り、就任前の「8月15日の参拝」という公約は果たしていないが、過去5回、靖国神社に参拝している。

一国の首相が政治的信念というなら、「私的参拝」「記帳しない」「終戦記念日以外」といった姑息な手段でごまかすことは止めるべきだ。堂々と昇殿して、内閣総理大臣として参拝すればいい。

政治的信念ではないから、パフォーマンスで逃げるのだ。こうしたリーダーの姿勢は本当に国を危うくしている。中国や韓国の批判には同調できないが、この首相の姑息さだけは看過できない。

僕は靖国神社には大きく2つの問題があると考えている。

1つは、靖国神社が明治維新の戊辰戦争で亡くなった官軍戦没者の慰霊のために創建されたため、幕府側の戦没者が祭られていないこと。

もう1つは、戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則なのに、戦犯として処刑された者までも「戦争で倒れた」という解釈で合祇していることだ。

僕は基本的に、戦勝国側が一方的に敗戦国側を裁いて下した「戦犯」というものは受け入れられない。東京裁判(正式には極東国際軍事裁判)は不当な報復裁判である。

しかし、東条英機元首相以下、当時の国家指導者たちは日本国民に対して戦争を指導した重大な政治責任を負っている。このことを強く訴えたい。

彼らは戦争中、一般将兵に対して「生きて虜囚の辱めを受けず」「死して悠久の大義に生きろ」と教え、特攻や自決を強要した。沖縄やサイパンでは民間人まで自決している。

その張本人たちが、おめおめと生きて「虜囚の辱めを受けた」うえ、不名誉な戦争犯罪人として裁かれた。とんでもない話だと思う。国家指導者としての責任感、使命感のなさに激しい憤りを感じる。

この人たちは靖国神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英霊に値しないと考えている。ただ、「東条元首相らは立派だ」と思う人がいるなら、自分で神社を建てて靖国神社から分祀して祀ればいい。僕はその価値はないと思うが、それは自由だ。

靖国神社は「一度、合祀した御霊は分祀できない」と主張しているらしいが、霊璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればいい。
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