2010-09-09
まずは型に嵌めなければ使い物にならないという考え方もある
理不尽な対応をしたり、不必要な活動をしたり、いちいち非論理的なことをするのにはわけがあります。合理的に洗脳をするための方法だからです。だからこそノウハウがあり、研修を代行する会社が存在し、ある一定の意図をもって研修を依頼する会社もあると。そういうわけなんです。蛇足ながら、ブラック企業で勤めた経験のあるオーナー創業者の会社は、大抵こういう洗脳研修をやりたがるもんです。学生の皆さんは注意してね。
組織を動かすときは個を有機的に機能させなければなりません。つまり、個々人ある程度に「使える」レベルに達していなければ組織として力を発揮できないのです。というより、個人プレーの集まりでは、どんなに個人の能力が高くとも組織としては成り立たないのです。基本的に組織において、普通の人が異なる型で動き始めれば空中分解して収集がつかなくなるものなのです。柔軟性を持つ型を用意することは可能かもしれませんが、それを使いこなすことができるのは、すでにその分野で相当高い能力を有している人だけです。
つまり、高いレベルの人材を集められない一般の組織では型に嵌める方が経済的合理性がある。
今回記事『[2010/09/01]「内定辞退のウラに何があったのか」 』で取り上げられている「くら寿司」さんは、おすし屋さんです。威勢のいいサービス業である『おすし屋さんの型』とはどのようなものなのでしょうか。大きな声で、早口で、愛想が良くて、気が配れる、他にも沢山あると思いますが、それがまず「初めの型」なのだと思います。おすし屋さんで、大きな声を出すことができない人、早口でしゃべれない人、愛想が悪い人、気が配れない人ではまず役に立ちません。現場でお客様のご意見に機敏に察知して動くことなど到底できませんし、早朝の競り市に出ても何を話しているか聞き取れない上に、声すら上げることもできないでしょう。それは、自分だけの問題ではなく、周りの人の足を引っ張り組織力を落とすことにも繋がるとしたらどうでしょうか。
型のない組織は弱い。
組織で働くなら、まずは最低でも型を身に着けなければなりません。新卒の学生さんに企業のエッセンスである型を身につけさせることは外部から非難されるべきことではない気がします。体育系と揶揄されていますが、おすし屋さんは間違いなく体育系の職業です。頭を使いたいなら研究者とか技術者の道を選べば良かっただけの話です。このような人材が欲しいという要求は企業側から提示されるべきで、入社する側が希望するものではありません。
人間は環境に慣れる。
競争が激しいサービス業を取り巻く環境は生ぬるいものではありません。弱肉強食の世界で隣にお客様気分の新人が入ってきたら先輩はどう思うでしょうか。少しでも即戦力が欲しい状況において、右も左も分からない状態で飛び込む新人が歩む未来はどのようなものなのでしょうか。いきなり環境の違うところに飛び込むと誰でも厳しいと感じます。しかし、人は必ず環境に慣れることができます。そのためには、環境に適した型を持つことです。持たない人は間違いなく環境に振り回されます。何が起こっているのかすら理解できず、思考力を失います。
多数の型に手を出すよりも、一つの型を極める方が強い。
先を読んで動くことができるのは、パターン処理が出来るかどうかにかかっています。連続して動き続けることができるのは、型に嵌まった後自動的に手足が動いて、頭では次の事を考えている人です。パターン処理できないこと不測事態でも対応できるのは、能動的に自分の型に押し込めて嵌め技を繰り出し続ける人なのです。極めた型が存在すれば、どんな事象であろうと自分の型にいかにして相手を追い込むかになります。つまり型を持っていれば、嵌めることだけを考えればよく、余計な事を考える必要は無くなるのです。型があれば考える変数が減る。研修とはそういう嵌め技を教えてくれる貴重な場所と捉えることはできないでしょうか。
まずは型に嵌めなければ使い物にならない。
参考文献
ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books)
- 作者: 楠木建
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2010/04/23
- メディア: 単行本
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