前回のつづき。 捕鯨問題で環境保護団体に反発してみせる日本人は、野蛮人と呼ばれるに相応しい。 前回の記事でこのことはお分かりいただけたと思う。 じつは、先日紹介した本『環境倫理学』のなかにも、捕鯨問題を扱った論文があった。 今回はそこから学んでいくことにしよう。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◇「文化の対立」を問う(佐久間淳子) 日本以外にも捕鯨を行なっている国はある。 さて、ノルウェーやアイスランドは2009年現在、自国沿岸でミンククジラやナガスクジラの商業的な捕鯨を事業者に許可しているので捕鯨国だといえる。両国とも捕鯨条約に加盟……毎年開催される国際捕鯨委員会(IWC)が1982年に可決した「商業捕鯨の一時中止(モラトリアム)」決議に従うことを拒否する「異議申し立て」をしている。捕獲の規模は2008年時点で、ノルウェーがミンククジラを年間597頭、アイスランドはミンククジラ6 頭(ナガスクジラはこの年は捕らなかった)。いずれも国が許可した捕獲の上限よりは少ない。いずれも自国周辺海域で行われている。(147頁) じつはほかにも捕鯨国はあるのだが、 その規模から言ってやはり世界最大の捕鯨国は日本であると言ってよい。 日本も捕鯨国なのだが、IWCの「商業捕鯨の一時中止」決議に1987年から従っているため、……商業的な捕獲は2009年現在はできない点がノルウェーおよびアイスランドとは異なる。しかし……2009年4月現在では日本周辺でミンククジラを220頭ニタリクジラを50頭、イワシクジラを100頭、マッコウクジラを10頭、これらを毎年捕獲する調査を実施中だし、南極海域ではクロミンククジラを最大935頭、ナガスクジラを50頭、ザトウクジラを50頭捕獲する調査計画を実施中だ。(147頁) これだけの規模の捕鯨を「調査捕鯨」を口実にして日本は行なっている。 このことだけでも国際社会から反発を招くのは当然と言ってよいだろう。 世界中の誰ひとりとして「日本の調査捕鯨」を信用していないし、 日本人でさえ本当に純粋な「調査捕鯨」であるとは信じていないはずだ。 そして、「表向き」は「商業捕鯨の再開」を日本政府は主張している。 「表向き」と書いたのは、本音としてはどうやら怪しいからである。 これについては、後ほど触れることになる。 IWCから「先住民生存捕鯨(aboriginal whaling)」として捕鯨が認められている国(地域)もある。その地域の重要な食料源でありほかに代わるものがないこと、文化的に重要であること、売買しないことなどを前提に認められるもので、その大半は捕鯨砲のような近代装備を用いずにその地域の伝統的な手法で捕獲している。2008年現在IWCが許可しているのは、デンマーク(グリーンランド)、アメリカ合衆国(ワシントン州とアラスカ州の先住民)、セントビンセントおよびグレナディーン諸島、ロシア(チュクチ半島)。(148頁) ということは、意外なことに、アメリカは捕鯨国だということになる。 IWCに加盟していない国でも、フィリピン、インドネシア、カナダでは捕鯨が行われているが、その規模は近海で年間1‐50頭。いずれも手投げ銛などによって捕獲している。(148頁) ここで、おもしろいことが分かる。 日本政府が主張しているように、 そして多くの日本人が主張しているように、 もし「商業捕鯨の再開」を実現したとしたらどうなるだろうか? ……「商業捕鯨の一時中止」を解除すると、海外に捕鯨産業を取られてしまいかねないということになる。(153頁) おやまあ。 すでに日本の企業は捕鯨にメリットがないと判断して、 商業捕鯨の再開には乗り出さないことを表明しているらしい。 もしどこかの企業が商業捕鯨を再開したとすると、どうなるか? 日本よりも安く鯨肉を生産する途上国からの輸入鯨肉に価格競争で負けるだろう。 もしかしたら、中国などの捕鯨船が操業をはじめ、 日本に格安の鯨肉を輸出するようになるかもしれない。 おお、これはネット右翼たちがもっとも嫌がる展開ではないだろうか? それでも捕鯨賛成派は捕鯨賛成を主張するのだろうか? とはいえ、これは中国の方々に大変失礼な言い方であり、 どこの国が捕鯨をしようと捕鯨賛成派は鯨肉を食べつづけていただきたい。 なにせ捕鯨は「日本の伝統文化」なのだから。 と言いたいところなのだが、 いや、すでに彼らはクジラの肉を食べてはいないのだ。 ……日本人は2007年の食料需給表によると、国民は1人あたり、年間5.7kgの牛肉と11.6kgの豚肉と、10.8kgの鶏肉、そのほか馬肉や羊肉などを0.5kg、計28.6kgの畜肉を食べている。また、魚介類(骨、内臓を含む)は56.7kgほどになる。(155頁) では、鯨の肉はどのくらい捕獲されているのかというと、 イルカの肉も合わせて年間1人当たり50g弱だそうである。 