最初にお断りしておくが、仕事がらみにおいては円高はつらい。保有外貨建資産が目減りするから、円高は必ずしも好ましいことではない。もちろん新規投資の機会という点では好ましい面もある。まあどっちもあるということだが、少なくとも外貨投資の単年度パフォーマンスについては悪化要因となるので、あまりありがたいとはいえない。 しかし、最近のメディアなどの報道が、たかだかドル円の水準が85円ぐらいになったからといって円高だと騒いでいるのを見ると、強烈な違和感にさいなまれる。ワタクシの意見ではこれは円高ではない。外国主要通貨安である。ユーロやドルにおいては、意図せざる競争的通貨切り下げが始まっていると感じているからだ。 欧州の債務危機でユーロはかなり値下がりした。これは、ユーロと言う仕組みへの疑問が増大した結果、一気に市場がプレミアム(過大評価)部分をブン投げて、ユーロドルの購買力平価と目されるゾーン(1.1〜1.25)まで引き下げてくれた。しかしそれをボトムにユーロが急反発した。ユーロが急落する過程では、ドイツなど輸出国の経済にプラスになることが言われた。だからこそ、アレだけの急落にも介入などは一切なかったし、むしろ必要な調整として積極的に後押ししていたようにも見える。ユーロの急落はドルの急騰でもあった。これに米国はかなりあせったのではないか?米国の競争力が落ちるからだ。 底値をつけてからのユーロドルの戻りは目覚しい。今度は反対に米国が意図的に通貨下落を放置しているのではないかと思える節がある。最近ではドルユーロのレートは両国の2年国債金利の金利差と相関が強いことが知られている。2年金利などは、市場との対話で当局が金融緩和の時間軸の期待を多少伸ばせば下げられるし、一方のユーロでは、もともと大規模な流動性供給継続にはアンチインフレの気持ちが強いから、次第に市場機能が回復しEURIBOR金利が上昇することを黙認しつつ、それが2年などの金利に跳ね返ることを放置したが、それもおそらく米国の読みどおりだろう。というわけで、ユーロドルがかなり大きなリバウンドとなっている。もちろん欧州の問題が解決したなどと思っている人はほとんどいないけれど、それ以上に米国にとってドルの価値を下げるインセンティブが強いと判断しているのだ。 くわえてドル円については、実質ベースではそれほど円高となっていないと言う意見もある。BIS基準の実質実効為替レートを見ると、どこを基点にするかによるが、円が極端に高くなっているとは見えない。英国の雑誌The Economistが発表しているBigMac Indexでも、日米のビッグマックの価格が現状の為替レートでほぼパリティ、つまり通貨は割高ではないと出ている。 (BigMac Indexへのリンク http://www.economist.com/node/16646178?story_id=16646178) で、気が付けば年度初めからドルもユーロも名目でかなりの円高水準まで来てしまった。今後も少なくともドルに関しては、下落余地があると考えている。先週金曜日の雇用統計は、民間部門の増加などもあり見かけほど悪くないという意見もあるものの、やはり前月の大幅な下方修正や予想に満たなかったことなどをみるととてもじゃないが回復しているとは言いがたい。失業率は変わらず9.5%だったが、労働参加率低下がみられるため、むしろ悪い感じだ。ご存知のとおり、米国の連邦準備制度の制度目的として法律(The Federal Reserve Act Section 2A)で maximum employment, stable prices, and moderate long-term interest ratesとはっきり謳われているが、要するに雇用の最大化は物価安定と同等の明確な政策目標であり、これが失われているさなかにおいては、引き締めの議論など論外でありむしろ更なる金融緩和(非伝統的政策を含む)が議論されなければならない。そう、「なければならない」のだ。 さらに、現状の数字の上ではまだデフレとはいえないけれど、セントルイス連銀のブラード総裁の論文で示されたように連銀内でもデフレの可能性に言及する人が出ていることは、物価安定を目標としている連銀として看過できないだろう。こうしたことからFEDは伝統的政策の可能な限りの延長(時間軸の長期化)にくわえ、デフレ防止対策としてインフレ期待の醸成を図ろうとするのではないか? いまのところすぐに発動しないと言うのが多数説だが、いずれ長期国債などの買取が議論されると言われている。