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2010-09-01(水)

乱暴な言葉遣いの人間は差別する。


 先日、Twitterにこのようなことを書いた。

特にネットでは、ぼくは意見の正否「だけ」で相手を判断するつもりはもはや全くない。下品な人間の相手をすることはいやだし、ひとの悪口を安全なところから吐く人間にかかわるのもいやだ。しらないひとと不毛な議論をする意欲もない。それで当然だと思っている。そうすべきでない理由はあるだろうか?

「意見と人格は切り離して考えるべき」「嫌なやつのいうことでも正論は正論」という考え方があることはわかるけれど、逆にいうと「いくら正論をいっていても嫌なやつは嫌なやつ」であるわけで、そういう人間は遠ざけたい。遠ざけることが逃げだとは思わないし、閉塞だとも感じない。精神衛生上の問題。

まあ、「意見だけはとりあえず受け入れて、その人物は遠ざける」というのがいちばん適切な対応かな……。「批判は受け容れるべき」という言葉には条件付きで賛成できるけれど、「批判は無条件で受け容れるべき」には全く賛成できないということ。だから、ぼくはブロックが悪いとは全然思いません。

 この三つのツイート(呟き)は合計16のお気に入り登録を受けた。それなりに注目されたツイートであるといっていいだろう。

 ここに書いたとおり、「人格と意見は切り離すべきである」、つまり「いやな奴の言ったことでも意見は意見として受け容れるべきだ」という考え方を、ぼくは拒絶する。正確には、「受け容れつづけること」を拒絶する、というべきか。

 なるほど、それは一見、「成熟した大人の態度」に見えるし、尊敬すべきあり方には違いない。しかし、現実にそのような態度を一貫させようとしたら、はてしなくストレスが溜まっていくだろうし、ぼくは(労働ならともかく)ネットにそこまでの労力を割くつもりはない。

 それが未熟だ、非論理的だという非難は甘んじて受けよう。しかし、一時的にせよ数千、数万という読者が存在するとき、そこから無数に投げかけられてくる「意見」を、純粋にその内容のみで受け止めるということは、ぼくには不可能である。大半のひとにも不可能だと思う。

 「いやな奴の言ったことでも意見は意見として受け容れるべきだ」という意見は、実は自己正当化にも使われる。この意見は主語が「わたし」に変換されたとき、次のように変わる。「わたしがどんなに乱暴な文調を使おうと、わたしの意見を受け容れるべきだ。なぜならそれは正論なのだから」。

 この言い分は正しいだろうか。ぼくは一面正しく、べつの面では正しくないと思う。なぜなら、「意見」を寄せるひとには、ごく丁寧な文調でそれを指摘することも可能であり、その選択肢を選ばなかったことは、当人の問題であるからだ。

 「あまりにもばかばかしい主張に対しては乱暴な文調を使わざるをえない」? そんなことはありえない。どの文調を用いるかはあくまでその当人の問題であり、指摘/批判/非難されるあいての問題ではない。ここを混同してはならない。

 たとえば、「1+1=2」という問題に対して、「1+1=3」だと主張するひとがいるとする。これは間違いを指摘されて当然である。しかし、その指摘の際、「1+1=2だと思います。ご注意ください」と丁寧に書くこともできれば、「1+1=2に決まっているだろ。ばかじゃねえか。死ね」と乱暴に書くこともできる。

 両者は「主張」の中身は同じである。しかし、あきらかにその文調は異なる。むろん、その「主張」が正当である以上、それは受け容れるのが「大人の態度」ではあるだろう。しかし、後者のような文調で「意見」を受ければ気分を害することは当然だ。

 「間違えたのは自分なのだから、正しい指摘を受けて気分を害することはおかしい」? そうは思わない。なぜなら、このとき、気分を害する原因は、その「主張」ではなく「文調」にあるからである。

 ただ丁寧に伝えることもできることを、揶揄、皮肉、罵倒を交えて書くのは、敵意や悪意、もしくは何らかの負の感情の発露でなくて何であろう。そのような情緒を交えた文章に不快を感じることは、あまりにも当然のことではないか。