ところが、この鯨肉の在庫が相当にだぶついている。 なぜなら、鯨肉食はすでに日本の文化と呼べるほどポピュラーなものではないからだ。 このことは、日本人自身がよく知っているはずであろう。 それなのに、きわめて多くの日本人が捕鯨に賛成している。 ここで興味深いのは、捕鯨問題に関する世論調査の結果である。 新聞社や政府の世論調査では捕鯨賛成がおよそ「70%」程度。 ところがネット上での世論調査になると賛成が「90%」にまで達する。 ネット右翼の増殖と圧倒的多数を占める捕鯨賛成派。 見事な一致である。 いずれにせよ「捕鯨を支持する」との意思表示は、「クジラを捕ってきてほしい(クジラを食べたい)」ことを示しているわけではないことがわかる。(155−156頁) なるほど。 熱狂的に捕鯨に賛成する一方、年間50g弱の鯨肉をもて余す日本人。 「食べる意欲のない捕鯨支持派」。(156頁) なんだそれ? 自分では食べないくせに捕ってこいとおっしゃる。 理解不能、意味不明である。 自分では食べないくせに「日本の文化」だと言い張り、 国際社会に間違ったメッセージを送りつづけるのは、 ほとんど「偽装」「文化偽装」と言ってもよいのではなかろうか? さすが「偽装天国」の国民である。 「文化」まで偽装するのである。 では、ここには日本人のどのような意識があらわれているのだろうか? 「食べるなといわれたくない」 まあこんなものであろう。 ここに共通しているのは、「捕鯨反対の態度に対する反感」である、と著者は言う。 したがって、日本人の多くは捕鯨に賛成しているものの、 別にだからといって食べたいわけでもないのである。 反捕鯨への反感という意味で「反・反捕鯨」とよぶのがふさわしい。(157頁) 分かりやすい。 「反・反捕鯨」。 みみっちいナショナリズムで反発してみせているだけ。 ひとつ付け加えておきたいことがある。 著者はまったく触れていないが、 「クジラを食べるのは日本の文化だ」という主張そのものが、 じつはレイシズムに特有の反発にほかならない。 だから、「日本の捕鯨への圧力は人種差別だ」と反発してみせる日本人は、 ここでも大きく矛盾しているのである。 反発の仕方そのものが「レイシズム」だからだ。 このように見てくると、反捕鯨派のひとたちが日本を厳しく非難するのも当然だと思える。 彼ら〔反捕鯨派の人たち〕は「いったん商業的な捕鯨を再開させたら、日本人はたちまちにクジラを食べ尽くすにちがいない」と強く思っているように思う。なにしろ、……日本人は70%近くが「捕鯨を支持する」と答えているのだし、その根拠の重要部分は「日本の食文化・伝統だから」なのだ。(157頁) そりゃあそうだ。 わたしが海外の反捕鯨派だったら、 日本人がこれほど熱く捕鯨を希望しているのを見れば、 「危ねえ連中だ」と思うにちがいない。 だから、シーシェパードの活動を過激化させている原因のひとつは、 じつは日本人の側にもあるということになるであろう。 これは何かに似ていないだろうか? そうだ。 アルカイダのテロ攻撃を非難するアメリカ政府の態度にそっくりである。 日本政府のふるまいは、この捕鯨問題に関しては、 まさに国際社会におけるアメリカ政府そっくりのふるまいなのである。 孤立するアメリカ。 孤立する日本。 この奇妙な一致についても、後日記事にしたいと思う。 ……調査捕鯨下での鯨肉の供給過剰が明らかになってしまっている。なんのための商業捕鯨再開なのか……。(157頁) 商業捕鯨を再開してもどうせ維持できないことは、目に見えている。 ではどうして日本政府はここまで捕鯨にこだわるのか? そこにはじつは興味深い事実が存在するのだが、 これについては長くなるので、後日あらためて記事を書くことにしたい。 ともあれ、「捕鯨は日本の伝統文化だ」という主張には相当な無理がある。 広く国民の口にクジラの肉が入るようになったのは、第二次世界大戦後の食糧難がきっかけになっている。(158頁) いまや、ほとんどのひとは鯨肉を日常的に食べてはいない。 それなら、オーストラリアとの紛争にも妥協点が見出せる。 日本の食文化だというならば、操業はせいぜい200カイリ内にとどめておくべきだろう。(158頁) それだって鯨肉を余らせることになるようにも思うが、 おそらくこれがもっとも妥当な解決案ではなかろうか? ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ところで、わたしには不思議に思われて仕方がないことがある。 このことは研究者・専門家の誰ひとりとして指摘していないと思うのだが、 わたしにはこれがどうしても不思議でならないのである。 それは、問題の是非が問われているときに「文化」が持ち出されること、である。 あるものを捕獲してよいかどうかが問題にされているときに、 「文化」を持ち出すのはそもそもおかしいのではないだろうか? 