これは、金融緩和措置という意味もあるが、経常赤字国の場合通貨を発行して海外で保有されている部分の国債を買い取るようなイメージとなるため、国としてのバランスシートは膨らむ。つまり一通貨単位の価値が対外的に低下することになる。さらに、それに伴う通貨下落や「マネタイゼーション」との受け止められ方で、将来のインフレがイメージされる。 実は最近の米国債の市場はこういった想定を徐々に織り込んでいるように思える。10年までぐらいの中短期の金利は依然として低下基調ながら、30年国債の金利はむしろわずかに上がっている。仮に国債買い取りプログラムが実施されそれが10年国債あたりで出るとすると、5年以下のところは今までどおり時間軸で金利低下、10年近辺は買い取り効果で金利低下するが、インフレ期待の増大で若干相殺される。30年は買い取りの対象になりがたく、将来のインフレ期待だけが残り、むしろ金利上昇。最近のカーブの形状変化はこうした動きを先取しているようにもみえる。 話がそれたけれども、為替について言えば、少なくとも米国にとってドルは安いほうがいいようだ。今はインフレを気にする状況ではなく、むしろデフレにならないために、為替だって使いかねないだろう。「円高」ではない「ドル安」ないし「主要通貨安」という視点でみれば、日本の通貨当局にとって取れる手段は、せいぜい介入で動きを弱めることぐらいだろう。今のマーケットではボラティリティーの水準にも反映されているように、急激な通貨変動を予想する人はそれほど多くない。むしろかつてのレバレッジが高かった時代のような余計なノイズ的な資本取引が少なくなった分だけ、貿易などの実需のフローが効いてくるだろう。いくら外=外決済が増えたからといっても、貿易黒字分の円転玉というのは厳然と存在するし、黒字である以上円転のほうがドル転より間違いなく多い。かくして経常収支とデフレの分だけ、着実に円の名目水準は切りあがっていくはずだ。 しかしながら、これは経済の教科書どおりのメカニズムが作動しているだけだ。それを人為的にとめるのは、無駄だと思う。 円高は企業収益を損ない国力をそぐ面もあるけれど、貯蓄の対外的な購買力を増し、行動の自由を確保できる面もある。円高だ、円高だと大騒ぎして日銀が何かすべきだと言うのは簡単だが、そもそも「円高」というのは正確ではないから、金融当局からの対策としてこの状況の下で実効性のある対策は出にくいだろう。日本も大規模なマネタイゼーションをやって競争的切り下げに参戦すればいいという意見もあるが、基軸通貨ならともかく、マイナー通貨である日本がそれをやることについては、コントロールが効かなくなるリスクも大きいということを考えるとなかなか踏み切れないだろう。 むしろ、この事態は極端な円高と呼べるものでもないのだが、仮に円高だと言うとしてもその問題は金融政策に追わせるべき問題ではない。政治の問題である。今回の事態では、世界経済の回復のために、少なくとも先進国の間では経常黒字国がある程度引き受けざるを得ないことになっているのだと思う。であれば我々としては、名目通貨価値高騰を戦略的にどのように使って国力を増すか、という中期的な政策の問題を考えるべきだし、それは政治の仕事だと思う。自国通貨高で破綻した国はないはずだ(ユーロの周辺国は仕組みが違うので例外ね)。むしろ価値の高い通貨を使って対外的にどういうことができるのか、という発想が重要であり、一部の政治家のように何でも日銀のせいにするのはお粗末極まりないというか、職務放棄といわれても仕方ないのではないだろうか?これに対応すべきなのは、日銀ではなく、政治家のほうなのだと思う。 |
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円高・株安で政府・日銀が「口先介入」
急激な円高と株安を受けて12日、菅直人首相が仙石由人官房長官らと電話で協議するとともに、日本銀行の白川方明総裁も「米国経済の先行き不透明感の高まりなどを背景に、為替市場や株式市場では、大きな変動がみられている。日本銀行としては、こうした動きやその国内経済に与える影響について、注意深くみていく。」とする異例の談話を発表し、政府・日銀が会見や談話などの「口先介入」で、過度の市場の動きを牽制しました。 ***♪レートチェック♪ ...続きを見る |