 同じ内容を書くにしても、「届きやすい言葉遣い」と「届きづらい言葉遣い」が存在するということ。そして「届きやすい言葉遣い」を使ってもかまわないときに、あえて「届きづらい言葉遣い」をする人間はそのような意思の持ち主であるということ。

 以上の理由で、ぼくは「届きづらい言葉遣い」をあえて用いる人間を差別する。そのような人間の意見も意見として受け入れはする程度には「大人」になるにせよ、かれに対し労力を払って対応する意思は全くない。それで当然だと思っている。何か問題があるだろうか?

f.mf.m 2010/09/01 20:30 リアル、生活上は確かに口調は気にするべきである。しかし、ツイッターやブログなどは誰でも見えてしまうといえどネット上なのだから、そこまで批判的になることはないと思います。あなたの言っている通り、口調は人の性格が現れます。皆が口調を改めてしまったら個性が失われる、と思います。砕けた口調だからこそ気がおける、気が楽になる、ということもあるのでは?

cap-compcap-comp 2010/09/01 21:13 >>たとえば、「1+1=2」という問題に対して、「1+1=3」だと主張するひとがいるとする。これは間違いを指摘されて当然である。しかし、その指摘の際、「1+1=2だと思います。ご注意ください」と丁寧に書くこともできれば、「1+1=2に決まっているだろ。ばかじゃねえか。死ね」と乱暴に書くこともできる。

 海燕さんはこの二つの例を用いて、「両者は『主張』の中身は同じである」とおっしゃいますが、同じではないと思いますよ。
 まず、「1+1=2だと思います」とは「思います」とあるように考えの表明です。それに対して、「1+1=2に決まっているだろ」は「決まっている」とあるように事実としての提示です。
後者の意見に対しては「それ(1+1=2であること)はあなたが思っているだけで、事実ではない」という反論できますが、前者の意見に対してそう言ったところで、それは(確認にはなりますが)反論にはなりません。
「事実ではない」ことを自覚した上でも、前者の意見は成り立つからです。なので、これらは「主張は同じだが、文調の乱暴さが異なる意見」の例としては不適切です。

 また、この二つの意見は他にも違いがあります。後者の意見では「ばかじゃねえか。死ね」という言葉が添えられています。この時点でそこには、「あなたは馬鹿じゃないか」と「死ね」という主張が加わっているので、やはり「両者は『主張』の中身は同じである」とは言えないでしょう。
 「人格と意見は切り離すべきである」とは限らない、という主張に説得力を持たせたいのであれば、本当に「両者は『主張』の中身は同じである」と言える例を用いたほうがいいと思いますよ。

kaienkaien 2010/09/01 21:40 >同じではないと思いますよ。

 では、「1+1=2です。注意してください」と「1+1=だろ(笑)。もっと注意して書きやがれ、この野郎」に直します。これも厳密には意味が違うかもしれませんが、よくなってはいるでしょう。

kaienkaien 2010/09/01 22:04  あれ、直っていないや(汗)。直したと思って読んでください。

RASRAS 2010/09/01 22:13 はじめまして。
反知性主義を批判するのに、汚い言葉で罵倒・嘲笑して「厳しい言葉を掛ける事で目を覚まさせる」と仰る方をネット上で見かけた事があり、「反知性主義に対抗する人が、スパルタ式根性論とは…」と違和感を覚えた経験があります。
犯罪とか虐待とか諸々の社会問題を論じる時、知性派の方々は「罵倒しても物事は良い方向に変わらない」と見習うべきいい事を言う方が多い気がするのですが、何故か反知性主義の問題になるとドン引きする態度を示す例がチラホラ見られて失望することもあります。
頭が良い合理主義者は自己責任論と親和性が高いのではないか、それが自分より劣る者へ見下した態度をとる原因ではないか、と私は考えています。

