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「仲良くしてください。」 やはりどうにも気に入らねえ

運動の世界で繰り返し揉めてきたからよくわかる。

揉めると当人以外の人たちが、ヒューマニズムやら性善説やらをぶら下げて、「仲良くしてください。」とか、「敵が喜ぶ」とか言う度に、やるせな〜い思いがした。そういう方には、逆に聞いてみたいが、悪口をのべつまくなしに言いつのる人たちと、どうやって仲良くするのか?「仲良くしてください。」と言うからには、一はだも二はだも脱いだらどうなのか。私だったらそうするだろう。その方が運動にとって良しとするならば、一はだ脱げば良いじゃんか? 結局喜んでるだけじゃないの??

別々になったならそれぞれ粛々と運動すればいいんだよ。一緒に運動しなければ、仲良く運動しなければいけないなんて、女学生じゃあるまいし、気持ち悪いや。学級委員会みたい。。

「行動する」という言葉だけで、理念という論理とか、どこの部分で共闘できるかといった運動論の擦り合わせもなく、野合で共闘していただけであってみれば、いわゆる仲良しクラブと同じだったということだ。

ケンカというのは理由があるわけで、理由を清算することができなければ、くっついてもまた離れざるを得ないし、同じ理念であれば一時ケンカしたとしても、いずれ共闘することは必然だ。理念とは個人的感情を排したものであり、公心(パブリックマインド)の上に成り立つものだ。

今まで私にケンカを売ってきた人は、私生活で満足を得ることができないのか、運動に居場所を求めたりとか、権力志向の強い人たちだった。公のために捧げる気持ちより、我欲の方が勝っている人たちだ。そういう人間がいると、その人間の感情や都合に運動自体が引きずられ、平衡が失われる。

みんな驚くと思うが、私は結構我が強くない。しかし、公とか大義名分とかを守る気持ちは強い。だから、個人のテーマ(プライベート)のことならズルズルと引きずられることもあるが、公とか大義名分のためには一歩も引く気がしない。絶対に押し通してみせる。だから運動してるんだからね。運動のテーマの揉め事なら、今まで6戦か7戦か知らないが、すべて勝っている。我欲のためでなく、大義名分のために闘うから勝つのだ。

政治にしても経済にしても、この運動にしても、一番重要なのは人々の公心(パブリックマインド)で、戦後、近代主義が我欲を認めたから、日本政治も日本経済も運動もおかしくなってしまっている。

私は議論してたつもりが、最近「いじめられた」とシュンとし出した親米オジさんがいる。だからと言うわけではないが、この親米オジさんの最大の美点を述べるとしよう。私がこのオジさんに我欲を感じたことは1回たりとて無い。パブリックマインドの勝っているオジさんで、だから代表になっていただいた。なぜパブリックマインドの強い人が親米なのか?なぜ私を応援してくれるのか?このオジさんはまったく矛盾してるし、辻褄が合ってないのだが、とにかく、私はこのオジさんのパブリックマインドを信頼しているのである。

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