婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                                                           
2010年08月21日
ホームページは引越しできるか?
 昨夜の送別会ははっきり言って僕一人が主役?の有難い送別会だった。忙しくかつ暑い中、大勢の医者仲間に集まっていただき光栄に思う。今回の僕の移動は多くの方が関係している訳だが、その構造自体はいたってシンプルなものだと思う。

 僕の立場も部長から院長へと名称こそ変わりすれ、本質的な事はあまり変わらない。「従業員の生活が懸かっている以上、より更に頑張れ」と言われても、僕は今までもそれなりに頑張ってきた。何よりも大事な事は継続する事だ。
 無理せず焦らず、身体も壊さず、きちんとした仕事が出来れば、僕はそれで許してもらいたいと思っている。

 さてそんな感じで昨日の送別会も2次会、3次会と流れて帰宅はかなり遅くなった。できれば今朝は早起きして何処か涼しいところの沢登りに行きたいなどと思っていたが、思いっきりそれは挫折する。せっかく代務先生が明日朝までいてくれているというのに、実に勿体無い事だ。
 しかしいずれにせよ僕は何時でもやる事はたくさんある。早起きに成功しようが失敗しようが、無駄な時間が流れる事は無い。

 と言う訳で今朝は子供達のサッカー観戦から始まり、アルプスベルでの開業準備、各種買い物、連絡やPC関係で忙しく手や足を動かし続けている。それにできるだけ休養を取る事も重要だ。来週は久美愛でもアルプスでも激務が予想されている。更に9月の開業後も恐ろしい。体調を壊さない事、それをまず第一にして仕事続けるのが重要だろう。そうでないと反動も怖い。

 今まで病院内の秘密部屋?で作ってきたこのHPも、今回の移動でシステム的にも場所的にも引越し作業が必要になってきた。
 それに伴いちょっと不安定になってきたパソコンや光ファイバーもリニューアルし、できることなら少しでもこのHPの中味を変えたいと思っている。
 しかしただでさえ時々調子悪くなるHP更新が、今回のお引越しを機会にできなくなる可能性もある。その時はその時であきらめよう。自分の記録や思いを何処かに残しておきたいという気持ちは誰にでもあるだろうが、それが人生の目的という訳ではない(きっと)。

 なにはともかく、この寝不足日記更新もこの転職を機に、しばらくお休みする事にします。いつ再開するかは不明です。できることなら更に美しく素敵になって戻って来れれば良いと思いますが、それも分かりません。
 僕のちょっと派手目?な日常にご興味を持ってくださる有難い皆様には、当分の間、山と仕事の臨時報告で近況報告させていただきたいと思っております。どうかそちらへどうぞ。何かと有難うございました。それではきっとまた近いうちに。 
2010年08月21日
毀誉褒貶の送別会です
 久美愛厚生病院産婦人科も事実上もう僅かで閉店状態になると。ということで毎日外来は駆け込み患者さんの行列?で満員御礼状態だ。
 午後にはアルプスベルに少しでも早く移動して準備したいから、早く外来終えたいのだがそうもいかない。スピード秒単位外来に更に磨きをかけて、とにかく一人でも多くの患者さんの診察する様努力する。
 更に大急ぎで回診と処置も済ませると、車で業者さんの待つアルプスベルに移動。昨日は電子カルテの最終打ち合わせとか練習とかに、せっせと励んだ。

 そして夜からは病院の医局が、僕の送別会第2弾?を開いてくれた。
 楽しい仲間達と別れる事になったのは寂しく思うが、これも自分で撒いた種だし、僕は高山から出て行く訳ではない。しかも僕の新しい仕事場は新久美愛病院から車で3分のところだ。お互いこれからも仲良くやろうと有難い言葉をたくさんかけてもらう。 
 さて送別会の席では、僕の目の前に前院長が座り、横には現院長が座った。禍根を残す別れ方?をする以上、作為的かどうかは知らないが、なかなかエグイ?席の配置だと思う。

 さてさて前院長とは、僕が13年前に久美愛に就職して以来、勤務条件の事を含めそれなりに色々な出来事があった。しかも前院長は、名大山岳部の先輩でもあり、地域医療への大変な貢献者でもある。僕が産婦人科の世界で色々偉そうな事を言っても、前院長の実績にはとても適わない。
 だからかどうか送別会の時間があっと言う間に経ってしまったと感じる位に、勉強になる様々な激励及び脅し?の話を聞く事になる。

 それはなかなか重たくかつ面白い話が多かったのだが、中でも印象に残った言葉は「必ずこれから身体は衰えるからな」とか「責任感にきっと潰される」とか「絶対に色々な問題が起こる」とかいう各種脅し?の言葉であった。
 この辺は彼が全ての点で先輩なので、僕ももっともだと大人しく聞くしかない。
 更に僕を評価する唯一の項目は「無事に次の人に医院を繋げる事ができるか」の一点にあるという。始まる前からそう言われるのは変な気もするが、これもきっとそういうものなのだろう。

 前院長は現在仕事も半分引退してセミリタイア?暮らしだ。運営会議とか救命救急の講習をしている隣の部屋で、前理事長や医事課長と共にピンポンで遊ぶのがとっても楽しみらしい。
 セミリタイアした病院でピンポンとは羨ましいことだと思う。そして酔っ払った前院長は「気味の様な人間は、リタイアしてピンポンで遊ぶなんて事は絶対にできないからな」と最後に強烈に脅かされたりする。

 もちろん送別会では、皆に「良く頑張りました」と労われて誉められての時間の方がずっと多かったのだが、なぜか前院長の脅し言葉が印象に残る毀誉褒貶の送別会であった。
2010年08月20日
幸運でした
 昨日も午前中は秒単位外来。時計と競争しているが如くで一人でも多くの患者さんを診察する様に頑張る。というのは午後から岐阜にある北陸厚生局という国の出先機関で、開業面接?というのを受ける予定になっていたからだ。
 もう脇目もふらずに仕事を進める。病棟回診はあきらめて最後の一人の外来診察を終えると、大急ぎで車に飛び乗った。

 約束の時刻は午後3時だ。この時刻に遅刻したら開業できなくなるとか、そこまでは無いらしい。しかしそれでも一応最初から許認可機関に悪い印象を与える訳にはいかないだろう。
 何と言っても僕の周りにはとても多くの方々が毎日汗水たらしながら頑張ってくれている。
 つまらない手続きミスで皆に迷惑をかける事になったら大変だ。一連の開業手続きに遅れがあると、下手すると9月1日の開業時に保険診療機関指定に間に合わない可能性もある。

 この辺の一連の手続きと言うのは、保健所の立ち入り検査の関係でどうしてもギリギリにならざる終えないらしい。というわけでアルプスベルの申請もギリギリになった様だ。

 なお僕は病院の管理者ではるが開設者では無い。それでも岐阜県ではきちんと面接を受けない事になっている。何でもそうなった理由は5年前に岐阜県瑞穂市で偽眼科医の詐称開業詐欺事件というのがあり、それ以来岐阜県での開業は今回の様な医師の首実験?が行われる様になったという。なんとも迷惑な医師詐称事件だと思う。

 開業前は誰でも忙しい。しかも僕の場合は勤務医の2足の草鞋状態だ。今までも何度か書いてきたが、僕が岐阜に行っている間に、病院で何か起こったらどうしよう。
 開業の手続きで岐阜に行ってましたで通用する訳は無い。国の出先機関は平日しかやってないし、平日に代わりの産科医なんて簡単には頼めないのだ。