にょにょ 2010/09/02 05:03 私は言い方内容すべて含めた言説全体から、発信者をイメージしています。
あなたの言説からは、ご自身もご指摘なさっているような未成熟さしか感じません。
想像ですが、下品で言葉遣いの悪いとあなたが感じる人間に、耳の痛いことを、つまり内容ではうまく反論できないことを、言われたのではないかと。
理論武装して身を守る前に、謙虚に自身を変えることに努めるべきではないでしょうか。

sshssh 2010/09/02 09:03 興味深いです。
最初はいやなやつだとか人格だとかの話だったのが、途中から文調という要素だけに話が限定されていますが、文調以外の要素についてはどのように思われますか?

ep_meisterep_meister 2010/09/02 14:14 変な考えかもしれませんが
真に自分の心に届く言葉は、言葉使いの綺麗汚い、発言者の人格その他関係なく心に届くものだと思ってます
言い換えると、そうでない言葉は、言葉使いその他関係なく、自分にとってそれ程価値のあるものでは無いと思ってもいますね
ただ、個人的感情として粗野な人間は嫌いです

aaaaaa 2010/09/02 14:24 「乱暴な言葉遣いの人間は差別する」って日本語おかしいだろ氏ね。「乱暴な言葉遣いの人間を差別する」にしないと主語が「乱暴な言葉遣いの人間」になるだろうが基地外

ごめんなさい書いてみたくなってしまったんです

rurururu 2010/09/02 16:38 乱暴な文調の意見っていうのはまず相手に届かせるつもりがない、という時点でそれは意見(批判)じゃない何かだと自分は思うんですよ。実際海燕さん自身もTwitterで
「いっている中身こそ正しいが言い方が下品で下劣であいてに耳を傾けさせる気が全くない批判」に何か名前を付けるべきだな。
と呟いてますし…。だからそういうものに取り合う、反応する必要なんて当然ないと思うし、そんなものを押し付けてくる人間を嫌うのは変な事ではないと思いますよ。

YUSYUS 2010/09/02 17:23 私が日頃感じていたことが文章になった気がします。ありがとうございます。
まさに「人を責むるには含蓄せんことを要す」ということですね。
相手に本当に自分の意図を届かせるには、相手が受け入れやすくする必要がある。

最近私は「人を動かす」ことにあくせくしているのですが、
人は居心地のいい場所へ流れるものだと痛感しています。

みかんみかん 2010/09/02 21:19 子猫が威嚇をするのは怯えているから。
怯えていればいるほど威嚇をする。
人も同じで、怯えていればいるほど乱暴な言葉を使う。
この人怯えてるんだ?
そう思って聞けば乱暴な言葉でも腹は立たないよ。
最近はこうではなくて、
このおっさん、感情のコントロールも出来ないクソガキなんだ。
そう思って聞いてるw
その言葉の中にも使える情報が山ほどあるんで。
無視するのは避けたいからね。

kaienkaien 2010/09/02 23:07 >想像ですが、下品で言葉遣いの悪いとあなたが感じる人間に、耳の痛いことを、つまり内容ではうまく反論できないことを、言われたのではないかと。

 憶測でものをいわれても困ります。想像と現実は区別したほうがよろしいかと。

>文調以外の要素についてはどのように思われますか?

 究極的にはあいての人格というものはわからなくて、ただその態度から想像するしかないものですよね。「あいつはいやな奴だ」というのは、正確には、「あいつはいやな態度を取る奴だ」という意味であるはずです。だから、あいての人格について考えることは不毛だとは思いますが……ついつい考えちゃいますよね。

>ごめんなさい書いてみたくなってしまったんです

 おかしくないと思います。goo国語辞典によると、「は」には、「ある事物を他と区別して、または対比的に取り立てて示す意を表す」意味があります。これはその「は」です。つまり、「乱暴な言葉づかいの人間は差別する。(乱暴でない言葉遣いの人間は差別しない)」という文章の後半を省略したのがこの一文であるわけです。野暮ですが、一応。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/172815/m0u/%E3%81%AF/

pp 2010/09/03 00:59 問題ないと思います。「意見と人格は切り離して考えるべき」は大抵の場合「俺の話を聞け」を言い換えただけだからです。

っ 2010/09/03 04:16 同意です。変なことを言ったとして、馬鹿じゃねえの違うに決まってるだろ頭おかしいのか
って言われるのはちょっと不愉快になりますよねえ。

