「ラッキードッグ1」残暑お見舞いショートストーリー
『Summerairing Blues』
2010.08.31〜2010.09.09


……j……ti……j……

何の音だ、これ。
――最初に音に気がついた。まっ暗闇のなかで、音だけが聞こえていた。
みちみち、何かが小さくきしむような音。砂がこぼれるような音。
何だ、これ? 俺はその音だけしか存在しない暗闇のなかで、ぼんやり考える。
「……ああ。夢だ」
そう。夢だと気がついても、目が覚めないたぐいの、例の、明け方近くに見る夢だ。
この音は…………。ああ、わかった。
キャベツの葉っぱについた青虫が、一心不乱に葉っぱをかじっている音だ。
たぶん、それだ。食うことしか知らない青虫が、ただ顎だけを動かして葉っぱをかじっているときの、音――なぜか、それが俺の真っ暗闇の夢のなかに、静かに、響いていた。
「……わけわからん」
まだ、目は覚めなかった。
いや………………。
気づくと、別の夢を見ていた。
「……ああ、これ……おれか」
汚くて可愛げのねえガキがいると思ったら、そいつは俺だった。
生意気そうなアホ面で、シャツの両方の袖はハナを拭いたせいでガビガビだ。俺がいくつくらいの頃の夢だろうか、あんまり記憶にない安アパートの台所みたいな場所で、俺は――そのガキは、ひとり木箱に座って、ボロ靴はいた足をばたつかせていた。
「……ああ、それ拾ったんだな」
そのガキは、安い印刷のチラシを両手で持って、オウ、とかワーオとかふぁっくとか、覚えてきたばかりの「使うと叱られる言葉」を繰り返し、それに夢中になっていた。
安いカラー印刷のチラシ。もしかしたら雑誌の切り抜きかもしれない。
その紙っペラには、遊園地の――おそらくコニーアイランドのアトラクションが描かれていた。描くのが面倒そうな骨組み、実物より高くそびえる塔、それをつなぐレール。
「……ああ。……乗りたかったなあ、ローラーコースター」
コニーアイランドのローラーコースターだ。向こうには、雲に届く大観覧車。
コースターのトロッコに乗る家族連れは、満面の笑み。絵の中のガキの歯が、軍人墓地のように真っ白に並んでいる。地面でこちらに手を振るカップルたちも笑顔。
ガキの俺は、それを見て、そこに行きたくて――そしてローラーコースターに乗ったような気分で、両手に持ったチラシを傾けたり、回したり、口でブオ――ー、ゴ――ー、とやったりしていた。
何も無い、おんぼろだが清潔な台所。ガラス替わりの油紙ごしに西日が差すその部屋で、ガキの俺は――天国よりも遠いNYの遊園地を夢見て、ひとりで、居た。
母親は……いなかった。働きに出ていたのだと思う。
俺はひとり、先に戻ってきていて、空き缶拾いと駅の切符売り場で手に入れた小銭をポケットの奥でちゃらちゃら言わせながら、ひとり、そこに居た。
覚えていないが、たぶん母親に、このチラシのところに行きたいとねだったことがあったのだろう。そして、それ以降ねだった記憶がないということは――そういう結果だったのだろう。
俺は、ポケットの中の小銭をどれくらい貯めるとコレに乗れるのかなあ、とぼんやり考えながら、ゴ――ーとかク――ールとか声を出して、空腹をごまかしていた。
そして――
「……うわ。……夢のなかにまで出てくんな、このエロガッパ」
夢に何故かを問うほどアホウなこともないが……なぜか、そこにアレッサンドロ親父がいた。いつもの、洒落て少したるみを入れたコンプレート姿で、でかい身体、でかい顔、いいかげん薄くなれとおもう剛毛のアタマ、元気そうな中年親父が、台所にいた。
『どうした、ぼうづ。セックスでもしたいのか? 駄目だぞ俺だって我慢してるんだから』
間違いねえ、エロガッパだ、俺の夢から出て行け、金星にカエレ。
『ん? そうか、ローラーコースターに乗りたいのか。アイランドにいくか?』
ガキの俺は、親父にそのチラシを見られてむくれていた。大切な夢を汚されてしまったような気がして……そこから、出て行きたくなっていた。こいつが嫌いだった。
『そうだな。一度、母さんといくか、たまにはいいだろう。おまえからも言ってくれよ』
このエロガッパは、俺をだしにしようとしていた。許しがたかった。
『……こんなところじゃなくて、もっと、なあ。あいつが強情なのもわかるが――』
お前は何を言ってるんだ。俺は、あのルガーをどこにしまったか思い出そうとしていた。
――………………。
不意に――女の人が、いた。
アレッサンドロ親父は、急にあたふたしていた。急に、俺は言葉が頭に入らなくなった。
親父は、その女と何かを言っていて……そして、怒られているようだった。イタリア語のはずなのに、意識からぽろぽろ単語が抜け落ちて、会話の意味がわからなかった。
『……悪いと思って……頼む、少しくらい…………俺だって……ジェルソミー…………』
ああ、この女の人は……母さんだ。
後ろ姿が見える。外から帰ってきてそのまま、薄汚れたねずみ色の外套も、頭巾も取らずに、後ろ姿で親父に何かを言っていた。頭巾と襟のあいだからこぼれた金色の髪に、西日がキラキラと映り込んでいた。
母親は、アレッサンドロ親父に何かを告げて、そして首をふっていた。親父は、あたふた何かを言って、大げさに手を動かして、そして……俺が見たことのない、つらそうな顔をしていた。
……ていうか、親父。俺がガキの頃から、オッサンなんでやんの。ざまあ親父ざまあ。
『……俺だって……カネもハクもあの頃より……だから……せめて、お前たちを…………』
あれ? 一瞬……知らない男が、母さんと話してた。
黒っぽいコートを着た、古臭いスーツとネクタイの……誰だこのマッチョなイケメン。
『……イーサンは見つけ…………俺が殺す……こいつは、ジャンは俺の…………』
あ、また親父に戻った。なんだこの夢。

