日本家屋を生かしたカフェ「古里」。2階のバルコニーや装飾が印象的だ=韓国浦項市
日本が朝鮮半島を植民地支配した時代に、日本人が住んでいた家屋を保存する取り組みが韓国各地で進む中、東南部の浦項(ポハン)市で朽ちた日本家屋を再生させたカフェが先月末、開店した。経営者の朴妹〓(パクジュヨン)さん(46)は元駐福岡韓国総領事館職員。今年3月末に退職して24年住んだ福岡から浦項へ帰郷し、「韓国と日本の人々を結ぶ場に」と両国の民間交流に一役買っている。(浦項・神屋由紀子)
「2階のバルコニーがかわいい」。「日帝時代(日本統治時代)の家らしい」。浦項市の大学生、李相潤(イサンユン)さん(19)たちは白と水色のペンキで塗られた木造の建物を不思議そうに見上げていた。
浦項市中心部から車で約40分の九龍浦(クリョンポ)地区。細い露地に往時の日本家屋が立ち並ぶ一角にカフェ「古里」はオープンした。壁に博多祇園山笠の手ぬぐい、飾り棚には杯や急須を置き、和風に演出している。
「ここは時間が止まったような町。日本人も韓国人も懐かしく感じる場所だから」。朴さんの店名に込めた思いだ。
■ ■
韓国では冬の珍味「クァメギ」(サンマの寒風干し)の産地で知られる港町・九龍浦は、1902年に山口県の漁船50隻が寄港したのをきっかけに、戦前、数多くの日本人が移り住んだ。
市は一昨年、一帯の日本家屋の保存事業に着手し、「日本人家屋通り」と名付け、観光客を誘致。昨年は8千人を超す日本人が訪れた。
「休めるところもなかった」。朴さんがカフェを思い立ったのは、九龍浦を旅した知人のひと言だった。
浦項市が2008年に福岡市に事務所を構えたのを機に、双方の交流を仲立ちする機会も増えていた。日本に留学し、総領事館職員となって20年余り。「そろそろ別のことをしたい。やるなら今だ」と転身した。
■ ■
戦前、「ミドリ薬局」と呼ばれた古びた家は、外側をペンキで塗り替えた以外は、柱も細い階段も昔のままだった。いざ借りてみると、ネズミが出て、トイレも旧式で臭う。「いっその事、つぶしたほうがいい」と途方に暮れたが、地元の人に「日本式の家はどこもこんなものだ」と諭され、思い直した。
開店当初は「観光客が憩う場に」と思っていたが、思いのほか近所の人が立ち寄る。
「あのころこの辺に美容室があって…」。90歳過ぎのおじいさんは、日本統治時代の集落を思い起こしながら、その記憶を留めてほしいと朴さんに託した。「あんたと日本語で話せないか」と訪ねてきた80代半ばの男性とは韓国人同士なのに会話はいつも日本語だ。
「植民地時代といえば普通、お年寄りは悪い感情を持っているというけれど、ここは当時、日本人と韓国人の関係がよかったんでしょう。幼いころを懐かしむ人が多い」
何かと年配の人に日本語で話し掛けられて当初は驚いた朴さん。しかし「日々発見。私が役立つなら」。驚きはやりがいに変わりつつある。
=2010/06/14付 西日本新聞朝刊=