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7 ヒダカ、なんとメジャーへ
――ここからいよいよビークルはメジャーにいくわけだけど、今のメンバーは、どういう考えにおいて集めたの?
ヒダカ:元々ね、みんな、BEAT CRUSADERSと対バンしてた奴ばっかりですね。FUNSIDEの(カトウ)タロウ、popcatcherのクボタ、MONG HANGのケイタイモ。マシータはいろいろやってたな。33式回転と、GREEN MINDと、PENPALSですね。あとNATSUMENもやってたか。
だからわりと、みんな友達ですよね、普通のね。それでもちろん、当時シリアスな打ち合わせもしましたけど。メジャーにいくいかない、みたいな。メジャーにそのタイミングで誘われて、みんなものすごい迷ったんですよね。それまでメジャーでやったことあるのって、タロウがDJ DRAGONさんのバックでギター弾いたりとか、マシータが観月ありさちゃんのシングルでドラム叩いたりとか、その程度だったんで。俺は仕事柄、LD&Kでメジャーのものは見てましたけど、自分がメジャーのソフトだったことはなかったんで。だから、「これ、どうなんだろうね?」って話は、ものすごいして。
だけどまあ、人生一度きりじゃないですか。人生で1回ぐらいメジャーにいってみてもいいんじゃないかと。あと、大学生時代からの20代っていうのは、基本的にメジャーに対するアンチな気持ちでずっと過ごしてましたから。そのアンチな気持ちを貫くのか、あるいはそれが本物だったかどうかは、実際にメジャーにいってみないとわかんないなと。
俺これ、当時はよく『侍ジャイアンツ』理論って言ってて(笑)。確か番場蛮(『侍ジャイアンツ』の主人公)は巨人軍が大嫌いなんですよね。でも、大嫌いな巨人軍の懐の中に入って、中からぶち破ってやるんだ、みたいなことを言ってて。もう30年ぐらい前ですけど。その論理を改めてやってみようじゃないかと思って、メジャーにきたんですよね。
――すごいですね。そんな悲壮な決意でメジャーにいくロック・バンド、今どきいませんよ。
ヒダカ:ええ。いませんし、とてもそんなような悲壮な決意を持ったサウンドじゃないんですよね、うち(笑)。ルックスも含めて。
――でも、それなりの決意と、思いがあったわけですね。
ヒダカ:そうですね。この時点で俺、35歳でしたからね。メンバーの平均年齢ももう32、33歳とかでしたし。だから、つぶしがきくきかないみたいなことも含めて、「こっからあとは、もうやり直しがきかないかもしれないけど、みんないいか?」みたいな、覚悟をちゃんときいて。それこそ念書取ろうかぐらいの勢いで決めましたね。
――でも普通ならば、そこでお面もとり、お××んコールもやめるみたいな選択肢もあったと思うんだけど、それは考えませんでした?
ヒダカ:まったく考えてなかったですね(笑)。普通そうですね、そう言われて今、俺も思いましたけど。メジャーにいくいかないっていう立ち位置だけが、すごくみんなの中で問題になって、あとは全然問題視されてなかったですね。下ネタに関しては、むしろみんな大歓迎でしたよ。まあクボタさん以外ですけど(笑)。最初にビート・クルセイダースに入ってくれないかって言った時に、クボタさんが渋った一番の理由は下ネタでしたからね。
――所属することになったメジャーレコード会社は、何か言いませんでしたか?
ヒダカ:はい、大丈夫でしたね。だから昔、自分が仕事として関わったり、ビート・クルセイダースとして関わってた、インディーズ・レーベルの方法論の一番いいところ、面白いところを、それぞれまたサンプリングした感じでしたよね。当時の自分としては。それをメジャーの中でやってみよう、みたいな。だからやっぱ、ラストラムとかLD&Kに感謝ですよね、ほんとに。そこの蓄積がなかったら、今のこれ、できてないだろうと思いますからね。
――そこからメジャー第一弾アルバムが空前のヒット・アルバムになるわけですけども。
ヒダカ:そうですね。まあ、宇多田ヒカルちゃんとか青山テルマちゃんほどじゃないですけど、その当時の自分達の物差しで考えたら、ものすごい空前の大ヒットですよね。
――それはどう思いました?