「……。……オヤジ、しつこいって。……なあ、もう帰ろうぜ――」

声が、出た。
「……う、ぁ……あ…………」
夢の中で、何かを言って――口が、顎ががくっと動いて、目が覚めた。
目が痛い。しばしばする。窓から挿し込む陽射しが、その急な角度でもう昼だと告げる。
「………………」
何か、夢を見ていたようだが一瞬で忘れた。いつものことだ。
それよりも……身体に、全身とすべての体毛に粘りつく、この違和感は…………。
「……あ……っ、ちいぃ…………」
暑い。部屋の中が、寝室が、空気が、むわっとする熱気と俺の汗の匂いで爛れていた。
――何事だ。エアコンは? あの素敵で、もう無しで居られない文明の象徴は!?そして、気づいた。
夢の中、ジワジワずっと聞こえていた変な音は、俺の汗の音だった。
汗が流れ、耳の穴のあたりに溜まった音だった………………。


「――これは予測外だった。事態の責任は俺にある、が……少し、待ってくれ」
ベルナルドが、心底参った、という声でそう言った。
「まあ、悪いのはあんたじゃないさ。あえて言えば、ハッスルしずぎのお日様、か」
俺は……デイバン市に巣食う悪の組織、コーサノストラ・CR:5の二代目ボスであるラッキードッグ・ジャンカルロは、天を仰いで――そしてカッコつけて空を見たせいで、容赦なくギラギラ輝く太陽に目を刺されて、うめく。
「しかし、暑いなクソ。さっきラジオで、何度だって?」
「――放送局の摂氏温度計で、38度、と言っていました。ジャンさん」
「サンキュ、ジュリオ。聞いたの俺だけど聞きたくねえ数字だ……」
俺は、シャツのボタンをもうひとつ、はずして息を吐く。
暑い。
ざくざくと、革靴の底で通路の砂利を噛み、陽射しにあぶられた灼熱の地表で汗を絞られて……俺と、そして俺の部下であるCR:5の幹部四人は、本部を出て…………。
さまよう。文字通り、さ迷う。
「……倉庫の中は少し涼しんじゃね?」
「さっき見てきたさ。あと5分で仕上がるローストチキンの気分になってみるか?」
「……ワーオ。車庫も同じか……あとは……」
「地下室は、どうでしょう……?」
「さっき見てきたっつーの。空気流れねえからシチュー鍋の中みてえだったわファック」
「……いやあ、冷房って、偉大なる発明、人類の英知だよな…………」
「まったくだ。――ベルナルドのひいた図面が、計画通りに動いていたら、な」
「……水、か……」
俺がうめくように言うと……。
「水…………」
誰かが、あるいはそこにいた全員が、うめいた。
やっと、外壁が作ってくれている急角度の影の下に避難した俺たち――このアメリカで、真夏の日にわざわざ大枚はたいて作った本部で冷房がぶっ壊れて暑くて建物の中に居られずに外に逃げ出して陽射しにあぶられている抜作5人組の中で、最高にマヌケな5人だった。

