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開高健「青春の家」解体へ、6畳間で初期作執筆…大阪・東住吉

同級生ら名残惜しむ

開高健が22歳ごろまで過ごした木造住宅(1日、大阪市東住吉区で)=大西健次撮影

 芥川賞作家の開高健(1930〜89年)が青春期を過ごし、初期の作品を執筆した大阪市東住吉区の住宅が今月にも取り壊されることになり、1日、同級生らが集まって、在りし日の思い出を語り合った。

 昭和初期に建てられた「大阪長屋」と呼ばれる2階建ての木造家屋で、大阪・天王寺で生まれた開高は、家族と一緒に7歳から住み始め、結婚して別宅に移るまで、戦中戦後の約15年間を過ごした。

初期作品を執筆した2階の6畳間(1日、大阪市東住吉区で)=大西健次撮影

 1階3部屋、2階2部屋に6人が暮らし、2階の6畳の和室が居室だった。

 妹の野口順子さん(75)によると、「兄が旧制中学の頃、父が亡くなり、家計を支えるためにアルバイトに忙しくしていたが、友人から借り集めた西洋文学の本を万年床の周りに積み上げて、片っ端から読破していた」という。

 2年前まで暮らしていた親族が亡くなったため取り壊しが決まり、この日は約20人が名残を惜しんだ。天王寺中学時代の同級生、作花(さっか)済夫さん(79)は「日曜になると押しかけて文学や政治、恋愛など何でも語り合った。当時から『よっしゃ、よっしゃ』が口癖。博覧強記で、1人でしゃべっていた」と懐かしんだ。

 開高は大阪市立大時代、文芸部で小説の執筆を始め、同人誌でも活動し、この部屋で初期の作品群のいくつかを執筆した。

 25歳で東京に移り、小説や紀行、戦場ルポなど幅広いジャンルで傑作を残した。空襲におびえ、窮乏を極めた原体験は代表作「輝ける闇」に生かされた。晩年の自伝的小説「破れた(まゆ) 耳の物語」では終戦直後の食糧難の様子をつづった。

 生誕80年の今年は復刊が相次ぎ、各地で回顧展が開かれるなど、再評価の機運が高まっている。地元の街づくりボランティア、吉村直樹さん(64)は、「戦後文学を代表する大阪生まれの作家が精神の骨格を形成したモニュメント的な建物。それが失われるのは、とても残念だ」と話していた。

2010年9月2日  読売新聞)
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