「捕鯨賛成派」、というか、より正確には「反・反捕鯨派」は、 「文化」という概念を自己主張の根拠に持ち出している。 ということは、あるものを捕ってもいいのか、食べてもいいのか、 の判断基準に「文化」というモノサシを使うべきだと彼らは考えていることになる。 すると、困ったことになる。 なぜなら、自分たちの「文化」でなければ、 あるものを食べてはいけないと言えることになるからだ。 キムチは日本の文化ではないから、キムチは食べるべきではない。 そういうことになる。 捕鯨賛成派が「日本の文化」を理由に捕鯨に賛成するのであれば、 「日本の文化」でないものは拒絶しなければ筋が通らないのである。 おそらく捕鯨に賛成している日本人の圧倒的多数は、 パスタもカレーも平気で食べているにちがいない。 自分たちの愚かな矛盾に気づかないで。 あるものを食べてもよいかどうか、捕獲してもよいかどうか、 そういうことが問われているときに「文化」を持ち出すのはどう見てもおかしい。 どうしてこんな簡単なことを専門家も指摘しないのだろうか? わたしには不思議でならない。 |
<< 前記事(2010/02/22) | ブログのトップへ | 後記事(2010/02/25) >> |
タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
---|
内 容 | ニックネーム/日時 |
---|---|
@A拝見しました。文化論へのツッコミは日本人ならではですね。 |
ネコ 2010/03/10 19:30 |
◆ネコさま |
影丸 2010/03/11 04:13 |
誤解を招いてしまい申し訳ありません。 |
ネコ 2010/03/15 20:32 |
◆ネコさま |
影丸 2010/03/17 03:23 |
鯨が環境問題である、というのは完全な嘘です。 |
捕鯨が環境問題である、というのは完全な嘘... 2010/04/22 16:08 |
ついでにkkneko氏の出鱈目の一例を御紹介しましょう♪ |
ついでにkkneko氏の出鱈目の一例を御... 2010/04/22 16:09 |
南氷洋に数十万等は生息するクロミンクから、年に高々1000頭程度も捕獲しない調査捕鯨を、たった今すぐ解決しなければならない重篤な環境問題の如く大騒ぎして、本当に深刻な畜産の問題は隠そう隠そうとなさいます・・・w |
ついでにkkneko氏の出鱈目を御紹介♪ 2010/04/22 16:11 |
◆捕鯨が環境問題である、というのは完全な嘘...さま |
影丸 2010/05/28 12:40 |
捕鯨は日本文化でもなんでもないです。戦後一時的に鯨獲りの漁師から空腹な食糧難をたすけてもらっただけのこと。その証拠に殆どの日本人は今は鯨を食べることを好まないのです。捕鯨は日本の海の魚一網打尽の獲り方で鯨の食糧難で、そのうち絶滅することでしょう。高価だった蟹も獲りすぎで連日、TVの通販で大安売りになっていることを政府はご存知か。 |
ジェニファー 2010/07/06 18:37 |
>「人間は食べてはいけないが、クジラは食べてもよい」と主張するだろう。 |
エル 2010/07/25 08:46 |
>日本よりも安く鯨肉を生産する途上国からの輸入鯨肉に価格競争で負けるだろう。 |
エル 2010/07/25 08:47 |
◆ジェニファーさま |
影丸 2010/08/24 00:09 |
◆エルさま |
影丸 2010/08/25 02:18 |
影丸様、コチラこそ御返事が遅れて申し訳ありませんですw |
toripan1111 2010/09/07 11:21 |
>それなら南極での名ばかり「調査捕鯨」ではなく、商業捕鯨の再開を求めたらよろしいでしょう。 |
toripan1111 2010/09/07 11:35 |
>嬉々として自説を展開なさってくださいましたがあなたは、「クジラ」が環境問題であるというのはウソだ、と主張するのなら、その根拠をお示しください。 |
toripan1111続きます 2010/09/07 11:45 |
(前投稿の続き) |
toripan1111 2010/09/07 11:48 |
>それから「kkneko氏」って誰ですか? わたしの知らないひとの批判をここで勝手に展開されても困ります。 |
toripan1111 2010/09/07 12:03 |
影丸様が絶対に言い返せない事ばかりを大量にコメントしてしまいましたが、反論できないからと言って削除したりはしないですよね?一応、魚拓採っときますけど^^ |
toripan1111 2010/09/07 12:09 |
<< 前記事(2010/02/22) | ブログのトップへ | 後記事(2010/02/25) >> |