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プロバスケットボール選手・田臥勇太のお母さん 節子さん:3

「能代に行くから」の決断尊重

2010年7月20日

 「小さな大器」と呼ばれたこともある勇太(29)は、身長173センチ、体重75キロ。だが、足のサイズは29センチもある。「すねも長かったし、もうちょっと伸びるかと期待したんだけど。親が大きくないからね」。節子(58)はそう話した。

 小学校2年生でミニバスケットボールを始めたときから、勇太のポジションはポイントガード。司令塔としての冷静な判断力と広い視野に加え、スピードも求められるため、小柄な選手の多いポジションだ。父の直人(59)が友人に録画してもらったNBAのビデオを見るときも、勇太の視線はポイントガードに注がれた。ヒーローはNBAロサンゼルス・レーカーズのマジック・ジョンソン。「ビデオで見たプレーをまねして、後ろからの足音を聞いただけで、振り返らずにパスを出すようなこともやってました。先生からは『NBAかぶれ』なんて呼ばれていましたね」

 勇太が進んだ地元横浜の中学には、野球部もサッカー部もなかった。運動神経に自信のある男子生徒たちが、「ミニバスで全国大会に行った田臥とプレーしたい」と、バスケットボール部に集まった。自分からは前に出ない性格の勇太だが、「バスケに関しては、リーダーシップを発揮するみたい」。独自の練習メニューを作って仲間を引っ張った。

 3年生の8月に出場した全国大会で3位に入り、優秀選手のベスト5にも選出された。「最後の試合が終わったとき、顧問の先生から『秋田の能代工業高校の監督に見せてみたい』と言われました」

 「必勝不敗」の文字を応援幕に掲げる能代工高は、現在までに全国大会で58回の優勝を誇る強豪校だ。練習に参加した勇太は、帰宅すると「能代に行くから」と言った。「あんな名門校でやっていけるのかしらと思いました。でも、勇太に迷いはなかったですね。本人が決めたことだから、尊重することにしました」

 秋田まで送った日、勇太はすぐに練習に合流した。「さよならも言えなかったんですよ」。直人とふたり、車で横浜に帰る途中、思いがけずラジオから「田臥勇太、能代工業高校に進学」という話題が流れてきた。「せつなくなって、涙が出ました」(敬称略・田中順子)

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