歌は世につれ世は歌につれ・・・みたいな。 2010/08/14 00:14 |
内 容 | ニックネーム/日時 |
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老後不安のために、日本の高齢世代の貯蓄傾向が問題なのでしょうか? |
たぬ 2010/08/09 22:53 |
まぁたしかに製造業の生産ラインがどんどん国外に移動してる現状としては、円高はそれほど困らないかもしれませんが、だからってなにで食べていけばいいかよく判らん我が国なんですよね。稼がないと食料を仕入れる資金が出ませんから。 |
まるふう 2010/08/10 13:47 |
基本的に多国籍化でいない政治家が、グローバル化する多国籍企業に勝てるわけはないので、意味はないですね。何度もいってるが、本邦の企業でさえ、資本、人材の多国籍化が進んでいる中で、なんで円転する必要ないでしょ。ちなみにソニーの職員(この場合家族を含めて)が全員、海外にいったなららば、円高なんて関係ないよね。ハイそういうことで円高不況は分断化された経済の象徴ですよ。なんで各国政府は経済のグローバル化を標榜しつつ、政治家は国内で支持者をえないといけないので、ブロック経済化を図るのです。 |
かる 2010/08/11 22:55 |
という意味ではひとつ年金をまらう人は、高金利通貨というか、成長力のある通貨の国債を買うことが、いいのです。円安にふれたら、ああよかったと言って国内にいればいい。まかり間違って円高のなったら、移住すればいいのです。その国の通貨で生活すればいい、そういう意味で、自分で年金は運用すべしです。 |
karu 2010/08/11 23:12 |
たぬさん、コメントありがとうございます。キーワードは安心感、かなと思っていますが、人口が減り続ける中では安心感は生まれませんね。 |
厭債害債 2010/08/14 00:41 |
今日の日本の為替介入は、財務省が日銀から借金して行う訳ですよね。 |
348ts 2010/08/16 12:16 |
最近の相場に便乗したマスコミの垂れ流し報道に疑問ありありです。本日の某・サンケイ朝刊の追加緩和記事を知って、一瞬キター!感あったのですが、結局、夕刊で他紙は全くおっかけておらず、「振り向いても誰もいない」状態。フライングしたのに一人でゴールまで走りきっちゃったみたいな感じ。あと、昼ごろの日銀が臨時会合を開くという噂(→結局何も開かれず)をそのまま記事にする人たちも出てくる始末。んー、マスコミってちゃんと裏を取るのが仕事じゃなかったでしたっけ? |
Gamer 2010/08/19 21:18 |
これ高の円高では、日本の多国籍企業は海外に生産拠点を移すばかりでは、日本人は必要ないので、どんどん円高は進む中で、日本経団連という国賊組織は全く反応しないのです。なぜか彼れの子孫といいいわるる優秀な日本人は、戦っていけるとなので、このエリートはいうが、基本的にあながた方は、世界の中では違う時点で動く新参者であることという意味を知らない。欧米は先の大戦でも我々見限って原爆を落としたという事実がある。だから坂本竜馬なんだよ。 |
かる 2010/08/21 00:02 |
長期金利はすでに、いけいけどんどんという状況で、BOJとしては、早くアンカーを打たないと、長期金利は5%を割れてきますよね。 |
karu 2010/08/21 00:21 |
ここで出てくるJGBは大丈夫か議論なんですが、米国国債はえおれを言われて20年以上になるが、破たんしていないという事実と、はたして日本財政はJGBを運用している大半の機関が公的セクターであるという事実は最終的に、その効率化議論とは別に絶対破たんしないという根拠でもあるわけなんですが。基本的こういいた問題クロスセクションで赤字だって企業はつぶれないという、時間軸の意味を無視しています。 |
karu 2010/08/21 00:34 |
348tsさんどうもです。おっしゃる通りで、介入は財務省の管轄であり、日銀は言われた通りやるだけです。日銀と話し合ってなんか取り繕おうとする今の官邸の姿勢自体、完全な能力欠如の表明ではあります。 |
厭債害債 2010/08/22 11:13 |