 しかし僕は昔からこういう時は幸運だ。運が良い事に分娩入院は無かった。病棟も落ち着いてくれている。岐阜のイオンで買い物までちょっとして遅くに高山に戻ってきたが、病院は落ち着いてくれていた。深夜に呼ばれる事も無く助かる。世の中そういうもので、余裕で物事を進めるよりもギリギリの方が上手く行ったりする。しかしそれにしても何をするにも、僕はいつも綱渡りだとつくづく思う。
2010年08月19日
20年ぶりのリベンジでしたか?
 昨夜は名古屋から同期の麻酔科医S先生が、仕事絡みで高山まで遊びに来てくれた。彼とは学生時代からの長い付き合いで、共に教養を遊び過ぎで留年したという苦い経験がある。
 その後誰も相手にしてくれない仲間ばかりが集まった掃き溜め?ポリクリグループで一緒になり、良く言えば共に勉強し、悪く言えばお互いに足を引っ張り合って青春?を過ごした仲である。

 医者になってからはお互いの世界で滅茶苦茶忙しく、長いこと会う事は無かったのだが、今年の夏共に、長年勤めた病院を退職した関係で「それなら会おうよ」という事になった。
 当たり前だが久しぶりにあった彼も、今では飛ぶ鳥を落すほど優秀な麻酔科医になっていた。職場を辞めてフリーになっても、仕事は向こうから次々と降って湧いてくるらしい。

 というわけで昨夜は高山の美味しい旬の肴を旬の会話で楽しみ、更に高山のややさびれた?夜の町を、あちこちハシゴして遅くまで飲み歩いた。
 会話の内容は仕事の事が主だが、昔の思い出話などはほとんど出ずに、自分達の子供達の話題で盛り上がったりする。昔馬鹿なことばかりしていた友人と、今は胃腸を気にしながら子供の話をするなんて、やっぱり時代は流れた。何となく不思議な感じがしたりする。

 とはいえ子供の話だけで済む訳はもちろん無い。一番盛り上がったのは(多分)3件目に寄った店のダーツでの戦いだった。彼とは学生の頃からはっきり言って、何をやってもライバルで、どんな戦いをしても盛り上がる。
 20年前のカーレース(テレビゲームですが)の時は俺が圧勝だったと、すっかり忘れていた出来事を思いださせて、しっかり彼は僕を挑発する。

 というわけで夜のバーで、良い年をしたオッちゃん二人が、マジに真剣にダーツの戦いに挑む事になる。その結果は抜きつ抜かれつの1勝1敗に終わった。
 最後に勝ったのは僕だからこれでリベンジだと言うと、今日は5分にしといたるなどと、20年前と同じ様な言葉をはかれたりする。そんな感じで、昨日の夜は20年前に一瞬タイムスリップした様な貴重な時間を過ごす事が出来、とっても嬉しい夜になった。
2010年08月18日
働きすぎか屋内熱中症か
 アルプスベルの準備が佳境に入り、毎日準備スタッフの方は忙しく働いてくれている。もちろん僕も久美愛とアルプスの両方でやる事はたくさんある。幸いな事は深夜に起こされる事がこの数日間全く無い事で、お陰で夜はきちんと寝れている。
 まだこれから先に、開業大詰め準備と、開業直後ハードワーク(多分)が待っている。僕が今身体を壊す事は許されない。このまま深夜のお産無しで、無事にこの特別?な夏を乗り切れれば良いと思う。

 しかし僕以外の準備スタッフはそうも行かないようだ。中には名古屋から毎日の様に高山まで通って、遅くまで仕事されている方もいる。疲れた表情でPCと向き合ったり携帯をかけている姿を見ると、いくら仕事の種類が違うとはいえ申し訳なく思う。

 こういう時は責任感の強い方ほど、仕事しすぎて参ってしまう。次々と過労で体調を崩す方も出ている様だ。できるだけ休みながら、楽しく仕事してもらいたいと思っても、僕が下手な事を言うと油に水を注ぐ感じになることもある。
 僕の様にいい加減?にマイペースで動く人間の方が、こういう時は強いのだろう。昼も夜も働いていれば人間すぐに身体が持たなくなるのは当たり前の事なのだ。

 あとこの暑さにもちょっと堪らないと思う。名古屋から開業準備に来ている方ですら「高山って暑いですね」と感想を漏らしていた。気温がそれほどでなくても、標高が高い分日差しが強いのだ。紫外線の量もかなり多いだろう。ニュースでは日本中のあちこちで毎日何十人という方々が熱中症で亡くなられているという。
 高山だからとか屋内だからとか言って油断してはならない。熱中症にも十分注意して貰いたいと思う。アルプスベルの準備による過労と熱中症で、死人が出たなんて事になったら絶対にいかんのだ。

 地球温暖化が進み、日本はもう亜熱帯地方と同じ状態になっているらしい。
 僕が高山に引っ越してきた13年前の夏はクーラーなしでも夏を平気に過ごす事が出来た。今はクーラー無しでは命の危険もある。これから先、中国やインドの経済発展が進むと更に温暖化のスピードは加速する。誰かこの温暖化をストップさせる画期的な発明でもしてくれないだろうか? 
2010年08月17日
知らない内に支えられています
 今日はこれまた忙しい一日だ。朝からの秒単位外来に、昼からは母体保護法規定による新規施設検査立会い、その後に午後の予約診察と病棟業務、各種検査関係がどしどしと入ってくる。久美愛でもアルプスベルでも仕事山積みでやる事だらけだ。忙しいがその分やり甲斐はある。ここは気合入れて今日も頑張ろう。

 さてさて母体保護法というのは、所謂中絶関係の法律である。中絶業務は指定医が働く指定施設でしか行ってはいけない事になっている。
 と言う訳でなぜか僕は、転勤の度に、務める病院設計図を県医師会に提出する事になっている。中絶を生業にしていない僕であっても、世間ではどうしても必要とされている資格だ。せっかく持ってる貴重?な資格をドブに捨てる事は無いし、同時に法律は守らないといけない。
 それによるとなんでもアルプスベルは新産婦人科医院なので、今回は設計図を県医師会に提出するのみならず、建物の検査も受けなければならないらしい。

 とはいえ建物検査に見えた方は、僕の先輩筋にあたる高山生粋のベテラン産婦人科医の方だった。終始なごやかに建物内を見学され、「開業おめでとうございます」の言葉と共に帰って行かれた。

 何でも彼は、僕がエベレストで日本を留守にしている間、僕が母体保護法の資格を失わないよう、久美愛病院院長と協力し医師会担当者とかけあってくれていたと言う。僕のエベレストは通常なら資格剥奪もありうる時期に当たっていたらしい。その事を僕は全く知らなかった。
 僕が山でうつつを抜かしている間にも、色々な人が僕を助けてくれていたのだなあと有難く思う。何と言っても彼はある意味、同業ライバル??と言えなくも無い。僕を助ける理由など殊更は無いのだ。

 その後も久美愛とアルプスベルの両方で仕事を続けたが、アルプスベルでは事務方さんらが保険関係の事や、電カル導入の事で汗をかいていた。看護師さんらは手術や分娩の備品整理でてんやわんや?だ。僕は皆の言われるがままに、ベルトコンベアに乗って動いている。
 人は知らない内に色々な人から支えられて生きている。その分きっと僕も何処かで誰かを支えているのだろう。いずれにせよ感謝の気持ちを失っては絶対にいけない。感謝の心は豊かな人間社会を作るための基本なのだと改めて思う。
2010年08月16日
マッサージチェアで良きにはからえ、なんてできません
 代務先生は昨日午後に帰ってしまった。しかし深夜に起こされる事無く昨夜はきちんと眠れる。
 驚いた事にこの数日間は分娩無しで代務先生も暇していた?らしい。せっかくお盆休みに仕事に来ていただいて勿体無かったなんて思ったりする。今日は午前中は一杯一杯の予約外来。大急ぎで回診を済ませて午後からアルプスベルで準備業務に励む。

