2009年09月27日 23:00 [Edit]
公言は傲慢にするべき3つの理由
うちにはまだ「目立つ力」は届いていないのだけど、鼎談の内容はよく覚えているので。
[を] 「目立つ力」は勝間和代のブログ論の集大成である小飼 公の場では、プライベートな場よりは傲慢にふるまうべきです。ずうずうしいくらいでちょうどバランスがとれると思います。方針としては良いですが、まあ状況によりますね。
勝間 それはそうですね。傲慢というか、自分を前面に出していい。
小飼 要するにへりくだらない。むしろ、1対1で会ったときにへりくだったほうがずっと好印象です。(p.238)
いや、状況によらない。
発言の大やけど、もとい公度が高ければ高いほど、より傲慢にするべきというのは、例外なき法則と弾言、いや断言する。
傲慢は表現を簡潔にする
- 傲慢は表現を簡潔にする
- 傲慢は表現を簡潔にします
- 傲慢は表現を簡潔にするはずです
- 傲慢は表現を簡潔にすると思います
この例を見れば分かる通り、同じ内容でも、傲慢度が上がるほど簡潔度もましている。この原理は、言語を問わず成り立つ。へりくだった表現ほど多くの言葉が必要になるのだ。
公言が特権であった時代であれば、そこにおいてへりくだる贅沢も許されよう。しかしこれだけ公言が溢れ、そして公言が求められている時代、それは不要どころか、受け手の時間を奪う表現メタボとでもいうべきものなのだ。
傲慢は強く速やかに訂正される
傲慢な発言に対しての反論は、当然検挙な発言に対するそれよりも厳しくなる。
それが、いいのである。
それは、元発言が間違っていた場合においてはより速やかに間違いが正されるということであるし、そして正された発言がより広く伝わるということを意味する。
あなたは、それにより傷つく。しかしそれによって公はより正しい意見を手に入れることが出来る。
公にとってどちらが得かは言うまでもない。
傲慢はあなたに研鑽を迫る
だからといって発言者は傷ついてばかりはいられない。当然それを避けるためには、発言前に自らの意見をより厳しく検証することとなる。結果、発言者の言動はより研ぎすまされることとなる。
http://twitter.com/yto/statuses/833905751その分野について詳しくないならば、それについての批判は表現は穏やかにするべき。つまり自分が間違ってるかも、という謙虚さが必須。これ基本。
批判を穏やかにするより、用意を周到にした上で傲慢に振る舞った方が、少なくとも公は得をするし、長い目で見れば本人も得をする。
あまりに多くの人が、「傲慢な表現」と「傲慢な態度」を取り違えている。避けるべきは傲慢な態度の方であって、表現は積極的に傲慢にすべきなのである。「謙虚な表現」に対して「慇懃無礼」という表現もあるではないか。
そして実際のところ、謙虚な表現というのは受け手が十分少なくてはじめて成り立つ表現なのである。謙虚な表現とは、「である」調を「ですます」調にしろという単純なものではない。一番大事なのは、相手の立場をどれほど思い計るか、である。ところが、公言というのは誰が受けるのかはわからない。公度が高ければ高いほどそうなる。
さすれば、誰得な謙虚を捨て、傲慢に中味を語ることこそ誠意なのではないか。
言葉には必ず二つの「ペイロード」、あるいは「コンテンツ」が乗る。「何を言うか」と「どう言うか」である。傲慢な表現とは前者を重視することであり、謙虚な表現というのは後者を重視することだと言ってよいだろう。
これ以上続けると傲慢度が下がるのでまとめる。
公言においては、
傲慢は一人一時の恥。謙虚は万人万時の損。
Dan the Hubristic Speaker
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また、検挙というより、謙虚ですし(笑)、謙虚というより「相手のいう子を二耳を傾ける」ということではないでしょうか。
日本社会は基本的に、雇う側、仕事を頼む側、お金を払う側が極端な交渉優位に立っており、お金を持っていて、仕事を頼む側、雇う側がメインになっている人は、よほどのことでない限り何をやっても許されるというところがあります。また、弾さんが仕事を依頼される側に回った時でも、その社会的属性から言って、使い捨てカイロのような扱いを受けることは絶対にないでしょう。
そういう意味で、お金を持っている弾さんは圧倒的な交渉優位に立っているので何をやっても許されるというだけの話であって、お金をもっている訳でもなく、三顧の礼を尽くして迎えられるような訳でもない人が無駄に傲慢なだけだったら、行きつく先はかなりの確率で…という話だと思います。
弾さんの持っている社会的属性から傲慢であることが許容されているという話であって、一般化はできないと思います。
「状況による」っていうのは、表現するときに傲慢にふるまって、正しい意見を手にしたら謙虚にふるまうってことでしょ。
反論その他のコメントを含めてコンテンツな訳ですね。
「いや弾さんの言うことも最もなのですが、それは表現的に問題があります。なぜなら」
というよりも
「アホだろオマエ」
の一言のほうが良いということだな
でも、みんな責任取りたくないから、
傲慢にならないんだよね。
弾さんの言うようにみんなできるような社会に
なるといいですよね。
そういえばいつも「どう言うか」ばかり考えていたことに気づきました。
「公」と「1対1」で使い分ける。
本当にそうだなぁと思います。
何かを書く時、話す時、頭の片隅に置いておこうと思います。
弾さんの記事にコメント付けたくなるのは「傲慢」ぶりも作用しているのでしょうか。
(ま、有名だからっていうのも大きな理由でしょうが)
じゃあ、商談中に予想外の質問がきたらどうするの?そりゃ情報武装してないんだし、傲慢にはでられないよね。そもそも、情報武装できてるケースの方が少なくないですか?
