前田氏(手前左)らに担がれ出棺される山本小鉄さん=東京・新宿区(撮影・会津智海)
低酸素性脳症のため8月28日に68歳で急逝した元プロレスラーで新日本プロレス顧問の山本小鉄さん(本名・勝。戒名・清巌院闘誉小鉄居士)の葬儀・告別式が3日、都内でしめやかに営まれ、喪主の妻・ミツ子さんに代わってあいさつした長女・持田知英さんが小鉄さんの最期の様子を初めて明かした。また、小鉄さんの追悼大会となった新日本の後楽園大会で、追悼のテンカウントゴングが鳴らされた。
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知英さんによれば、小鉄さんは8月24日の朝食後しばらくして急にむせ込み、息を詰まらせて倒れ、救急車が来たときにはすでに心肺停止状態だった。蘇生(そせい)措置で心肺機能は回復したが心臓が30分以上停止していたため体のダメージが大きく、意識が戻らないまま息を引き取ったという。
知英さんは「体をさすったら68歳とは思えない筋肉とツヤツヤした肌で驚きました。後楽園で試合してきてください、と言いたいくらいの努力の結晶の体でした」と話し、参列者の涙を誘った。
葬儀には初代タイガーマスク、高田延彦、武藤敬司、古舘伊知郎さんら約300人が参列し、菅林直樹・新日本社長と前田日明・リングス代表が弔辞を読んだ。ひつぎには練習着、眼鏡、家族からの手紙、家族写真、スポーツ紙などが納められ、遺体は代々幡斎場でだびに付された。
また、後楽園では小鉄さんの映像が流され、ミツ子さん、知英さん、孫の雅也ちゃんと智也ちゃん、遺影を持った坂口征二・新日本相談役がリングインして追悼のテンカウントゴングが鳴らされた。入り口には遺影が飾られ、多くのファンが花束をささげて小鉄さんの冥福を祈っていた。
(2010年9月3日)