「監督が決まらなかったら、オレがやろうかな」。つい数カ月前に交わした冗談が、本当に実現してしまった。親善試合2試合限定、しかも「代行」という肩書はついているが、間違いなく、日本代表の指揮官だ。公式会見に現れたのは、強化担当技術委員長ではなく、真剣勝負を目の前にした「勝負師・原博実」そのものだった。
試合2日前、横浜市内での初練習。スタジアム前にバスが到着すると、原監督代行が勢い良く先頭で降りてきた。ピッチに出ると、体をほぐす選手1人1人に声をかけて回った。「調子はどうだ?」「ドイツも暑いのか?」。紅白戦では自ら笛を吹き、プレーを止めては指示を出した。「ボールを奪ったら、まずは一番前を見てくれっ」。どこかうれしそうに見えた。少なくとも、少し離れた記者にはそう映った。やはり現場が似合う。懐かしくなって、取材ノートを引っ張り出した。
07年12月24日、FC東京の練習場。クリスマスイブにもかかわらず、陽は暖かかった。クラブハウスの日だまりにある木製のイスに腰掛け、原監督は退任後の身の振り方についてこう語っていた。
「海外で監督をやってみたいね。選手は世界に飛び込んでいるんだから、指導者も海外に出ていかないと。失敗してもいいよ。地域リーグや(スペインの)セグンダBでもいいよ。うまいもんでも食いながら、ね」
その夢はかなっていない。立場も激変した。でも、信念にも似た強い思いが源流であることは同じだろう。視線の先にあるのは常に「世界」−。
代表監督の選考、交渉の責任者として「世界一周を旅行してきた」。想定外の混乱、長期化…。その交渉能力に懐疑的な声が向けられ、批判も浴びた。パラグアイ、グアテマラ両戦の位置付けを問うメディアがいるのも確かだ。だが、W杯の戦いを分析し、ニッポンの進むべき道を誰よりも考え、「守から攻への転換」と導き出したのは誰あろう、原監督代行自身だ。
ザッケローニ新監督は指揮を執れない。そこを嘆いても始まらない。W杯終戦から67日。誰も「リベンジ」なんていう気休めは求めてはいない。日本代表の進むべき道筋の一端が示されれば、飢えも渇きも癒やされる。 (日本代表担当・松岡祐司)
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