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インタビュー

2010年9月6日 page:3/3前へ

ネットは、人を“幼稚”にさせる

菊地 成孔 音楽家・文筆家・音楽講師

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■今、パソコンは菊地さんにとってどんな存在ですか。

 一時は熱狂的に使いましたが、もうそれは卒業しましたね。ただ、「iPad」は買おうと思ってます。iPadは、“アンチ日記通信型”のパソコンの喜びを持っているように見えます。

 ここ数年間のインターネットは、日記を書く、人とつながるということに大きく傾きました。パソコンがそのためだけのものになってしまうとしたら魅力を感じないんですが、iPadはそうじゃないらしい。鯉が泳ぐとか、振ったら音が出るとか、本が読めるとか。おもしろおかしいソフトがたくさんあって、オモチャみたい。

 僕が最初にイメージしていたパソコンって、こんな感じなんですよね。パーソナルコンピューターって、すごいものが一つの箱の中に入っていて、いろいろ遊べて、音楽も作れて……と考えていた。そこにリセットしてくれたような気がしています。とか言いながら、まだ買ってないんですけど(笑)。

 iPadで戻ってくる人、多いと思いますよ。一時的にパソコンを離れて、iPadで戻ってくる人がいるんじゃないかと。実際、そういう人にも何人もお会いしています。鮭が川に戻ってくるような、呼び水現象というか。

 一方で、iPadが要らないって言う人もいるんじゃないかな。“日記通信型”の側面を求めるなら、ケータイでもいいし。何を求めるかによって、必要な機器も別れていくんじゃないでしょうか。

■パソコンやインターネットは、音楽にどんな影響を与えたと考えますか。

 パソコンは、誰かが作った作品を加工したり、それをネタに語ったりすることを劇的に容易にしました。例えばテレビで放映されたアニメをすぐに取り込んで、編集し直して公開する、という行為がありますよね。一種の剽窃の形態です。音楽ではヒップホップから始まっているし、美術だったらポップアート、コラージュですよね。どれも、登場したときは先鋭的でとてもおもしろかった。ただこれほど共有や加工が進むと、それもなくなりました。

 昔は、作家個人のイマジネーションの地位というのは特権的に守られていました。天才がみんなをひれ伏させるぐらいすばらしいものを作って、それに対してみんながお金を払っていた時代はもう終わりです。今や作品は、単なる餌に過ぎない。それをネタに語り倒したり、めちゃくちゃに加工したりしたいという人たちがたくさん待っていて、その中に餌を投げているだけではないかという気もします。

 だから今は、そういう環境の中で価値がある表現や芸術が模索されています。表現だけにとどまらず、発表する発表形態自体も表現の中に取り込んでいくことになるでしょう。


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(八木 玲子=日経パソコン
記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。

日経パソコン 2010年8月23日号

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