話題

文字サイズ変更
はてなブックマークに登録
Yahoo!ブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷

牽牛子塚古墳:権威誇示 巨石550トン運搬に1400人

80トンの巨石をくりぬいて造られた石槨の内部=奈良県明日香村で2010年8月25日、貝塚太一撮影
80トンの巨石をくりぬいて造られた石槨の内部=奈良県明日香村で2010年8月25日、貝塚太一撮影

 牽牛子塚(けんごしづか)古墳(奈良県明日香村、7世紀後半)が八角形墳であることが分かり、斉明天皇(594~661年)が葬られたことが確定的となった。激動の7世紀、2度にわたって即位した女帝は、なぜ巨大な切り石を使って堅固に築かれた「石の宮殿」に葬られたのだろうか。

 発掘調査した村教委によると、古墳に使われた石は総重量550トンに及び、最も大きな石は埋葬施設の横口式石槨(せっかく)の約70トン。切り石の組み合わせではなく、推定約80トンの1個の凝灰岩をくりぬいて造られた。約15キロ離れた奈良・大阪府県境の二上山西麓(せいろく)から木製の大型そり「修羅(しゅら)」で運ばれたらしい。

 地面を引きずるには約1400人、ころ(丸太)を敷いても数百人の力が必要だ。一瀬和夫・京都橘大教授(考古学)は「巨石を大勢で長い距離を引いていくことに、権力の大きさを見せる意味があった」と指摘する。

 石槨を壁のように取り囲む16個の石英安山岩の巨石(1個約5トン)と、八角形の墳丘のすそに敷き詰められた凝灰岩も二上山西麓から運ばれた。奥田尚・奈良県立橿原考古学研究所共同研究員は「これだけの加工石を使った古墳は見たことがない。古墳自体が大きな石造物だ」と驚く。

 6世紀までの大王陵は前方後円墳や方墳だったが、7世紀に即位した天皇からは、天皇陵だけが八角形となり、他の豪族と差別化された。千田稔・県立図書情報館長(歴史地理学)は「八角形は道教で全世界を意味する。死んでも支配者であることを形に込めている。大量の石で装飾し、仰ぎ見る人への視覚効果を狙ったのだろう」と言う。牽牛子はアサガオの意味で、その形から呼ばれるようになったとみられる。

 斉明天皇を牽牛子塚に葬ったのは、子の天智、天武、孫の持統、さらにその孫の文武天皇のうちの誰か。和田萃・京都教育大名誉教授(古代史)は「日本書紀に、天智は斉明の命令を守って大工事をしなかったと書かれており、これほど大がかりな墓を造ったとは考えられない」とする。

 今尾文昭・奈良県立橿原考古学研究所総括研究員(考古学)は、斉明陵が「修造」されたと続日本紀に記されている文武3(699)年に斉明が牽牛子塚に改葬されたとみる。白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)も「天皇の権威を高め、天皇を中心とする国家体制を維持する目的で立派なものに造り替えた」とみている。【高島博之】

 ◇斉明陵の見直し、宮内庁「不必要」 別遺跡を指定

 宮内庁は、奈良県高取町の車木ケンノウ古墳を斉明天皇陵として管理する。書陵部の福尾正彦・陵墓調査官は「斉明陵の見直しは必要ない。文献には大きな工事をしなかったとあり、必ずしも一致しない。被葬者を示す墓誌など確実なものが見つかるなどしなければ見直す状況にはならない」と話す。

 天皇陵をめぐり、考古学界の通説と、宮内庁の陵墓指定地が異なる所は他にもある。学界では発掘調査の結果、陵墓に指定されていない中尾山古墳(奈良県明日香村)を真の文武天皇陵、今城塚古墳(大阪府高槻市)を真の継体天皇陵とする説が圧倒的だが、指定見直し論議は起きていない。

毎日新聞 2010年9月9日 20時49分(最終更新 9月9日 23時18分)

検索:

PR情報

話題 アーカイブ一覧

 

おすすめ情報

注目ブランド