この裁判をどう見るか多くの方からメッセージをいただきました。
★海外のセレブも「クジラ肉裁判」に注目し、サポートを表明してくださいました。
デズモンド・ツツ大主教(ノーベル平和賞受賞者)
ベティ・ウィリアムズ(平和活動運動家)
ベニシオ・デル・トロ(俳優)
ブライアン・アダムス(アーティスト)
エド・バーンズ(俳優、映画監督)
エマ・トンプソン(女優)
タンディ・ニュートン(女優)
スコーピオンズ(アーティスト)
ウィリアム・シャトナー(映画監督、俳優)
こんなエピソードも
ジャーナリストの取材においても、NGOの活動においても、事実を暴くために「リスクをとる」決断を迫られる場面には、仕事を続けている限り幾度となく遭遇するものです。
ジャーナリストが「信頼を失う」ということは、その記者の存在意義にも関わることだけに、「警察に逮捕される」こと以上のダメージとなります。
グリーンピースが「リスクをとる」行動に打って出た結果、「最も信頼を失う」ことになったのは誰なのでしょうか?
その意味で、グリーンピースの「クジラ肉裁判」に注目しています。「最も信頼を失う」ことになった連中が何ら裁かれていない――という点においても。
明石昇二郎 (ルポライター)
当たり前のように暮らしているこの社会のシステムは、ほんとうに水もれのないシステムなのだろうか? この裁判に注目しよう! それは、いま・そして未来のまっとうなあなたの声がこの日本でどこまで響き渡るのか、測るものだから。
A SEED JAPANは将来、未来を担う青年の声が「誰かの不都合で真実が覆い隠されるしくみ」をつくりださないために、そして不正の全容解明と再発防止がなされるために、この裁判に注目します。
国際青年環境NGO A SEED JAPAN
法律のもとに税金を使って行う事業の中で不正があったとき、それを追及できるのは報道機関やNGOです。今回のクジラ肉裁判は、沖縄密約報道とその受けとめ方を反省して、私たちの社会が民主的に成熟する良い契機だと思います。
池田香代子 (作家・翻訳家、世界平和アピール七人委員会)
日本の裁判システムの質が問われる事件です。事件を矮小化させて収束させることなく、問題の背景と全容が裁判をきっかけに国民の前に明らかにされることを期待して応援しています。私たちは権力の監視こそが民主主義の本質であることを忘れてはなりません。
伊藤真 (弁護士・伊藤塾塾長)
ほんとうに大切なことは何か? ほんとうの悪とは何か? 真の公共の利益とは?
公権力の都合ではなく、共に生きる人間と生命の側から真剣に考えていきたい
と思います。
大河内秀人 (僧侶/浄土宗見樹院・寿光院住職
この件が報道されたとき、日本のマスコミのありかたに目を疑いました。
本当に悪いのは誰なのか、論点がすりかわったまま多くの人に情報が届きました。
みんなで今一度この裁判に注目し、日本に住む人々の「知る権利」を確認したいと思います。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ」
by Antoine de Saint-Exupery
小野寺愛 (ピースボート共同代表)
クジラよりも、もっと大きな大きなチカラを持った体制が
クジラよりも、もっと小さな小さな人々の、
ココロやコトバを表現する自由を
切り刻み、脅かしているように感じる。
それは、クジラを食べるか食べないかの話ではなく、
私たちが大きなチカラに食い殺されるか、されないかの問題だ。
海南友子 (かなともこ/『ビューティフルアイランズ』映画監督)