 アルプスベル開業準備もいよいよ大詰めの秒読み段階に入っている。
 外来は9月からだが、来週月曜日から分娩業務は早くも始まる予定だ。それまでに手術道具を含めた主だった設備、用具の準備をしないといけない。
 ベルの建物の中では、看護師さん、助産師さん、保育師さん、薬品関係、検査関係、備品関係、建物関係、保安関係など、それぞれ各種各業界の方々が忙しく動き回っている。

 僕は皆の邪魔になら無い様に、隅っこ?の方でこそこそ?自分の準備をしていたりする。
 とはいえもちろん薬品や検査、備品での打ち合わせや問い合わせ事項は山ほどあるから、決して暇している訳ではない。
 これら準備の中には、電気やら外装やら僕でも全く把握できてない事も沢山ある。
 備品の種類やセキュリティー関係もどんな感じかもうお任せ状態で、「後はよろしくお願いします」で済ませる事も多い。中にはそうして任せておいた方が良いものも多いだろう。

 そういえば今回の院長室備品の中にはマッサージチェアも入っている。これは僕の密かな開業後の楽しみの一つで、今まで電気量販店を足繁く通っていた理由の第一?は、各種各レベルのマッサージチェアを自分で確かめるというものだったりする。
 皆が散々働いている一方で、僕はマッサージチェアに横たわっているなんて事を想像する。しかしそんな怠け院長の病院では現実には先行き上手く行かないんじゃないかなんて、不安も多少抱えてはいる。

今日はどのマッサージチェアを試そうか・・なんてね
2010年08月15日
虫と蒸しに負けても
 世間の多くはお盆休みの大型連休?という事らしいが、僕にはそんな素敵な連休はもちろん無い。非常勤ではあるが久美愛病院での仕事もカレンダー通りに続けている。
 幸いな事は木曜夜から日曜午後にかけて有難い代務先生が来てくれている事だ。お陰で手術も組めるし、金曜午後に少し時間も作れた。夜中に分娩で呼ばれる心配もほとんど無い。そして土日の連休もある。

 まず昨日土曜日は、義理の兄がお盆休暇で高山に来てくれた。彼は普段は中国のトヨタ天津工場で働いていて、今では現地法人?の副社長クラスにまで出世?したらしい。ニュースでは分からない生の中国事情を聞けて面白かったりする。

 続いて今日日曜日は、早起きして石徹白から尾上郷川上流部ブナゴヤ谷付近を偵察してきた。こう聞いても何処をどう行ったか分かる人はほとんどいないだろう。かなりコアな北陸の沢登りだ。

 しかし実際は藪で虫にやられて、今にも降り出しそうな雨で蒸し暑さに参り、軽く途中で引き返してきた。僕は長期的には諦めが悪いのだが、短期的には諦めが早い(意味不明ですみません)。
 沢の水量も多そうで、これは行けないとなると直ぐにとっとこ引き返す事を決める。急いで高山に戻ると午後からはアルプスベル関係の準備で忙しく動き回っている。

 というわけで山登りで虫と蒸しにやられて、様々な浮世のしがらみは無視できないでいる。もっと無私の気持ちで動かんといかんのだろうと、つまらん駄洒落で今日の日記をしめたりする。

深い山で不快な沢登りだったかも
2010年08月14日
陸の孤島も上には上が
 お盆休みの関係で木曜の夜から代務先生が来てくれている。お陰で今年のお盆は夜中に呼ばれる心配は無さそうだ。しかしこの開業前にゆっくり出来る時間なんてある訳は無い。何時もの様に朝から晩まで動き回ってなかなかこの日記を書く時間も取れない。

 金曜日は朝から秒単位外来。大急ぎで仕事を回し、午前中に何とか外来終了させた。そして周囲に無理?言って正午ちょうどから手術に入る。その間もメール読んだり書いたりで、昼飯の時間はほとんど無い。
 手術は困難なものではなかったが、それでもとある理由で特別な注意を要するものだった。大急ぎで縫合済ませ病棟回診すると、お留守番を代務先生にお任せして、僕は下呂温泉に車を走らせた。

 一部関係者の中には僕が何処かに逃げ出したと考えた方もいた?そうだが、もちろん温泉入りに高山を離れたなんて訳はない。
 目的は開業の挨拶周りである。これから先平日に高山を離れれる時間はほとんど無い。ほんの数時間でもそういう時間があれば有効に利用しないといけない。
 あいにく下呂の開業医さんはお盆休みという事で、下呂温泉病院の部長先生にご挨拶に伺った。お互いに僻地の産婦人科医としれ、それなりの苦労話を聞く事となる。 

 考えてみたら今岐阜県内でもっとも僻地で分娩を扱っている場所は下呂温泉地区だ。
 高山は高速が繋がってから、富山や岐阜とグンと近くなった。しかし下呂温泉は昔のままで、未だに何処の都市部に出て行くのにもかなり時間がかかる。気の毒な事だと思う。

 高山から下呂の間もかなり遠いので、下呂温泉の妊婦さんがアルプスベルに来てお産するというのもちょっと大変だろうと思う。陣痛付いてからモタモタしていると、宮峠あたりで車中分娩になっちゃう。雪が降ると美女トンネル辺りが要注意だ。 
 そういえばモンゴルやパキスタン僻地の妊婦さんは、満期になると皆都市部に移動して、その後しばらくしてからお産すると聞いた事がある。陣痛ついてから何日間も歩いて病院に向かうなんて事は出来ない。何となくそんな事を思い出した。

 その後はやはり時間を有効利用しようと、くねくね国道走り名古屋の家電量販店をチェックし、お盆渋滞の中深夜に高山に戻ってきた。今日は朝から雨模様で、これ幸いと家庭内の事や電子カルテ準備に励んでいる。
 世間では産婦人科医の集約化とか、医療資源の有効活用とか色々な事が言われている。しかし飛騨地区でも、集約したくても集約できない絶対的な地理的条件と言うのが、どうしてもまだあるのだなあと思ったりする。
2010年08月12日
義理と人情を計りにかけりゃ
 昨日も勝負誘発の方が最後まで残ってしまった。夜には僕及び病院助産師さんらの送別会第一弾?がある。今回の僕の退職は色々な意味で特別な退職だ。
 産婦人科は事実上閉鎖となるし、同時に多くの助産師さんらが、僕と運命を共にし?アルプスベルに移動する。しかもそれに伴い病院内の一つの病棟閉鎖も決まった。

 つまり送別会なんて生優しい言い方するよりも、病棟分裂会と言った方が実は正しい状況だ。もちろんそこには僕等の退職を面白く思わない方もみえるだろう。それでもこれでも周囲の方々は送別会を企画してくれた。有難い事だと思う。
 と言う訳でその送別会に遅刻する訳には行かない。早めに誘発は切り上げて宴会場に移動、宿の風呂に入って身体を清め?てから飲み食いの席に向かったりする。

 定番の挨拶では、某内科先生から「先生は、○○に目がくらんだために久美愛病院を去る事となりました」と鋭い?指摘をされたりする。○○に入る言葉はお金かもしれないし、エベレストかもしれないし、産婦人科医増員かもしれない。たとえどの言葉が入るにしても、当たらずとも遠からずだ。僕は言い訳もしないし、嘘でたらめを言う必要も無いと思っている。