ヒダカ:うーん、みんなバカなのか? と思いましたね(笑)。いや、俺達も含めて。もちろん、メジャーにきたからにはインディーズ時代以上の成功を収めようとは思ってましたけど、よくてインディーズの時の売り上げの倍ぐらいだろう、みたいなね。がんばって10万枚って数字にもし到達したら、俺達すごいんじゃないか? みたいなね。当時、ものすごいこう、みんなで打ち合わせしてましたね。
だからまあ、自分達の予想ではマックス5万枚ぐらいだろうと思ってて。HUSKING BEEとNUMBER GIRLを足した感じになろう、みたいな。そこにちょっと氣志團風な面白みがある、みたいなね。そういうサンプリング感のつもりだったんですよね。
――それがもう何倍にもなってしまったわけですけども。うれしかったですか?
ヒダカ:うれしかったと同時に、びっくりしましたよね。だから、オリコンのチャートが象徴的だったんですけど、当時は「10位以内に入ったらすごい」とかね、「左ページいったらすごい」みたいなつもりでいたんですけど。確かあん時オリコン初登場3位だったのかな。またこれで「親になんて言い訳したらいいんだろう?」ってすごい悩みましたよね。「『テレビに出るようなバンドじゃないから』ってもう言えないんじゃないか、これ」と思って。そこはすごい覚えてますね。で、案の定、そのあと母親が『あんたいつテレビ出るの?』って言ってきましたからね(笑)。
――この時は、心配性のヒダカさんとしては、かなり考えたでしょう?
ヒダカ:考えましたね。なるべくその、そこから逃げるために、ここからいろんな企画物のリリースが続くんですよね。カヴァー集だったり、スプリットだったりね。カヴァー・アルバムは、そういう意味では自分の趣味性と企画性で、なんとかその成功をうやむやにしようみたいな(笑)、その最たるリリースですよね。売れてる感をいかに出さないかが、俺のテーマでしたからね。なるべく敷居が低くて安っぽい、そこをさらに肥大させよう、みたいな。すごい躍起になってましたね、当時。
だから、スプリットをやろうって企画した時も、それは売れる売れないというよりも、とりあえずインディーズの時の仲間と、笑いやゲラゲラ感をシェアできないと、この成功は逆に嘘くせえんじゃねえかなみたいなので、やったんですね。うしろめたかったんでしょうね、だから。それが一番出たアルバムが、たぶん『EPopMAKING(~Popとの遭遇~)』ですよね。今考えれば全然冷静に聴けるんですけど、当時は冷静に聴けなかったですからね。
――何故に冷静に聴けなかったんでしょうか?
ヒダカ:だから、そのメジャーの踏み台感が、見る位置や見る人によって全然違うじゃないですか。お客さんから見れば、全然俺は踏み台の上にいるし。でも内部に入ってみれば、自分は全然踏み台になってたり、それぞれ別だと思うんすけど。それはたぶん、レコード会社の人が見ても、事務所の人が見ても、また全然違いますよね。あるいはメンバー同士が見ても、違うだろうし。
だから、ファーストの時は、みんな被害者意識だから。それまではインディーズのアーティストとして、メジャーにはさんざん搾取されたとか、仲間をだいなしにされたみたいな恨みつらみで、ドカーンとヌケのいいことがやれたのが、今度逆に、実は搾取してんのは俺達じゃないか、みたいな(笑)。そこがね、『EPopMAKING』の時の一番の苦しみでしたよね。曲を作るってことは全然苦しみじゃないんですけど。だから、音を作る以外のいざこざっていうのが、実はものすごいあるんだっていうのを改めて勉強したのが、あの時でしたね。
8 ヒダカ、本当のミュージシャンになる
――で、その次のオリジナル・アルバム、『popdod』は、本当にすばらしい作品で。
ヒダカ:ありがとうございます!