社会に対して問題を感じて行動を起こすと、警察に捕まって、嫌がらせを受ける。私自身もそういう経験をしてきましたので、今回のような警察や検察によるせせこましいやり方に憤りを覚えます。イギリスでは、核兵器の基地にハンマーを持って潜り込んだ女性が「無罪」となったことがありました。「核兵器こそが違法だ」という理由からです。「何がほんとうに悪いことなのか」を大きな観点から見るべきだと思います。
捕鯨に関しては、私は太平洋諸国を訪ねるたびに、地元市民の日本の捕鯨に対する厳しい感情を実感します。日本の調査捕鯨に反対している世界の人々は、なにも、日本人に鯨を食べるなといっているのではないと思います。日本の船が南極海にはるばるやってきて鯨を殺すのは問題だ、といっているのだと思います。日本の沿岸での捕鯨を小規模に続けていけばよいと私は思います。ふだんべつに鯨を食べているわけでもない人が、日本が批判されていると知ると急に「捕鯨は日本の伝統だ」と言い出すのは、ちょっと滑稽です。
川崎哲 (ピースボート共同代表)
湾岸戦争のとき「PEACE ON EARTH 地球を美しい平和な星に」というメッセージで全国一斉のビーチクリーンアップをよびかけて以来、海や森の生き物たちも人間も元気に生きられる地球を取り戻すために自分ができることを続けてきました。
海の食物連鎖の一番上にいるクジラが元気な海は、小さな生き物たちも元気です。
日本の調査捕鯨というものが、本当に私たちの税金を使ってする必要のあるものなのかどうか、この裁判の行方に注目しています。
きくちゆみ (著作・翻訳家/環境・平和活動家)
現在注目を集めている「小沢VS検察」問題では、政治と金の問題以上に、検察組織の強権的体質と記者クラブに代表されるマスコミとの癒着構造が日本の民主主義にとって大きな脅威となっていることが明らかになりつつあります。それとの関連で、今回のクジラ肉裁判は、単に日本の調査捕鯨の問題点や国策事業の不正を明らかにするだけでなく、日本の刑事司法の前近代性を克服し、国民の知る権利や表現の自由を勝ち取るための重要な闘いとなることは間違いありません。国家統制が強まるばかりの今日の情勢ですが、日本の社会を少しでも良い方向に変えていくために、みんなで力を合わせて声を上げていきましょう!
木村 朗 (鹿児島大学教員)
調査捕鯨が本当に国益に繋がっているか事実がしりたい。
桐谷晃司 (デジパ(株)代表取締役
知る権利は生きる権利だが暴力ではない。視点を高く広くもって井の中の蛙にならないように心がけたいと思います。
桑原茂一 (フリーペーパー・ディクショナリー発行人)
最近、マスコミがいつも正しい事を知らせてくれるわけでないことを実感しています。自分の目でみる、考える事の難しさも…本当のことを知りたい、知らせたい!と願っています。地球にやさしく、自然に優しく、動物に優しく、してこその人の命です。応援します。
古今亭菊千代 (落語協会真打)
青森地裁が外国の学者を証人採用したのは、本当に驚きです。情報がグローバル化していることから、裁判官が、世界基準の裁判を意識し、世界の人権状況を知る必要を強く感じたのでしょう。変わろうとしている裁判所にも世論のバックアップが必要です。この裁判をつうじて、情報公開の重要性と、グリーンピースの開かれた明るい活動を広めたいところです。裁判は傍聴しようと思います。
光前幸一(東京弁護士会・公益通報者保護特別委員会委員長)
あたりまえだけど、
正しいことを正しいと、
間違っていることを間違っていると、
ちゃんと言える社会にしたいから、
調査捕鯨でおかしなことしてるんじゃない?という
グリーンピースの問いかけに、
きちんと本当のことを調べて答えてほしい。
隠したり、ごまかしたりは
やってはいけないよって子供に教えるのだったら、
もちろん国としてもやってはいけないよね。
調査捕鯨から、
日本の民主社会としての現実、
知る権利知る義務、
伝える表現の自由、
手と手を取り合う一員として、
