残った真っ黒焦げの柱が、猛火の勢いを物語る。わずかに原型をとどめていたのは、家族の寝室だけだった。
「みんなが無事で本当によかった…」
神奈川県警大船署署員ら約20人が現場検証を行っている傍らで、ジョー山中さんの妻、聡子さん(36)が気丈に対応した。
聡子さんによると、就寝中だった6日午前5時半ごろに、「パチパチという嵐の雨のような音」で目が覚めたという。
「焦げ臭いな」と山中さんが話したためカーテンを開けると、子ども部屋近くの濡れ縁が燃えているのを発見。すぐに同じ部屋で寝ていた長男(6)、次男(3)を起こし、4人で裸足で逃げ出した。築約50年の家屋は全焼。山中さんが住み始めてからは約十数年が経過していた。
この夜は、前日5日のバーベキュー・パーティーで子ども部屋が散らかっていたため、たまたま一緒に寝ていたという。
肺がんで闘病生活を送っていた山中さんは、6月末に鹿児島県内の病院を退院。順調に回復している山中さんへの改めての激励と、2日に64歳の誕生日を迎えたお祝いで、友人約60人が集いバーベキュー・パーティーが開かれていた。
時間は5日午後1時から同9時。大船署では出火原因との関連を調べているが、一方で聡子さんは急を聞いて駆け付けた近隣住人や友人にも努めて明るく振る舞った。
脱出時、聡子さんは下着の上にTシャツを着ただけの姿。「Tバック(のパンティー)じゃなくてよかった」と話せば、焼失してしまった大切な物には「1回も履いていない靴かな」と笑わせ、周囲に気をつかわせまいとする姿がみてとれた。
「(山中さんの)病気に比べたら、全然悲しくないわ」と聡子さん。思い出の品々が無くなっても、「形あるものはいつかなくなる。心の中に入っていれば大丈夫」と言い切った。
そんな中、燃え切っていない奥の部屋からは、山中さんの1977年の大ヒット曲「人間の証明のテーマ」などに贈られたゴールドディスク3枚が、奇跡的に無傷で発見。聡子さんにとって、家族の無事とともにこれもまた救いだった。