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インタビュー

2010年9月6日 page:2/3前へ次へ

ネットは、人を“幼稚”にさせる

菊地 成孔 音楽家・文筆家・音楽講師

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■若者などには、「情報の真正性」を求めてネットに接している人も少なくない気がします。

 これについてはメディア論の授業なんかで学生とも話すんですが、僕が小中学校のころに、テレビを見ている者はみんなバカになる、「一億総白痴化」という言葉がはやりました。僕はテレビの最盛期に生まれたので、テレビっ子ですし、基本的に今でもテレビっ子です。もちろんテレビのニュースにもでっち上げはいくらでもあると思っていますが、心ではテレビは反射的に信じる世代です。

 若い人にとっては、ネットが僕にとってのテレビのような存在でしょう。例えばブログなんて、価値は真正性ですよね。本人が間違いなくこの時間に書いてアップした、ということが確約されている。タレントのブログを読んでいるファンは、それによってタレントとつながっているわけです。

 でも技術的には、事前にまとめて書いておいて、ある時間になったら自動的にアップすることもできるでしょう。それに、本人でなくマネージャーが書いたっていい。マネージャーが1カ月分のブログをアイドルのために書いていたとしたら、相当な数の人が失望する、またはキレるでしょう。

 僕が若いころのアイドル雑誌には、アイドルの「ツアー日記」みたいなものが載っていました。あれはアイドル自身が書いているはずがなく、マネージャーが書いたに決まっている。読者はそれを分かりながら、本人が書いているような気になって読んでいた。虚実の皮膜というか、あうんの呼吸がある豊潤な関係が他人との間に築かれていて、そのことに誰も文句を言わなかった。

 でも今は、ウソをつくな、間違ったことは書くな、という幼稚な倫理があります。ブログは絶対に本人が書いていて、その時間に本人が送信しているもので、そうでなければ許せないと。部屋に閉じこもり、ともすれば現実から隔離されてしまうことによって、現実というものの豊潤さというか、ちょっとウソがあるとか、慇懃無礼だとか、そういう複雑な人間関係のあやがダメになっているように思います。保育室の中の赤ちゃんのように、お腹が減ったら泣き、ミルクが来なければ泣き、というような心性に近くなっている。それは、人間が幼稚化していくということですよね。批評家の東浩紀さんは、幼稚化どころか「動物化」だと言っていますが(参考:東浩紀著『動物化するポストモダン』、講談社)。

 これはもう仕方がないことで、テレビからそれは始まっているんですよね。人間は誰しも、メディアに囲まれて幼稚化していく過程は避けられないんです。ただ、僕はそれをインターネットが劇的に進めたと考えています。有名か無名かにかかわらず、発信さえしていれば誰かとつながれるという環境が、加速させたと思います。親が自分をいつでも監視してくれている世界みたいなものですよね。見守ってくれている優しい誰かがいれば安心だし、その人には何でも報告する、といったような。まあ、おまえだってネットから物書きになったじゃないか、と言われればそれまでなんですけど(笑)。

 今の若者に比べれば、僕は幾分幼稚ではないかもかもしれない。それは僕が立派な人間だからというわけではなくて、単に世代の差です。昔の人間は大変複雑だったのが、だんだんシンプルになっているということです。ベクトルは変えられませんから。学生とはそんなふうに話しています。

 僕の感覚では、真正性や公明性がこれほど問われる必要はないと思います。でもそれは、世を憂いているのではなくて、年寄りが「今の若いもんはダメだ」と言っているレベルのことです。


記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。

日経パソコン 2010年8月23日号

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