考えたいから、
本当のことを知りたいのです。
なんだか日本の今後を占うような、そんなことを含む裁判だと
思うんです。
行方に注目しています。
Comugi (ミュージシャン、ヨガインストラクター)
彼らの行動は正義に基づいたものと感じる
裁判を注目している
サンプラザ中野くん (ミュージシャン)
水産庁の捕鯨は漁業振興とは無縁です
「自然の肉を最小限食べて、天に感謝する」という立場から、私は日本近海の小規模なクジラ漁業を守るべきだと思います。昔の猟師たちは各地にクジラのお墓を作りました。しかし年に1000頭ものクジラを遠洋で捕獲して市場に流している水産庁の行為は調査捕鯨の名に値しない上に、漁師の心意気をも踏みにじっています。民間の捕鯨会社による漁の再会の可能性はゼロ。その上に、水産庁は鯨肉を販売することで、わずかに生き延びている沿岸クジラ漁にも打撃を与えています。調査捕鯨がでたらめであることを国民に知らせる意味で、私はこの裁判に注目します。
菅原秀 (ジャーナリスト)
今回の事は、身体を張った〈問題提起〉だったと思います。この裁判を機に、多くの人々に捕鯨について考えてもらうシンポジウムをやってほしい。「無制限に捕っていい」と言う人はいないでしょう。じゃ、どうするのか。そのルールについて、又、捕鯨、鯨食についても考えたい。日本の伝統・文化だという人もいる。僕はそうは思わないが、では伝統・文化とは何か。皆で話し合う場をつくったらいい。又、伝統・文化だったら、永遠に変えられないものなのか。かつての日本では切腹、殉死、チョンマゲは伝統・文化だった。しかし、今は残っていない。伝統・文化も変わるものだ。又、この問題を通し、国際化や日本人とは何かなどについても大いに論じたらいい。
鈴木邦男 (評論家)
政府が罪を犯し、それを隠ぺいしようとしたときに、市民側が証拠隠滅を防止するために差し押さえることは犯罪でしょうか。これが犯罪なら政府、為政者はやりたい放題になります。
「相手がグリーンピースだから仕方ない」と言うとしたら、あなた自身のときもそう言われるかもしれません。メディアはあなたのイメージを勝手に作るからです。松本サリン事件の時のように。
これは市民の「監視権」が認められるかどうかの問題だと思います。
田中優 (未来バンク代表)
グリーンピースの、10年、20年先を見て活動するところが好き。横領疑惑のあるクジラ肉入りダンボールをもって帰った2人のスタッフの行為は、行政の不正を暴く正当な行為として民主主義先進国なら認められるでしょう。まして、そのスタッフはクジラ肉をはりはり鍋をして食べようとしたわけではないし、誰かに売って儲けようとしたのでもない
田村人志 (パナソニックグループ社員)
「100年先の未来が考えられる社会にしたい」そのために、今の活動をしているんだと、語った佐藤さんらの情熱を国家権力がいとも簡単にひねりつぶしてしまったら、私たちの未来は、ますます暗くなるばかり。そのことがとても心配です。
塚田壽子 (マガジン9条)
この事件の当初から、政府と裁判所が一体となって動くさまに、そしてマスコミの報道のしかたに呆れています。
「この裁判の結果は、国民・市民が政府の行為をしっかりチェックし、問題があれば変えられる社会に脱皮するか、それとも国策なら政府三権やメディアまで一体となって押し通す戦前・戦中と大差ない社会が続くのか、日本の民主主義の未来を左右するでしょう」という、グリーンピース・ジャパンの考えに賛同します。
グリーンピースが大きなリスクを冒して用意してくれたこの論議の場に注目し、それを日本社会の転換――本当の意味でのチェンジ――へのスプリングボードにしようとする草の根運動の環に連なりたいと思っています。
辻信一 (明治学院大学国際学部教授)