対ドルの購買力平価が115円前後なのに85円が円高でないとはこれいかに?The Economistがギャグで発表しているビッグマックインデックスをまじめに取り上げて、実際の購買力平価に触れないというのは「ひょっとしてこの人購買力平価のこと理解してないのでは?」と思われても仕方ないと思います。 |
失礼ながら 2010/08/27 15:54 |
失礼ながらさん、コメントありがとうございます。いきなり(しかもOECDベースの?)購買力平価を持ち出しそれを基準に円高かどうかを判断されるとは、失礼ながらこの人ひょっとして為替市場のこと理解していないのでは?と思われても仕方ないと思います。確かにOECDベースの購買力平価は115円付近かもしれないですが、そもそもGDP構成品目(おそらく公共支出なども含む)を全体にカバーしているのですから、日本のような公共支出が割高な国で円安に出るのはある意味当然かもしれません。基準年の問題もあります。これ以外に国際通貨研究所やさまざまな主体が購買力平価をいろいろな物価基準や基準年で出しておられ、興味深いものがあるはずです。おっしゃるとおり、きっとワタクシは購買力平価のことを理解しておりませんが、それは運用という仕事あるいは為替レートの予測にはまったくといっていいほど役に立たないから(とくにOECDのはね)ですのでご了承ください。こういうのはあくまで何かの研究に必要な数値を導く前提として便宜的に利用されるものであり、現実の為替相場との結びつきをこれをベースに語ること自体現実離れしていると思っています。ビッグマックインデックスは文中でワタクシもおまけとして使ったつもりですが、実用的にはビッグマックインデックスのほうがまだましですね。 |
厭債害債 2010/08/27 18:37 |
(続き) |
厭債害債 2010/08/27 18:38 |
ビッグマックインデックスは購買力平価の考え方を単純化したものですので、ご自分でビッグマックインデックスを持ち出されておきながら「いきなり購買力平価を持ち出し」と言われると非常に困ってしまいます。(蛇足ながら「OECDベースの購買力平価」という表現はすごく違和感があります。そんな言葉の使い方はどこの会社でもしてないと思うのですが) |
失礼ながら 2010/08/27 23:16 |
失礼ながらさん、どうもです。実質実効レートを持ち出したのは、デフレだから名目で円高になるのは調整という意味でも仕方ないですよね、という意味ですから特に違和感はありません。デフレが問題ではないと言っているわけではありません。 |
厭債害債 2010/08/27 23:46 |
実質実効為替レートを持ち出した理由が「デフレだから名目で円高になるのは調整という意味でも仕方ないですよね」という意味だったという主張は、『2003年以降の時期は実質実効ベースで「極端な円安」だったという説も最近は多くなってます』というご発言と矛盾します。また「デフレだから名目で円高になるのは仕方がない」と主張したいのであれば、実質実効為替レートを持ち出す必要は全くありません。 |
失礼ながら 2010/08/28 03:05 |
失礼ながらさん、どうもです。介入で大幅に円安に持って行った2003年以降も足し引きで少なくともコアではほとんどプラスにはなっていませんが、本気で通貨増発によってインフレをプラスに持っていく実験はまだやってない、というべきではないでしょうか。インフレがほとんど上がっていないなかで名目レートが大幅に円安になったのですから実質的に円安だった、という説が何もしないとデフレで名目円高になるという説と矛盾しているというのがよくわかりません。 |
厭債害債 2010/08/28 11:09 |
(続き)言葉遣いについてのご指摘恐縮です。まず、ワタクシは学者ではなく一介の実務家であり、仕事はおかねを増やすことであります。「どのような扱いを受けるか」などと脅されましても、レピュテーションよりは結果が重要で、逆にいえばレピュテーションなどどうでもいいのでわりと気楽に書いています。専門的に経済学を学んだわけではないので、議論に粗雑なところがあるのはお詫びいたします。まあこのブログもその程度の人間が書いているものだと思っていただければ幸いです。 |
厭債害債 2010/08/28 11:09 |
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