 そんな感じで帰りは夜中になった。送別会の夜とはいっても深夜に呼ばれる可能性はある。疲れてもいるしウコンの力を飲むと大急ぎで寝てしまう。幸い夜中には起こされなかった。
 しかし今朝は例によって分娩室から「心拍下がります」という連絡で始まった。何時もの秒単位外来の最中に、分娩室では押したり引いたりの大騒ぎだ。その後も大忙しで、もちろん二日酔いなんて贅沢は僕には許されない。

 有名な高倉健の唐獅子牡丹で「義理と人情を計りにかけりゃ。義理が重たい男の世界」という歌がある。
 男の世界は基本的に不変だから、きっと現代でもその歌は成り立つだろう。それはともかくなにはともあれ、誰がどう言おうと、これが僕の生き様だ。高倉健の様に正々堂々、しかし花と散らない程度にこれからも生きていこうと思う。
2010年08月11日
教え教わり、使い使われ
 月曜日は遅い夕食後就寝前の時刻に分娩が一件あり。睡眠時間こそ無事だったが、早寝はできなかった。
 昨日火曜日は最初から猛烈に忙しくなる事が分かっている一日だ。一日外来の合間に無理やり手術をねじ込んでいる。
 朝の医局会は勘弁してもらい、ダッシュで外来を始める。幸いそれほど混まなかったので、予定通り手術時刻に間に合った。手術後は休む間もなく、午後の予約診察と病棟回診が続く。

 昨日はたまたま愛知大学医学部5年生2名が、病院の産婦人科見学にみえていた。
 出来ることなら、少しは色々な事を教えたりしながら仕事したいのだが、そんな余裕は全く無い。各種紹介状を書いたりしていると、僕ももう一杯一杯だ。
 とはいえ学生さんも産婦人科の仕事内容を、まだ基本的によく理解してない感じだった。その分学生さんはただ見るだけの緩い?見学になってしまったかもしれない。

 それが終わると挨拶もそこそこに大急ぎでアルプスベルに走り、富士通さんと電子カルテ導入打ち合わせ勉強会を行う。
 学生さんに代わり、今度は僕が業者さんから教えてもらう番だ。しかし僕は疲れてやや薄ら眠い。それでもそんなそぶりは見せず?に、きちんと夜遅くまで熱心に打ち合わせに励む。
 
 今まで僕は医者になっていらずっと紙のカルテで通してきた人間だ。電子カルテの用語すら良く分からず、大いに不安を感じる。
 救いは多くの先達産婦人科医の方々が既に問題無く?利用しているという事だ。彼らに出来る事なら僕にもできるはずだと心を奮い?たたせたりしている。

 それにしても電カルというのは融通の効かないシステムだと思う。
 中味を変更しようと思うと面倒な手間があちこちで増える。最初の出来上がったシステムに則って仕事すれば、すべてがスムーズに運ぶ(多分)のだが、ちょっと変更加えると一からやり直しだ。
 と言う訳で、どうしても出来上がった方法に即して仕事せざる終えない。パターン外の面倒な事が起きた時に上手く対応できるだろうか?これでは電子カルテを使うのではなくて、電子カルテに使われるのだと思ったりする。

 今や人も機械も一緒くたで、教え教わり、使い使われている時代だ。これが新しいインターフェース?いうものなのだろう(きっと)。
 いずれにせよそういう新しい?事に対応できないと、これからはきっと上手くは行かない。そんな風に心を無理やり合理化させている。
2010年08月09日
無理、ムラ、無駄の人生ですが
 昨夜は日付変更線を越える頃に分娩が一件。更に変更線をかなり越えてから急患さん一件。しかも深夜に内診台不良なんて堪らん事があって、多少だが睡眠時間は削られた。
 幸いの事日曜午後にそれなりにワークアウトできていたので、デパスの力にも助けられて短い時間に熟睡は出来る。と言う訳で今日はそれほどの寝不足感は無い。今のところの予約診察業務も概ねスムーズだ。

 さてさてこの数日間は、医局の机や外来控え室の本棚に貯まりにたまったゴミ?の様な書類と格闘?する毎日だった。
 出来ることならこの機会にきちんと整理して、今後も資料として役立てたいのだが、整理する時間が無いので十把ひとかけらにゴミ箱やシュレッダー行きするものも多い。
 「分ければ資源、そのままならゴミ」という言葉があるが、それは各種紙情報にも当てはまる言葉だと思う。

 それら資料の中には、過去のとんでもない?遺産も含まれている。
 標準病名ICD10とかISO9001とかDPCとか(説明は省略)、挙句の果てには怪しい??社員研修セミナーまで、それぞれの資料だけで大変な量となる。
 その他にも久美愛病院分娩室改築の時の資料、外来改築の時の資料、10年ほど前に患者さんが急増した時、慌てて買い増してもらった各種産婦人科機器のパンフレットなど、それぞれで本棚一杯になるくらいだ。
 
 更にその日付を見るとまだ久美愛産婦人科外来を改築してから、まだ3年ちょっとしか経って無い事に気づいた。この外来は来月に入ると開店休業になる。どちらにせよ久美愛病院は2年後に新築移転するのだが、それにしてもやはりちょっと勿体無かった気と、申し訳ない気の両方がしたりする。

 それら捨てられる資料、資材を見ていると、人間は如何に色々な事をして生きてきたのだなあと思う。常に何かに追われるかのように、様々な問題と取り組んでいなければいけない強迫観念があるとしか思えない
 僕はムリムラムダが嫌いな人間だ。経済を良くするという事はムリムラムダを無くすという事と同意義だと思っている。今回の移動で、どれだけの資源が捨てられるのだろうか??。またその一方どれだけの合理性が新たに産まれるのだろうか?これは自分でも今後気にして行きたいと思う。

ゴミとなるか、資料となるか、それともリサイクル??
2010年08月08日
頭も身体の一部ですから
 土曜夜も呼ばれる事無く、多少の問い合わせ電話のみでしっかり眠る事が出来た。お陰で引越し業務もはかどる。
 お盆休みの関係で家具類搬入は遅れているが、医局、控え室の本、資料関係は今日の午前中に大部分アルプスベルに持っていってしまった。

 本を束ねていると次々と昔懐かしい本が現れてきたりして、自分でもびっくりしたりする。
 25年前に僕の教養での留年が決まる直接原因?となったドイツ語辞書まで現れて、思わず写真撮ってしまったりする。貧乏学生だった当時は、辞書一つ買うのにも財布と相談する必要があったのだ。
 昨日車を買う金があったら、25年前に辞書を買う金があった方が、人生に間違いなく役立ったと思う。

 それはともかく午後には少し時間が出来た。病棟が落ち着いてる事を確認すると、大急ぎで自転車を車に積み込み乗鞍スカイラインに向かう。最近の運動不足は著しい。僕は高校生の頃から体育会系で何故か身体を動かさないと、頭も動かないと思い込んでいる人間だ。
 だからかどうか、僕は大学受験の年も随分と長い縦走登山に出かけたし、夜は毎日10時間?くらい寝ていた。その時の経験から今の様な僕の人格の基礎が出来たのだろう。働いたり勉強したりする前に、遊んだり寝たりしないといけないと思い込んでいるのだ。