飽食の日本では、自然と共生しながら生きるコミュニティーを放棄した状況となっています。調査捕鯨そのものも、共生の理念をどれだけ踏まえて行われているか非常に疑問です。共生の観点からも現代文明のあり方からも、未来社会を見据えた公正な裁判が求められます。
都筑 建 (自然エネルギー推進市民フォーラム理事長)
鯨肉が横流しされているという告発に対して、その告発行為の側を窃盗罪として立件した検察。
市民からの批判の目を眩ませようとする行為は、健全な市民社会に真っ向から対立する施策です。
アムネスティ・インターナショナルでは、国際的に認められている表現の自由を保障するという観点から、
鯨肉裁判の行方に
関心を持っています。
寺中 誠 (アムネスティ・インターナショナル日本 事務局長)
野生動物の高級肉の横流しを告発したら逮捕されてしまった佐藤さん。この野生動物が、ゾウ、キリン、ニホンカモシカ、カンガルーやワニだったら? 裁判の行方に注目しています
土井二郎 (築地書館 社長)
クジラ肉裁判は、国策事業の不正を隠そうとする国の、木を見せて森を隠す悪あがき、との感を否めません。つまり、調査捕鯨にからむ不正の告発を、グリーンピース職員に対する「建造物侵入」による「窃盗」、といった姑息な言いがかりにスリかえて、かわそうとするもののように思えるからです。
半世紀前の国策事業たる人形峠周辺のウラン開発では、膨大なウラン廃棄物(残土)を現場に放置して、国策会社はトンズラしました。私たちが支援した鳥取県湯梨浜町(旧東郷町)方面(かたも)地区の住民は、わずか20世帯の小さな寒村ながら、18年間にも及ぶウラン廃棄物(残土)の撤去運動と撤去訴訟のすえ、最高裁決定により要求を実現しました( 下記参照)。
http://uranzando.jpn.org/uranzando/
これに比べて、クジラ肉裁判は、国際社会と国際法にも密接に関係する、文字通り国際的関心の高い問題です。国連人権理事会のワーキンググループが、世界人権宣言に違反する人権侵害であるとの意見を採択し、日本政府に伝えた事実はきわめて重要です。
タコツボにこもっている日本の政府もマスコミも、そして市民も目を開くべき時ではないでしょうか。
土井淑平 (市民活動家、ウラン残土市民会議運営委員)
私は、市民的不服従を標榜する市民の一人として、グリーンピース・ジャパンの二人の職員が逮捕・起訴された「クジラ肉裁判」に注目しています。市民には、政府や企業を監視し、不正を糺す責務があり、そのための知る権利、表現の自由は保障されるべきです。
グリーンピース・ジャパンの二人の職員の、NGOとして、組織的な業務上横領疑惑を糾明していく過程として行使した手段を単なる「窃盗」として切り捨てることのないよう、裁判所に対して強く求めます。
富山洋子 (消費者団体役員)
裁かれるのは誰か
去る1月18日朝、三井環氏は、服役していた静岡刑務所を満期出所した。三井氏が負わされてきた罪は電磁的公正証書原本不実記録・詐欺罪 、収賄罪、公務員職権乱用罪。しかし、である。大阪高等検察庁公安部長だった三井氏が、それらの罪状で拘禁されてきたと「思った」または「思いたかった」のは、刑事罰を科す判決文を書いた裁判官だけであろう。三井氏を逮捕、立件した検察官はもとより、この事件を知る誰もが、現役の検察幹部による検察庁の裏金のマスメディアへの内部告発の口封じのための「別件逮捕」であったと確信している。しかし、「別件逮捕」であろうなかろうと、微罪であろうと、日本では一度起訴されたら99パーセント以上の確立で有罪にされる。いや、それ以前に、日本では有罪・無罪に関係なく逮捕された、その瞬間から日本のマスメディアは、被逮捕者をバッシングし、そしてことの真相は闇に葬られる。