「……電源の確保には注意していたんだがな。まさか、水道をやられるとは……」
ベルナルドが眼鏡を外し、湿っぽいハンカチでそれを拭いてこぼした。
「デイバンの西側、全部断水だっけ?」
「ああ。正確にはダウンタウンの一部と、ロックフォート、あと……ここだ」
「ワーオ」
俺は煙草を取り出して……あまりの暑さに火をつける気にならず、また戻す。
「……下手な襲撃よりもきっついな、これ」
同じ日陰でずらりと並んでいるルキーノ、ジュリオ、そしてイヴァン――全員が、俺を見て……そしてファックシットを吐き捨てたり、ため息をついたり、すまなさそうな顔をした。
「たしかに、こんな暑い日はダウンタウンの連中が消火栓を勝手に開けて、街を水浸しにするもんだが……」
「今日の暑さは異常だ。まさか、消火栓の開け過ぎで水道管がカラになるとは……」
「圧が足りなくて、ここ――丘の上まで、水が上がってこないということですか」
「そういうことだな。まったく、想定外の事態だ……」
よほど汗がたまって座りが悪いのか、ベルナルドはまた眼鏡を外して拭いた。着ている青のカッターシャツも、汗でべったり濡れて罪深い紫色になっている。いつもの彼らくしくないベルナルドに、イヴァンが噛み付いた。
「やいやいやい。この紫もやし。おめえ、いつもなんて言ってた? この本部は敵の襲撃に対して篭城できるようにオレ様が設計したとかフイてたよな」
ベルナルドは、少々ムッとした顔をしつつ……図星を付かれてうなずく。
「それがなーにか。下町の悪ガキが消火栓開けたくらいで水がなくなって日干しになるとはどういうこったよ!?」
「……飲料水のストックはあるさ。問題は――」
「落ち着けよ、イヴァン。俺も、冷房に水使ってるなんて今日はじめて知ったさ」
「……すまない、ジャン。そうなんだ――あれだけ大掛かりな施設だと、通常のエアコンじゃきちんと冷やせない。だから最新型の、気化熱を利用する水冷式の……」
「それがこのありさまか」
ルキーノがそう言って、恰幅のいい身体に汗べったりのシャツを貼りつけ、宗教画の殉教者よろしく天を仰いだ。ベルナルドは、可哀想なくらいうなだれる。
「マアマア。ベルナルド、明日になったら早速、例の工事を手配しようぜ」
「……ああ。貯水タンクを増設しよう。安価な夜間の電力を使って揚水して――」
技術的なコトを話しだして、少しベルナルドの背筋が伸びる。俺は肩をすくめ、
「あー。街に、ホテルにでも避難できればいいんだがなあ」
「まったくだ。……タイミングとしては最悪だな――まさか、こんな時にGDの殺し屋がデイバンにもぐりこんでるとはな」
「……バクシー、でしたか。……すみません、俺があいつを仕留めていれば……」
「ジュリオのせいじゃねーよ。手打ちとか和平とかお構いなしだからな、あいつら」
「下手に街に出て――ばらばらになったところを狙われるとまずい。ただのヒットマンなら護衛で対処できるが、相手が相手だからな……」
「――今度は、確実に殺します……」
全員が、溜息をつく。
ロックウェルのギャング、GDの殺し屋がデイバンに潜伏中――その情報が届いたのが先週。それ以来、俺たちは特別な事情がない限りはこの本部に篭って、防御を固めていたのだが……。
そこに、これだった。
「まさか、消火栓開けまくったのGDのクソッタレじゃねーだろうな」
「それはない……市街にいる部下から報告はうけてるさ……」
「……水道管の圧力が回復するのはいつごろだ?」
「夜になって涼しくなれば、たぶん」
「……なんてこった。あと半日、ここで火あぶりかよ…………」