――いいアルバムですよね。
ヒダカ:まあ、でも変わったバンドですよね、うちね。素直にここまでこれなかったのかっていう。
――だからまあ、本当はこれまでも自分の内なる才能に突き動かされながら走ってきたわけですが、ようやくこのアルバムでそれを認める、言わば天才宣言をしたわけで。
ヒダカ:天才宣言、はい。天才です、俺は!(笑)。
――ははははは。
ヒダカ:天才というかまあ、あれですよね、ミュージシャンですね。もうサラリーマンには戻りません! みたいな(笑)。だから、メジャーにきてから、もう5年目なんですよね、よく考えると。ビート・クルセイダースとしての半分が、今のメンバーになってからって考えると、なんかあっという間でしたよね。
最初は、ひとつの到達点みたいなものを作る気は全然なかったんですけど、2007年にツアーしてる時、bloodthirsty butchersとの対バンが特にすごい楽しくて、印象的で。怒髪天も楽しかったな。初めて年上バンドを呼んで、久しぶりに後輩キャラに徹してみて、今まで封印してた部分が一気に、チャクラが開いちゃった感じがしましたね。
「俺ってそもそもこうだったんだな」みたいなのが、すごいあって。たとえば、初めてHUSKING BEEやBACK DROP BOMBに呼ばれて、遠慮してた頃の俺みたいなのがすごいこう、鮮やかにオーバーラップしてきたんですよね、butchersや少年ナイフと対バンしてる時に。あん時の、先輩達を出し抜いて面白いことしてやろう感みたいなのが、また久しぶりきた感じがしますね、自分の中で。それが『popdod』なんじゃないかなと思いますけど。
――だから、ああいうブレイクを経験していろんなことを考えたと思うんだけど、ようやく安心できたと思うんだよね。
ヒダカ:安心しましたねえ。怒髪天はほんとに安心しますよね、やっぱり(笑)。いろんな意味で。MCなり、媒体に出た時のべしゃりも、これで全然いいんだ、みたいな。俺は増子さんほど面白くないけど、でもこういうオモロを全然追求してていいんだと思ったし。butchersに至っては、もうこの20年ぐらい、やってることがまったく変わってないじゃないですか。そういう意味で、初心って全然貫徹していいんだな、みたいなのも、すごい安心しましたし。
まあだから、やりたいことをやりたいようにやる、しかもなおかつそのケツが持ててたら最高かっこいいね、みたいなのは、改めてすごい思いましたよね。
――だからいろんなものに対する屈折、自分の中にある曲がったものが、このアルバムで全部取れちゃいましたよね。
ヒダカ:そうですね。だからそれまではたぶん、ケツを持つ=ちゃんと就職をしてるとか、サラリーマンをやってるとか、定期的な収入があるみたいなことを、自分の中で言い訳にしてたんでしょうけど、ケツを持つってのはそういうことじゃないんだなってのが、すごいわかりましたよね。とにかく、人前でいかに堂々とふるまえるか、みたいな。そういう理屈を超えたところにケツを持つ感があるんだっていうのが、すごい勉強になりましたよね。
――だから、ミュージシャンである自分を引き受けるっていう。
ヒダカ:そうなんですよね、ほんとに。
――前作からすごく短いインターバルだっていうのは、もう作りたくて作りたくてしょうがなかったんじゃないかと。
ヒダカ:そうですね。そもそも“CHINESE JET SET”って曲は、去年のAC/DCや『DMC』のトリビュートを録ってる時に、プリプロがてらやってみたら上手くいっちゃったのがきっかけですけど。あん時にやっぱ、次のモードに早く移りたい、移るべきだみたいなのが、自分の中でもうあったんでしょうね。今考えればですけど。その頃はさすがにそんな短いスパンでアルバムができると思ってなかったですしね。
――できちゃうんですねえ。才能って怖いですよね。
ヒダカ:怖いですね。でも、先輩が怖いですよ、俺。才能どうこうよりもまずは(笑)。
――そろそろ認めろよ。
ヒダカ:天才だからできました!(笑)。まあでも、憑きものが落ちたっていうとこを早く形にしたかったんでしょうね。
――ミュージシャンの自分もそんなに悪くないでしょ。
ヒダカ:そうですね。そして、みんな、ミュージシャンを目指せと(笑)。昔だったらミュージシャンなんてやめろと言いましたけど。今は逆に言います、目指しなさいと。クソミュージシャンになろうと。いうのはどうでしょうか、これ(笑)。