内輪の知識を持ってないなら発言するなっていう風に考えているのか、
知識を持っていることを過剰に誇示したいのか、
わかりかねますが。

普段内輪の円滑な会話ばかりしていて、外部から来た人に対して会話するのを極端に面倒がる類の人にそういう傾向が強い気がします。
内輪ばかりの会話ばかりしているからこそ、知識のない人を見るとバカヤロウにみえるんでしょうね。そして、いらいらするんだろうな。

まぁそういう人もいるということで。

DDDDDD 2010/09/03 11:19 >憶測でものをいわれても困ります。想像と現実は区別したほうがよろしいかと。
にょさんが記事を読んでkaienさんを「下品な人に反論できない事を言われてのではないか」と感じた事に対し、「想像と現実は区別したほうがいい」とはちょっと乱暴では?
乱暴な言葉遣いでもないんだからそこは否定はしても馬鹿にしたらダメだろ。
kaienさんは「あいての人格というものはわからなくて、ただその態度から想像するしかない」と主張しているのに、何故にょさんには「憶測でものを言われても困る」と言えるのか理解できません。

SO 2010/09/01 04:44
ブツブツ言ってるだけで聞こえねぇ
客観的に聞いてみろよ
kaien 2010/09/01 15:55
お前こそ客観的に自分の無礼さを確認してみろ。

この記事を書いたのはこのやり取りが発端なんだろうけど、これを見た感じだと「未成熟さしか感じない」と思われても仕方が無いでしょ。
他の好意的な意見には反応せず、乱暴な意見にのみ乱暴な言葉で返信するのは大人とはあんま言えないと思う。普通は好意的な意見に返信してあげるでしょう。
色々言いましたが、記事の主張には同意してます。

藤ちゃん藤ちゃん 2010/09/03 15:16 >>乱暴な言葉遣いの人間は差別する。

「は」だと、
「乱暴な言葉遣いをする人は、差別主義的な行動をする」か
「乱暴な言葉遣いをする人を、僕は差別してあつかいます」か
判断つきかねる釣りタイトルなっているので、
『内容を一文でしめすタイトル』としては悪文になるのではないかと私は判断します。

『乱暴な言葉遣いをする人は、差別主義者だ!! ……とかいう意味だと思った?
 正解は
 乱暴な言葉遣いをする人を、僕は差別して議論の対象として扱いません。
 という意味でした。
 辞書を読み直して出直してきてね。』

という意味合いで『一度でも乱暴な言葉を使った人を大漁ゲット!!』
が主目的なら大釣り大会盛況ですね。おめでとうございます。みたいな。

私の文に悪意が駄々洩れてるのは、海燕さんが以前
「反省しました。釣りはもうやめます」的なことを書いたり
「釣りタイトルの商法はひどい」的な事を書いたりしてたからです。
……セイロンってブーメランで返ってくるから痛いんですよ。

※主張自体は正当だとおもいます。
そもそもコメント欄もメールも読まないアイドルや著名人ブログもフツーに存在しますし、
物量的に無理な現実がありますから。

kaienkaien 2010/09/03 18:13 >kaienさんは「あいての人格というものはわからなくて、ただその態度から想像するしかない」と主張しているのに、何故にょさんには「憶測でものを言われても困る」と言えるのか理解できません。

 ぼくは「他者の人格については想像するしかない」と書きましたが、「想像に基づいて非難して良い」とは書いていません。想像はあくまで想像であり、事実とは区別されるべきです。そして、批判は基本的に事実と、事実から導かれる論理に基づいて行われなければなりません。