 そんな感じで、国道分岐から自転車漕ぎ出して約2時間、無事畳平まで登り上げた。久しぶりに涼しさ満喫で運動できて嬉しい。これでまた今週も頑張って動き回ろうと思う。

あの時この辞書を持っていれば・・・なんて後悔はしません


午後は涼しさ満喫できました
2010年08月07日
チョモランマ号危機一髪
 毎日2つの病院を行ったり来たりの忙しい日々が続いている。何処にいても何らかのやることはあるので、1分たりとも無駄には出来ない。幸いな事は夜中の分娩が無く済んでいる事で、昨日も深夜に起こされず、朝まで眠る事が出来た。しかも嬉しい事に今日は土曜日だ。
 代務先生のみえない寂しい週末であるが、きちんと?お寝坊できる。何だか少し得した気分だ。ゆっくり起きて朝食食べると、その後はひたすらの引越し業務に励んでいる。

 さてさて今日最大のイベントは、何と言っても新車の購入である。子供のクラブ活動引率と荷物運びの関係で、どうしても車を買い替える必要が出てきたのだ。
 そこで問題は、新車購入に家に2台ある車のうちどちらを捨てる?かという事だった。

 僕の愛車チョモランマ号(謂れは省略)は既に走行距離は23万`。しかも今廃車にしたら25万円の補助金を受ける事が出来る。もしこのチャンスを逃すと下取り価格はもうはや0円だ。一方配偶者の軽4はまだ買ってからさほどの年月はたっていない。走行距離も6万`そこそこだ。

 客観的に考えると誰がどう考えたって捨てるのは僕のチョモランマ号の方だろう。何と言っても25万円の差は大きい。しかも悪い事に先週末辺りからチョモランマ号のクーラーが壊れた。と言う訳で今週の僕は、汗だくになりながら、「この野郎、お前なんか25万で売ってやるー。鉄くずになりやがれー」なんて言いつつ、猛暑の中運転していたのだ。

 とはいえ結局僕は、今日やっぱり愛車を捨てる事はできなかった。直接の理由は、買おうとしている車の人気が高く納車が遅れるため、scrup incentiveを期限切れで受けれない事が分かったからだ。
 しかし多分本当の理由は愛着と思い出がありすぎて、捨てる事ができなかったのだろう。チョモランマ号がスクラップになると思うとやはり何だか悲しい。
 何と言っても不思議に燃費良い車で、未だに結構良く走る。つまりエコを理由に捨てる必要は無い。

 と言う訳でまたまたチョモランマ号は売られる事無く、そのまままだ僕の手元に残る事になった。今日も先ほどまで暑い中クーラーの壊れた車を運転して、自分は未練がましい人間だとホトホト思っていたりする。
2010年08月06日
大阪の119歳??
 業務引越し準備で毎日が忙しいと共に充実している。これで夜中に起こされていたら愚痴の一つも出る所だが、夜は寝れているから大丈夫だ。今日は早朝未明から勝負誘発が一件入っている。朝一番はその勝負誘発の方の心拍が下がるという連絡で起こされた。ここは慎重な様子観察を指示する。

 ちょうど分娩と秒単位外来と要注意急患処置が重なって、一時はそれなりに焦った。しかしもちろん冷静な判断で何時もの様にすべてその場を無事に対処する。
 何時何が起こるか予想できない産婦人科では、様々な難しい判断や処置が重なる事は珍しい事ではない。その一方でその場を上手くこなせば後は何とかなる事も多い。要するにこの辺は経験だろう。午後からはまたアルプスベルに移動して、例によって今でも引越し準備に奔走している。

 さてさて巷では行方不明高齢者続出の話題が大?ニュースになっている。これはもちろん年金不正受給及び死体遺棄と絡んでいるから、実は身近に潜んでいた重大犯罪と言えるだろう。
 先ほどネットを見たら大阪には、誰も知らない日本一の119歳高齢者が存命していた事になっていたらしい。先にも書いたが90歳以上の方が元気に外を歩ける可能性はかなり低い。ましてや100歳を越える方が自ら徘徊?して行方不明になるとは僕には思えない。つまりは何処かに死体が隠されているか孤独死しているのだろう。恐ろしやの話だ。

 昨日の夜の段階でのとあるニュースでは、約60名いる全国の行方不明老人のうち、約20人が大阪という事になっていた。
 人口の割りに幼児虐待事件も大阪に多い気がする。なお僕の友人には大阪は他地域と比べて人情こまやかで仕事しやすいと言う方も見える。このギャップは何だろうと思っちゃう。とはいえ時間が無いし大阪人から嫌われたら困るから、これ以上は書かない。

 常識に考えて、119歳の日本最高齢者が長いこと音信不通ならオカシイと思うのが普通だろう。もしそれを黙認して年金支給していたら凄い話だ。いずれにせよ100歳以上でこれなら、90歳以上の行方不明老人の人数はもっとずっと多いだろうと僕は思う。
2010年08月05日
僕は決して逃げません
 昨日は書類業務の水曜日で、ひたすら指を早く動かせばそれだけ早く仕事が終わる。と言う訳でなんとか昼過ぎには業務を一段落させてアルプスベルに走る事が出来た。
 色々な部屋の寸法を図り、本棚や机の配置を考える。そして大急ぎで家具屋さんに走るが、お盆休みの関係で搬入はギリギリ開業前になると言われて少し焦る。例によってギリギリまで動き回るが、楽しい事だし夜はきちんと寝れているから大丈夫だ。

 今日の外来は久しぶりにしっかりと混んだ。秒単位外来を午後遅い時刻まで続ける。こんなに多くの患者さんが行列を作って受診してくると言うのに、来月になれば事実上久美愛の外来は半ば閉鎖状態になる。
 きちんと来月からの受け皿を用意して僕は仕事場を変える訳だが、それでも患者さんから「何処に行ってもついていくんかんね」なんて言われると、改めて大きな責任感とちょっとの後ろめたさも感じたりする。

 そして今日も午後からアルプスベルに走る。多くの業者さんが猛暑の中汗水たらして働いてくれていた。スタッフの方々も額に立て溝?作りながら、一杯一杯で頑張ってくれている。
 と言う訳で僕もギリギリまで良い準備をするのだ。そんな感じで今も大変な書類の山の整理に頑張っている。クーラーの効いた部屋での準備が許される僕は幸せものだ。

 積み上げられた過去の書類の束を片付けていると、様々な13年間の病院での思い出がよぎったりして、思わず手の動きが遅くなったりする。
 人間は色々な事をやって生きている。その中には無理な事や無駄な事も多い。しかしそれはおいといて確かな事は、人は複雑に重なり支えあって生き続けているという事だ。
 世間では幼児虐待とか老人遺棄とか社会的弱者を捨てるニュースが流れている。それが今の世相かもしれないが、僕はやはり何事からも逃げないできちんと生きなければならないと思う。

猛暑の中の搬入。皆様ご苦労様です。
2010年08月04日
100歳と80歳
 予想はしていた事だが、引越し準備と通常業務が重なって津波?の様にのしかかっている。久美愛での業務が終わったら大急ぎでアルプスベルに向かうのだが、中々段取り通りに進まない事もある。 これで寝不足が入ればかなり辛いだろうが、幸い深夜業務はこの数日間無しで済んでいる。これはとっても幸運な事だ。

 周囲の方々はみな協力的だし、エベレスト遠征前とか、環太平洋の準備段階の時の事を考えると、この位の忙しさはどうと言う事は無い。むしろ楽しい事だと思う。何でもかんでも準備は楽しいものだ。良い準備を楽しくやれる事、それが結果を残すためにとても大事なことなのだ。

