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<<   作成日時 : 2010/02/22 01:35   >>

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捕鯨問題について記事を書いてほしい、というリクエストをいただいた。

というわけで、これから数回にわたって捕鯨問題について書こうと思う。

Sさん、リクエストどうもありがとう。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


捕鯨問題になると、日本人は理性を失う。

捕鯨問題になると、日本人は「バカ丸出し」になる。

日本人が理性を失う場面はこの問題に限らないが、
というか、日本人にそもそも理性なるものがあるのかどうかも
最近とくに不安になって仕方がないのだが、
捕鯨問題ではその傾向がとくにひどくて、目も当てられない。

「環境保護団体シーシェパードが、日本の調査捕鯨船の針路を妨害」


こうしたニュースが報道されるたびに、ネット上では幼稚な書き込みが並ぶ。

「シーシェパードの行為はテロ行為だ!」

「捕鯨は日本の伝統文化だ!」

「欧米人に文句を言われる筋合いはない!」

「欧米人だって牛を食ってるじゃねえか!」


わたしはこうした意見を見ると、率直に言って、虫唾が走る。

ネット上の書き込みを見ると、
「こんなにも頭のわるい日本人が世の中にはうじゃうじゃいるのか?」
という思いを抱かざるを得ない。

国際的に見ても、相当にヤバイ状況にあると思う。

ネット上の書き込みを見ると、
「国際社会に日本人がバカであることがバレてしまうではないか!」
と余計な苛立ちを抱いてしまう。

ひょっとしたら、もう日本人には脳みそもなくなってしまったのではないか?

そんなふうにも考えてしまう。

先日もテレビ番組(関西系だったか)で「捕鯨」を扱った番組が放映されていて、
「捕鯨は日本の文化だが、そのことが欧米人には理解できない」
とかなんとかいったことを出演者が述べていた。

(……アホではなかろうか……)

冒頭の数秒で耐えられなくなって、わたしはチャンネルを変えた。

まず断っておきたいが、わたしは反捕鯨派ではない。

しかしながら、捕鯨大賛成というわけでもない。

捕鯨賛成派のあられもない愚鈍さが許せないだけである。

恥知らずな日本人が暴走するのが許せないのである。

ネット右翼化していく日本人がことのほかムカつくのである。


  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


まず多くの日本人は「西洋人だって牛を食ってるじゃねえか」と反発してみせる。

だが、欧米人は「牛は食べてもいいが、クジラは食べてはいけない」という理屈を
ちゃんと用意して日本を批判しているかもしれない。

欧米人の言い分をきちんと聞いた上で日本人は反論を試みているのだろうか?

そうではあるまい。

ここでまず日本人はおのれの想像力の貧困を恥じるべきである。

しかし「そのくらい考えてるぞ」と反論してくるひとがいるかもしれない。

「クジラは高等な知能を持っているから、と欧米人は言うのだろう」

「その考え方がまた気に入らない」


そう捕鯨賛成派は答えるかもしれない。

では、逆にうかがおう。

あなたは「人間は食べてはいけない」という主張を認めるか?

おそらく認めるだろう。

「人間は食べてはいけないが、クジラは食べてもよい」と主張するだろう。

それなら、その線引きが正しいと言える理由は何か?

答えてみよ。

なぜ人間は食べてはいけないのか?

「人間だから」?

トートロジー(同語反復)は理由にならない。

なぜ人間は食べてはいけないのか?

まさかそこで「人間は高等な知能を持っているから」とは言えないぞ。

反捕鯨派が「高等な知能」を理由にするのを批判するなら、
あなた方も「高等な知能」を理由に持ち出すわけにはいかない。

さあ、答えてみよ。

どうして人間は食べてはいけなくて、クジラは食べてもよいのか?

答えられるものなら答えてみよ。

すると捕鯨賛成派は、泣きべそをかきながら、かろうじてこう答えるにちがない。

「だって捕鯨は日本の伝統文化じゃないか」


ここで捕鯨賛成派は論点をずらしていることを率直に認めていただこう。

「なぜ人間は食べてはいけないがクジラは食べてもいいのか」、
その問いに答えることができず、「文化」を持ち出して論点をすりかえた。

この負けを率直に認めるなら、つぎの問いに移ってもよい。

では、「捕鯨は日本の伝統文化」だろうか?

ここでも逆に尋ねよう。

あなたは週に何回鯨肉を食べているのか?