こうすべき、ってのはナンセンスだと思う。シンプルに言えば、自信度によって表現方法を変える、ということ。それが曖昧で抽象的な日本語の表現力なのだから。自分の状況にあった表現方法をするのが相手にとっても一番理解しやすい。
そうそう。
頭を下げるのが苦手な人は、断言できないんだよね。
何故謝ることを恐れるのかと問い詰めたい。
商談のようなプライベートな場では、へりくだったほうがいいのでは?
なんだから、「公度以外のパラメーター」には左右されるでしょう。
たつをさんのところで出てる
「DISられがちな会社のサラリーマン」「ブロガーとしてリアルに交流しない人」というのもその例に見えます。(後者は「公度が変化しない人」の例ですね)
なので「公度が高ければ高いほど、より傲慢にするべき」
からは離れてないですよね。
「方針としては良い」って言ってますし。
今回の弾さんの反論はちょっと的外れな印象ですね。
とはいえ、こういう風に厳密に解釈するよりも
脊髄反射的にシンプルに反論しちゃう方がパブリックな場では有効なんでしょうね。
「状況による」を読んだ多くの読者はそんな細かい解釈はしてないでしょうし。
と考えるとなかなか深いですね。
すばらしい表現です。これからは傲慢なる!
さて、弾さんは自らの発言が間違っていた場合において間違いを正そうとされていますか。
「表現」という言葉がかなり拡張されて使われているようなの、ロジックが分かりにくいのですが、結局は「放漫」な「内容」を語れということでしょうか。
「表現」だけ「放漫」で内容がなければ、ただの愚か者ですし。
特に物書くのが苦手な人がキャッチコピー書いたりや説明文ライティングするとき意識するといい
冗長性とか曖昧さ、書き手の主観的で甘ったるい感情が自然に排除されてく
というか今実際に試してみたんだけど
いや、これほんとすごくいいっすわ
今回あなたが書いた内容としては断言、の方が日本語として正しい。
ときどき、ありますね。
頭の中で、もやもやと浮かんでいた事を
的確に言語化してくれることが。
このお礼はまたどこかで。
でも、いくつもの多様な選択肢がある中で、どれが最適か、どれがまだましかという状況で、傲慢な声の大きい人が特定の1つの選択肢にみんなを引きずってしまったら、あまり感心しないことも多かろうと思います。
ケース・バイ・ケースだとおもいます。
背景、前提、選択した結果の諸影響をよく考えてということだろうと思います。何でも一点突破主義というのはあまりよいことではありません。世の中たいていのことは一筋縄ではいかないものです。
その思考が万人に共通するとは思わんといてやー
あえて傲慢に振る舞って意見を募る……というより誘発してみるという方法も、
選択肢に入れたらってトコですかね?
まあ、哀れに思われるよりはずっといいのでしょう。エネルギーが出てる分。
以前までの、日本の首相の何人かの言動を見てきた分にはそう思います。
営業の仕事に関する事で
「押しても引いても駄目なら、相手を怒らせる選択をあえて取ってみな」
という方法を行っている人がいるという話を、コメント書いてて思い出しました。
下記の部分と皆さんのコメントを読むと秀逸でした
---------------------引用終わり----------------------
傲慢は強く速やかに訂正される
傲慢な発言に対しての反論は、当然検挙な発言に対するそれよりも厳しくなる。
それが、いいのである。
それは、元発言が間違っていた場合においてはより速やかに間違いが正されるということであるし、そして正された発言がより広く伝わるということを意味する。
あなたは、それにより傷つく。しかしそれによって公はより正しい意見を手に入れることが出来る。
公にとってどちらが得かは言うまでもない。
---------------------引用終わり----------------------
コメント欄で皆さん方が正しい反論をすればするほど(たとえば僕が、ふむふむ、このコメントの言うことももっともだ、とより正しいと思われる知見を学んだとする)、弾さんのの記述(公はより正しい意見を手に入れることができる)の正しさが際立つという事実。弾さんが傷ついているかどうかは知りませんが(笑)
発言が傲慢なんじゃなく
性根が傲慢だったんじゃねーのww