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プロバスケットボール選手・田臥勇太のお母さん 節子さん:5

苦労して、人に出会って前進した

2010年8月3日

写真フェニックス・サンズとの契約を発表する記者会見で=2004年9月7日

 「忘れもしません、ほら」。節子(58)は壁に張られた全米地図を指さした。NBAフェニックス・サンズの本拠地、アリゾナ州フェニックスに印がつけられ、「2004年11月3日」と書き添えられていた。勇太(29)が初めてNBAのコートに立った日だ。

 「サンズで15人に残ったから、もしかしたらベンチに入れるかもしれない」。勇太から連絡を受け、節子と夫の直人(59)はフェニックスに向かった。「だめでもいい、NBAの開幕戦を見て帰ってこようという軽い気持ちでした」

 空港に出迎えた勇太と久々の再会を果たし、代理人とも合流。そのとたん、代理人の携帯電話が鳴った。「ベンチ入りが決まったそうです」。日本人初のNBAプレーヤーの誕生だった。

 そして、11月3日。アトランタ・ホークスとの開幕戦、第4クオーター残り10分。「名前が呼ばれて、勇太がコートに立った瞬間、涙があふれました。3ポイントシュートなどを決めて7得点。シュートの瞬間を見られて、ほんとうにうれしかった」。帰国すると、自宅はお祝いの蘭(らん)の花であふれた。

 だが、その喜びも長くは続かない。層の厚いチームで出場の機会が減り、12月18日、勇太は解雇される。NBAでは日常茶飯事だ。「知ったのは新聞で。『解雇』ってイヤな字だねえ、NBAに『情け』なんて言葉はないからね」。直人がそう振り返った。以来、NBAでのプレーを目指す勇太の挑戦は継続中だ。

 「親は何もしてないんです、レールを敷いてやれるほど立派な親じゃないし。勇太の人生だから、勇太が自分で決めてきた。広い世界で苦労して、たくさんの人に出会って、あの子のほうがどんどん先に行ってしまいました」。節子はそう話すが、勇太は今でも「尊敬する人」を問われると、必ず「両親」と答える。

 「勇太は感情を表に出すほうじゃないから、『やったあ!』っていう笑顔がいちばん好き」。いつの日かNBAのコートで見せる笑顔を、節子は楽しみにしている。(敬称略・田中順子)

    ◇

 次回は、元プロテニス選手の杉山愛さんです。

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