月に何度クジラの肉を食べているのか?

年に何回クジラの肉を食べているのか?

「日本の伝統文化」というなら、ハンバーガーよりもたくさん食べているのだろうな?

え?

おい?

「捕鯨は日本の伝統文化だ」と主張するひとたちは、
ぜひ鯨肉を日ごろから食べつづけて
日本の食文化であることを堂々と示していただきたい。

週3回は食べてほしい。

だいたい「捕鯨はオレたちの伝統文化だ」と群馬県のひとが主張したら、
誰でもおかしいと思うだろう。

だって、群馬県には海はないのだから。

「捕鯨は日本の文化」と言い張るひとたちは、
「文化」と名乗れるほどに鯨肉を食べつづけなければならない。

食えよ。

ちなみに、鯨肉は水銀で相当に汚染されているので、
食べると健康にわるいらしい。

でもわたしは許さない。

「捕鯨は日本の伝統文化だ」とわめく捕鯨賛成派は、
毎日毎日クジラの肉を買ってむしゃむしゃ食べつづけていただきたい。

それだけではない。

しかも、現在、日本の捕鯨船が採用しているのは「ノルウェー式捕鯨」である。

「ノルウェー式が日本の伝統文化」???

冗談は顔だけにしてほしい。

驚くべきことは、まだある。

何と、「クジラは魚ではない」ことを日本人の多くが知らないらしいのだ!

日本人の半数近くが、「クジラは魚である」と思っているらしいのである。

にわかには信じられないだろうが、
ある学生さんがわたしに通報してくれたところによると、
「西洋人が肉を食べるように、オレたちは魚を食べるんだ」と
実際ネット上に書き込みをしていたひとがいたらしいのである。

「クジラ」を漢字で書くと「魚」ヘンに「京」で「鯨」。

だから「クジラは魚だ」と信じ込んでいるのだろうか?

それは西洋人にバカにされるはずである。

まずは日本人に、
「クジラは魚ではない」ということから教えなければならないようだ。

こんなレベルで日本人は反捕鯨派に反発しているのだから、
わたしは日本人として恥ずかしい。

「そう目クジラを立てるな」だって?

つまらない駄洒落を言っている場合ではない。

「文化」を持ち出せば何でも許されると思っているようだが、
これは政治的にも見逃すことのできない日本人の右傾化である。










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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
人間を食っちゃだめなのは共食いだからじゃないですか?

それ以降は何を言ってるのかわかりませんww
何言ってんだこいつww
2010/02/25 01:31
◆何言ってんだおまえwwさま

ようこそいらっしゃいました。礼儀をわきまえない失礼な方とお見受けいたしましたが、予想通りの反応をいただきましたので、いちおうお答えしておきましょう。

「共食いだから」? では、なぜ「共食い」はいけないのかをご説明ください。なぜなら動物界には「共食い」をするものがおりますから、人間だけが「共食い」をしてはいけない理由を説明する必要があるわけです。あなたのは理由になっていないのです。

それから、記事の内容がご理解いただけなかったようですね。これ以上ないくらいに分かりやすく書いたつもりだったのですけどね。では、もう一度ゆっくり読み直してみてください。それでも分からなければ、ご提案があります。

失礼かとは存じますが、小学校から入りなおしてみてはいかがでしょうか? そこで「国語」を含めてすべての教科をちゃんと勉強してみるのです。そして、義務教育が終わるころに、もう一度この記事を読んでみてください。そうしたら、分かると思いますよ。9年後にまたおいでくださいね。

あ、でもこのコメントの意味も分かっていただけないかもしれないですね。とりあえず、数日後にも捕鯨問題の記事を書きますから、それをあわせてお読みください。それでもお分かりいただけない場合は、いい知恵がありません。どうしましょうか?
影丸
2010/02/25 08:19
お久しぶりです。
そして、久しぶりに変なコメントをみてしまいました。
やっぱりこの問題、食い付くんですね(笑)

日本人がほとんどというより、まったく食べない鯨肉を冷凍庫で大量にもてあましているのに、商業捕鯨を再開したいなんて一番困るのは日本なんですよね?
知り合いのオーストラリア人が、捕鯨は意味の無いダムを作ることと一緒だと言っていました。一理あります。

