現在位置:
  1. asahi.com
  2. ライフ
  3. 教育
  4. 小中学校
  5. 天才の育て方
  6. 記事

プロバスケットボール選手・田臥勇太のお母さん 節子さん:2

「日の丸背負うなんてあり得ない」

2010年7月13日

 夫の直人(59)は神輿(みこし)を担ぐのが大好きだ。勇太(29)が生まれた1980年10月5日も、源頼朝の鎌倉入りを記念した800年祭で、鎌倉に神輿を担ぎに行った。「その日の朝、陣痛が来た私を病院まで送ってくれて、もどってきたときには生まれてました」

 3200グラムの元気な男の子だった。「ちょうど神輿を担いでいる時に生まれた男の子だから、勇ましく育つようにって」。勇太と名付けた。

 中学でバスケットボールを始めた節子(58)は、神奈川県大会で準優勝。高校では関東大会にも出場した。少年ソフトボールチームの監督をしたこともある直人は、野球に加え、柔道やラグビーも経験したスポーツマンだ。勇太と三つ違いの姉の志穂ともども、家族みんなで近所の路地を駆け回って遊んだ。

 小学校2年生になると、節子に勧められてミニバスケットボールを始めていた志穂のあとを追い、勇太もメンバーに加わった。ふつうは3年生以上が中心になるミニバスだが、勇太は2年生にしてレギュラー入り。早くも才能の片鱗(へんりん)を見せたのかと思いきや、「男子チームの人数が足りなかっただけ」。

 とはいえ、親子交流会で対戦すると、視線と違う方向に出す鋭いパスで、節子を驚かせた。3年生で全国大会に出場するようになると、他チームの指導者から「この子は将来、日の丸を背負って立つ」と言われたことも。「よく食べる勇太はコロコロしていたし、そんなことあるわけないと笑っちゃいました」

 野球の経験のある直人の勧めで、3年生からはソフトボールも始めた。「朝はミニバスの試合、そのあとソフトボールの試合に出て、また戻ってミニバスの2試合目なんてこともありましたよ」

 ポジションはキャッチャー。強肩で鳴らした。ミニバスとのかけ持ちで規定試合数に足りなかったが、あと1試合出ていれば、リーグの打撃ベストテンに入れたほどの成績だった。中学に入るころにはシニアリーグからの誘いもあったが、「どうする?と聞いたら、バスケをやりたいって。お父さんは野球をしてほしかったみたいだけど、勇太が自分で決めました」。(敬称略・田中順子)

検索フォーム

おすすめリンク

バスケットの本場アメリカへ活躍の舞台を求めた、田臥勇太よるアメリカ留学体験記

ニューヨーク近代美術館の販売商品に採用された日本生まれの動物形輪ゴム


朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

[PR]注目情報

学校からのお知らせはこちらから

ジャンル別の最新情報はこちら
  • 大学
  • 中学・高校
  • 通信制高校