「そうなるかな……」
「ああ、こんなことならNYに出張しておくべきだったぜ」
「ファック、月末でクソ忙しいのによ!」
「――アレッサンドロ顧問は大丈夫でしょうか?」
「……ああ。さっき、ホテルから電話があった。部屋でくつろいでおいでだ」
「死ねばいいのにあのエロガッパ」
ジュリオ以外の全員が、暑さででろでろになった顔でため息をついた。ジュリオはどういう仕組みの身体になってるのか、汗は浮かべているが、いつもと同じクールな顔で――そしてすまなさそうな犬みたいに俺を見ていた。
「……建物の中はオーブン。外はこんがり直火焼き。地下室はシチュー鍋。さあて……。どうするよ?」
俺は天空の、やけっぱちのスポットライトじみた太陽を指さす。
「神、天にしろしめし、日輪はめぐる。そしてあと30分でこの日陰は消えるぜ」
「……そうしたら倉庫の日陰に移動か……」
「だあああ! なさけねえ!! なんでいい歳こいたヤクザもんが、こんな虫っけらみたいに日陰探してゴソゴソしなきゃならねえんだファック!!」
「だったら太陽の下で青春謳歌してくれば? ちゃんと帽子はかぶるのヨ、マイサン」
「うるせえええ! ああ、クソ、怒ったらめまいしてきやがった」
「喉乾いたな……」
「ア、俺も。誰か、本部の厨房から水持ってこねえ?」
「――はい。ジャンさん、水でいいんですか?」
「すまんなジュリオ」
「俺のぶんも頼んでいいかな……あと電話機、持ってきてくれ。延長コードで」
「おう、俺の水も頼むわ。あとタオルと、小腹空いたから食いもんな」
「――…………」
動き出そうとしていたジュリオは、いろいろおっかぶせられて、なんだか難しそうな顔になって足を止める。
「マアマア。こういう時はな、公平にジャンケンで決めようぜ」
「アホ抜かせ。おめーとジュリオが混ざってるジャンケンで何が公平だタコ」
「そりゃそーだ……」
再び、ため息。そして……俺たちが隠れている日陰は、母なる地球と父なる太陽の動きで、容赦なく短くなってゆく。
なんというか……。
この逃げ場のない暑さのせいか、かつて無いほどにCR:5トップはグダグダだった。
「まずいな……このままじゃジリ貧だ。CR:5の危機だなこりゃ」
「……何か妙案でも? 我らがカポ」
「ちょっと待て。……本部から出ずに、このカベの中で、どっか涼しい場所――」
「あるわけねーだろ、そんな都合のイイもん」
「……うるせー黙れ。……ネコがいりゃなあ。あいつら、涼しい場所探す天才だもんな」
「ラッキードッグに猫の才能も期待していいのか?」
「プリーズウェイト。えーと……」
俺は……汗で濡れたアゴに手を当て、考え……。このだだっ広い、オモテ向きは映画の撮影所として設計、施工されたこの本部の敷地をアタマの中で、つつき、ひっくり返す。
文明の利器なしで、少しでも涼しい場所…………。
――不意に。ガキの頃の記憶が、唐突にアタマの中を横切って、そして。
「……ビンゴ!!」
ひらめいた。俺の記憶と、そして――幸運が確かなら「アレ」があるはず……!!
「こっちだ!!」
俺は燃える導火線のような日陰から飛び出し、
「うおう! 暑い、ってか、熱っううう!!」
火星人の光線みたいな陽射しの中、俺はボタンを外すのももどかしく、シャツを脱ぎ捨てる。そして、部下たちがぎょっとしている中――走った。
「お、おい、ジャン!? どうした、どこへ??」
「正気かよ、まさか暑さで……」
「このバカ、日射病になるぞ!」
「……じゃ、ジャンさん……??」
「うるせーついて来い! スカったらごめん、いっしょに渇いてくれや!」


