疑惑が絶えないヒマラヤ高峰登頂(下)

 91年の韓国-香港合同ナンガ・パルバット遠征も、当時の隊長が高所に適応できないまま2次アタックを行った点、あえて夜間登頂を選び、はっきりとした頂上の写真を撮らなかった点を理由に疑惑が提起された。

 2007年のエベレスト・シルバー遠征にも疑惑が提起された。遠征隊は当時、隊員二人が登頂に成功したと発表したが、その1年後に隊員の一人が頂上に到達できず、引き返した事実を打ち明けた。

 こうした中、著名な登山家らも登頂疑惑に巻き込まれている。韓国初のヒマラヤ8000メートル峰14座制覇を達成した厳弘吉(オム・ホンギル)さんは、93年にシシャパンマ主峰、94年にシシャパンマ中央峰に登頂したと発表したが、両方とも中央峰として認定された。同氏は2000年春、K2遠征前に同行した隊員の証言を公開し、先の登頂疑惑を解消しようとした。しかし、海外のヒマラヤ関連ウェブサイトでは、01年秋のシシャパンマ再登頂が正式な登頂として記録されている。

 朴英碩(パク・ヨンソク)さんは、ローツェ(8516メートル)を97年と01年の2度にわたって登頂した。最初の登頂の際、当時ネパールで英雄扱いされたシェルパのガジさんは、頂上で無線機を通じてネパール国営ラジオのインタビューに応じることで登頂を発表し、「朴英碩さんと共に登頂した」と語った。しかし、当時足の指が凍傷にかかっていた朴英碩さんは、約50メートル下の地点で待機し、無線機でインタビューに応じた後にそのまま下山した。その後、疑惑を提起された朴英碩さんはこれを認め、01年春に再び登頂を試み、成功した。

 登頂疑惑が劇的に解消されたケースもある。世界で2番目に14座制覇を果たしたイイジ・ククチカさんは、マカルー登頂に成功したものの、何の証拠も示すことができず、疑惑が浮上した。これを解消したのが、韓国の登山家・許永浩(ホ・ヨンホ)さんだった。許さんはマカルーの頂上から、雪が解けて姿を現したテントウムシの人形を持って下山した。この人形は、ククチカさんが頂上に埋めたものだった。

 一方、登頂を主張したものの、結局は登山界を離れた人物もいる。スロベニアの世界的なクライマー、トモ・チェセンさんは、ヒマラヤで最も険しい岩壁といわれるローツェ南壁の登頂に世界で初めて成功したと発表したが、さまざまな疑惑を受け、これに対応できなかった。それ以来、チェセンさんはヒマラヤ登頂に臨んでいない。

 ヒマラヤの高峰登頂をめぐる疑惑が絶えない理由は、登はんルートに対する正確な情報を得ずに登頂したり、シェルパへの依存度が極端に高いことにある。またシェルパのうそ、スポンサーに対する負担が虚偽の発表につながることが多い。成功を重視する社会的雰囲気も大きな影響を及ぼす。

 外国の登山界は韓国とは異なり、一度登頂疑惑のレッテルが張られると、決定的な証拠を示さない限り、それを解消することはできない。厳弘吉さんは韓国初の14座制覇を果たしたが、海外のヒマラヤ関連サイトでは、朴英碩さんが8番目で厳弘吉さんは9番目と記録されている。呉銀善さんもはっきりとした証拠を示さない限り、世界初の女性14座制覇にはスペインのエドゥルネ・パサバンさんが認定される見通しだ。

「月刊山」ハン・ピルソク記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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