私は捕鯨断固反対!という人間ではありませんが、鯨肉は不味いし汚染されてるし食べたくありません。

漠然とおもったのですが、今ある捕鯨船をホエール・ウォッチングに使えば良いんじゃないかなと...。食べない肉、意味の無いリサーチをするより喜ぶ人が沢山いるのではないでしょうか。なんて、安易ですが。

あぁ、突っ込まずにはいられない。
日本人も共食いをしていたでしょう??ついこの間まで。。それもいけないと大きな声で言えるのかしら。
サブシルマ
2010/02/27 14:46
◆サブシルマさま

お久しぶりです、コメントありがとうございます。

ええ、やはりこの問題は食いつきたくなる話題のようですね。しかもわたしがコメントを返したあとも再反論は来ない。このパターンもいつもと同じ。

オーストラリアの方とお知り合いなのですね? それはいいことですね。日本人の多くは日本人とのみコミュニケーションをとって、しかも自分と似た「仲間内の会話」に自閉しておりますから。

日本人が共食いしていた事実をもって、「共食いは日本の伝統文化だ」とは誰も言いませんよね。

困ったひとたちです。
影丸
2010/03/11 03:40
私は捕鯨に反対も賛成でもありません。調査すべきとも保護すべきとも食べたいとも思いません。鯨にそれほど関心がありません。
しかしあまりの間違いに激しい不快感を覚えたので書き込ませていただきます。

捕鯨反対派の多くは、「クジラは高等な知能を持っているから食べてはいけない」という、ついこの間まで燃料のために数え切れないほどの鯨を捕っていたはずの欧米人の、最近思いついたような「価値観の押しつけ」に反発しているのであって、別に「鯨は人間より知能が低いから食べてもいい」などと主張しているのではありません。言うまでもないですが、人間を食べてはいけないというのは、過去の日本に反する例(飢饉や戦時)があったとしても、日本の長年の基本的な通念です。そして、鯨を食用とすることを是とすることも、日本には縄文時代から今に続く伝統としてあります。その伝統への価値観の押し付けが気に入らないと言っているのです。

また、
「捕鯨は日本の文化」と言い張るひとたちは、
「文化」と名乗れるほどに鯨肉を食べつづけなければならない。
とおっしゃりますが、日本の文化を主張するために、主張者がそれを実践しなければならないと言うのは間違いです。
例えば、沖縄の人がアイヌ文化や京都の文化を「日本の文化である」というのは間違いではありません。日本全国で行われていなくても、一部にあるなら、それは紛れも無い「日本文化」です。日本には鯨を捕る人も食べる人も大昔から居ます。ですからそれは日本の文化ですし、それを関わったことのない人が主張することは何ら間違いではありません。

また、「日本人は鯨を魚と思っている」は多くの場合、「魚同様に食用としてみている」という意味であって、生物学上の分類を魚類と勘違いしているという意味ではありません。鯨を哺乳類と知っている日本人は貴方が思っているよりも多いでしょう。
通りすがり
2010/05/13 04:18
◆通りすがりさま

すっかりお返事が遅くなってしまって失礼いたしました。

まずは、率直に「激しい不快感」を表明してくださったことにお礼を申しあげます。最近多かったゴミのようなコメントとちがって、きちんと説明してくださっているので読みやすかったです。ではわたしの考えを述べましょう。

クジラを食べるのが日本の伝統だとおっしゃいますが、そうではない、とわたしはハッキリと書きました。だいたい縄文時代に「日本」は存在していません。わたしは縄文時代の生活様式をいま維持(復活?)したいとも思いません。「価値観の押しつけ」についても、「本当にそうなのか?」とわたしは反論を書いています。本文を読まずにコメントをくださったのであれば、「日本」という言葉の誤用とあわせて、わたしも「激しい不快感」をお伝えしたいと思います。動物の虐待はいまや禁止されていますが、これについても「価値観の押しつけ」だと反発しますか? 街のそこら中で人間が「立小便」をすることもいまの日本では禁止されていますが、これについても「価値観の押しつけ」だと反発しますか? 拷問の禁止や人権の尊重についても「価値観の押しつけ」だと言いますか?