――ビンゴ。俺の幸運は、キラキラ輝く水面になってほほ笑んでくれていた。
「やったぜ。水が抜かれてねえ。このあいだの撮影のまんまだ」
俺は、ふわんと水の香りがそよ風になって漂うその空間で、力こぶを作ってみせる。
「……ここは……そうか、水槽――」
「こんな設備があったのか……」
「ファック。なんだこりゃ、プール、だと??」
「――海の、セットですか。排水されていなかったんですね」
俺のあとをついてきた、砂漠で遭難したありさまの幹部四人は――その巨大な水槽、この本部の片隅、倉庫の並びの奥にある屋外のセットであっけに取られていた。

そこは――下手なプールよりもでかい、コンクリ製の水溜だった。
それは――映画の撮影で、海を模したシーンで使用する水深1メートルの水槽だった。
そこを――いっぱいに満たした清水が、水分と温度差でそよ風を生んできらめいていた。
そこで――俺たちは、どんな冷房よりも爽やかな空気を、胸いっぱいに吸い込んでいた。

俺たちは、水槽の脇に植えられていた何かの広葉樹の木陰で固まり――
「ウフフ。ベルナルド、あんたが気ィきかせて水抜いてたらどうしようかと思ったぜ」
「……ああ、忘れてた――先月の、海賊船のシーンを撮影した時の水か……」
「俺は映画にはノータッチだったが……感謝するぜベルナルド」
「ああ、あンときのか。水がもったいねえから、別のシーン撮るまでためとこうぜって話してたときの、あれか」
「海賊船のセットは酷い出来でしたが――この水は……さすがです、ジャンさん」
全員が、砂漠でオアシス、といったツラをして水と、俺を見ていた。
俺は水槽に手を突っ込み、
「うお――ー。ちっとぬるいけど、気ン持ちいいい」
バシャバシャ、水をかき回しそれを裸の胸に、そしてズボンが濡れるのもお構いなしに俺は水を身体にぶっかける。心臓が縮むような冷たさ、そして快感。
「――…………」
「ン、なに見てやがんだこのボーイスカウトども?」
「……クソ!」
誰かが吐き捨てて――そして、ルキーノが最初に、俺にならってシャツを脱ぎすてる。
「まったくだ、部下には見せられんな……」
ベルナルドもこぼしながら、汗で変な色になっていたシャツを脱ぎ捨てる。
「畜生、ザブンととびこみてえ気分だ! クソッタレ!!」
「……あの、俺も――」
イヴァンも、そしてジュリオも上を脱いで、全員が筋肉質の身体を陽光にさらしていた。
「最低のストリップだな諸君。……ああ、クソ、めんどくせえ!」
俺はベルトを外し、ぐっしょり気持ちが悪くなっていたズボンを、そして靴を脱ぐ。
ギョッとした野郎どもの視線――
「おら、てめーらもパンツ一丁になれ。俺だけ裸の王様にする気かよ?」
「……やれやれ。ひどいハメの外し方もあったもんだ」
「兵隊どもに、外の警戒をさせておいて正解だったな」
ぶつくさ言っている割には、ベルナルドもルキーノも、あっさりズボンを脱いで――
「その……ジャンさん、俺も、いい……ですか?」
「おう。脱げ脱げ。太陽神は野郎らしいからな、目の毒にはなるめえ」
「クソ、オンナ以外の前で服脱ぐなんて最低だぞクソ」
――こうして…………。
「ようし。野郎ども、いいパンイチだ」
……間違っても、カヴァッリ顧問や役員会の面々、カタギの皆さん、そしてマフィアのご同業、敵のギャングどもには見せられない有様の俺たちがずらり、並んだ。
「おいてめえ、いま俺見て笑っただろ?」
「だってイヴァンちゃん、パンイチで靴はいてるんですもの。おかしいねえ」
「うるせえ! だって、足のウラいてーだろが」
「――ああ、ちょっと待っててくれ」