グリーンピースの職員2名が青森県警に逮捕されたときに思ったのは、この「三井環事件」である。もちろん「三井環事件」は、正確には「検察裏金の内部告発封じ、隠蔽事件」と表記すべきである。その意味では、現在青森地方裁判所で進行しているのは「グリーンピース裁判」ではなく、「クジラ肉横領の告発封じ、隠蔽裁判」である。
本来、まっとうな民主主義国家、法治国家なら、このような裁判は初めから存在しなかったはずだ。問われるのは三井氏ではなく、公金横領とも言える裏金作りを長年続けた検察当局と、それを知りながら放置し続けた幹部たちであったはず。同様に、逮捕、起訴されるべきは、捕鯨という国策事業での組織的横領の実態を告発したグリーンピースではなく、横領した者たちだったはずだ。しかし、検察組織内部の、しかも公安部長という幹部すらも逮捕、起訴し、そのことによって真実を隠蔽してしまうという、腐りきったかのような検察の体質が、「クジラ肉横領事件」を「グリーンピース裁判」とすることで、真相を隠蔽したのだ。
これもまた三井氏やその支援者やジャーナリストと同様に、真実、真相に迫ろうとするグルーンピースや弁護士、ジャーナリストによって、今「グリーンピース裁判」は、「クジラ肉横領の告発封じ、隠蔽裁判」として、真実が白日の下にさらされようとしている。
被告にされた二人には申し訳ないが、こんな面白い現在進行形のドキュメント
はない。見逃す手はなかろう。
豊田直巳 (フォトジャーナリスト)
先日、山口県で開催された「瀬戸内海の生物多様性保全のための三学会合同シンポジウム」に参加しました。
瀬戸内海に奇跡的に残されている世界的にも貴重な自然が上関原発の建設によって破壊されしようとしていることに対して、日本生態学会、日本鳥学会、日本ベントス学会などが、あまりに環境アセスメントがずさんであることを指摘し続けています。
http://ankei.jp/yuji/file/0912/000841_3.pdf
参加してみて感じたことは、その指摘はふつうに考えれば、誰もが納得できることであるにもかかわらず、その指摘を無視する中国電力による工事が進められ、海を守ろうと抵抗した住民が、逆に中国電力から告訴されるという事態が起こっています。
http://new-k.livedoor.biz/archives/964913.html
「クジラ肉裁判」にも同質の問題を感じます。
まず「調査捕鯨」船員からの内部告発を多くの人に知ってほしいですね。
次のサイトのP24〜27(
http://web2.rederio.org/gp/doss.pdf)
「調査捕鯨」という名の下に公式に発表している捕獲数より多くを捕獲し、それらが売られていること。その一方で、とり過ぎて処理できない鯨の「雑肉」を大量に捨てたり、調査サンプルが多すぎて、調査できずに余っていることなど驚くべき内容が掲載されています。
一番驚いたのは以下の話です。
(レポートの27ページ)
〜〜〜〜〜〜 ここから引用 〜〜〜〜〜〜〜
「クジラの病気ですね。これが意外と結構多くて、ガンなんかも結構発見されるんですよね。例えば、肝臓ガンとかのクジラも。でも肉やらはそのまま処理して一般に売られるわけですよね。これも大問題だと思いますよね。」
Q、それは、具体的にもう見て明らかにガンだって分かる?
「それはもう鯨研の人が必ず写真撮るんで、それは証拠もあるし、サンプルも採ってると思います。」
Q、ただ、それは同じように肉は普通に売られるわけですか?
「その部分だけは捨てますけどね。ただ肝臓だけがガンで、肝臓だけ捨てて他の肉は取ったら、元ですからね、怖いですよね。たぶん、鯨研さんはいっさい発表してないと思いますけどね。その病気に関しては。」
Q、それはかなり頻繁に見られるものなのですか?