あなたのロジックは、日本の侵略戦争を肯定するひとたちのロジックに似ています。「これまで散々クジラを捕ってきた欧米に言われる筋合いはない」、「侵略戦争を散々してきた欧米に非難される筋合いはない」と。しかしこれについても以前書いたことがありますが、ほかの国の不正を理由に自分たちの不正を正当化することはできません。あなたのロジックはきわめて幼稚で自己中心的であり、これに対しても「激しい不快感」を表明しておきたいと思います。
影丸
2010/05/28 12:58
◆通りすがりさま

つぎの論点について。自分でクジラを食べていなくてもその文化を擁護するのは何らおかしいことではない、というご指摘ですが、これはとてもいいところを突いてこられたと思います。

けれども、そうすると、とってもおかしなことになってしまうのです。「日本人は自分ではクジラを食べないけれども、クジラを食べる文化を尊重し、強者から弱者を守ろうとしているのだ。」他者の文化に対して寛容な多文化主義者の日本人! これはほとんど笑えない冗談です。日本人がこれまで他者の文化に寛容であったことがありますか? アイヌの文化や沖縄の文化や在日コリアンの文化に対して、これまで日本人は何をしてきたのですか? いつの間に日本人は寛容な多文化主義者になったのですか? 

一般論としては、たとえ本人がその生活様式を実践していなかったとしても当の文化を擁護することはありえるでしょう。けれども、この問題から見えてくるのは、そういうことではない。

最後に。

>また、「日本人は鯨を魚と思っている」は多くの場合、「魚同様に食用としてみている」という意味であって、生物学上の分類を魚類と勘違いしているという意味ではありません。鯨を哺乳類と知っている日本人は貴方が思っているよりも多いでしょう。

そうだといいのですが……。
影丸
2010/05/28 13:18
あー、90年代半ばにあった議論の蒸し返しだな。
影丸は捕鯨問題について細菌興味を持ったばっかりかw

文化の問題はさて置いて、「人を食ってはいけない」のは「人を食ってしまうと、その家族や仲間に復讐されるから」でいいでしょw

クジラさんやイルカさんのアタマがどれだけよくても、それを捕獲し、食ったからと言ってその家族や群れの仲間が人間様に復讐する事はできませんからw

逆にこう聞き返される事は思い至らなかったの?↓

「クジラを食ってはいけないならば、何故他の動物は食っていいのか?」

牛豚は家畜だから?
家畜なら食っていい理由はお決まりの「管理して増やせるから」か?

畜産において管理できるのは「対象家畜動物の数だけ」で、畜産の環境影響によって陸上だけでなく、海洋環境まで甚大な被害を受けてる、ってのは現代の常識です。畜産用穀物飼料生産に使う真水資源が世界中で減衰してるのは御存知ですか?

また、上で「家畜動物の数だけは管理できる」と書いたが、牛豚鶏インフルに口蹄疫で毎年何十万何百万も死んでるので、「管理できてる」とは言いがたいね。

その他野生動物の食用狩猟はどうなの?魚は「痛覚が無いから」食っていい?引き揚げられた魚の死因の殆どは「呼吸ができなくなる事での窒息死」だ。生命活動の根幹である呼吸を奪われる「苦痛」に「痛覚」は関係ない。

「魚はアタマが悪いから苦痛も感じない筈だ」?

釣り上げられてビチビチ撥ね、やがて口をパクパクさせながらゆっくり死んでいく魚の「苦痛」がシャチの牙や捕鯨銛に刺されるクジラの苦痛より小さいと誰が測った?(続く♪)

toripan1111
2010/09/07 13:07
因みに↓も参照にしてね♪

「クジラの苦痛」を捕鯨反対論拠にしてるクジラ愛護ちゃん達へ・・・♪@&A

http://blogs.yahoo.co.jp/toripan1111/9097990.html
http://blogs.yahoo.co.jp/toripan1111/9098349.html

↑を簡単に解説すると、「畜産動物の一生涯に亘る、しかも地球上生命発祥以来始めて体験する苦痛」と「シャチなどの捕食者から与えられるのと同じ、駆られて食われ、殺される、という『野生動物として当たり前の苦痛』しかあたえない捕鯨」を比較して、捕鯨が倫理的に悪いと言える理由は全く無い、という事。

脱線しましたが、続き↓

陸上哺乳類の兎や鹿や猪や・・・クジラは駄目なのに、それらを食っていい理由はナニ?

さて、影丸さんご所望の「クジラを食っていい理由」は簡単。

唯単に、「食用動物として管理しながら持続利用出来る資源が存在するから」だよ。

これを否定してみろ、といって否定できた反捕鯨ちゃんは一人も居ません♪
toripan1111
2010/09/07 13:11

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