ベルナルドは、何かを思いついて……そして、いつもの彼を見て知って、そして従っている部下や後援者には絶対に見せられないパンツ一丁姿で、裸足で(足の裏が痛いせいか)少しガニマタ気味でひょこひょこ倉庫の方に歩いてゆく。
戻ってきたベルナルドの手には、革っぽい色に塗られたゴムのサンダルがいくつも。
「おお。撮影で使った、海賊のやつか」
「ああ。この水も小道具も、捨てなくてよかったよ」
全員――数十ドルする革靴を脱ぎ散らかして、安いゴムサンダルをはいた。
「ファンクーロ。なんてバカンスだ、まったく」
「……その、俺は――楽しいです、ジャンさん」
なんだか、照れているようなジュリオに、俺は犬みたいに頭を振って水気をとばし、
「おう、俺もテンション上がってきたぜ」
水槽に手を突っ込んで、アタマと髪にまた水をぶっかける。
「しかし……だいぶ前の水なのに、腐っていないな。ありがたい」
「もとは水道の水だろ。デイバンの水道屋はいい仕事をするな」
「このプール一杯で、100ドルくらい水代かかるんじゃねえかコレよ?」
「あの……ジャンさん、魚が――」
ジュリオが水面を指さし……俺以外の視線が、??という形になって動く。
俺は、自分も忘れていた行為を思い出し、
「あー。バレちまったか」
「……バレ、って。いったい?」
「あ。なんだこりゃ。細かい魚がいっぱいいるぞ」
「おう。このセット使ったあとにさ。ちょっとな。悪ガキから買った雑魚を、ポイと」
「……なんか、底の方にブロックが沈んでるんだが。いくつも……」
「すまん。それも俺。……ほれ、見てくれ」
「なにが」
「……そこ、そこのブロックの隙間。……真っ赤なハサミが見えるだろ? 萌えるだろ?」
「……ザリガニかよ」
「おめーは、ホントそういうのスキだよな……」
「いーじゃねえか。どうせ、この水捨てたらそのまま川だろ?」
「――そうか、ここで蚊を繁殖させないように魚を放したんですね、ジャンさん」
「いや、全然。つーかさ、水がたまってると、どうしてもなー。ココロ動くじゃん?」
俺は、やれやれ、といった顔で水面と俺を見ている部下たちに肩をすくめる。
「なんというか……バカンスというより、子供の水遊びだな。これは……」
「ますます部下たちには見せられんな」
「いいじゃねえか。どうせ夏も終わりだ――夏らしくバカやっておこうぜ」
俺が指を鳴らすと、
「……ジャンさん、もう昼ですが――食事は、こちらで?」
ジュリオが、まばらに揺れる木陰の下で目を細めていた。
「ああ、忘れてた。そういや、コックに明日のぶんまでつくらせてたな」
「冷蔵庫はまだ生きてるはずだ。ここでランチと洒落込むかい?」
「クソ、こんだけ暑くなきゃ冷や飯なんて食う気にならねえけどな」
「メシかー。そうだなあ……」
俺は少し考え――そして、思いついたことを即、口にした。
「よし。ジュリオは、厨房に行ってメシを運んでくれ。全員分、な」
「わかりました――」
「残りの野郎ども。ベルナルド、ルキーノ、イヴァン」
なんだい? なんだ? おう、と返事が来るのを待って、俺はコンクリの水槽のふちに座って――足を、水の中に突っ込んでふんぞり返る。
「諸君は、このカポの玉座に貢物を持ってきたまえ。この暑さでまいっている、ちっちゃくて可哀想なこの俺様をなぐさめる、夏っぽいブツをな」
「な、なんだそりゃ」
「このやろう、こんなときだけカポ風ふかしゃがって」
「貢物、ねえ……」
「そうそう。この本部にあるものでな。サア急いでくれ給え臣下のショクン」
「うっせえタコ。……ったく、しょうがねえ……」
ブツクサ言いながらも――イヴァンが、最初に木陰から日差しの下に出て行く。
肩をすくめたベルナルドとルキーノ、そして小さくおじぎをしたジュリオがそれに続き、その場には水をバシャバシャ蹴る俺と、その水音だけが残った。