 だから、ぼくは究極的には人間の人格は批判できないと考えています。批判できるのは行動であり、言動です。たしかに、人格批判は、それでもなお「ついついやってしまう」ことではありますが、良いことだとは考えていません。

 この場合、にょさんの想像はまさに想像であり、事実ではありません。そのような事実は存在しないのです。だから「想像と現実は区別したほうがいい」と書きました。ばかにしているつもりはないのですが、そう受け取られるなら、ぼくの修行不足ですね。反省しましょう。

>この記事を書いたのはこのやり取りが発端なんだろうけど、これを見た感じだと「未成熟さしか感じない」と思われても仕方が無いでしょ。

 はずれです。最初にTwitterに上記のつぶやきを書き込んだのが8月28日ですから、31日の記事に対するコメントが発端になりえるはずがありません。ぼくにはアリバイが存在します。

 ちなみにぼくはあいての対応に合わせて対応を変えます。丁寧なあいてには丁寧に、乱暴なあいてには乱暴に、相手にしていられない内容には無視を。なるほど、乱暴なあいてにも丁寧に接するのが本物の大人であるのかもしれませんが、その意味ではぼくは大人になる気はない。

 その種の態度を未熟だといわれるならその批判は甘んじて受ける、ということは既に書きました。だから、あなたやにょさんがぼくのことを未熟だと感じるというなら、それは全くかまいません。あるひとをどう感じるかはそのひとの自由ですから。

 ただ、あなたの推測が外れているのと同様、にょさんの想像も間違えています。推測とか想像というものは、どれほどもっともらしく思えても、間違うことがありえるのです。だから軽々しくそれらをもとにひとを批判してはいけない。そうではありませんか?

>……セイロンってブーメランで返ってくるから痛いんですよ。

 悪文ではあると思いますが、釣りタイトル(実体と離れたセンセーショナルさだけを狙ったタイトル)だとは思いません。釣りタイトルにするならもっとうまく釣ります。いや、ほんと、今回はこんなにひとが集まるとは思っていなかった。

 ちなみに、アクラツな釣りタイトルは良くないと思いますが、印象的で魅力的なタイトルにしようとはいつも考えています。今回はこねくり回しすぎた結果、日本語としてエレガントではなくなった一例ですね。ま、紙一重の話ではあります。

オタオタ 2010/09/03 18:56 何かデジャビュを感じると思ったら、丁度一年ほど前のサマーウォーズへの
感想にまつわるエントリでした。冒頭の敷居さんと海燕さんのやりとりを読んで
みれば、今回より随分少ない文章量で明確な主張を感じ取れるように思える
のですが(笑) 
「言いたいことは分からんでもないが、そんな言い方すんなや」というアレですな

DDDDDD 2010/09/03 19:59 >丁寧なあいてには丁寧に、乱暴なあいてには乱暴に、相手にしていられない内容には無視を。
無視は構わないですけど、乱暴には乱暴で返すのは人からの評価を下げるだけですよ。
敵意持った人達からの的にもなりやすいし損しかしない。
乱暴な言葉を使うのをカッとなってやってんなら未熟としか言いようがないですが、意図的にやってんだから簡単に抑えられるでしょ。
さっきも書いたけど屑だと思ってる連中の相手をするよりは、好意を持ってくれてる人達に対し可能な限り返信してあげるのが大事なんじゃないの?

kaienkaien 2010/09/03 20:07 >敵意持った人達からの的にもなりやすいし損しかしない。

 純粋にメリットだけ考えればそうでしょうね。これはもう、ぼくがそういう性格だとしかいいようがない。ええ、大人気ない奴です。

のののの 2010/09/04 21:10 なんか納得です。

現実でも浮浪者の演説に耳を傾けようという人は殆どいませんが、スーツ着てる人の演説ならば目を向ける程度はするでしょう。

礼儀(というか、議論のルール?)をわきまえているかを判断するのに言葉遣いはいい指標だと思います。
わたしの理解とKaienさんの言いたい所に相違があるかもしれませんが、どこか腑に落ちました。