プロバスケットボール選手・田臥勇太のお母さん 節子さん:1
2010年7月6日
アイシンとの日本リーグ決勝第1戦。ドリブルでゴールに迫る勇太=4月10日、東京・代々木第2体育館、河合博司撮影
6月半ばの週末、ひさしぶりに勇太(29)が横浜市の実家に帰ってきた。でもゆっくりしたのは1日だけ。「体を動かしたくてしかたないみたい。動かさなきゃいけないっていうのもあるんだろうけど」。節子(58)はそう話した。
手巻きずしを用意して迎えたが、「酢飯はいいやって。太るんですって。勇太だけ、白いごはんで食べたんですよ」。
ふだんは宇都宮で一人暮らし。日本バスケットボールリーグ(JBL)、リンク栃木ブレックスの本拠地だ。自己管理を徹底するようになったのは、米プロバスケットボール協会(NBA)に挑戦しはじめた2003年ごろから。
「主食を食べるまえに生野菜をとったほうがいいとか、油ものは控えるとか、食生活にもずいぶん気をつかっているようです。たまに帰ってきたときぐらい、きちっとやってあげなきゃね」
アメリカでいくつものチームを渡り歩きながら、再びNBAのコートに立とうと挑み続けてきた勇太。リンク栃木に入団したのは、08年9月のことだ。背番号0に「初心に帰る」という意味を込めた。元NBAプレーヤーの6季ぶりの国内復帰は「世界の田臥参上」「生で田臥が見られる」と大きな注目を浴びた。
無理もない。NBAでプレーした日本人選手は、今のところ勇太だけ。父の直人(59)は「NBAがステーキなら、それ以下はハンバーガー。NBAがチャーター機なら、それ以下はバス。それぐらい差があると言ってました。勇太はアメリカで天国と地獄の両方を味わったようなもの。試合に出る機会の少ないままNBAの下部リーグにいるより、日本で活躍したほうがチャンスが広がると思ったんじゃないかな」と話す。
入団2季目の今年4月12日、リンク栃木は3連覇を狙うアイシンを破り、初優勝。司令塔として活躍した勇太はプレーオフMVPに選ばれた。昨年夏に右のかかとを負傷して、NBAダラス・マーベリックスに招待されたキャンプでアピールする機会を逃したうえ、このシーズン前半も棒に振っていただけに、「あんなにうれしそうな笑顔は、ほんとうにひさしぶりでした」。節子は涙ぐみながら振り返った。(敬称略・田中順子)