木陰の下に、5人全員が揃うころにはちょうどいい具合に俺のハラも鳴っていた。
「――待ちかねたぞ朕は。して、貢物は?」
見えないヒゲをしごくフリをした俺に、ファックやらカーヴォロやら罵倒が飛んで、
「こちらを、マイロード」
大きな金属のケースを抱えていたベルナルドが、最初にそれを俺の前に置く。
DSP――デイバン・シェイビング・ピクチャーと会社のロゴが入った、フィルムを運ぶときに使うその大きなケースには、真っ白で、そしてツヤっと濡れた……。
「うほ。氷か! すげえ、どこにあったんだこれ」
「フィルムを保管する冷凍庫に、ね。綺麗な氷だから、舐めようが抱こうが、ご自由に」
「うむ。褒めて使わすぜ、ベルナルド、最高だ」
俺はその氷に触って――うっかり、貼りつきそうになった手を引っ込めて指を舐める。
「うおおお、冷てえ! 文明バンザイだな」
北極にいるクマのように、でかい氷に俺がじゃれついていると、
「……ジャンさん、少し割りましょうか」
アイスピックをもったジュリオが、そうっと俺の前で膝まづいていた。
「おお、頼む。全員分、どかっとかち割ってくれや」
「なんという慈悲深い」
「ありがたくて涙が出らあ」
サクサクと、氷を砕く最高の音色が響く中――
「くそ、ベルナルドのあとだと俺は不利だな」
ルキーノは持っていた箱をおいて、筋骨たくましい肩をすくめてみせる。
「それは?」
俺の質問に、ルキーノは白い歯を輝かせる汗と笑顔で答え、箱を開く。そこから、金色に眩しく輝くラッパのようなものと、銀のハンドルが姿を現す。
「蓄音機か。うおー。レトロだな」
「ああ。こいつなら電源はいらない。カヴァッリ顧問からお預かりしてるものだが……。ないしょだぞ、こいつを陽に当てたなんてバレたら減俸だ」
ルキーノは、蓄音機のスライドからレコードをくるり取り出し、それをビロードの盤にセットする。ハンドルが回され、そうっと針が動くと、
「おー。鳴ってるなってる。なんぞ、これ?」
金のラッパから、勇ましく、そして空回り感のある重厚な音楽が流れる。
「……ワーグナーか。とんだ屋外オペラもあったもんだ」
「爺様、こういうの好きだからな」
全員が、本来の演出効果を台無しにされた音楽に浸る中――ジュリオが厨房から持って来てくれたサンドイッチのパンと、中に挟むハムやチーズを詰めたトレイが全員の手と口を回ってゆく。
「うお。……キク〜ッ、……新発見だ、明るいところで食うマスタードは威力が倍だ」
「ン……む、ん。今度のコックはあたりだな、誰の兵隊だ?」
「俺の部下から選抜したやつさ。……ハハ、イヴァンが俺の部下褒めたの初めて聞いたぞ」
「俺はもう少し薄味の方が好みだがな――ジャン、おまえはどうだい?」
「……ハフ、ン。……俺の食いっぷりで判断してくれたまえ。さて……」
俺は、パンくずだらけの手を水面ではらってお魚に施しを。
「さあて。イヴァン伯爵。チミの貢物は何かね?」
「うるせえ。――これだよ、ほれ」
イヴァンは、何も印刷されていない厚紙の大きな箱をみんなの輪の中に、どすんと置く。
バリバリ音を立ててそれが開くと……。
「なんだ、缶詰?」
「また暑苦しい中に、暑苦しいブツをもってきたな」
「……缶詰なら厨房にあるぞ――」
「うっせえ! ちょっと黙ってろ!!」
電話に夢中のマダムが忘れ去ったヤカンのごとくお怒りのイヴァンが、その銀色の缶をつかみ出し、なにもラベルが貼られていないそれに……箱に入っていた、鉤爪のような缶切りを突き立てる。
「うお? なんだその缶切り、でけえ!!」
「缶切りの発注ミスか?」
「だからうっせえ、おめえら!」
牙をむいたイヴァンが――その顔が、ニヤッと、不敵に笑った。
それと同時に、
「なに!?」
プシュっ!! と――どんな男の耳も、心も奪う音が――炭酸混じりの液体が溢れる音が響いて、俺と、他の野郎どもの目と耳をさらう。
イヴァンは、並の倍はある大きなオープナーで、缶の両端に大きな穴を、二つ。
そこから……真っ白な泡、そして黄金色が溢れ出す。
「ヒュ――ー!!」
「!! ビールか!?」
「缶にビールだと!?」
「……なるほど――」
俺たちの反応に、パンイチのイヴァンは勝ち誇った顔で、胸を反らせる。
「おうよ! まだ開発中のブツだがな。瓶詰めのビールは重てえし割れるし、輸送コストがかかってしょうがねえだろ。だからな――このあいだ買った缶屋の工場にコイツをつくらせたんだ」
「すげえ。未来に生きてるなイヴァン」
「ハハッ、これくらいの先見の明がネエと商売なんてできねえんだよ」
栄誉に包まれたツラのイヴァンが、そのビールの缶を俺に渡す。缶はぬるかったが、こぼれるビールの泡と粘っこさが俺の喉を鳴らした。
缶にあいた、大きな穴の片方にそうっと口を……。
「……どれ…………。……ンッ……ん……。うめえ」
「ハハッ、あったりめえだ。中身も選ぶの大変でよ! 炭酸の具合とか、缶が破裂しねえようにとか。錆びねえようにとか。専用缶切りとか。苦労したぜえ」
その頃には……俺が盛大に鳴らす喉に釣られたベルナルド、ルキーノが、勝手にその缶をとって、穴をあけていた。
「なるほど。だからこのサイズの缶切りがいるわけか」
「……うーん。ぬるいのもあるが……少し炭酸がゆるくないか」
「うるせえ、文句言いながらしっかり飲んでんじゃねえか!」
「いやー。イヴァン、さすがだ。こういう目端はおまえらしいわ。これ、絶対流行るって。将来は瓶のビールより売れるかもよ」
「おう。そうしてみせるさ。そのために高えカネ突っ込んだんだ」
「――たしかに輸送コストを削減、できる……。冷やすのにも、よさそう……ですね」
「ビールだけじゃなくて他のドリンクでも行けるな」
「……うめー。……なあ。これ、軍隊に売れるんじゃね?」
「そいつはいいな。売り込んでみるか……」
俺たちパンツ男どもは、水辺の木陰で――未来の飲み物で喉を鳴らし……。ジュリオは、砕いた氷の中に、次に殺される缶たちを並べて冷やし……。