 さてさてそれはともかく、8月に入ってからもテレビでは仰天?ニュースが次々と配信されてきている。
 秩父の沢での3連続遭難とか、何故か大阪で続発するアパート幼児死体遺棄事件、及び日本中から次々と出てくる高齢者老人行方不明事件なんてのもある。
 どの事件も思うことがあって、この寝不足日記に感想を山ほど?書きたいと思う。しかしその数分の時間が無いのが残念だ。
 
 せめて一つ書かせてもらうと100歳超の行方不明老人の話だ。これをまともに対応したら、年金不正受給とかはたまた死体遺棄事件と絡んでくるから大変な事になる。死体遺棄となれば、かなりの重罪で刑法処罰の対象になる。

 僕の外来は実は結構高齢者の方の受診が多い。その理由の大部分は、60〜80歳くらいの方のペッサリー膣炎と80〜100歳くらいの方のおむつ膣炎だ(詳細説明は省略)。
 足腰が弱い方も多くて、内診台にあがることすらできなかったり、できて様々な理由で危険だったりする方が多い。その分もちろん時間もかかる。

 考えてみれば、100歳くらいの方の子供は80歳くらいになる。つまりオムツ膣炎のかたの面倒をぺッサリー膣炎の方が面倒見てるケースも有るだろう。
 ちなみに申し訳ないが、僕の印象では90歳越えた方はみなほどんど仙人みたいな感じだ。突然霞の様に消えても不思議でない。テレビでは元気な老人なんて映像が時々流れるが、実際には90歳で普通に道を歩けたら驚異的な事なのだ。

 これ以上の感想は今ここに書くのは時間も無いし辞めておこう。
 時代の問題はまさしく仏教で言う4苦、生老病死に凝縮されてきた。僕?の様な転職とか運動不足とかそんな些細?な問題で悩む人は、実はとっても恵まれているのだと改めて思う。
2010年08月03日
引っ越し大作戦発動中です
 この8月は勤務医と開業医という2足の草鞋を履いて仕事する事になっている。これは重要な業務移行期間でもある。僕にとっては大事な引越しの夏だ。
 13年間久美愛病院で働き続けた仕事の垢?は、外来、病棟、医局、その他控え室等々に嫌と言うほど染み込んでいる。しかも移すのは物品だけでは無い。僕がこの13年間の間にコツコツ積み上げてきた各種ノウハウやインテリジェンス、その他諸々も含まれている。

 産婦人科は常に危険と隣併せの科だ。引越しにも十分気をつけないと業務に支障を来たすかもしれない。運が悪いと死人が出る可能性だってある。だから単純な引越しと言えども。慎重かつ計画的に事は進めないといけない。
 と言う訳で昨日は仕事こそ早めに終わったものの、その後積み重なった雑誌類を片付けたり、色々考えたり、家具屋を見ていたりしたら、あっと言う間に時間が経ってしまった。僅かな時間があれば済む寝不足日記更新も、昨日はそんなこんなで忘れてしまう。

 幸いな事に深夜に呼ばれる事は無く、夜はぐっすり眠れた。これで今日も元気に動き回れる。
 中には僕がせっせと病院で働きまわっている姿を見て不思議そうにされる方も見えたりするが、それはおいといて今日もアッチコッチと引越し大作戦発動するのだ。

まだまだこれは極々一部です
2010年08月01日
こういう日も楽しい
 代務先生のみえない週末だ。天気はまあまあだが遠出は出来ない。朝一番の時間に、高山にすぐ戻れる場所という事で、乗鞍スカイラインで自転車心肺トレーニングを考えていたが、夏ばて気味か早起きには失敗した。
 と言う訳で今日は高山市街地をうろうろして過ごす。とは言うものの暇なことなんてちょっとも無い。僕にはアルプスベルの準備と言う楽しい?仕事もあるのだ。

 専門的な医療器具以外でも、パーソナルユースな道具は山ほどある。家電用品店や家具屋さん、ホームセンター、100円ショップなど回っていればあっと言う間に時間は過ぎる。
 睡眠時間が削られる産科医にとっては、睡眠用ベッドのマットレス選び一つとっても大問題だったりする。マットレスの種類の話を聞いているだけで1時間くらいは軽くかかってしまった。

 更にちょっと欲張って車屋さんを覗いたらもう大変だ。僕の愛車はいわゆるscrup incentiveの対象で、9月中に廃車にすれば25万円が戻ってくると言う。それに間に合わせるために「今週中にはぜひお決めください。今ならお得ですよ」となる。
 そんな甘い言葉に誘われて、ついつい時間をかけて何台もの車に試乗したりしてしまう。ちょうど退職金という現金が入ってくるものだから、僕の気分もかなり強気だ。

 そんなこんなで夕方になり、仕事許せば夕方に行こうと思っていた自転車峠越えトレーニングもキャンセルとした。最近は美味いものばかり食べて、運動不足は著しい。
 しかしこんなお店めぐりの一日も、新婚前の引越し準備?の様な感じがして、それはそれでかなり楽しかったりする。

ベッドに寝転がって、気分だけは王様ですか?
2010年07月31日
今までも大変だったし、これからも大変です
 昨日は僕の厚生連での最後の出勤日だ。8月中も久美愛で仕事は続けているが、立場は非常勤医師としての仕事となる。と言う訳で夕方早めに仕事を終えると、病院事務室に伺い、局長さんからの辞令とお餞別及び退職金目録などをいただいた。

 13年間の産婦人科部長としてのお勤めで、それなりの金額の退職金を頂ける事が分かり嬉しく思う。
 このお金で次男三男のサッカー荷物運びに使う自家用車を買おうか、それとも先々の子供達の進学費用のためにと残しておくか、色々な事を考えてしまったりする。
 学生の頃からお金が入ると直ぐに使ってしまうのは僕の悪い癖だ。随分と出入りの激しい人生だと思う。宵越しの金は持たない方が潔いとも言えるが、今回はさすがに先の事を考えて貯金もしないといけないと思う。

 そして夜からは、これから先の仕事場アルプスベルにとって重要?な懇親会に出た。
 例によって宴たけなわの最中に分娩室から呼び出しが入り、緊急出動を要する。得意のほろ酔い?縫合で素早く対応し、懇親会の席にはすぐ戻る事が出来た。
 アルプスベル及び飛騨の周産期にとって前向きな話し合いが出来、更にその上に最高の寿司とお酒も楽しむ事も出来る。

 と言う訳で今日はゆっくり朝寝坊だ。代務の先生もいないしちょうど良い休日だと思う。ゆったり起きだして、新築あいなり受け渡し終了したばかりのアルプスベルの建物に向かった。
 診察フロアや分娩病棟フロアも素敵だが、景色抜群の院長室とか鏡張り多目的ルームなどに感動したりする。これから様々な物品を搬入し、使いやすく実用的で、かつ結果を出せる病院にしたいと思う。それが患者さんにも職員にも大事な事だろう。

 午後にはまた別の分娩一件あり(もちろん久美愛で)、当然出動を要する。
 退職金を貰って、新しい病院の準備をし、同時に現在進行形の仕事もたくさんしている。
 楽しい事や嬉しい事が多い気もするが、やらないといけない事もありすぎるくらいある。アルプスベルでは8月23日から分娩業務を始めて、本格開業は9月1日からの予定だ。
 これから僕は院長として、患者さんのみならず職員の方々に対しても責任重大な立場になる。あまり思い詰めてもいけないだろうが、それでも様々なことに対する責任感で、押しつぶされそうなプレッシャーはどうしても感じている。

