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2010-09-08(水)

地獄への道はいつも善意で舗装されている(とは限らない)。


 ネットの森をさまよっていると、しばしば「地獄への道は善意で舗装されている」という箴言を見かける。検索してみたところ、この言葉、もとはイギリスのことわざであるらしい。さらなる元ネタはシラーだともいうが、よくわからない

 まあ、「善意で行動したことであっても、思わぬ悲劇を生む原因になりえる」という程度の意味だろう。なかなか含蓄が深い言葉ではある。

 しかし、たまにここから「だから善意での行動は信用できないのだ」という結論が導かれているところを見かけると、「ちょっと待ってくれ」といいたくなる。たしかに善意は時に悲劇を生むかもしれないが、やはり悪意で行動するよりは善意で行動したほうがいいと思うのだ。

 そもそも、だれかがある行動に対して「あなたの行動は善意がもとになっているからあてにならない」と批判するとき、その動機もまた善意なのではないか。すべて善意があてにならないなら、善意を批判する善意もまたあてにならないはずだ。メタ善意もまた善意なり。

 もちろん、そんなことはない。ようするに善意から出た行動だろうが悪意から出た行動だろうが、結果が良ければそれでいいと思うのだ。

 たしかに「じぶんの行動理由は善意なのだから悪い結果になるはずはない」というような無邪気すぎる善意は戒められるべきだろう。しかし、それが善意全体の否定に繋がることはおかしい。

 善意が思わぬ悲劇に繋がることは少なくないかもしれないが、だから善意は良くない、とはいえないのである。副作用があるからといって薬を使うことがいけない、とはいえないように。

 これと似たような言葉で、「耳に痛い意見もちゃんと聞き入れるべきだ」というものがある。この言葉じたいはぼくも正しいと思う。しかし、これが「耳に痛い意見だから聞き入れなければならない」となると、やっぱりおかしい。

 意見の正否はそれが耳に痛いかどうかとは関係ないはずだ。じぶんにとって心地いい意見が正しいこともあれば、耳に痛い意見が間違えていることもある。耳に痛い意見を聞き入れたほうがいいかは、ケースバイケースとしかいいようがない。

 その意味では、耳に痛い意見を常に聞かないことも、常に聞き入れることも、両方間違えているということになる。「わたしの意見はあなたにとって耳に痛いものだから正しいのだ」というような考え方は、やはり倒錯している。

 というわけで、「地獄への道は善意で舗装されている(こともある)」くらいが適当な表現なのではないかと思ったりするしだい。絶対流通しないだろうけれど。

: 2010/09/07 23:07 語源はマキャベリではなかったですか?
アレクサンドロ教皇とチェーザレ・ボルジアを教科書として非道な事を行う覚悟がなければ、国を良く統治できないという思想だったと思います。

kaienkaien 2010/09/07 23:16  はてなキーワードにシラーだと書いてあったよね――と思って調べてみたら「(旧約聖書続編、シラ、二一-一〇)に由来」と書いてある! シラーじゃないじゃん。大変失礼しました。たしかに出典はマキャベリだという情報も見当たりますね。

cap-compcap-comp 2010/09/08 00:01  基本的には同意ないんですけど、論旨がブレているような……。
 「善意が地獄への道につながっているとは限らない」というのが元々の海燕さんの主張ですよね?(勘違いだったらごめんないさい) でも、それは「地獄への道はいつも善意で舗装されている」ということわざとなんら矛盾していない気がします。このことわざは「『地獄への道』であれば『善意で舗装されている』」と言っているのであって、「『善意で舗装されている』ならば『地獄への道』」とは言っていないですよね。だから、「善意が地獄への道につながっているとは限らない」という理由から、このことわざは適切な表現ではない、とはならないのではと。
 ただ、この記事のもう一つの主張「悪意も同様に地獄への道につながっていることがある。(だから、善意を否定する理由はない)」を考慮すると、確かにそのことわざはおかしいんですよね。対偶をとってみると、「善意で舗装されていなければ地獄への道にはつながっていない」となります。これは海燕さんの考えとは矛盾します。だから、そちらを理由に「地獄への道は善意で舗装されている(こともある)」のほうが適切な表現なのではないか、という説明のほうが、このことわざに対する適当な批判なのではないかと思ったりするしだい。

ep_meisterep_meister 2010/09/08 09:01 確かに、耳に痛い意見は正しい っていうのは何か間違ってる感じがしますね
言うなれば、苦い食べ物は体に良い みたいな

まぁ、苦い食べ物も一応口にはしますが、それを飲み込みかどうかはまた別問題です
あるエロゲの主人公が、正論を言われた際にこう反論します
「理解はする…でも納得はしねえからな」

bbbb 2010/09/08 11:11 人権団体とかへの非難とか考えるとわかりやすいと思います

ダメダメえろげーまーダメダメえろげーまー 2010/09/08 15:09 こんちわ。
このことわざ、別に「いつも」なんて入ってませんよね。
大方の人は、「地獄への道は善意で舗装されていることもある」くらいの意識で使っていると思うんですが。
てか、そういう(珍しい)事例にぶつかったときにつかうだけ、というか。
むしろ、「善意」と「地獄」が結びついているインパクトの方が大きいから、より印象に残ってる、みたいな?

それと、俺、このことばを敷いて「だから善意での行動は信用できない」とかって引いている例をみたことがないんですが。
(事例があったら、教えてください。てか、どっかのネットローカルルールの可能性はありませんか?)

だいたい、このことわざで指摘していることって、「善意が問題ダ」ではなくって、その善意を下支えしてる「無知」や「無理解」、あるいは「想像力のなさ」や「愚鈍」さとか、そういうものだと思うんですよ。

しかも行為の動機が善意だったりすると、その行為の結果が最悪の事態になっていたとしても、そのことに気づかない、とかっていう。
気づかないから、徹底して、行きつくところまで(地獄まで)行ってしまう、という。

ふだんの生活だって、無知が善意と結びついた時の破壊力って、すさまじいものがあったりしますよね。
(鬱の人に対して「頑張って」と励まして、その人がそのことばでさらに落ち込んで自殺しちゃったり、とかってパターンとか←極端)

動機じゃなくって、その前提になる無知や視野狭窄といったもの。
あるいは人間心理に対する愚鈍さ。
善意を動機とした思考停止。
その辺りのことを言うもんであって、決して善意そのものを問題にしているわけじゃないと思うんだけどもなあー。
(次はエロゲとかのエントリ、待ってます。では〜ノシ)

kaienkaien 2010/09/08 16:07 >このことわざ、別に「いつも」なんて入ってませんよね。

 入っているなんて言っていませんよ。