「――ああ…………」
俺は、カラになった缶をコンクリの上に置き、乾いた音を祝砲替わりにする。
「――ああ…………。気持ちイイ、な」
「ああ。さっきまでの苦痛がスパイスのようだ」
「まったく、なんてバカンスだ」
「俺のおかげだろ。ありがたく思えよ」
「……ジャンさん、ご気分は?」
俺は、ジュリオが開けて、差出してくれた冷えた缶ビールをもらい、ウインク。
「くるしゅうない。最高だぜ。おまいら――最高の夏だ」
「そいつはなにより」
「臣下の我らも満足です、マイロード」
「ああ、クソ。俺にももう一本開けてくれや」
ジュリオは――イケメンはパンイチでも、はっとするほどイケメンだった――は、即席のバーテンダーになって、冷えて汗をかいた缶を次々に開ける。
サンドイッチの具だったハム、サラミ、サラダの器が野郎どものあいだをまわり……。
蓄音機が止まると、誰かがハンドルを回し、レコードを換え……。
時計がない空間、この場所で、だがゆっくりと陽射しと木陰の作る角度だけが動いて、世界が絶賛稼働中だと俺たちに告げていた。

「……陽が傾いてきたな」
「ああ。夕方になれば、水も来て冷房も使えるさ」
「……クソ、一日終わっちまったぞ。今日なんにもしてねえ」
「いーじゃねえか。今日は終わりだオワリ。仕事は明日やろうぜ」
俺がそう言ったとき、
「あ…………」
ルキーノ、そしてベルナルドが、ハッとして、うめくような声を漏らした。
どうした? 俺が聞く前に――傾く陽射しに目を細めていたジュリオが、言った。
「――夏が、終わりますね。ジャンさん……」
「え」
「……あ、いえ、その……明日から、9月。暦の上だけで、夏はおわり、です」
「…………そっか。月末……」
「はい。まだ暑い日は、続くかと……ジャンさんには、ゆっくり休んで――」
ジュリオのその声を、
「……しまった…………」
眼鏡の上から、両の手で顔を覆ったベルナルドのうめきが断ち切った。
ほぼ同時に……ルキーノも、殉教者のように天を仰いで、うめいていた。
「……月末だった…………」
「な……。ど、どしたん? ふたりとも……。なんか、あったっけ?」
急に不安になってきた俺に――ベルナルドが、がくり、うなずく。
「……すまない。もっと早く言っておけばよかった…………」
「な、なに?」
「……月末だ。各自、今月分の経費をまとめて計上してくれ、今日中だ――」
「――わかった。あとで持っていく」
「……ファック! それだ……! くっそー……忘れてた……」
「……暑いせいだな……。俺も、書類を作らなきゃならないんだった……」
「え。……あー、そうか。月末か。すまんねえ、みんな。忙しい中、こんな」
「……なんの、マイロード。……と言いたいとこだが……」
ベルナルドの大きな手が、俺の肩に、汗がにじむ両肩に、ガッシと置かれた。
「……ジャン。先週頼んだ、遊戯施設の見積の確認とサイン、あれ、どうしたかな」
「…………あ……」
――目の前が、暗くなってきた。あれー……もう夕方かな……。
「……競馬場の建設に合わせて、遊園地を――リトル・コニーアイランドを作るというジャンのアイディアはさすがだ。これからのシノギは、女性と子供を呼び込んだほうがカネになる。――計画は、すぐに実行するが……頼んでおいた、見積の確認は?」

俺は…………。
やっと、今朝方見た夢の根っこに気づき――そして、それにけつまづいて、いた。

「……ごめん。まだ…………。先週、連合の接待してて……忘れてた……」
「――マジか」
「おいおい……」
「……ジャンさん…………」
「――マイロード、実に言いにくいが……見積は、明日、役員会に提出だ」
「…………来週じゃ、だめ…………かな…………だめ?」
――重い沈黙が、すべてを物語っていた。
「……夏が、終わるな…………」
「ああ……」
誰ともなく、茜色に染まりだした陽射しの中で、ぼそりつぶやき、答えた。


おもしろうて やがてかなしき 夏日哉


「――……ああ、オレ。俺だ俺おれ、オレだよおやじ」
「――……すまねえ、いきなり電話してよぅ……いま、いいかな、いいよな?」
「――……なあ、俺、そっち帰ってもいいかなあ……。イヤ、仕事はきっちりしたぜ? シカゴから逃げてやがった例のチクリ屋はよ、この腐れトマト味のデイバンで見つけてよ、きっちり首ねじ切ってやったぜ。……いや、それはいいんだけどよ……」
「――……ああ、たしかにさ、俺……そっち出る時によ、ダイナマイト山ほど持ってよ、デイバンのお粗末早漏マカロニ野郎どもをさ、ついでにサタンのケツの下まで吹っ飛ばすっていってさ、計画も立てて……ああ、そのつもりだったんだがな……」
「――……ああクソ!! 受話器が汗で滑る!! このクソファッキン腐れ祖チン○!! この街、暑いぃぃぃいいいんだよう、おやじ!! まじ!! 死ぬって!!」
「――……ロックウェルと違ってよ、湿気でべたついて、暑いんだわマジ、マジマジ!! 隠れ家でさ、壁に触ると汗で手形ついてさ、そこにカビはえるんだぜ!?」
「――……しかもさー。あンの腐れイタ公ども、本部の奥にバージンのファックみてえにガチガチに引きこもってやがってよお……出てきやしねえし。……うん、わかってる。あのゴリラじじいは外にいるんだけどよ、あいつはヤッちゃなんねえんだろ?」
「――……ンモー。やってられねえ、暑くて散弾が暴発しそう、ってか俺が暴発するって。なあ、いいかなあ……俺、帰っても……ウン、9月になったらまた戻るからさあ……」
「――……てかさー。どれだけ暑いかっていうと、隠れ家にいたネコちゅわんがさあ、ひっとりも、いなくなっちまったんだよう……あいつら暑いの嫌いだろ?だからさー……メインの仕事はやったからさー。いいだろー、おやじ……?」
「――……え、マジ? おー、さすがおやじ、話がわかるわ。サイコー、愛してるわん。戻ったら連れションするわ。え、殺す? わかったよひとりでするよぅ。ああ、……ああ。任せとけって。今年のクリスマスには、あいつら地獄でお祈りさ。……んじゃあ、今夜の列車で戻るわ。ああ、切符代はある。おみやげいるけ…………?」

END

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