鏡張りの多目的ルームでマタニティビクス?などどうですか


景色も素敵です
2010年07月30日
誰もが何時かは幾つものガンになる
 昨日は久しぶりに分娩の方も残らず、夜に呼び出される事も無しできちんと眠れた。今日の外来もどういう訳か空いてくれて午後に手術も無い。分娩が多かった関係で入院患者さんの人数は久しぶりに20名を越えているが、それでも余裕のよっちゃんで仕事はできている。

 さて昨日の夜風呂に入っていたら、それこそ25年ぶりに大学山岳部の先輩から電話がかかってきた。中味は今度受ける腫瘍摘出手術に関する一般的?な心配事の相談であった。
 僕は今現在のところガン治療でも飯を食べている人間だ。だからこそかえってこの手の相談に親身に応える事は実は少ない。患者さんから直接電話がかかる様になると、医者の私生活は大変な事になるし、知り合いの医者の業務に支障が生じる場合もある。
 患者さんからのダイレクトな問い合わせ電話には慎重に対応すべきと言うのは、この道を行く医者なら誰もが知っている事だ。

 しかし今回は遠い所に住む大学の先輩の話で、しかも中味は産婦人科と全く関係ない分野の腫瘍摘出の話だった。と言う訳でかえってそれなりに親身??に応答する事が出来たと思う(多分)。

 さてさて昔バリバリに一緒に山に登っていた方々も、僕も含めて皆いわゆるガン年齢に達してきた。
 サザン桑田の食道ガンやRC清志郎の喉頭ガンではないが、50歳前後くらいの年になると、誰もが何時ガンと宣告されても全くおかしく無い。
 まして今はガンの診断精度が昔と比べて各段に上がった。昔なら原因不明の病気とされていたものも今では○○ガンと診断が付く。そして早期発見は確実に早期治療と治癒に繋がる。

 その結果、右も左もガン患者もしくはガン既往の方ばかりとなる時代は近い。そしてこれから高齢化社会となると益々その傾向は強くなるだろう。誰もが何時かはガンになる。中には治療しないでそのままにしておいたほうが良いガンなんてのも出るだろう。
 そして幾つかのガンを克服した後に、何個目かのガンでどうしようもないガンになり亡くなる。

 あと数十年ほどしたらガン病棟では「あなたはこれが何個目のガンですか」という挨拶が普通になる時代が来るだろう。僕はその事をほとんど確信している。
 かく言う僕も30歳の時に精巣セミノーマを患ったがその後にエベレストにも登った。僕の父親は胃がんと前立腺がんを克服?して今は海外トレッキングも出来る様になっている。
 
 ガンはあきらめるものではなくて戦うものだ。そしてガンに対しては、政治家でも芸術家でも知識層でも医者でも歌手でもみな平等で、人類共通最大のテーマだと僕は思う。
 と言う訳でまたこの転職でのゴタゴタ?が一段落したら、懲りないM先生の所か内視鏡&山スキーのカリスマH先生の所で徹底的??にガン検診など受けなきゃいかんか、なんて事も思っていたりする。
2010年07月29日
一寸先は闇です
 昨日も帰宅時に分娩が一件残った。とある理由でちと要注意な感じだ。しかし適切?な促進が効を奏し、分娩は深夜にならないで済んだ。ただ押したり引いたりとそれなりの難産になる。もちろん僕はそれで食っているのだから、各種判断と手練手管?で無事にこなす。

 さて人間には宿命的に危険な時期というのがある。幼少期の感染症や事故。青年期の各種争い事による死。年を取ったらガンや成人病による危険も増える。しかしそれらを抜いて、人生において最も危険な瞬間というのは実は分娩時である。
 産まれる時と言うのはちょっとした差で、元気な児が生まれるか、死にそうな児が生まれるか運命が分かれる事がある。最近は減ったが、医療者の判断の差で元気な子供が脳性マヒ児となってしまう事もあるだろう。分娩と言うのは大変な人生のクリティカルポイントなのだ。

 つまり現代というのは、分娩時の危険をクリアすれば、後はソツなく過ごせば、かなりの割合で中高年まで普通に生きていける時代だとも言える。僕みたいな、若いうちにガンになったり、雪崩れに埋められたりなんて生き様をしている方が珍しい。
 その上にまた最近、人生これから何があるか分からないと思う気がする様になった。これはきっと僕が今、転職と言う人生の岐路を一つ曲がりつつあるからだろう。これは人生の第3コーナーあたりなのだろうか?

 僕は今までも各種様々な事情から何回も職場を変わってきた。これは産婦人科医という職業柄から見ると割と普通の事だ。とはいえ今回の職場変えは今までの様な単純(でもなかったか)?な医局人事と明らかに異なっている。

 これは一つの科や病棟を事実上閉鎖し、関連病院や総合病院の名前にも影響かけつつ、更に多くの患者さんや医療関係者を巻き込んでの転職になるからであるだろう。
 そこには僕のエベレストを始めとして、各種各様各レベルでの思惑もうごめいている。後悔は無いが、後ろめたさが全く無いかと言われると嘘になる。人生一寸先は闇だ。いつまでも産道をくぐっている新生児の様だと思う。

 昨日たまたまテレビで見た関が原の戦いの後日談で、その後の石田三成はさらし首を京都三条河原にさらされた。小早川秀明は有名な裏切り?の後すぐに夭折しお家断絶となった。
 宇喜多秀家は八丈島に流されその後島で50年間生きた。毛利は所領没収で、島津は勇猛な戦いぶりから所領安堵された。同じ天下分け目の負け組にも、様々な生き様や死に様がある。

 時代やレベルはあまりにも違うが、何故か僕はこれから先どうなるかなんて事も思っちゃう。
 せめて真っ当に生きて夭逝は避けたいと思うが、あまり真っ直ぐに生きるとさらし首になるだけかもしれない。勇猛果敢に生きて所領安堵あたりで僕は大満足だが、そんな事を考えるより、大人しく遠くに流されて長生きするのが正解かもしれない。
 戦国時代の武将と自分を比較するのが滅茶苦茶な話だろうが、それはともかくなぜか歴史を見て自分を省みてしまう僕であった。
2010年07月28日
今年の夏のイノベーション
 何だかんだと仕事に追われて昨日の帰宅も遅くなった。分娩も2件残ってしまったし、何時に呼ばれるかそれなりに気にかかる。とはいえ昨日は幸運だった。夕食後就寝前の比較的心身に影響少ない時刻で2件とも産まれてくれた。定例?のテレビ番組(ガイアの夜明けとか爆笑学問とかニュースゼロとか)はすべて見損なうが、それほど拘りは無いからどうと言う事は無い。

 ここのところ毎日夜から深夜にかけて分娩で呼ばれている。その上昼の仕事もそれなりに大変だから、自分でも良く頑張っていると思う。そういえばその陰?に例年に無い画期的生活改善がある事に気づいた。それは夕食時のノンアルコールビール導入である。ノンアルコールビールと言っても、麦酒ではない。所謂ただのビール風味炭酸飲料だ。それは普通のビールの方が美味いに決まっている。 しかし夕食時にそれを飲むと腹が炭酸で張る。そうすると夜に本物のビールを飲まないで我慢できる様になった。仕事で疲れて、もうそのままとっとこ寝ちゃうのだ。

 例年なら毎年この時期にビールは欠かせない。山スキーが終わると僕にとって次に来るのはビールの季節だ。そしてこの時期何時もビール腹となり体重がグンと増える。
 呼ばれると飲酒運転厳罰化にぶつぶつ文句タレながら何度も何度も病院まで歩いて通う。少しでも長く寝たい僕にはこれはちと辛い。歩きながら半分寝ちゃう事もある。これは毎夏繰り返される僕の夏の風物詩?だ。