「頻繁に見ますね。ほぼ毎日のように病気のクジラは。胃潰瘍だったり、あとガン細胞は結構多いですよね。」
〜〜〜〜〜〜 引用ここまで 〜〜〜〜〜〜〜
ガンになったクジラのガン細胞を除いた鯨肉が売られていることも問題ですが、より重要なことは、病気のクジラが多く、ガンのクジラが多いということ。クジラが病んでいるということは、海洋の環境(生態系)が病んでいるということです。
「海」という字に「母」が入っているように、海は私たち生物全体の偉大なる母親だと言ってもいいでしょう。その母親が今、苦しんでいます。
まわりを海に囲まれた私たちは、長い間、海の恵みによって生かされてきました。この裁判が、日本人が海を大切にする気持ちを取り戻すことにつながればいいなと思っています。
中村隆市 (ウィンドファーム代表)
鯨を食べてはいけないとは、思いません。食べるのが日本の食文化だとも、思いません。調査捕鯨は、まやかしだと思います。「窃かに盗む」とは、調査捕鯨そのもの謂ではないでしょうか。そこに見られる政官財の癒着ぶりは、何やら滑稽なほどですが、露骨に悪辣でもあります。裁判を強いられたことで、不正の監視・暴露がより大きな実を結ぶなら、受けて立つ甲斐もあるというものでしょう。
西尾漠 (原子力資料情報室共同代表)
クジラ肉裁判に注目しています。
沖縄密約をめぐる西山事件、「慰安婦」番組改変をめぐるNHK裁判など、日本では政府による論点のすり替えをメディアが無批判に報道し、裁判所の判決がそれを追認するということが度々行われています。だれが「ホントに」クジラ肉を盗ったのか?このことを裁判を通して明らかにすることは日本に民主主義を取り戻すことでもあると思います。
野平晋作 (ピースボート共同代表)
広告代理店から見える、自由なコミュニケーションの危機
僕たちは、自由に発言ができる社会に生きているはずだ。自分が見たこと、考えたことを言葉にできる自由がある。おかしいと思ったことを、問題提起できる自由がある。この自由なコミュニケーションが僕たちの社会を作っている。この民主主義の社会を。広告もまた、自由なコミュニケーションの無いところには成り立たない。想像してみてほしい。発言の自由がない社会を。TVは政府発表の場だし企業家の自由な宣伝なんて考えられない。もちろん個人一人ひとりは友達とすら、ほんとのことはしゃべれない。僕はそんな社会はごめんだ。広告人としても、一人の市民としても。
司法は、自由を取り締まるためにではなく、自由を守るためにあってほしいと願う。
林直樹(広告代理店勤務 / ナマケモノ倶楽部会員)
問題の本質を摩り替えられる事なく真っ当な裁判が行われるよう注目していきたいと思います。日本が真の民主主義国家かどうかが問われる裁判です。
広川泰士 (写真家)
法は完璧じゃない。だからつねに改正や追加立法がある。「法令遵守」の声が危ういのは、普通の市民生活でもかならず脱法行為が幾つも含まれているのが現実だという、法の不完全性の問題があるからだ。法解釈を司法に委ね、正義をメディアに委ねることこそ恐ろしいものはない。市民が不正や不公正に声を上げる社会を自分たちで保障していく行為が、この裁判に注目する日本人の立場だ。
広瀬敏通(ホールアース自然学校代表・日本エコツーリズムセンター代表理事)
クジラ肉の裁判は、正義なく捕鯨の利権にむらがる人々の醜い実態を明らかにしたもので、グリーンピースの快挙と思います。次の証人尋問で、更にアピールできることを期待しています。
藤井 勲 (弁護士)
新たな裁判員制度がスタートしましたが、行政や立法への市民参加と比べて、司法は最も本質的な市民参加が遅れていると思います。政府や企業をウォッチするNGOが、社会的公正を実現するために、違法行為にふみきらざるを得なかったという現状そのものを問題にすべきでしょう。市民社会を強くしていくために、クジラ肉裁判を応援します。
廣瀬稔也 (東アジア環境情報発伝所代表)
こんなふうに言っていいのかどうか分からないが、このクジラ肉裁判は、単なる「調査捕鯨」問題が、日本警察の人権侵害にスポットライトを当てるまでに大化けした事件だ。
