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記憶の球場 '10/8/30

旧広島市民球場のグラウンドに初めて立った日のことを鮮明に覚えている。いつも守る外野のポジションのはるか後ろに芝生がすり切れた場所がある。「深いな。あそこがプロの定位置なのか」と驚いた。40年近く前、一度だけ出た高校野球の県予選でのことだ▲球場はあす、すべての務めを終える。市が編んだ球場への思い出の作品集。そこに、「一度でいいから市民球場でプレーを」と暑い日も寒い日も頑張ってついに優勝できたとつづった人もいる。広島の野球少年にとってあこがれの舞台だった▲わずか5カ月の工事で1957年に完成。本拠地とした広島東洋カープは万年Bクラスにあえぎ続けた。負けても負けてもファンはあきらめずに足を運び、声援を送ってきた。廃虚の中から立ち上がった自らの生き方とどこか重なるところがあったからだろう▲赤ヘルに一新した75年、念願のリーグ初優勝を果たす。日本一を3度も制する黄金期を迎え、スタンドは幾度も真っ赤に染まった。通りを挟んで向きあう原爆ドームが被爆の証人なら、球場は復興の象徴だった▲市は年内にも解体を始める。施設の一部はオークションにかけるという。「壊さないで」との声もある。名残は尽きないが、球場はみんなの記憶の中で生き続けると信じたい。




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