 しかしこの夏は夜に呼ばれると、病院まで車で行けている(なお昼の通勤には自転車を使ってます)。その分病院まで早く着くし、赤ら顔?のほろ酔い縫合も無い。きっと妊婦さんにも良い事だろう。相変わらず山スキーが終わると体重が増えるのは一緒だが、アルコール抜きの暮らしは健康にもちょっと良い気もする。

 全く持ってノンアルコールビール様々だ。というわけで今年はこのままビール無しで夏を乗り切れるかもしれない。これは僕にとって20年ぶりくらいの生活大イノベーションだったりする。

休む日のビールもどきを飲んで、休まずに働き続けます
2010年07月27日
冬のペンギン、夏の人間
 やや気を使う手術を経て、昨日も疲れ果てての遅い帰宅となった。遅い夕食の後に早めに眠りに付くも、またすぐ分娩呼び出しで起こされた。睡眠時間が削られた訳ではないが、あまり嬉しくは無い。
 今朝はきちんと医局会に出席した。今月一杯で僕は13年間務めた厚生連を退職する。8月は非常勤として開業医と勤務医の2足の草鞋を履く予定だ。いちおう常勤医としては今日が最後の医局会になる。ここは眠くても欠席する訳には行かないだろう。

 今日は一日外来の火曜日で、朝から秒単位外来、その後は急患診察、病棟業務、午後診察、分娩と続く。既に大分疲れているが夜にかけて更に2件の分娩が残っている。また夜中に起こされるのかと思うとちと辛いが、好き?でしてる仕事だし逃げる事はできない。

 さてさて今朝の新聞によると今年の猛暑はまたかなり凄いものになっているらしい。既に国内で100人近い人が熱中症で亡くなられているという。
 僕は普段日中はクーラーの効いた病院内で仕事している。住んでいる所も高山なので、朝晩の自転車通勤時にそれほど暑さを感じる事も無い。だがそれでも毎年毎年夏の暑さは酷くなっている気がする。
 今年は特に東海地区の暑さが酷いという事だが、果たしてそれは何故だろうか?東海地区では二酸化炭素を気持ちよく排出するので、他地域と比べヒートアイランド現象が進むのだろうか?その可能性は少しある様な気もする。

 何でもニュースに寄ると、無理にクーラーを使わないで部屋の中にいると、屋内熱中症を起こして死に至る可能性もあると言う。いくら環境?の為を思って暑さを我慢しても、それで死んでしまっては元も子もない。スキー業界の温暖化対策のキャンペーンにノースキー、ノーライフという言葉があったが、こうなるとノークーラー、ノーライフという感じだ。

 つまり今時はどうしても誰もがクーラーの効いた部屋で過ごすしか無いという事なのだろう。そうなると更に室外機で外は暑くなる。そうするとまた生きる?ためにクーラーを使う。悪循環でもう後戻りが出来ない。このままでは今の子供達が大人になった頃には、夏はもう外で人間が生きられないなんて世界になっているに違いないと僕は思う。

 どうすれば良いのだろうか。クーラーを使わないと死んじゃうのならば、せめてクーラーの効いた部屋に皆で集まって能率よくクーラーを使うのが正解かもしれない。人の少ない個室ではクーラー禁止として、皆で集まって暖を取るのではなくて集まって冷を取るのだ。そうすると少しは室外機によるヒートアイランド現象も避けれるかもしれない。
 南極のペンギンは冬の時期寒くなると皆が集まりオシクラ饅頭で暖を取る。それにより赤ちゃんペンギンが凍死するのを防ぐと言う。今の人間は暑さを避ける為にその逆をしないといけない。

 真剣に未来を考えて冬に楽しくスキーが出来るためには、夏の間にそんな工夫が必要なんじゃないかなんて事を思ったりしている。
2010年07月26日
充実感はあります
 代務の先生のお陰でこの土日も楽しい休日を過ごす事が出来た。昨夜もぐっすり寝れたし言う事は無い。
 今日は午前中の予約診察に午後はやや大変な手術が2件。特に2件目はとある理由でハイリスク手術であったが、あの手この手で今のところ上手く経過してくれている。もちろん疲れているが、充実感もある。

 さてさて梅雨も明けて北半球は猛暑となっている。だからかどうか今朝もニュースを聞くと様々な出来事が世界中で起きていた。アルプスでは氷河特急が脱線して、秩父の山奥では防災ヘリコプターがまたまた?墜落したと言う。
 距離で換算すると世界で一番安全な乗り物は飛行機で、一番危険な乗り物は三輪車だと聞いた事があるが、それはともかく素敵で便利な乗り物ほど同時に危険も高いというものなのかもしれない。

 現世人類というのは10数万年(多分)ほど前にアフリカを出て以来、世界中をそれなりのリスク背負って様々な手段で移動してきた。危険な目にあってもあちこちに移動したいというのは、人間の遺伝子に刷り込まれた本能なのだろう。かく言う僕も移動する事は大好きだ。

 そう言えばこれも遺伝があるのか、僕の父親ももう良い年?だと言うのに一人で海外ツアーに参加して、アメリカ西海岸の国立公園を回ってきたらしい。同行の方が作った報告も読ませていただいたが、幾つになっても旅行は楽しいのだろうと思う。

 僕はこれからまだ当分の間、高山で産婦人科稼業を続けていく事になった。仕事柄拘束時間は長くなりそうだ。
 いつかある日円満に定年?退職を迎えて、その後は気ままに蓄えで懲りない旅を死ぬまで?続けたいなんて思っちゃうが、そういう生き様はきっと恵まれた場合に可能なのだろう。そんな事を夢見ながら、まだしばらくはせっせと今いるところで働き続けようと思う。
2010年07月23日
気分は眠狂四郎
 昨日木曜日は手術無く比較的早く帰宅できた。とはいえ経過中の方はやはり残ってしまう。金曜日は大変な一日になる事が分かっているから、何とか夜はしっかり寝て疲れを取っておきたい。
 幸い分娩は深夜にやや遷延気味になってきた。起こされない方に賭けてマイスリー半錠飲んで眠りに付く。
 
 しかしこれは残念な方に外れた。草木も眠る丑三つ時にやはり分娩室から呼び出しが入る。もちろんどんなに眠たくても出動だ。裂傷は複雑なものだった。しかしここは長年の修行の賜物で、眠狂四郎必殺の円月縫合を駆使し、眠気を保持しながら問題なく縫合する。
 ただ縫合するだけならどんな産科医にもできる。しかし眠気を保持しながらこれを行うには、長年の修行が必要だ。2度目の睡眠で熟睡感を得る事は、今日の仕事のパフォーマンスを維持するために、とても重要な事なのである。

 と言う訳でボチボチの睡眠は出来た。朝からまず秒単位外来をこなし、次いで大変な手術が2件続く。運の悪い事に僅かな昼休みの時間にも急患さん受診が入る。昼食こそ取れたものの昼寝はあきらめないといけない。
 午後の2件の手術の間も微妙に眠気を感じた。しかも2件とも代務先生もちょっと驚く?ややハード?な内容の手術だった。

 しかしここで僕はひるんだりはしない。予想外の事で冷や汗はかいたが、それでも問題なく先ほど手術終了した。これで後は各種雑用と回診業務を済ませれば、留守を代務先生に任せて週末休みに入れる。
 そして週末は遊ぶのだ。良く遊び良く働き、そしてちょっとだけ寝る。周りの事を考え無さ過ぎという話もあるが、僕の場合はそれが一番正しいのだと思う。
 
  これ以前の日記は削除しました。