“逮捕”前夜、報道機関には佐藤さん、鈴木さん逮捕のリークがあったと言う。そのリークを受け、それなら、と佐藤さんは新宿警察署の目の前のホテルに宿泊し、朝7時に“出頭”するつもりで、鈴木さんと弁護士と6:45に待ち合わせた。
しかし、彼らが来たところで、何故か警察が現れて、“逮捕”されたのだと言う。この“逮捕劇”演出の失敗後、今度は、報道カメラは警察のリークなしにはあり得ない場所とタイミングで、青森への“連行劇”やGP事務所の“家宅捜査劇”を激写し、新聞は佐藤さんの自宅住所まで掲載した。日本社会は実に恐ろしい。佐藤さんたちは、「調査捕鯨」のクルーたちがクジラ肉を流用する犯罪行為を告発するために持ち出した「証拠品」を自ら警察に差し出し、入手方法も教え、協力を惜しまないと伝えていた。警察は必要のなかった“逮捕・連行・家宅捜査”劇を演出し、GPを“悪者”にする一方、調査捕鯨船員による長年続いてきたクジラ肉流用の捜査を「おみあげ」に矮小化して幕引きを図った。
“取り調べ”や“勾留”“勾留”期限の延長の様子を取材させてもらって驚いたが、このやり方に国連人権理事会が「人権侵害」であるとの意見書を採択した2009年9月のニュースには驚かなかった。その後、日本の「調査捕鯨」に名を借りた商業捕鯨代替行為は自滅の方向へ向かいつつあるのだから皮肉なものだ。
裁判所までが国際社会の笑い物にならないよう、正義を信じたい。
まさのあつこ (ジャーナリスト)
日本の「調査捕鯨」の正当性、税金の使途に、優れた論理的な疑問を投げかけているグリーンピース。その粘り強い働きのおかげで、「公共の利益のための、NPOやメディアの仕事が刑罰で脅かされるべきではない」、とするヨーロッパ人権裁判所の数多くの判例や国連人権規約のことを知った。その志の高い賢明な判断や裁判は、目からウロコだ! 今、法廷に場を移した、このグリーンピースの闘いは、メディアを生業とする全ての人間にとり、とても重要であり、真摯に学ぶべきだと思う。
三浦節子 (テレビマンユニオン プロデューサー)
この事件については相反する思いがあります。違法性をはっきり自覚しながら鯨肉を持ちだしたのですから、被告は、自分の信念に基づいて堂々と刑に服せばいいいいのではないかという思いです。ガンディーなら、恥じることなく堂々と入獄するでしょう。
そして一方で、司法の頑迷さを感じます。これがただの盗みではないことは、だれの目にも明白ではないかと思います。なぜなら、被告は持ちだした鯨肉を、まっさきに司法に提出しているからです。それを単なる「窃盗」事件として立件することに、わたしは暗澹とした思いを抱いています。
宮内勝典 (作家)
「国は信用できない」という大合唱がある反面、こうした問題になると「調査権は国(警察)の専権。国に任せておけばいい」といった話が出てくる。「市民がもっと活躍すべきだ」という大合唱がある反面、こうした問題になると「どこの馬の骨かもわからぬNPOの調査権など笑止千万」といった話が出てくる。私たちは、国にどこまで任せて、市民としてどこまで介入すべきなのか、その境界が問われている事件と感じる。
湯浅誠 (自立生活サポートセンター・もやい/反貧困ネットワーク)
「ホントの事を知りたいと思います。」
海外の友人たちから、日本の調査捕鯨のあり方について、さまざまに質問されます。
日本の伝統文化だから....という返事だけでは、環境に対する日本のありかたそのものを、時に理不尽に否定されるような対応を受けて、とても不愉快な思いをします。ぜひこの裁判で、日本の調査捕鯨が持つ問題と、グリーンピースがしたことの意味を、中立的な立場で知りたいと願っています。
湯川れい子 (音楽評論家)
鯨裁判の行方に注目しています。
この裁判が、単なる窃盗罪云々ではなく、調査捕鯨の名の下における商業捕鯨のあり方を問う本質的な争点が浮き彫りになることを期待しています。
吉岡淳 (カフェスロー代表)
グリーンピースの環境保護活動は、個人のサポーターの皆さまのご支援によって支えられています。市民の立場で活動するため、政府、企業からの資金援助を受けていません。今、この地球上で起きている環境問題を解決するため、活動をご支援ください。
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